ミスミグループ本社:三住商事の設立とプレス金型用標準部品のカタログ販売
1963年〜資本金50万円の三住商事と、自社規格のプレス金型用ノックピン
三住商事は1963年2月、電子機器とベアリングなどの販売を目的に、資本金500千円で東京都千代田区に設立された。発起したのは友人3人で、3人で始めたことは「三住」の名の由来の一つでもあった。のちに社長となる田口弘氏は、名古屋の農機具メーカーに4年勤めたのち、高校時代の友人2人に誘われて設立に加わり、専務に就任した。最初に売り歩いた高周波式の自動水栓器は、取り付けても水が止まらない故障が続き、販売を打ち切った。次は3人のうち1人がベアリング問屋に勤めた経験を持っていたことから、ベアリングの販売に移った。田口弘氏自身は、信念に基づいて事業を起こした型ではなく、設立への参画も成り行きだったと振り返った。設立から数年の三住商事は、他社の製品を仕入れて売る以外に拠り所を持たなかったとみられる。
- ミスミグループ本社 有価証券報告書 第62期(2024年3月期)【沿革】
- [1]1963年2月、電子機器及びベアリング等の販売を目的に三住商事(資本金500千円)を東京都千代田区に設立
- プラスチック成形技術 2(7) 1985年7月「インタビュー 情報を商品に転換」(三住商事 田口弘)
- [2]三住商事は友人3人で始めた会社で、社名の由来の一つが3人で始めたこと
- 徳永卓三『ドラマを創った企業家たち』1995年「ミスミ」
- [3]田口弘は大学卒業後に名古屋の農機具メーカーに4年勤め、1963年に高校時代の友人2人の誘いで三住商事の設立に参画、専務に就任
- 戦略経営者 12(3) 1997年3月「企業家クローズアップ 田口弘・ミスミ社長 生産財の流通革命を成し遂げた男」(相楽総一)
- [4]最初に扱った高周波利用の自動水栓器は製品が未熟で水が出っ放しになるなど故障が多く、販売をやめた
- [5]3人のうち1人がベアリングの問屋で働いた経験があったため、ベアリングの販売に移った
- [6]田口は信念に基づいて事業を起こすタイプではなく、三住商事の設立参画も成り行きだったと語った
三住商事は1965年7月、プレス金型用部品としてノックピンを発売した。きっかけは、ベアリングのニードルローラーだけを求める取引先があり、用途を調べると金型の位置決めのピンに転用していたことだった。当時の金型の現場では、ノックピン1本でも発注元の自動車メーカーごとに寸法が異なっていた。金型工場を訪ねた田口弘専務は、ノックピンが1種類に揃えばどれほど助かるかと現場から聞かされ、自動車メーカーへの売込みまで紹介された。取引先から米国ではノックピンがすでに標準化されていると聞き、田口弘専務は米国のカタログを取り寄せて知人のメーカーに標準規格での製造を頼んだという。続いて扱ったウレタンスプリングでも売上が伸び、三住商事は1967年からプレス金型用部品の販売に絞った。1969年には田口弘専務がほかの2人から事業を引き継ぎ、社長に就任した。
- ミスミグループ本社 有価証券報告書 第62期(2024年3月期)【沿革】
- [7]1965年7月、プレス金型用部品としてノックピンを発売
- プラスチック成形技術 2(7) 1985年7月「インタビュー 情報を商品に転換」(三住商事 田口弘)
- [8]ベアリングのニードルローラーだけを求める顧客がおり、用途を調べると金型の位置決めのノックピンとして使っていた(1965年頃)
- [10]宮津製作所・萩原鉄工などの現場でノックピンが1種類ならどれほど助かるかと言われ、自動車メーカーへの標準品の売込みを紹介され市場開発が進んだ
- 戦略経営者 12(3) 1997年3月「企業家クローズアップ 田口弘・ミスミ社長 生産財の流通革命を成し遂げた男」(相楽総一)
- [9]金型メーカーの現場ではノックピン1つでもトヨタ用・日産用などメーカーごとに規格が異なっていた
- [11]取引先から米国ではノックピンが標準化されていると聞き、田口は米国のカタログを取り寄せ、知人のメーカーに標準規格によるノックピンの製造を依頼した
- 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
- [12]ウレタンスプリングの販売を始めて売上が増え、昭和42年(1967年)からプレス金型用部品の販売に特化
- 徳永卓三『ドラマを創った企業家たち』1995年「ミスミ」
- [13]1969年、田口が友人2人と別れて経営を引き継ぎ、社長に就任
田口弘社長は1970年7月、業界誌『金属プレス』に寄稿し、プレス用金型の標準化を業界全体の課題として論じた。当時の国内では、ダイセットを除くと金型の標準部品はほとんど出回っていなかった。田口弘社長は取扱い製品を標準化の手段にすぎないと位置づけ、『私どもの企業目標は標準化そのものであり,組織化そのものであると考えている。』と書いた。標準化を阻むものには、技術偏重、一社に閉じた標準化、原価計算の誤り、供給者の力不足の4つを挙げた。原価の例では、見積り50万円の安い型でも稼働中の破損でラインが止まれば、総費用は100万円や150万円に膨らむと説いた。供給者の力不足を最大の原因と見た論は、標準部品を業界へ供給する役を三住商事が担うという表明でもあったのだろう。
- 金属プレス 2(7) 1970年7月「プレス用金型の標準化の課題」(三住商事 田口弘)
- [14]1970年7月、田口弘(三住商事)が『金属プレス』に「プレス用金型の標準化の課題」を寄稿し、標準化を業界ぐるみで進めるべきだと論じた
- [16]三住商事の企業目標は標準化・組織化そのもので、取扱い製品はその手段にすぎないとした
- [17]標準化を阻む要因として技術偏重主義、島国根性(一社・特定グループ内の標準化)、原価計算の誤り、供給者の力不足を挙げた
- [18]見積り50万円の型が稼働中の部品破損・修理とライン停止で100万円、150万円に膨らむ例を挙げ、稼働中の費用を含めた原価計算を説いた
- プラスチック成形技術 2(7) 1985年7月「インタビュー 情報を商品に転換」(三住商事 田口弘)
- [15]三住商事がノックピンを扱い始めた頃、金型の標準部品はダイセットのほかになく、自動車メーカーが一部輸入していた程度だった
参考文献[1]-[18]
- ミスミグループ本社 有価証券報告書 第62期(2024年3月期)【沿革】
- [1]1963年2月、電子機器及びベアリング等の販売を目的に三住商事(資本金500千円)を東京都千代田区に設立
- [7]1965年7月、プレス金型用部品としてノックピンを発売
- プラスチック成形技術 2(7) 1985年7月「インタビュー 情報を商品に転換」(三住商事 田口弘)
- [2]三住商事は友人3人で始めた会社で、社名の由来の一つが3人で始めたこと
- [8]ベアリングのニードルローラーだけを求める顧客がおり、用途を調べると金型の位置決めのノックピンとして使っていた(1965年頃)
- [10]宮津製作所・萩原鉄工などの現場でノックピンが1種類ならどれほど助かるかと言われ、自動車メーカーへの標準品の売込みを紹介され市場開発が進んだ
- [15]三住商事がノックピンを扱い始めた頃、金型の標準部品はダイセットのほかになく、自動車メーカーが一部輸入していた程度だった
- 徳永卓三『ドラマを創った企業家たち』1995年「ミスミ」
- [3]田口弘は大学卒業後に名古屋の農機具メーカーに4年勤め、1963年に高校時代の友人2人の誘いで三住商事の設立に参画、専務に就任
- [13]1969年、田口が友人2人と別れて経営を引き継ぎ、社長に就任
- 戦略経営者 12(3) 1997年3月「企業家クローズアップ 田口弘・ミスミ社長 生産財の流通革命を成し遂げた男」(相楽総一)
- [4]最初に扱った高周波利用の自動水栓器は製品が未熟で水が出っ放しになるなど故障が多く、販売をやめた
- [5]3人のうち1人がベアリングの問屋で働いた経験があったため、ベアリングの販売に移った
- [6]田口は信念に基づいて事業を起こすタイプではなく、三住商事の設立参画も成り行きだったと語った
- [9]金型メーカーの現場ではノックピン1つでもトヨタ用・日産用などメーカーごとに規格が異なっていた
- [11]取引先から米国ではノックピンが標準化されていると聞き、田口は米国のカタログを取り寄せ、知人のメーカーに標準規格によるノックピンの製造を依頼した
- 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
- [12]ウレタンスプリングの販売を始めて売上が増え、昭和42年(1967年)からプレス金型用部品の販売に特化
- 金属プレス 2(7) 1970年7月「プレス用金型の標準化の課題」(三住商事 田口弘)
- [14]1970年7月、田口弘(三住商事)が『金属プレス』に「プレス用金型の標準化の課題」を寄稿し、標準化を業界ぐるみで進めるべきだと論じた
- [16]三住商事の企業目標は標準化・組織化そのもので、取扱い製品はその手段にすぎないとした
- [17]標準化を阻む要因として技術偏重主義、島国根性(一社・特定グループ内の標準化)、原価計算の誤り、供給者の力不足を挙げた
- [18]見積り50万円の型が稼働中の部品破損・修理とライン停止で100万円、150万円に膨らむ例を挙げ、稼働中の費用を含めた原価計算を説いた
1973年〜中部営業所と、品番で頼めるプレス金型用標準部品カタログ
三住商事は1973年6月、中部営業所を愛知県愛知郡日進町に開いた。田口弘氏が社長に就任した頃、工具販売店に1万円で卸した商品は、ユーザーの手元で1万5000円から2万円になっていた。同年8月の『金属プレス』への寄稿で、田口弘社長は標準部品の普及を妨げる最大の要因を多種少量品の流通に置いた。田口弘社長の調べでは、流通コストはインスタントコーヒーで約10%だったのに対し、切削工具で40〜50%に達した。そのうえで、1000社が各100万円ずつ抱える部品在庫を共同の倉庫に集めれば、10億円の在庫は1億円で足りると試算した。中部営業所は、金型工場の集まる地域で在庫を手元に置き、販売店を経ずに届ける足場だったと推察される。
- ミスミグループ本社 有価証券報告書 第62期(2024年3月期)【沿革】
- [19]1973年6月、中部営業所(現 名古屋営業所)を愛知郡日進町に開設し、以後各地に営業所を開設
- 徳永卓三『ドラマを創った企業家たち』1995年「ミスミ」
- [20]田口が経営を引き継いだ1969年頃、工具販売店に1万円で売った商品がユーザーには1万5000円から2万円で売られていた
- 金属プレス 5(8) 1973年8月「プレス金型標準部品の流通システム」(三住商事 田口弘)
- [21]1973年8月の寄稿で、プレス金型標準部品の発展を阻害する大きな要因として多種少量品の流通の問題を挙げた
- [22]インスタントコーヒーの流通コストは約10%、切削工具類は40〜50%、作業工具類は35〜45%
- [23]ユーザー1000社が各100万円の在庫を持てば計10億円、共同倉庫に集約すれば1億円で足りるかもしれないと試算
三住商事は1977年1月、「プレス金型用標準部品」カタログを創刊し、営業員による販売から通信販売へ移った。1973年度に4億7千万円だった年商は、石油危機を受けて1974年度に4億6千万円へ下がり、緊急融資を仰いだ。一方で自動車メーカーは在庫リスクの小さい標準品へ切り替え、大手への販路が広がると営業員の手が足りなくなった。金型部品の需要は多種少量で、1社ごとの購入額が小さく、営業員が回る売り方では採算が合わなかった。カタログには価格と納期を明示し、値引きをせずに大企業にも小さな工場にも同じ定価で売った。交渉で値段が変わる業界の慣行とは逆の売り方で、当初はユーザーの戸惑いを招いた。カタログを送っても客は営業員の来訪を待って注文せず、営業員はいないので電話で注文してほしいと繰り返し伝えて、注文が少しずつ入り始めた。
- ミスミグループ本社 有価証券報告書 第62期(2024年3月期)【沿革】
- [24]1977年1月、「プレス金型用標準部品」カタログを創刊
- 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
- [25]昭和48年度の年商4億7千万円が昭和49年度に4億6千万円へ減り、資金繰りが悪化して緊急融資を受けた
- [26]石油危機後、自動車メーカーが在庫リスクの少ない標準品に切り替え、大手への販路が拡大する一方で営業マン不足に直面した
- [28]カタログ販売で納期保証と定価販売を徹底し、大企業も小さな工場も同じ定価で売った
- 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
- [27]金型用部品のユーザーニーズは多品種少量で、営業員による販売が非効率だったため、価格と納期を明示したカタログによる通信販売に移行した
- 日経ビジネス 1992年1月6日号
- [29]交渉次第で価格が変わる業界だったため、合理的な販売システムはユーザーの戸惑いを生んだ
- 2020 AIM 127 1995年11月「ミスミは生産財のセブン-イレブンです」(田口弘・緒方知行)
- [30]カタログ販売の初期、カタログを送っても客はセールスマンが来ると思って待ち注文が来なかったため、セールスマンはいないので電話で注文をと繰り返し伝え、少しずつ注文が来るようになった
参考文献[19]-[30]
- ミスミグループ本社 有価証券報告書 第62期(2024年3月期)【沿革】
- [19]1973年6月、中部営業所(現 名古屋営業所)を愛知郡日進町に開設し、以後各地に営業所を開設
- [24]1977年1月、「プレス金型用標準部品」カタログを創刊
- 徳永卓三『ドラマを創った企業家たち』1995年「ミスミ」
- [20]田口が経営を引き継いだ1969年頃、工具販売店に1万円で売った商品がユーザーには1万5000円から2万円で売られていた
- 金属プレス 5(8) 1973年8月「プレス金型標準部品の流通システム」(三住商事 田口弘)
- [21]1973年8月の寄稿で、プレス金型標準部品の発展を阻害する大きな要因として多種少量品の流通の問題を挙げた
- [22]インスタントコーヒーの流通コストは約10%、切削工具類は40〜50%、作業工具類は35〜45%
- [23]ユーザー1000社が各100万円の在庫を持てば計10億円、共同倉庫に集約すれば1億円で足りるかもしれないと試算
- 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
- [25]昭和48年度の年商4億7千万円が昭和49年度に4億6千万円へ減り、資金繰りが悪化して緊急融資を受けた
- [26]石油危機後、自動車メーカーが在庫リスクの少ない標準品に切り替え、大手への販路が拡大する一方で営業マン不足に直面した
- [28]カタログ販売で納期保証と定価販売を徹底し、大企業も小さな工場も同じ定価で売った
- 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
- [27]金型用部品のユーザーニーズは多品種少量で、営業員による販売が非効率だったため、価格と納期を明示したカタログによる通信販売に移行した
- 日経ビジネス 1992年1月6日号
- [29]交渉次第で価格が変わる業界だったため、合理的な販売システムはユーザーの戸惑いを生んだ
- 2020 AIM 127 1995年11月「ミスミは生産財のセブン-イレブンです」(田口弘・緒方知行)
- [30]カタログ販売の初期、カタログを送っても客はセールスマンが来ると思って待ち注文が来なかったため、セールスマンはいないので電話で注文をと繰り返し伝え、少しずつ注文が来るようになった
1980年〜情報紙「Voice」とプラスチック金型用カタログ、CAD/CAMのシースリーP500
三住商事は1980年1月、業界情報と技術情報を届ける情報紙「Voice」を創刊した。Voiceには提案カードとクレームカードが綴じ込まれ、ユーザーは要望を書いて送り返せた。カタログに挟んだカードで届いた声には必ず応え、言われたら作ることを原則とした。田口弘社長は1985年、顧客のニーズに沿って商品を開発するのが基本方針だと語った。学生時代に流通革命論に惹かれた田口弘社長は、生産財の市場がそれにほど遠いと見て、企業目的を生産財の流通革新に置いた。流通業者が生産者の側に立って売る慣行を改め、ユーザーの側に立つ理由を、田口弘社長は『顧客の欲しい製品をつくる.そうすれば,売れ残ることはない.』と説明した。営業員を置かない売り方では、ユーザーの要望を拾う経路を紙面の上に別に設ける必要があったと思われる。
- ミスミグループ本社 有価証券報告書 第62期(2024年3月期)【沿革】
- [31]1980年1月、業界情報・技術情報の提供を目的に情報紙「Voice」を創刊
- 日経ビジネス 1992年1月6日号
- [32]ユーザーに配送する機関誌「Voice」には提案カード、クレームカードが入っている
- 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
- [33]カタログにはさんだコミュニケーションカードによるユーザーの声には必ず応え、「言われたらつくる」のが原則
- プラスチック成形技術 2(7) 1985年7月「インタビュー 情報を商品に転換」(三住商事 田口弘)
- [34]1985年、田口は顧客のニーズによって商品開発を行うのが基本方針だと語った
- [35]田口は学生時代に林周二らの流通革命論に魅かれ、生産財の市場が流通革命にほど遠いと見て企業目的を生産財の流通革新に置いた
- [36]流通業者が生産者側に立った販売政策をとってきたのをおかしいとし、徹底してユーザーの側に立つ姿勢を貫いてきたと語った
三住商事は1985年5月、「プラスチック金型用標準部品」カタログを創刊した。自動車や電機の最終製品が金属とプラスチックの両方の金型を要するようになり、部品の需要も両方にまたがり始めていた。田口弘社長は、プレス金型の顧客にプラスチック金型を手がける工場が多く、部品の問い合わせを受けたことを動機に挙げた。自社の調査では、プラスチック金型は規格の整備が遅れる一方で生産額が伸びていた。両方を手がける型屋は上位の数社に限られ、田口弘社長は顧客の8割以上が入れ替わる新しい市場になると見た。この時点で三住商事は7,000社に6万冊のカタログを配り、前年の売上高65億円に対して当年は85億円を計画していた。
- ミスミグループ本社 有価証券報告書 第62期(2024年3月期)【沿革】
- [37]1985年5月、「プラスチック金型用標準部品」カタログを創刊
- 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
- [38]自動車・電機分野の最終製品が金属金型とプラスチック金型の双方を必要とするようになり、昭和60年からプラスチック金型用部品の分野に進出
- プラスチック成形技術 2(7) 1985年7月「インタビュー 情報を商品に転換」(三住商事 田口弘)
- [39]プレス金型の標準部品の顧客にプラスチック金型を扱うところが多く、部品の要望があったことが進出の動機
- [40]市場調査でプラスチック金型は規格が整っておらず、生産額が伸びている発展途上の段階とわかった
- [41]プレスとプラスチックの両方を手がける型屋はトップクラスだけで、顧客の80%以上は違う新しいマーケットになると田口が語った
- [42]1985年時点で7,000社のユーザーに6万冊の製品カタログを提供し、前年の売上高65億円、当年の計画85億円
三住商事は1985年、CAD・CAM・CAPを組み合わせたシースリーシステムを売り出した。ユーザーが専用端末で金型を自動設計すると、情報がVANを通じて三住商事のコンピューターに入り、部品が自動で発注される仕組みだった。システムは、ユーザーの設計と開発を支え、最終部品の納入までをつなぐ役を担った。田口弘社長は、製造コストが限界まで下がった一方で、これからは流通コストのほうが高くなると語った。設計から発注までを人手を介さずにつなげば、中間の手数と在庫を省いて流通コストを大きく削れると田口弘社長は見込んだ。田口弘社長は自らをコンピューターに疎いと認めつつ、新しい通信手段を流通の改革に使うことに抵抗はないと語った。
- 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
- [43]CAD/CAM・CAPの「シースリー」システムを開発し、昭和60年(1985年)から発売
- [45]シースリーはユーザーの設計・開発を支援し、最終部品の納入までフォローするシステム
- プラスチック成形技術 2(7) 1985年7月「インタビュー 情報を商品に転換」(三住商事 田口弘)
- [44]シースリーシステムは専用端末をユーザーが購入し、自動設計した情報がVANで三住商事のコンピューターに入り、部品の自動発注につながる
- [46]製造コストは極限まで引き下げられ、これからは流通コストのほうが高くなっているのが生産財市場の矛盾だと田口が語った
- [47]人間が介在せずに設計から発注までできれば相当のコスト削減になると田口が語った
- [48]田口は自身を機械オンチでコンピューターはわからないとしつつ、ニューメディアを利用した流通革新に抵抗はないと語った
参考文献[31]-[48]
- ミスミグループ本社 有価証券報告書 第62期(2024年3月期)【沿革】
- [31]1980年1月、業界情報・技術情報の提供を目的に情報紙「Voice」を創刊
- [37]1985年5月、「プラスチック金型用標準部品」カタログを創刊
- 日経ビジネス 1992年1月6日号
- [32]ユーザーに配送する機関誌「Voice」には提案カード、クレームカードが入っている
- 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
- [33]カタログにはさんだコミュニケーションカードによるユーザーの声には必ず応え、「言われたらつくる」のが原則
- [43]CAD/CAM・CAPの「シースリー」システムを開発し、昭和60年(1985年)から発売
- [45]シースリーはユーザーの設計・開発を支援し、最終部品の納入までフォローするシステム
- プラスチック成形技術 2(7) 1985年7月「インタビュー 情報を商品に転換」(三住商事 田口弘)
- [34]1985年、田口は顧客のニーズによって商品開発を行うのが基本方針だと語った
- [35]田口は学生時代に林周二らの流通革命論に魅かれ、生産財の市場が流通革命にほど遠いと見て企業目的を生産財の流通革新に置いた
- [36]流通業者が生産者側に立った販売政策をとってきたのをおかしいとし、徹底してユーザーの側に立つ姿勢を貫いてきたと語った
- [39]プレス金型の標準部品の顧客にプラスチック金型を扱うところが多く、部品の要望があったことが進出の動機
- [40]市場調査でプラスチック金型は規格が整っておらず、生産額が伸びている発展途上の段階とわかった
- [41]プレスとプラスチックの両方を手がける型屋はトップクラスだけで、顧客の80%以上は違う新しいマーケットになると田口が語った
- [42]1985年時点で7,000社のユーザーに6万冊の製品カタログを提供し、前年の売上高65億円、当年の計画85億円
- [44]シースリーシステムは専用端末をユーザーが購入し、自動設計した情報がVANで三住商事のコンピューターに入り、部品の自動発注につながる
- [46]製造コストは極限まで引き下げられ、これからは流通コストのほうが高くなっているのが生産財市場の矛盾だと田口が語った
- [47]人間が介在せずに設計から発注までできれば相当のコスト削減になると田口が語った
- [48]田口は自身を機械オンチでコンピューターはわからないとしつつ、ニューメディアを利用した流通革新に抵抗はないと語った
- 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
- [38]自動車・電機分野の最終製品が金属金型とプラスチック金型の双方を必要とするようになり、昭和60年からプラスチック金型用部品の分野に進出
出典・参考
10件
- ミスミグループ本社 有価証券報告書 第62期(2024年3月期)【沿革】
- 日経ビジネス 1992年1月6日号
- 金属プレス 2(7) 1970年7月「プレス用金型の標準化の課題」(三住商事 田口弘)
- 金属プレス 5(8) 1973年8月「プレス金型標準部品の流通システム」(三住商事 田口弘)
- プラスチック成形技術 2(7) 1985年7月「インタビュー 情報を商品に転換」(三住商事 田口弘)
- 石垣 116 1990年1月「「生産財の流通革命」をリード 金型部品をカタログ販売で――(株)ミスミ」
- 証券 46(3) 1994年(新規上場会社紹介)
- 徳永卓三『ドラマを創った企業家たち』1995年「ミスミ」
- 戦略経営者 12(3) 1997年3月「企業家クローズアップ 田口弘・ミスミ社長 生産財の流通革命を成し遂げた男」(相楽総一)
- 2020 AIM 127 1995年11月「ミスミは生産財のセブン-イレブンです」(田口弘・緒方知行)