RYODEN:利興商会の設立と菱電商事への改称
1947年〜占領下で東西に分けて立てた利興商会と、半年遅れて大阪に出た大興商会
1947年4月22日、資本金19万5,000円での株式会社利興商会の設立。三菱電機の東部代理店に位置づけられ、販売品目は三菱のミシン、ラジオ、電気冷蔵庫であった。最初の事務所は丸の内にあった三菱鉱業の木造建物の一角で、三菱電機資材部が借りた区画の階段下に役員が机を置いた。初代社長には三菱電機出身の柳沢芳次郎氏が就任し、社名は三菱電機社長の高杉晋一氏が中国の古典から取って付けた。1949年には三菱電機常務取締役の石黒九一氏が利興商会の社長に就任した。メーカーの社長が社名を選び、経営陣もメーカーから迎えた経緯から、利興商会は三菱電機の販売機能を外に置いた会社として出発したのだろう。
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [1]1947年4月22日、資本金195,000円で株式会社利興商会を設立。丸の内の三菱鉱業の木造2階建物(三菱電機資材部の借用部分)の階段下に役員5名が机を並べた
- [3]1947年4月22日、資本金195,000円で株式会社利興商会を設立。丸の内の三菱鉱業の木造2階建物(三菱電機資材部の借用部分)の階段下に役員5名が机を並べた
- [4]初代社長は三菱電機出身の柳沢芳次郎。社名は三菱電機社長の高杉晋一が漢籍から命名。1949年に三菱電機常務取締役の石黒九一が社長に就任
- [5]初代社長は三菱電機出身の柳沢芳次郎。社名は三菱電機社長の高杉晋一が漢籍から命名。1949年に三菱電機常務取締役の石黒九一が社長に就任
- RYODEN 有価証券報告書【沿革】
- [2]1947年4月、三菱電機の東部代理店として同社製のミシン・電気冷蔵庫・ラジオ等の販売を目的に利興商会を東京都千代田区に設立
大阪では1947年10月13日に大興商会が設立され、登記上の所在地は大阪市北区、資本金は19万5,000円であった。三菱電機の西部代理店という位置づけで、設立の目的と定款は利興商会に準じて定めた。利興商会の発足から約6か月遅れての設立。占領下では財閥系の企業が全国を1社で受け持つ販売会社を新設しにくく、東西で代理店を分ける二本建てを選ばざるを得なかった。大興商会は三菱電機の西部代理店として営業し、のちに利興商会に吸収された。同じ定款の会社を東西に置いた構成は、占領の終了後に1社へまとめることを見込んだ暫定の措置と推察される。
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [6]1947年10月13日、三菱電機西部代理店として大興商会を資本金195,000円で設立(登記上は大阪市北区芝田町)。目的・定款は利興に準拠。占領下で旧財閥系の全国一本の販売会社設立がはばかられ東西二本建てとなった
- [7]1947年10月13日、三菱電機西部代理店として大興商会を資本金195,000円で設立(登記上は大阪市北区芝田町)。目的・定款は利興に準拠。占領下で旧財閥系の全国一本の販売会社設立がはばかられ東西二本建てとなった
- [8]1947年10月13日、三菱電機西部代理店として大興商会を資本金195,000円で設立(登記上は大阪市北区芝田町)。目的・定款は利興に準拠。占領下で旧財閥系の全国一本の販売会社設立がはばかられ東西二本建てとなった
- [9]1947年10月13日、三菱電機西部代理店として大興商会を資本金195,000円で設立(登記上は大阪市北区芝田町)。目的・定款は利興に準拠。占領下で旧財閥系の全国一本の販売会社設立がはばかられ東西二本建てとなった
- 証券 15(5)(168) 1963年
- [10]上場紹介記事の事業概要・沿革に、大興商会が三菱電機西部代理店であり利興商会が吸収したと記載
参考文献[1]-[10]
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [1]1947年4月22日、資本金195,000円で株式会社利興商会を設立。丸の内の三菱鉱業の木造2階建物(三菱電機資材部の借用部分)の階段下に役員5名が机を並べた
- [3]1947年4月22日、資本金195,000円で株式会社利興商会を設立。丸の内の三菱鉱業の木造2階建物(三菱電機資材部の借用部分)の階段下に役員5名が机を並べた
- [4]初代社長は三菱電機出身の柳沢芳次郎。社名は三菱電機社長の高杉晋一が漢籍から命名。1949年に三菱電機常務取締役の石黒九一が社長に就任
- [5]初代社長は三菱電機出身の柳沢芳次郎。社名は三菱電機社長の高杉晋一が漢籍から命名。1949年に三菱電機常務取締役の石黒九一が社長に就任
- [6]1947年10月13日、三菱電機西部代理店として大興商会を資本金195,000円で設立(登記上は大阪市北区芝田町)。目的・定款は利興に準拠。占領下で旧財閥系の全国一本の販売会社設立がはばかられ東西二本建てとなった
- [7]1947年10月13日、三菱電機西部代理店として大興商会を資本金195,000円で設立(登記上は大阪市北区芝田町)。目的・定款は利興に準拠。占領下で旧財閥系の全国一本の販売会社設立がはばかられ東西二本建てとなった
- [8]1947年10月13日、三菱電機西部代理店として大興商会を資本金195,000円で設立(登記上は大阪市北区芝田町)。目的・定款は利興に準拠。占領下で旧財閥系の全国一本の販売会社設立がはばかられ東西二本建てとなった
- [9]1947年10月13日、三菱電機西部代理店として大興商会を資本金195,000円で設立(登記上は大阪市北区芝田町)。目的・定款は利興に準拠。占領下で旧財閥系の全国一本の販売会社設立がはばかられ東西二本建てとなった
- RYODEN 有価証券報告書【沿革】
- [2]1947年4月、三菱電機の東部代理店として同社製のミシン・電気冷蔵庫・ラジオ等の販売を目的に利興商会を東京都千代田区に設立
- 証券 15(5)(168) 1963年
- [10]上場紹介記事の事業概要・沿革に、大興商会が三菱電機西部代理店であり利興商会が吸収したと記載
1952年〜利興・大興の合併で一本化した総代理店と、家電が主力になって名乗った菱電商事
1952年11月、利興商会は大興商会を合併し、三菱電機製品の総代理店を全国で1社にまとめた。東西に分かれたままでは、ミシンの販売本部が2つ並ぶうえ、三菱電機にとっても取引の窓口が分かれて不便であった。占領期の事情が順を追って緩んだことに加え、三菱電機の助言もあって合併を決めた。利興商会は大興商会の福岡支店と京都・広島の出張所を継承し、大興商会の本店を大阪支店として残した。合併後の資本金は1,500万円で、11月17日の臨時株主総会の通知は取締役社長の深山荘吉氏の名義だった。大興商会からは商号を改めて新しく出発する案も出されたものの、その検討は次の機会に持ち越された。
- RYODEN 有価証券報告書【沿革】
- [11]1952年11月、西部代理店の大興商会と合併し、福岡支店と京都・広島各出張所を継承、同社本店を大阪支店として設置
- [14]1952年11月、西部代理店の大興商会と合併し、福岡支店と京都・広島各出張所を継承、同社本店を大阪支店として設置
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [12]東西二本建てはミシン販売本部が2つになり三菱電機にも不便。被占領下の事情が緩和し三菱電機の助言で合併。1952年11月17日に両社で臨時株主総会、通知は取締役社長深山荘吉名。大興側から商号変更案が出たが先送り
- [13]東西二本建てはミシン販売本部が2つになり三菱電機にも不便。被占領下の事情が緩和し三菱電機の助言で合併。1952年11月17日に両社で臨時株主総会、通知は取締役社長深山荘吉名。大興側から商号変更案が出たが先送り
- [16]東西二本建てはミシン販売本部が2つになり三菱電機にも不便。被占領下の事情が緩和し三菱電機の助言で合併。1952年11月17日に両社で臨時株主総会、通知は取締役社長深山荘吉名。大興側から商号変更案が出たが先送り
- [17]東西二本建てはミシン販売本部が2つになり三菱電機にも不便。被占領下の事情が緩和し三菱電機の助言で合併。1952年11月17日に両社で臨時株主総会、通知は取締役社長深山荘吉名。大興側から商号変更案が出たが先送り
- 証券 15(5)(168) 1963年
- [15]資本金の変遷で1952年11月に15,000千円(大興商会を吸収合併)
1956年度の総売上高3,131,413千円のうち、家庭電器品は2,064,684千円・65.9%。ミシンは975,072千円・31.1%で、家庭電器品の売上がミシンの2倍に達した。前年の1955年度には総売上高2,058,726千円のうちミシンが919,926千円・44.7%を占めており、1年で主力の商品が入れ替わった。設立から1954年までは、利興商会の営業はほぼミシンだけに依存していた。この間に1953年3月の長崎、1955年4月の沼津、同年5月の高松と出張所を開設し、販売網を広げた。三菱電機が家庭電器品の生産を拡大した時期と重なり、メーカーの品揃えの変化が販売会社の売上構成を塗り替えたとみられる。
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [18]1956年度(昭和31年度)総売上高3,131,413千円、ミシン975,072千円(31.1%)、家庭電器品2,064,684千円(65.9%)。1955年度は総売上高2,058,726千円、ミシン919,926千円(44.7%)。1954年まではほぼミシン依存
- [19]1956年度(昭和31年度)総売上高3,131,413千円、ミシン975,072千円(31.1%)、家庭電器品2,064,684千円(65.9%)。1955年度は総売上高2,058,726千円、ミシン919,926千円(44.7%)。1954年まではほぼミシン依存
- [20]1956年度(昭和31年度)総売上高3,131,413千円、ミシン975,072千円(31.1%)、家庭電器品2,064,684千円(65.9%)。1955年度は総売上高2,058,726千円、ミシン919,926千円(44.7%)。1954年まではほぼミシン依存
- [21]1956年度(昭和31年度)総売上高3,131,413千円、ミシン975,072千円(31.1%)、家庭電器品2,064,684千円(65.9%)。1955年度は総売上高2,058,726千円、ミシン919,926千円(44.7%)。1954年まではほぼミシン依存
- RYODEN 有価証券報告書【沿革】
- [22]1953年3月長崎出張所、1955年4月沼津出張所、1955年5月高松出張所を開設
大興商会との合併から5年半を経た1958年5月28日、株式会社利興商会は商号を菱電商事株式会社に改めた。三菱電機の関係会社で菱電の名を冠した最初の例は、1954年3月25日に設立された昇降機などの保守を担う菱電サービスであった。その後は三菱電機の子会社で菱電を名乗る会社が増え、利興商会も商号をこれにそろえた。1955年以降の、三菱電機による家庭電器品の生産拡大。利興商会は三菱ミシンと三菱電気冷蔵庫を全国で一手に販売し、各地の支店と出張所で全国の販売網を持つ会社になっていた。系列を示す名にそろえた改称は、三菱電機の直系の販売会社であることを取引先に明示する狙いがあったと考えられる。
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [23]1958年5月28日に利興商会が菱電商事と改称。菱電を冠した第1号は1954年3月25日設立の菱電サービス(エレベータ等の保守)で、以後三菱電機子会社の多くが菱電を冠した。三菱ミシン・冷蔵庫の全国一手販売と全国の支店・出張所を持つ販売会社となっていた。1955年以降、三菱電機の家庭電器品の生産が拡大
- [25]1958年5月28日に利興商会が菱電商事と改称。菱電を冠した第1号は1954年3月25日設立の菱電サービス(エレベータ等の保守)で、以後三菱電機子会社の多くが菱電を冠した。三菱ミシン・冷蔵庫の全国一手販売と全国の支店・出張所を持つ販売会社となっていた。1955年以降、三菱電機の家庭電器品の生産が拡大
- [26]1958年5月28日に利興商会が菱電商事と改称。菱電を冠した第1号は1954年3月25日設立の菱電サービス(エレベータ等の保守)で、以後三菱電機子会社の多くが菱電を冠した。三菱ミシン・冷蔵庫の全国一手販売と全国の支店・出張所を持つ販売会社となっていた。1955年以降、三菱電機の家庭電器品の生産が拡大
- [27]1958年5月28日に利興商会が菱電商事と改称。菱電を冠した第1号は1954年3月25日設立の菱電サービス(エレベータ等の保守)で、以後三菱電機子会社の多くが菱電を冠した。三菱ミシン・冷蔵庫の全国一手販売と全国の支店・出張所を持つ販売会社となっていた。1955年以降、三菱電機の家庭電器品の生産が拡大
- [28]1958年5月28日に利興商会が菱電商事と改称。菱電を冠した第1号は1954年3月25日設立の菱電サービス(エレベータ等の保守)で、以後三菱電機子会社の多くが菱電を冠した。三菱ミシン・冷蔵庫の全国一手販売と全国の支店・出張所を持つ販売会社となっていた。1955年以降、三菱電機の家庭電器品の生産が拡大
- RYODEN 有価証券報告書【沿革】
- [24]1958年5月、商号を菱電商事株式会社に変更
参考文献[11]-[28]
- RYODEN 有価証券報告書【沿革】
- [11]1952年11月、西部代理店の大興商会と合併し、福岡支店と京都・広島各出張所を継承、同社本店を大阪支店として設置
- [14]1952年11月、西部代理店の大興商会と合併し、福岡支店と京都・広島各出張所を継承、同社本店を大阪支店として設置
- [22]1953年3月長崎出張所、1955年4月沼津出張所、1955年5月高松出張所を開設
- [24]1958年5月、商号を菱電商事株式会社に変更
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [12]東西二本建てはミシン販売本部が2つになり三菱電機にも不便。被占領下の事情が緩和し三菱電機の助言で合併。1952年11月17日に両社で臨時株主総会、通知は取締役社長深山荘吉名。大興側から商号変更案が出たが先送り
- [13]東西二本建てはミシン販売本部が2つになり三菱電機にも不便。被占領下の事情が緩和し三菱電機の助言で合併。1952年11月17日に両社で臨時株主総会、通知は取締役社長深山荘吉名。大興側から商号変更案が出たが先送り
- [16]東西二本建てはミシン販売本部が2つになり三菱電機にも不便。被占領下の事情が緩和し三菱電機の助言で合併。1952年11月17日に両社で臨時株主総会、通知は取締役社長深山荘吉名。大興側から商号変更案が出たが先送り
- [17]東西二本建てはミシン販売本部が2つになり三菱電機にも不便。被占領下の事情が緩和し三菱電機の助言で合併。1952年11月17日に両社で臨時株主総会、通知は取締役社長深山荘吉名。大興側から商号変更案が出たが先送り
- [18]1956年度(昭和31年度)総売上高3,131,413千円、ミシン975,072千円(31.1%)、家庭電器品2,064,684千円(65.9%)。1955年度は総売上高2,058,726千円、ミシン919,926千円(44.7%)。1954年まではほぼミシン依存
- [19]1956年度(昭和31年度)総売上高3,131,413千円、ミシン975,072千円(31.1%)、家庭電器品2,064,684千円(65.9%)。1955年度は総売上高2,058,726千円、ミシン919,926千円(44.7%)。1954年まではほぼミシン依存
- [20]1956年度(昭和31年度)総売上高3,131,413千円、ミシン975,072千円(31.1%)、家庭電器品2,064,684千円(65.9%)。1955年度は総売上高2,058,726千円、ミシン919,926千円(44.7%)。1954年まではほぼミシン依存
- [21]1956年度(昭和31年度)総売上高3,131,413千円、ミシン975,072千円(31.1%)、家庭電器品2,064,684千円(65.9%)。1955年度は総売上高2,058,726千円、ミシン919,926千円(44.7%)。1954年まではほぼミシン依存
- [23]1958年5月28日に利興商会が菱電商事と改称。菱電を冠した第1号は1954年3月25日設立の菱電サービス(エレベータ等の保守)で、以後三菱電機子会社の多くが菱電を冠した。三菱ミシン・冷蔵庫の全国一手販売と全国の支店・出張所を持つ販売会社となっていた。1955年以降、三菱電機の家庭電器品の生産が拡大
- [25]1958年5月28日に利興商会が菱電商事と改称。菱電を冠した第1号は1954年3月25日設立の菱電サービス(エレベータ等の保守)で、以後三菱電機子会社の多くが菱電を冠した。三菱ミシン・冷蔵庫の全国一手販売と全国の支店・出張所を持つ販売会社となっていた。1955年以降、三菱電機の家庭電器品の生産が拡大
- [26]1958年5月28日に利興商会が菱電商事と改称。菱電を冠した第1号は1954年3月25日設立の菱電サービス(エレベータ等の保守)で、以後三菱電機子会社の多くが菱電を冠した。三菱ミシン・冷蔵庫の全国一手販売と全国の支店・出張所を持つ販売会社となっていた。1955年以降、三菱電機の家庭電器品の生産が拡大
- [27]1958年5月28日に利興商会が菱電商事と改称。菱電を冠した第1号は1954年3月25日設立の菱電サービス(エレベータ等の保守)で、以後三菱電機子会社の多くが菱電を冠した。三菱ミシン・冷蔵庫の全国一手販売と全国の支店・出張所を持つ販売会社となっていた。1955年以降、三菱電機の家庭電器品の生産が拡大
- [28]1958年5月28日に利興商会が菱電商事と改称。菱電を冠した第1号は1954年3月25日設立の菱電サービス(エレベータ等の保守)で、以後三菱電機子会社の多くが菱電を冠した。三菱ミシン・冷蔵庫の全国一手販売と全国の支店・出張所を持つ販売会社となっていた。1955年以降、三菱電機の家庭電器品の生産が拡大
- 証券 15(5)(168) 1963年
- [15]資本金の変遷で1952年11月に15,000千円(大興商会を吸収合併)
1959年〜東証二部に上場した菱電商事と、冷蔵庫の総代理店返還から家電分離まで
菱電商事は1963年4月1日、株式を東京証券取引所市場第二部へ上場した。家電部門・機械部門・資材部門の伸長と、ミシンと電気冷蔵庫の一手販売が続いた好業況のもとでの上場。1957年からほぼ毎年倍額増資を重ね、上場直前の1963年1月には資本金を2億4,000万円から3億8,400万円へ増やした。上場の時点で、菱電商事は三菱電機の製品を扱う約80社の中で、三菱電機が発行済株式の30.6%を持つ第1位の直系代理店であった。売上高では東芝商事と日立家庭電器販売に次ぐ業界第3位を占めた。上場で菱電商事は社会的信用を得て中堅商社と認められた一方、安定した配当を続ける責任も重くなった。
- 証券 15(5)(168) 1963年
- [29]上場年月日1963年4月1日(第二部・商業)。資本金は1962年1月240,000千円、1963年1月384,000千円。三菱電機が発行済株式の30.6%を所有する第一位の直系代理店で、東芝商事・日立家庭電器販売に次ぐ業界第3位。三菱電機の販売を受け持つ会社は約80社
- [33]上場年月日1963年4月1日(第二部・商業)。資本金は1962年1月240,000千円、1963年1月384,000千円。三菱電機が発行済株式の30.6%を所有する第一位の直系代理店で、東芝商事・日立家庭電器販売に次ぐ業界第3位。三菱電機の販売を受け持つ会社は約80社
- [34]上場年月日1963年4月1日(第二部・商業)。資本金は1962年1月240,000千円、1963年1月384,000千円。三菱電機が発行済株式の30.6%を所有する第一位の直系代理店で、東芝商事・日立家庭電器販売に次ぐ業界第3位。三菱電機の販売を受け持つ会社は約80社
- [35]上場年月日1963年4月1日(第二部・商業)。資本金は1962年1月240,000千円、1963年1月384,000千円。三菱電機が発行済株式の30.6%を所有する第一位の直系代理店で、東芝商事・日立家庭電器販売に次ぐ業界第3位。三菱電機の販売を受け持つ会社は約80社
- RYODEN 有価証券報告書【沿革】
- [30]1963年4月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [31]家電部門の伸長・機械・資材部門の伸長、取引高の拡大、ミシン・冷蔵庫の一手販売の継続という業況の下で1963年4月に東証二部上場。1957年から毎年のように倍額増資、配当率15%を継続。上場で社会的信用と中堅商社の地位を得たと記述。上場により安定配当の社会的責任も重くなったと記述
- [32]家電部門の伸長・機械・資材部門の伸長、取引高の拡大、ミシン・冷蔵庫の一手販売の継続という業況の下で1963年4月に東証二部上場。1957年から毎年のように倍額増資、配当率15%を継続。上場で社会的信用と中堅商社の地位を得たと記述。上場により安定配当の社会的責任も重くなったと記述
- [36]家電部門の伸長・機械・資材部門の伸長、取引高の拡大、ミシン・冷蔵庫の一手販売の継続という業況の下で1963年4月に東証二部上場。1957年から毎年のように倍額増資、配当率15%を継続。上場で社会的信用と中堅商社の地位を得たと記述。上場により安定配当の社会的責任も重くなったと記述
菱電商事は1964年9月30日、三菱電気冷蔵庫の総代理権を三菱電機へ返上し、冷蔵庫でも一代理店の立場になった。上場前の1962年3月期には、冷蔵庫・ミシン・編機の一手販売品が取扱高の52.5%を占めていた。三菱電機は代理店や問屋を経ずに販売店へ直接政策を届けることを望み、同年2月の両社幹部の会談で総代理権の返上を議題に上げた。前年10月には冷蔵庫の保守を三菱電機が設けたサービスセンターに移管し、サービス費の収入を失っていた。ラジオの総代理店は1954年に返還済みで、総代理店として残る商品はミシンだけになった。返還後は直結二次店政策も重なり、1965年以降の家電部門の採算は著しく低下した。
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [37]1963年10月に冷蔵庫サービス業務を三菱電機サービスセンターへ移管しサービス費収入を喪失。1964年2月の幹部会談で総代理権返上が議題、7月20日に返還決定、9月30日付で返還し一代理店に。三菱電機は代理店・問屋を経ず販売店へ直接政策を実施したい意向。ラジオの総代理店は1954年に返還済みで、冷蔵庫返還によりミシンを除き総代理店の色彩は一掃
- [39]1963年10月に冷蔵庫サービス業務を三菱電機サービスセンターへ移管しサービス費収入を喪失。1964年2月の幹部会談で総代理権返上が議題、7月20日に返還決定、9月30日付で返還し一代理店に。三菱電機は代理店・問屋を経ず販売店へ直接政策を実施したい意向。ラジオの総代理店は1954年に返還済みで、冷蔵庫返還によりミシンを除き総代理店の色彩は一掃
- [40]1963年10月に冷蔵庫サービス業務を三菱電機サービスセンターへ移管しサービス費収入を喪失。1964年2月の幹部会談で総代理権返上が議題、7月20日に返還決定、9月30日付で返還し一代理店に。三菱電機は代理店・問屋を経ず販売店へ直接政策を実施したい意向。ラジオの総代理店は1954年に返還済みで、冷蔵庫返還によりミシンを除き総代理店の色彩は一掃
- [41]1963年10月に冷蔵庫サービス業務を三菱電機サービスセンターへ移管しサービス費収入を喪失。1964年2月の幹部会談で総代理権返上が議題、7月20日に返還決定、9月30日付で返還し一代理店に。三菱電機は代理店・問屋を経ず販売店へ直接政策を実施したい意向。ラジオの総代理店は1954年に返還済みで、冷蔵庫返還によりミシンを除き総代理店の色彩は一掃
- [42]1964年9月の冷蔵庫総代理店返還で拡大安定期が終わり、直結二次店政策の実施などで1965年以降の営業採算が著しく低下
- 証券 15(5)(168) 1963年
- [38]1962年3月期の取扱い実績は一手販売品(冷蔵庫・ミシン・編機)52.5%、電気機械器具38.9%、資材8.5%
三菱電機は1969年12月26日、家電の流通機構を改めるという最終通告を菱電商事に出した。設立以来20余年担ってきた家電の販売業務を、各地の販売会社へ全面的に譲渡するよう求める内容。三菱電機は1967年3月に大阪で日菱電機販売を設け、1969年には小田原営業所などの家電業務を各地の三菱電機商品販売会社へ移させていた。売上全体の半分超を失う事態を前に、1970年1月8日に本店へ家庭電器品流通機構改革対策委員会を置き、分離の具体策を立てた。同年5月27日に東京証券取引所へ分離を届け出て、6月12日に上場維持の承認を得た。家電の営業権は1970年10月から、三菱電機と共同出資で設けた新しい販売会社へ順に譲渡した。
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [43]1967年3月に三菱電機が大阪に日菱電機販売を設立、1969年に小田原営業所等の家電業務を各地の三菱電機商品販売へ譲渡。1969年12月26日に家電流通機構改革の最終通告。全売上げの過半を失う危機。1970年1月8日に対策委員会設置。5月27日に東証へ説明・届出、6月12日に上場維持承認
- [44]1967年3月に三菱電機が大阪に日菱電機販売を設立、1969年に小田原営業所等の家電業務を各地の三菱電機商品販売へ譲渡。1969年12月26日に家電流通機構改革の最終通告。全売上げの過半を失う危機。1970年1月8日に対策委員会設置。5月27日に東証へ説明・届出、6月12日に上場維持承認
- [45]1967年3月に三菱電機が大阪に日菱電機販売を設立、1969年に小田原営業所等の家電業務を各地の三菱電機商品販売へ譲渡。1969年12月26日に家電流通機構改革の最終通告。全売上げの過半を失う危機。1970年1月8日に対策委員会設置。5月27日に東証へ説明・届出、6月12日に上場維持承認
- [46]1967年3月に三菱電機が大阪に日菱電機販売を設立、1969年に小田原営業所等の家電業務を各地の三菱電機商品販売へ譲渡。1969年12月26日に家電流通機構改革の最終通告。全売上げの過半を失う危機。1970年1月8日に対策委員会設置。5月27日に東証へ説明・届出、6月12日に上場維持承認
- [47]1967年3月に三菱電機が大阪に日菱電機販売を設立、1969年に小田原営業所等の家電業務を各地の三菱電機商品販売へ譲渡。1969年12月26日に家電流通機構改革の最終通告。全売上げの過半を失う危機。1970年1月8日に対策委員会設置。5月27日に東証へ説明・届出、6月12日に上場維持承認
- RYODEN 有価証券報告書【沿革】
- [48]1970年10月から家庭電気品の営業権を三菱電機と共同設立の新販売会社へ逐次譲渡し、1971年9月に家電部門を完全に分離
参考文献[29]-[48]
- 証券 15(5)(168) 1963年
- [29]上場年月日1963年4月1日(第二部・商業)。資本金は1962年1月240,000千円、1963年1月384,000千円。三菱電機が発行済株式の30.6%を所有する第一位の直系代理店で、東芝商事・日立家庭電器販売に次ぐ業界第3位。三菱電機の販売を受け持つ会社は約80社
- [33]上場年月日1963年4月1日(第二部・商業)。資本金は1962年1月240,000千円、1963年1月384,000千円。三菱電機が発行済株式の30.6%を所有する第一位の直系代理店で、東芝商事・日立家庭電器販売に次ぐ業界第3位。三菱電機の販売を受け持つ会社は約80社
- [34]上場年月日1963年4月1日(第二部・商業)。資本金は1962年1月240,000千円、1963年1月384,000千円。三菱電機が発行済株式の30.6%を所有する第一位の直系代理店で、東芝商事・日立家庭電器販売に次ぐ業界第3位。三菱電機の販売を受け持つ会社は約80社
- [35]上場年月日1963年4月1日(第二部・商業)。資本金は1962年1月240,000千円、1963年1月384,000千円。三菱電機が発行済株式の30.6%を所有する第一位の直系代理店で、東芝商事・日立家庭電器販売に次ぐ業界第3位。三菱電機の販売を受け持つ会社は約80社
- [38]1962年3月期の取扱い実績は一手販売品(冷蔵庫・ミシン・編機)52.5%、電気機械器具38.9%、資材8.5%
- RYODEN 有価証券報告書【沿革】
- [30]1963年4月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場
- [48]1970年10月から家庭電気品の営業権を三菱電機と共同設立の新販売会社へ逐次譲渡し、1971年9月に家電部門を完全に分離
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- [31]家電部門の伸長・機械・資材部門の伸長、取引高の拡大、ミシン・冷蔵庫の一手販売の継続という業況の下で1963年4月に東証二部上場。1957年から毎年のように倍額増資、配当率15%を継続。上場で社会的信用と中堅商社の地位を得たと記述。上場により安定配当の社会的責任も重くなったと記述
- [32]家電部門の伸長・機械・資材部門の伸長、取引高の拡大、ミシン・冷蔵庫の一手販売の継続という業況の下で1963年4月に東証二部上場。1957年から毎年のように倍額増資、配当率15%を継続。上場で社会的信用と中堅商社の地位を得たと記述。上場により安定配当の社会的責任も重くなったと記述
- [36]家電部門の伸長・機械・資材部門の伸長、取引高の拡大、ミシン・冷蔵庫の一手販売の継続という業況の下で1963年4月に東証二部上場。1957年から毎年のように倍額増資、配当率15%を継続。上場で社会的信用と中堅商社の地位を得たと記述。上場により安定配当の社会的責任も重くなったと記述
- [37]1963年10月に冷蔵庫サービス業務を三菱電機サービスセンターへ移管しサービス費収入を喪失。1964年2月の幹部会談で総代理権返上が議題、7月20日に返還決定、9月30日付で返還し一代理店に。三菱電機は代理店・問屋を経ず販売店へ直接政策を実施したい意向。ラジオの総代理店は1954年に返還済みで、冷蔵庫返還によりミシンを除き総代理店の色彩は一掃
- [39]1963年10月に冷蔵庫サービス業務を三菱電機サービスセンターへ移管しサービス費収入を喪失。1964年2月の幹部会談で総代理権返上が議題、7月20日に返還決定、9月30日付で返還し一代理店に。三菱電機は代理店・問屋を経ず販売店へ直接政策を実施したい意向。ラジオの総代理店は1954年に返還済みで、冷蔵庫返還によりミシンを除き総代理店の色彩は一掃
- [40]1963年10月に冷蔵庫サービス業務を三菱電機サービスセンターへ移管しサービス費収入を喪失。1964年2月の幹部会談で総代理権返上が議題、7月20日に返還決定、9月30日付で返還し一代理店に。三菱電機は代理店・問屋を経ず販売店へ直接政策を実施したい意向。ラジオの総代理店は1954年に返還済みで、冷蔵庫返還によりミシンを除き総代理店の色彩は一掃
- [41]1963年10月に冷蔵庫サービス業務を三菱電機サービスセンターへ移管しサービス費収入を喪失。1964年2月の幹部会談で総代理権返上が議題、7月20日に返還決定、9月30日付で返還し一代理店に。三菱電機は代理店・問屋を経ず販売店へ直接政策を実施したい意向。ラジオの総代理店は1954年に返還済みで、冷蔵庫返還によりミシンを除き総代理店の色彩は一掃
- [42]1964年9月の冷蔵庫総代理店返還で拡大安定期が終わり、直結二次店政策の実施などで1965年以降の営業採算が著しく低下
- [43]1967年3月に三菱電機が大阪に日菱電機販売を設立、1969年に小田原営業所等の家電業務を各地の三菱電機商品販売へ譲渡。1969年12月26日に家電流通機構改革の最終通告。全売上げの過半を失う危機。1970年1月8日に対策委員会設置。5月27日に東証へ説明・届出、6月12日に上場維持承認
- [44]1967年3月に三菱電機が大阪に日菱電機販売を設立、1969年に小田原営業所等の家電業務を各地の三菱電機商品販売へ譲渡。1969年12月26日に家電流通機構改革の最終通告。全売上げの過半を失う危機。1970年1月8日に対策委員会設置。5月27日に東証へ説明・届出、6月12日に上場維持承認
- [45]1967年3月に三菱電機が大阪に日菱電機販売を設立、1969年に小田原営業所等の家電業務を各地の三菱電機商品販売へ譲渡。1969年12月26日に家電流通機構改革の最終通告。全売上げの過半を失う危機。1970年1月8日に対策委員会設置。5月27日に東証へ説明・届出、6月12日に上場維持承認
- [46]1967年3月に三菱電機が大阪に日菱電機販売を設立、1969年に小田原営業所等の家電業務を各地の三菱電機商品販売へ譲渡。1969年12月26日に家電流通機構改革の最終通告。全売上げの過半を失う危機。1970年1月8日に対策委員会設置。5月27日に東証へ説明・届出、6月12日に上場維持承認
- [47]1967年3月に三菱電機が大阪に日菱電機販売を設立、1969年に小田原営業所等の家電業務を各地の三菱電機商品販売へ譲渡。1969年12月26日に家電流通機構改革の最終通告。全売上げの過半を失う危機。1970年1月8日に対策委員会設置。5月27日に東証へ説明・届出、6月12日に上場維持承認
出典・参考
3件
- RYODEN 有価証券報告書【沿革】
- 菱電商事『菱電商事三十年史』(1980年)
- 証券 15(5)(168) 1963年