加賀電子:加賀電子の設立と日本証券業協会への店頭登録
1968年〜秋葉原を回った部品の営業マンと、父に借りた50万円で創業した加賀電子
1968年2月、塚本勲氏は東京・神田で電子部品を扱う個人商店の加賀電子を創業した。塚本勲氏は1943年に金沢市で生まれ、16歳で上京して部品メーカーのヴァイオレット電機に職を得た。ボリューム・コントロールの組立工場で約2年働いたのち、18歳で営業部へ移った。以後約6年、サンスイ、パイオニア、トリオなどの音響機器メーカーや秋葉原の部品商社を訪ね歩いた。1967年7月にサンコー電機へ移り、翌年2月まで勤めてから独立した。元手の50万円は金沢の実家の父から借り、社名は加賀百万石にちなむ母の言葉から採った。部品の作り手と買い手の双方を営業で知った経験が、両者の間に立つ商社という業態を選ばせたと考えられる。
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [1]塚本勲は1943年金沢生まれ、16歳で上京しヴァイオレット電機に入社、工場約2年・営業約6年を経て1968年2月に父から借りた50万円で加賀電子を東京・神田で個人創業
- [2]塚本勲は1943年金沢生まれ、16歳で上京しヴァイオレット電機に入社、工場約2年・営業約6年を経て1968年2月に父から借りた50万円で加賀電子を東京・神田で個人創業
- [3]塚本勲は1943年金沢生まれ、16歳で上京しヴァイオレット電機に入社、工場約2年・営業約6年を経て1968年2月に父から借りた50万円で加賀電子を東京・神田で個人創業
- [4]塚本勲は1943年金沢生まれ、16歳で上京しヴァイオレット電機に入社、工場約2年・営業約6年を経て1968年2月に父から借りた50万円で加賀電子を東京・神田で個人創業
- [6]塚本勲は1943年金沢生まれ、16歳で上京しヴァイオレット電機に入社、工場約2年・営業約6年を経て1968年2月に父から借りた50万円で加賀電子を東京・神田で個人創業
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [5]役員略歴:1967年7月サンコー電機入社、1968年2月加賀電子(個人経営)創業、同年9月加賀電子株式会社設立
1968年9月、塚本勲氏は個人経営の電子部品商社を改組し、加賀電子株式会社を設立した。資本金は100万円で、創業から約半年で年商が1,000万円規模に達したことが法人登記の契機となった。創業時の50万円のうち約30万円は事務所の設営で消え、同郷の知人の紹介で東海銀行秋葉原支店に個人名義の当座預金口座を開設した。営業では扱い品目をボリューム・コントロール以外の電子部品全般へ広げ、顧客が他社から仕入れていた部品の見積もりを引き受けた。受けた部品は仕入先に頼んで調達し、流通マージンを載せた価格で納めた。顧客の注文を起点に仕入先を探す商いの順序は、この半年の間に固まったと推察される。
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [7]1968年9月、個人経営の電子部品商社「加賀電子」を株式会社に改組して設立
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [8]事務所設営で約30万円を費消、東海銀行秋葉原支店に個人名義の当座預金。扱い品目を電子部品全般に広げ、顧客の見積依頼を仕入先から調達してマージンを載せて販売。約半年で年商1,000万円程度となり1968年9月に資本金100万円で法人登記
- [9]事務所設営で約30万円を費消、東海銀行秋葉原支店に個人名義の当座預金。扱い品目を電子部品全般に広げ、顧客の見積依頼を仕入先から調達してマージンを載せて販売。約半年で年商1,000万円程度となり1968年9月に資本金100万円で法人登記
- [10]事務所設営で約30万円を費消、東海銀行秋葉原支店に個人名義の当座預金。扱い品目を電子部品全般に広げ、顧客の見積依頼を仕入先から調達してマージンを載せて販売。約半年で年商1,000万円程度となり1968年9月に資本金100万円で法人登記
- [11]事務所設営で約30万円を費消、東海銀行秋葉原支店に個人名義の当座預金。扱い品目を電子部品全般に広げ、顧客の見積依頼を仕入先から調達してマージンを載せて販売。約半年で年商1,000万円程度となり1968年9月に資本金100万円で法人登記
設立直後の加賀電子は運転資金を持たず、在庫を置くことも借り入れることもできなかった。そこで塚本勲氏は、顧客の注文を受けてから部品メーカーを選び、同業者へ発注して納品する受発注の仕組みを敷いた。仕入先への支払いは顧客からの回収条件に合わせ、現金で出ていく経費を賄える資金の回転を保った。加賀電子はこの運営で創業以来の無借金経営を続け、賞与や配当の資金を借りる場合も自社の預金額を超えなかった。設立当初の事業の中心は、仕入れを同業者に依存する二次卸の活動である。塚本勲氏は、資金も信用力も持たずに出発した事情が無借金を貫く姿勢の源になったと振り返った。資金の制約から生まれた在庫を持たない受発注の仕組みは、1986年時点でも加賀電子の特徴として残った。
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [12]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- [13]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- [14]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- [15]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- [17]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- [18]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [16]設立当初は二次卸商としての活動が中心
参考文献[1]-[18]
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [1]塚本勲は1943年金沢生まれ、16歳で上京しヴァイオレット電機に入社、工場約2年・営業約6年を経て1968年2月に父から借りた50万円で加賀電子を東京・神田で個人創業
- [2]塚本勲は1943年金沢生まれ、16歳で上京しヴァイオレット電機に入社、工場約2年・営業約6年を経て1968年2月に父から借りた50万円で加賀電子を東京・神田で個人創業
- [3]塚本勲は1943年金沢生まれ、16歳で上京しヴァイオレット電機に入社、工場約2年・営業約6年を経て1968年2月に父から借りた50万円で加賀電子を東京・神田で個人創業
- [4]塚本勲は1943年金沢生まれ、16歳で上京しヴァイオレット電機に入社、工場約2年・営業約6年を経て1968年2月に父から借りた50万円で加賀電子を東京・神田で個人創業
- [6]塚本勲は1943年金沢生まれ、16歳で上京しヴァイオレット電機に入社、工場約2年・営業約6年を経て1968年2月に父から借りた50万円で加賀電子を東京・神田で個人創業
- [8]事務所設営で約30万円を費消、東海銀行秋葉原支店に個人名義の当座預金。扱い品目を電子部品全般に広げ、顧客の見積依頼を仕入先から調達してマージンを載せて販売。約半年で年商1,000万円程度となり1968年9月に資本金100万円で法人登記
- [9]事務所設営で約30万円を費消、東海銀行秋葉原支店に個人名義の当座預金。扱い品目を電子部品全般に広げ、顧客の見積依頼を仕入先から調達してマージンを載せて販売。約半年で年商1,000万円程度となり1968年9月に資本金100万円で法人登記
- [10]事務所設営で約30万円を費消、東海銀行秋葉原支店に個人名義の当座預金。扱い品目を電子部品全般に広げ、顧客の見積依頼を仕入先から調達してマージンを載せて販売。約半年で年商1,000万円程度となり1968年9月に資本金100万円で法人登記
- [11]事務所設営で約30万円を費消、東海銀行秋葉原支店に個人名義の当座預金。扱い品目を電子部品全般に広げ、顧客の見積依頼を仕入先から調達してマージンを載せて販売。約半年で年商1,000万円程度となり1968年9月に資本金100万円で法人登記
- [12]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- [13]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- [14]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- [15]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- [17]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- [18]運転資金がなく在庫を置けず借入もできないため、受注後に部品メーカーを選び同業者に発注して納品、回収条件に合わせて支払う受発注方式を採用。創業以来無借金経営で、借入は自社預金を超えない。資金も信用力もない出発がこの精神の源
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [5]役員略歴:1967年7月サンコー電機入社、1968年2月加賀電子(個人経営)創業、同年9月加賀電子株式会社設立
- [7]1968年9月、個人経営の電子部品商社「加賀電子」を株式会社に改組して設立
- [16]設立当初は二次卸商としての活動が中心
1970年〜倉毛エレクト工業との代理店契約と、ロサンゼルスに95万ドルで設けたTAXAN
1970年6月、加賀電子は倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約を結び、メーカーの代理店業務を始めた。それまでの約2年は、同業者から部品を仕入れる二次卸の活動が中心だった。その後は1974年11月に帝国通信工業、1979年4月に沖電気工業、1983年7月に三菱電機と代理店契約を重ねた。1986年時点の代理店契約先は10社、直接の仕入先は千数百社に及んだ。営業所も1970年7月の多摩営業所を皮切りに都内で増やし、1982年11月に北陸、1984年4月に関西と名古屋へ開設した。塚本勲氏は、メーカーの販売代行より顧客の購買代行に重点を置く点を大手の半導体商社との違いに挙げた。代理店契約はメーカーから直接仕入れる経路を開き、同業者を介す二次卸の薄い利幅から抜け出す手段になったと思われる。
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [19]設立当初は二次卸が中心、1970年6月倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約。以後1974年11月帝国通信工業、1979年4月沖電気工業、1983年7月三菱電機と契約、代理店契約先10社。1970年7月多摩営業所、1982年11月北陸、1984年4月関西・名古屋営業所
- [20]設立当初は二次卸が中心、1970年6月倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約。以後1974年11月帝国通信工業、1979年4月沖電気工業、1983年7月三菱電機と契約、代理店契約先10社。1970年7月多摩営業所、1982年11月北陸、1984年4月関西・名古屋営業所
- [21]設立当初は二次卸が中心、1970年6月倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約。以後1974年11月帝国通信工業、1979年4月沖電気工業、1983年7月三菱電機と契約、代理店契約先10社。1970年7月多摩営業所、1982年11月北陸、1984年4月関西・名古屋営業所
- [22]設立当初は二次卸が中心、1970年6月倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約。以後1974年11月帝国通信工業、1979年4月沖電気工業、1983年7月三菱電機と契約、代理店契約先10社。1970年7月多摩営業所、1982年11月北陸、1984年4月関西・名古屋営業所
- [23]設立当初は二次卸が中心、1970年6月倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約。以後1974年11月帝国通信工業、1979年4月沖電気工業、1983年7月三菱電機と契約、代理店契約先10社。1970年7月多摩営業所、1982年11月北陸、1984年4月関西・名古屋営業所
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [24]大手半導体商社との違いは部品メーカーの販売代行より顧客の購買代行に重点を置く点
1979年4月、輸出を担う海外事業部の設置。1981年7月には米ロサンゼルスに資本金95万米ドルの100%子会社を設立した。この子会社が、のちのTAXAN USAとなる米国の販売拠点である。塚本勲氏は、世界最大の市場である米国に販売と情報収集の拠点を築くことを当初からの念願としていた。自社ブランドには日本語の「沢山」から採ったTAXANの名を付け、海外では工場を持たないメーカーとして通用させた。米国の拠点はその後、1985年10月のニュージャージー州、1986年1月のダラス、同年2月のシカゴへ広がった。部品の仲介で得る口銭だけでは付加価値を高めにくく、自社ブランドで最終製品の市場に出ることが次の収益源と見込まれたのだろう。
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [25]1979年4月海外事業部設置、1981年7月米国に100%子会社(現TAXAN USA CORP.)設立
- [27]1979年4月海外事業部設置、1981年7月米国に100%子会社(現TAXAN USA CORP.)設立
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [26]1981年7月ロサンゼルスに100%子会社TAXAN CORPORATION(資本金95万米ドル)を設立。米国は世界最大市場で拠点づくりが当初からの念願。TAXANは「沢山」に由来。1985年10月ニュージャージー、1986年1月ダラス、同2月シカゴに出先を開設
- [28]1981年7月ロサンゼルスに100%子会社TAXAN CORPORATION(資本金95万米ドル)を設立。米国は世界最大市場で拠点づくりが当初からの念願。TAXANは「沢山」に由来。1985年10月ニュージャージー、1986年1月ダラス、同2月シカゴに出先を開設
- [29]1981年7月ロサンゼルスに100%子会社TAXAN CORPORATION(資本金95万米ドル)を設立。米国は世界最大市場で拠点づくりが当初からの念願。TAXANは「沢山」に由来。1985年10月ニュージャージー、1986年1月ダラス、同2月シカゴに出先を開設
- [30]1981年7月ロサンゼルスに100%子会社TAXAN CORPORATION(資本金95万米ドル)を設立。米国は世界最大市場で拠点づくりが当初からの念願。TAXANは「沢山」に由来。1985年10月ニュージャージー、1986年1月ダラス、同2月シカゴに出先を開設
1986年時点で、TAXANの販売の約7割はCRTディスプレイである。IBMやアップルのパソコン利用者が性能と価格で他社製の表示装置も選ぶ米国の市場に、互換性のある製品を投入した。企画と開発は社内で手がけ、生産は得意な技術を持つ外部のメーカーに委ねた。欧州でも販売し、塚本勲氏は1984年度のCRTモニターのシェアを英独仏の3カ国合計で首位とみていた。国別では西ドイツで23%を占め、フィリップスと同率で首位に並んだ。加賀電子は1982年3月期から1985年3月期まで、半導体とTAXANブランド品の輸出の伸びで増収増益を続けた。海外事業部門の粗利益は1984年3月期の8億48百万円から1985年3月期の15億2百万円へ増加した。
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [31]TAXANの販売の7割方がCRTディスプレイ。IBM・アップル機ユーザーが他社製ディスプレイを選ぶサードパーティ市場に互換品を投入。企画・開発は社内、生産は外部委託。1984年度EC主要3カ国合計シェアでTAXANが首位との認識。西ドイツでTAXAN23%・フィリップス23%で同率首位
- [32]TAXANの販売の7割方がCRTディスプレイ。IBM・アップル機ユーザーが他社製ディスプレイを選ぶサードパーティ市場に互換品を投入。企画・開発は社内、生産は外部委託。1984年度EC主要3カ国合計シェアでTAXANが首位との認識。西ドイツでTAXAN23%・フィリップス23%で同率首位
- [33]TAXANの販売の7割方がCRTディスプレイ。IBM・アップル機ユーザーが他社製ディスプレイを選ぶサードパーティ市場に互換品を投入。企画・開発は社内、生産は外部委託。1984年度EC主要3カ国合計シェアでTAXANが首位との認識。西ドイツでTAXAN23%・フィリップス23%で同率首位
- [34]TAXANの販売の7割方がCRTディスプレイ。IBM・アップル機ユーザーが他社製ディスプレイを選ぶサードパーティ市場に互換品を投入。企画・開発は社内、生産は外部委託。1984年度EC主要3カ国合計シェアでTAXANが首位との認識。西ドイツでTAXAN23%・フィリップス23%で同率首位
- [35]TAXANの販売の7割方がCRTディスプレイ。IBM・アップル機ユーザーが他社製ディスプレイを選ぶサードパーティ市場に互換品を投入。企画・開発は社内、生産は外部委託。1984年度EC主要3カ国合計シェアでTAXANが首位との認識。西ドイツでTAXAN23%・フィリップス23%で同率首位
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [36]1982年3月期〜1985年3月期は半導体とTAXANブランド品輸出の好調で増収増益。海外事業部門の粗利益は1984年3月期8億48百万円→1985年3月期15億2百万円
- [37]1982年3月期〜1985年3月期は半導体とTAXANブランド品輸出の好調で増収増益。海外事業部門の粗利益は1984年3月期8億48百万円→1985年3月期15億2百万円
参考文献[19]-[37]
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [19]設立当初は二次卸が中心、1970年6月倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約。以後1974年11月帝国通信工業、1979年4月沖電気工業、1983年7月三菱電機と契約、代理店契約先10社。1970年7月多摩営業所、1982年11月北陸、1984年4月関西・名古屋営業所
- [20]設立当初は二次卸が中心、1970年6月倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約。以後1974年11月帝国通信工業、1979年4月沖電気工業、1983年7月三菱電機と契約、代理店契約先10社。1970年7月多摩営業所、1982年11月北陸、1984年4月関西・名古屋営業所
- [21]設立当初は二次卸が中心、1970年6月倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約。以後1974年11月帝国通信工業、1979年4月沖電気工業、1983年7月三菱電機と契約、代理店契約先10社。1970年7月多摩営業所、1982年11月北陸、1984年4月関西・名古屋営業所
- [22]設立当初は二次卸が中心、1970年6月倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約。以後1974年11月帝国通信工業、1979年4月沖電気工業、1983年7月三菱電機と契約、代理店契約先10社。1970年7月多摩営業所、1982年11月北陸、1984年4月関西・名古屋営業所
- [23]設立当初は二次卸が中心、1970年6月倉毛エレクト工業(現ユニゾン)と販売代理店契約。以後1974年11月帝国通信工業、1979年4月沖電気工業、1983年7月三菱電機と契約、代理店契約先10社。1970年7月多摩営業所、1982年11月北陸、1984年4月関西・名古屋営業所
- [25]1979年4月海外事業部設置、1981年7月米国に100%子会社(現TAXAN USA CORP.)設立
- [27]1979年4月海外事業部設置、1981年7月米国に100%子会社(現TAXAN USA CORP.)設立
- [36]1982年3月期〜1985年3月期は半導体とTAXANブランド品輸出の好調で増収増益。海外事業部門の粗利益は1984年3月期8億48百万円→1985年3月期15億2百万円
- [37]1982年3月期〜1985年3月期は半導体とTAXANブランド品輸出の好調で増収増益。海外事業部門の粗利益は1984年3月期8億48百万円→1985年3月期15億2百万円
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [24]大手半導体商社との違いは部品メーカーの販売代行より顧客の購買代行に重点を置く点
- [26]1981年7月ロサンゼルスに100%子会社TAXAN CORPORATION(資本金95万米ドル)を設立。米国は世界最大市場で拠点づくりが当初からの念願。TAXANは「沢山」に由来。1985年10月ニュージャージー、1986年1月ダラス、同2月シカゴに出先を開設
- [28]1981年7月ロサンゼルスに100%子会社TAXAN CORPORATION(資本金95万米ドル)を設立。米国は世界最大市場で拠点づくりが当初からの念願。TAXANは「沢山」に由来。1985年10月ニュージャージー、1986年1月ダラス、同2月シカゴに出先を開設
- [29]1981年7月ロサンゼルスに100%子会社TAXAN CORPORATION(資本金95万米ドル)を設立。米国は世界最大市場で拠点づくりが当初からの念願。TAXANは「沢山」に由来。1985年10月ニュージャージー、1986年1月ダラス、同2月シカゴに出先を開設
- [30]1981年7月ロサンゼルスに100%子会社TAXAN CORPORATION(資本金95万米ドル)を設立。米国は世界最大市場で拠点づくりが当初からの念願。TAXANは「沢山」に由来。1985年10月ニュージャージー、1986年1月ダラス、同2月シカゴに出先を開設
- [31]TAXANの販売の7割方がCRTディスプレイ。IBM・アップル機ユーザーが他社製ディスプレイを選ぶサードパーティ市場に互換品を投入。企画・開発は社内、生産は外部委託。1984年度EC主要3カ国合計シェアでTAXANが首位との認識。西ドイツでTAXAN23%・フィリップス23%で同率首位
- [32]TAXANの販売の7割方がCRTディスプレイ。IBM・アップル機ユーザーが他社製ディスプレイを選ぶサードパーティ市場に互換品を投入。企画・開発は社内、生産は外部委託。1984年度EC主要3カ国合計シェアでTAXANが首位との認識。西ドイツでTAXAN23%・フィリップス23%で同率首位
- [33]TAXANの販売の7割方がCRTディスプレイ。IBM・アップル機ユーザーが他社製ディスプレイを選ぶサードパーティ市場に互換品を投入。企画・開発は社内、生産は外部委託。1984年度EC主要3カ国合計シェアでTAXANが首位との認識。西ドイツでTAXAN23%・フィリップス23%で同率首位
- [34]TAXANの販売の7割方がCRTディスプレイ。IBM・アップル機ユーザーが他社製ディスプレイを選ぶサードパーティ市場に互換品を投入。企画・開発は社内、生産は外部委託。1984年度EC主要3カ国合計シェアでTAXANが首位との認識。西ドイツでTAXAN23%・フィリップス23%で同率首位
- [35]TAXANの販売の7割方がCRTディスプレイ。IBM・アップル機ユーザーが他社製ディスプレイを選ぶサードパーティ市場に互換品を投入。企画・開発は社内、生産は外部委託。1984年度EC主要3カ国合計シェアでTAXANが首位との認識。西ドイツでTAXAN23%・フィリップス23%で同率首位
1985年〜東京店頭市場への株式公開と、30万ポンドで英国に設けたTAXAN UK
1985年12月4日、加賀電子は東京店頭市場に株式を公開した。日本証券業協会の東京地区店頭売買銘柄への登録で、創業から17年10カ月での公開である。公開の時点で加賀電子は設立第1期から黒字を続け、無借金経営を保っていた。1986年3月期の売上高は301億円、経常利益は17億14百万円で、1977年3月期の58億円と2億73百万円からの拡大。塚本勲氏は1986年2月の講演で、創業20周年の1988年を東証2部上場の目標に置き、申請の体制づくりを進めていると説明した。自社ブランドで海外の取引先と向き合う商社にとって、公開企業の信用は取引の裏付けになると考えられたと推測される。
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [38]1985年12月4日東京店頭市場に株式公開。創立第1期から黒字継続・創業以来無借金。東証2部上場は創業20周年の1988年を目標に社内体制を整備中
- [40]1985年12月4日東京店頭市場に株式公開。創立第1期から黒字継続・創業以来無借金。東証2部上場は創業20周年の1988年を目標に社内体制を整備中
- [42]1985年12月4日東京店頭市場に株式公開。創立第1期から黒字継続・創業以来無借金。東証2部上場は創業20周年の1988年を目標に社内体制を整備中
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [39]1985年12月4日日本証券業協会東京地区店頭売買銘柄に登録。売上高は1977年3月期58億円→1986年3月期301億円、経常利益は2億73百万円→17億14百万円
- [41]1985年12月4日日本証券業協会東京地区店頭売買銘柄に登録。売上高は1977年3月期58億円→1986年3月期301億円、経常利益は2億73百万円→17億14百万円
1985年12月、英国での100%子会社TAXAN(UK)LTD.の設立。資本金は30万ポンドで、EC域内での販売を担わせた。英国ではTAXANとKAGAの2ブランドで販売し、合計シェア18%でフィリップスの17%を上回っていた。一方で1986年3月期は英国向け輸出が低調となり、海外事業部門の売上総利益は前期を下回る10億54百万円となった。塚本勲氏は米国でもサンフランシスコと、ボストンかアトランタに1〜2年内に拠点を設ける方針を示した。拠点の候補地は経営陣が指示せず、平均年齢25歳未満の社員が自ら市場を調べて開設を申し出る仕組みである。拠点の開設を若い社員の調査に委ねたのは、少ない人員で海外の新しい市場を探し当てるための工夫だったと推察される。
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [43]1985年12月英国に100%子会社TAXAN(UK)LTD.設立。1986年3月期は英国向け輸出低調、海外事業部門の売上総利益は10億54百万円
- [46]1985年12月英国に100%子会社TAXAN(UK)LTD.設立。1986年3月期は英国向け輸出低調、海外事業部門の売上総利益は10億54百万円
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [44]1985年12月英国にTAXAN UK(資本金30万ポンド)を設立しEC域内販売を担当。英国でTAXAN・KAGA合計シェア18%でフィリップス17%を上回る。米国でサンフランシスコとボストンまたはアトランタに1〜2年内に拠点を設ける方針。拠点の設置先は平均年齢25歳未満の若手が市場調査のうえ申し出る
- [45]1985年12月英国にTAXAN UK(資本金30万ポンド)を設立しEC域内販売を担当。英国でTAXAN・KAGA合計シェア18%でフィリップス17%を上回る。米国でサンフランシスコとボストンまたはアトランタに1〜2年内に拠点を設ける方針。拠点の設置先は平均年齢25歳未満の若手が市場調査のうえ申し出る
- [47]1985年12月英国にTAXAN UK(資本金30万ポンド)を設立しEC域内販売を担当。英国でTAXAN・KAGA合計シェア18%でフィリップス17%を上回る。米国でサンフランシスコとボストンまたはアトランタに1〜2年内に拠点を設ける方針。拠点の設置先は平均年齢25歳未満の若手が市場調査のうえ申し出る
- [48]1985年12月英国にTAXAN UK(資本金30万ポンド)を設立しEC域内販売を担当。英国でTAXAN・KAGA合計シェア18%でフィリップス17%を上回る。米国でサンフランシスコとボストンまたはアトランタに1〜2年内に拠点を設ける方針。拠点の設置先は平均年齢25歳未満の若手が市場調査のうえ申し出る
参考文献[38]-[48]
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- [38]1985年12月4日東京店頭市場に株式公開。創立第1期から黒字継続・創業以来無借金。東証2部上場は創業20周年の1988年を目標に社内体制を整備中
- [40]1985年12月4日東京店頭市場に株式公開。創立第1期から黒字継続・創業以来無借金。東証2部上場は創業20周年の1988年を目標に社内体制を整備中
- [42]1985年12月4日東京店頭市場に株式公開。創立第1期から黒字継続・創業以来無借金。東証2部上場は創業20周年の1988年を目標に社内体制を整備中
- [44]1985年12月英国にTAXAN UK(資本金30万ポンド)を設立しEC域内販売を担当。英国でTAXAN・KAGA合計シェア18%でフィリップス17%を上回る。米国でサンフランシスコとボストンまたはアトランタに1〜2年内に拠点を設ける方針。拠点の設置先は平均年齢25歳未満の若手が市場調査のうえ申し出る
- [45]1985年12月英国にTAXAN UK(資本金30万ポンド)を設立しEC域内販売を担当。英国でTAXAN・KAGA合計シェア18%でフィリップス17%を上回る。米国でサンフランシスコとボストンまたはアトランタに1〜2年内に拠点を設ける方針。拠点の設置先は平均年齢25歳未満の若手が市場調査のうえ申し出る
- [47]1985年12月英国にTAXAN UK(資本金30万ポンド)を設立しEC域内販売を担当。英国でTAXAN・KAGA合計シェア18%でフィリップス17%を上回る。米国でサンフランシスコとボストンまたはアトランタに1〜2年内に拠点を設ける方針。拠点の設置先は平均年齢25歳未満の若手が市場調査のうえ申し出る
- [48]1985年12月英国にTAXAN UK(資本金30万ポンド)を設立しEC域内販売を担当。英国でTAXAN・KAGA合計シェア18%でフィリップス17%を上回る。米国でサンフランシスコとボストンまたはアトランタに1〜2年内に拠点を設ける方針。拠点の設置先は平均年齢25歳未満の若手が市場調査のうえ申し出る
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)
- [39]1985年12月4日日本証券業協会東京地区店頭売買銘柄に登録。売上高は1977年3月期58億円→1986年3月期301億円、経常利益は2億73百万円→17億14百万円
- [41]1985年12月4日日本証券業協会東京地区店頭売買銘柄に登録。売上高は1977年3月期58億円→1986年3月期301億円、経常利益は2億73百万円→17億14百万円
- [43]1985年12月英国に100%子会社TAXAN(UK)LTD.設立。1986年3月期は英国向け輸出低調、海外事業部門の売上総利益は10億54百万円
- [46]1985年12月英国に100%子会社TAXAN(UK)LTD.設立。1986年3月期は英国向け輸出低調、海外事業部門の売上総利益は10億54百万円
1968年〜1985年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1968年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | 145 | n/a | 7 | 4.8% | 2 | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | 181 | +24.8% | 9 | 5.0% | 4 | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | 227 | +25.4% | 12 | 5.3% | 5 | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | 301 | +32.6% | 19 | 6.3% | 7 | n/a |
出所:証券 1987年2月号
出典・参考
2件
- 証券アナリストジャーナル 24(3) 1986年3月号(塚本勲・1986年2月14日講演要旨)
- 証券 39(2) 1987年2月号(新規上場会社紹介)