第2章 年〜年

ミスミグループ本社:ミスミへの改称とアジア・米国での現地法人設立

1988年〜米国・台湾の現地法人とミスミへの改称と、研究開発用電子部品のカタログ

三住商事は1988年2月、米国イリノイ州にMISUMI USA, INC.を設けた。取引先のユーザー企業が海外で現地生産を進めたため、金型用部品を現地で供給できる体制が要った。1989年には台湾と英国にも法人を置き、両社は現地の部品メーカーからの仕入れも受け持った。田口弘社長は1990年初めの時点で、国際化のための先行投資を優先する方針を掲げていた。1992年には、世界各地の工場に保守部品を届ける供給保証のため、採算を度外視してシカゴやロンドンに拠点を置いたと説明した。海外拠点は収益源というより、国内で約束した納期と供給の保証を、顧客の移転先まで延ばす手段だったとみられる。

  • ミスミ 有価証券報告書(2004年3月期)【沿革】
    • [1]1988年2月 米国イリノイ州に MISUMI USA, INC. を設立
  • 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
    • [2]ユーザーの海外現地生産の進展を受け、昭和63年に米国に MISUMI USA を設け金型用部品を現地で供給する体制を整えた
    • [3]1989年に台湾・英国に法人を設立。台湾・英国の関係会社は現地部品メーカーからの仕入れも行う
  • 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
    • [4]1990年1月時点で台湾・米国・英国に現地法人。国際化のための先行投資を優先する方針
  • RIRI流通産業 24(8) 1992年8月「逆転の市場創造」(田口弘)
    • [5]世界中の工場へのメンテナンス部品の供給保証のため、採算度外視でシカゴ・ロンドン等に展開(1992年、田口弘)

三住商事は1989年5月、CI導入の一環として社名をミスミに改め、コーポレートマークも一新した。1963年の設立時の旧社名には、三井・三菱・住友に並ぶ会社をつくるという意気込みも込められていた。その間に扱い品目は、1988年に自動機用部品、1989年に治具用部品と、年に1分野ずつ広がっていた。改称と同じ月には、台湾にMISUMI TAIWAN CORP.を設立した。1990年初めの田口弘社長は、1992年度の株式上場を目標に掲げていた。仕入れた品を右から左へ流す「商事」の名は、買い手に代わって部品を選び保証する業態も、上場を控えた会社の顔も言い表せなくなっていたのだろう。

  • 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
    • [6]CI導入で1989年(平成元年)5月から社名を三住商事からミスミへ変更、コーポレートマークも一新
    • [7]三住商事の社名は三井・三菱・住友に匹敵する会社をという意気込みから(1963年設立)
    • [10]1990年1月時点で平成4年度の株式上場を目指す
  • 日経ビジネス 1992年1月6日号
    • [8]1985年プラスチック金型用部品、88年自動機部品、89年治具、90年電子部品と年1分野ずつ拡大
  • ミスミ 有価証券報告書(2004年3月期)【沿革】
    • [9]1989年5月 ミスミに商号変更、MISUMI TAIWAN CORP. を設立

ミスミは1990年に電子部品の取扱いを始めた。1991年4月には「研究開発用電子部品」カタログを創刊した。1992年1月時点でカタログは市場別に分かれ、合計8000種類・20万点を載せて29万部を配っていた。田口弘社長は流通業者を生産者の販売代理でなく使い手の購買代理と位置付け、価格・納期・供給・開発の「保証」を売り物にすると説いた。カタログにない品でも、同じ要望のカードが5枚集まれば商品化する決まりだった。1991年3月期の売上高は212億円、経常利益は17億円で、売上高経常利益率8%は機械商社平均の4倍だった。扱う品が変わっても、買い手に代わって選び保証する役割は同じなので、電子部品にも同じ型を当てはめられると田口弘社長は見たと考えられる。

  • 日経ビジネス 1992年1月6日号
    • [11]1990年に電子部品の分野へ進出
    • [13]1992年1月時点で Face は市場別に分かれ計8000種類・20万点、発行29万部
    • [16]1991年3月期 売上高212億円、経常利益17億円、売上高経常利益率8%(機械商社平均2%)
  • ミスミ 有価証券報告書(2004年3月期)【沿革】
    • [12]1991年4月「研究開発用電子部品」カタログを創刊
  • RIRI流通産業 24(8) 1992年8月「逆転の市場創造」(田口弘)
    • [14]流通業者は生産者の販売代理店でなく購買代理店であるべき。価格・納期/供給・開発・緊急/秘密の「保証」を商品とする(1992年、田口弘)
    • [15]同様の要望を記したカードが5枚以上集まれば全て商品化する
参考文献[1]-[16]
  • ミスミ 有価証券報告書(2004年3月期)【沿革】
    • [1]1988年2月 米国イリノイ州に MISUMI USA, INC. を設立
    • [9]1989年5月 ミスミに商号変更、MISUMI TAIWAN CORP. を設立
    • [12]1991年4月「研究開発用電子部品」カタログを創刊
  • 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
    • [2]ユーザーの海外現地生産の進展を受け、昭和63年に米国に MISUMI USA を設け金型用部品を現地で供給する体制を整えた
    • [3]1989年に台湾・英国に法人を設立。台湾・英国の関係会社は現地部品メーカーからの仕入れも行う
  • 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
    • [4]1990年1月時点で台湾・米国・英国に現地法人。国際化のための先行投資を優先する方針
    • [6]CI導入で1989年(平成元年)5月から社名を三住商事からミスミへ変更、コーポレートマークも一新
    • [7]三住商事の社名は三井・三菱・住友に匹敵する会社をという意気込みから(1963年設立)
    • [10]1990年1月時点で平成4年度の株式上場を目指す
  • RIRI流通産業 24(8) 1992年8月「逆転の市場創造」(田口弘)
    • [5]世界中の工場へのメンテナンス部品の供給保証のため、採算度外視でシカゴ・ロンドン等に展開(1992年、田口弘)
    • [14]流通業者は生産者の販売代理店でなく購買代理店であるべき。価格・納期/供給・開発・緊急/秘密の「保証」を商品とする(1992年、田口弘)
    • [15]同様の要望を記したカードが5枚以上集まれば全て商品化する
  • 日経ビジネス 1992年1月6日号
    • [8]1985年プラスチック金型用部品、88年自動機部品、89年治具、90年電子部品と年1分野ずつ拡大
    • [11]1990年に電子部品の分野へ進出
    • [13]1992年1月時点で Face は市場別に分かれ計8000種類・20万点、発行29万部
    • [16]1991年3月期 売上高212億円、経常利益17億円、売上高経常利益率8%(機械商社平均2%)

1994年〜東証二部上場とFA用加工部品カタログ、部課長制をやめたチーム制

ミスミは1994年1月19日、東京証券取引所市場第二部に上場し、150万株を公募した。1990年初めに掲げた1992年度の上場目標からは、1年ほど後ずれした。1993年6月末の大株主は田口弘氏が42.7%、東京中小企業投資育成が17.9%、社員持株会が8.2%だった。取引社数は1982年10月期の約5000社から、1993年3月期には約2万2000社に増えていた。田口弘社長は上場直後、ユーザーの65%が自動車・電機関連で、景気回復の遅れから事業環境は厳しいと認めた。二部上場から4年8か月後の1998年9月には、市場第一部へ移った。営業員を置かず2万社を超える相手と直接取引する会社にとって、上場は資金以上に、顧客と協力メーカーへの信用の裏付けだったと思われる。

  • 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
    • [17]1994年1月19日 東証二部上場(卸売業・9962)、公募1,500千株
    • [19]1993年6月30日現在の大株主: 田口弘42.7%、東京中小企業投資育成17.9%、ミスミ社員持株会8.2%
    • [20]取引社数は昭57.10期の約5,000社から平5.3期の約2万2,000社へ
  • 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
    • [18]1990年1月時点で平成4年度の上場を目指していた
  • 証券アナリストジャーナル 32(2) 1994年1月(田口弘)
    • [21]ユーザーの65%が自動車・電機関連で景気回復の遅れから厳しい事業環境(1994年1月、田口弘)
  • ミスミ 有価証券報告書(2004年3月期)【沿革】
    • [22]1998年9月 東京証券取引所市場第一部に上場

金型部品に次ぐ収益源は、工場の自動機に使うFA用部品だった。1988年に「自動機用部品」として参入した分野で、売上構成比は1991年3月期の16.0%から1993年3月期の22.5%に上がった。田口弘社長は1994年1月、労働力不足や労働コスト、時短への対策として自動化・省力化の需要は強いと見ていた。同年4月にシンガポールにMISUMI SOUTH EAST ASIAを設け、7月に「FA用加工部品」カタログを創刊した。1996年初めには取扱いが1万3500種類・22万点、取引先が2万6000社に達した。田口弘社長は同時に、海外調達の比率を前年実績の約3%から3年で20%に上げる考えを示した。

  • 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
    • [23]1988年に金型の周辺分野である自動機用部品(現FA用部品)に進出し、新たな事業の柱として確立
    • [24]FA用部品の売上構成比: 平3.3期16.0%、平4.3期20.8%、平5.3期22.5%(48億8,600万円)
  • 証券アナリストジャーナル 32(2) 1994年1月(田口弘)
    • [25]労働力不足・労働コスト・時短への対策として自動化・省力化のニーズは強い(1994年1月、田口弘)
  • ミスミ 有価証券報告書(2004年3月期)【沿革】
    • [26]1994年4月 MISUMI SOUTH EAST ASIA PTE., LTD. を設立、1994年7月「FA用加工部品」カタログを創刊
  • 2020 AIM 129 1996年2月「ミスミは生産財のセブン-イレブンです(後編)」(田口弘・緒方知行)
    • [27]1996年2月時点でアイテム1万3500種類・22万点、取引先2万6000社
    • [28]海外からの調達商品は前年実績で約3%、これを3年で20%にする

ミスミは1994年に部課制を廃止し、全社員をチームで括るユニットチーム制に移った。田口弘社長は、購買代理の需要はあらゆる業界にあり、やりたい事業は多いが、担う人材の確保が最大の課題だと説明した。人事制度の手直しでは足りず、固定した組織を持たない企業構造に変えるしかないという結論だった。役員が事業案を競って担当を決め、その役員がチームリーダーを、リーダーがメンバーを社内公募する方式にした。人事部はなくし、報酬は市場価格を基にした年俸に利益配分を加え、辞めた社員の再入社も認めた。1998年初めの売上高は390億円で、従業員は1993年3月期の254人から195人に減っていた。

  • 東海総研マネジメント 89 1995年7月「"持たない""隠さない"でユーザー利益を追求」(田口弘)
    • [29]前年(1994年)に部課制を廃止し全社員をチームで括るユニットチーム制を実施
  • 人事マネジメント 8(2) 1998年2月「(株)ミスミ代表取締役社長 田口弘氏――経営をオープンにすれば人は育つ」(松永美佐寿)
    • [30]94年の組織改革の理由: マーケットアウトはあらゆる業界にニーズがあり、必要な人材の確保が最大のテーマ
    • [31]人事制度の改革だけではだめで、固定した組織を持たない企業構造に変えるべきとの結論
  • 日経ビジネス 1998年3月2日号
    • [32]経営会議で役員が事業を提案しコンペ、採用された役員がチームリーダーを公募、リーダーがメンバーを公募
    • [35]1998年3月時点で売上高390億円、従業員195人
  • 経済広報 18(11) 1996年11月「オープンポリシーの実験企業――株式会社ミスミ社長 田口弘」
    • [33]人事部を廃止、基礎年俸をベンチマーキングで査定し利益配分を増やす、他社に移っても戻れる制度をつくりつつある(1996年)
  • 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
    • [34]平5.3期の従業員数254人
参考文献[17]-[35]
  • 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
    • [17]1994年1月19日 東証二部上場(卸売業・9962)、公募1,500千株
    • [19]1993年6月30日現在の大株主: 田口弘42.7%、東京中小企業投資育成17.9%、ミスミ社員持株会8.2%
    • [20]取引社数は昭57.10期の約5,000社から平5.3期の約2万2,000社へ
    • [23]1988年に金型の周辺分野である自動機用部品(現FA用部品)に進出し、新たな事業の柱として確立
    • [24]FA用部品の売上構成比: 平3.3期16.0%、平4.3期20.8%、平5.3期22.5%(48億8,600万円)
    • [34]平5.3期の従業員数254人
  • 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
    • [18]1990年1月時点で平成4年度の上場を目指していた
  • 証券アナリストジャーナル 32(2) 1994年1月(田口弘)
    • [21]ユーザーの65%が自動車・電機関連で景気回復の遅れから厳しい事業環境(1994年1月、田口弘)
    • [25]労働力不足・労働コスト・時短への対策として自動化・省力化のニーズは強い(1994年1月、田口弘)
  • ミスミ 有価証券報告書(2004年3月期)【沿革】
    • [22]1998年9月 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [26]1994年4月 MISUMI SOUTH EAST ASIA PTE., LTD. を設立、1994年7月「FA用加工部品」カタログを創刊
  • 2020 AIM 129 1996年2月「ミスミは生産財のセブン-イレブンです(後編)」(田口弘・緒方知行)
    • [27]1996年2月時点でアイテム1万3500種類・22万点、取引先2万6000社
    • [28]海外からの調達商品は前年実績で約3%、これを3年で20%にする
  • 東海総研マネジメント 89 1995年7月「"持たない""隠さない"でユーザー利益を追求」(田口弘)
    • [29]前年(1994年)に部課制を廃止し全社員をチームで括るユニットチーム制を実施
  • 人事マネジメント 8(2) 1998年2月「(株)ミスミ代表取締役社長 田口弘氏――経営をオープンにすれば人は育つ」(松永美佐寿)
    • [30]94年の組織改革の理由: マーケットアウトはあらゆる業界にニーズがあり、必要な人材の確保が最大のテーマ
    • [31]人事制度の改革だけではだめで、固定した組織を持たない企業構造に変えるべきとの結論
  • 日経ビジネス 1998年3月2日号
    • [32]経営会議で役員が事業を提案しコンペ、採用された役員がチームリーダーを公募、リーダーがメンバーを公募
    • [35]1998年3月時点で売上高390億円、従業員195人
  • 経済広報 18(11) 1996年11月「オープンポリシーの実験企業――株式会社ミスミ社長 田口弘」
    • [33]人事部を廃止、基礎年俸をベンチマーキングで査定し利益配分を増やす、他社に移っても戻れる制度をつくりつつある(1996年)

1999年〜黒字化に報いる特別報酬と三枝匡社長の就任、上海のQCT配送センター

チーム制で起こした新事業は、当初は採算に乗らなかった。1995年ごろから、パソコン組立用部品や印刷・デザイン業界向けのDTP用品、配線部品をカタログで売る事業に取り組んでいた。1997年に入れた利益配分は税引前利益の4.3%を貢献度に応じて配る制度で、赤字のチームは対象外だった。田口弘社長は1996年の時点で、報酬の中で利益配分の比重を高めていく考えを示していた。1997年度はチーム23に対しリーダー立候補が25人にとどまり、新事業への異動を避ける空気があったという。1999年度にPCコンポーネンツチームが新事業で初めて黒字になり、同年12月、黒字額の26.6%を3年間払う単黒ボーナス制度を入れた。2000年3月に公開された年収では、同チームを率いた40歳の社員が約6300万円で首位だった。

  • 日経ビジネス 2000年10月9日号
    • [36]5年ほど前から取り組んだ新規事業は当初採算ベースに乗らなかった
    • [37]パソコン組み立て用部品、DTP用品、配線部品などをカタログで販売する新規事業
    • [38]1997年導入の利益配分制度は税引前利益の4.3%を個人の利益貢献度に応じて支給、赤字チームには支給なし
    • [40]1997年度のチームリーダー立候補はチーム数23に対し25人。新規事業チームへ異動したがらない雰囲気があったと中堅幹部
    • [41]1999年度にPCコンポーネンツチームが新規事業として初の黒字、99年12月に黒字額の26.6%を3年間支給する単黒ボーナス制度を導入
    • [42]2000年3月31日に全社員の年収を公開、PCコンポーネンツチームの田中一宏(40歳)が約6300万円で最高
  • 経済広報 18(11) 1996年11月「オープンポリシーの実験企業――株式会社ミスミ社長 田口弘」
    • [39]基礎年俸をベンチマーキングで査定、今後は利益配分の部分が増えていく(1996年11月、田口弘)

2002年6月、社外から招かれた三枝匡氏がミスミの代表取締役社長兼CEOに就任した。三枝匡氏はボストン・コンサルティング・グループなどを経て、1986年から16年間にわたり赤字会社の再建を指導してきた。就任は創業者の田口弘氏の要請を受けたもので、三枝匡氏は58歳を迎え、自分の会社を育てたいと考えていたと語った。田口弘社長は2000年10月の時点で、社員株主が次の社長を選ぶ方式を検討し、『辞めていく私が、次の社長を選ぶのは好ましくない』とも述べていた。三枝匡社長は就任後、7つの新規事業の撤退・立ち上げ中止を一度に行い、不採算事業からの撤退は創業以来初めてだった。三枝匡社長は、小さな組織を任せればリーダーは育つが、大企業を率いる経営者までは育たないと指摘した。社内から後継を選ぶ構想を離れて外部に託したのは、田口弘氏も同じ限界を見ていたからと推察される。

  • 日経ビジネス 2002年12月2日号 編集長インタビュー
    • [43]2002年6月、社外からミスミ代表取締役社長兼CEOに就任
    • [44]三井石油化学工業、ボストン・コンサルティング・グループを経て1986年に個人事務所、16年間赤字会社の再建を指導
    • [45]田口弘相談役(前社長)の要請を受けて引き受けた。58歳で自分の会社を育てたいと考えていた
    • [47]就任後、7つの新規事業の撤退・立ち上げ中止。不採算事業からの撤退は会社の歴史で初めて
    • [48]小さい組織ではそれなりのリーダーは育つが、大企業のトップにふさわしい人材は育たない(三枝匡)
  • 日経ビジネス 2000年10月9日号
    • [46]田口弘は社員株主が次の社長を選ぶ方式の導入を検討(2000年10月)

三枝匡社長は就任半年後の2002年12月、『グローバル展開も進んでいるとは言い難い』と認めた。ミスミは2003年4月にドイツにMISUMI EUROPA GmbHを、同年6月に上海に販売法人を設けた。同年10月には、上海にQCT配送センターを開設した。田口弘社長の時代から、東南アジアの顧客は現地メーカーが中心で、日本で作って運べば割高になるという認識があった。田口弘社長は1996年に、ベトナムで作ってタイに運ぶといった、国をまたいだ調達と供給の組み方を描いていた。一方で三枝匡社長は、創る・作る・売るを一つの組織で完結させることを持論としていた。だがミスミは自社工場を持たず、生産は1993年時点で約150社あった協力メーカーに委ねたままだった。

  • 日経ビジネス 2002年12月2日号 編集長インタビュー
    • [49]グローバル展開も進んでいるとは言い難い(2002年12月、三枝匡)
    • [54]「創って、作って、売る」を1つの組織の中で完結させ収益責任を持たせるのが持論(三枝匡)
  • ミスミ 有価証券報告書(2004年3月期)【沿革】
    • [50]2003年4月 MISUMI EUROPA GmbH を設立、2003年6月 上海に現地法人を設立
    • [51]2003年10月 上海にQCT配送センターを開設
  • 2020 AIM 129 1996年2月「ミスミは生産財のセブン-イレブンです(後編)」(田口弘・緒方知行)
    • [52]東南アジア市場は現地のローカルメーカーが対象で、日本でつくって持っていけば高くなる(1996年、田口弘)
    • [53]ベトナムでつくってタイにもっていく、連結ベースの売上目標に変わる(1996年、田口弘)
  • 東海総研マネジメント 89 1995年7月「"持たない""隠さない"でユーザー利益を追求」(田口弘)
    • [55]商社として自社工場を持たず、営業・物流・情報システムまで外部に委託する「持たない」経営(1995年)
  • 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
    • [56]商品の生産を担当する約150社の協力メーカーを全国に組織化(1993年時点)
参考文献[36]-[56]
  • 日経ビジネス 2000年10月9日号
    • [36]5年ほど前から取り組んだ新規事業は当初採算ベースに乗らなかった
    • [37]パソコン組み立て用部品、DTP用品、配線部品などをカタログで販売する新規事業
    • [38]1997年導入の利益配分制度は税引前利益の4.3%を個人の利益貢献度に応じて支給、赤字チームには支給なし
    • [40]1997年度のチームリーダー立候補はチーム数23に対し25人。新規事業チームへ異動したがらない雰囲気があったと中堅幹部
    • [41]1999年度にPCコンポーネンツチームが新規事業として初の黒字、99年12月に黒字額の26.6%を3年間支給する単黒ボーナス制度を導入
    • [42]2000年3月31日に全社員の年収を公開、PCコンポーネンツチームの田中一宏(40歳)が約6300万円で最高
    • [46]田口弘は社員株主が次の社長を選ぶ方式の導入を検討(2000年10月)
  • 経済広報 18(11) 1996年11月「オープンポリシーの実験企業――株式会社ミスミ社長 田口弘」
    • [39]基礎年俸をベンチマーキングで査定、今後は利益配分の部分が増えていく(1996年11月、田口弘)
  • 日経ビジネス 2002年12月2日号 編集長インタビュー
    • [43]2002年6月、社外からミスミ代表取締役社長兼CEOに就任
    • [44]三井石油化学工業、ボストン・コンサルティング・グループを経て1986年に個人事務所、16年間赤字会社の再建を指導
    • [45]田口弘相談役(前社長)の要請を受けて引き受けた。58歳で自分の会社を育てたいと考えていた
    • [47]就任後、7つの新規事業の撤退・立ち上げ中止。不採算事業からの撤退は会社の歴史で初めて
    • [48]小さい組織ではそれなりのリーダーは育つが、大企業のトップにふさわしい人材は育たない(三枝匡)
    • [49]グローバル展開も進んでいるとは言い難い(2002年12月、三枝匡)
    • [54]「創って、作って、売る」を1つの組織の中で完結させ収益責任を持たせるのが持論(三枝匡)
  • ミスミ 有価証券報告書(2004年3月期)【沿革】
    • [50]2003年4月 MISUMI EUROPA GmbH を設立、2003年6月 上海に現地法人を設立
    • [51]2003年10月 上海にQCT配送センターを開設
  • 2020 AIM 129 1996年2月「ミスミは生産財のセブン-イレブンです(後編)」(田口弘・緒方知行)
    • [52]東南アジア市場は現地のローカルメーカーが対象で、日本でつくって持っていけば高くなる(1996年、田口弘)
    • [53]ベトナムでつくってタイにもっていく、連結ベースの売上目標に変わる(1996年、田口弘)
  • 東海総研マネジメント 89 1995年7月「"持たない""隠さない"でユーザー利益を追求」(田口弘)
    • [55]商社として自社工場を持たず、営業・物流・情報システムまで外部に委託する「持たない」経営(1995年)
  • 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
    • [56]商品の生産を担当する約150社の協力メーカーを全国に組織化(1993年時点)

1988年〜2004年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1988年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1993年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1994年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1995年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1996年03月期 連結 277 n/a 14 5.1% n/a
1997年03月期 連結 328 +18.4% 15 4.6% n/a
1998年03月期 連結 400 +22.0% 19 4.8% n/a
1999年03月期 連結 390 ▲2.5% 21 5.4% n/a
2000年03月期 連結 440 +12.8% 29 6.6% n/a
2001年03月期 連結 560 +27.3% 36 6.4% n/a
2002年03月期 連結 n/a n/a n/a n/a n/a
2003年03月期 連結 577 n/a 35 6.1% n/a
2004年03月期 連結 695 +20.5% 50 7.2% n/a

出典・参考

13件
出典・参考
  • ミスミ 有価証券報告書(2004年3月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 1992年1月6日号
  • 証券アナリストジャーナル 32(2) 1994年1月(田口弘)
  • 日経ビジネス 1998年3月2日号
  • 日経ビジネス 2000年10月9日号
  • 日経ビジネス 2002年12月2日号 編集長インタビュー
  • 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
  • RIRI流通産業 24(8) 1992年8月「逆転の市場創造」(田口弘)
  • 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
  • 東海総研マネジメント 89 1995年7月「"持たない""隠さない"でユーザー利益を追求」(田口弘)
  • 経済広報 18(11) 1996年11月「オープンポリシーの実験企業――株式会社ミスミ社長 田口弘」
  • 人事マネジメント 8(2) 1998年2月「(株)ミスミ代表取締役社長 田口弘氏――経営をオープンにすれば人は育つ」(松永美佐寿)
  • 2020 AIM 129 1996年2月「ミスミは生産財のセブン-イレブンです(後編)」(田口弘・緒方知行)

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