山善:山善工具製販の設立と東証・大証一部上場
1943年〜立売堀の機械工具商から独立した山本猛夫氏と、戦後に起こした山善工具製販
1943年5月、山本猛夫氏による大阪市での機械工具商の創業。山本猛夫氏は1921年に福井県で生まれ、小学校を終えると大阪・立売堀の機械工具商である前田軍治商店へ奉公に出た。13歳からの丁稚の暮らしのなかで、山本猛夫氏は夜間の商業学校に通って卒業した。山本猛夫氏が勤め先を飛び出したのは、注文をいくら取っても給料は上がらず、管理職にも登用されなかったためである。創業の動機について、山本猛夫氏はのちに、これからの日本を背負う産業は機械産業だという信念を挙げた。奉公先での経験から、山本猛夫氏は後年、学歴や経験年数を問わず販売力を評価する人事を敷いた。奉公で覚えた機械工具の商いと、働きが報われない業界の慣行への反発が、22歳での独立を後押ししたとみられる。
- 証券 15(11)(174) 1963年
- [1]1943年5月、山本猛夫が大阪市で機械工具商を創業
- 日経ビジネス 1978年7月31日号
- [2]山本猛夫は大正10年福井県生まれ。小学校卒業後、立売堀の機械工具商・前田軍治商店に奉公し、夜間の商業学校を卒業、昭和18年に独立
- [3]山本猛夫は大正10年福井県生まれ。小学校卒業後、立売堀の機械工具商・前田軍治商店に奉公し、夜間の商業学校を卒業、昭和18年に独立
- 証券アナリストジャーナル 9(6) 1971年 山本猛夫
- [4]13歳から丁稚奉公。注文を取っても昇給・昇進がなく会社を出た。学歴・経験年数でなく販売力を買う方針
- [5]日本を背負うのは機械産業との信念で創業した
- [6]13歳から丁稚奉公。注文を取っても昇給・昇進がなく会社を出た。学歴・経験年数でなく販売力を買う方針
山本猛夫氏は1947年5月30日、資本金19万5千円で山善工具製販を設立し、機械工具の卸販売を始めた。設立の地は福井市で、会社は工具などの販売を目的に掲げた。発足時の従業員は7名、年商は400万円で、山本猛夫氏が社長に就任した。設立翌年の1948年9月には2,250株を公募し、資本金を60万円へ増資。山本猛夫氏はそれ以前に応召して沖縄戦に加わり、980人の部隊で生き残った3人の1人である。捕虜収容所でも、パラシュートの布地でネクタイを仕立てて米兵に売ったという逸話が残る。戦争で途絶えた大阪の商いを、郷里の福井で工具の販売会社として組み直した可能性がある。
- 企業の歴史 明治百年 1968年「山善機械器具」
- [7]1947年、資本金19万5000円で山善工具製販を設立し機械工具の卸販売を開始。従業員7名・年商400万円
- [9]1947年、資本金19万5000円で山善工具製販を設立し機械工具の卸販売を開始。従業員7名・年商400万円
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- [8]1947年5月、福井市で工具等の販売を目的に山善工具製販を設立
- 証券 15(11)(174) 1963年
- [10]1948年9月、公募2,250株で資本金60万円
- 日経ビジネス 1978年7月31日号
- [11]応召で沖縄決戦に参加し980人中生存3人の1人。捕虜収容所でパラシュートの布でネクタイを作り米兵に販売
- [12]応召で沖縄決戦に参加し980人中生存3人の1人。捕虜収容所でパラシュートの布でネクタイを作り米兵に販売
山善工具製販は1951年9月、本店を福井市から大阪へ移した。移転先は大阪市西区立売堀北通3の32で、1963年時点でもここが本社だった。立売堀は、山本猛夫氏がかつて奉公した機械工具商の前田軍治商店があった土地である。資本金は1948年11月に160万円、1952年7月に400万円、同年11月に800万円へと増えた。1952年11月と1954年11月には、それぞれ4万株を公募し、1954年11月の資本金は1,200万円となった。本店の移転後も、1963年の東証上場時まで事業の基盤は関西にあった。機械工具の仕入れ先と得意先に近い大阪へ本拠を戻すことで、福井では得られない取引の量を確保しようとしたと考えられる。
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- [13]1951年9月、本店を福井市から現大阪本社に移転
- 証券 15(11)(174) 1963年
- [14]1951年9月に本社を現在地(大阪市西区立売堀北通3の32)へ移転。資本金は1948年11月160万円、1952年7月400万円、同年11月800万円(公募4万株)、1954年11月1,200万円(公募4万株)。設立以来関西に基盤
- [16]1951年9月に本社を現在地(大阪市西区立売堀北通3の32)へ移転。資本金は1948年11月160万円、1952年7月400万円、同年11月800万円(公募4万株)、1954年11月1,200万円(公募4万株)。設立以来関西に基盤
- [17]1951年9月に本社を現在地(大阪市西区立売堀北通3の32)へ移転。資本金は1948年11月160万円、1952年7月400万円、同年11月800万円(公募4万株)、1954年11月1,200万円(公募4万株)。設立以来関西に基盤
- [18]1951年9月に本社を現在地(大阪市西区立売堀北通3の32)へ移転。資本金は1948年11月160万円、1952年7月400万円、同年11月800万円(公募4万株)、1954年11月1,200万円(公募4万株)。設立以来関西に基盤
- 日経ビジネス 1978年7月31日号
- [15]山本猛夫は立売堀の機械工具商・前田軍治商店に奉公
参考文献[1]-[18]
- 証券 15(11)(174) 1963年
- [1]1943年5月、山本猛夫が大阪市で機械工具商を創業
- [10]1948年9月、公募2,250株で資本金60万円
- [14]1951年9月に本社を現在地(大阪市西区立売堀北通3の32)へ移転。資本金は1948年11月160万円、1952年7月400万円、同年11月800万円(公募4万株)、1954年11月1,200万円(公募4万株)。設立以来関西に基盤
- [16]1951年9月に本社を現在地(大阪市西区立売堀北通3の32)へ移転。資本金は1948年11月160万円、1952年7月400万円、同年11月800万円(公募4万株)、1954年11月1,200万円(公募4万株)。設立以来関西に基盤
- [17]1951年9月に本社を現在地(大阪市西区立売堀北通3の32)へ移転。資本金は1948年11月160万円、1952年7月400万円、同年11月800万円(公募4万株)、1954年11月1,200万円(公募4万株)。設立以来関西に基盤
- [18]1951年9月に本社を現在地(大阪市西区立売堀北通3の32)へ移転。資本金は1948年11月160万円、1952年7月400万円、同年11月800万円(公募4万株)、1954年11月1,200万円(公募4万株)。設立以来関西に基盤
- 日経ビジネス 1978年7月31日号
- [2]山本猛夫は大正10年福井県生まれ。小学校卒業後、立売堀の機械工具商・前田軍治商店に奉公し、夜間の商業学校を卒業、昭和18年に独立
- [3]山本猛夫は大正10年福井県生まれ。小学校卒業後、立売堀の機械工具商・前田軍治商店に奉公し、夜間の商業学校を卒業、昭和18年に独立
- [11]応召で沖縄決戦に参加し980人中生存3人の1人。捕虜収容所でパラシュートの布でネクタイを作り米兵に販売
- [12]応召で沖縄決戦に参加し980人中生存3人の1人。捕虜収容所でパラシュートの布でネクタイを作り米兵に販売
- [15]山本猛夫は立売堀の機械工具商・前田軍治商店に奉公
- 証券アナリストジャーナル 9(6) 1971年 山本猛夫
- [4]13歳から丁稚奉公。注文を取っても昇給・昇進がなく会社を出た。学歴・経験年数でなく販売力を買う方針
- [5]日本を背負うのは機械産業との信念で創業した
- [6]13歳から丁稚奉公。注文を取っても昇給・昇進がなく会社を出た。学歴・経験年数でなく販売力を買う方針
- 企業の歴史 明治百年 1968年「山善機械器具」
- [7]1947年、資本金19万5000円で山善工具製販を設立し機械工具の卸販売を開始。従業員7名・年商400万円
- [9]1947年、資本金19万5000円で山善工具製販を設立し機械工具の卸販売を開始。従業員7名・年商400万円
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- [8]1947年5月、福井市で工具等の販売を目的に山善工具製販を設立
- [13]1951年9月、本店を福井市から現大阪本社に移転
1955年〜工作機械で売上の4割を得た山善機械器具と、大証・東証の二部上場
山善工具製販は1955年3月に産業機具部門を設け、翌4月に商号を山善機械器具へ改めた。1963年の上場時の紹介で、山善機械器具は工作機械・工具器具・建設機材を扱う機械器具の専門商社とされた。仕入れ先は新三菱重工、松下電器産業、大隈鉄工所など約1,800社のメーカーに及んだ。販売は久保田鉄工や日立製作所への直納と、全国約1,800店の卸売業者を通じた。機械器具の販売業は戦後に金物の商いから広がった業界で、山善機械器具は異業種の市場への進出とメーカーとの業務提携の強化を進めた。1962年時点の事業内容には、工作機械と機械工具に加え、建設機材・電機や度量衡計量器の販売も並んだ。工具に限った社名では扱う品目の幅を示せなくなり、機械器具の名を掲げたと思われる。
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- [19]1955年3月に産業機具部門を設置し、同年4月に山善機械器具へ商号変更
- 証券 15(11)(174) 1963年
- [20]工作機械・工具器具・建設機材を扱う機械器具の専門商社。仕入先は新三菱重工・松下電器産業・大隈鉄工所など約1,800社、販売はメーカー直納と卸売業者約1,800店経由。業界は戦後に金物屋的存在から発展、同社は異質市場への進出・メーカーとの業務提携強化を図る
- [21]工作機械・工具器具・建設機材を扱う機械器具の専門商社。仕入先は新三菱重工・松下電器産業・大隈鉄工所など約1,800社、販売はメーカー直納と卸売業者約1,800店経由。業界は戦後に金物屋的存在から発展、同社は異質市場への進出・メーカーとの業務提携強化を図る
- [22]工作機械・工具器具・建設機材を扱う機械器具の専門商社。仕入先は新三菱重工・松下電器産業・大隈鉄工所など約1,800社、販売はメーカー直納と卸売業者約1,800店経由。業界は戦後に金物屋的存在から発展、同社は異質市場への進出・メーカーとの業務提携強化を図る
- [23]工作機械・工具器具・建設機材を扱う機械器具の専門商社。仕入先は新三菱重工・松下電器産業・大隈鉄工所など約1,800社、販売はメーカー直納と卸売業者約1,800店経由。業界は戦後に金物屋的存在から発展、同社は異質市場への進出・メーカーとの業務提携強化を図る
- 株式会社年鑑 1964年版「山善機械器具」
- [24]主な事業内容は工作機械の販売、機械工具・機械器具、建設機材・電機、化成品等、度量衡計量器の販売
山善機械器具は1957年7月に工作機械部門を設けた。工作機械と鍛圧機械の販売は、この部門の設置とともに始まった。1958年11月には東京支店を置き、1960年9月に名古屋、1961年1月に福岡へ営業所を開設した。工作機械では日立金属工業の旋盤、鍛圧機械では三菱電機や淀川プレス製作所の製品を仕入れた。1960年9月期に2,417,373千円だった売上高は、1961年9月期に3,979,271千円となった。1962年9月期の売上高は5,033,306千円に達した。1962年10月から1963年6月の販売実績では、機械が43.7%を占め、工具の42.1%を上回った。工作機械が工具と並ぶ収益源に育ち、工場の集まる関東と中部へ販売の拠点を広げる必要が生じたと読める。
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- [25]1957年7月工作機械部門を設置、1958年11月東京支店、1960年9月名古屋営業所、1961年1月福岡営業所を設置
- [27]1957年7月工作機械部門を設置、1958年11月東京支店、1960年9月名古屋営業所、1961年1月福岡営業所を設置
- 企業の歴史 明治百年 1968年「山善機械器具」
- [26]機械部門を設置し工作機械・鍛圧機械の販売を開始
- 株式会社年鑑 1964年版「山善機械器具」
- [28]売上高 1960年9月期2,417,373千円、1961年9月期3,979,271千円、1962年9月期5,033,306千円。仕入先に日立金属工業(旋盤)、三菱電機・淀川プレス製作所(鍛圧機械)
- [29]売上高 1960年9月期2,417,373千円、1961年9月期3,979,271千円、1962年9月期5,033,306千円。仕入先に日立金属工業(旋盤)、三菱電機・淀川プレス製作所(鍛圧機械)
- [30]売上高 1960年9月期2,417,373千円、1961年9月期3,979,271千円、1962年9月期5,033,306千円。仕入先に日立金属工業(旋盤)、三菱電機・淀川プレス製作所(鍛圧機械)
- 証券 15(11)(174) 1963年
- [31]1962年10月〜1963年6月の販売実績は工具42.1%・機材14.2%・機械43.7%
山善機械器具は1962年10月1日に大阪証券取引所市場第二部へ上場した。1962年9月期末の自己資本は267,109千円で、総資産2,263,260千円の1割強にあたる。同期末の支払手形は1,269,729千円にのぼり、割引手形の残高も722,710千円あった。資本金は1958年5月の2,600万円から1961年9月の1億5,000万円まで、公募を重ねて増えた。1963年9月25日には東京証券取引所市場第二部へ上場した。上場に合わせて1株135円で50万株を公募し、資本金は3億4,000万円となった。手形で膨らむ運転資金を借入れだけで賄わず、上場と公募で自己資本を厚くする狙いがあったと推察される。
- 株式会社年鑑 1964年版「山善機械器具」
- [32]1962年10月1日大阪市場第二部上場開始。1962年9月期末の資本合計267,109千円・資産合計2,263,260千円、支払手形1,269,729千円、割引手形残高722,710千円
- [33]1962年10月1日大阪市場第二部上場開始。1962年9月期末の資本合計267,109千円・資産合計2,263,260千円、支払手形1,269,729千円、割引手形残高722,710千円
- [34]1962年10月1日大阪市場第二部上場開始。1962年9月期末の資本合計267,109千円・資産合計2,263,260千円、支払手形1,269,729千円、割引手形残高722,710千円
- 証券 15(11)(174) 1963年
- [35]1963年9月25日東証第二部上場。1963年9月に公募50万株(@135円)で資本金340,000千円。資本金は1958年5月26,000千円、1961年9月150,000千円(公募)
- [36]1963年9月25日東証第二部上場。1963年9月に公募50万株(@135円)で資本金340,000千円。資本金は1958年5月26,000千円、1961年9月150,000千円(公募)
- [37]1963年9月25日東証第二部上場。1963年9月に公募50万株(@135円)で資本金340,000千円。資本金は1958年5月26,000千円、1961年9月150,000千円(公募)
参考文献[19]-[37]
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- [19]1955年3月に産業機具部門を設置し、同年4月に山善機械器具へ商号変更
- [25]1957年7月工作機械部門を設置、1958年11月東京支店、1960年9月名古屋営業所、1961年1月福岡営業所を設置
- [27]1957年7月工作機械部門を設置、1958年11月東京支店、1960年9月名古屋営業所、1961年1月福岡営業所を設置
- 証券 15(11)(174) 1963年
- [20]工作機械・工具器具・建設機材を扱う機械器具の専門商社。仕入先は新三菱重工・松下電器産業・大隈鉄工所など約1,800社、販売はメーカー直納と卸売業者約1,800店経由。業界は戦後に金物屋的存在から発展、同社は異質市場への進出・メーカーとの業務提携強化を図る
- [21]工作機械・工具器具・建設機材を扱う機械器具の専門商社。仕入先は新三菱重工・松下電器産業・大隈鉄工所など約1,800社、販売はメーカー直納と卸売業者約1,800店経由。業界は戦後に金物屋的存在から発展、同社は異質市場への進出・メーカーとの業務提携強化を図る
- [22]工作機械・工具器具・建設機材を扱う機械器具の専門商社。仕入先は新三菱重工・松下電器産業・大隈鉄工所など約1,800社、販売はメーカー直納と卸売業者約1,800店経由。業界は戦後に金物屋的存在から発展、同社は異質市場への進出・メーカーとの業務提携強化を図る
- [23]工作機械・工具器具・建設機材を扱う機械器具の専門商社。仕入先は新三菱重工・松下電器産業・大隈鉄工所など約1,800社、販売はメーカー直納と卸売業者約1,800店経由。業界は戦後に金物屋的存在から発展、同社は異質市場への進出・メーカーとの業務提携強化を図る
- [31]1962年10月〜1963年6月の販売実績は工具42.1%・機材14.2%・機械43.7%
- [35]1963年9月25日東証第二部上場。1963年9月に公募50万株(@135円)で資本金340,000千円。資本金は1958年5月26,000千円、1961年9月150,000千円(公募)
- [36]1963年9月25日東証第二部上場。1963年9月に公募50万株(@135円)で資本金340,000千円。資本金は1958年5月26,000千円、1961年9月150,000千円(公募)
- [37]1963年9月25日東証第二部上場。1963年9月に公募50万株(@135円)で資本金340,000千円。資本金は1958年5月26,000千円、1961年9月150,000千円(公募)
- 株式会社年鑑 1964年版「山善機械器具」
- [24]主な事業内容は工作機械の販売、機械工具・機械器具、建設機材・電機、化成品等、度量衡計量器の販売
- [28]売上高 1960年9月期2,417,373千円、1961年9月期3,979,271千円、1962年9月期5,033,306千円。仕入先に日立金属工業(旋盤)、三菱電機・淀川プレス製作所(鍛圧機械)
- [29]売上高 1960年9月期2,417,373千円、1961年9月期3,979,271千円、1962年9月期5,033,306千円。仕入先に日立金属工業(旋盤)、三菱電機・淀川プレス製作所(鍛圧機械)
- [30]売上高 1960年9月期2,417,373千円、1961年9月期3,979,271千円、1962年9月期5,033,306千円。仕入先に日立金属工業(旋盤)、三菱電機・淀川プレス製作所(鍛圧機械)
- [32]1962年10月1日大阪市場第二部上場開始。1962年9月期末の資本合計267,109千円・資産合計2,263,260千円、支払手形1,269,729千円、割引手形残高722,710千円
- [33]1962年10月1日大阪市場第二部上場開始。1962年9月期末の資本合計267,109千円・資産合計2,263,260千円、支払手形1,269,729千円、割引手形残高722,710千円
- [34]1962年10月1日大阪市場第二部上場開始。1962年9月期末の資本合計267,109千円・資産合計2,263,260千円、支払手形1,269,729千円、割引手形残高722,710千円
- 企業の歴史 明治百年 1968年「山善機械器具」
- [26]機械部門を設置し工作機械・鍛圧機械の販売を開始
1963年〜米国に立てたYamazen, Inc.と、住宅機器で景気の波を均して得た一部上場
1965年2月、米国での現地法人Yamazen, Inc.の設立。1968年には貿易部門が輸出を担い、63カ国の特約店へ直輸出した。海外の販売拠点は12カ所を数え、特約店への販売助成とアフターサービスを支える網も整えた。1971年時点で、米国の拠点はシカゴ、ロサンゼルス、ニューヨークの3都市である。山本猛夫氏は同じ年、月商の約9%にとどまる輸出を30%前後へ引き上げる目標を示した。工作機械の輸出に向けて、山善工作機械グループの製品を扱う合同サービス工場を建てる話もまとまった。山本猛夫氏は、米国でも日本の機械への期待が高まっているとみていた。
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- [38]1965年2月、米国に現地法人Yamazen, Inc.を設立
- 企業の歴史 明治百年 1968年「山善機械器具」
- [39]貿易部門が輸出を担い、63カ国の特約店に直輸出。海外12カ所の販売拠点、販売助成・アフターサービスの体制
- [40]貿易部門が輸出を担い、63カ国の特約店に直輸出。海外12カ所の販売拠点、販売助成・アフターサービスの体制
- 証券アナリストジャーナル 9(6) 1971年 山本猛夫
- [41]米国はシカゴ・ロサンゼルス・ニューヨークに拠点。輸出は月商の約9%で30%前後を目指す。機械輸出のため山善工作機械グループ製品の合同サービス工場建設で合意。米国でも日本商品への期待が高まっている
- [42]米国はシカゴ・ロサンゼルス・ニューヨークに拠点。輸出は月商の約9%で30%前後を目指す。機械輸出のため山善工作機械グループ製品の合同サービス工場建設で合意。米国でも日本商品への期待が高まっている
- [43]米国はシカゴ・ロサンゼルス・ニューヨークに拠点。輸出は月商の約9%で30%前後を目指す。機械輸出のため山善工作機械グループ製品の合同サービス工場建設で合意。米国でも日本商品への期待が高まっている
- [44]米国はシカゴ・ロサンゼルス・ニューヨークに拠点。輸出は月商の約9%で30%前後を目指す。機械輸出のため山善工作機械グループ製品の合同サービス工場建設で合意。米国でも日本商品への期待が高まっている
山善機械器具は1965年7月に住宅機器部門を設けた。同じ月には大阪と東京の2営業本部制を敷いた。1968年には文化空調機器部門が、管工機材、厨房機器、冷暖房機、ボイラー機器を扱った。山本猛夫氏は、機械の商いは景気の振れに左右されやすいとして、1966年ごろから住宅産業へ参入したと説明した。建築は請け負わず、造成地や住宅の売買、建築部材と冷暖房機器の販売に絞った。1971年の景気後退期に機械関連のメーカーが中小で5割、大手で3〜4割の減産に陥るなかで、住宅部門は年率70〜80%で伸びた。設備投資の波に連動する機械に住宅を組み合わせ、売上の振れを均す狙いがあったのだろう。
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- [45]1965年7月住宅機器部門を設置。同月、大阪・東京両営業本部制を採用し、大阪本社に管理本部と海外営業本部を設置
- [46]1965年7月住宅機器部門を設置。同月、大阪・東京両営業本部制を採用し、大阪本社に管理本部と海外営業本部を設置
- 企業の歴史 明治百年 1968年「山善機械器具」
- [47]文化空調機器部門で管工機材・厨房機器・冷暖房機・ボイラー機器を取扱う
- 証券アナリストジャーナル 9(6) 1971年 山本猛夫
- [48]機械関連だけでは景気の影響を受けやすいため昭和41年頃から住宅産業に進出。造成地・住宅の売買、建築部材、冷暖房機器を販売し年率70〜80%の伸び。1971年は機械関連メーカーが中小5割・大手3〜4割の減産
- [49]機械関連だけでは景気の影響を受けやすいため昭和41年頃から住宅産業に進出。造成地・住宅の売買、建築部材、冷暖房機器を販売し年率70〜80%の伸び。1971年は機械関連メーカーが中小5割・大手3〜4割の減産
- [50]機械関連だけでは景気の影響を受けやすいため昭和41年頃から住宅産業に進出。造成地・住宅の売買、建築部材、冷暖房機器を販売し年率70〜80%の伸び。1971年は機械関連メーカーが中小5割・大手3〜4割の減産
山善機械器具は1970年2月、東京・大阪両証券取引所の市場第一部に上場した。一部上場は、1967年に始めた第三次5ヵ年計画が1971年までに果たす予定として掲げた目標である。1971年には資本金21億円、従業員1,465名となり、1971年9月期は売上高560〜570億円を見込んだ。山本猛夫氏は『商社とは販売力を売る会社である』を標語とし、70年代を専門商社の時代と位置づけた。同じ1971年には山善興産を設立して、レジャー部門にも参入した。1971年11月、会社は商号を株式会社山善へ改めた。社名から機械器具の語を外した背景には、住宅やレジャーへ広げた事業を社名で縛らない意図があったとうかがえる。
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- [51]1970年2月東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場。1971年11月株式会社山善に商号変更
- [56]1970年2月東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場。1971年11月株式会社山善に商号変更
- 企業の歴史 明治百年 1968年「山善機械器具」
- [52]1967年に第三次五ヵ年計画を立て、終期の1971年に一部上場の予定
- 証券アナリストジャーナル 9(6) 1971年 山本猛夫
- [53]1971年時点で資本金21億円・従業員1,465名、1971年9月期の売上高見通し560〜570億円。「商社とは販売力を売る会社である」が標語、70年代は専門商社の時代。山善興産を設立しレジャー部門へ進出
- [54]1971年時点で資本金21億円・従業員1,465名、1971年9月期の売上高見通し560〜570億円。「商社とは販売力を売る会社である」が標語、70年代は専門商社の時代。山善興産を設立しレジャー部門へ進出
- [55]1971年時点で資本金21億円・従業員1,465名、1971年9月期の売上高見通し560〜570億円。「商社とは販売力を売る会社である」が標語、70年代は専門商社の時代。山善興産を設立しレジャー部門へ進出
参考文献[38]-[56]
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- [38]1965年2月、米国に現地法人Yamazen, Inc.を設立
- [45]1965年7月住宅機器部門を設置。同月、大阪・東京両営業本部制を採用し、大阪本社に管理本部と海外営業本部を設置
- [46]1965年7月住宅機器部門を設置。同月、大阪・東京両営業本部制を採用し、大阪本社に管理本部と海外営業本部を設置
- [51]1970年2月東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場。1971年11月株式会社山善に商号変更
- [56]1970年2月東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場。1971年11月株式会社山善に商号変更
- 企業の歴史 明治百年 1968年「山善機械器具」
- [39]貿易部門が輸出を担い、63カ国の特約店に直輸出。海外12カ所の販売拠点、販売助成・アフターサービスの体制
- [40]貿易部門が輸出を担い、63カ国の特約店に直輸出。海外12カ所の販売拠点、販売助成・アフターサービスの体制
- [47]文化空調機器部門で管工機材・厨房機器・冷暖房機・ボイラー機器を取扱う
- [52]1967年に第三次五ヵ年計画を立て、終期の1971年に一部上場の予定
- 証券アナリストジャーナル 9(6) 1971年 山本猛夫
- [41]米国はシカゴ・ロサンゼルス・ニューヨークに拠点。輸出は月商の約9%で30%前後を目指す。機械輸出のため山善工作機械グループ製品の合同サービス工場建設で合意。米国でも日本商品への期待が高まっている
- [42]米国はシカゴ・ロサンゼルス・ニューヨークに拠点。輸出は月商の約9%で30%前後を目指す。機械輸出のため山善工作機械グループ製品の合同サービス工場建設で合意。米国でも日本商品への期待が高まっている
- [43]米国はシカゴ・ロサンゼルス・ニューヨークに拠点。輸出は月商の約9%で30%前後を目指す。機械輸出のため山善工作機械グループ製品の合同サービス工場建設で合意。米国でも日本商品への期待が高まっている
- [44]米国はシカゴ・ロサンゼルス・ニューヨークに拠点。輸出は月商の約9%で30%前後を目指す。機械輸出のため山善工作機械グループ製品の合同サービス工場建設で合意。米国でも日本商品への期待が高まっている
- [48]機械関連だけでは景気の影響を受けやすいため昭和41年頃から住宅産業に進出。造成地・住宅の売買、建築部材、冷暖房機器を販売し年率70〜80%の伸び。1971年は機械関連メーカーが中小5割・大手3〜4割の減産
- [49]機械関連だけでは景気の影響を受けやすいため昭和41年頃から住宅産業に進出。造成地・住宅の売買、建築部材、冷暖房機器を販売し年率70〜80%の伸び。1971年は機械関連メーカーが中小5割・大手3〜4割の減産
- [50]機械関連だけでは景気の影響を受けやすいため昭和41年頃から住宅産業に進出。造成地・住宅の売買、建築部材、冷暖房機器を販売し年率70〜80%の伸び。1971年は機械関連メーカーが中小5割・大手3〜4割の減産
- [53]1971年時点で資本金21億円・従業員1,465名、1971年9月期の売上高見通し560〜570億円。「商社とは販売力を売る会社である」が標語、70年代は専門商社の時代。山善興産を設立しレジャー部門へ進出
- [54]1971年時点で資本金21億円・従業員1,465名、1971年9月期の売上高見通し560〜570億円。「商社とは販売力を売る会社である」が標語、70年代は専門商社の時代。山善興産を設立しレジャー部門へ進出
- [55]1971年時点で資本金21億円・従業員1,465名、1971年9月期の売上高見通し560〜570億円。「商社とは販売力を売る会社である」が標語、70年代は専門商社の時代。山善興産を設立しレジャー部門へ進出
出典・参考
6件
- 山善 有価証券報告書【沿革】
- 株式会社年鑑 1964年版「山善機械器具」
- 企業の歴史 明治百年 1968年「山善機械器具」
- 証券アナリストジャーナル 9(6) 1971年 山本猛夫
- 日経ビジネス 1978年7月31日号
- 証券 15(11)(174) 1963年