パーク24:西川清の駐車場機器販売とパーク二四の設立
1971年〜資本金100万円のニシカワ商会と、日本信号から得たパークロックの販売許可
創業者の西川清氏は1971年夏、資本金100万円でニシカワ商会を設けた。西川清氏は1962年4月に外資系の建設用機器メーカーへ入社し、1971年に退社していた。独立を決めた背景には、老齢の社長との意見の対立と、家族5人で狭いアパートに暮らす先行きの不安があった。退社後の半年は目標を定めず、失業保険の給付が切れる間際に交通問題を軸にした仕事を思い立った。事務所は子供の勉強部屋、人員は電話番の女性1人。最初の商品は重さ30kgの台座が付いた1セット2600円の駐車禁止の看板である。ニシカワ商会はその後も存続し、パーク二四は1993年8月にニシカワ商会から営業を譲り受けて九州支店を開設した。看板という元手の小さい商品から入った選択は、100万円という資本の規模に見合ったものだったと思われる。
- 日経ビジネス 1998年4月6日号
- [1]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [2]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [3]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [4]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [5]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [6]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- パーク24 有価証券報告書 2025年10月期「沿革」
- [7]1993年8月、パーク二四が株式会社ニシカワ商会より営業を譲受し九州支店を開設
創業から3カ月後、西川清氏は知人を通じて日本信号のパークロックシステムを知った。パークロックシステムは駐車した車を固定し、料金の徴収までを無人でこなす装置である。西川清氏は『自分の人生をこの機械に賭けてみよう』と決意し、翌日に製造元の日本信号を訪ねた。日参を重ねた末に、西川清氏は販売の許可を得た。この装置は1998年時点でも時間貸し駐車場「タイムズ24h」で現役。日本信号との取引は後年も続き、パーク二四は1990年11月に日本信号と販売代理店契約を結んだ。1993年3月には日本電信電話・日本信号と共同で駐車予約システムの事業化で提携した。売れば終わる看板と違い、無人で料金を取る装置は空き地を収益の場に変える点で、西川清氏の関心を引いたのだろう。
- 日経ビジネス 1998年4月6日号
- [8]創業3カ月後に知人から日本信号製のパークロックシステム(車両固定から料金徴収まで無人)を紹介され、翌日から日本信号に日参して販売許可を得た
- [9]創業3カ月後に知人から日本信号製のパークロックシステム(車両固定から料金徴収まで無人)を紹介され、翌日から日本信号に日参して販売許可を得た
- [10]創業3カ月後に知人から日本信号製のパークロックシステム(車両固定から料金徴収まで無人)を紹介され、翌日から日本信号に日参して販売許可を得た
- [11]創業3カ月後に知人から日本信号製のパークロックシステム(車両固定から料金徴収まで無人)を紹介され、翌日から日本信号に日参して販売許可を得た
- [12]創業3カ月後に知人から日本信号製のパークロックシステム(車両固定から料金徴収まで無人)を紹介され、翌日から日本信号に日参して販売許可を得た
- パーク24 有価証券報告書 2025年10月期「沿革」
- [13]1990年11月日本信号と販売代理店契約、1993年3月NTT・日本信号と駐車予約システムの事業化で提携
- [14]1990年11月日本信号と販売代理店契約、1993年3月NTT・日本信号と駐車予約システムの事業化で提携
参考文献[1]-[14]
- 日経ビジネス 1998年4月6日号
- [1]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [2]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [3]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [4]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [5]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [6]西川清は1962年に外資系建設用機器メーカーに入社、1971年退社。失業保険が尽きる頃に交通問題の仕事を着想し、1971年夏に資本金100万円でニシカワ商会を設立、初商品は台座付き駐車禁止看板1セット2600円
- [8]創業3カ月後に知人から日本信号製のパークロックシステム(車両固定から料金徴収まで無人)を紹介され、翌日から日本信号に日参して販売許可を得た
- [9]創業3カ月後に知人から日本信号製のパークロックシステム(車両固定から料金徴収まで無人)を紹介され、翌日から日本信号に日参して販売許可を得た
- [10]創業3カ月後に知人から日本信号製のパークロックシステム(車両固定から料金徴収まで無人)を紹介され、翌日から日本信号に日参して販売許可を得た
- [11]創業3カ月後に知人から日本信号製のパークロックシステム(車両固定から料金徴収まで無人)を紹介され、翌日から日本信号に日参して販売許可を得た
- [12]創業3カ月後に知人から日本信号製のパークロックシステム(車両固定から料金徴収まで無人)を紹介され、翌日から日本信号に日参して販売許可を得た
- パーク24 有価証券報告書 2025年10月期「沿革」
- [7]1993年8月、パーク二四が株式会社ニシカワ商会より営業を譲受し九州支店を開設
- [13]1990年11月日本信号と販売代理店契約、1993年3月NTT・日本信号と駐車予約システムの事業化で提携
- [14]1990年11月日本信号と販売代理店契約、1993年3月NTT・日本信号と駐車予約システムの事業化で提携
1972年〜大病院の駐車場の有料化と、駐車機器の保守を請け負うパーク二四
販売先の当てがないなか、西川清氏は大病院の駐車場が不法駐車の車で埋まっている事情に着目した。西川清氏は病院の駐車場に三脚付きのカメラを据えて定点観測を続け、違法駐車の証拠写真を病院の事務局へ持ち込んだ。そのうえでパークロックシステムの導入を病院に提案した。パーク24は後年、1972年に国内で初めて病院駐車場の有料化に踏み出した取り組みを、24時間無人の時間貸駐車場「タイムズ」の原型に位置づけた。導入先は東京周辺の大病院に広がり、聖路加国際病院、昭和大学病院、東京女子医科大学病院、順天堂医院が採用した。ニシカワ商会の初年度の売上は2500万円。不法駐車に悩む施設の管理者を顧客に据えたことで、機械の販売は駐車場の有料化という提案に置き換わったとみられる。
- 日経ビジネス 1998年4月6日号
- [15]大病院の駐車場の不法駐車に着目し、定点観測の証拠写真を事務局に持ち込んでパークロックを売り込み、聖路加・昭和大学病院・東京女子医大・順天堂に導入、初年度売上2500万円
- [16]大病院の駐車場の不法駐車に着目し、定点観測の証拠写真を事務局に持ち込んでパークロックを売り込み、聖路加・昭和大学病院・東京女子医大・順天堂に導入、初年度売上2500万円
- [17]大病院の駐車場の不法駐車に着目し、定点観測の証拠写真を事務局に持ち込んでパークロックを売り込み、聖路加・昭和大学病院・東京女子医大・順天堂に導入、初年度売上2500万円
- [19]大病院の駐車場の不法駐車に着目し、定点観測の証拠写真を事務局に持ち込んでパークロックを売り込み、聖路加・昭和大学病院・東京女子医大・順天堂に導入、初年度売上2500万円
- [20]大病院の駐車場の不法駐車に着目し、定点観測の証拠写真を事務局に持ち込んでパークロックを売り込み、聖路加・昭和大学病院・東京女子医大・順天堂に導入、初年度売上2500万円
- 証券 51(6)(603) 1999年
- [18]1972年に全国に先駆けて病院駐車場を有料化し、24時間無人時間貸駐車場「タイムズ」の原型をスタート
1985年8月、西川清氏は東京都品川区西五反田に資本金10,000千円でパーク二四を設立した。設立の目的は駐車場の保守と運営管理である。これに先立ち、西川清氏には、創業3年目に業績が倍々で拡大したのち、7年ほど事業への意欲を失った時期があった。40歳を過ぎて拡大路線に転じ、新規採用を増やして全国に支店営業所網を広げ、2億円程度だった売上を10億円まで拡大した。パーク二四は1988年5月に本社を東京都大田区南馬込へ移し、1990年11月には日本信号と販売代理店契約を結んだ。1999年の上場時にも、パーク24は実質上の設立日を1985年8月7日と示した。無人の装置は故障への対応と集金を欠かせず、販売した機器を保守で支える別会社が駐車場運営へ移る足場になったと推察される。
- パーク24 有価証券報告書 2025年10月期「沿革」
- [21]1985年8月、品川区西五反田に駐車場の保守及び運営管理を目的としてパーク二四(資本金10,000千円)を設立。1988年5月大田区南馬込へ本社移転、1990年11月日本信号と販売代理店契約
- [22]1985年8月、品川区西五反田に駐車場の保守及び運営管理を目的としてパーク二四(資本金10,000千円)を設立。1988年5月大田区南馬込へ本社移転、1990年11月日本信号と販売代理店契約
- [25]1985年8月、品川区西五反田に駐車場の保守及び運営管理を目的としてパーク二四(資本金10,000千円)を設立。1988年5月大田区南馬込へ本社移転、1990年11月日本信号と販売代理店契約
- 日経ビジネス 1998年4月6日号
- [23]創業3年目以降7年ほど意欲を失い、40歳過ぎから拡大戦略に転じて全国に支店営業所網を展開し売上を2億円程度から10億円に
- [24]創業3年目以降7年ほど意欲を失い、40歳過ぎから拡大戦略に転じて全国に支店営業所網を展開し売上を2億円程度から10億円に
- 証券 51(6)(603) 1999年
- [26]設立年月日は昭和48年2月3日(実質上昭和60年8月7日)
参考文献[15]-[26]
- 日経ビジネス 1998年4月6日号
- [15]大病院の駐車場の不法駐車に着目し、定点観測の証拠写真を事務局に持ち込んでパークロックを売り込み、聖路加・昭和大学病院・東京女子医大・順天堂に導入、初年度売上2500万円
- [16]大病院の駐車場の不法駐車に着目し、定点観測の証拠写真を事務局に持ち込んでパークロックを売り込み、聖路加・昭和大学病院・東京女子医大・順天堂に導入、初年度売上2500万円
- [17]大病院の駐車場の不法駐車に着目し、定点観測の証拠写真を事務局に持ち込んでパークロックを売り込み、聖路加・昭和大学病院・東京女子医大・順天堂に導入、初年度売上2500万円
- [19]大病院の駐車場の不法駐車に着目し、定点観測の証拠写真を事務局に持ち込んでパークロックを売り込み、聖路加・昭和大学病院・東京女子医大・順天堂に導入、初年度売上2500万円
- [20]大病院の駐車場の不法駐車に着目し、定点観測の証拠写真を事務局に持ち込んでパークロックを売り込み、聖路加・昭和大学病院・東京女子医大・順天堂に導入、初年度売上2500万円
- [23]創業3年目以降7年ほど意欲を失い、40歳過ぎから拡大戦略に転じて全国に支店営業所網を展開し売上を2億円程度から10億円に
- [24]創業3年目以降7年ほど意欲を失い、40歳過ぎから拡大戦略に転じて全国に支店営業所網を展開し売上を2億円程度から10億円に
- 証券 51(6)(603) 1999年
- [18]1972年に全国に先駆けて病院駐車場を有料化し、24時間無人時間貸駐車場「タイムズ」の原型をスタート
- [26]設立年月日は昭和48年2月3日(実質上昭和60年8月7日)
- パーク24 有価証券報告書 2025年10月期「沿革」
- [21]1985年8月、品川区西五反田に駐車場の保守及び運営管理を目的としてパーク二四(資本金10,000千円)を設立。1988年5月大田区南馬込へ本社移転、1990年11月日本信号と販売代理店契約
- [22]1985年8月、品川区西五反田に駐車場の保守及び運営管理を目的としてパーク二四(資本金10,000千円)を設立。1988年5月大田区南馬込へ本社移転、1990年11月日本信号と販売代理店契約
- [25]1985年8月、品川区西五反田に駐車場の保守及び運営管理を目的としてパーク二四(資本金10,000千円)を設立。1988年5月大田区南馬込へ本社移転、1990年11月日本信号と販売代理店契約
出典・参考
3件
- パーク24 有価証券報告書 2025年10月期「沿革」
- 日経ビジネス 1998年4月6日号
- 証券 51(6)(603) 1999年