第3章 年〜年

マツキヨココカラ&カンパニー:上野アメ横店とドラッグストア売上高首位

1987年〜上野アメ横で東京へ出た松戸の薬局と、店頭公開で得た45億円

1987年7月、千葉県松戸市を地盤とするマツモトキヨシは上野アメ横に店を開設し、初めて東京の繁華街へ出た。1976年に始めたスーパーは1986年に20店を数えたが、大手の大型店が県内に出てくると店数が伸びず、県内の薬局網も出し尽くしつつあった。物件は店舗開発の担当者が見つけたもので、賃料は約4億円と重かった。松本和那社長は父の代から縁のある常磐線の起点だとして、採算が合えば足りると出店を決めたという。客の主力が主婦から若い女性に替わったため、入口のドアを外し、定価で売るメーカー品より値付けの自由な一般化粧品を厚くした。階段脇の陳列と2階の試用コーナーで客を上階へ導き、月の売上は見込みの5000万円を超えて1億円に達した。

  • マツモトキヨシホールディングス「統合報告書 2021」沿革
    • [1]1987年7月、都市型ドラッグストアとして上野アメ横店を開業
  • 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
    • [2]スーパー事業は1976年9月開始、1986年に20店。大店法の緩和で大手の大型店が千葉県内に出て伸び悩み、県内の出店も一巡していた
    • [3]アメ横の物件は店舗開発担当者が見つけた。賃料約4億円。常磐線の始発駅という縁で、元が取れればよいとして出店した(同社関係者談)
    • [4]アメ横の物件は店舗開発担当者が見つけた。賃料約4億円。常磐線の始発駅という縁で、元が取れればよいとして出店した(同社関係者談)
    • [5]上野店は若い女性客が多く、入口のドアを撤去し、定価販売のメーカー化粧品から価格を自由に決められる一般化粧品へ重点を移した
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [6]上野アメ横店は2階を売場にし、階段横の陳列と試用コーナーで客を上げた。月商は予想5000万円に対し1億円を突破

1990年8月、マツモトキヨシは日本証券業協会に株式を店頭登録し、上野の開業から3年余りで公開企業になった。公開で得た資金は45億円で、店の大半を借りて出すため1店の初期投資はおよそ7000万円にとどまり、単純計算で64店分に当たった。1993年以降は転換社債を4本、総額245億円発行し、株価が上がり続けたため償還の資金を積む必要もなかった。この資金で池袋・渋谷・新宿・六本木の駅前一等地へ都市型店を出し、上野で固めた運営の型を移した。同じ1990年から現金の出入りを経営の指標に入れ、急な出店で資金が尽きる事態を避けた。土地を買わず店数に資金を回したことが、のちの急拡大の元手になったとみられる。

  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
    • [7]平成2年8月、日本証券業協会へ株式を店頭登録
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [8]店頭公開で45億円を得た。店舗はほとんどリースで初期投資は1店約7000万円、64店分に相当
    • [11]1990年からキャッシュフローの概念を経営に取り入れ、資金ショートを回避した(松本和那社長談)
  • 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
    • [9]1993年以降、転換社債を4本・総額245億円発行。株価上昇で償還の必要がなかった
    • [10]公開で集めた資金を元に池袋・渋谷・新宿など都心の一等地へ出店。六本木駅前にも出店済み(1997年時点)
参考文献[1]-[11]
  • マツモトキヨシホールディングス「統合報告書 2021」沿革
    • [1]1987年7月、都市型ドラッグストアとして上野アメ横店を開業
  • 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
    • [2]スーパー事業は1976年9月開始、1986年に20店。大店法の緩和で大手の大型店が千葉県内に出て伸び悩み、県内の出店も一巡していた
    • [3]アメ横の物件は店舗開発担当者が見つけた。賃料約4億円。常磐線の始発駅という縁で、元が取れればよいとして出店した(同社関係者談)
    • [4]アメ横の物件は店舗開発担当者が見つけた。賃料約4億円。常磐線の始発駅という縁で、元が取れればよいとして出店した(同社関係者談)
    • [5]上野店は若い女性客が多く、入口のドアを撤去し、定価販売のメーカー化粧品から価格を自由に決められる一般化粧品へ重点を移した
    • [9]1993年以降、転換社債を4本・総額245億円発行。株価上昇で償還の必要がなかった
    • [10]公開で集めた資金を元に池袋・渋谷・新宿など都心の一等地へ出店。六本木駅前にも出店済み(1997年時点)
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [6]上野アメ横店は2階を売場にし、階段横の陳列と試用コーナーで客を上げた。月商は予想5000万円に対し1億円を突破
    • [8]店頭公開で45億円を得た。店舗はほとんどリースで初期投資は1店約7000万円、64店分に相当
    • [11]1990年からキャッシュフローの概念を経営に取り入れ、資金ショートを回避した(松本和那社長談)
  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
    • [7]平成2年8月、日本証券業協会へ株式を店頭登録

1991年〜柏の郊外店で拡充した品ぞろえと、首位を固めたテレビCM・年50店の出店

1994年3月、マツモトキヨシは千葉県柏市加賀に幹線道路沿いの店を開設し、郊外型の出店を始めた。郊外型は雑貨を品ぞろえの約半分に広げ、品目数も都心型の約8000点に対し1万5000点と倍近くに増やした。中規模スーパーの隣に出て、スーパーが扱いにくい医薬品や化粧品で買い物客を呼び込む出し方も重ねた。郊外の客はほとんどが主婦で、若い女性が集まる都心型とは売り場の組み立てを分けた。1996年11月には栃木県足利市に店を出し、関東の全都県に店網が届いた。1997年には2位のサンドラッグが千葉県内へ出店を広げ、セイジョーも東京西南部で郊外型の店を増やしていた。駅前の一等地は数が限られ、首都圏全体で店舗網を拡大するには郊外に出るほかなかったのだろう。

  • マツモトキヨシホールディングス「統合報告書 2021」沿革
    • [12]1994年3月、郊外型ドラッグストアに進出し柏市加賀にロードサイド型の柏加賀店を開業
  • 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
    • [13]郊外型は雑貨が品ぞろえの約半分、品数は都心店約8000点に対し1万5000点(1997年時点)
    • [14]郊外では中規模スーパーの近くに出店し、スーパーが扱わない医薬品・化粧品・消耗品で来店客を取り込んだ
    • [17]1997年、サンドラッグは千葉県内にも出店を進め今期30店を計画。セイジョーは郊外型店と競合する都西南部で積極出店し、価格競争が始まっていた
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [15]郊外型店の客層はほとんどが主婦
  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
    • [16]平成8年11月、ドラッグストア足利朝倉店を開店し、薬粧部門で関東全都県に出店

1995年3月期、マツモトキヨシの売上高は1017億7800万円、店数は216店となり、ドラッグストアの売上高で首位に立った。1954年の会社設立から1000億円に達するまでに41年を要した。首位へ上る間、薬粧の外の事業は伸び悩み、1987年にフランチャイズで始めた外食店は1992年9月に全店を閉めた。コンビニ事業は1996年4月に廃止し、12店を薬粧部門へ移して薬粧を200店とした。スーパーは1986年の20店から1997年3月の23店へ3店増えただけだった。同年3月期の売上構成は薬粧61%、スーパー28%、ホームセンター10%で、薬粧が6割を占めた。伸びない枝を刈って人と資金を薬粧へ寄せたことが、首位の座を支えたと推察される。

  • マツモトキヨシホールディングス「統合報告書 2021」沿革
    • [18]1995年3月、ドラッグストア売上高No.1。売上高1,017億7千8百万円、216店舗
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [19]95年3月期に会社設立から41年で売上高1000億円を突破
  • 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
    • [20]1987年にモスフードサービスのフランチャイジーとしてモスバーガー新松戸店を開いたが、1992年9月に全店閉店
    • [22]スーパーは1986年20店→1997年3月末23店。1997年3月期の売上構成比はドラッグストア約61%・スーパー28%・ホームセンター10%
    • [23]スーパーは1986年20店→1997年3月末23店。1997年3月期の売上構成比はドラッグストア約61%・スーパー28%・ホームセンター10%
  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
    • [21]平成8年4月、コンビニエンス部門を廃止し、12店舗を薬粧部門に吸収。薬粧部門は200店舗

1996年4月、マツモトキヨシはテレビCMを始めた。同じ年に年20店ほどだった新規出店を50店へ倍増させ、1997年に60店、1998年に70店と積み増した。松本和那社長は、並ぶ品はどの店も同じメーカー品なので、入れ物である屋号を銘柄に仕立てる必要があるとCMの狙いを説いた。父の松本清氏が残した、費用は目立つ一点に集めよという教えを、和那社長はCMへの大量投下に重ねた。CMには整いすぎない普通の女の子を起用し、若い客に身近さを感じさせたという。都市型店には10〜20代が集まり、郊外型でも他のチェーンより若い客が15%多かった。1998年度の広告宣伝費は55億円で売上高の3.1%に当たり、同業の1〜2%を上回った。

  • マツモトキヨシホールディングス「統合報告書 2021」沿革
    • [24]1996年4月、テレビコマーシャルを開始
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [25]年20店ほどだった新規出店を96年に50店、97年60店、98年70店とした
    • [29]都市型店に若者が集まり、郊外型でも若者客が他チェーンより15%多い。98年度広告宣伝費55億円・売上高比3.1%(ハックキミサワ1.8%、サンドラッグ1.1%)
    • [30]都市型店に若者が集まり、郊外型でも若者客が他チェーンより15%多い。98年度広告宣伝費55億円・売上高比3.1%(ハックキミサワ1.8%、サンドラッグ1.1%)
  • 財界人 13(2) 2000年2月号「THE OPINION 衆議院議員・(株)マツモトキヨシ社長 松本和那」
    • [26]ドラッグストアの商品はどこも同じなので、入れ物である「マツモトキヨシ」自体をブランド化するためCMを徹底してきた(松本和那社長談)
  • ビジネス・インテリジェンス 12(9) 1998年9月号「岩瀬恵子のビジネストーク――マツモトキヨシ社長・衆議院議員 松本和那」
    • [27]先代の語録「目立つところ一点にだけ金を使え」がCM戦略に受け継がれている(松本和那社長談)
  • 戦略経営者 14(11) 1999年11月号「BOOKS 今月の一冊『マツモトキヨシ101の戦略』」(井村薫)
    • [28]CMも売場も普通の女の子を起用する方針。「ナンでもほしがるマミちゃん」も綺麗すぎないから採用した
参考文献[12]-[30]
  • マツモトキヨシホールディングス「統合報告書 2021」沿革
    • [12]1994年3月、郊外型ドラッグストアに進出し柏市加賀にロードサイド型の柏加賀店を開業
    • [18]1995年3月、ドラッグストア売上高No.1。売上高1,017億7千8百万円、216店舗
    • [24]1996年4月、テレビコマーシャルを開始
  • 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
    • [13]郊外型は雑貨が品ぞろえの約半分、品数は都心店約8000点に対し1万5000点(1997年時点)
    • [14]郊外では中規模スーパーの近くに出店し、スーパーが扱わない医薬品・化粧品・消耗品で来店客を取り込んだ
    • [17]1997年、サンドラッグは千葉県内にも出店を進め今期30店を計画。セイジョーは郊外型店と競合する都西南部で積極出店し、価格競争が始まっていた
    • [20]1987年にモスフードサービスのフランチャイジーとしてモスバーガー新松戸店を開いたが、1992年9月に全店閉店
    • [22]スーパーは1986年20店→1997年3月末23店。1997年3月期の売上構成比はドラッグストア約61%・スーパー28%・ホームセンター10%
    • [23]スーパーは1986年20店→1997年3月末23店。1997年3月期の売上構成比はドラッグストア約61%・スーパー28%・ホームセンター10%
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [15]郊外型店の客層はほとんどが主婦
    • [19]95年3月期に会社設立から41年で売上高1000億円を突破
    • [25]年20店ほどだった新規出店を96年に50店、97年60店、98年70店とした
    • [29]都市型店に若者が集まり、郊外型でも若者客が他チェーンより15%多い。98年度広告宣伝費55億円・売上高比3.1%(ハックキミサワ1.8%、サンドラッグ1.1%)
    • [30]都市型店に若者が集まり、郊外型でも若者客が他チェーンより15%多い。98年度広告宣伝費55億円・売上高比3.1%(ハックキミサワ1.8%、サンドラッグ1.1%)
  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
    • [16]平成8年11月、ドラッグストア足利朝倉店を開店し、薬粧部門で関東全都県に出店
    • [21]平成8年4月、コンビニエンス部門を廃止し、12店舗を薬粧部門に吸収。薬粧部門は200店舗
  • 財界人 13(2) 2000年2月号「THE OPINION 衆議院議員・(株)マツモトキヨシ社長 松本和那」
    • [26]ドラッグストアの商品はどこも同じなので、入れ物である「マツモトキヨシ」自体をブランド化するためCMを徹底してきた(松本和那社長談)
  • ビジネス・インテリジェンス 12(9) 1998年9月号「岩瀬恵子のビジネストーク――マツモトキヨシ社長・衆議院議員 松本和那」
    • [27]先代の語録「目立つところ一点にだけ金を使え」がCM戦略に受け継がれている(松本和那社長談)
  • 戦略経営者 14(11) 1999年11月号「BOOKS 今月の一冊『マツモトキヨシ101の戦略』」(井村薫)
    • [28]CMも売場も普通の女の子を起用する方針。「ナンでもほしがるマミちゃん」も綺麗すぎないから採用した

1997年〜国会議員社長から南海雄社長への代表権の一本化と、地域チェーンを結集した連合

1996年、松本和那社長は千葉7区から衆議院議員に初当選し、社長と国会議員を兼ねた。1998年6月の対談では、同年秋に東証二部へ上場し1〜2年後に一部へ移る段取りを示し、その時点で社業と政治の配分を決めるとした。実際には1999年8月、二部を経ずに東京証券取引所の市場第一部へ上場した。上場の時点で店数は403店、売上高は1760億円に達し、上場を機に関東に絞ってきた出店をM&Aとフランチャイズで他地域へ広げる方針に改めた。仙台に1998年、新潟に1999年、大阪に2000年と関東の外に店を出した。国政に軸足を移す社長の個人の信用から、会社の資金調達を切り離す意味も持ったと思われる。

  • 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
    • [31]松本和那社長は1996年の衆院選で千葉7区から自民党公認で初当選
  • ビジネス・インテリジェンス 12(9) 1998年9月号「岩瀬恵子のビジネストーク――マツモトキヨシ社長・衆議院議員 松本和那」
    • [32]1998年秋に二部上場を予定し、1〜2年後に一部上場。その時点で社業と政治活動のバランスを判断する(1998年6月30日取材)
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [33]99年8月、東証2部を飛び越えて1部に上場
  • 財界人 13(2) 2000年2月号「THE OPINION 衆議院議員・(株)マツモトキヨシ社長 松本和那」
    • [34]1999年7月時点で403店・売上高1760億円。8月12日の東証一部上場を機に、全国展開の足場としてM&A・フランチャイズで他地域へ出る方針に変更
  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
    • [35]平成10年11月仙台、平成11年7月新潟、平成12年3月大阪に初出店

2001年2月、次男の松本南海雄副社長が社長に就任し、4人が持っていた代表権は南海雄氏1人に集まった。和那氏は代表権のない会長、三男の鉄男副社長は代表権のない取締役となった。それまでは南海雄氏が薬粧とホームセンター、鉄男氏がスーパーを受け持ち、互いの領域に干渉しない分担で回していた。2000年9月中間期に6年ぶりの経常減益となり、株価も同年7月の1万1350円から3400円台へ下げた。南海雄氏は、兄の出社が議員活動で月1回ほどに限られ、出店用地など社長決裁の案件が滞っていたと交代の理由を説明した。和那氏は3月末、招集手続きに瑕疵があるとして取締役会の決定は無効だと代理人を通じて主張した。新体制はスーパー24店のうち10店をドラッグストアへ移し、広告費を約20億円削減して値下げに回すとした。

  • 政界 23(7) 2001年7月号「マツモトキヨシに起きた経営者一族の内紛」(舘澤貢次)
    • [36]2001年2月3日の取締役会で松本南海雄氏が社長に就任。和那・鉄男・国行清の各氏の代表権がなくなり、代表権は南海雄氏1人に
    • [39]2000年9月中間期は初の減益。株価は2000年7月の1万1350円から3400円台へ下落
    • [40]兄は議員活動で会社に出るのは月1回程度で、新規出店用地など社長決裁の案件が滞りがちだった(全国紙インタビューでの南海雄社長談)
    • [41]和那氏は3月末、取締役会は招集手続きに瑕疵があり無効とする通知を代理人名で出した
  • 日経ビジネス 2001年4月2日号
    • [37]和那氏は代表権のない会長、鉄男副社長は代表権のない取締役に。薬粧・ホームセンターを南海雄氏、スーパーを鉄男氏が担当し、互いに干渉しなかった
    • [38]和那氏は代表権のない会長、鉄男副社長は代表権のない取締役に。薬粧・ホームセンターを南海雄氏、スーパーを鉄男氏が担当し、互いに干渉しなかった
    • [42]広告費を70億円程度から20億円程度削り値下げ原資に充てる。スーパー24店のうち10店をドラッグストアに転換(政界 2001年7月号)

2001年5月、マツモトキヨシは静岡の高田薬局と初の業務提携を結び、地域チェーンを結集する企業群づくりに入った。ジャスコ系の連合への対抗が動機で、独自商品の開発と物流・情報の共同化を掲げた。だが共同開発品の原価は共同仕入れ機構NIDの企画品より低くならず、首都圏と近畿圏向けの物流網は地方の提携先に合わなかった。2004年9月には提携先の経営者がNIDの運営を私物化だと批判し、会員8割の委任状を集めた。並行して2004年に健康家族を全株、トウブドラッグを85%取得し、2005年4月には杉浦薬品の35%を持った。2006年3月期には持株会社への移行を検討し、直営・子会社・FC・提携店を統合した販売網を広げると定めた。業務提携の緩い結び目では規模の利点を引き出せず、資本による結合を主な手段にする理由になっただろう。

  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
    • [43]平成13年5月、株式会社高田薬局(静岡県静岡市)と初の業務提携
    • [47]平成16年1月健康家族の株式100%、3月トウブドラッグの85%を取得。平成17年4月杉浦薬品と資本業務提携し35%を取得
  • 日経ビジネス 2004年10月25日号
    • [44]2001年5月、イオン・ウエルシア・ストアーズに対抗しNID内の親密企業と業務提携しグループを結成。独自商品の原価はNIDのPBより低くなく、物流共同化はほぼ進まず。2004年9月15日のNID総会で提携先が松本会長を批判し会員8割の委任状を集めた
    • [45]2001年5月、イオン・ウエルシア・ストアーズに対抗しNID内の親密企業と業務提携しグループを結成。独自商品の原価はNIDのPBより低くなく、物流共同化はほぼ進まず。2004年9月15日のNID総会で提携先が松本会長を批判し会員8割の委任状を集めた
    • [46]2001年5月、イオン・ウエルシア・ストアーズに対抗しNID内の親密企業と業務提携しグループを結成。独自商品の原価はNIDのPBより低くなく、物流共同化はほぼ進まず。2004年9月15日のNID総会で提携先が松本会長を批判し会員8割の委任状を集めた
  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【事業の状況】
    • [48]ホールディング・カンパニー制への移行を検討。直営店舗・子会社店舗(M&A)・FC店舗・業務提携店舗からなるグループの販売チャネル拡大を図る
参考文献[31]-[48]
  • 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
    • [31]松本和那社長は1996年の衆院選で千葉7区から自民党公認で初当選
  • ビジネス・インテリジェンス 12(9) 1998年9月号「岩瀬恵子のビジネストーク――マツモトキヨシ社長・衆議院議員 松本和那」
    • [32]1998年秋に二部上場を予定し、1〜2年後に一部上場。その時点で社業と政治活動のバランスを判断する(1998年6月30日取材)
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
    • [33]99年8月、東証2部を飛び越えて1部に上場
  • 財界人 13(2) 2000年2月号「THE OPINION 衆議院議員・(株)マツモトキヨシ社長 松本和那」
    • [34]1999年7月時点で403店・売上高1760億円。8月12日の東証一部上場を機に、全国展開の足場としてM&A・フランチャイズで他地域へ出る方針に変更
  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
    • [35]平成10年11月仙台、平成11年7月新潟、平成12年3月大阪に初出店
    • [43]平成13年5月、株式会社高田薬局(静岡県静岡市)と初の業務提携
    • [47]平成16年1月健康家族の株式100%、3月トウブドラッグの85%を取得。平成17年4月杉浦薬品と資本業務提携し35%を取得
  • 政界 23(7) 2001年7月号「マツモトキヨシに起きた経営者一族の内紛」(舘澤貢次)
    • [36]2001年2月3日の取締役会で松本南海雄氏が社長に就任。和那・鉄男・国行清の各氏の代表権がなくなり、代表権は南海雄氏1人に
    • [39]2000年9月中間期は初の減益。株価は2000年7月の1万1350円から3400円台へ下落
    • [40]兄は議員活動で会社に出るのは月1回程度で、新規出店用地など社長決裁の案件が滞りがちだった(全国紙インタビューでの南海雄社長談)
    • [41]和那氏は3月末、取締役会は招集手続きに瑕疵があり無効とする通知を代理人名で出した
  • 日経ビジネス 2001年4月2日号
    • [37]和那氏は代表権のない会長、鉄男副社長は代表権のない取締役に。薬粧・ホームセンターを南海雄氏、スーパーを鉄男氏が担当し、互いに干渉しなかった
    • [38]和那氏は代表権のない会長、鉄男副社長は代表権のない取締役に。薬粧・ホームセンターを南海雄氏、スーパーを鉄男氏が担当し、互いに干渉しなかった
    • [42]広告費を70億円程度から20億円程度削り値下げ原資に充てる。スーパー24店のうち10店をドラッグストアに転換(政界 2001年7月号)
  • 日経ビジネス 2004年10月25日号
    • [44]2001年5月、イオン・ウエルシア・ストアーズに対抗しNID内の親密企業と業務提携しグループを結成。独自商品の原価はNIDのPBより低くなく、物流共同化はほぼ進まず。2004年9月15日のNID総会で提携先が松本会長を批判し会員8割の委任状を集めた
    • [45]2001年5月、イオン・ウエルシア・ストアーズに対抗しNID内の親密企業と業務提携しグループを結成。独自商品の原価はNIDのPBより低くなく、物流共同化はほぼ進まず。2004年9月15日のNID総会で提携先が松本会長を批判し会員8割の委任状を集めた
    • [46]2001年5月、イオン・ウエルシア・ストアーズに対抗しNID内の親密企業と業務提携しグループを結成。独自商品の原価はNIDのPBより低くなく、物流共同化はほぼ進まず。2004年9月15日のNID総会で提携先が松本会長を批判し会員8割の委任状を集めた
  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【事業の状況】
    • [48]ホールディング・カンパニー制への移行を検討。直営店舗・子会社店舗(M&A)・FC店舗・業務提携店舗からなるグループの販売チャネル拡大を図る

1987年〜2006年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1987年09月期 単体 432 n/a 10 5 1.2% n/a
1988年09月期 単体 483 +11.8% 10 3 0.6% n/a
1989年09月期 単体 543 +12.4% 16 6 1.1% n/a
1990年09月期 単体 607 +11.8% n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 353 ▲41.8% n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 単体 723 +104.8% n/a n/a n/a n/a
1993年03月期 単体 836 +15.6% n/a n/a n/a n/a
1994年03月期 単体 901 +7.8% n/a n/a n/a n/a
1995年03月期 単体 1,017 +12.9% n/a n/a n/a n/a
1996年03月期 単体 1,114 +9.5% n/a n/a n/a n/a
1997年03月期 単体 1,271 +14.1% n/a n/a n/a n/a
1998年03月期 連結 1,508 +18.6% 75 37 2.5% n/a
1999年03月期 単体 1,762 +16.8% n/a n/a n/a n/a
2000年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2001年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
2002年03月期 連結 2,563 n/a 124 66 2.6% n/a
2003年03月期 連結 2,671 +4.2% 149 70 2.6% n/a
2004年03月期 連結 2,756 +3.2% 155 86 3.1% n/a
2005年03月期 連結 3,053 +10.8% 163 55 1.8% n/a
2006年03月期 連結 3,130 +2.5% 153 23 0.7% n/a

出所:証券業報 8(471)、実業往来 543、証券 51(10)、有価証券報告書

出典・参考

11件
出典・参考
  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【沿革】
  • マツモトキヨシ 有価証券報告書 第53期(2006年3月期)【事業の状況】
  • マツモトキヨシホールディングス「統合報告書 2021」沿革
  • 実業往来 543 1997年9月号(山岡俊介)
  • ビジネス・インテリジェンス 12(9) 1998年9月号「岩瀬恵子のビジネストーク――マツモトキヨシ社長・衆議院議員 松本和那」
  • 戦略経営者 14(11) 1999年11月号「BOOKS 今月の一冊『マツモトキヨシ101の戦略』」(井村薫)
  • 日経ビジネス 2000年1月3日号
  • 財界人 13(2) 2000年2月号「THE OPINION 衆議院議員・(株)マツモトキヨシ社長 松本和那」
  • 政界 23(7) 2001年7月号「マツモトキヨシに起きた経営者一族の内紛」(舘澤貢次)
  • 日経ビジネス 2001年4月2日号
  • 日経ビジネス 2004年10月25日号

免責事項およびポリシー