第2章 年〜年

パソナグループ:本業停滞下の多角化とパソナへの商号変更

パソナへの改称から人材交流システム機構の請負転換へ

1991年〜派遣市場の頭打ちとパソナへの商号変更

グループの売上高は1991年の1400億円を頂点に下がり始めた。1992年度は1240億円、1993年度はそこからさらに1割程度の減収が見込まれ、利用企業は1992年度の2万8000社から1993年度の2万5000社へ減った。業界全体でも派遣の総数は前の年を2桁下回り、実際の料金水準は下がっていた。1994年の業界関係者は、人材派遣業が勢い任せで伸びた時期を過ぎ、成長の鈍い成熟した産業へ移りつつあると見ていた。これは長引く平成不況のせいというより、第1次の高度成長期が終わったと捉えるほうが筋が通る。その中で登録者数は、1992年度の12万人に対して1993年度が12万2000人と、ほとんど動かなかった。国内で最も大きい規模は維持したものの、伸びは止まっていた。

  • 実業往来 1994年4月号
    • [1]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [2]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [4]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [5]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [6]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [7]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [8]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
  • 日経ビジネス 1994年2月14日号
    • [3]1992年度のグループ売上高1240億円は日本一の規模で、登録派遣スタッフは12万2000人だった
    • [9]1992年度のグループ売上高1240億円は日本一の規模で、登録派遣スタッフは12万2000人だった

1993年6月、テンポラリーセンターは商号を株式会社パソナへ改めた。創業20年を機に、旧名を使わずゼロからやり直すという意図が込められている。南部氏は1991年6月にテンポラリーグループの代表となり、改称と同時にグループの最高経営責任者へ就いた。経営の実務は社長である父の南部栄三郎氏が引き続き見て、南部靖之氏はグループ全体の方向づけと新規事業を受け持つ分担である。米国へ住まいを移して6年、ニューヨークと東京を往復しながら、人材に関する問題がどこにあるかを見る目を養うための自分への投資だと本人は説明した。日本一という位置は動かないまま、次に何をするかだけが問われていた。

  • パソナグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1993年6月にテンポラリーセンターは商号を株式会社パソナへ変更した
  • 長銀総研L 1994年
    • [11]創業20周年を機に旧名を使わずゼロからやり直すつもりで社名をパソナに改めた
  • 日経ビジネス 1994年2月14日号
    • [12]南部氏は1991年6月にテンポラリーグループ代表となり、1993年6月の改称と同時にパソナグループの最高経営責任者に就任した
    • [13]経営の実務は社長である父の南部栄三郎氏が見ており、南部靖之氏はグループ代表として全体の方向づけと新規事業を担当し、米国に住むのは人材問題を見る目を養う自分への投資だと述べた
    • [14]経営の実務は社長である父の南部栄三郎氏が見ており、南部靖之氏はグループ代表として全体の方向づけと新規事業を担当し、米国に住むのは人材問題を見る目を養う自分への投資だと述べた

値下げで需要を取る手は使わなかった。1995年のパソナは年商約1200億円、取引先約2万5000社、資本金4億9500万円という規模で、値下げに頼らずにこれを保った。不況下の1993年春、パソナは料金を3%引き上げており、他社の上げ幅が1〜2%にとどまるなかでの3%であった。料金を下げればスタッフに払う賃金が細り、仕事の質が落ちて、派遣を受ける企業の側にも得にならないというのがその理由である。そのうえで、取引先が現金を出さずに済む手立ても用意した。1993年11月に始めたバーター派遣システムでは、派遣料金の30%を目安に、食品、文具、家具、衣料、家電、OA機器、さらにホテルの宿泊券やパック旅行など取引先自身の商品で支払うことを認めた。企業にとっては、余った在庫を捌く先ができ、手元の現金を減らさずに済む。始めてから3カ月ほどで、10件の取引がまとまった。

  • 実業往来 1994年4月号
    • [15]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
    • [17]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
    • [18]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
    • [19]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
    • [20]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
    • [21]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
  • 近代企業リサーチ 1995年5月10日号「創業者の軌跡7 世界の人材派遣企業『パソナ』を創設」
    • [16]1995年時点の株式会社パソナは資本金4億9500万円、年商約1200億円、取引相手企業は約2万5000社だった
参考文献[1]-[21]
  • 実業往来 1994年4月号
    • [1]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [2]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [4]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [5]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [6]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [7]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [8]パソナグループの売上高は1991年の1400億円が最高で、1992年は1240億円、1993年度はさらに1割程度の減収見込みだった。利用企業件数は1992年度2万8000社から1993年度2万5000社へ、登録者数は12万人から12万2000人となり、業界全体の総派遣数も前年比2桁の落ち込みを見せた
    • [15]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
    • [17]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
    • [18]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
    • [19]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
    • [20]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
    • [21]料金を下げるとスタッフの賃金が減り質が落ちるとして値下げによる需要獲得を避け、1993年春に3%の料金引き上げを実現した(他社は1〜2%)。1993年11月に売り出したバーター派遣システムは派遣料金の30%を基本線に取引先の商品による現物払いを認めるもので、発売から10件が取引を開始した
  • 日経ビジネス 1994年2月14日号
    • [3]1992年度のグループ売上高1240億円は日本一の規模で、登録派遣スタッフは12万2000人だった
    • [9]1992年度のグループ売上高1240億円は日本一の規模で、登録派遣スタッフは12万2000人だった
    • [12]南部氏は1991年6月にテンポラリーグループ代表となり、1993年6月の改称と同時にパソナグループの最高経営責任者に就任した
    • [13]経営の実務は社長である父の南部栄三郎氏が見ており、南部靖之氏はグループ代表として全体の方向づけと新規事業を担当し、米国に住むのは人材問題を見る目を養う自分への投資だと述べた
    • [14]経営の実務は社長である父の南部栄三郎氏が見ており、南部靖之氏はグループ代表として全体の方向づけと新規事業を担当し、米国に住むのは人材問題を見る目を養う自分への投資だと述べた
  • パソナグループ 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1993年6月にテンポラリーセンターは商号を株式会社パソナへ変更した
  • 長銀総研L 1994年
    • [11]創業20周年を機に旧名を使わずゼロからやり直すつもりで社名をパソナに改めた
  • 近代企業リサーチ 1995年5月10日号「創業者の軌跡7 世界の人材派遣企業『パソナ』を創設」
    • [16]1995年時点の株式会社パソナは資本金4億9500万円、年商約1200億円、取引相手企業は約2万5000社だった

1992年〜海外ブランド小売と保育・教育への多角化

南部氏は、一流ブランド品が日本で高いのは流通経路が入り組んでいるためで、そこを省けば安く売れると見ていた。その考えを形にしたのが、1992年11月にパソナグループが立ち上げた海外一流ブランド品のオフプライスストア、デザイナーズコレチオーネである。アルマーニ、ベルサーチ、クリスチャンディオール、ジバンシーなどを、百貨店の同じ品より5割から7割低い値で売った。仕入れにはグループの旅行会社プレステージインターナショナルが海外20カ所に置く拠点を使い、継続して商品を確保する経路を築いた。東京・六本木の1号店は倉庫同然の簡素な店構えながら、開店直後から客が殺到して入場を絞るほどになった。1993年に多店舗化へ踏み出し、同年11月の銀座店開業で8店となり、初年度の売上は目標の30億円に対して70億円に達した。

  • 日経ビジネス 1994年2月14日号
    • [22]1992年11月に設立したデザイナーズコレチオーネは海外一流ブランド品を百貨店の5〜7割安で売る店で、六本木1号店は入場を制限するほど客が殺到し、1993年11月の銀座店開店時に8店舗、初年度目標30億円に対し実績は70億円に達した。価格差の原因を日本の流通経路と考え、旅行会社プレステージインターナショナルの海外20拠点を使って恒常的な仕入れルートを開いた
    • [23]1992年11月に設立したデザイナーズコレチオーネは海外一流ブランド品を百貨店の5〜7割安で売る店で、六本木1号店は入場を制限するほど客が殺到し、1993年11月の銀座店開店時に8店舗、初年度目標30億円に対し実績は70億円に達した。価格差の原因を日本の流通経路と考え、旅行会社プレステージインターナショナルの海外20拠点を使って恒常的な仕入れルートを開いた
    • [24]1992年11月に設立したデザイナーズコレチオーネは海外一流ブランド品を百貨店の5〜7割安で売る店で、六本木1号店は入場を制限するほど客が殺到し、1993年11月の銀座店開店時に8店舗、初年度目標30億円に対し実績は70億円に達した。価格差の原因を日本の流通経路と考え、旅行会社プレステージインターナショナルの海外20拠点を使って恒常的な仕入れルートを開いた
    • [26]1992年11月に設立したデザイナーズコレチオーネは海外一流ブランド品を百貨店の5〜7割安で売る店で、六本木1号店は入場を制限するほど客が殺到し、1993年11月の銀座店開店時に8店舗、初年度目標30億円に対し実績は70億円に達した。価格差の原因を日本の流通経路と考え、旅行会社プレステージインターナショナルの海外20拠点を使って恒常的な仕入れルートを開いた
    • [27]1992年11月に設立したデザイナーズコレチオーネは海外一流ブランド品を百貨店の5〜7割安で売る店で、六本木1号店は入場を制限するほど客が殺到し、1993年11月の銀座店開店時に8店舗、初年度目標30億円に対し実績は70億円に達した。価格差の原因を日本の流通経路と考え、旅行会社プレステージインターナショナルの海外20拠点を使って恒常的な仕入れルートを開いた
  • 実業往来 1994年4月号
    • [25]プレステージインターナショナルは海外旅行者向けに24時間日本語のトータルサポートを提供し、東京・サンフランシスコ・ロンドン間でグローバルISDNネットワークを構築していた

新しい事業を興すこと自体が理念に据えられていた。南部氏はこれをビジネス・アンド・ビルドと名づけ、企業を興すことで社会に貢献するという考えを、社会の問題点を解決するというグループの理念へ接続している。1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年には同じベンチャービジネスの経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、銀行が個人に事業資金を貸さないという問題を埋めるため、個人に限って1件1000万円から3000万円を投じ、30社近くに出資している。採算に合わず撤収した事業も少なくない。派遣で得た信用と人脈を、別の事業の立ち上げに繰り返し使う会社だった。

  • 日経ビジネス 1994年2月14日号
    • [28]南部氏はニュービジネスの創造をB&B(ビジネス・アンド・ビルド)と名づけ、1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年にベンチャービジネス経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、個人に対し1件1000万〜3000万円を30社近くに投資した。採算に合わず撤収した事業も少なくなかった
    • [29]南部氏はニュービジネスの創造をB&B(ビジネス・アンド・ビルド)と名づけ、1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年にベンチャービジネス経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、個人に対し1件1000万〜3000万円を30社近くに投資した。採算に合わず撤収した事業も少なくなかった
    • [31]南部氏はニュービジネスの創造をB&B(ビジネス・アンド・ビルド)と名づけ、1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年にベンチャービジネス経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、個人に対し1件1000万〜3000万円を30社近くに投資した。採算に合わず撤収した事業も少なくなかった
    • [32]南部氏はニュービジネスの創造をB&B(ビジネス・アンド・ビルド)と名づけ、1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年にベンチャービジネス経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、個人に対し1件1000万〜3000万円を30社近くに投資した。採算に合わず撤収した事業も少なくなかった
    • [33]南部氏はニュービジネスの創造をB&B(ビジネス・アンド・ビルド)と名づけ、1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年にベンチャービジネス経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、個人に対し1件1000万〜3000万円を30社近くに投資した。採算に合わず撤収した事業も少なくなかった
  • 実業往来 1994年4月号
    • [30]パソナグループの企業理念は社会の問題点を解決するというもので、社会貢献事業・文化創造事業・社会福祉事業の三分野に分けて活動していた

1994年には人材派遣以外の事業が売上の約3割を占めた。転職や再就職を望む女性のキャリアアップを助けるパソナカレッジは講座数が約100種、3年間でのべ2000人が受講している。企業内保育所を手がけるパソナチャイルドケアインターナショナルは、米マサチューセッツ州の企業内保育代行会社と提携して1991年7月に設立された。1989年秋に設けたパソナサンライズは従業員のほとんどが障害者で、印刷、ワープロ入力、郵便物の発送、産業マッサージを通じて障害者の雇用を広げ、敷地3000坪のアート村構想を進めた。海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点にのぼる。定年後の男性を派遣するパソナエルダー、再就職援助を手がけるパソナブライトキャリアも、この時期のグループに並んでいた。

  • 実業往来 1994年4月号
    • [34]1994年時点でパソナの人材派遣以外の事業は全体の約3割の売上を占め、パソナカレッジは講座数約100種で3年間でのべ2000人が受講、パソナチャイルドケアインターナショナルは米企業内保育代行会社との提携で1991年7月に設立、パソナサンライズは1989年秋設立で従業員のほとんどが障害者、海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点だった
    • [35]1994年時点でパソナの人材派遣以外の事業は全体の約3割の売上を占め、パソナカレッジは講座数約100種で3年間でのべ2000人が受講、パソナチャイルドケアインターナショナルは米企業内保育代行会社との提携で1991年7月に設立、パソナサンライズは1989年秋設立で従業員のほとんどが障害者、海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点だった
    • [36]1994年時点でパソナの人材派遣以外の事業は全体の約3割の売上を占め、パソナカレッジは講座数約100種で3年間でのべ2000人が受講、パソナチャイルドケアインターナショナルは米企業内保育代行会社との提携で1991年7月に設立、パソナサンライズは1989年秋設立で従業員のほとんどが障害者、海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点だった
    • [37]1994年時点でパソナの人材派遣以外の事業は全体の約3割の売上を占め、パソナカレッジは講座数約100種で3年間でのべ2000人が受講、パソナチャイルドケアインターナショナルは米企業内保育代行会社との提携で1991年7月に設立、パソナサンライズは1989年秋設立で従業員のほとんどが障害者、海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点だった
    • [38]1994年時点でパソナの人材派遣以外の事業は全体の約3割の売上を占め、パソナカレッジは講座数約100種で3年間でのべ2000人が受講、パソナチャイルドケアインターナショナルは米企業内保育代行会社との提携で1991年7月に設立、パソナサンライズは1989年秋設立で従業員のほとんどが障害者、海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点だった
  • 日経ビジネス 1994年2月14日号
    • [39]定年後の男性スペシャリスト派遣のパソナエルダー、再就職援助コンサルティングのパソナブライトキャリアなどがグループ会社に並んでいた
参考文献[22]-[39]
  • 日経ビジネス 1994年2月14日号
    • [22]1992年11月に設立したデザイナーズコレチオーネは海外一流ブランド品を百貨店の5〜7割安で売る店で、六本木1号店は入場を制限するほど客が殺到し、1993年11月の銀座店開店時に8店舗、初年度目標30億円に対し実績は70億円に達した。価格差の原因を日本の流通経路と考え、旅行会社プレステージインターナショナルの海外20拠点を使って恒常的な仕入れルートを開いた
    • [23]1992年11月に設立したデザイナーズコレチオーネは海外一流ブランド品を百貨店の5〜7割安で売る店で、六本木1号店は入場を制限するほど客が殺到し、1993年11月の銀座店開店時に8店舗、初年度目標30億円に対し実績は70億円に達した。価格差の原因を日本の流通経路と考え、旅行会社プレステージインターナショナルの海外20拠点を使って恒常的な仕入れルートを開いた
    • [24]1992年11月に設立したデザイナーズコレチオーネは海外一流ブランド品を百貨店の5〜7割安で売る店で、六本木1号店は入場を制限するほど客が殺到し、1993年11月の銀座店開店時に8店舗、初年度目標30億円に対し実績は70億円に達した。価格差の原因を日本の流通経路と考え、旅行会社プレステージインターナショナルの海外20拠点を使って恒常的な仕入れルートを開いた
    • [26]1992年11月に設立したデザイナーズコレチオーネは海外一流ブランド品を百貨店の5〜7割安で売る店で、六本木1号店は入場を制限するほど客が殺到し、1993年11月の銀座店開店時に8店舗、初年度目標30億円に対し実績は70億円に達した。価格差の原因を日本の流通経路と考え、旅行会社プレステージインターナショナルの海外20拠点を使って恒常的な仕入れルートを開いた
    • [27]1992年11月に設立したデザイナーズコレチオーネは海外一流ブランド品を百貨店の5〜7割安で売る店で、六本木1号店は入場を制限するほど客が殺到し、1993年11月の銀座店開店時に8店舗、初年度目標30億円に対し実績は70億円に達した。価格差の原因を日本の流通経路と考え、旅行会社プレステージインターナショナルの海外20拠点を使って恒常的な仕入れルートを開いた
    • [28]南部氏はニュービジネスの創造をB&B(ビジネス・アンド・ビルド)と名づけ、1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年にベンチャービジネス経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、個人に対し1件1000万〜3000万円を30社近くに投資した。採算に合わず撤収した事業も少なくなかった
    • [29]南部氏はニュービジネスの創造をB&B(ビジネス・アンド・ビルド)と名づけ、1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年にベンチャービジネス経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、個人に対し1件1000万〜3000万円を30社近くに投資した。採算に合わず撤収した事業も少なくなかった
    • [31]南部氏はニュービジネスの創造をB&B(ビジネス・アンド・ビルド)と名づけ、1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年にベンチャービジネス経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、個人に対し1件1000万〜3000万円を30社近くに投資した。採算に合わず撤収した事業も少なくなかった
    • [32]南部氏はニュービジネスの創造をB&B(ビジネス・アンド・ビルド)と名づけ、1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年にベンチャービジネス経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、個人に対し1件1000万〜3000万円を30社近くに投資した。採算に合わず撤収した事業も少なくなかった
    • [33]南部氏はニュービジネスの創造をB&B(ビジネス・アンド・ビルド)と名づけ、1994年時点のグループ会社は国内だけで30社あまり、海外を含めると100社を超えた。1985年にベンチャービジネス経営者6人とジャパン・インキュベーション・キャピタルを設立し、個人に対し1件1000万〜3000万円を30社近くに投資した。採算に合わず撤収した事業も少なくなかった
    • [39]定年後の男性スペシャリスト派遣のパソナエルダー、再就職援助コンサルティングのパソナブライトキャリアなどがグループ会社に並んでいた
  • 実業往来 1994年4月号
    • [25]プレステージインターナショナルは海外旅行者向けに24時間日本語のトータルサポートを提供し、東京・サンフランシスコ・ロンドン間でグローバルISDNネットワークを構築していた
    • [30]パソナグループの企業理念は社会の問題点を解決するというもので、社会貢献事業・文化創造事業・社会福祉事業の三分野に分けて活動していた
    • [34]1994年時点でパソナの人材派遣以外の事業は全体の約3割の売上を占め、パソナカレッジは講座数約100種で3年間でのべ2000人が受講、パソナチャイルドケアインターナショナルは米企業内保育代行会社との提携で1991年7月に設立、パソナサンライズは1989年秋設立で従業員のほとんどが障害者、海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点だった
    • [35]1994年時点でパソナの人材派遣以外の事業は全体の約3割の売上を占め、パソナカレッジは講座数約100種で3年間でのべ2000人が受講、パソナチャイルドケアインターナショナルは米企業内保育代行会社との提携で1991年7月に設立、パソナサンライズは1989年秋設立で従業員のほとんどが障害者、海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点だった
    • [36]1994年時点でパソナの人材派遣以外の事業は全体の約3割の売上を占め、パソナカレッジは講座数約100種で3年間でのべ2000人が受講、パソナチャイルドケアインターナショナルは米企業内保育代行会社との提携で1991年7月に設立、パソナサンライズは1989年秋設立で従業員のほとんどが障害者、海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点だった
    • [37]1994年時点でパソナの人材派遣以外の事業は全体の約3割の売上を占め、パソナカレッジは講座数約100種で3年間でのべ2000人が受講、パソナチャイルドケアインターナショナルは米企業内保育代行会社との提携で1991年7月に設立、パソナサンライズは1989年秋設立で従業員のほとんどが障害者、海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点だった
    • [38]1994年時点でパソナの人材派遣以外の事業は全体の約3割の売上を占め、パソナカレッジは講座数約100種で3年間でのべ2000人が受講、パソナチャイルドケアインターナショナルは米企業内保育代行会社との提携で1991年7月に設立、パソナサンライズは1989年秋設立で従業員のほとんどが障害者、海外拠点は1993年4月時点で15カ国50拠点だった

1993年〜人材交流システム機構の請負転換と規制緩和の到来

パソナが1993年5月にまとめた事業計画は、大企業の中高年サラリーマンをまず関連会社が出向で引き取り、その関連会社から改めて出向させて中小企業で働いてもらうというものだった。余剰人員を持つ大企業には1株ずつ出資を仰ぐ。資本のつながりがない会社への出向は法律上認められていないため、その関係をつくる狙いがあった。しかし労働省は、出向を二重に重ねれば誰が雇い主なのかがはっきりしなくなるとしてこの計画を認めなかった。出向と派遣を組み合わせる形に練り直しても、派遣法が想定する雇用主は1社に限られるとして退けられ、出向者の籍を移す案にも曖昧だという判断が下った。南部氏は1994年3月に派遣の形をあきらめ、出向者のチームで給与計算や人事管理など企業の一部門を丸ごと引き受ける請負へ方針を移した。1人単位で送り出せる派遣であれば4万から5万人分の職を見込めたのに対し、請負で見込めるのは約3000人にとどまり、20人以上いた営業担当も7人まで絞った。

  • 日経ビジネス 1994年5月2日号
    • [40]1993年5月に大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案を作ったが二重の出向で雇用関係があいまいとされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられ、籍を移す案も曖昧と判断された。1994年3月に請負へ切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまり、営業担当は20人以上から7人に減らした
    • [42]1993年5月に大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案を作ったが二重の出向で雇用関係があいまいとされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられ、籍を移す案も曖昧と判断された。1994年3月に請負へ切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまり、営業担当は20人以上から7人に減らした
    • [43]1993年5月に大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案を作ったが二重の出向で雇用関係があいまいとされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられ、籍を移す案も曖昧と判断された。1994年3月に請負へ切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまり、営業担当は20人以上から7人に減らした
    • [44]1993年5月に大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案を作ったが二重の出向で雇用関係があいまいとされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられ、籍を移す案も曖昧と判断された。1994年3月に請負へ切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまり、営業担当は20人以上から7人に減らした
    • [45]1993年5月に大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案を作ったが二重の出向で雇用関係があいまいとされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられ、籍を移す案も曖昧と判断された。1994年3月に請負へ切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまり、営業担当は20人以上から7人に減らした
  • 日経ビジネス 1994年2月14日号
    • [41]余剰人員を抱える大企業に1株ずつ株を保有してもらい資本関係を結ぶ仕組みで、現在の法律では資本関係のない企業への出向が禁じられていた

会計検査院は1997年と1998年の2年連続で派遣会社の社会保険加入状況を調べ、対象事業所の約3割で保険料の徴収漏れを突き止め、未納分は社会保険庁を経由して過去2年分にさかのぼって取り立てられた。急拡大した業界の裏で、派遣会社の収益の薄さが保険料の未払いという形で表に出たのである。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を払ったとみられ、大手でさえ売上高経常利益率が1〜2%程度にとどまるなかで、この負担は重かった。これに対し、売上高1260億円で業界首位のパソナを率いる南部氏は、自社は2〜3%の経常利益率を確保しており、保険料を払ってもすぐに赤字へ転じることはないと反論した。1998年の時点でパソナの営業利益率は3%から4%で、登録者の数の多さがこの低い率での経営を支えていた。

  • 日経ビジネス 1998年9月14日号
    • [46]会計検査院の1997年・1998年の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり過去2年分がさかのぼって徴収された。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられ、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度だったが、南部氏は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので即赤字にはならないと述べた
    • [47]会計検査院の1997年・1998年の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり過去2年分がさかのぼって徴収された。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられ、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度だったが、南部氏は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので即赤字にはならないと述べた
    • [48]会計検査院の1997年・1998年の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり過去2年分がさかのぼって徴収された。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられ、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度だったが、南部氏は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので即赤字にはならないと述べた
    • [49]会計検査院の1997年・1998年の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり過去2年分がさかのぼって徴収された。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられ、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度だったが、南部氏は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので即赤字にはならないと述べた
    • [50]会計検査院の1997年・1998年の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり過去2年分がさかのぼって徴収された。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられ、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度だったが、南部氏は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので即赤字にはならないと述べた
  • 日経ビジネス 1998年9月28日号
    • [51]南部氏は営業利益率について3%とか4%だがそのぐらいで十分であり、籍を置く人たちの人数が多いのでやっていけると述べた

南部氏は、国会に出ていた規制緩和法案が通って営業職なども派遣の対象になれば、件数はいずれ10倍ほどに膨らむとみていた。その前段として、人材紹介業で扱える業種の制限は1997年に原則として撤廃されている。あっせん件数はこれを境に2倍、3倍へと伸びた。南部氏にとって1998年は雇用のビッグバン元年だった。山一証券など大手が次々に倒れたのを見て、働く人々は一社に寄りかかる危うさを知ったというのが同氏の解釈である。さらに先を見れば、人を売り買いする市場は個々の才能を取引する才能市場へ移り、派遣も才能単位で切り出して送る形になると、当時の同氏は考えていた。1998年のグループ年間売上高は約1650億円、その4分の3が人材派遣から上がっている。1997年度の業界は売上1260億円のパソナを筆頭にテンプスタッフ670億円、スタッフサービス465億円と続き、大手はいずれも株式を公開していない。多額の設備投資が要らず規模を大きくする考えもない、企業版の非営利組織を目指している——南部氏は公開しない理由をそう語った。

  • 日経ビジネス 1998年9月28日号
    • [52]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
    • [53]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
    • [54]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
    • [55]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
    • [56]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
    • [58]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
  • 日経ビジネス 1998年9月14日号
    • [57]1997年度はパソナの1260億円を筆頭にテンプスタッフ670億円、スタッフサービス465億円と続き、業界大手はいずれも株式を上場していなかった
参考文献[40]-[58]
  • 日経ビジネス 1994年5月2日号
    • [40]1993年5月に大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案を作ったが二重の出向で雇用関係があいまいとされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられ、籍を移す案も曖昧と判断された。1994年3月に請負へ切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまり、営業担当は20人以上から7人に減らした
    • [42]1993年5月に大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案を作ったが二重の出向で雇用関係があいまいとされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられ、籍を移す案も曖昧と判断された。1994年3月に請負へ切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまり、営業担当は20人以上から7人に減らした
    • [43]1993年5月に大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案を作ったが二重の出向で雇用関係があいまいとされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられ、籍を移す案も曖昧と判断された。1994年3月に請負へ切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまり、営業担当は20人以上から7人に減らした
    • [44]1993年5月に大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案を作ったが二重の出向で雇用関係があいまいとされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられ、籍を移す案も曖昧と判断された。1994年3月に請負へ切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまり、営業担当は20人以上から7人に減らした
    • [45]1993年5月に大企業からの出向を中小企業へ再出向させる案を作ったが二重の出向で雇用関係があいまいとされ、出向と派遣の組み合わせも派遣法が雇用を1社に限る前提だとして退けられ、籍を移す案も曖昧と判断された。1994年3月に請負へ切り替えた結果、見込んでいた4万〜5万人規模の働き口が約3000人にとどまり、営業担当は20人以上から7人に減らした
  • 日経ビジネス 1994年2月14日号
    • [41]余剰人員を抱える大企業に1株ずつ株を保有してもらい資本関係を結ぶ仕組みで、現在の法律では資本関係のない企業への出向が禁じられていた
  • 日経ビジネス 1998年9月14日号
    • [46]会計検査院の1997年・1998年の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり過去2年分がさかのぼって徴収された。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられ、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度だったが、南部氏は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので即赤字にはならないと述べた
    • [47]会計検査院の1997年・1998年の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり過去2年分がさかのぼって徴収された。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられ、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度だったが、南部氏は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので即赤字にはならないと述べた
    • [48]会計検査院の1997年・1998年の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり過去2年分がさかのぼって徴収された。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられ、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度だったが、南部氏は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので即赤字にはならないと述べた
    • [49]会計検査院の1997年・1998年の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり過去2年分がさかのぼって徴収された。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられ、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度だったが、南部氏は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので即赤字にはならないと述べた
    • [50]会計検査院の1997年・1998年の調査で約3割の事業所に社会保険料の徴収漏れが見つかり過去2年分がさかのぼって徴収された。最大手のパソナとテンプスタッフも前年度に数億円を支払ったとみられ、大手でも売上高経常利益率は1〜2%程度だったが、南部氏は当社は2〜3%の経常利益率を上げているので即赤字にはならないと述べた
    • [57]1997年度はパソナの1260億円を筆頭にテンプスタッフ670億円、スタッフサービス465億円と続き、業界大手はいずれも株式を上場していなかった
  • 日経ビジネス 1998年9月28日号
    • [51]南部氏は営業利益率について3%とか4%だがそのぐらいで十分であり、籍を置く人たちの人数が多いのでやっていけると述べた
    • [52]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
    • [53]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
    • [54]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
    • [55]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
    • [56]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた
    • [58]1997年に人材紹介業の対象業種の制限が原則撤廃されて人材あっせん件数が2倍、3倍に増えた。南部氏は1998年を雇用のビッグバン元年と呼び、労働市場は個別の才能を売り買いする才能市場に代わり派遣業も才能派遣に変わるとみた。規制緩和の法案が通り営業職などが対象に加われば派遣件数は10倍程度に増えると見込み、グループ年間売上高約1650億円の4分の3が人材派遣からのものだった。株式を公開しない理由として多額の設備投資が不要で企業規模を大きくする考えもなく、企業版のNPOを目指していることを挙げた

1990年〜1999年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1990年05月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1991年05月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1992年05月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1993年05月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1994年05月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1995年05月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1996年05月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1997年05月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1998年05月期 連結 1,260 n/a n/a n/a n/a
1999年05月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a

出所:日経ビジネス1998/9/14

出典・参考

8件
出典・参考
  • パソナグループ 有価証券報告書【沿革】
  • 実業往来 1994年4月号
  • 日経ビジネス 1994年2月14日号
  • 日経ビジネス 1994年5月2日号
  • 日経ビジネス 1998年9月14日号
  • 日経ビジネス 1998年9月28日号
  • 長銀総研L 1994年
  • 近代企業リサーチ 1995年5月10日号「創業者の軌跡7 世界の人材派遣企業『パソナ』を創設」

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