ケーズホールディングス:加藤馨氏のラジオ販売修理業開業とカトーデンキへの改称
1947年〜水戸の借家で始めたラジオ受信機の販売修理と、ナショナルショップを離れた加藤電機商会
1947年3月、加藤馨氏は茨城県水戸市元台町5丁目の借家で、ラジオ受信機を主とする販売と修理の商いを始めた。ケーズホールディングスは、この開業の年月を自社の創業として数えている。店舗は住まいを兼ね、長男の加藤修一氏はその家で育った。加藤馨氏の誠実な商売は地元で評判を呼び、加藤家は店舗兼住宅の増築をほぼ毎年のように重ねた。加藤修一氏が高校3年生の頃、加藤馨氏は増築はこれが最後だと妻に頼み込み、3階建ての鉄筋ビルを建てた。地元の電器店では数少ない規模の建物。戦後に放送を聴く暮らしが戻るなかで、受信機を直す技術がそのまま客を呼ぶ入口になったのだろう。
- ケーズホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1947年3月、加藤馨が水戸市元台町5丁目の借家でラジオ受信機主体の販売・修理業を開始
- ケーズホールディングス 2014年3月期 決算説明資料(会社概要・沿革)
- [2]会社概要で創業を1947年3月、沿革の起点を加藤馨のラジオ受信機販売・修理業開始とする
- 週刊東洋経済 2011-09-10
- [3]自宅兼店舗で修一が育つ。評判で繁盛し毎年増築、修一の高校3年時に鉄筋3階建てビルを建設
- [4]自宅兼店舗で修一が育つ。評判で繁盛し毎年増築、修一の高校3年時に鉄筋3階建てビルを建設
- [5]自宅兼店舗で修一が育つ。評判で繁盛し毎年増築、修一の高校3年時に鉄筋3階建てビルを建設
- [6]自宅兼店舗で修一が育つ。評判で繁盛し毎年増築、修一の高校3年時に鉄筋3階建てビルを建設
1955年10月、加藤馨氏は業務の拡大を受けて個人の商いを法人に改め、有限会社加藤電機商会を設立。店は松下電器産業の製品だけを扱うナショナルショップとして営業し、仕入れ先は松下電器産業の系列に限られた。加藤馨氏は電器店向けの勉強会に通って業界の情報を得ていた。ただ店の仕事に追われて欠席が重なり、大学生だった長男の加藤修一氏に代理での出席を命じた。加藤修一氏はその席で、カラーテレビが普及すれば電器店の経営者も海外旅行に出られるという講師の見通しを聞き、早く家業に加わりたいと考えた。法人化と専売店の看板は、メーカーの系列のなかで取引の信用を固める手段だったと推察される。
- ケーズホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [7]1955年10月、業務の拡大により有限会社加藤電機商会を設立
- 週刊東洋経済 2011-09-10
- [8]実家は松下電器産業の製品だけを扱うナショナルショップだった
- [9]加藤馨は電器店の勉強会で情報収集、多忙のため大学生の修一を代理に。講師はカラーテレビ普及で電器屋も海外旅行に行けると説いた
- [10]加藤馨は電器店の勉強会で情報収集、多忙のため大学生の修一を代理に。講師はカラーテレビ普及で電器屋も海外旅行に行けると説いた
- [11]加藤馨は電器店の勉強会で情報収集、多忙のため大学生の修一を代理に。講師はカラーテレビ普及で電器屋も海外旅行に行けると説いた
1969年4月、加藤修一氏は大学を卒業し、有限会社加藤電機商会に入社した。その時点の店は、ナショナルショップを離れて複数のメーカーの製品を並べる混売店。加藤馨氏は、松下電器産業1社の利益が全国の専売店の利益を合計した額より大きい構図を挙げ、松下幸之助氏の経営の考え方は正しくないと判断した。同じ頃、家電の量販店が数を増やし、値引き販売が地方の電器店にも及び始めていた。加藤修一氏は1971年12月に有限会社カトーデンキの取締役営業部長となり、仕入れと販売の実務を担った。専売店の看板を外したことで、仕入れ先を価格で選べる余地が生まれたとみられる。
- ギガスケーズデンキ 有価証券報告書 2005年3月期【役員の状況】
- [12]加藤修一は昭和44年4月に有限会社加藤電機商会へ入社、昭和46年12月に有限会社カトーデンキ取締役営業部長
- [16]加藤修一は昭和44年4月に有限会社加藤電機商会へ入社、昭和46年12月に有限会社カトーデンキ取締役営業部長
- 週刊東洋経済 2011-09-10
- [13]修一の入社時には店はナショナルショップを離れ混売店に。父は松下の利益が専売店全体の利益合計を上回ると疑問を示した。量販店が増え安売りが広がっていた
- [14]修一の入社時には店はナショナルショップを離れ混売店に。父は松下の利益が専売店全体の利益合計を上回ると疑問を示した。量販店が増え安売りが広がっていた
- [15]修一の入社時には店はナショナルショップを離れ混売店に。父は松下の利益が専売店全体の利益合計を上回ると疑問を示した。量販店が増え安売りが広がっていた
- [17]修一は忙しい父に代わりチラシ作りや仕入れを担い、毎晩11時頃まで働いた
参考文献[1]-[17]
- ケーズホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1947年3月、加藤馨が水戸市元台町5丁目の借家でラジオ受信機主体の販売・修理業を開始
- [7]1955年10月、業務の拡大により有限会社加藤電機商会を設立
- ケーズホールディングス 2014年3月期 決算説明資料(会社概要・沿革)
- [2]会社概要で創業を1947年3月、沿革の起点を加藤馨のラジオ受信機販売・修理業開始とする
- 週刊東洋経済 2011-09-10
- [3]自宅兼店舗で修一が育つ。評判で繁盛し毎年増築、修一の高校3年時に鉄筋3階建てビルを建設
- [4]自宅兼店舗で修一が育つ。評判で繁盛し毎年増築、修一の高校3年時に鉄筋3階建てビルを建設
- [5]自宅兼店舗で修一が育つ。評判で繁盛し毎年増築、修一の高校3年時に鉄筋3階建てビルを建設
- [6]自宅兼店舗で修一が育つ。評判で繁盛し毎年増築、修一の高校3年時に鉄筋3階建てビルを建設
- [8]実家は松下電器産業の製品だけを扱うナショナルショップだった
- [9]加藤馨は電器店の勉強会で情報収集、多忙のため大学生の修一を代理に。講師はカラーテレビ普及で電器屋も海外旅行に行けると説いた
- [10]加藤馨は電器店の勉強会で情報収集、多忙のため大学生の修一を代理に。講師はカラーテレビ普及で電器屋も海外旅行に行けると説いた
- [11]加藤馨は電器店の勉強会で情報収集、多忙のため大学生の修一を代理に。講師はカラーテレビ普及で電器屋も海外旅行に行けると説いた
- [13]修一の入社時には店はナショナルショップを離れ混売店に。父は松下の利益が専売店全体の利益合計を上回ると疑問を示した。量販店が増え安売りが広がっていた
- [14]修一の入社時には店はナショナルショップを離れ混売店に。父は松下の利益が専売店全体の利益合計を上回ると疑問を示した。量販店が増え安売りが広がっていた
- [15]修一の入社時には店はナショナルショップを離れ混売店に。父は松下の利益が専売店全体の利益合計を上回ると疑問を示した。量販店が増え安売りが広がっていた
- [17]修一は忙しい父に代わりチラシ作りや仕入れを担い、毎晩11時頃まで働いた
- ギガスケーズデンキ 有価証券報告書 2005年3月期【役員の状況】
- [12]加藤修一は昭和44年4月に有限会社加藤電機商会へ入社、昭和46年12月に有限会社カトーデンキ取締役営業部長
- [16]加藤修一は昭和44年4月に有限会社加藤電機商会へ入社、昭和46年12月に有限会社カトーデンキ取締役営業部長
1971年〜量販店へ転じた有限会社カトーデンキと、ダイエーの水戸進出に備えたメーカーとの直接取引
1971年5月、加藤電機商会は商号を有限会社カトーデンキに改めた。加藤馨氏は、配達で得意客をつなぎとめる街の電器店から、客が来店して買う量販店へ業態を移すと決めた。ある顧客から蛍光灯を届けてほしいと電話が入ると、加藤馨氏は今後は店頭で買ってほしいと答えた。加藤修一氏は、長年かけて築いた得意客を失ってでも業態を替えた父の判断に敬意を抱いたと振り返っている。量販店の値引きが広がる以上、配達の手間を価格に上乗せする売り方では客を保てないというのが加藤馨氏の見立てである。商号から「商会」を外したことは、修理と配達の店から販売の店への転換を対外的に示す意味を持ったと思われる。
- ケーズホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [18]1971年5月、有限会社カトーデンキに商号変更
- 証券アナリストジャーナル 26(7) 1988年 加藤修一
- [19]昭和46年5月に商号を有限会社カトーデンキとした
- 週刊東洋経済 2011-09-10
- [20]量販店の安売りが広がるなか父は量販店への転換を決断。蛍光灯の配達依頼に店へ買いに来るよう応じ、修一は顧客を捨てる覚悟の商売替えを尊敬した
- [21]量販店の安売りが広がるなか父は量販店への転換を決断。蛍光灯の配達依頼に店へ買いに来るよう応じ、修一は顧客を捨てる覚悟の商売替えを尊敬した
- [22]量販店の安売りが広がるなか父は量販店への転換を決断。蛍光灯の配達依頼に店へ買いに来るよう応じ、修一は顧客を捨てる覚悟の商売替えを尊敬した
- [23]量販店の安売りが広がるなか父は量販店への転換を決断。蛍光灯の配達依頼に店へ買いに来るよう応じ、修一は顧客を捨てる覚悟の商売替えを尊敬した
1972年5月、カトーデンキは水戸市城南2丁目に駅南店を開店した。水戸市内で2店目を構えた時期に、流通革命を掲げて店舗網を広げたダイエーの水戸進出が迫った。進出の1年前、加藤馨氏は加藤修一氏を伴って東京のダイエーの店を見て回り、パイオニアのオーディオが2割引きで売られているのを確かめた。問屋経由の仕入れでは1割引きの売価でも原価に近く、価格では競争劣位にある。そこで加藤馨氏は問屋を介さずメーカーと直接取引を交渉し、売価をダイエーと同じ水準まで下げた。それでも客は市街地のダイエーへ流れ、カトーデンキはダイエーへ向かう街道沿いに大型店を出して「水戸の秋葉原」の看板を掲げた。
- ケーズホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [24]1972年5月、水戸市城南2丁目に駅南店を開店
- 週刊東洋経済 2011-09-10
- [25]水戸で2店目を出した頃ダイエーが進出。1年前に父子で東京のダイエーを視察、パイオニアのオーディオが2割引きで、問屋仕入れでは1割引きでも原価ぎりぎり
- [26]水戸で2店目を出した頃ダイエーが進出。1年前に父子で東京のダイエーを視察、パイオニアのオーディオが2割引きで、問屋仕入れでは1割引きでも原価ぎりぎり
- [27]水戸で2店目を出した頃ダイエーが進出。1年前に父子で東京のダイエーを視察、パイオニアのオーディオが2割引きで、問屋仕入れでは1割引きでも原価ぎりぎり
- [28]問屋を通さずメーカーと直接取引を交渉し価格は互角に。客がダイエーへ流れたため街道沿いに大型店を出し「水戸の秋葉原」の看板を掲げた
- [29]問屋を通さずメーカーと直接取引を交渉し価格は互角に。客がダイエーへ流れたため街道沿いに大型店を出し「水戸の秋葉原」の看板を掲げた
1973年9月、カトーデンキは組織変更を行い、株式会社カトーデンキとなった。加藤修一氏が27歳で株式会社カトーデンキの代表取締役専務に就任したのも同月である。カトーデンキの売上高は創業以来毎期増えた一方、オイル・ショックの時期だけは横ばいにとどまった。水戸は沿岸の土地で寒暖の差が乏しく、季節商品が伸びにくかったため、暑い夏が続いて業界が潤った年にもカトーデンキは恩恵を受けられなかった。加藤修一氏はこの立地の制約から、天候に左右されないオーディオを強化してAVに強い店をつくる方針を固めた。売上の伸びが止まった経験が、商品を絞って効率を高める1979年の定番制度へつながったと考えられる。
- ケーズホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [30]1973年9月、組織変更を行い株式会社カトーデンキを設立
- 証券アナリストジャーナル 26(7) 1988年 加藤修一
- [31]昭和48年9月に株式会社カトーデンキ。創業以来オイル・ショック時に横ばいだった以外は毎期増収
- [33]昭和48年9月に株式会社カトーデンキ。創業以来オイル・ショック時に横ばいだった以外は毎期増収
- [34]水戸は海に近く気温差が小さく季節商品が売れにくい。暑い夏の恩恵を受けられず、AVに強い店にすべくオーディオに注力
- [35]水戸は海に近く気温差が小さく季節商品が売れにくい。暑い夏の恩恵を受けられず、AVに強い店にすべくオーディオに注力
- ギガスケーズデンキ 有価証券報告書 2005年3月期【役員の状況】
- [32]加藤修一(昭和21年4月7日生)は昭和48年9月に株式会社カトーデンキ代表取締役専務
参考文献[18]-[35]
- ケーズホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- [18]1971年5月、有限会社カトーデンキに商号変更
- [24]1972年5月、水戸市城南2丁目に駅南店を開店
- [30]1973年9月、組織変更を行い株式会社カトーデンキを設立
- 証券アナリストジャーナル 26(7) 1988年 加藤修一
- [19]昭和46年5月に商号を有限会社カトーデンキとした
- [31]昭和48年9月に株式会社カトーデンキ。創業以来オイル・ショック時に横ばいだった以外は毎期増収
- [33]昭和48年9月に株式会社カトーデンキ。創業以来オイル・ショック時に横ばいだった以外は毎期増収
- [34]水戸は海に近く気温差が小さく季節商品が売れにくい。暑い夏の恩恵を受けられず、AVに強い店にすべくオーディオに注力
- [35]水戸は海に近く気温差が小さく季節商品が売れにくい。暑い夏の恩恵を受けられず、AVに強い店にすべくオーディオに注力
- 週刊東洋経済 2011-09-10
- [20]量販店の安売りが広がるなか父は量販店への転換を決断。蛍光灯の配達依頼に店へ買いに来るよう応じ、修一は顧客を捨てる覚悟の商売替えを尊敬した
- [21]量販店の安売りが広がるなか父は量販店への転換を決断。蛍光灯の配達依頼に店へ買いに来るよう応じ、修一は顧客を捨てる覚悟の商売替えを尊敬した
- [22]量販店の安売りが広がるなか父は量販店への転換を決断。蛍光灯の配達依頼に店へ買いに来るよう応じ、修一は顧客を捨てる覚悟の商売替えを尊敬した
- [23]量販店の安売りが広がるなか父は量販店への転換を決断。蛍光灯の配達依頼に店へ買いに来るよう応じ、修一は顧客を捨てる覚悟の商売替えを尊敬した
- [25]水戸で2店目を出した頃ダイエーが進出。1年前に父子で東京のダイエーを視察、パイオニアのオーディオが2割引きで、問屋仕入れでは1割引きでも原価ぎりぎり
- [26]水戸で2店目を出した頃ダイエーが進出。1年前に父子で東京のダイエーを視察、パイオニアのオーディオが2割引きで、問屋仕入れでは1割引きでも原価ぎりぎり
- [27]水戸で2店目を出した頃ダイエーが進出。1年前に父子で東京のダイエーを視察、パイオニアのオーディオが2割引きで、問屋仕入れでは1割引きでも原価ぎりぎり
- [28]問屋を通さずメーカーと直接取引を交渉し価格は互角に。客がダイエーへ流れたため街道沿いに大型店を出し「水戸の秋葉原」の看板を掲げた
- [29]問屋を通さずメーカーと直接取引を交渉し価格は互角に。客がダイエーへ流れたため街道沿いに大型店を出し「水戸の秋葉原」の看板を掲げた
- ギガスケーズデンキ 有価証券報告書 2005年3月期【役員の状況】
- [32]加藤修一(昭和21年4月7日生)は昭和48年9月に株式会社カトーデンキ代表取締役専務
出典・参考
5件
- ギガスケーズデンキ 有価証券報告書 2005年3月期【役員の状況】
- ケーズホールディングス 2014年3月期 決算説明資料(会社概要・沿革)
- ケーズホールディングス 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 26(7) 1988年 加藤修一
- 週刊東洋経済 2011-09-10