カプコン:アイ・アール・エムの設立と業務用・家庭用ゲームへの参入
1979年〜菓子の自営を経て設立したアイ・アール・エムと、サンビへの改称
1979年、辻本憲三氏による、電子応用ゲーム機器の開発と販売を目的としたアイ・アール・エムの設立。辻本憲三氏は1940年12月に奈良県で生まれ、1960年に奈良県立畝傍高等学校を卒業した。卒業から3年後の1963年には本商店の自営を始めた。アイ・アール・エムの設立は、自営を始めてから16年後にあたる。登記上の設立年月日は1979年5月30日で、2000年の東証1部上場時もこの日付を設立日として届け出た。カプコンは同じ上場時、1979年の創業以来の事業目的にゲーム機器の企画・開発・製造販売と輸出入を挙げた。商店の自営で得た販売の経験が、開発に加えて販売を事業目的に掲げた背景にあったとみられる。
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [1]1979年(昭和54年)、電子応用ゲーム機器の開発・販売を目的にアイ・アール・エム株式会社として設立
- 日経ビジネス 1995年12月18日号
- [2]辻本憲三氏は1940年12月奈良県生まれ、1960年畝傍高校卒、1963年本商店自営、1979年アイ・アール・エムを設立
- [3]辻本憲三氏は1940年12月奈良県生まれ、1960年畝傍高校卒、1963年本商店自営、1979年アイ・アール・エムを設立
- [4]辻本憲三氏は1940年12月奈良県生まれ、1960年畝傍高校卒、1963年本商店自営、1979年アイ・アール・エムを設立
- 証券 52(12) 2000年 カプコンの項
- [5]2000年10月18日東証1部上場時の設立年月日は1979年5月30日(実質1983年6月10日)。創業以来ゲームソフト・ゲーム機器の企画・開発・製造販売・輸出入を事業目的とする
- [6]2000年10月18日東証1部上場時の設立年月日は1979年5月30日(実質1983年6月10日)。創業以来ゲームソフト・ゲーム機器の企画・開発・製造販売・輸出入を事業目的とする
辻本憲三氏が掲げたのは、ゲームという目的に絞った専用のコンピュータだった。後の社名カプコンは、カプセル・コンピュータを略した語である。汎用型のコンピュータは、ソフトを組み替えて様々な用途に使う。カプセル・コンピュータは汎用型と異なり、目的意識に合わせて作り込んだ機械を指した。ゲームの機能のほとんどを2つのチップの中に収めたことから、カプセルに入ったコンピュータと名付けた。アイ・アール・エムは設立の時点で、電子ゲーム機器の開発と販売の両方を事業の目的に据えていた。機能を専用のチップに閉じ込める発想は、1988年に完成する自社の業務用基板につながる設計思想だったと推察される。
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [7]カプコンはカプセル・コンピュータの略。汎用型でなく目的意識に合わせたコンピュータの意味で、2つのチップにゲーム機能のほとんどを収める
- [8]カプコンはカプセル・コンピュータの略。汎用型でなく目的意識に合わせたコンピュータの意味で、2つのチップにゲーム機能のほとんどを収める
- [9]カプコンはカプセル・コンピュータの略。汎用型でなく目的意識に合わせたコンピュータの意味で、2つのチップにゲーム機能のほとんどを収める
- [10]カプコンはカプセル・コンピュータの略。汎用型でなく目的意識に合わせたコンピュータの意味で、2つのチップにゲーム機能のほとんどを収める
- [11]カプコンはカプセル・コンピュータの略。汎用型でなく目的意識に合わせたコンピュータの意味で、2つのチップにゲーム機能のほとんどを収める
- 日経ビジネス 1995年12月18日号
- [12]アイ・アール・エムは電子ゲーム機器の開発および販売を目的として1979年に設立
1981年、アイ・アール・エムからサンビへの商号変更。サンビは、額面500円の株式を発行する法人だった。1983年に販売を担う会社としてカプコンが別に設立されると、開発のサンビと販売のカプコンの2社が並んだ。1989年にサンビは旧カプコンを吸収合併し、社名をカプコンに改めた。旧カプコンの株式は額面5万円で、額面500円のサンビを存続会社にすれば額面50円への変更が容易だった。2000年の上場時、カプコンは設立年月日を1979年5月30日、実質の設立日を1983年6月10日と届け出た。1981年の改称で残った法人が、上場会社カプコンの登記上の母体となったのだろう。
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [13]1981年(昭和56年)サンビに商号変更。1983年販売部門の会社としてカプコン設立。1989年旧カプコンを吸収合併し社名をカプコンに変更。サンビは額面500円、旧カプコンは額面5万円
- [14]1981年(昭和56年)サンビに商号変更。1983年販売部門の会社としてカプコン設立。1989年旧カプコンを吸収合併し社名をカプコンに変更。サンビは額面500円、旧カプコンは額面5万円
- [15]1981年(昭和56年)サンビに商号変更。1983年販売部門の会社としてカプコン設立。1989年旧カプコンを吸収合併し社名をカプコンに変更。サンビは額面500円、旧カプコンは額面5万円
- [16]1981年(昭和56年)サンビに商号変更。1983年販売部門の会社としてカプコン設立。1989年旧カプコンを吸収合併し社名をカプコンに変更。サンビは額面500円、旧カプコンは額面5万円
- [17]1981年(昭和56年)サンビに商号変更。1983年販売部門の会社としてカプコン設立。1989年旧カプコンを吸収合併し社名をカプコンに変更。サンビは額面500円、旧カプコンは額面5万円
- 証券 52(12) 2000年 カプコンの項
- [18]上場時の設立年月日は1979年5月30日、実質1983年6月10日
参考文献[1]-[18]
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [1]1979年(昭和54年)、電子応用ゲーム機器の開発・販売を目的にアイ・アール・エム株式会社として設立
- [7]カプコンはカプセル・コンピュータの略。汎用型でなく目的意識に合わせたコンピュータの意味で、2つのチップにゲーム機能のほとんどを収める
- [8]カプコンはカプセル・コンピュータの略。汎用型でなく目的意識に合わせたコンピュータの意味で、2つのチップにゲーム機能のほとんどを収める
- [9]カプコンはカプセル・コンピュータの略。汎用型でなく目的意識に合わせたコンピュータの意味で、2つのチップにゲーム機能のほとんどを収める
- [10]カプコンはカプセル・コンピュータの略。汎用型でなく目的意識に合わせたコンピュータの意味で、2つのチップにゲーム機能のほとんどを収める
- [11]カプコンはカプセル・コンピュータの略。汎用型でなく目的意識に合わせたコンピュータの意味で、2つのチップにゲーム機能のほとんどを収める
- [13]1981年(昭和56年)サンビに商号変更。1983年販売部門の会社としてカプコン設立。1989年旧カプコンを吸収合併し社名をカプコンに変更。サンビは額面500円、旧カプコンは額面5万円
- [14]1981年(昭和56年)サンビに商号変更。1983年販売部門の会社としてカプコン設立。1989年旧カプコンを吸収合併し社名をカプコンに変更。サンビは額面500円、旧カプコンは額面5万円
- [15]1981年(昭和56年)サンビに商号変更。1983年販売部門の会社としてカプコン設立。1989年旧カプコンを吸収合併し社名をカプコンに変更。サンビは額面500円、旧カプコンは額面5万円
- [16]1981年(昭和56年)サンビに商号変更。1983年販売部門の会社としてカプコン設立。1989年旧カプコンを吸収合併し社名をカプコンに変更。サンビは額面500円、旧カプコンは額面5万円
- [17]1981年(昭和56年)サンビに商号変更。1983年販売部門の会社としてカプコン設立。1989年旧カプコンを吸収合併し社名をカプコンに変更。サンビは額面500円、旧カプコンは額面5万円
- 日経ビジネス 1995年12月18日号
- [2]辻本憲三氏は1940年12月奈良県生まれ、1960年畝傍高校卒、1963年本商店自営、1979年アイ・アール・エムを設立
- [3]辻本憲三氏は1940年12月奈良県生まれ、1960年畝傍高校卒、1963年本商店自営、1979年アイ・アール・エムを設立
- [4]辻本憲三氏は1940年12月奈良県生まれ、1960年畝傍高校卒、1963年本商店自営、1979年アイ・アール・エムを設立
- [12]アイ・アール・エムは電子ゲーム機器の開発および販売を目的として1979年に設立
- 証券 52(12) 2000年 カプコンの項
- [5]2000年10月18日東証1部上場時の設立年月日は1979年5月30日(実質1983年6月10日)。創業以来ゲームソフト・ゲーム機器の企画・開発・製造販売・輸出入を事業目的とする
- [6]2000年10月18日東証1部上場時の設立年月日は1979年5月30日(実質1983年6月10日)。創業以来ゲームソフト・ゲーム機器の企画・開発・製造販売・輸出入を事業目的とする
- [18]上場時の設立年月日は1979年5月30日、実質1983年6月10日
1983年〜2つのチップに収めたカプコンの販売会社と、業務用・家庭用への参入
辻本憲三氏は1983年、販売部門を担う会社としてカプコンを設立した。開発を担うサンビから販売の機能を切り出し、別の会社に持たせた。2000年の上場時にカプコンが届け出た実質の設立日は、この販売会社の設立日である1983年6月10日にあたる。1990年時点で辻本憲三氏は、カプコンを営業人員が売上高に比べて非常に少ない会社だと説明した。サンプルを示して受注した分を販売するのが、辻本憲三氏の示した営業の仕方である。開発と販売を分けた2社の体制は、1989年に経営の合理化を目的として一体化した。開発した機器を自社の名で市場に出す窓口を持つことが、販売会社を分けた狙いだったと思われる。
- 日経ビジネス 1995年12月18日号
- [19]1983年、販売部門を担当する会社としてカプコンを設立
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [20]1983年販売部門担当の会社としてカプコン設立。1990年時点で営業人員は売上高比で非常に少なく、サンプルを出して受注分を販売する。1989年販売と開発の一体化による経営の合理化を目的に旧カプコンを吸収合併
- [22]1983年販売部門担当の会社としてカプコン設立。1990年時点で営業人員は売上高比で非常に少なく、サンプルを出して受注分を販売する。1989年販売と開発の一体化による経営の合理化を目的に旧カプコンを吸収合併
- [23]1983年販売部門担当の会社としてカプコン設立。1990年時点で営業人員は売上高比で非常に少なく、サンプルを出して受注分を販売する。1989年販売と開発の一体化による経営の合理化を目的に旧カプコンを吸収合併
- [24]1983年販売部門担当の会社としてカプコン設立。1990年時点で営業人員は売上高比で非常に少なく、サンプルを出して受注分を販売する。1989年販売と開発の一体化による経営の合理化を目的に旧カプコンを吸収合併
- 証券 52(12) 2000年 カプコンの項
- [21]上場時の実質設立日は1983年6月10日
カプコンは1983年、業務用テレビゲーム機の製造と販売を始めた。業務用ゲームのメーカーとしての歩みは、1979年の設立までさかのぼる。業務用ゲームは、ゲームセンターでの反応からヒットをある程度予測できる市場である。業務用ゲームの市場では、1992年時点でセガ、タイトー、カプコン、ナムコの大手による寡占化が進んでいた。1987年度の売上高は11億円、経常利益は6,100万円で、売上高経常利益率は5.3%だった。1990年時点でも、業務用機器は売上高の39.1%を占めた。作品をまず業務用で市場に問い、反応を確かめる順序が、この時期に事業の型として定まったと考えられる。
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [25]1983年(昭和58年)から業務用テレビゲーム機の製造・販売を開始。1990年時点の売上高構成比は業務用機器39.1%
- [30]1983年(昭和58年)から業務用テレビゲーム機の製造・販売を開始。1990年時点の売上高構成比は業務用機器39.1%
- 日経ビジネス 1992年9月21日号
- [26]1979年の設立以来業務用ゲームメーカーとして地歩を固めた。業務用の反応でヒットをある程度予測できる。業務用はセガ・タイトー・カプコン・ナムコなど大手の寡占化。87年度売上高11億円・経常利益6100万円・売上高経常利益率5.3%
- [27]1979年の設立以来業務用ゲームメーカーとして地歩を固めた。業務用の反応でヒットをある程度予測できる。業務用はセガ・タイトー・カプコン・ナムコなど大手の寡占化。87年度売上高11億円・経常利益6100万円・売上高経常利益率5.3%
- [28]1979年の設立以来業務用ゲームメーカーとして地歩を固めた。業務用の反応でヒットをある程度予測できる。業務用はセガ・タイトー・カプコン・ナムコなど大手の寡占化。87年度売上高11億円・経常利益6100万円・売上高経常利益率5.3%
- [29]1979年の設立以来業務用ゲームメーカーとして地歩を固めた。業務用の反応でヒットをある程度予測できる。業務用はセガ・タイトー・カプコン・ナムコなど大手の寡占化。87年度売上高11億円・経常利益6100万円・売上高経常利益率5.3%
カプコンは1985年、任天堂とファミリーコンピュータ用ソフトの販売契約を結んだ。1980年代半ばにファミコンブームが到来し、ゲーム人口が急増していた。ファミコンソフトは、かつて100万本を超える販売も珍しくない市場だった。ファミコンソフトの生産は任天堂への委託で、代金は前払い。在庫が余れば、その損失はソフトを開発した会社がすべて引き受けた。任天堂と結ぶ使用許諾の契約が効いて、家庭用の利益率は業務用を下回った。1992年時点で、任天堂とライセンス契約を結ぶファミコンソフトの専門会社は120社ほどあった。1990年時点で、ファミコンに代表されるコンシューマ用機器は売上高の59.2%を占めた。
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [31]1985年(昭和60年)任天堂とファミリーコンピュータ用ソフトの販売契約を締結。1990年時点の売上高構成比はコンシューマ用機器59.2%
- [38]1985年(昭和60年)任天堂とファミリーコンピュータ用ソフトの販売契約を締結。1990年時点の売上高構成比はコンシューマ用機器59.2%
- 日経ビジネス 1992年9月21日号
- [32]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
- [33]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
- [34]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
- [35]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
- [36]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
- [37]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
参考文献[19]-[38]
- 日経ビジネス 1995年12月18日号
- [19]1983年、販売部門を担当する会社としてカプコンを設立
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [20]1983年販売部門担当の会社としてカプコン設立。1990年時点で営業人員は売上高比で非常に少なく、サンプルを出して受注分を販売する。1989年販売と開発の一体化による経営の合理化を目的に旧カプコンを吸収合併
- [22]1983年販売部門担当の会社としてカプコン設立。1990年時点で営業人員は売上高比で非常に少なく、サンプルを出して受注分を販売する。1989年販売と開発の一体化による経営の合理化を目的に旧カプコンを吸収合併
- [23]1983年販売部門担当の会社としてカプコン設立。1990年時点で営業人員は売上高比で非常に少なく、サンプルを出して受注分を販売する。1989年販売と開発の一体化による経営の合理化を目的に旧カプコンを吸収合併
- [24]1983年販売部門担当の会社としてカプコン設立。1990年時点で営業人員は売上高比で非常に少なく、サンプルを出して受注分を販売する。1989年販売と開発の一体化による経営の合理化を目的に旧カプコンを吸収合併
- [25]1983年(昭和58年)から業務用テレビゲーム機の製造・販売を開始。1990年時点の売上高構成比は業務用機器39.1%
- [30]1983年(昭和58年)から業務用テレビゲーム機の製造・販売を開始。1990年時点の売上高構成比は業務用機器39.1%
- [31]1985年(昭和60年)任天堂とファミリーコンピュータ用ソフトの販売契約を締結。1990年時点の売上高構成比はコンシューマ用機器59.2%
- [38]1985年(昭和60年)任天堂とファミリーコンピュータ用ソフトの販売契約を締結。1990年時点の売上高構成比はコンシューマ用機器59.2%
- 証券 52(12) 2000年 カプコンの項
- [21]上場時の実質設立日は1983年6月10日
- 日経ビジネス 1992年9月21日号
- [26]1979年の設立以来業務用ゲームメーカーとして地歩を固めた。業務用の反応でヒットをある程度予測できる。業務用はセガ・タイトー・カプコン・ナムコなど大手の寡占化。87年度売上高11億円・経常利益6100万円・売上高経常利益率5.3%
- [27]1979年の設立以来業務用ゲームメーカーとして地歩を固めた。業務用の反応でヒットをある程度予測できる。業務用はセガ・タイトー・カプコン・ナムコなど大手の寡占化。87年度売上高11億円・経常利益6100万円・売上高経常利益率5.3%
- [28]1979年の設立以来業務用ゲームメーカーとして地歩を固めた。業務用の反応でヒットをある程度予測できる。業務用はセガ・タイトー・カプコン・ナムコなど大手の寡占化。87年度売上高11億円・経常利益6100万円・売上高経常利益率5.3%
- [29]1979年の設立以来業務用ゲームメーカーとして地歩を固めた。業務用の反応でヒットをある程度予測できる。業務用はセガ・タイトー・カプコン・ナムコなど大手の寡占化。87年度売上高11億円・経常利益6100万円・売上高経常利益率5.3%
- [32]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
- [33]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
- [34]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
- [35]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
- [36]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
- [37]80年代半ばファミコンブームでゲーム人口が急増。ファミコンソフトは任天堂に生産委託・代金前払いで売れ残りリスクは開発メーカー負担。かつては100万本超も珍しくなかった。ライセンス契約のため利益率は業務用より低い。1992年時点でライセンス契約を結ぶファミコンソフト専門会社は120社ほど
1986年〜業務用ヒット作の家庭用への移植と、大記憶容量の業務用ハード
カプコンは、業務用のヒット作をファミコンソフトへ移植して販売した。業務用での反応を見てからファミコン用に出すため、新作を投入するリスクはファミコンソフト専門の会社より小さかった。1本の作品を業務用と家庭用の2つの市場で売る手法は、『一粒で二度おいしい』とも形容された。家庭用への転用は、同業他社から要請があった場合に販権の許諾契約で対応した。1988年にはウォルト・ディズニー社と製造販売権の許諾契約を結んだ。ただし16ビットの業務用作品は情報量が異なるため、8ビットのファミコンには移植しなかった。業務用で確かめた作品を家庭用で売り直す仕組みが、家庭用の前払いリスクを抑える差別化要因になったと推測される。
- 日経ビジネス 1992年9月21日号
- [39]業務用の反応でヒットを予測でき、ファミコンソフト専門会社より新作投入リスクが小さい。業務用のヒット作をファミコンソフトに移植。16ビットの業務用作品は情報量が異なる8ビットのファミコンには移植しなかった
- [40]業務用の反応でヒットを予測でき、ファミコンソフト専門会社より新作投入リスクが小さい。業務用のヒット作をファミコンソフトに移植。16ビットの業務用作品は情報量が異なる8ビットのファミコンには移植しなかった
- [41]業務用の反応でヒットを予測でき、ファミコンソフト専門会社より新作投入リスクが小さい。業務用のヒット作をファミコンソフトに移植。16ビットの業務用作品は情報量が異なる8ビットのファミコンには移植しなかった
- [44]業務用の反応でヒットを予測でき、ファミコンソフト専門会社より新作投入リスクが小さい。業務用のヒット作をファミコンソフトに移植。16ビットの業務用作品は情報量が異なる8ビットのファミコンには移植しなかった
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [42]業務用商品の家庭用への転用は同業他社の要請で販権許諾契約により対応。1988年(昭和63年)ウォルト・ディズニー社と製造販売権の許諾契約を締結
- [43]業務用商品の家庭用への転用は同業他社の要請で販権許諾契約により対応。1988年(昭和63年)ウォルト・ディズニー社と製造販売権の許諾契約を締結
カプコンは1988年、業務用の基板「CPシステム」を完成させた。1980年代半ばにゲーム人口が急増すると、ゲームの高度化に備えてハードの性能向上に着手した。当時主流のハードは記憶容量が5メガバイトで、1台で動かせるのは1つのゲームに限られた。社長の辻本憲三氏は『将来、さまざまなゲームにも対応できるものを作るために、100メガバイトのハードが不可欠だった』と振り返った。CPシステムは、セキュリティの保持と大容量化を目的としたカスタムICの仕組みだった。全ゲームに共通する部分をマザーボードに集め、2枚のボードを替えれば別のゲームに切り替えられた。カプコンはCPシステムを1993年まで5年間使った。共通基板への投資は、1990年代の業務用のヒット作を支える土台になったと評価できる。
- 日経ビジネス 1992年9月21日号
- [45]80年代半ばゲーム人口急増で高度化に備えハード性能向上に着手。当時のハードは5メガバイトで1ゲームのみ対応。着想から3年後の1988年にCPシステム誕生、マザーボード共通で2枚のボード交換で別ゲームに。87年度売上高11億円・経常利益6100万円
- [46]80年代半ばゲーム人口急増で高度化に備えハード性能向上に着手。当時のハードは5メガバイトで1ゲームのみ対応。着想から3年後の1988年にCPシステム誕生、マザーボード共通で2枚のボード交換で別ゲームに。87年度売上高11億円・経常利益6100万円
- [47]80年代半ばゲーム人口急増で高度化に備えハード性能向上に着手。当時のハードは5メガバイトで1ゲームのみ対応。着想から3年後の1988年にCPシステム誕生、マザーボード共通で2枚のボード交換で別ゲームに。87年度売上高11億円・経常利益6100万円
- [48]80年代半ばゲーム人口急増で高度化に備えハード性能向上に着手。当時のハードは5メガバイトで1ゲームのみ対応。着想から3年後の1988年にCPシステム誕生、マザーボード共通で2枚のボード交換で別ゲームに。87年度売上高11億円・経常利益6100万円
- [50]80年代半ばゲーム人口急増で高度化に備えハード性能向上に着手。当時のハードは5メガバイトで1ゲームのみ対応。着想から3年後の1988年にCPシステム誕生、マザーボード共通で2枚のボード交換で別ゲームに。87年度売上高11億円・経常利益6100万円
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [49]1988年、セキュリティ保持と大容量化を目的とした業務用集積回路カプコンカスタムICシステム(CPシステム)を完成
- 証券アナリストジャーナル 31(11) 1993年
- [51]CPシステムを発売して5年間利用し、1993年9月からCPSに切り替え
参考文献[39]-[51]
- 日経ビジネス 1992年9月21日号
- [39]業務用の反応でヒットを予測でき、ファミコンソフト専門会社より新作投入リスクが小さい。業務用のヒット作をファミコンソフトに移植。16ビットの業務用作品は情報量が異なる8ビットのファミコンには移植しなかった
- [40]業務用の反応でヒットを予測でき、ファミコンソフト専門会社より新作投入リスクが小さい。業務用のヒット作をファミコンソフトに移植。16ビットの業務用作品は情報量が異なる8ビットのファミコンには移植しなかった
- [41]業務用の反応でヒットを予測でき、ファミコンソフト専門会社より新作投入リスクが小さい。業務用のヒット作をファミコンソフトに移植。16ビットの業務用作品は情報量が異なる8ビットのファミコンには移植しなかった
- [44]業務用の反応でヒットを予測でき、ファミコンソフト専門会社より新作投入リスクが小さい。業務用のヒット作をファミコンソフトに移植。16ビットの業務用作品は情報量が異なる8ビットのファミコンには移植しなかった
- [45]80年代半ばゲーム人口急増で高度化に備えハード性能向上に着手。当時のハードは5メガバイトで1ゲームのみ対応。着想から3年後の1988年にCPシステム誕生、マザーボード共通で2枚のボード交換で別ゲームに。87年度売上高11億円・経常利益6100万円
- [46]80年代半ばゲーム人口急増で高度化に備えハード性能向上に着手。当時のハードは5メガバイトで1ゲームのみ対応。着想から3年後の1988年にCPシステム誕生、マザーボード共通で2枚のボード交換で別ゲームに。87年度売上高11億円・経常利益6100万円
- [47]80年代半ばゲーム人口急増で高度化に備えハード性能向上に着手。当時のハードは5メガバイトで1ゲームのみ対応。着想から3年後の1988年にCPシステム誕生、マザーボード共通で2枚のボード交換で別ゲームに。87年度売上高11億円・経常利益6100万円
- [48]80年代半ばゲーム人口急増で高度化に備えハード性能向上に着手。当時のハードは5メガバイトで1ゲームのみ対応。着想から3年後の1988年にCPシステム誕生、マザーボード共通で2枚のボード交換で別ゲームに。87年度売上高11億円・経常利益6100万円
- [50]80年代半ばゲーム人口急増で高度化に備えハード性能向上に着手。当時のハードは5メガバイトで1ゲームのみ対応。着想から3年後の1988年にCPシステム誕生、マザーボード共通で2枚のボード交換で別ゲームに。87年度売上高11億円・経常利益6100万円
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- [42]業務用商品の家庭用への転用は同業他社の要請で販権許諾契約により対応。1988年(昭和63年)ウォルト・ディズニー社と製造販売権の許諾契約を締結
- [43]業務用商品の家庭用への転用は同業他社の要請で販権許諾契約により対応。1988年(昭和63年)ウォルト・ディズニー社と製造販売権の許諾契約を締結
- [49]1988年、セキュリティ保持と大容量化を目的とした業務用集積回路カプコンカスタムICシステム(CPシステム)を完成
- 証券アナリストジャーナル 31(11) 1993年
- [51]CPシステムを発売して5年間利用し、1993年9月からCPSに切り替え
出典・参考
5件
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年(辻本憲三)
- 日経ビジネス 1992年9月21日号
- 証券アナリストジャーナル 31(11) 1993年
- 日経ビジネス 1995年12月18日号
- 証券 52(12) 2000年 カプコンの項