第1章 年〜年

アトム:徳兵衛寿司の設立と元禄寿司への商号変更

1972年〜職人に依存しない寿司屋を目指した佐々木正時氏と、資本金200万円の徳兵衛寿司

1972年1月、佐々木正時氏は福井市開発に資本金200万円で株式会社徳兵衛寿司を設立した。1965年4月に佐々木正時氏が個人で開業した寿司店「徳兵衛寿司」の営業を引き継ぐ会社である。設立の目的として佐々木正時氏が挙げたのは、寿司店経営の多店舗化。佐々木正時氏は個人の寿司店を8年ほど営むうちに、店の成否が職人一人の腕で決まる経営に疑問を持った。腕を上げた職人は独立するか、待遇の良い店へ移ってしまい、店の基盤は安定しなかった。法人化は、職人の腕に依存しない寿司屋を複数の店で営むための最初の手立てだったとみられる。

  • アトム 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1972年1月 福井市開発に資本金200万円で株式会社徳兵衛寿司を設立。1965年4月開業の個人店「徳兵衛寿司」を継承
    • [2]1972年1月 福井市開発に資本金200万円で株式会社徳兵衛寿司を設立。1965年4月開業の個人店「徳兵衛寿司」を継承
  • 証券アナリストジャーナル 33(2) 1995年1月 別冊付録
    • [3]1972年1月 寿司店経営の多店舗化とともに株式会社徳兵衛寿司を設立(佐々木正時氏の寄稿)
  • レポート 新春(49) 1995年1月 共立総合研究所「対談レポート 株式会社アトム代表取締役社長 佐々木正時氏」
    • [4]普通の寿司屋を8年ほど営業。職人に命運がかかり、腕を上げると独立・移籍して不安定なため、職人に頼らない経営を考え始めた(L51-L61)
    • [5]普通の寿司屋を8年ほど営業。職人に命運がかかり、腕を上げると独立・移籍して不安定なため、職人に頼らない経営を考え始めた(L51-L61)

佐々木正時氏が目指したもう一つの点は、資産家でなくても気軽に入れる寿司屋である。そのためには価格を従来の3分の1から4分の1に下げる必要があり、佐々木正時氏は方法を探して各地の店を見て回った。佐々木正時氏の回想では、1973年春だったと記憶する時期に、回転する卓に寿司を載せて客が好きな皿を取る店に出会った。その店の光景を、佐々木正時氏は『卓の周囲に3重もの輪ができるほどたくさんの人がいて、奪い合うようにして寿司を食べている』と振り返った。佐々木正時氏はこの方式で寿司屋の企業化を進めると決め、後に徳兵衛寿司はその店とは大きく異なる独自の仕組みを開発した。回転式は、1995年1月末時点で137店を構えた主力業態「アトムボーイ」まで続いた。

  • レポート 新春(49) 1995年1月 共立総合研究所「対談レポート 株式会社アトム代表取締役社長 佐々木正時氏」
    • [6]価格を3分の1〜4分の1にして誰でも入れる寿司屋を模索。「確か昭和48年の春」に廻転する卓の店に出会い、この方式での企業化を決心。当社の方式はその店とはだいぶ違う(L62-L81)
    • [7]価格を3分の1〜4分の1にして誰でも入れる寿司屋を模索。「確か昭和48年の春」に廻転する卓の店に出会い、この方式での企業化を決心。当社の方式はその店とはだいぶ違う(L62-L81)
    • [8]価格を3分の1〜4分の1にして誰でも入れる寿司屋を模索。「確か昭和48年の春」に廻転する卓の店に出会い、この方式での企業化を決心。当社の方式はその店とはだいぶ違う(L62-L81)
    • [9]価格を3分の1〜4分の1にして誰でも入れる寿司屋を模索。「確か昭和48年の春」に廻転する卓の店に出会い、この方式での企業化を決心。当社の方式はその店とはだいぶ違う(L62-L81)
    • [10]価格を3分の1〜4分の1にして誰でも入れる寿司屋を模索。「確か昭和48年の春」に廻転する卓の店に出会い、この方式での企業化を決心。当社の方式はその店とはだいぶ違う(L62-L81)
  • 証券アナリストジャーナル 33(2) 1995年1月 別冊付録
    • [11]1995年1月末時点で主力の回転寿司「アトムボーイ」は137店(FC78店・直営59店)
参考文献[1]-[11]
  • アトム 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1972年1月 福井市開発に資本金200万円で株式会社徳兵衛寿司を設立。1965年4月開業の個人店「徳兵衛寿司」を継承
    • [2]1972年1月 福井市開発に資本金200万円で株式会社徳兵衛寿司を設立。1965年4月開業の個人店「徳兵衛寿司」を継承
  • 証券アナリストジャーナル 33(2) 1995年1月 別冊付録
    • [3]1972年1月 寿司店経営の多店舗化とともに株式会社徳兵衛寿司を設立(佐々木正時氏の寄稿)
    • [11]1995年1月末時点で主力の回転寿司「アトムボーイ」は137店(FC78店・直営59店)
  • レポート 新春(49) 1995年1月 共立総合研究所「対談レポート 株式会社アトム代表取締役社長 佐々木正時氏」
    • [4]普通の寿司屋を8年ほど営業。職人に命運がかかり、腕を上げると独立・移籍して不安定なため、職人に頼らない経営を考え始めた(L51-L61)
    • [5]普通の寿司屋を8年ほど営業。職人に命運がかかり、腕を上げると独立・移籍して不安定なため、職人に頼らない経営を考え始めた(L51-L61)
    • [6]価格を3分の1〜4分の1にして誰でも入れる寿司屋を模索。「確か昭和48年の春」に廻転する卓の店に出会い、この方式での企業化を決心。当社の方式はその店とはだいぶ違う(L62-L81)
    • [7]価格を3分の1〜4分の1にして誰でも入れる寿司屋を模索。「確か昭和48年の春」に廻転する卓の店に出会い、この方式での企業化を決心。当社の方式はその店とはだいぶ違う(L62-L81)
    • [8]価格を3分の1〜4分の1にして誰でも入れる寿司屋を模索。「確か昭和48年の春」に廻転する卓の店に出会い、この方式での企業化を決心。当社の方式はその店とはだいぶ違う(L62-L81)
    • [9]価格を3分の1〜4分の1にして誰でも入れる寿司屋を模索。「確か昭和48年の春」に廻転する卓の店に出会い、この方式での企業化を決心。当社の方式はその店とはだいぶ違う(L62-L81)
    • [10]価格を3分の1〜4分の1にして誰でも入れる寿司屋を模索。「確か昭和48年の春」に廻転する卓の店に出会い、この方式での企業化を決心。当社の方式はその店とはだいぶ違う(L62-L81)

1974年〜月900万円を売り上げた回転寿司「徳兵衛」と、元禄寿司への改称

徳兵衛寿司は1974年4月、回転式の寿司店の1号店を「徳兵衛」の名で開店した。株式会社の設立から2年3か月後の出店。当時の寿司店は月商100万円で上出来とされたなかで、「徳兵衛」は月900万円の売上を記録した。同業者の間では、安値の寿司屋は半年で潰れるという見方が出ていた。徳兵衛寿司はその後も毎年1店ずつ出店を重ね、年商は約3億3,000万円まで拡大した。月900万円は当時の平均の9倍にあたり、価格を下げても客数で売上を補えることを1号店が示したと思われる。

  • レポート 新春(49) 1995年1月 共立総合研究所「対談レポート 株式会社アトム代表取締役社長 佐々木正時氏」
    • [12]昭和49年4月「徳兵衛」の名で廻転式1号店を開店。寿司屋の平均月商100万円に対し900万円。以後毎年1店舗ずつ出店し年商3億3,000万円ぐらい(L84-L96)
    • [14]昭和49年4月「徳兵衛」の名で廻転式1号店を開店。寿司屋の平均月商100万円に対し900万円。以後毎年1店舗ずつ出店し年商3億3,000万円ぐらい(L84-L96)
    • [15]昭和49年4月「徳兵衛」の名で廻転式1号店を開店。寿司屋の平均月商100万円に対し900万円。以後毎年1店舗ずつ出店し年商3億3,000万円ぐらい(L84-L96)
    • [16]昭和49年4月「徳兵衛」の名で廻転式1号店を開店。寿司屋の平均月商100万円に対し900万円。以後毎年1店舗ずつ出店し年商3億3,000万円ぐらい(L84-L96)
  • アトム 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1972年1月 株式会社徳兵衛寿司を設立

1977年8月、徳兵衛寿司は本店を福井市開発から福井市大宮へ移した。同年10月には、株式会社徳兵衛寿司から株式会社元禄寿司への商号変更。元禄寿司の名は店名にも使われ、岐阜県の繁華街である柳ケ瀬に約20坪の店を「ローリング元禄寿司」の名で開店した。佐々木正時氏によれば、この時点ではまだアトムの名称を使えなかった。柳ケ瀬の店の年商は800万円ほどで、佐々木正時氏は繁華街の立地ではこれが上限だったと振り返った。改称の理由は資料に記されておらず、出店地を福井の外へ広げる段階で屋号を改めたものと推察される。

  • アトム 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1977年8月 本店を福井市開発から福井市大宮へ移転。1977年10月 株式会社徳兵衛寿司を株式会社元禄寿司に商号変更
    • [18]1977年8月 本店を福井市開発から福井市大宮へ移転。1977年10月 株式会社徳兵衛寿司を株式会社元禄寿司に商号変更
  • レポート 新春(49) 1995年1月 共立総合研究所「対談レポート 株式会社アトム代表取締役社長 佐々木正時氏」
    • [19]柳津店より前に柳ケ瀬に20坪位の店を「ローリング元禄寿司」の名で開店。アトムの名称は未使用。年商800万円位が限界(L197-L204)
    • [20]柳津店より前に柳ケ瀬に20坪位の店を「ローリング元禄寿司」の名で開店。アトムの名称は未使用。年商800万円位が限界(L197-L204)
    • [21]柳津店より前に柳ケ瀬に20坪位の店を「ローリング元禄寿司」の名で開店。アトムの名称は未使用。年商800万円位が限界(L197-L204)

1978年、佐々木正時氏はOGMコンサルティングと出会い、その指導を受けて回転寿司「アトムボーイ」の店舗構想をまとめた。あわせて、10年で売上100億円という目標を設定した。佐々木正時氏は米国資本のスカイラーク、ロイヤルホスト、マクドナルドと比べ、自社の店舗や社員教育が職人の商売と変わらないと気づいた。福井は商圏人口が少なく郊外型の店に向かないうえ、1月と2月は雪で営業が成り立たない土地である。そこで佐々木正時氏は、福井県のローカルチェーンから東海地区を主とするリージョナルチェーンへの転換を図った。構想は1980年10月の「鉄腕アトム」のキャラクター使用許諾契約と、株式会社アトムへの商号変更につながった。100億円の目標は年商約3億3,000万円の約30倍にあたり、福井の外での出店を前提にした数字だったのだろう。

  • レポート 新春(49) 1995年1月 共立総合研究所「対談レポート 株式会社アトム代表取締役社長 佐々木正時氏」
    • [22]昭和53年OGMコンサルティングと出会い、アトムボーイのコンセプトを作り10年で100億円の目標を設定。米国資本外食との比較で職人的経営と変わらないと気付く。福井は商圏人口不足・冬季の雪でリージョナルチェーンへの脱皮を図る(L100-L127・L176-L184)
    • [23]昭和53年OGMコンサルティングと出会い、アトムボーイのコンセプトを作り10年で100億円の目標を設定。米国資本外食との比較で職人的経営と変わらないと気付く。福井は商圏人口不足・冬季の雪でリージョナルチェーンへの脱皮を図る(L100-L127・L176-L184)
    • [24]昭和53年OGMコンサルティングと出会い、アトムボーイのコンセプトを作り10年で100億円の目標を設定。米国資本外食との比較で職人的経営と変わらないと気付く。福井は商圏人口不足・冬季の雪でリージョナルチェーンへの脱皮を図る(L100-L127・L176-L184)
    • [25]昭和53年OGMコンサルティングと出会い、アトムボーイのコンセプトを作り10年で100億円の目標を設定。米国資本外食との比較で職人的経営と変わらないと気付く。福井は商圏人口不足・冬季の雪でリージョナルチェーンへの脱皮を図る(L100-L127・L176-L184)
    • [26]昭和53年OGMコンサルティングと出会い、アトムボーイのコンセプトを作り10年で100億円の目標を設定。米国資本外食との比較で職人的経営と変わらないと気付く。福井は商圏人口不足・冬季の雪でリージョナルチェーンへの脱皮を図る(L100-L127・L176-L184)
  • 証券アナリストジャーナル 33(2) 1995年1月 別冊付録
    • [27]1980年10月 日本テレビ音楽と「鉄腕アトム」のキャラクター使用許諾契約を締結し「アトムボーイ」商標を使用。同月 社名を株式会社アトムに変更
参考文献[12]-[27]
  • レポート 新春(49) 1995年1月 共立総合研究所「対談レポート 株式会社アトム代表取締役社長 佐々木正時氏」
    • [12]昭和49年4月「徳兵衛」の名で廻転式1号店を開店。寿司屋の平均月商100万円に対し900万円。以後毎年1店舗ずつ出店し年商3億3,000万円ぐらい(L84-L96)
    • [14]昭和49年4月「徳兵衛」の名で廻転式1号店を開店。寿司屋の平均月商100万円に対し900万円。以後毎年1店舗ずつ出店し年商3億3,000万円ぐらい(L84-L96)
    • [15]昭和49年4月「徳兵衛」の名で廻転式1号店を開店。寿司屋の平均月商100万円に対し900万円。以後毎年1店舗ずつ出店し年商3億3,000万円ぐらい(L84-L96)
    • [16]昭和49年4月「徳兵衛」の名で廻転式1号店を開店。寿司屋の平均月商100万円に対し900万円。以後毎年1店舗ずつ出店し年商3億3,000万円ぐらい(L84-L96)
    • [19]柳津店より前に柳ケ瀬に20坪位の店を「ローリング元禄寿司」の名で開店。アトムの名称は未使用。年商800万円位が限界(L197-L204)
    • [20]柳津店より前に柳ケ瀬に20坪位の店を「ローリング元禄寿司」の名で開店。アトムの名称は未使用。年商800万円位が限界(L197-L204)
    • [21]柳津店より前に柳ケ瀬に20坪位の店を「ローリング元禄寿司」の名で開店。アトムの名称は未使用。年商800万円位が限界(L197-L204)
    • [22]昭和53年OGMコンサルティングと出会い、アトムボーイのコンセプトを作り10年で100億円の目標を設定。米国資本外食との比較で職人的経営と変わらないと気付く。福井は商圏人口不足・冬季の雪でリージョナルチェーンへの脱皮を図る(L100-L127・L176-L184)
    • [23]昭和53年OGMコンサルティングと出会い、アトムボーイのコンセプトを作り10年で100億円の目標を設定。米国資本外食との比較で職人的経営と変わらないと気付く。福井は商圏人口不足・冬季の雪でリージョナルチェーンへの脱皮を図る(L100-L127・L176-L184)
    • [24]昭和53年OGMコンサルティングと出会い、アトムボーイのコンセプトを作り10年で100億円の目標を設定。米国資本外食との比較で職人的経営と変わらないと気付く。福井は商圏人口不足・冬季の雪でリージョナルチェーンへの脱皮を図る(L100-L127・L176-L184)
    • [25]昭和53年OGMコンサルティングと出会い、アトムボーイのコンセプトを作り10年で100億円の目標を設定。米国資本外食との比較で職人的経営と変わらないと気付く。福井は商圏人口不足・冬季の雪でリージョナルチェーンへの脱皮を図る(L100-L127・L176-L184)
    • [26]昭和53年OGMコンサルティングと出会い、アトムボーイのコンセプトを作り10年で100億円の目標を設定。米国資本外食との比較で職人的経営と変わらないと気付く。福井は商圏人口不足・冬季の雪でリージョナルチェーンへの脱皮を図る(L100-L127・L176-L184)
  • アトム 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1972年1月 株式会社徳兵衛寿司を設立
    • [17]1977年8月 本店を福井市開発から福井市大宮へ移転。1977年10月 株式会社徳兵衛寿司を株式会社元禄寿司に商号変更
    • [18]1977年8月 本店を福井市開発から福井市大宮へ移転。1977年10月 株式会社徳兵衛寿司を株式会社元禄寿司に商号変更
  • 証券アナリストジャーナル 33(2) 1995年1月 別冊付録
    • [27]1980年10月 日本テレビ音楽と「鉄腕アトム」のキャラクター使用許諾契約を締結し「アトムボーイ」商標を使用。同月 社名を株式会社アトムに変更

出典・参考

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出典・参考
  • アトム 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル 33(2) 1995年1月 別冊付録
  • レポート 新春(49) 1995年1月 共立総合研究所「対談レポート 株式会社アトム代表取締役社長 佐々木正時氏」

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