前田武男
キヤノン・元在職のまま死去
社長就任までの出自
出自
1934年5月に前身の精機光学研究所へ入り、1966年2月に副社長へ就任した。1974年8月、創業社長の御手洗毅氏が代表取締役会長へ退くのに合わせ、副社長から社長へ上がっている。会社は1964年10月に電子式卓上計算機で事務機へ入り、1968年にNPシステムで普通紙複写機へ参入し、1969年3月にキヤノン株式会社へ商号を変更していた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1974年8月、御手洗毅氏の後任として社長に就任した。同氏は1942年から32年にわたり社長を務めており、創業以来はじめての社長交代であった。会社は1970年代の値下げ競争で電卓の採算が悪化し、1972年初頭には決め手を欠く多角化路線と評されていた。創業者の退いたあとを、前身の研究所時代から在籍する副社長が引き継ぐ人事だった。
在任中の主な施策
施策
在任は1974年8月から1977年5月までの約3年で、在職のまま死去した。1975年5月にはレーザープリンターの開発に成功している。複写機は自社に営業力が育たず、参入意欲の強い海外企業へ特許を供与して技術料を得る道を選んでおり、1977年からは複写機の技術料収入が支出を上回った。単体売上高は1974年12月期の714億円から1976年12月期は1019億円へ伸びている。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1934〜1977年
在任中の業績
就任前(FY73)714億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-