相京光雄

三菱マテリアル・元三菱金属鉱業 取締役社長

Aikyo Mitsuo(敬称略)

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社長就任 1967年5月
生年月日 —
学歴 東京商科大学
出自 —
社長就任までの出自
出自

1932年に東京商科大学を出て、同年4月に三菱鉱業へ入社した。1957年5月に三菱金属鉱業の取締役、1959年8月に常務取締役、1963年5月に取締役副社長へ進み、1967年5月に取締役社長へ就任した。製錬所長や鉱山所長といった現場の職を挟まず、本社の役員段階だけを上がった経歴が残る。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1967年5月、山県四郎氏の後任として社長に就任した。入社から取締役まで25年、取締役から社長までさらに10年を要した順の昇進である。就任翌期の1968年3月期には赤字だった鉱山部門を縮小し、桶川工場も赤字を脱して、売上高478億8,000万円・税引利益8億3,000万円で一割配当を続けた。採算の崩れた部門を抱えたままの交代だった。

在任中の主な施策
施策

鉱山部門の縮小と並行して直島製錬所の新鋭化へ進み、全部門の拡充を図った。新潟県の佐渡鉱山で金の新鉱脈を見つけ、2か年計画で金銀の探鉱に乗り出してもいる。しかし1971年のニクソンショック後の円高と鉱脈品位の低下で国内鉱山は採算を失い、1972年から段階的な閉鎖に着手した。1973年5月に社長を退き、閉山は後任へ渡った。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1932〜1973年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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