大和冷機工業:大和冷機工業所の創業と業務用冷蔵庫・全自動製氷機の製品化
1958年〜大阪市生野区で興した大和冷機工業所と、資本金300万円の法人化で踏み出した規格品
1958年2月、尾崎茂氏は大阪市生野区で大和冷機工業所を個人で開き、業務用冷蔵庫の販売と修理から事業を始めた。電気科出身の尾崎茂氏は、電気の知識を生かしたものづくりの事業を以前から望んでいた。家電では、大手メーカーが規格品を大量に供給する体制が既に整っている。業務用冷蔵庫には大手が参入しておらず、注文ごとに作って納める受注販売にとどまった。尾崎茂氏は食文化の発展で需要が拡大すると見込み、業務用冷蔵庫に専念するメーカーとして歩むと決めた。社名には個人経営の色が濃くなる社長の姓を使わず、『大きな志、人の和』であってほしいという願いを込めて「大和」とした。創業者の姓を外した命名には、事業を個人商店から組織へ移す意図があったとみられる。
- 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年 尾崎茂(企業分析部会講演要旨)
- [1]1958年2月に大阪市生野区で個人経営の大和冷機工業所として創業。社名は社長の個人名を避け「大きな志、人の和」の願いから「大和」とした
- [6]1958年2月に大阪市生野区で個人経営の大和冷機工業所として創業。社名は社長の個人名を避け「大きな志、人の和」の願いから「大和」とした
- 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 尾崎茂
- [2]尾崎茂は電気科出身。創業時は業務用冷蔵庫の販売・修理。家電は大手の規格品量産体制があったが業務用は大手未参入で特注の受注販売だった。将来の需要拡大を見越し専業メーカーを選んだ
- [3]尾崎茂は電気科出身。創業時は業務用冷蔵庫の販売・修理。家電は大手の規格品量産体制があったが業務用は大手未参入で特注の受注販売だった。将来の需要拡大を見越し専業メーカーを選んだ
- [4]尾崎茂は電気科出身。創業時は業務用冷蔵庫の販売・修理。家電は大手の規格品量産体制があったが業務用は大手未参入で特注の受注販売だった。将来の需要拡大を見越し専業メーカーを選んだ
- [5]尾崎茂は電気科出身。創業時は業務用冷蔵庫の販売・修理。家電は大手の規格品量産体制があったが業務用は大手未参入で特注の受注販売だった。将来の需要拡大を見越し専業メーカーを選んだ
1962年11月、尾崎茂氏は個人経営を改め、資本金300万円の株式会社として大和冷機工業を大阪市生野区に設立した。1950年代後半の業務用冷蔵庫は成長の途上にあり、作れば売れる市場で業容は次第に広がった。設立の目的には業務用冷凍冷蔵庫と、冷凍機器を応用した製品の製造と販売を掲げた。法人化と同時に、関東から東日本へ商圏を広げる足場となる東京支店を開設。販売では直販を主体とし、創業時から酒販店を中心に顧客を開拓した。酒販店は免許制で経営が堅実なため代金の回収が容易だという点が、尾崎茂氏の着眼である。需要の拡大に備えた改組と、回収の確実な販路の組み合わせが、資金の乏しい創業期の会社の成長を支えたと推察される。
- 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年 尾崎茂(企業分析部会講演要旨)
- [7]1962年11月に個人経営から法人組織へ改組し大和冷機工業株式会社が発足。同時に東京支店を開設し関東・東日本への商圏拡張の礎とした。昭和30年代は作れば売れる時代で業容が拡大
- [9]1962年11月に個人経営から法人組織へ改組し大和冷機工業株式会社が発足。同時に東京支店を開設し関東・東日本への商圏拡張の礎とした。昭和30年代は作れば売れる時代で業容が拡大
- [11]1962年11月に個人経営から法人組織へ改組し大和冷機工業株式会社が発足。同時に東京支店を開設し関東・東日本への商圏拡張の礎とした。昭和30年代は作れば売れる時代で業容が拡大
- 大和冷機工業 有価証券報告書【沿革】
- [8]1962年11月、業務用冷凍冷蔵庫・冷凍機応用製品の製造販売を目的に資本金300万円で大和冷機工業株式会社(本店、大阪市生野区)を設立し、同時に東京支店を開設
- 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 尾崎茂
- [10]1962年に業務用冷凍冷蔵庫・冷凍機器応用製品の製造販売を目的に会社設立。直販主体で酒販店を軸にした販売体制を進め事業基盤を安定させた
- [12]1962年に業務用冷凍冷蔵庫・冷凍機器応用製品の製造販売を目的に会社設立。直販主体で酒販店を軸にした販売体制を進め事業基盤を安定させた
- 証券 43(10)(511) 1991年(新規上場会社紹介)
- [13]酒販店は免許制で経営が堅実で代金回収が容易な点に着目して酒販店中心に営業。1962年11月の改組は将来の需要拡大に備えたもの
1964年11月、大和冷機工業は大阪市内で製造工場を設け、業務用冷蔵庫では業界初となる規格品を作り始めた。前年の1963年には日立製作所製のフレオン冷凍機を組み込んだ冷蔵庫を発売した。当時の業務用冷蔵庫の中心は、設置の現場で1台ずつ組み立てる特注品である。大和冷機工業は創業以来の特注品に規格品を加え、両方を揃える総合メーカーへの転換を図った。量産に向けて1965年4月に蒸発器へアルミロール・ボンド方式を、1966年1月にはウレタン発泡のマグネット・ドアーを導入。1968年1月には本体の断熱材にウレタン原液の注入発泡を採用し、1969年1月には横型冷蔵庫のコールドテーブルを発売した。規格品の量産は、酒販店の需要拡大に特注の生産能力では応じきれなくなったためだろう。
- 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 尾崎茂
- [14]1964年に業務用冷蔵庫の規格品の製造販売を開始
- 証券 43(10)(511) 1991年(新規上場会社紹介)
- [15]1964年11月に大阪市内に製造工場を新設し業界初の業務用冷蔵庫の規格品を製造販売。当時の業務用は特注で現場で1個ずつ組み立てる状況。1969年1月に横型冷蔵庫(コールドテーブル)の製造販売開始
- [17]1964年11月に大阪市内に製造工場を新設し業界初の業務用冷蔵庫の規格品を製造販売。当時の業務用は特注で現場で1個ずつ組み立てる状況。1969年1月に横型冷蔵庫(コールドテーブル)の製造販売開始
- [21]1964年11月に大阪市内に製造工場を新設し業界初の業務用冷蔵庫の規格品を製造販売。当時の業務用は特注で現場で1個ずつ組み立てる状況。1969年1月に横型冷蔵庫(コールドテーブル)の製造販売開始
- 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年 尾崎茂(企業分析部会講演要旨)
- [16]1963年に日立製作所のフレオン冷凍機を使った冷蔵庫を発売、1964年に他社にさきがけ規格品の製造を開始し特注品とあわせ総合メーカーを目指して工場を新設。1965年4月アルミロール・ボンド方式、1966年1月ウレタン発泡マグネットドア、1968年1月ウレタン原液注入発泡を採用
- [18]1963年に日立製作所のフレオン冷凍機を使った冷蔵庫を発売、1964年に他社にさきがけ規格品の製造を開始し特注品とあわせ総合メーカーを目指して工場を新設。1965年4月アルミロール・ボンド方式、1966年1月ウレタン発泡マグネットドア、1968年1月ウレタン原液注入発泡を採用
- [19]1963年に日立製作所のフレオン冷凍機を使った冷蔵庫を発売、1964年に他社にさきがけ規格品の製造を開始し特注品とあわせ総合メーカーを目指して工場を新設。1965年4月アルミロール・ボンド方式、1966年1月ウレタン発泡マグネットドア、1968年1月ウレタン原液注入発泡を採用
- [20]1963年に日立製作所のフレオン冷凍機を使った冷蔵庫を発売、1964年に他社にさきがけ規格品の製造を開始し特注品とあわせ総合メーカーを目指して工場を新設。1965年4月アルミロール・ボンド方式、1966年1月ウレタン発泡マグネットドア、1968年1月ウレタン原液注入発泡を採用
参考文献[1]-[21]
- 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年 尾崎茂(企業分析部会講演要旨)
- [1]1958年2月に大阪市生野区で個人経営の大和冷機工業所として創業。社名は社長の個人名を避け「大きな志、人の和」の願いから「大和」とした
- [6]1958年2月に大阪市生野区で個人経営の大和冷機工業所として創業。社名は社長の個人名を避け「大きな志、人の和」の願いから「大和」とした
- [7]1962年11月に個人経営から法人組織へ改組し大和冷機工業株式会社が発足。同時に東京支店を開設し関東・東日本への商圏拡張の礎とした。昭和30年代は作れば売れる時代で業容が拡大
- [9]1962年11月に個人経営から法人組織へ改組し大和冷機工業株式会社が発足。同時に東京支店を開設し関東・東日本への商圏拡張の礎とした。昭和30年代は作れば売れる時代で業容が拡大
- [11]1962年11月に個人経営から法人組織へ改組し大和冷機工業株式会社が発足。同時に東京支店を開設し関東・東日本への商圏拡張の礎とした。昭和30年代は作れば売れる時代で業容が拡大
- [16]1963年に日立製作所のフレオン冷凍機を使った冷蔵庫を発売、1964年に他社にさきがけ規格品の製造を開始し特注品とあわせ総合メーカーを目指して工場を新設。1965年4月アルミロール・ボンド方式、1966年1月ウレタン発泡マグネットドア、1968年1月ウレタン原液注入発泡を採用
- [18]1963年に日立製作所のフレオン冷凍機を使った冷蔵庫を発売、1964年に他社にさきがけ規格品の製造を開始し特注品とあわせ総合メーカーを目指して工場を新設。1965年4月アルミロール・ボンド方式、1966年1月ウレタン発泡マグネットドア、1968年1月ウレタン原液注入発泡を採用
- [19]1963年に日立製作所のフレオン冷凍機を使った冷蔵庫を発売、1964年に他社にさきがけ規格品の製造を開始し特注品とあわせ総合メーカーを目指して工場を新設。1965年4月アルミロール・ボンド方式、1966年1月ウレタン発泡マグネットドア、1968年1月ウレタン原液注入発泡を採用
- [20]1963年に日立製作所のフレオン冷凍機を使った冷蔵庫を発売、1964年に他社にさきがけ規格品の製造を開始し特注品とあわせ総合メーカーを目指して工場を新設。1965年4月アルミロール・ボンド方式、1966年1月ウレタン発泡マグネットドア、1968年1月ウレタン原液注入発泡を採用
- 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 尾崎茂
- [2]尾崎茂は電気科出身。創業時は業務用冷蔵庫の販売・修理。家電は大手の規格品量産体制があったが業務用は大手未参入で特注の受注販売だった。将来の需要拡大を見越し専業メーカーを選んだ
- [3]尾崎茂は電気科出身。創業時は業務用冷蔵庫の販売・修理。家電は大手の規格品量産体制があったが業務用は大手未参入で特注の受注販売だった。将来の需要拡大を見越し専業メーカーを選んだ
- [4]尾崎茂は電気科出身。創業時は業務用冷蔵庫の販売・修理。家電は大手の規格品量産体制があったが業務用は大手未参入で特注の受注販売だった。将来の需要拡大を見越し専業メーカーを選んだ
- [5]尾崎茂は電気科出身。創業時は業務用冷蔵庫の販売・修理。家電は大手の規格品量産体制があったが業務用は大手未参入で特注の受注販売だった。将来の需要拡大を見越し専業メーカーを選んだ
- [10]1962年に業務用冷凍冷蔵庫・冷凍機器応用製品の製造販売を目的に会社設立。直販主体で酒販店を軸にした販売体制を進め事業基盤を安定させた
- [12]1962年に業務用冷凍冷蔵庫・冷凍機器応用製品の製造販売を目的に会社設立。直販主体で酒販店を軸にした販売体制を進め事業基盤を安定させた
- [14]1964年に業務用冷蔵庫の規格品の製造販売を開始
- 大和冷機工業 有価証券報告書【沿革】
- [8]1962年11月、業務用冷凍冷蔵庫・冷凍機応用製品の製造販売を目的に資本金300万円で大和冷機工業株式会社(本店、大阪市生野区)を設立し、同時に東京支店を開設
- 証券 43(10)(511) 1991年(新規上場会社紹介)
- [13]酒販店は免許制で経営が堅実で代金回収が容易な点に着目して酒販店中心に営業。1962年11月の改組は将来の需要拡大に備えたもの
- [15]1964年11月に大阪市内に製造工場を新設し業界初の業務用冷蔵庫の規格品を製造販売。当時の業務用は特注で現場で1個ずつ組み立てる状況。1969年1月に横型冷蔵庫(コールドテーブル)の製造販売開始
- [17]1964年11月に大阪市内に製造工場を新設し業界初の業務用冷蔵庫の規格品を製造販売。当時の業務用は特注で現場で1個ずつ組み立てる状況。1969年1月に横型冷蔵庫(コールドテーブル)の製造販売開始
- [21]1964年11月に大阪市内に製造工場を新設し業界初の業務用冷蔵庫の規格品を製造販売。当時の業務用は特注で現場で1個ずつ組み立てる状況。1969年1月に横型冷蔵庫(コールドテーブル)の製造販売開始
1970年〜ビールメーカーのあっ旋で売れたビールクーラーと、佐伯工場で始めた全自動製氷機
1970年1月、大和冷機工業はビールメーカーのあっ旋を得て、縦型のショーケースをビール冷却用として酒販店へ売り込み始めた。これで規格品の売れ行きが安定し、酒販店向けは1991年時点でも安定した収益基盤である。販売量の拡大で、大阪工場の生産能力が足りなくなった。大和冷機工業は企業誘致を進める大分県佐伯市の誘いに応じ、工場用地を取得した。1970年8月には佐伯工場を新設し、大阪から生産体制を移している。尾崎茂氏は製品の高品質化と高付加価値化に応えることを量産工場の役割に挙げた。大阪から遠い大分への移転は、用地の確保と自治体の誘致条件を量産規模の拡大に優先して充てた判断と考えられる。
- 証券 43(10)(511) 1991年(新規上場会社紹介)
- [22]1970年1月にビールメーカーの斡旋で縦型ショーケースを酒販店向けビールクーラーとして拡販。販売量拡大で大阪工場が手狭となり1970年8月に佐伯工場を新設し生産体制を移転。酒販店向けは1991年時点でも安定的な収益基盤
- [24]1970年1月にビールメーカーの斡旋で縦型ショーケースを酒販店向けビールクーラーとして拡販。販売量拡大で大阪工場が手狭となり1970年8月に佐伯工場を新設し生産体制を移転。酒販店向けは1991年時点でも安定的な収益基盤
- [25]1970年1月にビールメーカーの斡旋で縦型ショーケースを酒販店向けビールクーラーとして拡販。販売量拡大で大阪工場が手狭となり1970年8月に佐伯工場を新設し生産体制を移転。酒販店向けは1991年時点でも安定的な収益基盤
- [27]1970年1月にビールメーカーの斡旋で縦型ショーケースを酒販店向けビールクーラーとして拡販。販売量拡大で大阪工場が手狭となり1970年8月に佐伯工場を新設し生産体制を移転。酒販店向けは1991年時点でも安定的な収益基盤
- 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 尾崎茂
- [23]1970年にビールメーカーのあっ旋で縦型ショーケースをビールクーラーとして拡販する体制ができ規格品販売が軌道に乗った。高品質化・高付加価値化に対応するため佐伯市の誘致で量産工場を設置
- [28]1970年にビールメーカーのあっ旋で縦型ショーケースをビールクーラーとして拡販する体制ができ規格品販売が軌道に乗った。高品質化・高付加価値化に対応するため佐伯市の誘致で量産工場を設置
- 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年 尾崎茂(企業分析部会講演要旨)
- [26]1970年に大分県佐伯市から企業誘致の誘いを受け工場用地を取得し佐伯工場を新設・操業開始
1971年、大和冷機工業はオール冷凍庫を製品に加えた。1960年代後半からは外食産業が根づき、冷凍食品が急速に普及して業務用の冷凍冷蔵機器の需要が膨らんだ。1973年3月には佐伯工場の敷地に第二工場を建て、全自動製氷機を生産品目に加えた。全自動製氷機は1969年のコールドテーブル、1977年の大型ガラス扉ショーケースと並び、販売品目を多様化する製品群の一つである。製氷機は1990年12月期に売上高14億8,200万円、構成比7.9%の品目に育った。冷凍食品と外食の広がりで、冷やすだけでなく凍らせる・氷を作る需要まで飲食店の厨房で一括して受注しようとしたと推測される。
- 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年 尾崎茂(企業分析部会講演要旨)
- [29]昭和40年代は外食産業の定着と冷凍食品の急速な普及で大きな需要があり量産体制を確立。1971年オール冷凍庫の製造販売開始、1973年3月佐伯工場敷地内に第二工場を新設し全自動製氷機の製造販売開始
- [30]昭和40年代は外食産業の定着と冷凍食品の急速な普及で大きな需要があり量産体制を確立。1971年オール冷凍庫の製造販売開始、1973年3月佐伯工場敷地内に第二工場を新設し全自動製氷機の製造販売開始
- [31]昭和40年代は外食産業の定着と冷凍食品の急速な普及で大きな需要があり量産体制を確立。1971年オール冷凍庫の製造販売開始、1973年3月佐伯工場敷地内に第二工場を新設し全自動製氷機の製造販売開始
- 証券 43(10)(511) 1991年(新規上場会社紹介)
- [32]1969年1月横型冷蔵庫、1973年3月全自動製氷機、1977年11月大型ガラス扉ショーケースの製造販売を開始し販売品目を多様化。1990年12月期の製氷機売上は14億8,200万円(構成比7.9%)
- [33]1969年1月横型冷蔵庫、1973年3月全自動製氷機、1977年11月大型ガラス扉ショーケースの製造販売を開始し販売品目を多様化。1990年12月期の製氷機売上は14億8,200万円(構成比7.9%)
- [34]1969年1月横型冷蔵庫、1973年3月全自動製氷機、1977年11月大型ガラス扉ショーケースの製造販売を開始し販売品目を多様化。1990年12月期の製氷機売上は14億8,200万円(構成比7.9%)
1970年代前半、大和冷機工業は販売網を広げて強めるため、「売れる展示会」と称する催しを各地で開き、販路の確保に努めた。1974年にはクーラー・ボックス冷却方式と呼ぶ冷気を強制的に循環させる方式を採り、冷却力と庫内の広さを両立させた冷蔵庫を開発した。1975年8月には本社を大阪国際ビルへ移転。1976年度からは酒販店を軸にした直販の方針のもと、販売とサービスを担う拠点を各地に開設し始めた。続いて1978年の創立20周年を記念する製品に大型ガラス扉ショーケースを選び、1977年11月に発売した。展示会による販路開拓から自前の販売サービス拠点へ移ったのは、品目が増えた製品の保守まで直販で担う必要が生じたためと思われる。
- 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年 尾崎茂(企業分析部会講演要旨)
- [35]販売ネットワーク強化拡大のため売れる展示会を展開し販路確保に努力。1974年にクーラー・ボックス冷却方式(冷気強制循環式)の冷蔵庫を開発。1975年8月本社事務所を大阪国際ビルへ移転。創立20周年記念製品として大型ガラス扉ショーケースを1977年11月から製造販売
- [36]販売ネットワーク強化拡大のため売れる展示会を展開し販路確保に努力。1974年にクーラー・ボックス冷却方式(冷気強制循環式)の冷蔵庫を開発。1975年8月本社事務所を大阪国際ビルへ移転。創立20周年記念製品として大型ガラス扉ショーケースを1977年11月から製造販売
- [37]販売ネットワーク強化拡大のため売れる展示会を展開し販路確保に努力。1974年にクーラー・ボックス冷却方式(冷気強制循環式)の冷蔵庫を開発。1975年8月本社事務所を大阪国際ビルへ移転。創立20周年記念製品として大型ガラス扉ショーケースを1977年11月から製造販売
- [39]販売ネットワーク強化拡大のため売れる展示会を展開し販路確保に努力。1974年にクーラー・ボックス冷却方式(冷気強制循環式)の冷蔵庫を開発。1975年8月本社事務所を大阪国際ビルへ移転。創立20周年記念製品として大型ガラス扉ショーケースを1977年11月から製造販売
- 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 尾崎茂
- [38]酒販店を軸にした直販主導の営業方針により1976年度から販売サービス拠点の出店を開始
参考文献[22]-[39]
- 証券 43(10)(511) 1991年(新規上場会社紹介)
- [22]1970年1月にビールメーカーの斡旋で縦型ショーケースを酒販店向けビールクーラーとして拡販。販売量拡大で大阪工場が手狭となり1970年8月に佐伯工場を新設し生産体制を移転。酒販店向けは1991年時点でも安定的な収益基盤
- [24]1970年1月にビールメーカーの斡旋で縦型ショーケースを酒販店向けビールクーラーとして拡販。販売量拡大で大阪工場が手狭となり1970年8月に佐伯工場を新設し生産体制を移転。酒販店向けは1991年時点でも安定的な収益基盤
- [25]1970年1月にビールメーカーの斡旋で縦型ショーケースを酒販店向けビールクーラーとして拡販。販売量拡大で大阪工場が手狭となり1970年8月に佐伯工場を新設し生産体制を移転。酒販店向けは1991年時点でも安定的な収益基盤
- [27]1970年1月にビールメーカーの斡旋で縦型ショーケースを酒販店向けビールクーラーとして拡販。販売量拡大で大阪工場が手狭となり1970年8月に佐伯工場を新設し生産体制を移転。酒販店向けは1991年時点でも安定的な収益基盤
- [32]1969年1月横型冷蔵庫、1973年3月全自動製氷機、1977年11月大型ガラス扉ショーケースの製造販売を開始し販売品目を多様化。1990年12月期の製氷機売上は14億8,200万円(構成比7.9%)
- [33]1969年1月横型冷蔵庫、1973年3月全自動製氷機、1977年11月大型ガラス扉ショーケースの製造販売を開始し販売品目を多様化。1990年12月期の製氷機売上は14億8,200万円(構成比7.9%)
- [34]1969年1月横型冷蔵庫、1973年3月全自動製氷機、1977年11月大型ガラス扉ショーケースの製造販売を開始し販売品目を多様化。1990年12月期の製氷機売上は14億8,200万円(構成比7.9%)
- 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 尾崎茂
- [23]1970年にビールメーカーのあっ旋で縦型ショーケースをビールクーラーとして拡販する体制ができ規格品販売が軌道に乗った。高品質化・高付加価値化に対応するため佐伯市の誘致で量産工場を設置
- [28]1970年にビールメーカーのあっ旋で縦型ショーケースをビールクーラーとして拡販する体制ができ規格品販売が軌道に乗った。高品質化・高付加価値化に対応するため佐伯市の誘致で量産工場を設置
- [38]酒販店を軸にした直販主導の営業方針により1976年度から販売サービス拠点の出店を開始
- 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年 尾崎茂(企業分析部会講演要旨)
- [26]1970年に大分県佐伯市から企業誘致の誘いを受け工場用地を取得し佐伯工場を新設・操業開始
- [29]昭和40年代は外食産業の定着と冷凍食品の急速な普及で大きな需要があり量産体制を確立。1971年オール冷凍庫の製造販売開始、1973年3月佐伯工場敷地内に第二工場を新設し全自動製氷機の製造販売開始
- [30]昭和40年代は外食産業の定着と冷凍食品の急速な普及で大きな需要があり量産体制を確立。1971年オール冷凍庫の製造販売開始、1973年3月佐伯工場敷地内に第二工場を新設し全自動製氷機の製造販売開始
- [31]昭和40年代は外食産業の定着と冷凍食品の急速な普及で大きな需要があり量産体制を確立。1971年オール冷凍庫の製造販売開始、1973年3月佐伯工場敷地内に第二工場を新設し全自動製氷機の製造販売開始
- [35]販売ネットワーク強化拡大のため売れる展示会を展開し販路確保に努力。1974年にクーラー・ボックス冷却方式(冷気強制循環式)の冷蔵庫を開発。1975年8月本社事務所を大阪国際ビルへ移転。創立20周年記念製品として大型ガラス扉ショーケースを1977年11月から製造販売
- [36]販売ネットワーク強化拡大のため売れる展示会を展開し販路確保に努力。1974年にクーラー・ボックス冷却方式(冷気強制循環式)の冷蔵庫を開発。1975年8月本社事務所を大阪国際ビルへ移転。創立20周年記念製品として大型ガラス扉ショーケースを1977年11月から製造販売
- [37]販売ネットワーク強化拡大のため売れる展示会を展開し販路確保に努力。1974年にクーラー・ボックス冷却方式(冷気強制循環式)の冷蔵庫を開発。1975年8月本社事務所を大阪国際ビルへ移転。創立20周年記念製品として大型ガラス扉ショーケースを1977年11月から製造販売
- [39]販売ネットワーク強化拡大のため売れる展示会を展開し販路確保に努力。1974年にクーラー・ボックス冷却方式(冷気強制循環式)の冷蔵庫を開発。1975年8月本社事務所を大阪国際ビルへ移転。創立20周年記念製品として大型ガラス扉ショーケースを1977年11月から製造販売
出典・参考
4件
- 大和冷機工業 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年 尾崎茂(企業分析部会講演要旨)
- 証券アナリストジャーナル 29(10) 1991年 尾崎茂
- 証券 43(10)(511) 1991年(新規上場会社紹介)