わかもと製薬:「強力わかもと」の発売と相模大井工場の新設
1961年〜強力わかもとに頼る売上と、販促費が利益を削る収益構造
わかもと製薬は1961年6月に乳酸菌の製造設備を完成させた。翌1962年に発売した強力わかもとは、自社で見つけた活性乳酸菌をわかもとに加え、栄養・消化に整腸の働きを足した製品である。1963年3月期の半期売上は5億9,000万円で、前期の5億1,000万円から伸びた。内訳は強力わかもとを中心とする消化整腸剤が約6割を占め、歯磨のゼオラ関係が約35%、ビタミン剤などが5%だった。1960年3月期の半期売上は3億6,788万円であり、3年で約1.6倍になった計算である。30年来の栄養剤に乳酸菌を足した改良品が、売上の過半を担う主力に育ったとみられる。
- わかもと製薬 有価証券報告書 第111期(2006年3月期)【沿革】
- [1]1961年6月、乳酸菌製造設備完成
- 経済知識 (205) 1968年
- [2]1962年発売の強力わかもとは、自社研究陣が発見した活性乳酸菌を加え、栄養・消化・整腸の3作用を持たせた
- 実業往来 (141) 1963年
- [3]1963年3月期の売上高は5億9,000万円(前期の1962年9月期は5億1,000万円)、利益3,800万円
- [4]売上構成は強力わかもと中心の消化整腸剤が約60%、ゼオラ関係が約35%、ビタミン剤その他が5%
- 株式会社年鑑 1960年版「わかもと製薬株式会社」
- [5]1960年3月期の売上高は36万7,888千円
1963年3月期の売上原価率は42.3%で、三共の53.6%や武田薬品工業の58%を下回った。一方で一般管理費は売上の45%に及び、三共・武田薬品工業の20%台とは大きな開きがあった。そのうち広告宣伝費・景品費・拡売費の3項目が1億3,000万円強で、一般管理費の5割を超えた。売上利益率は4%にとどまり、特売に支えられた販売の構造がこの比率を下げにくくしていた。会社はのちに販売網を組み直し、1971年4月に全国の有力卸49社でWAP会を、1972年12月に薬局・薬店のワカモト会を結成した。原価の低さを販促費が相殺する構造が、卸と小売を組織する販売網づくりへ向かわせたと推察される。
- 実業往来 (141) 1963年
- [6]1963年3月期の売上原価率は42.3%で、三共53.6%・武田58%・第一製薬51.4%を下回った
- [7]一般管理費のウエートは45%で、三共・武田の20%台、第一製薬・中外製薬の30%台を上回った
- [8]広告宣伝費・景品費・拡売費で1億3,000万円強となり、一般管理費の50%以上を占めた
- [9]売上利益率は4%にとどまり、製品が特売によって成り立っているため比率の引き下げは難しいとされた
- わかもと製薬 有価証券報告書 第111期(2006年3月期)【沿革】
- [10]1971年4月、医家向製品の販売拡充のため全国有力卸問屋49社で「WAP会」を結成
- [11]1972年12月、一般用医薬品の販売拡充のため薬局・薬店組織「ワカモト会」を結成
参考文献[1]-[11]
- わかもと製薬 有価証券報告書 第111期(2006年3月期)【沿革】
- [1]1961年6月、乳酸菌製造設備完成
- [10]1971年4月、医家向製品の販売拡充のため全国有力卸問屋49社で「WAP会」を結成
- [11]1972年12月、一般用医薬品の販売拡充のため薬局・薬店組織「ワカモト会」を結成
- 経済知識 (205) 1968年
- [2]1962年発売の強力わかもとは、自社研究陣が発見した活性乳酸菌を加え、栄養・消化・整腸の3作用を持たせた
- 実業往来 (141) 1963年
- [3]1963年3月期の売上高は5億9,000万円(前期の1962年9月期は5億1,000万円)、利益3,800万円
- [4]売上構成は強力わかもと中心の消化整腸剤が約60%、ゼオラ関係が約35%、ビタミン剤その他が5%
- [6]1963年3月期の売上原価率は42.3%で、三共53.6%・武田58%・第一製薬51.4%を下回った
- [7]一般管理費のウエートは45%で、三共・武田の20%台、第一製薬・中外製薬の30%台を上回った
- [8]広告宣伝費・景品費・拡売費で1億3,000万円強となり、一般管理費の50%以上を占めた
- [9]売上利益率は4%にとどまり、製品が特売によって成り立っているため比率の引き下げは難しいとされた
- 株式会社年鑑 1960年版「わかもと製薬株式会社」
- [5]1960年3月期の売上高は36万7,888千円
1964年〜雑菌を避けて砧から大井町へ移した培養の工場
1960年当時、わかもと製薬の工場は東京都世田谷区宇奈根町にあった。この砧の工場の周辺では高速道路の建設に伴って土地の開発が進み、微生物培養の大敵である空気中の雑菌が増えた。会社は1962〜63年ごろに移転を決め、地価の上がった砧の用地に買い手を得てから移転先を探した。1964年に神奈川県大井町の用地を見つけ、整地を経て第1期工事を1967年11月に終えた。第2期工事は1968年6月に完成し、相模大井工場と研究設備がそろった。条件に挙げたのは雑菌の少ない清浄な空気と、微生物の繁殖に向く軟水を大量に得られることだった。固体培養という製法の制約が、地価や交通より先に立地を決めたのだろう。
- 株式会社年鑑 1960年版「わかもと製薬株式会社」
- [12]1960年7月時点で工場・本社の一部は東京都世田谷区宇奈根町400にあった
- 経済知識 (205) 1968年
- [13]砧旧工場の周辺は高速道路建設に伴う土地開発が進み、空気がにごって微生物培養に不適当になった
- [14]1962〜63年ごろ工場移転を決め、砧工場付近の地価上昇で買い手がつき、移転先の物色に入った
- [15]1964年に神奈川県足柄郡大井町の敷地を見つけ、整地を経て第1期工事が1967年11月に完了
- [17]工場用地の条件は雑菌の少ない清浄な空気と、微生物がよく繁殖する良質大量の軟水だった
- わかもと製薬 有価証券報告書 第111期(2006年3月期)【沿革】
- [16]1968年6月、神奈川県大井町に相模大井工場並びに研究設備を新設
新工場の敷地は約2万1,000坪で砧の旧工場より約4割広く、建物の総建坪は約4,350坪に達した。従来の箱型装置による手作業の固体培養をステンレス製の2段式培養タンクに替え、胚芽の精選から培養・乾燥までを自動の流れ作業に切り替えた。第1期と第2期の投資は約10億円で、旧本社工場と隣接する埋立地の売却代金で賄い、日本橋に本社を建てる余力も残った。本社は1968年11月に東京都中央区日本橋室町へ移った。生産能力は全体でほぼ倍となり、わかもとの半期売上は4億円から8億円への伸びが見込まれた。都心の工場用地の含み益で、設備の自動化と本社の移転を同時に賄ったと思われる。
- 経済知識 (205) 1968年
- [18]新工場の面積は旧工場より約4割広い約2万1千坪、建物の総建坪は約4,350坪
- [19]従来の箱型培養装置の手作業を、ステンレス製2段式培養タンクと乾燥工程を連結した一貫自動化に切り替えた
- [20]第1期・第2期の投下資金約10億円を旧本社工場と隣接埋立地の売却手取金で賄い、三越日本橋本店前に本社を建設する余裕もできた
- [22]生産能力は総体で倍増し、わかもとの半期売上は4億円から8億円へ伸びる見込みとされた
- わかもと製薬 有価証券報告書 第111期(2006年3月期)【沿革】
- [21]1968年11月、本社を東京都中央区日本橋室町一丁目に移転
参考文献[12]-[22]
- 株式会社年鑑 1960年版「わかもと製薬株式会社」
- [12]1960年7月時点で工場・本社の一部は東京都世田谷区宇奈根町400にあった
- 経済知識 (205) 1968年
- [13]砧旧工場の周辺は高速道路建設に伴う土地開発が進み、空気がにごって微生物培養に不適当になった
- [14]1962〜63年ごろ工場移転を決め、砧工場付近の地価上昇で買い手がつき、移転先の物色に入った
- [15]1964年に神奈川県足柄郡大井町の敷地を見つけ、整地を経て第1期工事が1967年11月に完了
- [17]工場用地の条件は雑菌の少ない清浄な空気と、微生物がよく繁殖する良質大量の軟水だった
- [18]新工場の面積は旧工場より約4割広い約2万1千坪、建物の総建坪は約4,350坪
- [19]従来の箱型培養装置の手作業を、ステンレス製2段式培養タンクと乾燥工程を連結した一貫自動化に切り替えた
- [20]第1期・第2期の投下資金約10億円を旧本社工場と隣接埋立地の売却手取金で賄い、三越日本橋本店前に本社を建設する余裕もできた
- [22]生産能力は総体で倍増し、わかもとの半期売上は4億円から8億円へ伸びる見込みとされた
- わかもと製薬 有価証券報告書 第111期(2006年3月期)【沿革】
- [16]1968年6月、神奈川県大井町に相模大井工場並びに研究設備を新設
- [21]1968年11月、本社を東京都中央区日本橋室町一丁目に移転
出典・参考
4件
- わかもと製薬 有価証券報告書 第111期(2006年3月期)【沿革】
- 株式会社年鑑 1960年版「わかもと製薬株式会社」
- 実業往来 (141) 1963年
- 経済知識 (205) 1968年