リログループ:日本建装の設立と三井物産の留守宅管理の受託
1967年〜父の工務店・日本建装と、佐々田正徳氏が継いだ数千万円の負債
リログループの母体は、1967年3月に島根県津和野町で設立された日本建装という工事会社である。勤労者向け住宅の新築・増改築と内装工事を目的に掲げ、資本金50万円での出発。佐々田家は津和野で家政婦を雇うほどの裕福な家だった。しかし佐々田正徳氏が17歳のときに父の経営する会社が倒産し、一家は夜逃げ同然で故郷の津和野を離れていた。東京に出た佐々田正徳氏の暮らしは、3畳一間のアパートから始まった。日本建装は設立と同じ月に本社を東京都世田谷区へ移し、1969年1月には社名を日本住建に改めた。倒産から再起した父は、地元の津和野ではなく東京の住宅需要に工務店の足場を求めたとみられる。
- リロ・ホールディング 有価証券報告書(2006年6月27日提出)【沿革】
- [1]1967年3月 勤労者向け住宅の建設・内装工事を目的に津和野町に日本建装(資本金50万円)設立、同月 世田谷区野沢町へ本社移転、1969年1月 日本住建に商号変更
- [2]1967年3月 勤労者向け住宅の建設・内装工事を目的に津和野町に日本建装(資本金50万円)設立、同月 世田谷区野沢町へ本社移転、1969年1月 日本住建に商号変更
- [6]1967年3月 勤労者向け住宅の建設・内装工事を目的に津和野町に日本建装(資本金50万円)設立、同月 世田谷区野沢町へ本社移転、1969年1月 日本住建に商号変更
- 日経ビジネス 2004年1月26日号(佐々田正徳リロ・ホールディング会長)
- [3]津和野では家政婦がいる裕福な家。佐々田正徳氏17歳のとき父の会社が倒産、一家は津和野を去り、東京で3畳一間のアパート暮らし。父は再起して工務店を経営
- [4]津和野では家政婦がいる裕福な家。佐々田正徳氏17歳のとき父の会社が倒産、一家は津和野を去り、東京で3畳一間のアパート暮らし。父は再起して工務店を経営
- [5]津和野では家政婦がいる裕福な家。佐々田正徳氏17歳のとき父の会社が倒産、一家は津和野を去り、東京で3畳一間のアパート暮らし。父は再起して工務店を経営
1978年6月、日本住建を率いていた父が数千万円の負債を残して死去した。当時の日本住建の仕事は、大手商社の社宅や寮の営繕の請負。後を継いだのは、三井物産に勤めていた息子の佐々田正徳氏である。日本住建は父の代の1977年4月に、本社を東京都中野区へ移していた。大学を卒業して10年ほどの時期で、工務店に残っていたのは借金だけだった。佐々田正徳氏は社員13人を全員退社させ、夫婦2人だけで再出発した。借金取りに追われる生活の中で、返済の原資を稼ぐことが経営の最優先になった。固定費を抱えたままでは数千万円の負債を返済できないという判断が、人員の整理を急がせたのだろう。
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- [7]前身は大手商社の社宅・寮の営繕を行う日本住建。1978年6月に先代社長(現社長の父)が数千万円の負債を残して死去、三井物産勤務の現社長が継ぎ、社員13人を全員退社させ夫婦2人で再出発
- [8]前身は大手商社の社宅・寮の営繕を行う日本住建。1978年6月に先代社長(現社長の父)が数千万円の負債を残して死去、三井物産勤務の現社長が継ぎ、社員13人を全員退社させ夫婦2人で再出発
- [9]前身は大手商社の社宅・寮の営繕を行う日本住建。1978年6月に先代社長(現社長の父)が数千万円の負債を残して死去、三井物産勤務の現社長が継ぎ、社員13人を全員退社させ夫婦2人で再出発
- [12]前身は大手商社の社宅・寮の営繕を行う日本住建。1978年6月に先代社長(現社長の父)が数千万円の負債を残して死去、三井物産勤務の現社長が継ぎ、社員13人を全員退社させ夫婦2人で再出発
- リロ・ホールディング 有価証券報告書(2006年6月27日提出)【沿革】
- [10]1977年4月 東京都中野区中野に本社移転
- 日経ビジネス 2004年1月26日号(佐々田正徳リロ・ホールディング会長)
- [11]大学卒業後10年ほどの1978年、工務店を経営していた父が急死し、佐々田正徳氏は借金だけが残った工務店の経営を継いだ。借金取りに追われる暮らし
- [13]大学卒業後10年ほどの1978年、工務店を経営していた父が急死し、佐々田正徳氏は借金だけが残った工務店の経営を継いだ。借金取りに追われる暮らし
参考文献[1]-[13]
- リロ・ホールディング 有価証券報告書(2006年6月27日提出)【沿革】
- [1]1967年3月 勤労者向け住宅の建設・内装工事を目的に津和野町に日本建装(資本金50万円)設立、同月 世田谷区野沢町へ本社移転、1969年1月 日本住建に商号変更
- [2]1967年3月 勤労者向け住宅の建設・内装工事を目的に津和野町に日本建装(資本金50万円)設立、同月 世田谷区野沢町へ本社移転、1969年1月 日本住建に商号変更
- [6]1967年3月 勤労者向け住宅の建設・内装工事を目的に津和野町に日本建装(資本金50万円)設立、同月 世田谷区野沢町へ本社移転、1969年1月 日本住建に商号変更
- [10]1977年4月 東京都中野区中野に本社移転
- 日経ビジネス 2004年1月26日号(佐々田正徳リロ・ホールディング会長)
- [3]津和野では家政婦がいる裕福な家。佐々田正徳氏17歳のとき父の会社が倒産、一家は津和野を去り、東京で3畳一間のアパート暮らし。父は再起して工務店を経営
- [4]津和野では家政婦がいる裕福な家。佐々田正徳氏17歳のとき父の会社が倒産、一家は津和野を去り、東京で3畳一間のアパート暮らし。父は再起して工務店を経営
- [5]津和野では家政婦がいる裕福な家。佐々田正徳氏17歳のとき父の会社が倒産、一家は津和野を去り、東京で3畳一間のアパート暮らし。父は再起して工務店を経営
- [11]大学卒業後10年ほどの1978年、工務店を経営していた父が急死し、佐々田正徳氏は借金だけが残った工務店の経営を継いだ。借金取りに追われる暮らし
- [13]大学卒業後10年ほどの1978年、工務店を経営していた父が急死し、佐々田正徳氏は借金だけが残った工務店の経営を継いだ。借金取りに追われる暮らし
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- [7]前身は大手商社の社宅・寮の営繕を行う日本住建。1978年6月に先代社長(現社長の父)が数千万円の負債を残して死去、三井物産勤務の現社長が継ぎ、社員13人を全員退社させ夫婦2人で再出発
- [8]前身は大手商社の社宅・寮の営繕を行う日本住建。1978年6月に先代社長(現社長の父)が数千万円の負債を残して死去、三井物産勤務の現社長が継ぎ、社員13人を全員退社させ夫婦2人で再出発
- [9]前身は大手商社の社宅・寮の営繕を行う日本住建。1978年6月に先代社長(現社長の父)が数千万円の負債を残して死去、三井物産勤務の現社長が継ぎ、社員13人を全員退社させ夫婦2人で再出発
- [12]前身は大手商社の社宅・寮の営繕を行う日本住建。1978年6月に先代社長(現社長の父)が数千万円の負債を残して死去、三井物産勤務の現社長が継ぎ、社員13人を全員退社させ夫婦2人で再出発
1978年〜三井物産の社宅営繕の指定業者と、転勤者の留守宅管理
佐々田正徳氏は借金を返すため、三井物産の幹部宅へ日参を重ねた。1978年9月、日本住建は三井物産の社宅・寮の営繕を受け持つ指定業者になった。一方で運送会社の操車場のアスファルト工事まで、現金収入になる仕事は種類を問わず請け負った。社宅や寮の営繕は父の代からの業務であり、指定業者の地位はその延長で得た取引先だった。日本住建と取引のあった60の職方は、のちに留守宅の修繕も担う人員になった。借金の完済までには5年を要し、佐々田正徳氏はその間ほぼ休みなく働き続けた。三井物産に勤めた経歴が、幹部宅への日参を受け入れてもらう素地になったと推察される。
- 日経ビジネス 2004年1月26日号(佐々田正徳リロ・ホールディング会長)
- [14]借金返済のため三井物産幹部の家に日参して社宅管理の指定業者に入り、操車場のアスファルト工事なども請け負い、5年で借金を完済
- [16]借金返済のため三井物産幹部の家に日参して社宅管理の指定業者に入り、操車場のアスファルト工事なども請け負い、5年で借金を完済
- [19]借金返済のため三井物産幹部の家に日参して社宅管理の指定業者に入り、操車場のアスファルト工事なども請け負い、5年で借金を完済
- リロ・ホールディング 有価証券報告書(2006年6月27日提出)【沿革】
- [15]1978年9月 三井物産の社宅・寮等の営繕の指定業者となる
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- [17]前身の日本住建は大手商社の社宅・寮の営繕を行っていた。現社長は三井物産に勤務していた
- ヤノ・レポート 690号 1985年11月7日
- [18]修繕等は母体であった日本住建の取引先60の職方で対応
1979年10月、日本住建は三井物産の国内・海外転勤者を対象に留守宅の管理を始めた。大企業は1960年代前半から社員の持ち家取得を後押しし、転勤で空く家の扱いが人事の課題になった。多くの企業は留守宅を社宅として借り上げる社内制度で対応した。ただ持ち家の遠隔化で入居を望む社員は減り、貸借時の苦情や財産の保全まで会社が引き受ける負担も重かった。上司の家を借りて汚した社員が職場に居づらくなるなど、社内での貸し借りには人間関係の摩擦も伴った。日本住建はこの業務を収益性の低い仕事とみながらも、生き残りのために引き受けた。社宅の営繕で総務の担当者と日々接していたことが、商社の困りごとを知る経路になったと思われる。
- リロ・ホールディング 有価証券報告書(2006年6月27日提出)【沿革】
- [20]1979年10月 三井物産の国内・海外転勤者の留守宅管理を開始
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- [21]大企業では昭和30年代後半から持ち家制度が広がり、転勤時の留守管理が問題化し社内借り上げ制度が増えた。先代死去後、儲からない仕事と思いつつ生き残りのため商社が困っていたリロケーション業務を始めた
- [22]大企業では昭和30年代後半から持ち家制度が広がり、転勤時の留守管理が問題化し社内借り上げ制度が増えた。先代死去後、儲からない仕事と思いつつ生き残りのため商社が困っていたリロケーション業務を始めた
- [24]大企業では昭和30年代後半から持ち家制度が広がり、転勤時の留守管理が問題化し社内借り上げ制度が増えた。先代死去後、儲からない仕事と思いつつ生き残りのため商社が困っていたリロケーション業務を始めた
- [25]大企業では昭和30年代後半から持ち家制度が広がり、転勤時の留守管理が問題化し社内借り上げ制度が増えた。先代死去後、儲からない仕事と思いつつ生き残りのため商社が困っていたリロケーション業務を始めた
- ヤノ・レポート 690号 1985年11月7日
- [23]企業側は財産保全上の管理ができず、社宅利用時の瑕疵クレームが社員間の問題となる。持ち家の遠隔化で社宅利用する社員が減少
1983年1月、日本住建は賃貸仲介を専門に扱う関連会社として日本リロケーションセンターを設立した。当時、日本の持ち家率は6割に達し、社員の留守宅を会社が借り上げる制度は数年前から機能しなくなっていた。借り上げ賃料は市中相場の上昇に追いつかず、低い賃料に不満を持つ社員も目立った。三井物産と同じ悩みは、転勤者を抱える大企業に共通する課題である。日本住建は1984年に10名の社員で1,000社の企業を訪ね、60社と提携した。窓口は各社の人事・総務部門で、1985年の得意先にはアサヒビールや本田技研工業、東京電力が並んだ。一社向けに組んだ管理の手順を、他社にもそのまま提供できると見込んだ可能性が高い。
- リロ・ホールディング 有価証券報告書(2006年6月27日提出)【沿革】
- [26]1983年1月 賃貸仲介を専門に行う関連会社として日本リロケーションセンターを設立
- ヤノ・レポート 690号 1985年11月7日
- [27]持ち家率は6割に達し、社内借上げ制度が通用したのは4〜5年前まで。大企業の人事・総務が窓口。得意先にアサヒビール・本田技研工業・東京電力など。1984年に10名の社員で1,000社を回り60社と提携
- [29]持ち家率は6割に達し、社内借上げ制度が通用したのは4〜5年前まで。大企業の人事・総務が窓口。得意先にアサヒビール・本田技研工業・東京電力など。1984年に10名の社員で1,000社を回り60社と提携
- [30]持ち家率は6割に達し、社内借上げ制度が通用したのは4〜5年前まで。大企業の人事・総務が窓口。得意先にアサヒビール・本田技研工業・東京電力など。1984年に10名の社員で1,000社を回り60社と提携
- [31]持ち家率は6割に達し、社内借上げ制度が通用したのは4〜5年前まで。大企業の人事・総務が窓口。得意先にアサヒビール・本田技研工業・東京電力など。1984年に10名の社員で1,000社を回り60社と提携
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- [28]社員の留守宅借り上げ賃料が市中相場の上昇についていけず、キヤノンなどで社員の不満があった。上司の家を借りて汚し会社に居づらくなった社員の例
参考文献[14]-[31]
- 日経ビジネス 2004年1月26日号(佐々田正徳リロ・ホールディング会長)
- [14]借金返済のため三井物産幹部の家に日参して社宅管理の指定業者に入り、操車場のアスファルト工事なども請け負い、5年で借金を完済
- [16]借金返済のため三井物産幹部の家に日参して社宅管理の指定業者に入り、操車場のアスファルト工事なども請け負い、5年で借金を完済
- [19]借金返済のため三井物産幹部の家に日参して社宅管理の指定業者に入り、操車場のアスファルト工事なども請け負い、5年で借金を完済
- リロ・ホールディング 有価証券報告書(2006年6月27日提出)【沿革】
- [15]1978年9月 三井物産の社宅・寮等の営繕の指定業者となる
- [20]1979年10月 三井物産の国内・海外転勤者の留守宅管理を開始
- [26]1983年1月 賃貸仲介を専門に行う関連会社として日本リロケーションセンターを設立
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- [17]前身の日本住建は大手商社の社宅・寮の営繕を行っていた。現社長は三井物産に勤務していた
- [21]大企業では昭和30年代後半から持ち家制度が広がり、転勤時の留守管理が問題化し社内借り上げ制度が増えた。先代死去後、儲からない仕事と思いつつ生き残りのため商社が困っていたリロケーション業務を始めた
- [22]大企業では昭和30年代後半から持ち家制度が広がり、転勤時の留守管理が問題化し社内借り上げ制度が増えた。先代死去後、儲からない仕事と思いつつ生き残りのため商社が困っていたリロケーション業務を始めた
- [24]大企業では昭和30年代後半から持ち家制度が広がり、転勤時の留守管理が問題化し社内借り上げ制度が増えた。先代死去後、儲からない仕事と思いつつ生き残りのため商社が困っていたリロケーション業務を始めた
- [25]大企業では昭和30年代後半から持ち家制度が広がり、転勤時の留守管理が問題化し社内借り上げ制度が増えた。先代死去後、儲からない仕事と思いつつ生き残りのため商社が困っていたリロケーション業務を始めた
- [28]社員の留守宅借り上げ賃料が市中相場の上昇についていけず、キヤノンなどで社員の不満があった。上司の家を借りて汚し会社に居づらくなった社員の例
- ヤノ・レポート 690号 1985年11月7日
- [18]修繕等は母体であった日本住建の取引先60の職方で対応
- [23]企業側は財産保全上の管理ができず、社宅利用時の瑕疵クレームが社員間の問題となる。持ち家の遠隔化で社宅利用する社員が減少
- [27]持ち家率は6割に達し、社内借上げ制度が通用したのは4〜5年前まで。大企業の人事・総務が窓口。得意先にアサヒビール・本田技研工業・東京電力など。1984年に10名の社員で1,000社を回り60社と提携
- [29]持ち家率は6割に達し、社内借上げ制度が通用したのは4〜5年前まで。大企業の人事・総務が窓口。得意先にアサヒビール・本田技研工業・東京電力など。1984年に10名の社員で1,000社を回り60社と提携
- [30]持ち家率は6割に達し、社内借上げ制度が通用したのは4〜5年前まで。大企業の人事・総務が窓口。得意先にアサヒビール・本田技研工業・東京電力など。1984年に10名の社員で1,000社を回り60社と提携
- [31]持ち家率は6割に達し、社内借上げ制度が通用したのは4〜5年前まで。大企業の人事・総務が窓口。得意先にアサヒビール・本田技研工業・東京電力など。1984年に10名の社員で1,000社を回り60社と提携
1984年〜1,000社を回って得た60社と、日本リロケーションセンターの年3000件
1984年5月、日本住建は社名を日本リロケーションセンターに改め、リロケーション事業を本格的に始めた。改称と同時にリロケーション以外の仕事を打ち切り、資本金を500万円から3000万円に増やした。増資で得た3000万円は、全額を地下鉄の車内広告に充てた。1984年11月には大阪に店舗を開設し、首都圏と大阪の2店舗で営業した。社員は1984年初めの10名から、1985年11月には31名へ増えた。新規の仲介件数は1985年3月期の250件から、1986年3月期には500件へ倍増した。この1984年が、佐々田正徳氏にとって日本リロケーションセンターの創業の年になった。工務店の請負を捨てたことで、留守宅の管理は営繕の付随業務から本業へと位置づけが変わった。
- リロ・ホールディング 有価証券報告書(2006年6月27日提出)【沿革】
- [32]1984年5月 日本住建から日本リロケーションセンターに商号変更し、本格的にリロケーション事業を開始
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- [33]1984年に現社名へ変更と同時にリロケーション以外の仕事を廃止、資本金を500万円から3000万円に増資し全額を地下鉄の車内広告に投入。新規仲介件数は1985年3月期250件、1986年3月期500件
- [34]1984年に現社名へ変更と同時にリロケーション以外の仕事を廃止、資本金を500万円から3000万円に増資し全額を地下鉄の車内広告に投入。新規仲介件数は1985年3月期250件、1986年3月期500件
- [37]1984年に現社名へ変更と同時にリロケーション以外の仕事を廃止、資本金を500万円から3000万円に増資し全額を地下鉄の車内広告に投入。新規仲介件数は1985年3月期250件、1986年3月期500件
- ヤノ・レポート 690号 1985年11月7日
- [35]1984年11月に大阪へ進出し、首都圏と大阪の2店舗体制。社員は前年初めの10名から31名に
- [36]1984年11月に大阪へ進出し、首都圏と大阪の2店舗体制。社員は前年初めの10名から31名に
- 日経ビジネス 2004年1月26日号(佐々田正徳リロ・ホールディング会長)
- [38]佐々田正徳氏は1984年に日本リロケーションセンターを創業
日本リロケーションセンターの収入は、仲介時の手数料と営繕、帰任までの管理費の3層で構成される。1985年度は新規800件を見込み、1件20万円の手数料で1億6千万円、平均10万円の営繕で8千万円を計上する計画。これに戸建てで賃料の8%、マンションで5%の管理費が累積の管理物件ごとに毎月加わった。1978年から1984年までの累積管理件数は1,800件に上り、1985年度の総収入は3.5〜4億円の規模となった。家賃10万円の一戸建てを2年間貸す例では、業者の収入は45.2万円で、100万円の改装を受注すれば145.2万円に膨らんだ。一度預かった物件が帰任時の改装まで収入を生み続けるため、取扱件数を積み増すほど収益の底が上がる構造だった。
- ヤノ・レポート 690号 1985年11月7日
- [39]1985年度の新規取扱い見込み800件、手数料1件計20万円で1億6千万円、営繕平均10万円で8千万円。累積管理客から戸建て8%・マンション5%の管理費が毎月。1978〜1984年の累積管理1,800件。1985年度総収入3.5〜4億円。帰任時リフォーム1件70〜80万円
- [40]1985年度の新規取扱い見込み800件、手数料1件計20万円で1億6千万円、営繕平均10万円で8千万円。累積管理客から戸建て8%・マンション5%の管理費が毎月。1978〜1984年の累積管理1,800件。1985年度総収入3.5〜4億円。帰任時リフォーム1件70〜80万円
- [41]1985年度の新規取扱い見込み800件、手数料1件計20万円で1億6千万円、営繕平均10万円で8千万円。累積管理客から戸建て8%・マンション5%の管理費が毎月。1978〜1984年の累積管理1,800件。1985年度総収入3.5〜4億円。帰任時リフォーム1件70〜80万円
- [42]1985年度の新規取扱い見込み800件、手数料1件計20万円で1億6千万円、営繕平均10万円で8千万円。累積管理客から戸建て8%・マンション5%の管理費が毎月。1978〜1984年の累積管理1,800件。1985年度総収入3.5〜4億円。帰任時リフォーム1件70〜80万円
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- [43]家賃10万円の一戸建てを2年間貸した場合の業者収入は45.2万円、100万円のリフォーム受注で145.2万円
1985年時点で、リロケーション市場には日本信販や東急リロケーションを含む20社近くが参入していた。その後も三菱倉庫や三越ハウジング、ジャスコが相次いで事業を始めた。日本リロケーションセンターは1987年3月期に売上高4億1000万円、経常利益4100万円を計上し、累積赤字を解消した。1988年1月には約1億円を投じたテレビCMを流し、1988年3月期の新規仲介3000件を目標に置いた。佐々田正徳氏は『当社にとってこれまでは準備期間だったが、今春の転勤シーズンからいよいよ離陸期に入るということです』と、1988年春を事業の転機と位置づけた。さらに1991年3月期に売上高70億円、経常利益15億円を達成し、店頭市場に株式を公開する目標も掲げた。大手の参入が続く中、知名度で先行するための広告投資だったと考えられる。
- ヤノ・レポート 690号 1985年11月7日
- [44]1985年時点で20社近くが参入。日本信販は1984年7月参入・1985年3月事業開始、東急不動産(東急リロケーション)も進出
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- [45]1987年3月期売上高4億1000万円・経常利益4100万円、1987年3月までに累積赤字一掃。1988年1月から約1億円のテレビCM。1988年3月期の新規仲介見込み3000件。1991年3月期売上高70億円・経常利益15億円と店頭公開を目標。東急リロケーション・三菱倉庫・三越ハウジングなどが参入
- [46]1987年3月期売上高4億1000万円・経常利益4100万円、1987年3月までに累積赤字一掃。1988年1月から約1億円のテレビCM。1988年3月期の新規仲介見込み3000件。1991年3月期売上高70億円・経常利益15億円と店頭公開を目標。東急リロケーション・三菱倉庫・三越ハウジングなどが参入
- [47]1987年3月期売上高4億1000万円・経常利益4100万円、1987年3月までに累積赤字一掃。1988年1月から約1億円のテレビCM。1988年3月期の新規仲介見込み3000件。1991年3月期売上高70億円・経常利益15億円と店頭公開を目標。東急リロケーション・三菱倉庫・三越ハウジングなどが参入
- [48]1987年3月期売上高4億1000万円・経常利益4100万円、1987年3月までに累積赤字一掃。1988年1月から約1億円のテレビCM。1988年3月期の新規仲介見込み3000件。1991年3月期売上高70億円・経常利益15億円と店頭公開を目標。東急リロケーション・三菱倉庫・三越ハウジングなどが参入
- [49]1987年3月期売上高4億1000万円・経常利益4100万円、1987年3月までに累積赤字一掃。1988年1月から約1億円のテレビCM。1988年3月期の新規仲介見込み3000件。1991年3月期売上高70億円・経常利益15億円と店頭公開を目標。東急リロケーション・三菱倉庫・三越ハウジングなどが参入
参考文献[32]-[49]
- リロ・ホールディング 有価証券報告書(2006年6月27日提出)【沿革】
- [32]1984年5月 日本住建から日本リロケーションセンターに商号変更し、本格的にリロケーション事業を開始
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- [33]1984年に現社名へ変更と同時にリロケーション以外の仕事を廃止、資本金を500万円から3000万円に増資し全額を地下鉄の車内広告に投入。新規仲介件数は1985年3月期250件、1986年3月期500件
- [34]1984年に現社名へ変更と同時にリロケーション以外の仕事を廃止、資本金を500万円から3000万円に増資し全額を地下鉄の車内広告に投入。新規仲介件数は1985年3月期250件、1986年3月期500件
- [37]1984年に現社名へ変更と同時にリロケーション以外の仕事を廃止、資本金を500万円から3000万円に増資し全額を地下鉄の車内広告に投入。新規仲介件数は1985年3月期250件、1986年3月期500件
- [43]家賃10万円の一戸建てを2年間貸した場合の業者収入は45.2万円、100万円のリフォーム受注で145.2万円
- [45]1987年3月期売上高4億1000万円・経常利益4100万円、1987年3月までに累積赤字一掃。1988年1月から約1億円のテレビCM。1988年3月期の新規仲介見込み3000件。1991年3月期売上高70億円・経常利益15億円と店頭公開を目標。東急リロケーション・三菱倉庫・三越ハウジングなどが参入
- [46]1987年3月期売上高4億1000万円・経常利益4100万円、1987年3月までに累積赤字一掃。1988年1月から約1億円のテレビCM。1988年3月期の新規仲介見込み3000件。1991年3月期売上高70億円・経常利益15億円と店頭公開を目標。東急リロケーション・三菱倉庫・三越ハウジングなどが参入
- [47]1987年3月期売上高4億1000万円・経常利益4100万円、1987年3月までに累積赤字一掃。1988年1月から約1億円のテレビCM。1988年3月期の新規仲介見込み3000件。1991年3月期売上高70億円・経常利益15億円と店頭公開を目標。東急リロケーション・三菱倉庫・三越ハウジングなどが参入
- [48]1987年3月期売上高4億1000万円・経常利益4100万円、1987年3月までに累積赤字一掃。1988年1月から約1億円のテレビCM。1988年3月期の新規仲介見込み3000件。1991年3月期売上高70億円・経常利益15億円と店頭公開を目標。東急リロケーション・三菱倉庫・三越ハウジングなどが参入
- [49]1987年3月期売上高4億1000万円・経常利益4100万円、1987年3月までに累積赤字一掃。1988年1月から約1億円のテレビCM。1988年3月期の新規仲介見込み3000件。1991年3月期売上高70億円・経常利益15億円と店頭公開を目標。東急リロケーション・三菱倉庫・三越ハウジングなどが参入
- ヤノ・レポート 690号 1985年11月7日
- [35]1984年11月に大阪へ進出し、首都圏と大阪の2店舗体制。社員は前年初めの10名から31名に
- [36]1984年11月に大阪へ進出し、首都圏と大阪の2店舗体制。社員は前年初めの10名から31名に
- [39]1985年度の新規取扱い見込み800件、手数料1件計20万円で1億6千万円、営繕平均10万円で8千万円。累積管理客から戸建て8%・マンション5%の管理費が毎月。1978〜1984年の累積管理1,800件。1985年度総収入3.5〜4億円。帰任時リフォーム1件70〜80万円
- [40]1985年度の新規取扱い見込み800件、手数料1件計20万円で1億6千万円、営繕平均10万円で8千万円。累積管理客から戸建て8%・マンション5%の管理費が毎月。1978〜1984年の累積管理1,800件。1985年度総収入3.5〜4億円。帰任時リフォーム1件70〜80万円
- [41]1985年度の新規取扱い見込み800件、手数料1件計20万円で1億6千万円、営繕平均10万円で8千万円。累積管理客から戸建て8%・マンション5%の管理費が毎月。1978〜1984年の累積管理1,800件。1985年度総収入3.5〜4億円。帰任時リフォーム1件70〜80万円
- [42]1985年度の新規取扱い見込み800件、手数料1件計20万円で1億6千万円、営繕平均10万円で8千万円。累積管理客から戸建て8%・マンション5%の管理費が毎月。1978〜1984年の累積管理1,800件。1985年度総収入3.5〜4億円。帰任時リフォーム1件70〜80万円
- [44]1985年時点で20社近くが参入。日本信販は1984年7月参入・1985年3月事業開始、東急不動産(東急リロケーション)も進出
- 日経ビジネス 2004年1月26日号(佐々田正徳リロ・ホールディング会長)
- [38]佐々田正徳氏は1984年に日本リロケーションセンターを創業
出典・参考
4件
- リロ・ホールディング 有価証券報告書(2006年6月27日提出)【沿革】
- ヤノ・レポート 690号 1985年11月7日
- 日経ビジネス 1988年1月18日号
- 日経ビジネス 2004年1月26日号(佐々田正徳リロ・ホールディング会長)