三菱HCキャピタル:日立家庭電器月賦販売とダイヤモンドリースの設立
1957年〜東京・大阪など日立家電の月賦4社と、資本金5,500万円で統合した割賦の新会社
日立製作所は、家庭電気製品の販売を割賦で後押しするため、本体とは別の会社に販売金融を担わせた。1960年時点の体制は、東京・大阪・名古屋・九州の4地域それぞれに置かれた日立家庭電器月賦販売株式会社。のちの日立クレジットの方式では、販売店から商品を現金で仕入れ、顧客とは期間に見合う手数料を上乗せした価格で契約した。商品の在庫は持たず、会社が負うのは代金回収と与信の仕事だけである。1976年3月期の契約高でも、日立関連製品の比率は60%強に上った。製造を担う本体の勘定から割賦の債権と回収の手間を切り離し、販売の現場に近い地域ごとに任せる狙いがあったとみられる。
- 証券 29(2) 1977年
- [1]1960年設立の会社は日立製作所の家庭電気製品の販売を割賦で強化・促進する目的で置かれ、販売店から現金価格で仕入れて顧客に割賦価格で販売し在庫を持たない。1976年3月期の契約高の日立関連製品比率は60%強
- [3]1960年設立の会社は日立製作所の家庭電気製品の販売を割賦で強化・促進する目的で置かれ、販売店から現金価格で仕入れて顧客に割賦価格で販売し在庫を持たない。1976年3月期の契約高の日立関連製品比率は60%強
- [4]1960年設立の会社は日立製作所の家庭電気製品の販売を割賦で強化・促進する目的で置かれ、販売店から現金価格で仕入れて顧客に割賦価格で販売し在庫を持たない。1976年3月期の契約高の日立関連製品比率は60%強
- [5]1960年設立の会社は日立製作所の家庭電気製品の販売を割賦で強化・促進する目的で置かれ、販売店から現金価格で仕入れて顧客に割賦価格で販売し在庫を持たない。1976年3月期の契約高の日立関連製品比率は60%強
- 証券アナリストジャーナル 15(10) 1977年 川井暹
- [2]1960年12月以前に東京・大阪・九州・名古屋の各日立家庭電器月賦販売株式会社4社が設立されていた
日立製作所は1960年8月、資本金5,500万円の新会社を発足させ、家庭電気品の割賦販売を担わせた。新会社は日立製作所の全額出資である。新会社は同年12月、地域別の月賦販売4社を吸収合併した。翌1961年1月には全国9営業所の体制で本格的な営業に入り、顧客開拓の軸に日立家電販売の販売網を据えた。1977年の時点で提携販売店は約4万4千店、営業所は48か所、出張所は182か所に広がった。提携先企業も日立家電販売を含めて49社を数えた。地域ごとに分かれた4社のままでは、全国に広がる日立家電販売の販売網と与信の基準をそろえにくかったのだろう。
- 証券アナリストジャーナル 15(10) 1977年 川井暹
- [6]1960年8月に資本金5,500万円で発足し、同年12月に日立家庭電器月賦販売4社を吸収合併
- [8]1960年8月に資本金5,500万円で発足し、同年12月に日立家庭電器月賦販売4社を吸収合併
- 証券 29(2) 1977年
- [7]日立製作所の全額出資で設立。1961年1月に全国9営業所で本格営業を開始し、日立家電販売の販売網を中心に営業。1977年時点で提携販売店約4万4千店・48営業所・182出張所。提携先企業は日立家電販売を含め49社
- [9]日立製作所の全額出資で設立。1961年1月に全国9営業所で本格営業を開始し、日立家電販売の販売網を中心に営業。1977年時点で提携販売店約4万4千店・48営業所・182出張所。提携先企業は日立家電販売を含め49社
- [10]日立製作所の全額出資で設立。1961年1月に全国9営業所で本格営業を開始し、日立家電販売の販売網を中心に営業。1977年時点で提携販売店約4万4千店・48営業所・182出張所。提携先企業は日立家電販売を含め49社
- [11]日立製作所の全額出資で設立。1961年1月に全国9営業所で本格営業を開始し、日立家電販売の販売網を中心に営業。1977年時点で提携販売店約4万4千店・48営業所・182出張所。提携先企業は日立家電販売を含め49社
新会社は1966年から1970年にかけて、割賦販売の周りに3つの制度を加えた。1966年には金融機関と提携し、顧客が金融機関から借りた購入資金を保証する提携ローン制度を始めた。1968年には、販売店が顧客に直接割賦で売った債権を割り引いて取得する割賦債権買取制度を設けた。1970年には、預金口座からの自動振替で代金を回収する割賦販売を始めた。1996年に社長を務めていた花房正義氏は、保証業務のように自社で資金を用意せずに済む事業を広げたことが、借入金の少なさにつながったと振り返った。借入に依存すると金利の上昇がそのまま利幅を圧迫するため、保証と債権買取で取扱高を広げる方式を選んだと推察される。
- 証券 29(2) 1977年
- [12]1966年に提携ローン制度、1968年に割賦債権買取制度、1970年に預金口座自動振替を利用した割賦販売制度を開始
- [13]1966年に提携ローン制度、1968年に割賦債権買取制度、1970年に預金口座自動振替を利用した割賦販売制度を開始
- [14]1966年に提携ローン制度、1968年に割賦債権買取制度、1970年に預金口座自動振替を利用した割賦販売制度を開始
- [15]1966年に提携ローン制度、1968年に割賦債権買取制度、1970年に預金口座自動振替を利用した割賦販売制度を開始
- 日経ビジネス 1996年10月7日号
- [16]花房正義社長(1996年)は、提携金融機関の融資に対する保証業務など自己資金を要さない新事業を開拓したため借入金が比較的少ないと説明
参考文献[1]-[16]
- 証券 29(2) 1977年
- [1]1960年設立の会社は日立製作所の家庭電気製品の販売を割賦で強化・促進する目的で置かれ、販売店から現金価格で仕入れて顧客に割賦価格で販売し在庫を持たない。1976年3月期の契約高の日立関連製品比率は60%強
- [3]1960年設立の会社は日立製作所の家庭電気製品の販売を割賦で強化・促進する目的で置かれ、販売店から現金価格で仕入れて顧客に割賦価格で販売し在庫を持たない。1976年3月期の契約高の日立関連製品比率は60%強
- [4]1960年設立の会社は日立製作所の家庭電気製品の販売を割賦で強化・促進する目的で置かれ、販売店から現金価格で仕入れて顧客に割賦価格で販売し在庫を持たない。1976年3月期の契約高の日立関連製品比率は60%強
- [5]1960年設立の会社は日立製作所の家庭電気製品の販売を割賦で強化・促進する目的で置かれ、販売店から現金価格で仕入れて顧客に割賦価格で販売し在庫を持たない。1976年3月期の契約高の日立関連製品比率は60%強
- [7]日立製作所の全額出資で設立。1961年1月に全国9営業所で本格営業を開始し、日立家電販売の販売網を中心に営業。1977年時点で提携販売店約4万4千店・48営業所・182出張所。提携先企業は日立家電販売を含め49社
- [9]日立製作所の全額出資で設立。1961年1月に全国9営業所で本格営業を開始し、日立家電販売の販売網を中心に営業。1977年時点で提携販売店約4万4千店・48営業所・182出張所。提携先企業は日立家電販売を含め49社
- [10]日立製作所の全額出資で設立。1961年1月に全国9営業所で本格営業を開始し、日立家電販売の販売網を中心に営業。1977年時点で提携販売店約4万4千店・48営業所・182出張所。提携先企業は日立家電販売を含め49社
- [11]日立製作所の全額出資で設立。1961年1月に全国9営業所で本格営業を開始し、日立家電販売の販売網を中心に営業。1977年時点で提携販売店約4万4千店・48営業所・182出張所。提携先企業は日立家電販売を含め49社
- [12]1966年に提携ローン制度、1968年に割賦債権買取制度、1970年に預金口座自動振替を利用した割賦販売制度を開始
- [13]1966年に提携ローン制度、1968年に割賦債権買取制度、1970年に預金口座自動振替を利用した割賦販売制度を開始
- [14]1966年に提携ローン制度、1968年に割賦債権買取制度、1970年に預金口座自動振替を利用した割賦販売制度を開始
- [15]1966年に提携ローン制度、1968年に割賦債権買取制度、1970年に預金口座自動振替を利用した割賦販売制度を開始
- 証券アナリストジャーナル 15(10) 1977年 川井暹
- [2]1960年12月以前に東京・大阪・九州・名古屋の各日立家庭電器月賦販売株式会社4社が設立されていた
- [6]1960年8月に資本金5,500万円で発足し、同年12月に日立家庭電器月賦販売4社を吸収合併
- [8]1960年8月に資本金5,500万円で発足し、同年12月に日立家庭電器月賦販売4社を吸収合併
- 日経ビジネス 1996年10月7日号
- [16]花房正義社長(1996年)は、提携金融機関の融資に対する保証業務など自己資金を要さない新事業を開拓したため借入金が比較的少ないと説明
1971年〜三菱銀行とチェースの16社が3億円で設立したダイヤモンドリースと、香港の造船
三菱銀行は1971年4月、チェース・マンハッタン銀行との合弁でダイヤモンドリースを設立した。起点は、三菱銀行頭取の田実渉氏と来日したチェース・マンハッタン銀行の会長が業務提携の最初の案件としてリース会社の設立で合意した、1970年3月21日の首脳会談である。当時は都市銀行が本来の貸し出しを補う目的で相次いでリース会社を設けており、三菱銀行は大手の中で後発だった。株主は三菱銀行・三菱商事・三菱信託銀行・明治生命・東京海上火災を含む三菱グループ11社に、第一生命・日本生命とチェース関連の3社を加えた16社。資本金は3億円で、監督官庁の許可を得て4月12日に発足した。先発の銀行系リース会社の動向を見極めたうえで、日本進出を図る外国銀行の関心と重なる時期を選んで参入したと思われる。
- 証券アナリストジャーナル 23(5) 1985年 大澤社長
- [17]1971年4月、三菱銀行とチェース・マンハッタン銀行の合弁で、三菱グループ11社・第一生命・日本生命・チェース関連3社の16社を株主に資本金3億円で設立
- [19]昭和40年代に都市銀行が貸し出しを補完する考えからリース会社を次々に設立し、ダイヤモンドリースは大手の中で後発
- [20]1971年4月、三菱銀行とチェース・マンハッタン銀行の合弁で、三菱グループ11社・第一生命・日本生命・チェース関連3社の16社を株主に資本金3億円で設立
- 銀行時評 9(11) 1975年12月「銀行OBは語る ダイヤモンドリース㈱社長 氏家卓也氏」
- [18]1970年3月21日の三菱銀行田実渉頭取とチェース・マンハッタン銀行会長のトップ会談でリース会社設立の基本線が合意され、監督官庁の許可を経て1971年4月12日に設立
- [21]1970年3月21日の三菱銀行田実渉頭取とチェース・マンハッタン銀行会長のトップ会談でリース会社設立の基本線が合意され、監督官庁の許可を経て1971年4月12日に設立
ダイヤモンドリースは発足当初、三菱グループ各社を中心に営業を進めた。最初の契約先や機械の取引先からその関係会社へと紹介が連なり、三菱系以外の企業にも顧客が広がった。1984年ごろには、総契約高に占める三菱系の比率はごくわずかになった。社長の氏家卓也氏は1975年、リース取引でも銀行と同じく人と人とのつながりと信頼関係が基本になるという考えを示した。リース会計では初期に償却と金利の負担が重く、ダイヤモンドリースも発足から3期は赤字が続いた。初の黒字は第4期の1975年3月期で、経常利益は4億3,000万円。第5期には税引き後で4億円の利益を計上して繰越欠損を解消し、1株あたり50円の配当を実施した。
- 証券アナリストジャーナル 23(5) 1985年 大澤社長
- [22]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [23]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [24]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [26]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [27]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [28]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- 銀行時評 9(11) 1975年12月「銀行OBは語る ダイヤモンドリース㈱社長 氏家卓也氏」
- [25]氏家卓也社長は、リース取引でも人間関係・信頼関係が基本と述べた
ダイヤモンドリースは1973年、造船に関する案件を扱うため香港に現地法人を設けた。昭和40年代半ばから造船の仕組船の取引が広がり、海外に拠点を持たないと扱いにくくなったため、リース各社が香港に支店や子会社を相次いで置いた。合弁相手のチェース・マンハッタン銀行は、金融の国際化を背景に日本進出を図っていた外国銀行である。社長の氏家卓也氏は三菱銀行で1962年から1965年までニューヨーク支店次長を務め、その海外経験を評価されて1971年4月に社長に就任した。外国銀行を株主に持ち、海外勤務の経験がある社長を置いた体制が、発足から2年での海外拠点の設置を支えたと考えられる。
- 証券アナリストジャーナル 23(5) 1985年 大澤社長
- [29]1973年に造船に関する仕事のため香港に現地法人を設立。昭和40年代半ばから仕組船に絡み各社が香港に支店・子会社を開設。チェース・マンハッタン銀行は金融の国際化を背景に日本進出を図っていた
- [30]1973年に造船に関する仕事のため香港に現地法人を設立。昭和40年代半ばから仕組船に絡み各社が香港に支店・子会社を開設。チェース・マンハッタン銀行は金融の国際化を背景に日本進出を図っていた
- [31]1973年に造船に関する仕事のため香港に現地法人を設立。昭和40年代半ばから仕組船に絡み各社が香港に支店・子会社を開設。チェース・マンハッタン銀行は金融の国際化を背景に日本進出を図っていた
- 銀行時評 9(11) 1975年12月「銀行OBは語る ダイヤモンドリース㈱社長 氏家卓也氏」
- [32]氏家卓也氏は三菱銀行でニューヨーク支店次長(1962〜1965年)などを経て、海外経験を買われ1971年4月にダイヤモンドリース社長に就任
参考文献[17]-[32]
- 証券アナリストジャーナル 23(5) 1985年 大澤社長
- [17]1971年4月、三菱銀行とチェース・マンハッタン銀行の合弁で、三菱グループ11社・第一生命・日本生命・チェース関連3社の16社を株主に資本金3億円で設立
- [19]昭和40年代に都市銀行が貸し出しを補完する考えからリース会社を次々に設立し、ダイヤモンドリースは大手の中で後発
- [20]1971年4月、三菱銀行とチェース・マンハッタン銀行の合弁で、三菱グループ11社・第一生命・日本生命・チェース関連3社の16社を株主に資本金3億円で設立
- [22]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [23]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [24]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [26]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [27]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [28]当初は三菱グループ各社中心の営業で、最初の契約先や機械の取引先から関係会社へ伝わり系外企業へ拡大。1984年頃には三菱系比率がごくわずか。設立から3期は赤字、1975年3月期に経常利益4億3,000万円で初の黒字。第5期に税引後4億円の利益で繰越欠損を一掃し1株50円配当
- [29]1973年に造船に関する仕事のため香港に現地法人を設立。昭和40年代半ばから仕組船に絡み各社が香港に支店・子会社を開設。チェース・マンハッタン銀行は金融の国際化を背景に日本進出を図っていた
- [30]1973年に造船に関する仕事のため香港に現地法人を設立。昭和40年代半ばから仕組船に絡み各社が香港に支店・子会社を開設。チェース・マンハッタン銀行は金融の国際化を背景に日本進出を図っていた
- [31]1973年に造船に関する仕事のため香港に現地法人を設立。昭和40年代半ばから仕組船に絡み各社が香港に支店・子会社を開設。チェース・マンハッタン銀行は金融の国際化を背景に日本進出を図っていた
- 銀行時評 9(11) 1975年12月「銀行OBは語る ダイヤモンドリース㈱社長 氏家卓也氏」
- [18]1970年3月21日の三菱銀行田実渉頭取とチェース・マンハッタン銀行会長のトップ会談でリース会社設立の基本線が合意され、監督官庁の許可を経て1971年4月12日に設立
- [21]1970年3月21日の三菱銀行田実渉頭取とチェース・マンハッタン銀行会長のトップ会談でリース会社設立の基本線が合意され、監督官庁の許可を経て1971年4月12日に設立
- [25]氏家卓也社長は、リース取引でも人間関係・信頼関係が基本と述べた
- [32]氏家卓也氏は三菱銀行でニューヨーク支店次長(1962〜1965年)などを経て、海外経験を買われ1971年4月にダイヤモンドリース社長に就任
1975年〜手数料率13.4%へ上げた日立クレジットと、サムライ・リース80億円
日立クレジットは1973年11月以降、取扱手数料率などを4回にわたって引き上げた。石油危機で借入金の金利が上がったことへの対応で、年10%(アド・オン方式)だった手数料率は1974年4月に13.4%となった。1975年12月には1.2%引き下げ、12.2%とした。並行して1971年以降、自動車・家具・事務機の企業と提携し、日立の家電以外に扱う商品を広げた。社長の川井暹氏は1977年、教育機器やインテリア、百貨店との提携によるクレジット業務も新しい分野に挙げた。1976年3月期の契約高は家庭電気製品55.7%、自動車等13.6%、事務機器等11.1%、家具9.3%の構成となり、売上高経常利益率は1973年9月期の0.8%から2.6%に上がった。
- 証券 29(2) 1977年
- [33]石油危機による借入金金利上昇に対応し1973年11月以降4回手数料率を引上げ、年10%から1974年4月に13.4%、1975年12月に1.2%引下げ12.2%。1976年3月期の商品別構成と売上高経常利益率0.8%→2.6%
- [34]石油危機による借入金金利上昇に対応し1973年11月以降4回手数料率を引上げ、年10%から1974年4月に13.4%、1975年12月に1.2%引下げ12.2%。1976年3月期の商品別構成と売上高経常利益率0.8%→2.6%
- [35]石油危機による借入金金利上昇に対応し1973年11月以降4回手数料率を引上げ、年10%から1974年4月に13.4%、1975年12月に1.2%引下げ12.2%。1976年3月期の商品別構成と売上高経常利益率0.8%→2.6%
- [36]1971年以降、日立の家庭電気製品に加え自動車・家具・事務機等の企業と提携契約を結び取扱商品を拡大
- [38]石油危機による借入金金利上昇に対応し1973年11月以降4回手数料率を引上げ、年10%から1974年4月に13.4%、1975年12月に1.2%引下げ12.2%。1976年3月期の商品別構成と売上高経常利益率0.8%→2.6%
- 証券アナリストジャーナル 15(10) 1977年 川井暹
- [37]川井暹社長は取扱商品が自動車・教育および事務機器・家具・インテリア・百貨店提携のクレジット業務へ広がったと説明
日立クレジットの取扱いは、1970年代半ばまで国内の日立製品に比重を置いた。1976年3月期の契約高のうち、日立関連製品は60%強を占めた。地域別では関東・甲信越が31%、近畿・中国が20%、九州が18%で、営業網はすべて国内である。社長の川井暹氏は1973年に英国を訪れ、カラーテレビの70%がリースで使われる実情を見た。川井暹氏は1977年、米国で家電の併売店がシェア拡大に在庫金融を使う例を紹介し、日本でも研究課題になると答えた。海外の家電金融を直接見聞した経験が、のちに日立製品の販売を追って香港と英国に子会社を置く判断の下地になったと推測される。
- 証券 29(2) 1977年
- [39]1976年3月期契約高の日立関連製品比率は60%強。地域別は関東・甲信越31%、近畿・中国20%、九州18%など
- [40]1976年3月期契約高の日立関連製品比率は60%強。地域別は関東・甲信越31%、近畿・中国20%、九州18%など
- [41]1976年3月期契約高の日立関連製品比率は60%強。地域別は関東・甲信越31%、近畿・中国20%、九州18%など
- 証券アナリストジャーナル 15(10) 1977年 川井暹
- [42]川井暹社長は1973年に英国を訪れた際カラーテレビの70%がリースだったと述べ、米国の家電併売店での在庫金融を研究課題とした
- [43]川井暹社長は1973年に英国を訪れた際カラーテレビの70%がリースだったと述べ、米国の家電併売店での在庫金融を研究課題とした
ダイヤモンドリースの国際業務は、1978年に政府が外貨貸し制度を活用したことで本格化した。政府は国際収支の黒字を減らすため、保有する外貨をリース会社に貸し付け、主に航空機を緊急輸入させた。サムライ・リースと呼ばれたこの取引で、ダイヤモンドリースはシンジケート団に加わり、国際関係で80億円を契約した。1981年以降は内外金利差の拡大と円相場の安定を背景に、航空機・船舶・機械の割賦を中心とする円建ての海外取引が増えた。国際部門の契約高は1982年の230億円から1984年に約500億円、1985年3月には1,000億円超へ拡大した。ダイヤモンドリースは、三菱銀行とチェース・マンハッタン銀行の業務提携から生まれた会社である。外国銀行との提携から生まれた出自と香港の現地法人が、海外取引を受け止める基盤になったと読み取れる。
- 証券アナリストジャーナル 23(5) 1985年 大澤社長
- [44]1978年の政府の外貨貸し制度(サムライ・リース)でシンジケート団に参加し国際関係で80億円契約。1981年以降円建て海外取引が拡大し、国際部門契約高は1982年230億円、1984年約500億円、1985年3月1,000億円超
- [45]1978年の政府の外貨貸し制度(サムライ・リース)でシンジケート団に参加し国際関係で80億円契約。1981年以降円建て海外取引が拡大し、国際部門契約高は1982年230億円、1984年約500億円、1985年3月1,000億円超
- [46]1978年の政府の外貨貸し制度(サムライ・リース)でシンジケート団に参加し国際関係で80億円契約。1981年以降円建て海外取引が拡大し、国際部門契約高は1982年230億円、1984年約500億円、1985年3月1,000億円超
- [47]1978年の政府の外貨貸し制度(サムライ・リース)でシンジケート団に参加し国際関係で80億円契約。1981年以降円建て海外取引が拡大し、国際部門契約高は1982年230億円、1984年約500億円、1985年3月1,000億円超
- [48]1978年の政府の外貨貸し制度(サムライ・リース)でシンジケート団に参加し国際関係で80億円契約。1981年以降円建て海外取引が拡大し、国際部門契約高は1982年230億円、1984年約500億円、1985年3月1,000億円超
- 銀行時評 9(11) 1975年12月「銀行OBは語る ダイヤモンドリース㈱社長 氏家卓也氏」
- [49]ダイヤモンドリースはチェース・マンハッタン銀行と三菱銀行の業務提携から生まれた合弁会社として1971年に設立
参考文献[33]-[49]
- 証券 29(2) 1977年
- [33]石油危機による借入金金利上昇に対応し1973年11月以降4回手数料率を引上げ、年10%から1974年4月に13.4%、1975年12月に1.2%引下げ12.2%。1976年3月期の商品別構成と売上高経常利益率0.8%→2.6%
- [34]石油危機による借入金金利上昇に対応し1973年11月以降4回手数料率を引上げ、年10%から1974年4月に13.4%、1975年12月に1.2%引下げ12.2%。1976年3月期の商品別構成と売上高経常利益率0.8%→2.6%
- [35]石油危機による借入金金利上昇に対応し1973年11月以降4回手数料率を引上げ、年10%から1974年4月に13.4%、1975年12月に1.2%引下げ12.2%。1976年3月期の商品別構成と売上高経常利益率0.8%→2.6%
- [36]1971年以降、日立の家庭電気製品に加え自動車・家具・事務機等の企業と提携契約を結び取扱商品を拡大
- [38]石油危機による借入金金利上昇に対応し1973年11月以降4回手数料率を引上げ、年10%から1974年4月に13.4%、1975年12月に1.2%引下げ12.2%。1976年3月期の商品別構成と売上高経常利益率0.8%→2.6%
- [39]1976年3月期契約高の日立関連製品比率は60%強。地域別は関東・甲信越31%、近畿・中国20%、九州18%など
- [40]1976年3月期契約高の日立関連製品比率は60%強。地域別は関東・甲信越31%、近畿・中国20%、九州18%など
- [41]1976年3月期契約高の日立関連製品比率は60%強。地域別は関東・甲信越31%、近畿・中国20%、九州18%など
- 証券アナリストジャーナル 15(10) 1977年 川井暹
- [37]川井暹社長は取扱商品が自動車・教育および事務機器・家具・インテリア・百貨店提携のクレジット業務へ広がったと説明
- [42]川井暹社長は1973年に英国を訪れた際カラーテレビの70%がリースだったと述べ、米国の家電併売店での在庫金融を研究課題とした
- [43]川井暹社長は1973年に英国を訪れた際カラーテレビの70%がリースだったと述べ、米国の家電併売店での在庫金融を研究課題とした
- 証券アナリストジャーナル 23(5) 1985年 大澤社長
- [44]1978年の政府の外貨貸し制度(サムライ・リース)でシンジケート団に参加し国際関係で80億円契約。1981年以降円建て海外取引が拡大し、国際部門契約高は1982年230億円、1984年約500億円、1985年3月1,000億円超
- [45]1978年の政府の外貨貸し制度(サムライ・リース)でシンジケート団に参加し国際関係で80億円契約。1981年以降円建て海外取引が拡大し、国際部門契約高は1982年230億円、1984年約500億円、1985年3月1,000億円超
- [46]1978年の政府の外貨貸し制度(サムライ・リース)でシンジケート団に参加し国際関係で80億円契約。1981年以降円建て海外取引が拡大し、国際部門契約高は1982年230億円、1984年約500億円、1985年3月1,000億円超
- [47]1978年の政府の外貨貸し制度(サムライ・リース)でシンジケート団に参加し国際関係で80億円契約。1981年以降円建て海外取引が拡大し、国際部門契約高は1982年230億円、1984年約500億円、1985年3月1,000億円超
- [48]1978年の政府の外貨貸し制度(サムライ・リース)でシンジケート団に参加し国際関係で80億円契約。1981年以降円建て海外取引が拡大し、国際部門契約高は1982年230億円、1984年約500億円、1985年3月1,000億円超
- 銀行時評 9(11) 1975年12月「銀行OBは語る ダイヤモンドリース㈱社長 氏家卓也氏」
- [49]ダイヤモンドリースはチェース・マンハッタン銀行と三菱銀行の業務提携から生まれた合弁会社として1971年に設立
出典・参考
5件
- 銀行時評 9(11) 1975年12月「銀行OBは語る ダイヤモンドリース㈱社長 氏家卓也氏」
- 証券アナリストジャーナル 15(10) 1977年 川井暹
- 証券アナリストジャーナル 23(5) 1985年 大澤社長
- 日経ビジネス 1996年10月7日号
- 証券 29(2) 1977年