第1章 年〜年

ぴあ:情報誌「ぴあ」の創刊と「情報伝達業」への再規定

1972年〜名画座を見逃した学生たちの月刊誌と、教文館の紹介状で並んだ89店

1972年7月10日、中央大学法学部の学生だった矢内廣氏は、アルバイト仲間と東京都中野区で月刊の情報誌「ぴあ」を創刊した。矢内廣氏は料金の安い名画座などに通っていた。ところが上映館と日程を一覧できる媒体が無く、見たい映画を逃すことが多かった。演劇・音楽・美術でも事情は同じで、矢内廣氏はこの欠落を、既存の社会に事業として入り込める余地と捉えて『大人には見えていないニーズ』と呼んだ。仲間はTBSのテレビニュース部でアルバイトをしていた学生たちで、矢内廣氏は就職を断念した。創刊時点で、矢内廣氏は少なくとも8万部に相当する潜在需要を見込んでいた。評論や随筆が中心だった当時の映画情報に対し、主観を排した網羅の一覧という形式そのものが差別化要因になったとみられる。

  • 通産ジャーナル 19(2)(178) 1986年2月「必要のリアリティこそ原点--情報伝達産業としての「ぴあ」の歩み」矢内広
    • [1]1972年7月10日に情報誌「ぴあ」創刊。映画を見逃した欠落感を、既存の社会構造に事業として切り込む余地とみた。潜在需要を少なくとも8万部と見込んだ
    • [5]1972年7月10日に情報誌「ぴあ」創刊。映画を見逃した欠落感を、既存の社会構造に事業として切り込む余地とみた。潜在需要を少なくとも8万部と見込んだ
    • [7]1972年7月10日に情報誌「ぴあ」創刊。映画を見逃した欠落感を、既存の社会構造に事業として切り込む余地とみた。潜在需要を少なくとも8万部と見込んだ
  • ぴあ 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1972年7月、大学生の創業メンバーが東京都中野区で月刊「ぴあ」を創刊
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第59回 2008年「ぴあ株式会社 矢内廣」
    • [3]中央大学法学部在学中、TBSテレビニュース部のバイト仲間と創刊準備。上映館・日程を網羅した情報が無く名画座の映画を見逃していた。就職を断念
    • [4]中央大学法学部在学中、TBSテレビニュース部のバイト仲間と創刊準備。上映館・日程を網羅した情報が無く名画座の映画を見逃していた。就職を断念
    • [6]中央大学法学部在学中、TBSテレビニュース部のバイト仲間と創刊準備。上映館・日程を網羅した情報が無く名画座の映画を見逃していた。就職を断念

「ぴあ」の創刊号は、取次会社に門前払いされ、サンプルを持って回った大手書店にも置き場が無いと断られた。前金を求められた印刷代には、父親が卒業旅行用に用意した28万円ほどを充当。矢内廣氏は日本読書新聞で紀伊國屋書店元社長の田辺茂一氏の記事を読み、書店の利幅を厚くする主張に直販の利点が重なるとみて面会した。田辺茂一氏が紹介したのは、後に銀座の書店・教文館の社長を務める人物である。その人物は学生たちが書き出した100店余りに、親睦団体「ゆうゆう会」の店を軸として1店ずつ紹介状を用意した。紹介状を携えて回り直した結果、創刊号を置いた書店は89店になり、1万部を刷って実売は2000部だった。宣伝を打たずに1店あたり20部余りを売った数字は、需要の存在を確かめる材料になったと思われる。

  • Decide 4(9)(35) 1986年11月
    • [8]取次店に相手にされず書店も断った。田辺茂一元社長の紹介で教文館社長の中村氏に会い、「ゆうゆう会」の書店を中心に置いてもらう。100店余りのリストに1店ずつ紹介状。創刊号を置いた店は89店
    • [12]取次店に相手にされず書店も断った。田辺茂一元社長の紹介で教文館社長の中村氏に会い、「ゆうゆう会」の書店を中心に置いてもらう。100店余りのリストに1店ずつ紹介状。創刊号を置いた店は89店
    • [14]取次店に相手にされず書店も断った。田辺茂一元社長の紹介で教文館社長の中村氏に会い、「ゆうゆう会」の書店を中心に置いてもらう。100店余りのリストに1店ずつ紹介状。創刊号を置いた店は89店
    • [15]取次店に相手にされず書店も断った。田辺茂一元社長の紹介で教文館社長の中村氏に会い、「ゆうゆう会」の書店を中心に置いてもらう。100店余りのリストに1店ずつ紹介状。創刊号を置いた店は89店
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第59回 2008年「ぴあ株式会社 矢内廣」
    • [9]取次に門前払い。父の用意した約28万円で前金の印刷代。日本読書新聞の田辺茂一氏の記事を読み面会。創刊号1万部のうち実売2000部
    • [10]取次に門前払い。父の用意した約28万円で前金の印刷代。日本読書新聞の田辺茂一氏の記事を読み面会。創刊号1万部のうち実売2000部
    • [11]取次に門前払い。父の用意した約28万円で前金の印刷代。日本読書新聞の田辺茂一氏の記事を読み面会。創刊号1万部のうち実売2000部
    • [13]取次に門前払い。父の用意した約28万円で前金の印刷代。日本読書新聞の田辺茂一氏の記事を読み面会。創刊号1万部のうち実売2000部
    • [16]取次に門前払い。父の用意した約28万円で前金の印刷代。日本読書新聞の田辺茂一氏の記事を読み面会。創刊号1万部のうち実売2000部

「ぴあ」は2号目で創刊号より部数を落としたものの、3号目で創刊号を上回り、取次と取引するまで前号を下回らなかった。宣伝費が無く、矢内廣氏らは編集・書店営業・広告営業を兼ね、毎月ノルマを課して取扱書店を増やした。取扱店の数に比例して部数が伸び、配送のために運転手のアルバイトも募った。創刊時に見込んだ8万部への到達は、創刊から3年目。1974年12月、資本金500万円のぴあ株式会社が東京都千代田区猿楽町に発足し、代表取締役には矢内廣氏が就任した。運転手を雇い書店と毎月取引を重ねるには、学生の集まりのままでは契約の名義を立てられなかったと推察される。

  • Decide 4(9)(35) 1986年11月
    • [17]創刊後4年間は直販。宣伝費無し、編集・書店営業・広告営業を兼務し書店開拓に毎月ノルマ。販売店数に比例して部数増。2号目のみ減少
    • [19]創刊後4年間は直販。宣伝費無し、編集・書店営業・広告営業を兼務し書店開拓に毎月ノルマ。販売店数に比例して部数増。2号目のみ減少
    • [20]創刊後4年間は直販。宣伝費無し、編集・書店営業・広告営業を兼務し書店開拓に毎月ノルマ。販売店数に比例して部数増。2号目のみ減少
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第59回 2008年「ぴあ株式会社 矢内廣」
    • [18]3号目に創刊号の部数を超え、以後前号割れ無し。配送の運転手アルバイトを募集。1974年にぴあ株式会社設立、代表取締役就任
    • [21]3号目に創刊号の部数を超え、以後前号割れ無し。配送の運転手アルバイトを募集。1974年にぴあ株式会社設立、代表取締役就任
    • [24]3号目に創刊号の部数を超え、以後前号割れ無し。配送の運転手アルバイトを募集。1974年にぴあ株式会社設立、代表取締役就任
  • 通産ジャーナル 19(2)(178) 1986年2月「必要のリアリティこそ原点--情報伝達産業としての「ぴあ」の歩み」矢内広
    • [22]創刊時に見込んだ8万部は創刊から3年目に達成
  • ぴあ 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1974年12月、東京都千代田区猿楽町に資本金500万円でぴあ株式会社を設立
参考文献[1]-[24]
  • 通産ジャーナル 19(2)(178) 1986年2月「必要のリアリティこそ原点--情報伝達産業としての「ぴあ」の歩み」矢内広
    • [1]1972年7月10日に情報誌「ぴあ」創刊。映画を見逃した欠落感を、既存の社会構造に事業として切り込む余地とみた。潜在需要を少なくとも8万部と見込んだ
    • [5]1972年7月10日に情報誌「ぴあ」創刊。映画を見逃した欠落感を、既存の社会構造に事業として切り込む余地とみた。潜在需要を少なくとも8万部と見込んだ
    • [7]1972年7月10日に情報誌「ぴあ」創刊。映画を見逃した欠落感を、既存の社会構造に事業として切り込む余地とみた。潜在需要を少なくとも8万部と見込んだ
    • [22]創刊時に見込んだ8万部は創刊から3年目に達成
  • ぴあ 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1972年7月、大学生の創業メンバーが東京都中野区で月刊「ぴあ」を創刊
    • [23]1974年12月、東京都千代田区猿楽町に資本金500万円でぴあ株式会社を設立
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第59回 2008年「ぴあ株式会社 矢内廣」
    • [3]中央大学法学部在学中、TBSテレビニュース部のバイト仲間と創刊準備。上映館・日程を網羅した情報が無く名画座の映画を見逃していた。就職を断念
    • [4]中央大学法学部在学中、TBSテレビニュース部のバイト仲間と創刊準備。上映館・日程を網羅した情報が無く名画座の映画を見逃していた。就職を断念
    • [6]中央大学法学部在学中、TBSテレビニュース部のバイト仲間と創刊準備。上映館・日程を網羅した情報が無く名画座の映画を見逃していた。就職を断念
    • [9]取次に門前払い。父の用意した約28万円で前金の印刷代。日本読書新聞の田辺茂一氏の記事を読み面会。創刊号1万部のうち実売2000部
    • [10]取次に門前払い。父の用意した約28万円で前金の印刷代。日本読書新聞の田辺茂一氏の記事を読み面会。創刊号1万部のうち実売2000部
    • [11]取次に門前払い。父の用意した約28万円で前金の印刷代。日本読書新聞の田辺茂一氏の記事を読み面会。創刊号1万部のうち実売2000部
    • [13]取次に門前払い。父の用意した約28万円で前金の印刷代。日本読書新聞の田辺茂一氏の記事を読み面会。創刊号1万部のうち実売2000部
    • [16]取次に門前払い。父の用意した約28万円で前金の印刷代。日本読書新聞の田辺茂一氏の記事を読み面会。創刊号1万部のうち実売2000部
    • [18]3号目に創刊号の部数を超え、以後前号割れ無し。配送の運転手アルバイトを募集。1974年にぴあ株式会社設立、代表取締役就任
    • [21]3号目に創刊号の部数を超え、以後前号割れ無し。配送の運転手アルバイトを募集。1974年にぴあ株式会社設立、代表取締役就任
    • [24]3号目に創刊号の部数を超え、以後前号割れ無し。配送の運転手アルバイトを募集。1974年にぴあ株式会社設立、代表取締役就任
  • Decide 4(9)(35) 1986年11月
    • [8]取次店に相手にされず書店も断った。田辺茂一元社長の紹介で教文館社長の中村氏に会い、「ゆうゆう会」の書店を中心に置いてもらう。100店余りのリストに1店ずつ紹介状。創刊号を置いた店は89店
    • [12]取次店に相手にされず書店も断った。田辺茂一元社長の紹介で教文館社長の中村氏に会い、「ゆうゆう会」の書店を中心に置いてもらう。100店余りのリストに1店ずつ紹介状。創刊号を置いた店は89店
    • [14]取次店に相手にされず書店も断った。田辺茂一元社長の紹介で教文館社長の中村氏に会い、「ゆうゆう会」の書店を中心に置いてもらう。100店余りのリストに1店ずつ紹介状。創刊号を置いた店は89店
    • [15]取次店に相手にされず書店も断った。田辺茂一元社長の紹介で教文館社長の中村氏に会い、「ゆうゆう会」の書店を中心に置いてもらう。100店余りのリストに1店ずつ紹介状。創刊号を置いた店は89店
    • [17]創刊後4年間は直販。宣伝費無し、編集・書店営業・広告営業を兼務し書店開拓に毎月ノルマ。販売店数に比例して部数増。2号目のみ減少
    • [19]創刊後4年間は直販。宣伝費無し、編集・書店営業・広告営業を兼務し書店開拓に毎月ノルマ。販売店数に比例して部数増。2号目のみ減少
    • [20]創刊後4年間は直販。宣伝費無し、編集・書店営業・広告営業を兼務し書店開拓に毎月ノルマ。販売店数に比例して部数増。2号目のみ減少

1976年〜直販1600店・実売10万部で迎えた取次との取引と、隔週刊を経た「情報伝達業」への再規定

1976年10月、ぴあは出版取次会社と取引を始めた。創刊から4年間の直販で、取扱店は89店から大学生協やレコード店を含む約1600店に増え、実売は10万部を超えていた。社員だけでは3日で配りきれず、車を持ち込むアルバイトを動員。配本表を手に納品・返品・請求の伝票を店頭で切り、代金もその場で回収した。店ごとに前号の完売を確かめてから納入数を上積みし、返品率は平均3%に抑えた。書店の担当者が取次会社に扱いを求めるようになり、取次の側から販売を委ねる話が届いた。1600店への直販で積んだ実績が、創刊時に門前払いした取次の判断を改めさせたのだろう。

  • ぴあ 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1976年10月、出版取次会社と取引開始
  • Decide 4(9)(35) 1986年11月
    • [26]直販4年で89店から約1600店(レコード店・大学生協を含む)、実売10万部超。3日で配れずアルバイト部隊で配本・伝票・集金。返品率平均3%。取次経由への移行を一つ目の節目とする
    • [28]直販4年で89店から約1600店(レコード店・大学生協を含む)、実売10万部超。3日で配れずアルバイト部隊で配本・伝票・集金。返品率平均3%。取次経由への移行を一つ目の節目とする
    • [29]直販4年で89店から約1600店(レコード店・大学生協を含む)、実売10万部超。3日で配れずアルバイト部隊で配本・伝票・集金。返品率平均3%。取次経由への移行を一つ目の節目とする
    • [30]直販4年で89店から約1600店(レコード店・大学生協を含む)、実売10万部超。3日で配れずアルバイト部隊で配本・伝票・集金。返品率平均3%。取次経由への移行を一つ目の節目とする
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第59回 2008年「ぴあ株式会社 矢内廣」
    • [27]直販店約1600店・実売10万部超。書店担当者が取次に扱いを求め、創刊4年目に流通会社から連絡があり販売を委ねた
    • [31]直販店約1600店・実売10万部超。書店担当者が取次に扱いを求め、創刊4年目に流通会社から連絡があり販売を委ねた

1979年9月、ぴあは「ぴあ」を月刊から隔週刊に改めた。集まる情報は一定の量を超えると一段と集中し、誌面はページを増やして文字を小さくする試行錯誤を重ねていた。矢内廣氏は紙幅の都合で情報を載せられない事態を雑誌の存立に関わるとみて、速まる社会のテンポにも合わせる必要を挙げた。会社を支える商品は「ぴあ」1誌だけで、矢内廣氏は号あたりの販売部数の減少を予測しながら、1年余りの準備を経て発行間隔を縮めた。隔週刊化と同時に、主観を排した語り口の記事ページ「PNNニュース」も設けた。矢内廣氏は、取次経由への移行に続く2つ目の節目に、この刊行サイクルの変更を挙げた。

  • 通産ジャーナル 19(2)(178) 1986年2月「必要のリアリティこそ原点--情報伝達産業としての「ぴあ」の歩み」矢内広
    • [32]1979年9月、1年余の準備を経て月刊から隔週刊へ。情報の集中でページ増・文字縮小が続き、量の問題で掲載できないのは生命線を断たれるに等しかった。記事ページ「PNNニュース」を新設
    • [34]1979年9月、1年余の準備を経て月刊から隔週刊へ。情報の集中でページ増・文字縮小が続き、量の問題で掲載できないのは生命線を断たれるに等しかった。記事ページ「PNNニュース」を新設
    • [35]1979年9月、1年余の準備を経て月刊から隔週刊へ。情報の集中でページ増・文字縮小が続き、量の問題で掲載できないのは生命線を断たれるに等しかった。記事ページ「PNNニュース」を新設
    • [36]1979年9月、1年余の準備を経て月刊から隔週刊へ。情報の集中でページ増・文字縮小が続き、量の問題で掲載できないのは生命線を断たれるに等しかった。記事ページ「PNNニュース」を新設
    • [38]1979年9月、1年余の準備を経て月刊から隔週刊へ。情報の集中でページ増・文字縮小が続き、量の問題で掲載できないのは生命線を断たれるに等しかった。記事ページ「PNNニュース」を新設
  • ぴあ 有価証券報告書【沿革】
    • [33]1979年9月、情報誌「ぴあ」を月刊から隔週刊に変更
  • Decide 4(9)(35) 1986年11月
    • [37]主力商品は「ぴあ」1誌のみで号当たり部数の減少を予測。79年の隔週刊化を二つ目の節目とする
    • [39]主力商品は「ぴあ」1誌のみで号当たり部数の減少を予測。79年の隔週刊化を二つ目の節目とする

1980年4月、ぴあは自社の業態を「出版業」から「情報伝達業」へ定義し直した。矢内廣氏は文化領域の情報を網羅した雑誌を事業の基盤と認めつつ、表現を活字に限る考えを持たず、雑誌を表現手段の1つと位置づけた。その考えの実体を与えた最初の事業は、隔週刊への移行と前後して加わったキャプテン・システムの実験と、情報販売の業務である。矢内廣氏は、ニューメディアの到来に合わせて、活字の外でも情報を届ける情報センターをめざした。1983年4月には、ぴあの本社が東京都千代田区麹町へ移った。情報を受け手に届けるまでを事業とみるこの再定義が、興行チケットの販売を情報の流通と捉える次の事業の前提になったと考えられる。

  • ぴあ 有価証券報告書【沿革】
    • [40]1980年4月、業態を「出版業」から「情報伝達業」へ再規定。1983年4月、千代田区麹町に本社移転
    • [44]1980年4月、業態を「出版業」から「情報伝達業」へ再規定。1983年4月、千代田区麹町に本社移転
  • 通産ジャーナル 19(2)(178) 1986年2月「必要のリアリティこそ原点--情報伝達産業としての「ぴあ」の歩み」矢内広
    • [41]雑誌は表現手段の一つにすぎず、活字に限る発想は無い。情報伝達産業という自称に実体を与えた第一歩は隔週刊移行と相前後したキャプテン・システム実験参加と情報販売。ニューメディアの要請でプリント・メディアを脱した情報センター機能へ布石
    • [42]雑誌は表現手段の一つにすぎず、活字に限る発想は無い。情報伝達産業という自称に実体を与えた第一歩は隔週刊移行と相前後したキャプテン・システム実験参加と情報販売。ニューメディアの要請でプリント・メディアを脱した情報センター機能へ布石
    • [43]雑誌は表現手段の一つにすぎず、活字に限る発想は無い。情報伝達産業という自称に実体を与えた第一歩は隔週刊移行と相前後したキャプテン・システム実験参加と情報販売。ニューメディアの要請でプリント・メディアを脱した情報センター機能へ布石
参考文献[25]-[44]
  • ぴあ 有価証券報告書【沿革】
    • [25]1976年10月、出版取次会社と取引開始
    • [33]1979年9月、情報誌「ぴあ」を月刊から隔週刊に変更
    • [40]1980年4月、業態を「出版業」から「情報伝達業」へ再規定。1983年4月、千代田区麹町に本社移転
    • [44]1980年4月、業態を「出版業」から「情報伝達業」へ再規定。1983年4月、千代田区麹町に本社移転
  • Decide 4(9)(35) 1986年11月
    • [26]直販4年で89店から約1600店(レコード店・大学生協を含む)、実売10万部超。3日で配れずアルバイト部隊で配本・伝票・集金。返品率平均3%。取次経由への移行を一つ目の節目とする
    • [28]直販4年で89店から約1600店(レコード店・大学生協を含む)、実売10万部超。3日で配れずアルバイト部隊で配本・伝票・集金。返品率平均3%。取次経由への移行を一つ目の節目とする
    • [29]直販4年で89店から約1600店(レコード店・大学生協を含む)、実売10万部超。3日で配れずアルバイト部隊で配本・伝票・集金。返品率平均3%。取次経由への移行を一つ目の節目とする
    • [30]直販4年で89店から約1600店(レコード店・大学生協を含む)、実売10万部超。3日で配れずアルバイト部隊で配本・伝票・集金。返品率平均3%。取次経由への移行を一つ目の節目とする
    • [37]主力商品は「ぴあ」1誌のみで号当たり部数の減少を予測。79年の隔週刊化を二つ目の節目とする
    • [39]主力商品は「ぴあ」1誌のみで号当たり部数の減少を予測。79年の隔週刊化を二つ目の節目とする
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第59回 2008年「ぴあ株式会社 矢内廣」
    • [27]直販店約1600店・実売10万部超。書店担当者が取次に扱いを求め、創刊4年目に流通会社から連絡があり販売を委ねた
    • [31]直販店約1600店・実売10万部超。書店担当者が取次に扱いを求め、創刊4年目に流通会社から連絡があり販売を委ねた
  • 通産ジャーナル 19(2)(178) 1986年2月「必要のリアリティこそ原点--情報伝達産業としての「ぴあ」の歩み」矢内広
    • [32]1979年9月、1年余の準備を経て月刊から隔週刊へ。情報の集中でページ増・文字縮小が続き、量の問題で掲載できないのは生命線を断たれるに等しかった。記事ページ「PNNニュース」を新設
    • [34]1979年9月、1年余の準備を経て月刊から隔週刊へ。情報の集中でページ増・文字縮小が続き、量の問題で掲載できないのは生命線を断たれるに等しかった。記事ページ「PNNニュース」を新設
    • [35]1979年9月、1年余の準備を経て月刊から隔週刊へ。情報の集中でページ増・文字縮小が続き、量の問題で掲載できないのは生命線を断たれるに等しかった。記事ページ「PNNニュース」を新設
    • [36]1979年9月、1年余の準備を経て月刊から隔週刊へ。情報の集中でページ増・文字縮小が続き、量の問題で掲載できないのは生命線を断たれるに等しかった。記事ページ「PNNニュース」を新設
    • [38]1979年9月、1年余の準備を経て月刊から隔週刊へ。情報の集中でページ増・文字縮小が続き、量の問題で掲載できないのは生命線を断たれるに等しかった。記事ページ「PNNニュース」を新設
    • [41]雑誌は表現手段の一つにすぎず、活字に限る発想は無い。情報伝達産業という自称に実体を与えた第一歩は隔週刊移行と相前後したキャプテン・システム実験参加と情報販売。ニューメディアの要請でプリント・メディアを脱した情報センター機能へ布石
    • [42]雑誌は表現手段の一つにすぎず、活字に限る発想は無い。情報伝達産業という自称に実体を与えた第一歩は隔週刊移行と相前後したキャプテン・システム実験参加と情報販売。ニューメディアの要請でプリント・メディアを脱した情報センター機能へ布石
    • [43]雑誌は表現手段の一つにすぎず、活字に限る発想は無い。情報伝達産業という自称に実体を与えた第一歩は隔週刊移行と相前後したキャプテン・システム実験参加と情報販売。ニューメディアの要請でプリント・メディアを脱した情報センター機能へ布石

出典・参考

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出典・参考
  • ぴあ 有価証券報告書【沿革】
  • 通産ジャーナル 19(2)(178) 1986年2月「必要のリアリティこそ原点--情報伝達産業としての「ぴあ」の歩み」矢内広
  • Decide 4(9)(35) 1986年11月
  • ドリームゲート起業家インタビュー 第59回 2008年「ぴあ株式会社 矢内廣」

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