第3章 年〜年

イトーヨーカ堂:セブン-イレブン導入と初の経常減益を受けた業務改革

1972年〜東証第二部への上場と、地価の安い土地への出店方針

イトーヨーカ堂は1972年9月1日、東京証券取引所市場第二部に株式を上場した。伊藤雅俊社長によれば、上場前に13%だった自己資本比率は上場後に20%となり、時価発行を重ねれば30%台に達する見込みである。伊藤雅俊社長は、日本のチェーンストアが地価の上昇を追って資金を不動産へ向けがちな点を、チェーン経営の問題に挙げた。イトーヨーカ堂の店舗の多くは坪当たり20万~30万円の土地にあり、伊藤雅俊社長はこれを自社独自の低地価政策と呼んだ。翌1973年7月には、市場第一部に上場した。上場で得た資本を土地の値上がり益ではなく売場と商品に充てるという線引きが、この時点で財務の軸に据えられたのだろう。

  • 証券 24(9) 1972年9月号
    • [1]1972年9月1日 東証市場第二部に新規上場(資本金7億5000万円)
  • 証券アナリストジャーナル 10(12) 1972年 伊藤雅俊
    • [2]自己資本比率 上場前13%→上場後20%、時価発行で30%台を見込む(伊藤雅俊社長の説明)
    • [3]日本のチェーンストアは地価上昇で不動産投資に資金が向かいがちで、商品中心の経営にならない点を問題視
    • [4]店舗の多くは坪当たり20万~30万円の場所にあり、同社独特の低地価政策による
  • イトーヨーカ堂 有価証券報告書 第1期(2007年2月期)「沿革」
    • [5]1973年7月 東京証券取引所市場第一部上場

イトーヨーカ堂は1973年5月に米国のレストランチェーンであるデニーズ社と提携し、同年11月にデニーズジャパンを設立した。デニーズは1974年に試験店舗を開設し、1976年秋には13店体制。1977年にデニーズジャパンは22店を運営し、伊藤雅俊社長は関連会社のなかで業績が順調な事業に数えた。伊藤雅俊社長は、1955年以降の米国で景気が停滞する間にデニーズのようなチェーンが伸びた例を引き、日本の現状をその時期の米国に重ねた。同じころ通産省は大型店の地域総量規制の検討に入り、伊藤雅俊社長は規制が政治に傾くことを好ましくないとした。大型店の出店が地元との協議に縛られるなかで、小さな店で広げられる外食は、売場面積に依存しない成長の手段と位置づけられたとみられる。

  • イトーヨーカ堂 有価証券報告書 第1期(2007年2月期)「沿革」
    • [6]1973年5月 米国デニーズ社と提携、同年11月 デニーズジャパン設立
  • 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年 伊藤雅俊
    • [7]デニーズは一昨年から試験店舗を開店し13店舗(1976年時点)
  • 証券アナリストジャーナル 15(9) 1977年 伊藤雅俊
    • [8]デニーズジャパンが22店舗を出店、連結対象のデニーズは順調(1977年)
    • [9]米国では1955~65年の景気低迷期にデニーズ等のネットワークストアが発展、日本の今は1955年の米国に似る
  • 野田経済 1977年新春号
    • [10]通産省が大型店の地域総量規制を検討、伊藤社長は政治的な方向に向かうことは好ましくないとの見方

イトーヨーカ堂は1973年11月に米国のサウスランド社と提携し、子会社のヨークセブンを設立した。コンビニエンスストアに目を付けたのは1970年前後で、発案者はのちに副社長となる鈴木敏文氏だったという。サウスランド社との交渉はロイヤルティの条件で難航し、調査団の派遣から提携の約束を得るまで2年を要した。イトーヨーカ堂は、大量仕入れで商品単価を下げられる点と、本業のスーパーと競合しない点をこの業態の利点とみた。1974年時点では、フランチャイズ店を中心に8年間で2000店を置く構想を描いた。日本ボランタリー・チェーン協会は大手の参入を中小商店への脅威とした。中小商店を加盟店として迎える方式は、大型店と地元商店の対立を和らげる手立てとしても意味を持ったと考えられる。

  • イトーヨーカ堂 有価証券報告書 第1期(2007年2月期)「沿革」
    • [11]1973年11月 THE SOUTHLAND CORPORATIONと提携し、ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)設立
  • Decide 3(3) 1985年
    • [12]コンビニに注目したのは昭和40年代半ば、言い出したのは鈴木敏文(1985年時点で副社長)
    • [13]交渉はロイヤリティ等で難航、鈴木氏を団長とする調査団派遣の2年後に提携の約束
  • 日経ビジネス 1974年7月22日号
    • [14]力を入れる理由は大量仕入れ・大量販売による単価引き下げと、本業スーパーと競合しないこと
    • [15]今後8年間でフランチャイジー中心に2000店を配置する計画(1974年)
    • [16]日本ボランタリー・チェーン協会常務理事が大手の参入は脅威と談話
参考文献[1]-[16]
  • 証券 24(9) 1972年9月号
    • [1]1972年9月1日 東証市場第二部に新規上場(資本金7億5000万円)
  • 証券アナリストジャーナル 10(12) 1972年 伊藤雅俊
    • [2]自己資本比率 上場前13%→上場後20%、時価発行で30%台を見込む(伊藤雅俊社長の説明)
    • [3]日本のチェーンストアは地価上昇で不動産投資に資金が向かいがちで、商品中心の経営にならない点を問題視
    • [4]店舗の多くは坪当たり20万~30万円の場所にあり、同社独特の低地価政策による
  • イトーヨーカ堂 有価証券報告書 第1期(2007年2月期)「沿革」
    • [5]1973年7月 東京証券取引所市場第一部上場
    • [6]1973年5月 米国デニーズ社と提携、同年11月 デニーズジャパン設立
    • [11]1973年11月 THE SOUTHLAND CORPORATIONと提携し、ヨークセブン(現セブン-イレブン・ジャパン)設立
  • 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年 伊藤雅俊
    • [7]デニーズは一昨年から試験店舗を開店し13店舗(1976年時点)
  • 証券アナリストジャーナル 15(9) 1977年 伊藤雅俊
    • [8]デニーズジャパンが22店舗を出店、連結対象のデニーズは順調(1977年)
    • [9]米国では1955~65年の景気低迷期にデニーズ等のネットワークストアが発展、日本の今は1955年の米国に似る
  • 野田経済 1977年新春号
    • [10]通産省が大型店の地域総量規制を検討、伊藤社長は政治的な方向に向かうことは好ましくないとの見方
  • Decide 3(3) 1985年
    • [12]コンビニに注目したのは昭和40年代半ば、言い出したのは鈴木敏文(1985年時点で副社長)
    • [13]交渉はロイヤリティ等で難航、鈴木氏を団長とする調査団派遣の2年後に提携の約束
  • 日経ビジネス 1974年7月22日号
    • [14]力を入れる理由は大量仕入れ・大量販売による単価引き下げと、本業スーパーと競合しないこと
    • [15]今後8年間でフランチャイジー中心に2000店を配置する計画(1974年)
    • [16]日本ボランタリー・チェーン協会常務理事が大手の参入は脅威と談話

1975年〜ヨークマートの食品スーパーと、ドル建社債・パリ上場で調達した資金

イトーヨーカ堂は1975年12月、食品スーパーマーケットのヨークマートを設立した。1号店は1976年7月の開業で、1977年には東京近郊で4店を運営。専務取締役の長岡喜法氏は、新しい業態を本体に抱えず別会社で展開する方針を示し、食品はヨークマートに担わせた。総合スーパーの出店は、大規模小売店舗法の施行後、すべて地元との協議を経てからとなった。イトーヨーカ堂の年間出店数は1973年の6店から1977年の10店へ増えたが、他社には2桁から1桁へ減った例もあった。ヨークマートは店舗数が少なく、1977年2月期はまだ赤字だった。大型店の出店に時間がかかるなかで、日々の食品需要を小さな店で取り込む会社を別に用意したのだろう。

  • イトーヨーカ堂 有価証券報告書 第1期(2007年2月期)「沿革」
    • [17]1975年12月 株式会社ヨークマート設立
  • 証券アナリストジャーナル 15(9) 1977年 伊藤雅俊
    • [18]ヨークマートは昨年(1976年)7月に1号店、現在東京近郊に4店舗(1977年)
    • [22]ヨークマートは店舗数が少ないのでまだ赤字(1977年2月期)
  • 証券アナリストジャーナル 15(11) 1977年 長岡喜法
    • [19]新しい業態は別会社で展開、食品はヨークマート、コンビニはヨークセブン(長岡喜法専務、1977年10月講演)
    • [21]出店数 48年6店・49年7店・50年8店・51年9店・52年10店、他社には2ケタから1ケタに落ちた例
  • 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年 伊藤雅俊
    • [20]大規模小売店舗法ができてからはすべて地元と話し合いの上で出店(1976年)

イトーヨーカ堂は1976年2月、コンチネンタル預託証券の発行に伴いルクセンブルク証券取引所に上場。続いて1977年7月に米国のナスダックへ登録し、1981年9月にはパリ証券取引所にも上場した。1976年時点で外国人の持株比率は約12%で、上場後は欧州系の株主による株式の取得が続いた。長岡喜法専務は1977年、5年間で65店を出すには毎年300億円以上の調達が要るとし、自己資本比率を高める方針を示した。1976年の時価発行と1977年の転換社債の発行で、支払金利は横ばいにとどまった。伊藤雅俊社長は1980年、市場金利が11%の下では投資効率が問われ、自己資本利益率はインフレ率の2倍が要ると説いた。海外の市場で株主の層を広げたことは、銀行借入に依存せず出店資金を賄う手当てだったと読める。

  • イトーヨーカ堂 有価証券報告書 第1期(2007年2月期)「沿革」
    • [23]1976年2月 CDR発行に伴いルクセンブルグ証券取引所上場
    • [24]1977年7月 米国NASDAQへ登録、1981年9月 パリ証券取引所上場
  • 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年 伊藤雅俊
    • [25]外国人持株比率約12%、上場以来とくに欧州系の株主が購入(1976年)
  • 証券アナリストジャーナル 15(11) 1977年 長岡喜法
    • [26]今後5年間に65店を出店するには毎年300億円以上の資金調達が必要、自己資本比率の向上に努める(1977年10月)
    • [27]昨年の株式時価発行と今年の転換社債発行で金融面のメリット、支払金利は横ばい
  • Chamber 335 1980年 伊藤雅俊「わが社の経営姿勢と流通業界の課題」
    • [28]市場金利11%、自己資本利益率はインフレの2倍必要(伊藤雅俊、1980年)

イトーヨーカ堂は1981年に小売業で経常利益の首位に立ったが、伊藤雅俊社長は社員の規律の緩みに危機感を募らせた。伊藤雅俊社長は1980年の年頭に、西日本への進出を控えて、試練に耐える体質を築くよう社員に求めていた。1978年には、仕入れた1億円分のレインコートの8割が伊藤雅俊社長の知らないうちに返品されていたという。1967年に始めた60項目超の自己評価制度「セルフチェック」があっても、店頭で商品にカビを生やす事態は防げなかった。1981年6月、伊藤雅俊社長は舛川洋栄取締役人事室長に、1990年代以降の労務管理と人事制度の案を練るよう命じた。店と社員の数が増えるにつれ、社長自らのしつけで保ってきた売場の質が、組織の規模に追いつかなくなっていたとみてよい。

  • 日経ビジネス 1981年8月10日号
    • [29]小売業界で経常利益日本一を達成したが、伊藤雅俊社長は商人道が組織に浸透しなくなったことに危機感
    • [32]セルフチェック制度は1967年(42年)から実施、60項目以上。商品にカビを生やす従業員を社長が嘆く
    • [33]1981年6月、舛川洋栄取締役人事室長に90年代以降の労務管理・人事制度の研究を特命
  • 80年代わが社の戦略(1980年)「イトーヨーカ堂」
    • [30]1980年年頭、西日本への進出を控え、試練に耐える力強い体質づくりを社員に要請
  • 日経ビジネス 1984年11月12日号
    • [31]1978年(昭和53年)、仕入れた1億円分のレインコートの8割が伊藤の知らないうちに返品された
参考文献[17]-[33]
  • イトーヨーカ堂 有価証券報告書 第1期(2007年2月期)「沿革」
    • [17]1975年12月 株式会社ヨークマート設立
    • [23]1976年2月 CDR発行に伴いルクセンブルグ証券取引所上場
    • [24]1977年7月 米国NASDAQへ登録、1981年9月 パリ証券取引所上場
  • 証券アナリストジャーナル 15(9) 1977年 伊藤雅俊
    • [18]ヨークマートは昨年(1976年)7月に1号店、現在東京近郊に4店舗(1977年)
    • [22]ヨークマートは店舗数が少ないのでまだ赤字(1977年2月期)
  • 証券アナリストジャーナル 15(11) 1977年 長岡喜法
    • [19]新しい業態は別会社で展開、食品はヨークマート、コンビニはヨークセブン(長岡喜法専務、1977年10月講演)
    • [21]出店数 48年6店・49年7店・50年8店・51年9店・52年10店、他社には2ケタから1ケタに落ちた例
    • [26]今後5年間に65店を出店するには毎年300億円以上の資金調達が必要、自己資本比率の向上に努める(1977年10月)
    • [27]昨年の株式時価発行と今年の転換社債発行で金融面のメリット、支払金利は横ばい
  • 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年 伊藤雅俊
    • [20]大規模小売店舗法ができてからはすべて地元と話し合いの上で出店(1976年)
    • [25]外国人持株比率約12%、上場以来とくに欧州系の株主が購入(1976年)
  • Chamber 335 1980年 伊藤雅俊「わが社の経営姿勢と流通業界の課題」
    • [28]市場金利11%、自己資本利益率はインフレの2倍必要(伊藤雅俊、1980年)
  • 日経ビジネス 1981年8月10日号
    • [29]小売業界で経常利益日本一を達成したが、伊藤雅俊社長は商人道が組織に浸透しなくなったことに危機感
    • [32]セルフチェック制度は1967年(42年)から実施、60項目以上。商品にカビを生やす従業員を社長が嘆く
    • [33]1981年6月、舛川洋栄取締役人事室長に90年代以降の労務管理・人事制度の研究を特命
  • 80年代わが社の戦略(1980年)「イトーヨーカ堂」
    • [30]1980年年頭、西日本への進出を控え、試練に耐える力強い体質づくりを社員に要請
  • 日経ビジネス 1984年11月12日号
    • [31]1978年(昭和53年)、仕入れた1億円分のレインコートの8割が伊藤の知らないうちに返品された

1982年〜業務改革委員会の発足と上場以来初の経常減益、全店のPOSレジ

改革の理由として伊藤雅俊社長が挙げたのは、発注の伝票すら書けない仕入れ担当が増えているという事情である。1982年3月に発足した業務改革委員会は、のちに副社長に就任する鈴木敏文氏が率い、全国の店長を毎週1回本社に呼び集めて会合を重ねた。最初の年に取り組んだのは死に筋の排除と在庫の圧縮で、売上高の伸びよりもロスを抑えることが先に置かれた。在庫処理の負担で1983年2月期の経常利益は前期比9.3%減り、イトーヨーカ堂はここ10年で初めて減益となった。1984年2月期には経常利益が27.4%増の386億7000万円に達し、1984年12月の粗利益率は1981年12月を2.8ポイント上回った。売上高の拡大より在庫と値下げの損失を先に削減する順序が、減益を一度受け入れる判断を支えたと考えるのが自然だろう。

  • 日経ビジネス 1984年11月12日号
    • [34]業務改革は注文伝票も書けない仕入れ担当者が増えてきたための策(伊藤雅俊)
  • Decide 3(3) 1985年
    • [35]1982年(昭和57年)3月に業務改革委員会を発足、リーダーは鈴木敏文(1985年時点で副社長)
    • [36]毎週1回、全国の店長を東京の本社に集める形でスタート
    • [38]1983年2月期(58年2月期)経常利益9.3%減、ここ10年で初の減益
    • [39]1984年2月期経常利益386億7000万円(27.4%増)、1984年12月の粗利率は1981年12月比で全体2.8%改善
  • Decide 10(5) 1992年
    • [37]1982年業革元年:死に筋排除・在庫削減、売上げが上がらなくてもまずロスを減らす

イトーヨーカ堂は1985年8月、全122店の主要売場でPOSレジスター8000台の導入に着手した。導入の総投資額は100億円で、手本は全国のPOS8000台のうち3500台を使っていたセブン-イレブン・ジャパンだった。伊藤雅俊社長は、20万品目を人手で数えて売れた数を掴むのは無理だとして、POSを単品管理の道具と位置づけた。業務改革の工程では、1984年にPOS導入の条件を整え、1986年から仮説に基づく発注を店に根づかせた。全店への導入は1985年12月に終え、1991年3月にはセブン-イレブン・ジャパンとともにサウスランド社へ資本参加した。小さな店で磨いた数の管理を総合スーパーへ移したことが、海外の再建に携えていく経営の型になったといえる。

  • Decide 3(3) 1985年
    • [40]1985年8月から全国122店全店の主要売場に8000台のPOS導入を開始
    • [41]POS導入の総投資額100億円、全国のPOS8000台のうち3500台はセブン-イレブン
  • コンピュートピア 19(230) 1985年「伊藤雅俊社長が語る イトーヨーカ堂の流通“情報”革命」
    • [42]20万アイテムを人手でチェックするのは無理なのでPOSを導入(伊藤雅俊、1985年)
  • Decide 10(5) 1992年
    • [43]1984年 POS導入の条件づくり、1985年 POS導入、1986年 仮説に基づく仕事
  • イトーヨーカ堂 有価証券報告書 第1期(2007年2月期)「沿革」
    • [44]1985年12月 POSレジスター全店に導入/1991年3月 セブン-イレブン・ジャパンとともにIYG Holding Companyを通じ7-Eleven, Inc.へ資本参加し経営権取得
参考文献[34]-[44]
  • 日経ビジネス 1984年11月12日号
    • [34]業務改革は注文伝票も書けない仕入れ担当者が増えてきたための策(伊藤雅俊)
  • Decide 3(3) 1985年
    • [35]1982年(昭和57年)3月に業務改革委員会を発足、リーダーは鈴木敏文(1985年時点で副社長)
    • [36]毎週1回、全国の店長を東京の本社に集める形でスタート
    • [38]1983年2月期(58年2月期)経常利益9.3%減、ここ10年で初の減益
    • [39]1984年2月期経常利益386億7000万円(27.4%増)、1984年12月の粗利率は1981年12月比で全体2.8%改善
    • [40]1985年8月から全国122店全店の主要売場に8000台のPOS導入を開始
    • [41]POS導入の総投資額100億円、全国のPOS8000台のうち3500台はセブン-イレブン
  • Decide 10(5) 1992年
    • [37]1982年業革元年:死に筋排除・在庫削減、売上げが上がらなくてもまずロスを減らす
    • [43]1984年 POS導入の条件づくり、1985年 POS導入、1986年 仮説に基づく仕事
  • コンピュートピア 19(230) 1985年「伊藤雅俊社長が語る イトーヨーカ堂の流通“情報”革命」
    • [42]20万アイテムを人手でチェックするのは無理なのでPOSを導入(伊藤雅俊、1985年)
  • イトーヨーカ堂 有価証券報告書 第1期(2007年2月期)「沿革」
    • [44]1985年12月 POSレジスター全店に導入/1991年3月 セブン-イレブン・ジャパンとともにIYG Holding Companyを通じ7-Eleven, Inc.へ資本参加し経営権取得

1972年〜1991年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率 億円
1972年02月期 単体 477 n/a 13 2.8% 7 n/a
1973年02月期 単体 848 +77.9% 32 3.8% 14 n/a
1974年02月期 単体 1,435 +69.1% 53 3.7% 28 n/a
1975年02月期 単体 2,045 +42.5% 61 3.0% 30 n/a
1976年02月期 単体 2,576 +26.0% 81 3.2% 38 n/a
1977年02月期 単体 3,182 +23.5% 100 3.2% 51 n/a
1978年02月期 単体 3,901 +22.6% 126 3.2% 64 n/a
1979年02月期 単体 4,885 +25.2% 162 3.3% 79 n/a
1980年02月期 単体 5,735 +17.4% 205 3.6% 107 n/a
1981年02月期 単体 6,923 +20.7% 229 3.3% 117 n/a
1982年02月期 単体 7,644 +10.4% 245 3.2% 120 n/a
1983年02月期 単体 8,055 +5.4% 223 2.8% 123 n/a
1984年02月期 単体 8,608 +6.9% 318 3.7% 148 n/a
1985年02月期 単体 9,035 +5.0% 386 4.3% 176 n/a
1986年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a

出所:会社年鑑 1976年版、会社年鑑 1986年版

出典・参考

15件
出典・参考
  • イトーヨーカ堂 有価証券報告書 第1期(2007年2月期)「沿革」
  • 証券 24(9) 1972年9月号
  • 証券アナリストジャーナル 10(12) 1972年 伊藤雅俊
  • 日経ビジネス 1974年7月22日号
  • 証券アナリストジャーナル 14(10) 1976年 伊藤雅俊
  • 証券アナリストジャーナル 15(9) 1977年 伊藤雅俊
  • 証券アナリストジャーナル 15(11) 1977年 長岡喜法
  • 日経ビジネス 1981年8月10日号
  • 日経ビジネス 1984年11月12日号
  • 野田経済 1977年新春号
  • Chamber 335 1980年 伊藤雅俊「わが社の経営姿勢と流通業界の課題」
  • 80年代わが社の戦略(1980年)「イトーヨーカ堂」
  • Decide 3(3) 1985年
  • コンピュートピア 19(230) 1985年「伊藤雅俊社長が語る イトーヨーカ堂の流通“情報”革命」
  • Decide 10(5) 1992年

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