第1章 年〜年

東邦ガス:関西電気からのガス事業分離による東邦瓦斯の設立と九州ガス事業の譲渡

1922年〜関西電気と合併した名古屋ガスと、資本金2,200万円で分かれた東邦ガス

1922年6月26日、名古屋瓦斯は最後の株主総会で解散し、同じ日に資本金2,200万円(払込880万円)の東邦瓦斯が創立総会を開催した。発端は1921年8月の名古屋市の市域拡大で、名古屋瓦斯は区域の拡張に要る資金の調達のため、電力会社との合併を探った。1922年2月4日に関西電気と交わした覚書は、関西電気がガス事業を基礎に新会社を設け、名古屋市との報償契約を継がせると定めた。新会社の設立の方法と手続きは、同じ覚書で福沢桃介氏への一任。社長には名古屋瓦斯社長の岡本桜氏が就任し、発行株式44万株のうち43万9,000株は関西電気から改称した東邦電力が引き受けた。電気と兼営するより、報償契約を持つガス専業の会社を残すほうが名古屋市との関係を保ちやすいという判断があったとみられる。

  • 東邦ガス『最近10年の歩み 1992』(1993)巻末年表
    • [1]1922年6月1日関西電気と合併、6月26日名古屋ガス解散、同日東邦ガス創立総会(公称資本金2,200万円・払込880万円・社長岡本桜)、7月7日設立登記
    • [5]1922年6月1日関西電気と合併、6月26日名古屋ガス解散、同日東邦ガス創立総会(公称資本金2,200万円・払込880万円・社長岡本桜)、7月7日設立登記
  • 東邦瓦斯『東邦瓦斯50年史』(1972)
    • [2]1921年8月の名古屋市域拡大に対処する資金調達から名古屋電燈(関西電気)との合併が進み、1922年2月4日の合併仮契約の覚書で関西電気がガス事業を基礎に新会社を設立し報償契約を継承させ、手続を福沢桃介に一任すると定めた
    • [3]1921年8月の名古屋市域拡大に対処する資金調達から名古屋電燈(関西電気)との合併が進み、1922年2月4日の合併仮契約の覚書で関西電気がガス事業を基礎に新会社を設立し報償契約を継承させ、手続を福沢桃介に一任すると定めた
    • [4]1921年8月の名古屋市域拡大に対処する資金調達から名古屋電燈(関西電気)との合併が進み、1922年2月4日の合併仮契約の覚書で関西電気がガス事業を基礎に新会社を設立し報償契約を継承させ、手続を福沢桃介に一任すると定めた
    • [6]創立時の発行44万株のうち43万9,000株を東邦電力が引き受け、社名は東邦電力から分離独立したことによる

1923年4月、東邦瓦斯は東邦電力から一宮・津島・半田・四日市のガス事業を60万円で譲り受けた。同じ1923年には東邦電力の依頼を受け、業績不振に陥っていた九州の西部合同瓦斯の立て直しに着手した。まず西部合同瓦斯から北九州瓦斯を分離させたものの、設備の欠陥から一段と強い再建策が求められた。1926年10月29日に資本金を2,427万5,000円へ増額し、12月1日に西部合同瓦斯を合併。翌1927年4月に福岡支社と熊本・佐世保・長崎の3支店を開設し、5月には東邦電力から長崎のガス事業も譲り受けた。九州への進出は自らの拡大策というより、東邦電力の系列で不振のガス会社を引き受けた結果と推察される。

  • 東邦瓦斯『東邦瓦斯50年史』(1972)
    • [7]1923年東邦電力の依頼で業績不振の西部合同瓦斯の立て直しに当たり北九州瓦斯を分離、1926年設備の欠陥から強力な再建策が必要となり合併。1923年3月東邦電力から一宮・津島・半田・四日市のガス事業を60万円で譲受
    • [9]1923年東邦電力の依頼で業績不振の西部合同瓦斯の立て直しに当たり北九州瓦斯を分離、1926年設備の欠陥から強力な再建策が必要となり合併。1923年3月東邦電力から一宮・津島・半田・四日市のガス事業を60万円で譲受
    • [10]1923年東邦電力の依頼で業績不振の西部合同瓦斯の立て直しに当たり北九州瓦斯を分離、1926年設備の欠陥から強力な再建策が必要となり合併。1923年3月東邦電力から一宮・津島・半田・四日市のガス事業を60万円で譲受
  • 東邦ガス『最近10年の歩み 1992』(1993)巻末年表
    • [8]1923年4月1日一宮・津島・半田・四日市のガス事業を東邦電力から譲受、1923年5月28日西部合同ガスが北九州ガスを分離、1926年10月29日資本金を2,427万5,000円に増額、12月1日西部合同ガスを合併、1927年4月28日福岡支社と3支店開設、5月31日長崎のガス事業譲受
    • [11]1923年4月1日一宮・津島・半田・四日市のガス事業を東邦電力から譲受、1923年5月28日西部合同ガスが北九州ガスを分離、1926年10月29日資本金を2,427万5,000円に増額、12月1日西部合同ガスを合併、1927年4月28日福岡支社と3支店開設、5月31日長崎のガス事業譲受
    • [12]1923年4月1日一宮・津島・半田・四日市のガス事業を東邦電力から譲受、1923年5月28日西部合同ガスが北九州ガスを分離、1926年10月29日資本金を2,427万5,000円に増額、12月1日西部合同ガスを合併、1927年4月28日福岡支社と3支店開設、5月31日長崎のガス事業譲受
    • [13]1923年4月1日一宮・津島・半田・四日市のガス事業を東邦電力から譲受、1923年5月28日西部合同ガスが北九州ガスを分離、1926年10月29日資本金を2,427万5,000円に増額、12月1日西部合同ガスを合併、1927年4月28日福岡支社と3支店開設、5月31日長崎のガス事業譲受
参考文献[1]-[13]
  • 東邦ガス『最近10年の歩み 1992』(1993)巻末年表
    • [1]1922年6月1日関西電気と合併、6月26日名古屋ガス解散、同日東邦ガス創立総会(公称資本金2,200万円・払込880万円・社長岡本桜)、7月7日設立登記
    • [5]1922年6月1日関西電気と合併、6月26日名古屋ガス解散、同日東邦ガス創立総会(公称資本金2,200万円・払込880万円・社長岡本桜)、7月7日設立登記
    • [8]1923年4月1日一宮・津島・半田・四日市のガス事業を東邦電力から譲受、1923年5月28日西部合同ガスが北九州ガスを分離、1926年10月29日資本金を2,427万5,000円に増額、12月1日西部合同ガスを合併、1927年4月28日福岡支社と3支店開設、5月31日長崎のガス事業譲受
    • [11]1923年4月1日一宮・津島・半田・四日市のガス事業を東邦電力から譲受、1923年5月28日西部合同ガスが北九州ガスを分離、1926年10月29日資本金を2,427万5,000円に増額、12月1日西部合同ガスを合併、1927年4月28日福岡支社と3支店開設、5月31日長崎のガス事業譲受
    • [12]1923年4月1日一宮・津島・半田・四日市のガス事業を東邦電力から譲受、1923年5月28日西部合同ガスが北九州ガスを分離、1926年10月29日資本金を2,427万5,000円に増額、12月1日西部合同ガスを合併、1927年4月28日福岡支社と3支店開設、5月31日長崎のガス事業譲受
    • [13]1923年4月1日一宮・津島・半田・四日市のガス事業を東邦電力から譲受、1923年5月28日西部合同ガスが北九州ガスを分離、1926年10月29日資本金を2,427万5,000円に増額、12月1日西部合同ガスを合併、1927年4月28日福岡支社と3支店開設、5月31日長崎のガス事業譲受
  • 東邦瓦斯『東邦瓦斯50年史』(1972)
    • [2]1921年8月の名古屋市域拡大に対処する資金調達から名古屋電燈(関西電気)との合併が進み、1922年2月4日の合併仮契約の覚書で関西電気がガス事業を基礎に新会社を設立し報償契約を継承させ、手続を福沢桃介に一任すると定めた
    • [3]1921年8月の名古屋市域拡大に対処する資金調達から名古屋電燈(関西電気)との合併が進み、1922年2月4日の合併仮契約の覚書で関西電気がガス事業を基礎に新会社を設立し報償契約を継承させ、手続を福沢桃介に一任すると定めた
    • [4]1921年8月の名古屋市域拡大に対処する資金調達から名古屋電燈(関西電気)との合併が進み、1922年2月4日の合併仮契約の覚書で関西電気がガス事業を基礎に新会社を設立し報償契約を継承させ、手続を福沢桃介に一任すると定めた
    • [6]創立時の発行44万株のうち43万9,000株を東邦電力が引き受け、社名は東邦電力から分離独立したことによる
    • [7]1923年東邦電力の依頼で業績不振の西部合同瓦斯の立て直しに当たり北九州瓦斯を分離、1926年設備の欠陥から強力な再建策が必要となり合併。1923年3月東邦電力から一宮・津島・半田・四日市のガス事業を60万円で譲受
    • [9]1923年東邦電力の依頼で業績不振の西部合同瓦斯の立て直しに当たり北九州瓦斯を分離、1926年設備の欠陥から強力な再建策が必要となり合併。1923年3月東邦電力から一宮・津島・半田・四日市のガス事業を60万円で譲受
    • [10]1923年東邦電力の依頼で業績不振の西部合同瓦斯の立て直しに当たり北九州瓦斯を分離、1926年設備の欠陥から強力な再建策が必要となり合併。1923年3月東邦電力から一宮・津島・半田・四日市のガス事業を60万円で譲受

1930年〜西部ガスへ譲った九州4市と、3万8,000坪の熱田製造所

1930年8月1日、東邦瓦斯は四日市市のガス事業を、自社から分離して設けた合同瓦斯に譲渡した。12月1日には福岡・佐世保・熊本・長崎の4市のガス事業を、同じく分離して設立した西部瓦斯が引き継いだ。根拠は、ガス事業は地域社会に密着して経営すべきだという経営理念であり、九州の事業は再建で経営が安定した時点で切り離された。名古屋地区の需要家数とガス販売量は、1929年から1934年まで不況でほぼ横ばいだった。東邦瓦斯は1931年に工事費を無料とする勧誘を実施し、名古屋周辺で新しい需要の開拓を進めた。再建を終えた九州と四日市を地元の別会社に委ねたことで、東邦瓦斯は不況下の名古屋周辺の需要開拓に人手と資金を集中できたものと思われる。

  • 東邦ガス『最近10年の歩み 1992』(1993)巻末年表
    • [14]1930年8月1日四日市市のガス事業を合同ガス(当社から分離設立)に譲渡、12月1日福岡・佐世保・熊本・長崎のガス事業を西部ガス(当社から分離設立)に譲渡
    • [15]1930年8月1日四日市市のガス事業を合同ガス(当社から分離設立)に譲渡、12月1日福岡・佐世保・熊本・長崎のガス事業を西部ガス(当社から分離設立)に譲渡
  • 東邦瓦斯『東邦瓦斯50年史』(1972)
    • [16]ガス事業は地域社会に密着して経営する必要があるとの経営理念から、経営が安定した昭和5年に九州地区と四日市地区の事業を分離独立。昭和4〜9年は不況で需要家数・販売量が横ばい、昭和6年に工事費無料の勧誘
    • [17]ガス事業は地域社会に密着して経営する必要があるとの経営理念から、経営が安定した昭和5年に九州地区と四日市地区の事業を分離独立。昭和4〜9年は不況で需要家数・販売量が横ばい、昭和6年に工事費無料の勧誘
    • [18]ガス事業は地域社会に密着して経営する必要があるとの経営理念から、経営が安定した昭和5年に九州地区と四日市地区の事業を分離独立。昭和4〜9年は不況で需要家数・販売量が横ばい、昭和6年に工事費無料の勧誘

1937年の日華事変の後、名古屋周辺では軍需工場が増え、ガスの需要は東邦瓦斯の製造能力を上回る見通しとなった。1938年の予測では、軍需工場など大口の需要だけで1941年3月に1日22万5,000立方メートル、総需要の75%に達する見込み。これに対し、名古屋製造所の拡充後の生産能力は1日16万6,000立方メートルにとどまった。東邦瓦斯は名古屋港に近い中川運河下流の土地を新工場の用地に選び、1939年5月17日に3万8,000坪の取得の登記を完了した。1939年7月に熱田供給所として操業を始め、1940年1月に熱田製造所と改称して第1オットー式コークス炉を完成させた。名古屋製造所1か所の体制のままでは、石炭の配給統制の下で戦時の需要増に供給が追いつかなかったのだろう。

  • 東邦瓦斯『東邦瓦斯50年史』(1972)
    • [19]日華事変以降の軍需でガス需要が増大し、1938年の予測で大口需要だけで1941年3月に日22万5,000m3(総需要の75%)、名古屋製造所拡充後の生産能力は日16万6,000m3。名古屋港に近い中川運河下流沿岸の用地を新工場用地とした
    • [20]日華事変以降の軍需でガス需要が増大し、1938年の予測で大口需要だけで1941年3月に日22万5,000m3(総需要の75%)、名古屋製造所拡充後の生産能力は日16万6,000m3。名古屋港に近い中川運河下流沿岸の用地を新工場用地とした
    • [21]日華事変以降の軍需でガス需要が増大し、1938年の予測で大口需要だけで1941年3月に日22万5,000m3(総需要の75%)、名古屋製造所拡充後の生産能力は日16万6,000m3。名古屋港に近い中川運河下流沿岸の用地を新工場用地とした
    • [22]日華事変以降の軍需でガス需要が増大し、1938年の予測で大口需要だけで1941年3月に日22万5,000m3(総需要の75%)、名古屋製造所拡充後の生産能力は日16万6,000m3。名古屋港に近い中川運河下流沿岸の用地を新工場用地とした
  • 東邦ガス『最近10年の歩み 1992』(1993)巻末年表
    • [23]1938年10月石炭配給統制実施、1939年5月17日熱田製造所用地3万8,000坪購入(登記完了)、7月3日熱田供給所操業開始、1940年1月4日熱田製造所と改称し第1オットー式コークス炉完成
    • [24]1938年10月石炭配給統制実施、1939年5月17日熱田製造所用地3万8,000坪購入(登記完了)、7月3日熱田供給所操業開始、1940年1月4日熱田製造所と改称し第1オットー式コークス炉完成
参考文献[14]-[24]
  • 東邦ガス『最近10年の歩み 1992』(1993)巻末年表
    • [14]1930年8月1日四日市市のガス事業を合同ガス(当社から分離設立)に譲渡、12月1日福岡・佐世保・熊本・長崎のガス事業を西部ガス(当社から分離設立)に譲渡
    • [15]1930年8月1日四日市市のガス事業を合同ガス(当社から分離設立)に譲渡、12月1日福岡・佐世保・熊本・長崎のガス事業を西部ガス(当社から分離設立)に譲渡
    • [23]1938年10月石炭配給統制実施、1939年5月17日熱田製造所用地3万8,000坪購入(登記完了)、7月3日熱田供給所操業開始、1940年1月4日熱田製造所と改称し第1オットー式コークス炉完成
    • [24]1938年10月石炭配給統制実施、1939年5月17日熱田製造所用地3万8,000坪購入(登記完了)、7月3日熱田供給所操業開始、1940年1月4日熱田製造所と改称し第1オットー式コークス炉完成
  • 東邦瓦斯『東邦瓦斯50年史』(1972)
    • [16]ガス事業は地域社会に密着して経営する必要があるとの経営理念から、経営が安定した昭和5年に九州地区と四日市地区の事業を分離独立。昭和4〜9年は不況で需要家数・販売量が横ばい、昭和6年に工事費無料の勧誘
    • [17]ガス事業は地域社会に密着して経営する必要があるとの経営理念から、経営が安定した昭和5年に九州地区と四日市地区の事業を分離独立。昭和4〜9年は不況で需要家数・販売量が横ばい、昭和6年に工事費無料の勧誘
    • [18]ガス事業は地域社会に密着して経営する必要があるとの経営理念から、経営が安定した昭和5年に九州地区と四日市地区の事業を分離独立。昭和4〜9年は不況で需要家数・販売量が横ばい、昭和6年に工事費無料の勧誘
    • [19]日華事変以降の軍需でガス需要が増大し、1938年の予測で大口需要だけで1941年3月に日22万5,000m3(総需要の75%)、名古屋製造所拡充後の生産能力は日16万6,000m3。名古屋港に近い中川運河下流沿岸の用地を新工場用地とした
    • [20]日華事変以降の軍需でガス需要が増大し、1938年の予測で大口需要だけで1941年3月に日22万5,000m3(総需要の75%)、名古屋製造所拡充後の生産能力は日16万6,000m3。名古屋港に近い中川運河下流沿岸の用地を新工場用地とした
    • [21]日華事変以降の軍需でガス需要が増大し、1938年の予測で大口需要だけで1941年3月に日22万5,000m3(総需要の75%)、名古屋製造所拡充後の生産能力は日16万6,000m3。名古屋港に近い中川運河下流沿岸の用地を新工場用地とした
    • [22]日華事変以降の軍需でガス需要が増大し、1938年の予測で大口需要だけで1941年3月に日22万5,000m3(総需要の75%)、名古屋製造所拡充後の生産能力は日16万6,000m3。名古屋港に近い中川運河下流沿岸の用地を新工場用地とした

出典・参考

2件
出典・参考
  • 東邦瓦斯『東邦瓦斯50年史』(1972)
  • 東邦ガス『最近10年の歩み 1992』(1993)巻末年表

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