第1章 年〜年

フジ:松山への本店移転と関連5法人の吸収合併

1973年〜松山へ本店を移した十和系のスーパーが、関連5法人を一本にまとめて瀬戸内へ出るまで

フジは1973年3月、本店所在地を愛媛県松山市宮西へ移した。フジの設立は1967年9月で、十和の全額出資による資本金20万円での発足。1968年3月には当初の本店所在地に湊町店を開設し、1973年には第14号店として松山店を開業した。松山店は1987年8月の日経流通新聞の集計(百貨店を除く大型小売店)で売上高104億8,600万円を計上し、四国で首位に立った。社長の吉田守夫氏は1988年12月の講演で、松山店を全店で売上高2位、利益への貢献では首位の店舗と位置づけた。本店を宮西へ移した判断は、県都の大型店を愛媛県一円の出店の軸に据える狙いだったと推察される。

  • フジ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1973年3月、本店所在地を松山市宮西に移転
  • 証券アナリストジャーナル 27(1) 1989年 吉田守夫(昭和63年12月13日の講演要旨)
    • [2]1967年9月に十和の全額出資・資本金20万円で設立。1968年3月に旧本店所在地へ湊町店。松山店は1973年に第14号店として開店、1987年8月の日経流通新聞ランキングで売上高104億8,600万円・四国首位、売上高は全社2位・利益貢献は首位
    • [3]1967年9月に十和の全額出資・資本金20万円で設立。1968年3月に旧本店所在地へ湊町店。松山店は1973年に第14号店として開店、1987年8月の日経流通新聞ランキングで売上高104億8,600万円・四国首位、売上高は全社2位・利益貢献は首位
    • [4]1967年9月に十和の全額出資・資本金20万円で設立。1968年3月に旧本店所在地へ湊町店。松山店は1973年に第14号店として開店、1987年8月の日経流通新聞ランキングで売上高104億8,600万円・四国首位、売上高は全社2位・利益貢献は首位
    • [5]1967年9月に十和の全額出資・資本金20万円で設立。1968年3月に旧本店所在地へ湊町店。松山店は1973年に第14号店として開店、1987年8月の日経流通新聞ランキングで売上高104億8,600万円・四国首位、売上高は全社2位・利益貢献は首位

フジは1978年3月、額面を1株50円へ改めるため、山陽興業と合併した。合併では山陽興業が存続会社となって商号をフジに改め、登記上の設立日は1950年4月21日となった。実質の存続会社は、1967年9月に十和の全額出資で設立したフジである。同じ合併で、宇和島市のフジ、トーワフジマート、フジマート、フジ青果、フジ津島店の関連5法人も吸収した。一方で1985年2月には、薬局と化粧品の部門をメディコ・二十一として分離し、子会社として独立させた。額面50円への変更は上場株の標準にそろえる手続きで、店ごとに分かれていた法人を1社に統合したのも株式公開への備えとみられる。

  • 証券アナリストジャーナル 27(1) 1989年 吉田守夫(昭和63年12月13日の講演要旨)
    • [6]昭和53年3月、額面50円とするため山陽興業と合併し登記上の設立は昭和25年4月21日。実質の存続会社は昭和42年9月設立のフジ。メディコ21は昭和60年2月設立の子会社で薬品・化粧品を販売
    • [8]昭和53年3月、額面50円とするため山陽興業と合併し登記上の設立は昭和25年4月21日。実質の存続会社は昭和42年9月設立のフジ。メディコ21は昭和60年2月設立の子会社で薬品・化粧品を販売
    • [10]昭和53年3月、額面50円とするため山陽興業と合併し登記上の設立は昭和25年4月21日。実質の存続会社は昭和42年9月設立のフジ。メディコ21は昭和60年2月設立の子会社で薬品・化粧品を販売
    • [13]昭和53年3月、額面50円とするため山陽興業と合併し登記上の設立は昭和25年4月21日。実質の存続会社は昭和42年9月設立のフジ。メディコ21は昭和60年2月設立の子会社で薬品・化粧品を販売
  • フジ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1978年3月、㈱フジ(旧商号 山陽興業㈱)と株式額面金額変更のため合併し、関連5法人(フジ〔宇和島市〕・トーワフジマート・フジマート・フジ青果・フジ津島店)を吸収合併。1985年2月、メディコ・二十一を設立し薬局・化粧品部門を分離独立
    • [9]1978年3月、㈱フジ(旧商号 山陽興業㈱)と株式額面金額変更のため合併し、関連5法人(フジ〔宇和島市〕・トーワフジマート・フジマート・フジ青果・フジ津島店)を吸収合併。1985年2月、メディコ・二十一を設立し薬局・化粧品部門を分離独立
    • [11]1978年3月、㈱フジ(旧商号 山陽興業㈱)と株式額面金額変更のため合併し、関連5法人(フジ〔宇和島市〕・トーワフジマート・フジマート・フジ青果・フジ津島店)を吸収合併。1985年2月、メディコ・二十一を設立し薬局・化粧品部門を分離独立
    • [12]1978年3月、㈱フジ(旧商号 山陽興業㈱)と株式額面金額変更のため合併し、関連5法人(フジ〔宇和島市〕・トーワフジマート・フジマート・フジ青果・フジ津島店)を吸収合併。1985年2月、メディコ・二十一を設立し薬局・化粧品部門を分離独立

フジは1981年9月に高陽店を開設し、広島県へ初めて出店した。1984年に高知県、1987年に山口県へ各1店を出し、1988年12月時点の店舗は38店となった。社長の吉田守夫氏はこの時点で、瀬戸内沿岸に店舗網を張る瀬戸内リージョナルチェーン構想を出店の基本方針に挙げた。自社カードによるクレジット販売は1983年に始まり、開始月は有価証券報告書が10月、公式サイトの年表が12月と記載が分かれる。1987年10月の広島証券取引所への上場について、吉田守夫氏は中国四国の地元の客と投資家にまず育ててもらう考えを示した。県外への出店と地元市場への上場は、瀬戸内沿岸に店を張る客と資金の両方を中国四国から集める一連の手順だったと思われる。

  • フジ 有価証券報告書【沿革】
    • [14]1981年9月に高陽店を開設(広島県第1号店)。1983年10月に自社カードを発行しクレジット契約販売を開始
    • [17]1981年9月に高陽店を開設(広島県第1号店)。1983年10月に自社カードを発行しクレジット契約販売を開始
  • 証券アナリストジャーナル 27(1) 1989年 吉田守夫(昭和63年12月13日の講演要旨)
    • [15]昭和56年9月から広島県へ出店、59年高知1店・62年山口1店で計38店(1988年12月時点)。瀬戸内リージョナルチェーン構想を出店の基本方針とする。62年10月の広証上場は本社松山・営業エリア中国四国のため地元の客と投資家に育ててもらい規模を拡大する考え
    • [16]昭和56年9月から広島県へ出店、59年高知1店・62年山口1店で計38店(1988年12月時点)。瀬戸内リージョナルチェーン構想を出店の基本方針とする。62年10月の広証上場は本社松山・営業エリア中国四国のため地元の客と投資家に育ててもらい規模を拡大する考え
    • [19]昭和56年9月から広島県へ出店、59年高知1店・62年山口1店で計38店(1988年12月時点)。瀬戸内リージョナルチェーン構想を出店の基本方針とする。62年10月の広証上場は本社松山・営業エリア中国四国のため地元の客と投資家に育ててもらい規模を拡大する考え
  • フジ公式サイト「フジのあゆみ」
    • [18]昭和58年12月、自社カードを発行しクレジット販売を開始
参考文献[1]-[19]
  • フジ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1973年3月、本店所在地を松山市宮西に移転
    • [7]1978年3月、㈱フジ(旧商号 山陽興業㈱)と株式額面金額変更のため合併し、関連5法人(フジ〔宇和島市〕・トーワフジマート・フジマート・フジ青果・フジ津島店)を吸収合併。1985年2月、メディコ・二十一を設立し薬局・化粧品部門を分離独立
    • [9]1978年3月、㈱フジ(旧商号 山陽興業㈱)と株式額面金額変更のため合併し、関連5法人(フジ〔宇和島市〕・トーワフジマート・フジマート・フジ青果・フジ津島店)を吸収合併。1985年2月、メディコ・二十一を設立し薬局・化粧品部門を分離独立
    • [11]1978年3月、㈱フジ(旧商号 山陽興業㈱)と株式額面金額変更のため合併し、関連5法人(フジ〔宇和島市〕・トーワフジマート・フジマート・フジ青果・フジ津島店)を吸収合併。1985年2月、メディコ・二十一を設立し薬局・化粧品部門を分離独立
    • [12]1978年3月、㈱フジ(旧商号 山陽興業㈱)と株式額面金額変更のため合併し、関連5法人(フジ〔宇和島市〕・トーワフジマート・フジマート・フジ青果・フジ津島店)を吸収合併。1985年2月、メディコ・二十一を設立し薬局・化粧品部門を分離独立
    • [14]1981年9月に高陽店を開設(広島県第1号店)。1983年10月に自社カードを発行しクレジット契約販売を開始
    • [17]1981年9月に高陽店を開設(広島県第1号店)。1983年10月に自社カードを発行しクレジット契約販売を開始
  • 証券アナリストジャーナル 27(1) 1989年 吉田守夫(昭和63年12月13日の講演要旨)
    • [2]1967年9月に十和の全額出資・資本金20万円で設立。1968年3月に旧本店所在地へ湊町店。松山店は1973年に第14号店として開店、1987年8月の日経流通新聞ランキングで売上高104億8,600万円・四国首位、売上高は全社2位・利益貢献は首位
    • [3]1967年9月に十和の全額出資・資本金20万円で設立。1968年3月に旧本店所在地へ湊町店。松山店は1973年に第14号店として開店、1987年8月の日経流通新聞ランキングで売上高104億8,600万円・四国首位、売上高は全社2位・利益貢献は首位
    • [4]1967年9月に十和の全額出資・資本金20万円で設立。1968年3月に旧本店所在地へ湊町店。松山店は1973年に第14号店として開店、1987年8月の日経流通新聞ランキングで売上高104億8,600万円・四国首位、売上高は全社2位・利益貢献は首位
    • [5]1967年9月に十和の全額出資・資本金20万円で設立。1968年3月に旧本店所在地へ湊町店。松山店は1973年に第14号店として開店、1987年8月の日経流通新聞ランキングで売上高104億8,600万円・四国首位、売上高は全社2位・利益貢献は首位
    • [6]昭和53年3月、額面50円とするため山陽興業と合併し登記上の設立は昭和25年4月21日。実質の存続会社は昭和42年9月設立のフジ。メディコ21は昭和60年2月設立の子会社で薬品・化粧品を販売
    • [8]昭和53年3月、額面50円とするため山陽興業と合併し登記上の設立は昭和25年4月21日。実質の存続会社は昭和42年9月設立のフジ。メディコ21は昭和60年2月設立の子会社で薬品・化粧品を販売
    • [10]昭和53年3月、額面50円とするため山陽興業と合併し登記上の設立は昭和25年4月21日。実質の存続会社は昭和42年9月設立のフジ。メディコ21は昭和60年2月設立の子会社で薬品・化粧品を販売
    • [13]昭和53年3月、額面50円とするため山陽興業と合併し登記上の設立は昭和25年4月21日。実質の存続会社は昭和42年9月設立のフジ。メディコ21は昭和60年2月設立の子会社で薬品・化粧品を販売
    • [15]昭和56年9月から広島県へ出店、59年高知1店・62年山口1店で計38店(1988年12月時点)。瀬戸内リージョナルチェーン構想を出店の基本方針とする。62年10月の広証上場は本社松山・営業エリア中国四国のため地元の客と投資家に育ててもらい規模を拡大する考え
    • [16]昭和56年9月から広島県へ出店、59年高知1店・62年山口1店で計38店(1988年12月時点)。瀬戸内リージョナルチェーン構想を出店の基本方針とする。62年10月の広証上場は本社松山・営業エリア中国四国のため地元の客と投資家に育ててもらい規模を拡大する考え
    • [19]昭和56年9月から広島県へ出店、59年高知1店・62年山口1店で計38店(1988年12月時点)。瀬戸内リージョナルチェーン構想を出店の基本方針とする。62年10月の広証上場は本社松山・営業エリア中国四国のため地元の客と投資家に育ててもらい規模を拡大する考え
    • [18]昭和58年12月、自社カードを発行しクレジット販売を開始

出典・参考

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出典・参考
  • フジ 有価証券報告書【沿革】
  • フジ公式サイト「フジのあゆみ」
  • 証券アナリストジャーナル 27(1) 1989年 吉田守夫(昭和63年12月13日の講演要旨)

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