世紀東急工業:世紀建設工業の設立と東証二部上場
1950年〜大島秀信氏ら満州からの引揚者が資本金100万円で興した道路会社と、東京周辺の工事
1950年1月16日、前社長の瀬戸政章氏と大島秀信氏らが中心となり、道路建設工事を目的とする会社を設立した。発起の核は満州国から引き揚げた数名の者で、資本金100万円での出発。大島秀信氏らは旧満州国政府の役人として、ハルピンと大連を結ぶ約1,000キロの自動車専用道路の建設に携わっていた。時速120キロを目標とするこの道路の計画は、日本で高速道路の建設が始まる20年前のものだった。一行はその経験を生かし、日本にもいずれ高速道路が造られると予想して、『そのときは参画したいものとの夢を抱きつつ』会社を興した。満州での実務経験が、まだ高速道路の無い国で道路専業の会社を構える根拠になったとみられる。
- 証券 25(10) 通巻295号 1973年10月号
- [1]1950年1月16日設立。前社長瀬戸政章氏(故人)と現社長大島秀信氏らが中心となり、道路建設工事を目的に設立
- 証券アナリストジャーナル 11(10) 1973年 大島秀信
- [2]満州国からの引揚者数名を中心に資本金100万円で設立。旧満州国政府でハルピン-大連間約1,000キロ・時速120キロ目標の自動車専用道路建設に従事し、日本での高速道路建設を予想して設立
- [3]満州国からの引揚者数名を中心に資本金100万円で設立。旧満州国政府でハルピン-大連間約1,000キロ・時速120キロ目標の自動車専用道路建設に従事し、日本での高速道路建設を予想して設立
- [4]満州国からの引揚者数名を中心に資本金100万円で設立。旧満州国政府でハルピン-大連間約1,000キロ・時速120キロ目標の自動車専用道路建設に従事し、日本での高速道路建設を予想して設立
- [5]満州国からの引揚者数名を中心に資本金100万円で設立。旧満州国政府でハルピン-大連間約1,000キロ・時速120キロ目標の自動車専用道路建設に従事し、日本での高速道路建設を予想して設立
設立当初の受注は東京周辺の工事が大半を占め、年商は2,000万〜3,000万円程度だった。1951年1月には資本金を200万円へ倍増した。国の第1次道路整備5カ年計画は1954年度を初年度に2,600億円で始まり、舗装の公共発注が全国で広がった。創立以来の方針は技術第一主義で、米セダラピッド社の技術によるアスファルトプラントとフィニッシャーの原型機を業界で最初に導入した。大手建設会社の系列に入る舗装会社が多いなか、独立の経営を続けたことも特色である。大手の後ろ盾を持たない小規模の会社にとって、技術の先行で官庁の信用を得ることが受注の入口だったのだろう。
- 証券 25(10) 通巻295号 1973年10月号
- [6]設立当初は東京周辺の工事が大半。資本金は1950年1月100万円、1951年1月24日200万円(1:1割当)
- [8]設立当初は東京周辺の工事が大半。資本金は1950年1月100万円、1951年1月24日200万円(1:1割当)
- 証券アナリストジャーナル 11(10) 1973年 大島秀信
- [7]創立当初の年商2,000〜3,000万円。第1次道路整備5カ年計画は1954年度初年度2,600億円。創立以来の技術第一主義、セダラピッド型機械の原型を最初に米国から導入、大手建設会社の系列に入らず独自の道
- [9]創立当初の年商2,000〜3,000万円。第1次道路整備5カ年計画は1954年度初年度2,600億円。創立以来の技術第一主義、セダラピッド型機械の原型を最初に米国から導入、大手建設会社の系列に入らず独自の道
- [10]創立当初の年商2,000〜3,000万円。第1次道路整備5カ年計画は1954年度初年度2,600億円。創立以来の技術第一主義、セダラピッド型機械の原型を最初に米国から導入、大手建設会社の系列に入らず独自の道
- [11]創立当初の年商2,000〜3,000万円。第1次道路整備5カ年計画は1954年度初年度2,600億円。創立以来の技術第一主義、セダラピッド型機械の原型を最初に米国から導入、大手建設会社の系列に入らず独自の道
参考文献[1]-[11]
- 証券 25(10) 通巻295号 1973年10月号
- [1]1950年1月16日設立。前社長瀬戸政章氏(故人)と現社長大島秀信氏らが中心となり、道路建設工事を目的に設立
- [6]設立当初は東京周辺の工事が大半。資本金は1950年1月100万円、1951年1月24日200万円(1:1割当)
- [8]設立当初は東京周辺の工事が大半。資本金は1950年1月100万円、1951年1月24日200万円(1:1割当)
- 証券アナリストジャーナル 11(10) 1973年 大島秀信
- [2]満州国からの引揚者数名を中心に資本金100万円で設立。旧満州国政府でハルピン-大連間約1,000キロ・時速120キロ目標の自動車専用道路建設に従事し、日本での高速道路建設を予想して設立
- [3]満州国からの引揚者数名を中心に資本金100万円で設立。旧満州国政府でハルピン-大連間約1,000キロ・時速120キロ目標の自動車専用道路建設に従事し、日本での高速道路建設を予想して設立
- [4]満州国からの引揚者数名を中心に資本金100万円で設立。旧満州国政府でハルピン-大連間約1,000キロ・時速120キロ目標の自動車専用道路建設に従事し、日本での高速道路建設を予想して設立
- [5]満州国からの引揚者数名を中心に資本金100万円で設立。旧満州国政府でハルピン-大連間約1,000キロ・時速120キロ目標の自動車専用道路建設に従事し、日本での高速道路建設を予想して設立
- [7]創立当初の年商2,000〜3,000万円。第1次道路整備5カ年計画は1954年度初年度2,600億円。創立以来の技術第一主義、セダラピッド型機械の原型を最初に米国から導入、大手建設会社の系列に入らず独自の道
- [9]創立当初の年商2,000〜3,000万円。第1次道路整備5カ年計画は1954年度初年度2,600億円。創立以来の技術第一主義、セダラピッド型機械の原型を最初に米国から導入、大手建設会社の系列に入らず独自の道
- [10]創立当初の年商2,000〜3,000万円。第1次道路整備5カ年計画は1954年度初年度2,600億円。創立以来の技術第一主義、セダラピッド型機械の原型を最初に米国から導入、大手建設会社の系列に入らず独自の道
- [11]創立当初の年商2,000〜3,000万円。第1次道路整備5カ年計画は1954年度初年度2,600億円。創立以来の技術第一主義、セダラピッド型機械の原型を最初に米国から導入、大手建設会社の系列に入らず独自の道
1962年〜名神・東名の舗装で広げた全国8支店と、完工高105億円で臨んだ東証二部上場
設立時に見込んだ高速道路への参画は、1962年の名神高速道路の建設で実現した。その後の参加工事は、1967年の東名高速道路のほか、東京オリンピック関連道路や万博関連道路の大型工事に及んだ。道路投資が最も膨らんだのは1963年から1967年ごろで、舗装業界の受注が最も活発な時期にあたる。事業量の増加に合わせ、人員・機材・営業所・資本金を順に積み増した。完成工事高は1968年に42億円、1970年に70億円と推移。満州で描いた構想が国の幹線道路の整備と重なり、会社の規模を押し上げたと推察される。
- 証券アナリストジャーナル 11(10) 1973年 大島秀信
- [12]1962年名神、1967年東名の高速道路建設に参加。事業量増に応じ人員・機材・営業所・資本金を増加。1963〜1967年ごろが道路ブーム。完工高1968年42億円、1970年70億円
- [13]1962年名神、1967年東名の高速道路建設に参加。事業量増に応じ人員・機材・営業所・資本金を増加。1963〜1967年ごろが道路ブーム。完工高1968年42億円、1970年70億円
- [15]1962年名神、1967年東名の高速道路建設に参加。事業量増に応じ人員・機材・営業所・資本金を増加。1963〜1967年ごろが道路ブーム。完工高1968年42億円、1970年70億円
- [16]1962年名神、1967年東名の高速道路建設に参加。事業量増に応じ人員・機材・営業所・資本金を増加。1963〜1967年ごろが道路ブーム。完工高1968年42億円、1970年70億円
- [17]1962年名神、1967年東名の高速道路建設に参加。事業量増に応じ人員・機材・営業所・資本金を増加。1963〜1967年ごろが道路ブーム。完工高1968年42億円、1970年70億円
- 証券 25(10) 通巻295号 1973年10月号
- [14]名神高速道路・東京オリンピック関連道路・東名高速道路・万博関連道路などの大型工事に参加
受注は道路公団に加えて各地方自治体からも増え、全国に営業の基盤を持つに至った。1973年時点の営業機関は札幌から福岡までの8支店を含む34か所で、アスファルトプラントも全国34か所に置いた。成田空港の滑走路や、電源開発が発注した沼原発電所のダムのり面の舗装も手がけた。ダムや貯水池の斜面防水では米ガルフシール社と技術提携した工法を持ち、大阪万博会場の人工池にも採用された。1972年の完成工事高は105億円に達し、舗装を主体とする全国140〜150社のなかでシェア8位を占めた。一方で官公庁工事が完成工事高の82.9%を占め、民間工事は17.1%にとどまった。
- 証券 25(10) 通巻295号 1973年10月号
- [18]設立後、道路公団のほか各地方自治体からの受注が増え全国的な営業基盤を持つ。1972年12月期の受注先別完工高は官公庁82.9%、民間17.1%(類似会社40.0%)
- [23]設立後、道路公団のほか各地方自治体からの受注が増え全国的な営業基盤を持つ。1972年12月期の受注先別完工高は官公庁82.9%、民間17.1%(類似会社40.0%)
- 証券アナリストジャーナル 11(10) 1973年 大島秀信
- [19]1973年時点で8支店・8営業所・17出張所の計34営業機関、アスファルトプラント34か所。成田空港滑走路、電源開発発注の沼原発電所ダムのり面工事。米ガルフシール社と技術提携、万博会場人工池。1972年完工高105億円、舗装主体140〜150社中シェア8位
- [20]1973年時点で8支店・8営業所・17出張所の計34営業機関、アスファルトプラント34か所。成田空港滑走路、電源開発発注の沼原発電所ダムのり面工事。米ガルフシール社と技術提携、万博会場人工池。1972年完工高105億円、舗装主体140〜150社中シェア8位
- [21]1973年時点で8支店・8営業所・17出張所の計34営業機関、アスファルトプラント34か所。成田空港滑走路、電源開発発注の沼原発電所ダムのり面工事。米ガルフシール社と技術提携、万博会場人工池。1972年完工高105億円、舗装主体140〜150社中シェア8位
- [22]1973年時点で8支店・8営業所・17出張所の計34営業機関、アスファルトプラント34か所。成田空港滑走路、電源開発発注の沼原発電所ダムのり面工事。米ガルフシール社と技術提携、万博会場人工池。1972年完工高105億円、舗装主体140〜150社中シェア8位
1973年9月、世紀建設は東京証券取引所市場第二部に上場した。上場に先立つ9月1日には300万株を1株400円で公募し、資本金は4億5,000万円になった。1972年12月期の流動比率は92.6%、固定比率は147.0%で、類似会社の143.0%と59.7%を大きく下回る水準。設備投資の大半を銀行の短期借入金でまかなってきたことが主因で、会社は資金政策を改めて運転資金の余裕を確保する方針を示した。1971年12月期には一括外注の増加と砕石・砂の高騰が重なり、当期純利益は2億6,700万円と前期比5.6%減った。上場直後の1973年9月21日には、日本証券アナリスト協会の企業分析部会で社長の大島秀信氏による講演の場が設けられた。大手の系列に属さない会社が設備資金を自ら手当てする必要が、株式の公開を促したと考えられる。
- 証券 25(10) 通巻295号 1973年10月号
- [24]上場年月(1973年9月)、市場第二部。1973年9月1日に300万株を1株400円で公募し資本金4億5,000万円。1972年12月期の流動比率92.6%・固定比率147.0%(類似会社143.0%・59.7%)、原因は設備投資の大半を銀行短期借入金で賄う資金政策で、会社は改める方針。1971年12月期純利益2億6,700万円・5.6%減益(一括外注増・砕石砂の高騰)
- [25]上場年月(1973年9月)、市場第二部。1973年9月1日に300万株を1株400円で公募し資本金4億5,000万円。1972年12月期の流動比率92.6%・固定比率147.0%(類似会社143.0%・59.7%)、原因は設備投資の大半を銀行短期借入金で賄う資金政策で、会社は改める方針。1971年12月期純利益2億6,700万円・5.6%減益(一括外注増・砕石砂の高騰)
- [26]上場年月(1973年9月)、市場第二部。1973年9月1日に300万株を1株400円で公募し資本金4億5,000万円。1972年12月期の流動比率92.6%・固定比率147.0%(類似会社143.0%・59.7%)、原因は設備投資の大半を銀行短期借入金で賄う資金政策で、会社は改める方針。1971年12月期純利益2億6,700万円・5.6%減益(一括外注増・砕石砂の高騰)
- [27]上場年月(1973年9月)、市場第二部。1973年9月1日に300万株を1株400円で公募し資本金4億5,000万円。1972年12月期の流動比率92.6%・固定比率147.0%(類似会社143.0%・59.7%)、原因は設備投資の大半を銀行短期借入金で賄う資金政策で、会社は改める方針。1971年12月期純利益2億6,700万円・5.6%減益(一括外注増・砕石砂の高騰)
- [28]上場年月(1973年9月)、市場第二部。1973年9月1日に300万株を1株400円で公募し資本金4億5,000万円。1972年12月期の流動比率92.6%・固定比率147.0%(類似会社143.0%・59.7%)、原因は設備投資の大半を銀行短期借入金で賄う資金政策で、会社は改める方針。1971年12月期純利益2億6,700万円・5.6%減益(一括外注増・砕石砂の高騰)
- 証券アナリストジャーナル 11(10) 1973年 大島秀信
- [29]日本証券アナリスト協会企業分析部会(1973年9月21日・東京)での大島秀信社長の講演要旨
参考文献[12]-[29]
- 証券アナリストジャーナル 11(10) 1973年 大島秀信
- [12]1962年名神、1967年東名の高速道路建設に参加。事業量増に応じ人員・機材・営業所・資本金を増加。1963〜1967年ごろが道路ブーム。完工高1968年42億円、1970年70億円
- [13]1962年名神、1967年東名の高速道路建設に参加。事業量増に応じ人員・機材・営業所・資本金を増加。1963〜1967年ごろが道路ブーム。完工高1968年42億円、1970年70億円
- [15]1962年名神、1967年東名の高速道路建設に参加。事業量増に応じ人員・機材・営業所・資本金を増加。1963〜1967年ごろが道路ブーム。完工高1968年42億円、1970年70億円
- [16]1962年名神、1967年東名の高速道路建設に参加。事業量増に応じ人員・機材・営業所・資本金を増加。1963〜1967年ごろが道路ブーム。完工高1968年42億円、1970年70億円
- [17]1962年名神、1967年東名の高速道路建設に参加。事業量増に応じ人員・機材・営業所・資本金を増加。1963〜1967年ごろが道路ブーム。完工高1968年42億円、1970年70億円
- [19]1973年時点で8支店・8営業所・17出張所の計34営業機関、アスファルトプラント34か所。成田空港滑走路、電源開発発注の沼原発電所ダムのり面工事。米ガルフシール社と技術提携、万博会場人工池。1972年完工高105億円、舗装主体140〜150社中シェア8位
- [20]1973年時点で8支店・8営業所・17出張所の計34営業機関、アスファルトプラント34か所。成田空港滑走路、電源開発発注の沼原発電所ダムのり面工事。米ガルフシール社と技術提携、万博会場人工池。1972年完工高105億円、舗装主体140〜150社中シェア8位
- [21]1973年時点で8支店・8営業所・17出張所の計34営業機関、アスファルトプラント34か所。成田空港滑走路、電源開発発注の沼原発電所ダムのり面工事。米ガルフシール社と技術提携、万博会場人工池。1972年完工高105億円、舗装主体140〜150社中シェア8位
- [22]1973年時点で8支店・8営業所・17出張所の計34営業機関、アスファルトプラント34か所。成田空港滑走路、電源開発発注の沼原発電所ダムのり面工事。米ガルフシール社と技術提携、万博会場人工池。1972年完工高105億円、舗装主体140〜150社中シェア8位
- [29]日本証券アナリスト協会企業分析部会(1973年9月21日・東京)での大島秀信社長の講演要旨
- 証券 25(10) 通巻295号 1973年10月号
- [14]名神高速道路・東京オリンピック関連道路・東名高速道路・万博関連道路などの大型工事に参加
- [18]設立後、道路公団のほか各地方自治体からの受注が増え全国的な営業基盤を持つ。1972年12月期の受注先別完工高は官公庁82.9%、民間17.1%(類似会社40.0%)
- [23]設立後、道路公団のほか各地方自治体からの受注が増え全国的な営業基盤を持つ。1972年12月期の受注先別完工高は官公庁82.9%、民間17.1%(類似会社40.0%)
- [24]上場年月(1973年9月)、市場第二部。1973年9月1日に300万株を1株400円で公募し資本金4億5,000万円。1972年12月期の流動比率92.6%・固定比率147.0%(類似会社143.0%・59.7%)、原因は設備投資の大半を銀行短期借入金で賄う資金政策で、会社は改める方針。1971年12月期純利益2億6,700万円・5.6%減益(一括外注増・砕石砂の高騰)
- [25]上場年月(1973年9月)、市場第二部。1973年9月1日に300万株を1株400円で公募し資本金4億5,000万円。1972年12月期の流動比率92.6%・固定比率147.0%(類似会社143.0%・59.7%)、原因は設備投資の大半を銀行短期借入金で賄う資金政策で、会社は改める方針。1971年12月期純利益2億6,700万円・5.6%減益(一括外注増・砕石砂の高騰)
- [26]上場年月(1973年9月)、市場第二部。1973年9月1日に300万株を1株400円で公募し資本金4億5,000万円。1972年12月期の流動比率92.6%・固定比率147.0%(類似会社143.0%・59.7%)、原因は設備投資の大半を銀行短期借入金で賄う資金政策で、会社は改める方針。1971年12月期純利益2億6,700万円・5.6%減益(一括外注増・砕石砂の高騰)
- [27]上場年月(1973年9月)、市場第二部。1973年9月1日に300万株を1株400円で公募し資本金4億5,000万円。1972年12月期の流動比率92.6%・固定比率147.0%(類似会社143.0%・59.7%)、原因は設備投資の大半を銀行短期借入金で賄う資金政策で、会社は改める方針。1971年12月期純利益2億6,700万円・5.6%減益(一括外注増・砕石砂の高騰)
- [28]上場年月(1973年9月)、市場第二部。1973年9月1日に300万株を1株400円で公募し資本金4億5,000万円。1972年12月期の流動比率92.6%・固定比率147.0%(類似会社143.0%・59.7%)、原因は設備投資の大半を銀行短期借入金で賄う資金政策で、会社は改める方針。1971年12月期純利益2億6,700万円・5.6%減益(一括外注増・砕石砂の高騰)
出典・参考
2件
- 証券 25(10) 通巻295号 1973年10月号
- 証券アナリストジャーナル 11(10) 1973年 大島秀信