第1章 年〜年

コーナン商事:1号店コーナン泉北店の開店と大証二部上場

1978年〜堺市に開いた1号店コーナン泉北店と、4年かけたホームセンター研究

コーナン商事は1978年9月に設立され、3か月後の同年12月に第1号店のコーナン泉北店を堺市に開店した。社長の疋田耕造氏が1996年10月の説明会で語ったのは、創業時からHI商品の販売に重点を置いてきたという点である。HI商品は、住まいの補修・改善に使うホームインプルーブメント商品を指す。1996年8月のHI商品の売上構成比は38.8%と、業界平均の32%前後を上回る水準。疋田耕造氏は需要が続く理由として、週休2日制の定着と、改造や修理の時期を迎えた住宅の増加を挙げた。プロの職人が減って工賃が上がったことも、住まいの手入れを自ら担う客を増やす要因とした。1号店の時点から、住まいの手入れを自らする世帯を中核の顧客に据えていたとみられる。

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1978年9月 コーナン商事株式会社を設立、1978年12月 第1号店として堺市にコーナン泉北店を開店
  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号 別冊付録
    • [2]1996年10月14日の説明で疋田社長が、創業以来HI商品販売に注力、1996年8月のHI構成比38.8%(業界平均32%前後)、需要要因として週休2日制定着・改修期の住宅増・職人減少と賃金高騰を挙げる
    • [3]1996年10月14日の説明で疋田社長が、創業以来HI商品販売に注力、1996年8月のHI構成比38.8%(業界平均32%前後)、需要要因として週休2日制定着・改修期の住宅増・職人減少と賃金高騰を挙げる
    • [4]1996年10月14日の説明で疋田社長が、創業以来HI商品販売に注力、1996年8月のHI構成比38.8%(業界平均32%前後)、需要要因として週休2日制定着・改修期の住宅増・職人減少と賃金高騰を挙げる
    • [5]1996年10月14日の説明で疋田社長が、創業以来HI商品販売に注力、1996年8月のHI構成比38.8%(業界平均32%前後)、需要要因として週休2日制定着・改修期の住宅増・職人減少と賃金高騰を挙げる
    • [6]1996年10月14日の説明で疋田社長が、創業以来HI商品販売に注力、1996年8月のHI構成比38.8%(業界平均32%前後)、需要要因として週休2日制定着・改修期の住宅増・職人減少と賃金高騰を挙げる

コーナン商事は泉北店を開店してから約4年間、店舗網を広げずにホームセンターという業態の研究に充てた。この間の1982年11月に株式会社リックスの株式を取得し、子会社とした。研究を終えたあとの出店のペースは、大阪府下で年に1〜2店ずつである。1986年には8月に本社を堺市鳳東町4丁へ移し、9月に日本DIY協会へ加盟。同年10月には子会社のリックスから1店舗の営業権を譲り受け、自社の店舗に組み入れた。業態を確かめてから店を足す順序を守ったことが、1990年代の出店の加速を支える土台になったと推察される。

  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号 別冊付録
    • [7]1978年に堺市で泉北店を1号店として開店後、約4年間ホームセンター業を研究し、その後は年1〜2店ずつ開店。大阪府下を重視してきた
    • [9]1978年に堺市で泉北店を1号店として開店後、約4年間ホームセンター業を研究し、その後は年1〜2店ずつ開店。大阪府下を重視してきた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1982年11月 株式会社リックスの株式を取得し子会社化、1986年8月 本社を堺市鳳東町4丁に移転、1986年9月 日本DIY協会に加盟、1986年10月 リックスから1店舗の営業権を譲受
    • [10]1982年11月 株式会社リックスの株式を取得し子会社化、1986年8月 本社を堺市鳳東町4丁に移転、1986年9月 日本DIY協会に加盟、1986年10月 リックスから1店舗の営業権を譲受
    • [11]1982年11月 株式会社リックスの株式を取得し子会社化、1986年8月 本社を堺市鳳東町4丁に移転、1986年9月 日本DIY協会に加盟、1986年10月 リックスから1店舗の営業権を譲受
参考文献[1]-[11]
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1978年9月 コーナン商事株式会社を設立、1978年12月 第1号店として堺市にコーナン泉北店を開店
    • [8]1982年11月 株式会社リックスの株式を取得し子会社化、1986年8月 本社を堺市鳳東町4丁に移転、1986年9月 日本DIY協会に加盟、1986年10月 リックスから1店舗の営業権を譲受
    • [10]1982年11月 株式会社リックスの株式を取得し子会社化、1986年8月 本社を堺市鳳東町4丁に移転、1986年9月 日本DIY協会に加盟、1986年10月 リックスから1店舗の営業権を譲受
    • [11]1982年11月 株式会社リックスの株式を取得し子会社化、1986年8月 本社を堺市鳳東町4丁に移転、1986年9月 日本DIY協会に加盟、1986年10月 リックスから1店舗の営業権を譲受
  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号 別冊付録
    • [2]1996年10月14日の説明で疋田社長が、創業以来HI商品販売に注力、1996年8月のHI構成比38.8%(業界平均32%前後)、需要要因として週休2日制定着・改修期の住宅増・職人減少と賃金高騰を挙げる
    • [3]1996年10月14日の説明で疋田社長が、創業以来HI商品販売に注力、1996年8月のHI構成比38.8%(業界平均32%前後)、需要要因として週休2日制定着・改修期の住宅増・職人減少と賃金高騰を挙げる
    • [4]1996年10月14日の説明で疋田社長が、創業以来HI商品販売に注力、1996年8月のHI構成比38.8%(業界平均32%前後)、需要要因として週休2日制定着・改修期の住宅増・職人減少と賃金高騰を挙げる
    • [5]1996年10月14日の説明で疋田社長が、創業以来HI商品販売に注力、1996年8月のHI構成比38.8%(業界平均32%前後)、需要要因として週休2日制定着・改修期の住宅増・職人減少と賃金高騰を挙げる
    • [6]1996年10月14日の説明で疋田社長が、創業以来HI商品販売に注力、1996年8月のHI構成比38.8%(業界平均32%前後)、需要要因として週休2日制定着・改修期の住宅増・職人減少と賃金高騰を挙げる
    • [7]1978年に堺市で泉北店を1号店として開店後、約4年間ホームセンター業を研究し、その後は年1〜2店ずつ開店。大阪府下を重視してきた
    • [9]1978年に堺市で泉北店を1号店として開店後、約4年間ホームセンター業を研究し、その後は年1〜2店ずつ開店。大阪府下を重視してきた

1987年〜大証二部上場と、売上90億円を見込んだPB商品での出店攻勢

1996年時点の直近期の売上高伸び率は、コーナン商事が20.6%で、同業3社の6.3%と業界平均の2.8〜4.2%を上回った。1993年度以降は毎年2ケタの伸びを続け、直近3期は20%台を保った。既存店の売上はほぼ横ばいで、伸びの源は新規出店である。関西圏では1993年に7店、1994年に4店、1995年に12店を開設し、売場も450坪までの店から1,200〜1,500坪の店へ広げた。この拡大の途中の1996年9月に、大阪証券取引所市場第二部へ上場した。疋田耕造氏は人口5万人に1店という業界の基準から大阪府下に170店の出店余地があるとし、京都・兵庫・奈良への進出を掲げた。

  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号 別冊付録
    • [12]1996年10月時点で直近売上高伸び率20.6%(同業3社6.3%、業界平均2.8〜4.2%)、平成5年度以降2ケタ成長・直近3期20%台、既存店ほぼ横ばい、関西圏で1993年7店・1994年4店・1995年12店出店、売場450坪→1,200〜1,500坪、人口5万人に1店で大阪府下170店、京都・兵庫・奈良へ進出方針
    • [13]1996年10月時点で直近売上高伸び率20.6%(同業3社6.3%、業界平均2.8〜4.2%)、平成5年度以降2ケタ成長・直近3期20%台、既存店ほぼ横ばい、関西圏で1993年7店・1994年4店・1995年12店出店、売場450坪→1,200〜1,500坪、人口5万人に1店で大阪府下170店、京都・兵庫・奈良へ進出方針
    • [14]1996年10月時点で直近売上高伸び率20.6%(同業3社6.3%、業界平均2.8〜4.2%)、平成5年度以降2ケタ成長・直近3期20%台、既存店ほぼ横ばい、関西圏で1993年7店・1994年4店・1995年12店出店、売場450坪→1,200〜1,500坪、人口5万人に1店で大阪府下170店、京都・兵庫・奈良へ進出方針
    • [15]1996年10月時点で直近売上高伸び率20.6%(同業3社6.3%、業界平均2.8〜4.2%)、平成5年度以降2ケタ成長・直近3期20%台、既存店ほぼ横ばい、関西圏で1993年7店・1994年4店・1995年12店出店、売場450坪→1,200〜1,500坪、人口5万人に1店で大阪府下170店、京都・兵庫・奈良へ進出方針
    • [17]1996年10月時点で直近売上高伸び率20.6%(同業3社6.3%、業界平均2.8〜4.2%)、平成5年度以降2ケタ成長・直近3期20%台、既存店ほぼ横ばい、関西圏で1993年7店・1994年4店・1995年12店出店、売場450坪→1,200〜1,500坪、人口5万人に1店で大阪府下170店、京都・兵庫・奈良へ進出方針
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1996年9月 大阪証券取引所市場第二部に上場

疋田耕造氏は1996年10月、約240種だったエブリデー・ロー・プライス商品を400品目へ増やす方針を示した。1999年11月までにPB商品は約1,000種類となり、価格はNB商品の定価のおおむね55%である。疋田耕造氏は他社のPBの不振を利幅の取りすぎにあるとみて、NB商品より低い粗利益率で売価を下げ、販売量の拡大で原価を引き下げる方針を採った。PB商品の売上は2000年2月期に90億円、全売上高の7%を見込み、業界の1%程度を大きく上回った。出店も1999年4月だけで5店、同期中に12店に及び、疋田耕造氏はそのペースを『“スピード違反”と言われる』と表現した。疋田耕造氏はPBで製造の規模効果を得るには売上高1,000億円超への拡大が急務とみており、大規模小売店舗立地法の施行前の駆け込みも重なった。

  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号 別冊付録
    • [18]1996年10月時点でエブリディ・ロー・プライス商品は約240種、400品目に増やす方針
  • 日経ビジネス 1999年11月22日号 No.1017
    • [19]PB約1000種類・NB定価の55%前後、NBより低い粗利益率で値下げし規模で原価低減、2000年2月期PB売上90億円(売上の7%、業界1%程度)、1999年4月に5店・今期12店出店、大店立地法施行前の駆け込みと売上1000億円超が急務
    • [20]PB約1000種類・NB定価の55%前後、NBより低い粗利益率で値下げし規模で原価低減、2000年2月期PB売上90億円(売上の7%、業界1%程度)、1999年4月に5店・今期12店出店、大店立地法施行前の駆け込みと売上1000億円超が急務
    • [21]PB約1000種類・NB定価の55%前後、NBより低い粗利益率で値下げし規模で原価低減、2000年2月期PB売上90億円(売上の7%、業界1%程度)、1999年4月に5店・今期12店出店、大店立地法施行前の駆け込みと売上1000億円超が急務
    • [22]PB約1000種類・NB定価の55%前後、NBより低い粗利益率で値下げし規模で原価低減、2000年2月期PB売上90億円(売上の7%、業界1%程度)、1999年4月に5店・今期12店出店、大店立地法施行前の駆け込みと売上1000億円超が急務
    • [23]PB約1000種類・NB定価の55%前後、NBより低い粗利益率で値下げし規模で原価低減、2000年2月期PB売上90億円(売上の7%、業界1%程度)、1999年4月に5店・今期12店出店、大店立地法施行前の駆け込みと売上1000億円超が急務
参考文献[12]-[23]
  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号 別冊付録
    • [12]1996年10月時点で直近売上高伸び率20.6%(同業3社6.3%、業界平均2.8〜4.2%)、平成5年度以降2ケタ成長・直近3期20%台、既存店ほぼ横ばい、関西圏で1993年7店・1994年4店・1995年12店出店、売場450坪→1,200〜1,500坪、人口5万人に1店で大阪府下170店、京都・兵庫・奈良へ進出方針
    • [13]1996年10月時点で直近売上高伸び率20.6%(同業3社6.3%、業界平均2.8〜4.2%)、平成5年度以降2ケタ成長・直近3期20%台、既存店ほぼ横ばい、関西圏で1993年7店・1994年4店・1995年12店出店、売場450坪→1,200〜1,500坪、人口5万人に1店で大阪府下170店、京都・兵庫・奈良へ進出方針
    • [14]1996年10月時点で直近売上高伸び率20.6%(同業3社6.3%、業界平均2.8〜4.2%)、平成5年度以降2ケタ成長・直近3期20%台、既存店ほぼ横ばい、関西圏で1993年7店・1994年4店・1995年12店出店、売場450坪→1,200〜1,500坪、人口5万人に1店で大阪府下170店、京都・兵庫・奈良へ進出方針
    • [15]1996年10月時点で直近売上高伸び率20.6%(同業3社6.3%、業界平均2.8〜4.2%)、平成5年度以降2ケタ成長・直近3期20%台、既存店ほぼ横ばい、関西圏で1993年7店・1994年4店・1995年12店出店、売場450坪→1,200〜1,500坪、人口5万人に1店で大阪府下170店、京都・兵庫・奈良へ進出方針
    • [17]1996年10月時点で直近売上高伸び率20.6%(同業3社6.3%、業界平均2.8〜4.2%)、平成5年度以降2ケタ成長・直近3期20%台、既存店ほぼ横ばい、関西圏で1993年7店・1994年4店・1995年12店出店、売場450坪→1,200〜1,500坪、人口5万人に1店で大阪府下170店、京都・兵庫・奈良へ進出方針
    • [18]1996年10月時点でエブリディ・ロー・プライス商品は約240種、400品目に増やす方針
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1996年9月 大阪証券取引所市場第二部に上場
  • 日経ビジネス 1999年11月22日号 No.1017
    • [19]PB約1000種類・NB定価の55%前後、NBより低い粗利益率で値下げし規模で原価低減、2000年2月期PB売上90億円(売上の7%、業界1%程度)、1999年4月に5店・今期12店出店、大店立地法施行前の駆け込みと売上1000億円超が急務
    • [20]PB約1000種類・NB定価の55%前後、NBより低い粗利益率で値下げし規模で原価低減、2000年2月期PB売上90億円(売上の7%、業界1%程度)、1999年4月に5店・今期12店出店、大店立地法施行前の駆け込みと売上1000億円超が急務
    • [21]PB約1000種類・NB定価の55%前後、NBより低い粗利益率で値下げし規模で原価低減、2000年2月期PB売上90億円(売上の7%、業界1%程度)、1999年4月に5店・今期12店出店、大店立地法施行前の駆け込みと売上1000億円超が急務
    • [22]PB約1000種類・NB定価の55%前後、NBより低い粗利益率で値下げし規模で原価低減、2000年2月期PB売上90億円(売上の7%、業界1%程度)、1999年4月に5店・今期12店出店、大店立地法施行前の駆け込みと売上1000億円超が急務
    • [23]PB約1000種類・NB定価の55%前後、NBより低い粗利益率で値下げし規模で原価低減、2000年2月期PB売上90億円(売上の7%、業界1%程度)、1999年4月に5店・今期12店出店、大店立地法施行前の駆け込みと売上1000億円超が急務

出典・参考

3件
出典・参考
  • 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号 別冊付録
  • 日経ビジネス 1999年11月22日号 No.1017

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