田鍋健

積水ハウス・元取締役社長

Tanabe Ken(敬称略)

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社長就任 1963年6月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学経済学部商業学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

大阪の下町に育ち、東京帝国大学を出て日本窒素肥料に入った。熊本営業所長として肥料問屋のルート開拓に力を入れ、接待と代理店会議で商いを覚えた。1955年6月、胆石の手術を受けた積水化学工業の上野次郎男社長に後継含みで請われ、同社の取締役業務部長へ移った。1958年の建材事業本部の創設で本部長に就任し、専務まで上がった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

積水ハウス産業は1960年8月、試作住宅セキスイハウスA型の反響を受けて資本金1億円で設立され、積水化学工業が30%、新日本窒素肥料・旭化成工業など7社が各10%を出資した。1963年7月期に累積赤字が資本金に迫る9000万円へ達し、上野社長は住宅事業からの撤退を表明した。専務だった田鍋氏が「つぶすのはもったいない」と反対すると、上野社長は「そこまで言うのなら、お前が行ってやれ」と応じ、社長として送り出した。

在任中の主な施策
施策

就任後は代理店経由をやめて直売と責任施工に切り替え、営業部門を日曜出勤・水曜休日として残業手当を外勤手当へ組み替えた。生産面では滋賀工場に鉄骨と木材の加工設備を入れ、1965年11月に業界初の電着塗装を導入した。1964年7月期に発足4年目で初の黒字となり、利益は940万円だった。1970年8月に東京・大阪両証券取引所の第二部へ上場し、公募価格410円に対し初値は900円だった。 企業内企業制を導入積和不動産設立

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1936〜1992年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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