第1章 年〜年

エスペック:田葉井製作所の創設と環境試験分野への参入

1947年〜大阪・北区でビーカーを売った3人の田葉井製作所と、恒温恒湿器を加えた株式会社への改組

1947年7月、田葉井五郎氏は大阪市北区で個人経営の田葉井製作所を創業した。創業の顔ぶれは田葉井五郎氏、甥の小山栄一氏、のちに専務となる田葉井敏雄氏の3人だった。社名の田葉井は、創業者で小山栄一氏の伯父にあたる田葉井五郎氏の姓である。扱ったのはビーカー、フラスコ、スタンドといった理化学機器で、製造から販売までを自社で担った。当初の製品は、中学・高校・大学の理科の実験室で使う基礎的な機器・器具が中心だった。創業のころから掲げた目標は『一味違うことを一足早くやろう』と『東京に追いつき追い越そう』の2つである。大がかりな設備の要らない実験器具から入り、製造の技術を少しずつ蓄える狙いだったとみられる。

  • 証券 37(9) 1985年
    • [1]1947年7月、田葉井五郎(初代社長)が大阪市北区でビーカー・フラスコ・スタンド等の理化学機器の製造販売を目的に個人経営の田葉井製作所を創業
    • [4]1947年7月、田葉井五郎(初代社長)が大阪市北区でビーカー・フラスコ・スタンド等の理化学機器の製造販売を目的に個人経営の田葉井製作所を創業
  • 証券アナリストジャーナル 23(10) 1985年(小山栄一 講演要旨)
    • [2]創業は田葉井五郎・小山栄一(田葉井五郎の甥)・田葉井敏雄(元専務)の3人。創業以来「一味違うことを一足早く」「東京に追いつき追い越そう」を目標に掲げた。社名のタバイは創業者で伯父の田葉井五郎の名
    • [3]創業は田葉井五郎・小山栄一(田葉井五郎の甥)・田葉井敏雄(元専務)の3人。創業以来「一味違うことを一足早く」「東京に追いつき追い越そう」を目標に掲げた。社名のタバイは創業者で伯父の田葉井五郎の名
    • [6]創業は田葉井五郎・小山栄一(田葉井五郎の甥)・田葉井敏雄(元専務)の3人。創業以来「一味違うことを一足早く」「東京に追いつき追い越そう」を目標に掲げた。社名のタバイは創業者で伯父の田葉井五郎の名
  • 証券アナリストジャーナル 21(12) 1983年(小山栄一)
    • [5]創業当時は中学・高校・大学の理科実験室で使う基礎的な機器・器具を中心に製造

1954年1月、田葉井製作所は業容の拡大を目指して株式会社に改組し、商号を株式会社田葉井製作所とした。法人の設立日は1954年1月13日で、初代社長には創業者の田葉井五郎氏が就任。設立時の取扱品には、ビーカーやフラスコに加えて滅菌器、真空乾燥器、理学用恒温恒湿器が並んだ。証券誌は1985年の紹介記事で、これらの機器を当時の主力製品の原型と位置づけた。小山栄一氏は1983年の講演で、創業後は実験室や研究室で使う機器を見よう見まねで作り、品目を広げたと振り返った。株式会社への改組で取引の信用と資金の手当てを整え、温度と湿度を制御する機器の開発を進める足場を得たと推察される。

  • 証券 37(9) 1985年
    • [7]1954年1月、業容の拡大を目指して株式会社に改組し商号を株式会社田葉井製作所とした(設立1954年1月13日)。設立時の取扱品はビーカー・フラスコ・スタンドのほか滅菌器・真空乾燥器・理学用恒温恒湿器など現在の主力製品の原型
    • [8]1954年1月、業容の拡大を目指して株式会社に改組し商号を株式会社田葉井製作所とした(設立1954年1月13日)。設立時の取扱品はビーカー・フラスコ・スタンドのほか滅菌器・真空乾燥器・理学用恒温恒湿器など現在の主力製品の原型
    • [9]1954年1月、業容の拡大を目指して株式会社に改組し商号を株式会社田葉井製作所とした(設立1954年1月13日)。設立時の取扱品はビーカー・フラスコ・スタンドのほか滅菌器・真空乾燥器・理学用恒温恒湿器など現在の主力製品の原型
    • [10]1954年1月、業容の拡大を目指して株式会社に改組し商号を株式会社田葉井製作所とした(設立1954年1月13日)。設立時の取扱品はビーカー・フラスコ・スタンドのほか滅菌器・真空乾燥器・理学用恒温恒湿器など現在の主力製品の原型
  • 証券アナリストジャーナル 21(12) 1983年(小山栄一)
    • [11]創業後は実験室・研究室で使う機器を見よう見まねで作ってきた
参考文献[1]-[11]
  • 証券 37(9) 1985年
    • [1]1947年7月、田葉井五郎(初代社長)が大阪市北区でビーカー・フラスコ・スタンド等の理化学機器の製造販売を目的に個人経営の田葉井製作所を創業
    • [4]1947年7月、田葉井五郎(初代社長)が大阪市北区でビーカー・フラスコ・スタンド等の理化学機器の製造販売を目的に個人経営の田葉井製作所を創業
    • [7]1954年1月、業容の拡大を目指して株式会社に改組し商号を株式会社田葉井製作所とした(設立1954年1月13日)。設立時の取扱品はビーカー・フラスコ・スタンドのほか滅菌器・真空乾燥器・理学用恒温恒湿器など現在の主力製品の原型
    • [8]1954年1月、業容の拡大を目指して株式会社に改組し商号を株式会社田葉井製作所とした(設立1954年1月13日)。設立時の取扱品はビーカー・フラスコ・スタンドのほか滅菌器・真空乾燥器・理学用恒温恒湿器など現在の主力製品の原型
    • [9]1954年1月、業容の拡大を目指して株式会社に改組し商号を株式会社田葉井製作所とした(設立1954年1月13日)。設立時の取扱品はビーカー・フラスコ・スタンドのほか滅菌器・真空乾燥器・理学用恒温恒湿器など現在の主力製品の原型
    • [10]1954年1月、業容の拡大を目指して株式会社に改組し商号を株式会社田葉井製作所とした(設立1954年1月13日)。設立時の取扱品はビーカー・フラスコ・スタンドのほか滅菌器・真空乾燥器・理学用恒温恒湿器など現在の主力製品の原型
  • 証券アナリストジャーナル 23(10) 1985年(小山栄一 講演要旨)
    • [2]創業は田葉井五郎・小山栄一(田葉井五郎の甥)・田葉井敏雄(元専務)の3人。創業以来「一味違うことを一足早く」「東京に追いつき追い越そう」を目標に掲げた。社名のタバイは創業者で伯父の田葉井五郎の名
    • [3]創業は田葉井五郎・小山栄一(田葉井五郎の甥)・田葉井敏雄(元専務)の3人。創業以来「一味違うことを一足早く」「東京に追いつき追い越そう」を目標に掲げた。社名のタバイは創業者で伯父の田葉井五郎の名
    • [6]創業は田葉井五郎・小山栄一(田葉井五郎の甥)・田葉井敏雄(元専務)の3人。創業以来「一味違うことを一足早く」「東京に追いつき追い越そう」を目標に掲げた。社名のタバイは創業者で伯父の田葉井五郎の名
  • 証券アナリストジャーナル 21(12) 1983年(小山栄一)
    • [5]創業当時は中学・高校・大学の理科実験室で使う基礎的な機器・器具を中心に製造
    • [11]創業後は実験室・研究室で使う機器を見よう見まねで作ってきた

1961年〜恒温恒湿器から入った環境試験機器と、福知山工場に集めた標準品の生産

1961年1月、田葉井製作所は本格的な環境試験機器として恒温恒湿器の製造・販売を始め、日本で初めてこの分野に進出した。背景には1950年代後半のテレビの普及があり、電機メーカーの間で材料・部品・製品の信頼性を確かめる試験の需要が高まった。当時の日本には試験方法の規格が無く、電機メーカーは米軍の調達品に課す試験規格を準用。初めは実験・研究用機器を試験に転用したため、試験に合わない点が次々に出た。そこで田葉井製作所は1960年ごろから実験・研究用機器の生産を一時止め、環境試験の専用機の開発に絞った。小山栄一氏は1985年の講演で、環境試験機器の専門メーカーへの転換を1955年以降の時期に置いた。既存の品目を止めてまで専用機に経営資源を集中した判断が、後発の参入に先んじる競争優位を生んだのだろう。

  • 証券 37(9) 1985年
    • [12]1950年代後半(昭和30年代前半)テレビの普及で電機メーカーに信頼性確認の環境試験の必要が高まり、1961年1月に本格的な環境試験機器として恒温恒湿器の製造・販売を開始、国内で初めて同分野に進出
    • [13]1950年代後半(昭和30年代前半)テレビの普及で電機メーカーに信頼性確認の環境試験の必要が高まり、1961年1月に本格的な環境試験機器として恒温恒湿器の製造・販売を開始、国内で初めて同分野に進出
  • 証券アナリストジャーナル 21(12) 1983年(小山栄一)
    • [14]当時は試験方法が確立しておらず米軍調達品の試験規格を準用。実験・研究用機器の転用では不都合が出たため、1960年(昭和35年)ごろから実験・研究用機器の生産を一時中断し環境試験専用機の開発に絞った
    • [15]当時は試験方法が確立しておらず米軍調達品の試験規格を準用。実験・研究用機器の転用では不都合が出たため、1960年(昭和35年)ごろから実験・研究用機器の生産を一時中断し環境試験専用機の開発に絞った
    • [16]当時は試験方法が確立しておらず米軍調達品の試験規格を準用。実験・研究用機器の転用では不都合が出たため、1960年(昭和35年)ごろから実験・研究用機器の生産を一時中断し環境試験専用機の開発に絞った
  • 証券アナリストジャーナル 23(10) 1985年(小山栄一 講演要旨)
    • [17]環境試験機器の専門メーカーに脱皮したのは昭和30年代(1955年以降)。テレビの普及に伴い環境試験機器の需要が急増

1963年9月、田葉井製作所は大阪府に寝屋川工場を設け、標準化による量産を始めた。1969年には主力の恒温恒湿器のシリーズ化を終えた。1974年8月には京都府福知山市に福知山工場を新設し、製品の標準化を一段と進めた。石油危機の後、受注の順に種類や大きさの違う製品を同じラインに流す混流生産方式へ切り替えた。同じ製品をロットで作り在庫を持つ方式では、受注の予測が外れると棚卸資産が膨らみ、経営を圧迫したためである。1985年時点では、子会社が担う一部の機器を除き、生産を福知山工場に集めていた。標準化した部品と受注順の組み立てを1つの工場で組み合わせたことが、多品種少量生産の採算を支えたと思われる。

  • 証券 37(9) 1985年
    • [18]1963年9月寝屋川工場を設置し標準化による量産、1969年恒温恒湿器のシリーズ化完成、1974年8月京都府に福知山工場を新設し製品の標準化を推進。1985年時点で生産はタバイ理工担当分を除き福知山工場
    • [19]1963年9月寝屋川工場を設置し標準化による量産、1969年恒温恒湿器のシリーズ化完成、1974年8月京都府に福知山工場を新設し製品の標準化を推進。1985年時点で生産はタバイ理工担当分を除き福知山工場
    • [20]1963年9月寝屋川工場を設置し標準化による量産、1969年恒温恒湿器のシリーズ化完成、1974年8月京都府に福知山工場を新設し製品の標準化を推進。1985年時点で生産はタバイ理工担当分を除き福知山工場
    • [23]1963年9月寝屋川工場を設置し標準化による量産、1969年恒温恒湿器のシリーズ化完成、1974年8月京都府に福知山工場を新設し製品の標準化を推進。1985年時点で生産はタバイ理工担当分を除き福知山工場
  • 証券アナリストジャーナル 23(10) 1985年(小山栄一 講演要旨)
    • [21]石油危機後、ロット生産・製品在庫方式から受注順に多品種を流す混流生産方式に切り替え。ロット生産では販売計画と受注予測のずれで在庫が偏り棚卸資産が増えて経営を圧迫した
    • [22]石油危機後、ロット生産・製品在庫方式から受注順に多品種を流す混流生産方式に切り替え。ロット生産では販売計画と受注予測のずれで在庫が偏り棚卸資産が増えて経営を圧迫した

社長の小山栄一氏は、上場を目指すには企業のあり方を明確にする必要があるとして、CI活動を進めた。1985年度を最終年度とする第3次5カ年計画は、4つの目標を掲げた。売上高150億円以上、大証2部への上場、デミング賞受賞の準備、CI活動の推進である。CI活動は、これからの時代に合う企業活動の目標を定め、社内の活動をそこへ集中する狙いで始めた。全社で検討し、欧米・アジアの取引先の外国人にも意見を求めて、経営理念を1語で表す造語「エスペック」を選んだ。込めた理念は進取的・国際的・知的の3つである。1983年4月、田葉井製作所はこの語を社名に入れ、タバイエスペック株式会社に商号を改めた。上場と社名の刷新を同じ計画に組み込み、取引先や投資家に向けた企業像を先に整えようとしたと考えられる。

  • 証券アナリストジャーナル 21(12) 1983年(小山栄一)
    • [24]上場を目指すため企業のあり方を明確にする必要からCI活動を業界内で積極的に推進。1985年度を最終年度とする第3次5カ年計画の目標は売上高150億円以上・大証2部上場・デミング賞受賞の準備・CI活動の積極的推進の4つ
    • [25]上場を目指すため企業のあり方を明確にする必要からCI活動を業界内で積極的に推進。1985年度を最終年度とする第3次5カ年計画の目標は売上高150億円以上・大証2部上場・デミング賞受賞の準備・CI活動の積極的推進の4つ
    • [26]上場を目指すため企業のあり方を明確にする必要からCI活動を業界内で積極的に推進。1985年度を最終年度とする第3次5カ年計画の目標は売上高150億円以上・大証2部上場・デミング賞受賞の準備・CI活動の積極的推進の4つ
  • 証券アナリストジャーナル 23(10) 1985年(小山栄一 講演要旨)
    • [27]数年前、これからの時代に即した企業活動の目標を定め活動を集中するためCI活動を開始。全社で検討し欧米・アジアの取引先の外国人にも相談して、進取的・国際的・知的を表す造語「エスペック」を選定。1983年4月に社名をタバイエスペック株式会社に変更
    • [28]数年前、これからの時代に即した企業活動の目標を定め活動を集中するためCI活動を開始。全社で検討し欧米・アジアの取引先の外国人にも相談して、進取的・国際的・知的を表す造語「エスペック」を選定。1983年4月に社名をタバイエスペック株式会社に変更
    • [29]数年前、これからの時代に即した企業活動の目標を定め活動を集中するためCI活動を開始。全社で検討し欧米・アジアの取引先の外国人にも相談して、進取的・国際的・知的を表す造語「エスペック」を選定。1983年4月に社名をタバイエスペック株式会社に変更
    • [30]数年前、これからの時代に即した企業活動の目標を定め活動を集中するためCI活動を開始。全社で検討し欧米・アジアの取引先の外国人にも相談して、進取的・国際的・知的を表す造語「エスペック」を選定。1983年4月に社名をタバイエスペック株式会社に変更
参考文献[12]-[30]
  • 証券 37(9) 1985年
    • [12]1950年代後半(昭和30年代前半)テレビの普及で電機メーカーに信頼性確認の環境試験の必要が高まり、1961年1月に本格的な環境試験機器として恒温恒湿器の製造・販売を開始、国内で初めて同分野に進出
    • [13]1950年代後半(昭和30年代前半)テレビの普及で電機メーカーに信頼性確認の環境試験の必要が高まり、1961年1月に本格的な環境試験機器として恒温恒湿器の製造・販売を開始、国内で初めて同分野に進出
    • [18]1963年9月寝屋川工場を設置し標準化による量産、1969年恒温恒湿器のシリーズ化完成、1974年8月京都府に福知山工場を新設し製品の標準化を推進。1985年時点で生産はタバイ理工担当分を除き福知山工場
    • [19]1963年9月寝屋川工場を設置し標準化による量産、1969年恒温恒湿器のシリーズ化完成、1974年8月京都府に福知山工場を新設し製品の標準化を推進。1985年時点で生産はタバイ理工担当分を除き福知山工場
    • [20]1963年9月寝屋川工場を設置し標準化による量産、1969年恒温恒湿器のシリーズ化完成、1974年8月京都府に福知山工場を新設し製品の標準化を推進。1985年時点で生産はタバイ理工担当分を除き福知山工場
    • [23]1963年9月寝屋川工場を設置し標準化による量産、1969年恒温恒湿器のシリーズ化完成、1974年8月京都府に福知山工場を新設し製品の標準化を推進。1985年時点で生産はタバイ理工担当分を除き福知山工場
  • 証券アナリストジャーナル 21(12) 1983年(小山栄一)
    • [14]当時は試験方法が確立しておらず米軍調達品の試験規格を準用。実験・研究用機器の転用では不都合が出たため、1960年(昭和35年)ごろから実験・研究用機器の生産を一時中断し環境試験専用機の開発に絞った
    • [15]当時は試験方法が確立しておらず米軍調達品の試験規格を準用。実験・研究用機器の転用では不都合が出たため、1960年(昭和35年)ごろから実験・研究用機器の生産を一時中断し環境試験専用機の開発に絞った
    • [16]当時は試験方法が確立しておらず米軍調達品の試験規格を準用。実験・研究用機器の転用では不都合が出たため、1960年(昭和35年)ごろから実験・研究用機器の生産を一時中断し環境試験専用機の開発に絞った
    • [24]上場を目指すため企業のあり方を明確にする必要からCI活動を業界内で積極的に推進。1985年度を最終年度とする第3次5カ年計画の目標は売上高150億円以上・大証2部上場・デミング賞受賞の準備・CI活動の積極的推進の4つ
    • [25]上場を目指すため企業のあり方を明確にする必要からCI活動を業界内で積極的に推進。1985年度を最終年度とする第3次5カ年計画の目標は売上高150億円以上・大証2部上場・デミング賞受賞の準備・CI活動の積極的推進の4つ
    • [26]上場を目指すため企業のあり方を明確にする必要からCI活動を業界内で積極的に推進。1985年度を最終年度とする第3次5カ年計画の目標は売上高150億円以上・大証2部上場・デミング賞受賞の準備・CI活動の積極的推進の4つ
  • 証券アナリストジャーナル 23(10) 1985年(小山栄一 講演要旨)
    • [17]環境試験機器の専門メーカーに脱皮したのは昭和30年代(1955年以降)。テレビの普及に伴い環境試験機器の需要が急増
    • [21]石油危機後、ロット生産・製品在庫方式から受注順に多品種を流す混流生産方式に切り替え。ロット生産では販売計画と受注予測のずれで在庫が偏り棚卸資産が増えて経営を圧迫した
    • [22]石油危機後、ロット生産・製品在庫方式から受注順に多品種を流す混流生産方式に切り替え。ロット生産では販売計画と受注予測のずれで在庫が偏り棚卸資産が増えて経営を圧迫した
    • [27]数年前、これからの時代に即した企業活動の目標を定め活動を集中するためCI活動を開始。全社で検討し欧米・アジアの取引先の外国人にも相談して、進取的・国際的・知的を表す造語「エスペック」を選定。1983年4月に社名をタバイエスペック株式会社に変更
    • [28]数年前、これからの時代に即した企業活動の目標を定め活動を集中するためCI活動を開始。全社で検討し欧米・アジアの取引先の外国人にも相談して、進取的・国際的・知的を表す造語「エスペック」を選定。1983年4月に社名をタバイエスペック株式会社に変更
    • [29]数年前、これからの時代に即した企業活動の目標を定め活動を集中するためCI活動を開始。全社で検討し欧米・アジアの取引先の外国人にも相談して、進取的・国際的・知的を表す造語「エスペック」を選定。1983年4月に社名をタバイエスペック株式会社に変更
    • [30]数年前、これからの時代に即した企業活動の目標を定め活動を集中するためCI活動を開始。全社で検討し欧米・アジアの取引先の外国人にも相談して、進取的・国際的・知的を表す造語「エスペック」を選定。1983年4月に社名をタバイエスペック株式会社に変更

出典・参考

3件
出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 21(12) 1983年(小山栄一)
  • 証券アナリストジャーナル 23(10) 1985年(小山栄一 講演要旨)
  • 証券 37(9) 1985年

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