スクウェア・エニックス・ホールディングス の歴史

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創業 1980年
創業者 福嶋康博
創業地 東京都渋谷区
創業
1980年2月、福嶋康博氏が東京都港区虎ノ門に資本金500万円で株式会社営団社不動産を設立した。事業目的は不動産の売買と仲介で、ゲームではない。福嶋氏は1975年に公団住宅の空き室情報誌を扱う営団社募集サービスセンターを起こした人物で、情報を集めて売る商売から出てきている。1981年8月に営団社システムへ商号を変更してパソコン向けソフトへ参入し、1982年8月にエニックスへ改めた。同じ1982年の『ゲーム・ホビープログラムコンテスト』で堀井雄二氏や中村光一氏を見つけ、社内に開発部門を置かず外部の作者へ委託する形を採った。1986年5月の『ドラゴンクエスト』は脚本も開発もキャラクターも音楽も社外の手によるもので、エニックス自身は企画統括と販売に徹した。
決断
開発を持たない会社が世界に開発拠点を抱え、13年で譲渡した。2001年公開の映画『ファイナルファンタジー』が失敗し、スクウェアは2002年3月期に約139億円の特別損失を計上した。2002年11月、経営再建を迫られたスクウェアを吸収合併し、2003年4月に合併比率1対0.85でエニックスを存続会社として統合する。固定費の軽かったエニックスが、内製スタジオと開発費を引き受けた。和田洋一社長は少数株主を残さない「100%保有戦略」を掲げ、2009年4月に英Eidos plcを8,430万ポンドで完全子会社化した。だが海外スタジオの運営費は固定費を恒常的に押し上げ、2022年8月、Crystal Dynamicsなど欧米のスタジオと関連IPを3億米ドルでEmbracer Groupへ譲渡する。外の作者に作らせていた頃の身軽さへ戻すのに、13年と220億円の廃棄損を要した。
現況
利益率が最も高いのは、ゲームを作る事業ではなく権利を貸す事業である。2026年3月期の連結売上高は2,976億円、営業利益547億円、純利益296億円だった。売上はデジタルエンタテインメント1,728億円、アミューズメント715億円、出版296億円、ライツ・プロパティ等235億円で、利益率はライツ・プロパティ等が47.7%、出版が33.2%、デジタルエンタテインメントが25.1%である。2005年9月にタイトーを公開買付けで完全子会社化して加えたアミューズメントは、売上で2番目でありながら利益率12.4%と最も低い。ゲーム本体の売上はFY21の2,796億円から4年で6割の水準へ縮んだが、営業利益は593億円から547億円までしか減っていない。作品を貸す事業と店舗を持つ事業が、開発の振れを吸収している。
競合
収益が最も安定しているのは、一度サービスが崩壊したオンラインゲームである。2010年9月に公開した『ファイナルファンタジーXIV』は利用者が離れ、和田洋一社長は失敗を公に認めて吉田直樹氏を起用して全面的に作り直した。2013年8月に作り直して再公開して以降、月額課金の収入は新作の発売年に左右されない収益源になった。売り切りのHDゲームは開発費の回収が発売年に集中し、2023年1月の『FORSPOKEN』をはじめ主力作が期待に達せず、2024年3月期のHDゲームは営業損失81億円を計上している。カプコンは内製エンジンとデジタル販売へ構造を移し、同じ作品を長く売り続ける形へ移した。スクウェア・エニックスは2024年から発売本数を絞り、2024年11月の『ドラゴンクエストIII リメイク』でHDゲームを黒字化した。
スクウェア・エニックス・ホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 開発スタジオを持たないエニックスがドラゴンクエストを生んだ理由 (1980年〜)

不動産会社として登記された出版社的ゲームメーカーの出自

1980年2月、福嶋康博氏は東京都港区虎ノ門[1]に資本金500万円で株式会社営団社不動産を設立した[2]。社名のとおり当初の事業目的は不動産売買と仲介で[3]、ゲーム事業ではなかった。1981年8月に株式会社営団社システムへ商号変更[4]してパソコン向けソフトウェア事業へ参入し、1982年8月にエニックスへ改称した[5]。福嶋氏は1970年に日本大学理工学部を卒業したのち就職せずに米国やアジアを旅行し、帰国後の1975[6]年には公団住宅の空き室情報誌を扱う営団社募集サービスセンターを立ち上げていた。情報を集めて束ね、売る仕事から出てきた経営者であり、その来歴は後の事業設計に直結する選択につながった。すなわちエニックスはゲーム開発スタジオを社内に持たず、社外のクリエイターから企画を集めて出版する出版社モデルでビジネスを設計した。

  • 会社沿革(公式IR)
    • [1]創業者は福嶋康博
  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1980年2月 ㈱営団社不動産を設立(資本金500万円)
    • [3]当初の事業目的は不動産売買・仲介
    • [4]1981年8月 ㈱営団社システムへ商号変更
    • [5]1982年8月 ㈱エニックスへ商号変更
  • 日経ビジネス 2000年4月24日号
    • [6]福嶋康博氏は1970年に日本大学理工学部を卒業後、就職せず米国やアジアを旅行し、1975年に公団住宅の空き室情報誌を発行する営団社募集サービスセンターを設立

象徴的な意思決定が1982年に実施した『ゲーム・ホビープログラムコンテスト[7]』である。応募作の中から堀井雄二氏(『ドラゴンクエスト』原作者)・中村光一氏(チュンソフト創業者)・森田和郎氏らを発掘し、彼らに開発を委託する形でファミリーコンピュータ向けゲームの出版を始めた。1986年5月に発売した『ドラゴンクエスト』[8]は堀井氏の脚本・中村氏のチュンソフトによる開発・鳥山明氏のキャラクターデザイン・すぎやまこういち氏の音楽という外部クリエイター陣による共同制作で、エニックス自身は企画統括・販売・マーケティングを担うプロデューサーに徹した。社内にプログラマーを抱えないこの経営は、開発部門の固定費を負わずに済む点でエニックスの事業モデルの基本に据えられた。

  • 会社沿革(公式IR)
    • [7]1982年 ゲーム・ホビープログラムコンテストを開催
    • [8]1986年5月 『ドラゴンクエスト』発売

このプロデューサー型は同時代の競合と一線を画す経営でもあった。1986年9月に独立したスクウェアは[9]社内に開発部門を抱える内製モデルで『ファイナルファンタジー』を1987年に投入し[10]、ナムコ・コナミ・カプコンも社内に開発部門を持つ製造業型だった。エニックスだけが社外IP・社外開発に依存する出版社型の経営で歩み、固定費の軽さで他社の不振期にも黒字を保った。1991年2月に日本証券業協会の店頭登録銘柄として上場[11]、1999年8月に東証一部上場と資本市場[12]との接続を段階を踏んで進めた。

  • 会社沿革(公式IR)
    • [9]1986年9月 スクウェア独立(設立)
    • [10]1987年 『ファイナルファンタジー』発売
  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [11]1991年2月 日本証券業協会に店頭登録
    • [12]1999年8月 東証一部上場
  • 会社沿革(公式IR)
    • [1]創業者は福嶋康博
    • [7]1982年 ゲーム・ホビープログラムコンテストを開催
    • [8]1986年5月 『ドラゴンクエスト』発売
    • [9]1986年9月 スクウェア独立(設立)
    • [10]1987年 『ファイナルファンタジー』発売
  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [2]1980年2月 ㈱営団社不動産を設立(資本金500万円)
    • [3]当初の事業目的は不動産売買・仲介
    • [4]1981年8月 ㈱営団社システムへ商号変更
    • [5]1982年8月 ㈱エニックスへ商号変更
    • [11]1991年2月 日本証券業協会に店頭登録
    • [12]1999年8月 東証一部上場
  • 日経ビジネス 2000年4月24日号
    • [6]福嶋康博氏は1970年に日本大学理工学部を卒業後、就職せず米国やアジアを旅行し、1975年に公団住宅の空き室情報誌を発行する営団社募集サービスセンターを設立

FFとDQの2大IPを1社に統合した2003年合併と内製モデルの取り込み

スクウェア・エニックス両社の合併交渉は、2001年7月公開の映画『ファイナルファンタジー』が興行的に失敗したスクウェアの財務危機を契機に始まった。スクウェアの内製モデルは家庭用ゲーム機向け開発投資が先行するため当たり外れの振れ幅が広く、映画事業の失敗で2002年3月期に約139億円の特別損失を計上して経営再建を迫られた。[13]一方のエニックスは出版社型の身軽な体質で安定した黒字を維持しており、両社は補完関係を成立させる組み合わせにあたった。合併に際してエニックス側が主導権を握る形で交渉が進み、合併比率1(エニックス)対0.85(スクウェア)[14]で着地した。

  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書
    • [13]スクウェア 2002年3月期(平成14年3月期)に約139億円の特別損失を計上
    • [14]合併比率 1(エニックス):0.85(スクウェア)

2003年4月1日、エニックスを存続会社としてスクウェア[15]を吸収合併し、商号を株式会社スクウェア・エニックスへ変更した。代表取締役社長には旧エニックス側の和田洋一氏が就任し[16]、福嶋氏は代表取締役を退いた。両社の合併で『ファイナルファンタジー』(FF)と『ドラゴンクエスト』(DQ)という日本のRPGを代表する2大IPが1[17]社の傘下に揃い、世界のゲーム業界でも稀有なIPポートフォリオを保有する企業が誕生した。和田洋一社長は合併後、IPを軸にエンタテインメント業界の世界メジャーを狙う方針を掲げ、FF・DQの2大IPを起点としたグローバル展開を進めた。

  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [15]2003年4月1日 エニックスを存続会社にスクウェアを吸収合併し㈱スクウェア・エニックスへ商号変更
    • [16]合併後の代表取締役社長は旧エニックス側の和田洋一
    • [17]合併でFF(旧スクウェア)とDQ(旧エニックス)の2大IPが1社に統合

合併直後の同社は旧スクウェア側の内製スタジオを取り込んだことで開発機能を社内に抱える形に変わり、エニックス時代の出版社モデルから内製・外注を併用するハイブリッドへ移行した。ただし内製比率の上昇は固定費の増加を伴い、ヒットがなければ赤字に転落する構造リスクも同時に取り込んだ。合併で得たのは2大IPの統合と内製能力の獲得という資産だったが、その代償として開発費の高止まりと業績ボラティリティを抱える企業へと変質した。後の和田氏・松田氏・桐生氏の3代にわたる経営課題は、すべてこの2003年合併で取り込んだ内製モデルの収益化と、海外IP・海外スタジオの活用方法に集約される。

  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書
    • [13]スクウェア 2002年3月期(平成14年3月期)に約139億円の特別損失を計上
    • [14]合併比率 1(エニックス):0.85(スクウェア)
  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [15]2003年4月1日 エニックスを存続会社にスクウェアを吸収合併し㈱スクウェア・エニックスへ商号変更
    • [16]合併後の代表取締役社長は旧エニックス側の和田洋一
    • [17]合併でFF(旧スクウェア)とDQ(旧エニックス)の2大IPが1社に統合

2005年タイトー子会社化が広げたアミューズメントの第二の柱

2005年9月、スクウェア・エニックスは1953年設立のアミューズメント業界[18]の老舗である株式会社タイトー(旧東証一部上場)を連結子会社化し、2006年3月に完全子会社化した[19]。タイトーは『スペースインベーダー』を1978[20]年に世に出した会社で、ゲームセンター運営とアーケード機器の販売・レンタル事業を全国規模で展開しており、コンテンツIPだけに依存していたスクウェア・エニックスにとってリアル店舗網と業務用機器という新たな収益源を獲得する買収だった。同時期の競合バンダイナムコ(2005年9月統合)[21]もアミューズメント施設とIP双方を抱える垂直統合企業として登場しており、業界の集約と垂直統合が並行して進んだ。

タイトー買収をきっかけに、和田洋一社長はM&Aを通じた事業領域・地域の拡張を経営戦略の柱に据えた。2008年10月、純粋持株会社体制へ移行して株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングスを設立し[22]、ゲーム事業(スクウェア・エニックス)・アミューズメント事業(タイトー)・出版事業(エニックスのコミック領域を継承)・ライツプロパティ事業の4セグメント体制を組んだ[23]。持株会社化は事業ごとに異なる戦略・KPI・人事制度を運用する目的で実施され、ゲーム事業と店舗事業という異質な事業を1つの法人内で運営する難しさを組織分離で吸収する設計を採用した。

  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [22]2008年10月 純粋持株会社体制へ移行し㈱スクウェア・エニックス・ホールディングスを設立
  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2015年3月期)
    • [23]持株会社移行に伴い4セグメント体制(ゲーム・アミューズメント・出版・ライツプロパティ)を編成

しかし4セグメント体制の収益構造は均衡からはほど遠かった。FY14(2015年3月期)の連結売上高1,679億円のうちデジタルエンタテインメント事業が1,118億円(67%)を占め、アミューズメント事業は407億円(24%)にとどまった。タイトー単体は店舗運営の固定費と機器投資の重さで利益率が低く、グループの収益性はゲーム事業の出来に依存する構造が残った。垂直統合の理念は明示されたが、ゲーム事業の浮き沈みをアミューズメント事業が緩衝する設計には届かず、両事業の独立した経営が並走する状態が継続した。

  • 会社沿革(公式IR)
    • [18]タイトーは1953年設立
    • [20]タイトーは『スペースインベーダー』を1978年に発売
  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [19]2005年9月 ㈱タイトーを連結子会社化/2006年3月 完全子会社化
    • [22]2008年10月 純粋持株会社体制へ移行し㈱スクウェア・エニックス・ホールディングスを設立
    • [21]競合バンダイナムコが2005年9月に経営統合(持株会社設立)
  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2015年3月期)
    • [23]持株会社移行に伴い4セグメント体制(ゲーム・アミューズメント・出版・ライツプロパティ)を編成

Eidos買収と「100%保有戦略」が広げたコンソール開発の海外シフト

2009年4月、同社は英国の独立系ゲーム会社Eidos plcを完全子会社化した[24]。Eidosは『トゥームレイダー』『ヒットマン』『デウスエクス』等の人気IPを保有し[25]、傘下にCrystal Dynamics(米国)・IO Interactive(デンマーク、後の独立)・Eidos Montreal(カナダ)等の開発スタジオを抱える企業で、買収額は1株32ペンス・総額8,430万ポンド(約121億円)だった[26]和田洋一社長は『100%保有戦略』を明示し、海外のIPと開発スタジオを過半数ではなく完全子会社化する形で取り込むM&A方針を採用した。これは少数株主の権利調整に煩わされず、IP・スタジオの経営判断を本社主導で速く動かせる利点を狙った設計だった。

  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [24]2009年4月 英Eidos plcを完全子会社化
    • [25]Eidosは『トゥームレイダー』『ヒットマン』『デウスエクス』等のIPを保有
    • [26]Eidos買収額は1株32ペンス・総額約8,430万ポンド(約121億円)

Eidos買収で同社が手にしたのは欧米市場向けのコンソールタイトル開発能力と、洋ゲーIPのポートフォリオである。FF・DQという日本発IPだけに依存していた事業構造に対し、欧米クリエイターによる欧米向けタイトルという第二の開発軸を加える狙いだった。買収後、Crystal Dynamicsが『トゥームレイダー』のリブートを2013年3月に投入[27]して全世界850万本を売り上げる成果を出した一方[28]、開発期間と開発費は日本の倍以上を要し、欧米スタジオの運営コストはグループの固定費を恒常的に押し上げた。買収以前の発想では海外IPのライセンス収入を取りに行く程度の関与で済んだが、100%保有では赤字スタジオまで本社が抱え込み、業績変動性の上振れと下振れを両方とも自社で受け止める仕組みへ移行した。

  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書
    • [27]Crystal Dynamicsが『トゥームレイダー』リブートを2013年3月に投入
    • [28]『トゥームレイダー』リブートは全世界850万本

100%保有戦略の代償はFY12(2013年3月期)に最初に顕在化した。和田洋一社長体制最後の決算となったこの期、同社は経常損失44億円・親会社株主に帰属する当期純利益マイナス137億円を計上した。海外スタジオののれん減損とコンテンツ制作勘定の評価減が主因で、買収から3年半で初の本格的な赤字決算となった。和田洋一社長は2013年6月に退任して松田洋祐氏が代表取締役社長に就任[29]し、合併後初の社長交代となった。松田社長は2013年12月18日のファミ通.comインタビューで『ネットワーク化、オンラインゲーム化というのは、いまよりもっと進んでいくでしょう。そんな中で我々としては、"スクウェア・エニックスらしいゲーム"を出していかなければならない』[引用元]と述べ、内製IPを軸に据えた立て直しの方向性を示した。[30]

  • 会社沿革(公式IR)
    • [29]2013年6月 和田洋一が退任し松田洋祐が代表取締役社長に就任(合併後初の社長交代)
  • ファミ通.com(2013年12月18日)
    • [30]松田社長の発言(2013年12月18日 ファミ通.comインタビュー)
  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
    • [24]2009年4月 英Eidos plcを完全子会社化
    • [25]Eidosは『トゥームレイダー』『ヒットマン』『デウスエクス』等のIPを保有
    • [26]Eidos買収額は1株32ペンス・総額約8,430万ポンド(約121億円)
  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書
    • [27]Crystal Dynamicsが『トゥームレイダー』リブートを2013年3月に投入
    • [28]『トゥームレイダー』リブートは全世界850万本
  • 会社沿革(公式IR)
    • [29]2013年6月 和田洋一が退任し松田洋祐が代表取締役社長に就任(合併後初の社長交代)
  • ファミ通.com(2013年12月18日)
    • [30]松田社長の発言(2013年12月18日 ファミ通.comインタビュー)

松田社長体制でのスマートデバイス参入と業績の回復

松田社長が取り組んだ最初の課題は、コンテンツ制作勘定の管理強化とポートフォリオの分散だった。FY13(2014年3月期)以降、同社は家庭用ゲーム機向けタイトルだけに依存する収益構造を改め、スマートフォン向けゲームを第三の柱として位置付けた。『ドラゴンクエストモンスターズ スーパーライト』(2014[31]年)・『FFブレイブエクスヴィアス』(2015[32]年)等のスマートデバイス向け運営型タイトルを連続投入し、家庭用ゲーム機の主力タイトル発売年に依存しない月次収益を獲得する設計に改めた。スマートデバイス事業は月次の運用課金収益が積み上がる構造で、家庭用ゲーム機タイトルの発売間隔に左右されない収益ストックを生む位置付けに据えた。

  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書
    • [31]『ドラゴンクエストモンスターズ スーパーライト』を2014年に配信
    • [32]『FFブレイブエクスヴィアス』を2015年に配信

スマートデバイス戦略は当面の業績改善に寄与し、FY15(2016年3月期)の連結売上高は2,141億円・営業利益260億円へ前期比それぞれ27%・59%増の伸びを記録した。FY17(2018年3月期)には売上高2,504億円・営業利益382億円へ拡大し、合併以降の最高水準に到達した。この時期は『ファイナルファンタジーXIV』のMMO収益の安定化と、『ドラゴンクエストXI』(2017年7月発売)[33]等の家庭用ゲーム機向け新作タイトルのヒットが重なり、3つのサブセグメント(HDゲーム・MMO・スマートデバイス)が同時に稼ぐ多角化の効果が出た期となった。

  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書
    • [33]『ドラゴンクエストXI』を2017年7月に発売

ただしこの好業績期にあっても海外スタジオの収益性は本社水準には届かず、Crystal Dynamics・Eidos Montrealは新作タイトル発売年と非発売年の振れ幅が広い運営を続けた。松田社長は内製HDゲームを『スクウェア・エニックスらしい』ブランドの中核に据える方針を貫き、海外スタジオを売却する選択は当面取らなかった。後にこの判断は2022年の海外パブリッシング機能再編で撤回される[34]。100%保有戦略を取り込んだままスマートデバイスで業績の凸凹を平準化するという松田社長体制の構想は、コロナ禍で一時的に達成されるものの、HDゲームの内製偏重と外部依存の混在という構造的な問題は2020年代後半まで先送りされた。

  • FY22通期決算説明会
    • [34]2022年に海外パブリッシング機能を再編(Embracerへの海外スタジオ・IP譲渡)
  • スクウェア・エニックス・ホールディングス 有価証券報告書
    • [31]『ドラゴンクエストモンスターズ スーパーライト』を2014年に配信
    • [32]『FFブレイブエクスヴィアス』を2015年に配信
    • [33]『ドラゴンクエストXI』を2017年7月に発売
  • FY22通期決算説明会
    • [34]2022年に海外パブリッシング機能を再編(Embracerへの海外スタジオ・IP譲渡)

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スクウェア・エニックス・ホールディングスの沿革1975〜2022年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
営団社募集サービスセンターを設立
1980〜2002年開発スタジオを持たないエニックスがドラゴンクエストを生んだ理由営団社不動産を設立
商号を営団社システムに変更
開発部門を持たない出版社型モデルの採用と、外部作者との提携

1980年に不動産会社として設立された会社が、1981年にパソコンソフト事業へ入り、1982年8月にエニックスへ商号を変更した。福嶋康博社長は社内にプログラム部門を置かず、公募で見つけた社外の作者に開発を委ね、売り上げに応じた著作権料を支払う出版社型の事業モデルを敷いた。

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★★★
スクウェアを設立★★
複数子会社を吸収合併し経営合理化
株式が社団法人日本証券業協会に店頭登録
スクウェア株式が日本証券業協会に店頭登録
エレクトロニック・アーツとの合弁でSQUARE ELECTRONIC ARTS L.L.C.を設立
株式が東京証券取引所市場第一部に上場
和田洋一オンラインゲーム事業に参入し「ファイナルファンタジーXI」を発売★★
2003〜2013年「100%保有戦略」によるタイトー・Eidos買収とグローバル化の代償和田洋一映画『ファイナルファンタジー』の失敗が導いたエニックスとスクウェアの合併

2003年4月1日、映画『ファイナルファンタジー』の興行失敗で経営危機に陥ったスクウェアが、出版社型モデルで安定した黒字を保つエニックスと合併し、エニックスを存続会社として株式会社スクウェア・エニックスが発足した経営判断である。『ファイナルファンタジー』(FF)と『ドラゴンクエスト』(DQ)という日本を代表する2大RPGのIPが1社に統合された。

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★★★
和田洋一タイトーの株式公開買付けと完全子会社化による「100%保有戦略」の始動

2005年8月22日、スクウェア・エニックスは東証一部上場のタイトー株式に対する公開買付けを取締役会で決議し、1株181,100円で発行済株式の93.70%を取得した。2005年9月28日にタイトーを連結子会社とし、2006年3月31日には完全子会社SQEXとの合併によって100%子会社化した経営判断である。

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★★★
和田洋一持株会社体制へ移行し商号をスクウェア・エニックス・HDに★★
和田洋一英Eidosの完全子会社化と、13年後のEmbracerへの売却

2009年4月、スクウェア・エニックス・ホールディングスは英国のゲーム会社Eidos plcの全株式を約8,430万ポンド(約121億円)で取得し、完全子会社とした経営判断。『トゥームレイダー』『ヒットマン』『デウスエクス』といった自社IPと、米国・カナダ・デンマークの開発スタジオ群を一度に取り込んだ。

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★★★
和田洋一盛大遊戯(Shanda Games)と業務提携
和田洋一サービス崩壊を認め、吉田直樹氏を起用した『FF14』の全面作り直し

2010年12月10日、スクウェア・エニックスは同年9月30日にサービスを始めた『ファイナルファンタジーXIV』の不振を受け、開発体制を全面刷新すると発表した経営判断である。和田洋一社長が公式に謝罪し、吉田直樹氏をプロデューサー兼ディレクターに起用して、旧版を延命しながらゲームをグラフィック・UI・ストーリーごと作り直す方針を決めた。

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★★★
和田洋一吉田直樹氏をプロデューサー兼ディレクターに起用★★
松田洋祐本社を移転
2014〜2025年海外パブリッシング再編と「再起動」への構造改革松田洋祐監査等委員会設置会社に移行
松田洋祐スクウェア・エニックス・AI&アーツ・アルケミーを設立
松田洋祐東京証券取引所プライム市場に移行
松田洋祐CRYSTAL DYNAMICS INC.・EIDOS INTERACTIVE CORP.等を売却★★
出典・参考

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