カッパ・クリエイト:「かっぱ寿司」1号店の開店と大宮の工場・配送センター新設
1978年〜ミスタードーナツの加盟店から転じた長野県の「かっぱ寿司」と、県下4市8店舗の日伸食品
のちのカッパ・クリエイトが外食事業に参入した入口は、ミスタードーナツのフランチャイズ加盟店だった。その後は日本の伝統食である寿司を自社の戦略商品に据え直し、1979年(昭和54年)に長野県で「かっぱ寿司」1号店を開店した。回転寿司は、安い値段とわかりやすい勘定、速い提供、入りやすい店構えで、従来の寿司店に不満を持つ客を取り込んで広がった業態である。参入は回転寿司業界の中で後発の部類にあたり、当初から低価格の方針を経営の中心に掲げた。加盟店の時代に身につけた業務のシステム化の経験も、寿司の店づくりに生かされた。看板を借りる加盟店にとどまらず、自前の商品で店を重ねられる業態として回転寿司を選んだとみられる。
- 証券アナリストジャーナル 33巻2号 別冊付録「企業」1995年1月「カッパクリエイト」(徳山淳和)
- [1]ミスタードーナツのFC加盟店として外食に参入。のち寿司を戦略商品とし昭和54年に長野県でかっぱ寿司1号店。業界では後発、当初からロープライス・ポリシー。FCでのシステム化経験が役立った
- [2]ミスタードーナツのFC加盟店として外食に参入。のち寿司を戦略商品とし昭和54年に長野県でかっぱ寿司1号店。業界では後発、当初からロープライス・ポリシー。FCでのシステム化経験が役立った
- [4]ミスタードーナツのFC加盟店として外食に参入。のち寿司を戦略商品とし昭和54年に長野県でかっぱ寿司1号店。業界では後発、当初からロープライス・ポリシー。FCでのシステム化経験が役立った
- [5]ミスタードーナツのFC加盟店として外食に参入。のち寿司を戦略商品とし昭和54年に長野県でかっぱ寿司1号店。業界では後発、当初からロープライス・ポリシー。FCでのシステム化経験が役立った
- 日本フードサービス学会年報 第6号(2001年)小林仁「(株)カッパ・クリエイトにおける事業再構築の研究」
- [3]回転ずしは低価格・わかりやすい会計・スピードサービス・入りやすい店作りで、立ちの寿司屋に不満の客を吸収して成長した
1号店のあとは、郊外の幹線道路沿いに一戸建ての店を構え、直営で出店を重ねた。1983年8月には、有限会社日伸食品(元は有限会社長野フーズ)を株式会社日伸食品へ組織変更した。組織変更の時点で、店は長野県下の4市に8店舗を数えた。寿司飯を握る機械「寿司ロボ」は、1983年の設立の時点ですでに店に入っていた。店数を増やすほど職人の確保が出店の制約になるため、早い段階で握りの工程を機械に移したのだろう。
- 証券アナリストジャーナル 33巻2号 別冊付録「企業」1995年1月「カッパクリエイト」(徳山淳和)
- [6]ロードサイド立地中心にフリースタンディング形式の回転寿司店を直営でチェーン展開
- 有価証券報告書【沿革】
- [7]1983年8月、有限会社日伸食品(元有限会社長野フーズ)を組織変更し株式会社日伸食品を設立。時点の店舗は長野県下4市に8店舗
- [8]1983年8月、有限会社日伸食品(元有限会社長野フーズ)を組織変更し株式会社日伸食品を設立。時点の店舗は長野県下4市に8店舗
- 日経ビジネス 1995年6月19日号
- [9]1983年の設立時にすでに寿司ロボを導入。出店は幹線道路沿い中心(1995年時点の記述、設立は1983年6月と記載)
参考文献[1]-[9]
- 証券アナリストジャーナル 33巻2号 別冊付録「企業」1995年1月「カッパクリエイト」(徳山淳和)
- [1]ミスタードーナツのFC加盟店として外食に参入。のち寿司を戦略商品とし昭和54年に長野県でかっぱ寿司1号店。業界では後発、当初からロープライス・ポリシー。FCでのシステム化経験が役立った
- [2]ミスタードーナツのFC加盟店として外食に参入。のち寿司を戦略商品とし昭和54年に長野県でかっぱ寿司1号店。業界では後発、当初からロープライス・ポリシー。FCでのシステム化経験が役立った
- [4]ミスタードーナツのFC加盟店として外食に参入。のち寿司を戦略商品とし昭和54年に長野県でかっぱ寿司1号店。業界では後発、当初からロープライス・ポリシー。FCでのシステム化経験が役立った
- [5]ミスタードーナツのFC加盟店として外食に参入。のち寿司を戦略商品とし昭和54年に長野県でかっぱ寿司1号店。業界では後発、当初からロープライス・ポリシー。FCでのシステム化経験が役立った
- [6]ロードサイド立地中心にフリースタンディング形式の回転寿司店を直営でチェーン展開
- 日本フードサービス学会年報 第6号(2001年)小林仁「(株)カッパ・クリエイトにおける事業再構築の研究」
- [3]回転ずしは低価格・わかりやすい会計・スピードサービス・入りやすい店作りで、立ちの寿司屋に不満の客を吸収して成長した
- 有価証券報告書【沿革】
- [7]1983年8月、有限会社日伸食品(元有限会社長野フーズ)を組織変更し株式会社日伸食品を設立。時点の店舗は長野県下4市に8店舗
- [8]1983年8月、有限会社日伸食品(元有限会社長野フーズ)を組織変更し株式会社日伸食品を設立。時点の店舗は長野県下4市に8店舗
- 日経ビジネス 1995年6月19日号
- [9]1983年の設立時にすでに寿司ロボを導入。出店は幹線道路沿い中心(1995年時点の記述、設立は1983年6月と記載)
1984年〜埼玉県八潮市の関東1号店と、上田・大宮に建てた工場と配送センター
長野県内の直営店は、1984年までに12店へ増えた。同じ1984年の11月、関東地区の1号店を埼玉県八潮市に開店した。以後の出店は関東各県・甲信越・東北の郊外の生活圏に集中させ、店を密に並べる地域(ドミナントエリア)を作って知名度を高める方針をとった。1985年からは、年間10店増を超える速さでの規模の拡大。1988年1月に商号を株式会社ニッシンに改めた時点で、店は6県下で37店舗に達した。長野県内で店を固めた方式を、人口の多い関東の郊外にそのまま移したと推察される。
- 証券アナリストジャーナル 33巻2号 別冊付録「企業」1995年1月「カッパクリエイト」(徳山淳和)
- [10]昭和59年までに長野県内の直営店12店。同年埼玉に進出し、関東各県・甲信越・東北の郊外生活圏に集中出店してドミナントエリアを形成
- [12]昭和59年までに長野県内の直営店12店。同年埼玉に進出し、関東各県・甲信越・東北の郊外生活圏に集中出店してドミナントエリアを形成
- 有価証券報告書【沿革】
- [11]1984年11月に関東地区1号店を埼玉県八潮市に開店。1988年1月に株式会社ニッシンへ商号変更、その時点で6県下37店舗
- [14]1984年11月に関東地区1号店を埼玉県八潮市に開店。1988年1月に株式会社ニッシンへ商号変更、その時点で6県下37店舗
- 日経ビジネス 1995年6月19日号
- [13]1985年から年間10店増を超えるペースで規模を拡大
店が長野と関東の2地域に分かれたため、1985年4月に長野県上田市へ工場・ライスセンター・配送センターを建設した。続いて1986年4月、埼玉県大宮市(現さいたま市)での工場・配送センターの建設。1995年時点では、ネタの切りつけを各地域のセンターでまとめて済ませ、店は解凍したネタをシャリに乗せるだけの仕組みだった。発注も本部のコンピュータが店ごとの売上予測から自動で決め、店の仕事は寿司を出すことに絞られた。大宮の配送センターは、のちに全店舗への配送基地となった。1985年と1986年の2拠点の建設が、職人を置かずに店を増やすこの仕組みの土台になったと思われる。
- 有価証券報告書【沿革】
- [15]1985年4月に長野県上田市に工場・ライスセンター・配送センター、1986年4月に埼玉県大宮市に工場・配送センターを建設
- [16]1985年4月に長野県上田市に工場・ライスセンター・配送センター、1986年4月に埼玉県大宮市に工場・配送センターを建設
- 日経ビジネス 1995年6月19日号
- [17]1995年時点、ネタの切りつけは各地域のセンターに集約するセントラルキッチン方式で、店では解凍してシャリに乗せる
- 証券アナリストジャーナル 33巻2号 別冊付録「企業」1995年1月「カッパクリエイト」(徳山淳和)
- [18]本部のコンピュータが売上予測に基づき自動発注し、店は寿司の提供に専念。大宮の配送センターが全店舗への配送基地(1995年時点)
- [19]本部のコンピュータが売上予測に基づき自動発注し、店は寿司の提供に専念。大宮の配送センターが全店舗への配送基地(1995年時点)
参考文献[10]-[19]
- 証券アナリストジャーナル 33巻2号 別冊付録「企業」1995年1月「カッパクリエイト」(徳山淳和)
- [10]昭和59年までに長野県内の直営店12店。同年埼玉に進出し、関東各県・甲信越・東北の郊外生活圏に集中出店してドミナントエリアを形成
- [12]昭和59年までに長野県内の直営店12店。同年埼玉に進出し、関東各県・甲信越・東北の郊外生活圏に集中出店してドミナントエリアを形成
- [18]本部のコンピュータが売上予測に基づき自動発注し、店は寿司の提供に専念。大宮の配送センターが全店舗への配送基地(1995年時点)
- [19]本部のコンピュータが売上予測に基づき自動発注し、店は寿司の提供に専念。大宮の配送センターが全店舗への配送基地(1995年時点)
- 有価証券報告書【沿革】
- [11]1984年11月に関東地区1号店を埼玉県八潮市に開店。1988年1月に株式会社ニッシンへ商号変更、その時点で6県下37店舗
- [14]1984年11月に関東地区1号店を埼玉県八潮市に開店。1988年1月に株式会社ニッシンへ商号変更、その時点で6県下37店舗
- [15]1985年4月に長野県上田市に工場・ライスセンター・配送センター、1986年4月に埼玉県大宮市に工場・配送センターを建設
- [16]1985年4月に長野県上田市に工場・ライスセンター・配送センター、1986年4月に埼玉県大宮市に工場・配送センターを建設
- 日経ビジネス 1995年6月19日号
- [13]1985年から年間10店増を超えるペースで規模を拡大
- [17]1995年時点、ネタの切りつけは各地域のセンターに集約するセントラルキッチン方式で、店では解凍してシャリに乗せる
出典・参考
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- 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 33巻2号 別冊付録「企業」1995年1月「カッパクリエイト」(徳山淳和)
- 日経ビジネス 1995年6月19日号
- 日本フードサービス学会年報 第6号(2001年)小林仁「(株)カッパ・クリエイトにおける事業再構築の研究」