賀来龍三郎

キヤノン・元代表取締役社長

Kaku Ryuzaburo(敬称略)

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社長就任 1977年6月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1954年に九州大学経済学部を出てキヤノンへ入り、1968年に経理部長、1970年からは人事部長を兼ねた。1972年8月に取締役、1974年8月に常務取締役へ進んでいる。会社はこの間の1968年にNPシステムで普通紙複写機へ参入し、1969年3月にキヤノン株式会社へ商号を変更していた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

電卓事業は1970年代の値下げ合戦で採算を崩し、1972年初頭の時点で同社の多角化は決め手に欠けると見られていた。1977年6月、前田武男氏が在任中に亡くなったのを受けて社長となったが、これは常務からの起用で、上位の副社長と専務を越えての抜擢だった。このときのキヤノンが抱えていた課題は、事務機を総合的にそろえることと、高い付加価値を持つ製品で差をつけられるかどうかだった。

在任中の主な施策
施策

就任後は前任経営陣の甘さを公言し、事業部制を敷いてカメラ・事務機・光学の各事業に損益責任を負わせた。複写機は1982年に売上高1000億円を超え、同じ年にはデスクに載る小型のミニコピアを出して個人向けの市場を開拓している。1981年10月にはバブルジェット記録方式の開発に成功した。生産の海外展開も進め、1982年2月に大分キヤノン、1985年11月に米国のCanon Virginia、1988年12月にマレーシアのCanon Optoを相次いで設けた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1954〜1989年
在任中の業績
就任前(FY76)1,239億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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