JCRファーマ:日本ケミカルリサーチの設立とウロキナーゼ精製法の確立
1975年〜韓国の粗原料をショーエイ社へ送る輸出と、社員5名で確立したウロキナーゼ精製法
日本ケミカルリサーチは1975年9月、医薬品とその原料を製造・販売する会社として神戸市東灘区で設立された。最初の事業は、血栓溶解剤ウロキナーゼの粗原料の輸出である。粗原料はヒトの尿から韓国で作り、加工せずにフランスのショーエイ社(現サノフィグループ)へ送った。精製法の確立は翌1976年12月で、設立時の事業は原料を中継する取引にとどまった。製剤の承認と販路を持つまでの間、原料取引で売上を立てる段取りだったとみられる。
- 証券アナリストジャーナル 30巻12号(1992)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [1]1975年9月、医薬品および医薬品原料の製造販売を目的に設立。当初は韓国で生産したヒト尿由来ウロキナーゼ粗原料をフランスのショーエイ社(現サノフィグループ)へそのまま輸出
- [3]1975年9月、医薬品および医薬品原料の製造販売を目的に設立。当初は韓国で生産したヒト尿由来ウロキナーゼ粗原料をフランスのショーエイ社(現サノフィグループ)へそのまま輸出
- [4]1975年9月、医薬品および医薬品原料の製造販売を目的に設立。当初は韓国で生産したヒト尿由来ウロキナーゼ粗原料をフランスのショーエイ社(現サノフィグループ)へそのまま輸出
- JCRファーマ 有価証券報告書【沿革】
- [2]1975年9月 神戸市東灘区に医薬品製造販売を目的として設立、1976年12月 ウロキナーゼ精製法を確立
- [5]1975年9月 神戸市東灘区に医薬品製造販売を目的として設立、1976年12月 ウロキナーゼ精製法を確立
設立翌年の1976年12月、日本ケミカルリサーチはウロキナーゼを精製する方法を確立した。当時の社員は5名ほどで、その大半を技術者が占めた。ウロキナーゼは尿に含まれる酵素の一種で、約1グラムの抽出に100トンの尿を要する。精製法を得てからは、精製したバルクを国内外の製薬メーカーへ納め始めた。粗原料の調達先は輸入コストの上昇を受けて韓国から中国へ移り、1992年時点で大半が中国産となった。精製を自社で担ったことで、取引の中身は原料の中継から加工品の供給へ変わったと思われる。
- 証券アナリストジャーナル 30巻12号(1992)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [6]1976年(昭和51年)、社員約5名・ほとんどが技術者でウロキナーゼ精製法を確立。約1gの抽出に尿100トン。粗原料は韓国からの輸入コスト上昇で1992年時点は大半を中国から輸入
- [8]1976年(昭和51年)、社員約5名・ほとんどが技術者でウロキナーゼ精製法を確立。約1gの抽出に尿100トン。粗原料は韓国からの輸入コスト上昇で1992年時点は大半を中国から輸入
- [9]1976年(昭和51年)、社員約5名・ほとんどが技術者でウロキナーゼ精製法を確立。約1gの抽出に尿100トン。粗原料は韓国からの輸入コスト上昇で1992年時点は大半を中国から輸入
- [11]1976年(昭和51年)、社員約5名・ほとんどが技術者でウロキナーゼ精製法を確立。約1gの抽出に尿100トン。粗原料は韓国からの輸入コスト上昇で1992年時点は大半を中国から輸入
- JCRファーマ 有価証券報告書【沿革】
- [7]1976年12月 ウロキナーゼ(血栓溶解剤)精製法を確立
- 証券アナリストジャーナル 33巻5号(1995)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [10]1976年からウロキナーゼ精製法を検討し、国内外の製薬メーカーへ精製ウロキナーゼのバルクを供給し始めた
日本ケミカルリサーチは、ウロキナーゼを取り出した残りの尿を新薬の材料探しに充てた。尿には血液と同様に酵素やホルモン、酵素阻害物質が含まれることが文献で知られていたためだった。1977年4月には御影工場の中に研究所を置き、1981年10月にその研究所を神戸市中央区へ移した。尿や血液に含まれる生理活性物質の抽出に挑んだのは、精製法の検討と同じ1976年ごろからである。1992年時点の開発品目は、大半が創立から2〜3年のうちに着手したものだった。生体内の物質を医薬品にするという研究開発の方針は、この残りの尿から形を得たと推察される。
- 証券アナリストジャーナル 30巻12号(1992)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [12]創業時から尿中に酵素・ホルモン・酵素阻害物質が含まれると文献で分かっており、ウロキナーゼ抽出後の尿から新薬材料を探すため実験室を設け研究開始。開発品目のほとんどは創立後2〜3年の間に開始
- [13]創業時から尿中に酵素・ホルモン・酵素阻害物質が含まれると文献で分かっており、ウロキナーゼ抽出後の尿から新薬材料を探すため実験室を設け研究開始。開発品目のほとんどは創立後2〜3年の間に開始
- [16]創業時から尿中に酵素・ホルモン・酵素阻害物質が含まれると文献で分かっており、ウロキナーゼ抽出後の尿から新薬材料を探すため実験室を設け研究開始。開発品目のほとんどは創立後2〜3年の間に開始
- JCRファーマ 有価証券報告書【沿革】
- [14]1977年4月 御影工場内に研究所を設置、1981年10月 神戸市中央区に研究所を移転
- 証券アナリストジャーナル 33巻5号(1995)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [15]1976年ごろから尿中や血中の生理活性物質の抽出を試みるようになった
参考文献[1]-[16]
- 証券アナリストジャーナル 30巻12号(1992)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [1]1975年9月、医薬品および医薬品原料の製造販売を目的に設立。当初は韓国で生産したヒト尿由来ウロキナーゼ粗原料をフランスのショーエイ社(現サノフィグループ)へそのまま輸出
- [3]1975年9月、医薬品および医薬品原料の製造販売を目的に設立。当初は韓国で生産したヒト尿由来ウロキナーゼ粗原料をフランスのショーエイ社(現サノフィグループ)へそのまま輸出
- [4]1975年9月、医薬品および医薬品原料の製造販売を目的に設立。当初は韓国で生産したヒト尿由来ウロキナーゼ粗原料をフランスのショーエイ社(現サノフィグループ)へそのまま輸出
- [6]1976年(昭和51年)、社員約5名・ほとんどが技術者でウロキナーゼ精製法を確立。約1gの抽出に尿100トン。粗原料は韓国からの輸入コスト上昇で1992年時点は大半を中国から輸入
- [8]1976年(昭和51年)、社員約5名・ほとんどが技術者でウロキナーゼ精製法を確立。約1gの抽出に尿100トン。粗原料は韓国からの輸入コスト上昇で1992年時点は大半を中国から輸入
- [9]1976年(昭和51年)、社員約5名・ほとんどが技術者でウロキナーゼ精製法を確立。約1gの抽出に尿100トン。粗原料は韓国からの輸入コスト上昇で1992年時点は大半を中国から輸入
- [11]1976年(昭和51年)、社員約5名・ほとんどが技術者でウロキナーゼ精製法を確立。約1gの抽出に尿100トン。粗原料は韓国からの輸入コスト上昇で1992年時点は大半を中国から輸入
- [12]創業時から尿中に酵素・ホルモン・酵素阻害物質が含まれると文献で分かっており、ウロキナーゼ抽出後の尿から新薬材料を探すため実験室を設け研究開始。開発品目のほとんどは創立後2〜3年の間に開始
- [13]創業時から尿中に酵素・ホルモン・酵素阻害物質が含まれると文献で分かっており、ウロキナーゼ抽出後の尿から新薬材料を探すため実験室を設け研究開始。開発品目のほとんどは創立後2〜3年の間に開始
- [16]創業時から尿中に酵素・ホルモン・酵素阻害物質が含まれると文献で分かっており、ウロキナーゼ抽出後の尿から新薬材料を探すため実験室を設け研究開始。開発品目のほとんどは創立後2〜3年の間に開始
- JCRファーマ 有価証券報告書【沿革】
- [2]1975年9月 神戸市東灘区に医薬品製造販売を目的として設立、1976年12月 ウロキナーゼ精製法を確立
- [5]1975年9月 神戸市東灘区に医薬品製造販売を目的として設立、1976年12月 ウロキナーゼ精製法を確立
- [7]1976年12月 ウロキナーゼ(血栓溶解剤)精製法を確立
- [14]1977年4月 御影工場内に研究所を設置、1981年10月 神戸市中央区に研究所を移転
- 証券アナリストジャーナル 33巻5号(1995)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [10]1976年からウロキナーゼ精製法を検討し、国内外の製薬メーカーへ精製ウロキナーゼのバルクを供給し始めた
- [15]1976年ごろから尿中や血中の生理活性物質の抽出を試みるようになった
1983年〜ウロキナーゼ製剤の製造承認と、ヒト成長ホルモン製剤を売る少数のMR
1983年10月、日本ケミカルリサーチはウロキナーゼの製剤と原液の製造承認を取得した。精製品を他社へ納める立場に加え、製剤を自ら製造できる資格の獲得。新薬を開発するには10年以上かかり、多額の資金と人材も要るため、自社だけで最終製剤まで仕上げる体力はなかった。そこで自社開発の難しい品目は原体を供給し、製剤化は他社が受け持つ共同開発方式で対応した。1992年時点でも、市場規模の小さい難病向けの薬だけは最終製剤まで自社で開発する方針を掲げた。製剤と原液の承認は、原料供給と自社製剤を使い分ける体制の起点だったのだろう。
- JCRファーマ 有価証券報告書【沿革】
- [17]1983年10月 ウロキナーゼ(血栓溶解剤)製剤および原液の製造承認取得
- [18]1983年10月 ウロキナーゼ(血栓溶解剤)製剤および原液の製造承認取得
- 証券アナリストジャーナル 33巻5号(1995)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [19]精製したウロキナーゼのバルクを国内外の製薬メーカーへ供給
- 証券アナリストジャーナル 30巻12号(1992)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [20]新薬開発は10年以上・多額の資金と人材を要するため、自社開発困難なものは原体を供給し他社が製剤化する共同開発方式。市場規模の小さい難病向けは最終製剤まで自社開発したい(1992年時点)
- [21]新薬開発は10年以上・多額の資金と人材を要するため、自社開発困難なものは原体を供給し他社が製剤化する共同開発方式。市場規模の小さい難病向けは最終製剤まで自社開発したい(1992年時点)
- [22]新薬開発は10年以上・多額の資金と人材を要するため、自社開発困難なものは原体を供給し他社が製剤化する共同開発方式。市場規模の小さい難病向けは最終製剤まで自社開発したい(1992年時点)
1985年1月、日本ケミカルリサーチは脳下垂体から抽出したヒト成長ホルモン製剤について輸入承認を取得した。これを機に最終製剤の自社販売が始まった。製剤の対象は難治性の下垂体性小人症で、治療できる病院は専門化して数が限られた。そのため、ごく少数のMRでも効率よく売ることができた。1992年3月期の売上高5,948百万円のうち、成長ホルモンを含む医薬品の売上は39億円である。社長の芦田信氏は1995年、この輸入承認を『これが当社成長の契機となったのである』と位置づけた。
- JCRファーマ 有価証券報告書【沿革】
- [23]1985年1月 ヒト成長ホルモン製剤の輸入承認取得
- 証券アナリストジャーナル 33巻5号(1995)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [24]1985年(昭和60年)に脳下垂体から抽出したヒト成長ホルモン製剤の輸入承認を取得し、これが成長の契機となった
- [29]1985年(昭和60年)に脳下垂体から抽出したヒト成長ホルモン製剤の輸入承認を取得し、これが成長の契機となった
- 証券アナリストジャーナル 30巻12号(1992)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [25]1985年(昭和60年)に輸入承認を「申請」して最終製剤の自社販売を始めたと記載(沿革・1995年記事は「取得」。販売開始と並ぶため取得として書いた)。下垂体性小人症向けで治療病院が専門化し、非常に少ないMRで効率的に販売。1992年3月期売上高5,948百万円、うち医薬品39億円
- [26]1985年(昭和60年)に輸入承認を「申請」して最終製剤の自社販売を始めたと記載(沿革・1995年記事は「取得」。販売開始と並ぶため取得として書いた)。下垂体性小人症向けで治療病院が専門化し、非常に少ないMRで効率的に販売。1992年3月期売上高5,948百万円、うち医薬品39億円
- [27]1985年(昭和60年)に輸入承認を「申請」して最終製剤の自社販売を始めたと記載(沿革・1995年記事は「取得」。販売開始と並ぶため取得として書いた)。下垂体性小人症向けで治療病院が専門化し、非常に少ないMRで効率的に販売。1992年3月期売上高5,948百万円、うち医薬品39億円
- [28]1985年(昭和60年)に輸入承認を「申請」して最終製剤の自社販売を始めたと記載(沿革・1995年記事は「取得」。販売開始と並ぶため取得として書いた)。下垂体性小人症向けで治療病院が専門化し、非常に少ないMRで効率的に販売。1992年3月期売上高5,948百万円、うち医薬品39億円
1986年6月、日本ケミカルリサーチは神戸市西区の西神工業団地に西神工場を開設した。同年12月には研究所も工場の隣接地へ移し、生産と研究の拠点を西区にそろえた。研究所は1977年4月に御影工場の中で発足し、1981年10月に神戸市中央区へ移っていたため、西区は3か所目の所在地となる。1992年の店頭登録時には公募増資で約25億円を調達し、うち20億円を西区ハイテクパークの新工場と新研究所に充てる計画を立てた。西区への集約は、株式公開後の設備投資の行き先まで決めた選択と考えられる。
- JCRファーマ 有価証券報告書【沿革】
- [30]1977年4月 御影工場内に研究所を設置、1981年10月 神戸市中央区に研究所を移転、1986年6月 神戸市西区(西神工業団地)に西神工場を開設、1986年12月 西神工場隣接地に研究所を移転
- [31]1977年4月 御影工場内に研究所を設置、1981年10月 神戸市中央区に研究所を移転、1986年6月 神戸市西区(西神工業団地)に西神工場を開設、1986年12月 西神工場隣接地に研究所を移転
- [32]1977年4月 御影工場内に研究所を設置、1981年10月 神戸市中央区に研究所を移転、1986年6月 神戸市西区(西神工業団地)に西神工場を開設、1986年12月 西神工場隣接地に研究所を移転
- 証券アナリストジャーナル 30巻12号(1992)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [33]株式公開の公募増資で約25億円を調達し、うち20億円を神戸市西区ハイテクパークの新工場・新研究所建設に充当する計画
参考文献[17]-[33]
- JCRファーマ 有価証券報告書【沿革】
- [17]1983年10月 ウロキナーゼ(血栓溶解剤)製剤および原液の製造承認取得
- [18]1983年10月 ウロキナーゼ(血栓溶解剤)製剤および原液の製造承認取得
- [23]1985年1月 ヒト成長ホルモン製剤の輸入承認取得
- [30]1977年4月 御影工場内に研究所を設置、1981年10月 神戸市中央区に研究所を移転、1986年6月 神戸市西区(西神工業団地)に西神工場を開設、1986年12月 西神工場隣接地に研究所を移転
- [31]1977年4月 御影工場内に研究所を設置、1981年10月 神戸市中央区に研究所を移転、1986年6月 神戸市西区(西神工業団地)に西神工場を開設、1986年12月 西神工場隣接地に研究所を移転
- [32]1977年4月 御影工場内に研究所を設置、1981年10月 神戸市中央区に研究所を移転、1986年6月 神戸市西区(西神工業団地)に西神工場を開設、1986年12月 西神工場隣接地に研究所を移転
- 証券アナリストジャーナル 33巻5号(1995)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [19]精製したウロキナーゼのバルクを国内外の製薬メーカーへ供給
- [24]1985年(昭和60年)に脳下垂体から抽出したヒト成長ホルモン製剤の輸入承認を取得し、これが成長の契機となった
- [29]1985年(昭和60年)に脳下垂体から抽出したヒト成長ホルモン製剤の輸入承認を取得し、これが成長の契機となった
- 証券アナリストジャーナル 30巻12号(1992)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- [20]新薬開発は10年以上・多額の資金と人材を要するため、自社開発困難なものは原体を供給し他社が製剤化する共同開発方式。市場規模の小さい難病向けは最終製剤まで自社開発したい(1992年時点)
- [21]新薬開発は10年以上・多額の資金と人材を要するため、自社開発困難なものは原体を供給し他社が製剤化する共同開発方式。市場規模の小さい難病向けは最終製剤まで自社開発したい(1992年時点)
- [22]新薬開発は10年以上・多額の資金と人材を要するため、自社開発困難なものは原体を供給し他社が製剤化する共同開発方式。市場規模の小さい難病向けは最終製剤まで自社開発したい(1992年時点)
- [25]1985年(昭和60年)に輸入承認を「申請」して最終製剤の自社販売を始めたと記載(沿革・1995年記事は「取得」。販売開始と並ぶため取得として書いた)。下垂体性小人症向けで治療病院が専門化し、非常に少ないMRで効率的に販売。1992年3月期売上高5,948百万円、うち医薬品39億円
- [26]1985年(昭和60年)に輸入承認を「申請」して最終製剤の自社販売を始めたと記載(沿革・1995年記事は「取得」。販売開始と並ぶため取得として書いた)。下垂体性小人症向けで治療病院が専門化し、非常に少ないMRで効率的に販売。1992年3月期売上高5,948百万円、うち医薬品39億円
- [27]1985年(昭和60年)に輸入承認を「申請」して最終製剤の自社販売を始めたと記載(沿革・1995年記事は「取得」。販売開始と並ぶため取得として書いた)。下垂体性小人症向けで治療病院が専門化し、非常に少ないMRで効率的に販売。1992年3月期売上高5,948百万円、うち医薬品39億円
- [28]1985年(昭和60年)に輸入承認を「申請」して最終製剤の自社販売を始めたと記載(沿革・1995年記事は「取得」。販売開始と並ぶため取得として書いた)。下垂体性小人症向けで治療病院が専門化し、非常に少ないMRで効率的に販売。1992年3月期売上高5,948百万円、うち医薬品39億円
- [33]株式公開の公募増資で約25億円を調達し、うち20億円を神戸市西区ハイテクパークの新工場・新研究所建設に充当する計画
出典・参考
3件
- JCRファーマ 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 30巻12号(1992)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)
- 証券アナリストジャーナル 33巻5号(1995)別冊付録 日本ケミカルリサーチ(芦田信 社長)