安川敬二

安川電機・元取締役社長

Yasukawa Keiji(敬称略)

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社長就任 1971年
生年月日 —
学歴 東京帝国大学工学部電気工学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1916年に福岡で生まれ、1940年3月に東京帝国大学工学部を卒業し、同年4月に安川電機製作所へ入社した。取締役に就任したのは1964年5月で、入社から24年後である。1968年5月に常務取締役、1970年8月に専務取締役へ上がり、1972年に取締役社長となった。1969年版の要覧の役員欄では、取締役会長に安川第五郎氏、取締役社長に安川寛氏が並ぶなかで、常務取締役として名を連ねている。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1972年、安川寛氏の後任として社長に就任した。寛氏は1944年2月から28年にわたり社長を務め、退任した後も取締役会長として役員欄に残っている。1964年5月に取締役へ就任したとき、同じ月に取締役となった杉山茂氏と玉置忠氏はいずれも1934年入社で、役員に届くまで30年を要していた。1940年入社の安川敬二氏は24年で並び、その4年後に常務、さらに2年後に専務へ上がっている。同時期の役員より短い年数で段を上がったとみられる。

在任中の主な施策
施策

大口取引先だった新日本製鐵向けが細り、1978年3月期まで2期連続の無配に沈んだ。1976年に全従業員の約1割にあたる700名の希望退職を募集し、メインバンクの第一勧業銀行から喜谷礼二郎氏を代表取締役副社長に迎えて、創業家が担ってきた経営を銀行主導の再建体制へ切り替えた。喜谷氏は日本勧業銀行の取締役、第一勧業銀行の常務取締役を経ている。研究は不況のさなかも続き、1976年にNC装置YASNAC、1977年にアーク溶接ロボットMOTOMAN-L10を完成させている。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1971〜1984年
在任中の業績
就任前(FY70)395億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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