1979年5月、創業者の辻本憲三氏は大阪府松原市に資本金1,000万円でアイ・アール・エム[1]株式会社を設立した。電子応用のゲーム機器の開発および販売を目的とした起業で、当初は他社製のアーケードゲーム機を仕入れて販売するルートセールスが事業の中心だった。1981年9月にサンビ株式会社に商号変更し本店を大阪府羽曳野市に移したのち[2]、1983年6月、販売部門を担う新会社として大阪市平野区に資本金1,000万円で(旧)株式会社カプコンを設立した。[3]『カプコン』はCAPsule COMputerの略で、遊びを詰め込んだカプセルとしてのゲームソフトと、海賊版や粗悪な模倣から中身を守る硬い外殻の意味を込めた商号である。創業から4年で社名と本店所在地を三度変えた経緯は、参入市場を電子応用機器の販売からテレビゲームの自社開発・販売へと探りながら絞り込んだ時期に対応する。
1983年7月、開発第1号機としてメダルゲーム『リトルリーグ』を製造・販売し[4]、自社開発のアーケードゲームに本格参入した。翌1984年5月から業務用テレビゲームの開発・販売を開始し[5]、1985年8月には米国にCAPCOM U.S.A.,INC.を設立して北米のアーケード市場への直接販売体制を整えた。[6]同年12月には家庭用ゲームソフトの開発・販売にも着手し[7]、任天堂ファミリーコンピュータ向けに『1942』を投入して家庭用へ参入した。翌1986年には『魔界村』『戦場の狼』などアーケードで生んだ自社タイトルをファミコンへ移植し、アーケードから家庭用ソフトへの展開を加速した。アーケード機器の売り切りビジネスから、ファミコン全盛期の家庭用市場で1タイトル当たり数十万本〜数百万本の販売を狙うビジネスへの軸足の移動が、創業から数年のうちに同時並行で進められた。
1989年1月、サンビ株式会社が(旧)株式会社カプコンを吸収合併して商号を株式会社カプコンに変更し、本店[8]を大阪市東区(現 大阪市中央区)に移転した。販社・開発会社・持株機能を1社に統合した体制で、家庭用ソフトメーカーとしての顔を前面に押し出す資本構成を整えた。1990年10月には株式を社団法人日本証券業協会の店頭銘柄として登録し[9]、株式市場からの調達ルートを確保した。1991年に発売したアーケード版『ストリートファイターII』は世界的ヒット作となり[10]、対戦格闘ゲームというジャンルそのものを業界に定着させた。同タイトルは1992年以降、家庭用ゲーム機への移植を通じてシリーズ全体で2,000万本を超える販売規模に到達し、カプコンの社名を世界のゲームソフトブランドとして認知させる起点となった。
1993年7月、香港にCAPCOM ASIA[11] CO.,LTD.を設立しアジア地域への販売・調達拠点を整えた。同年10月には株式を大阪証券取引所市場第二部に上場し、店頭登録から3[12]年で市場区分上の昇格を果たした。1995年6月にはCAPCOM ENTERTAINMENT,INC.およびCAPCOM DIGITAL STUDIOS,INC.を米国に設立し[13]、北米拠点を販社・開発の二本立てに拡張した。これらの海外拠点設置は単なる支店化ではなく、北米市場でアーケード機の現地販売、家庭用ソフトのローカライズ、そして米国スタジオでの現地開発という三層の機能を整える意図のもとに進められた。米国市場が家庭用ゲーム機の最大消費地となることをいち早く読み、現地体制を国内拠点に先んじて整えた点が、後年の海外売上比率の押し上げを支えた。
1994年5月には三重県上野市(現 伊賀市)に上野事業所が竣工し[14]、家庭用ソフトの製造・出荷を担う物流拠点を国内に確保した。同年7月には大阪市中央区内平野町に本社ビルが竣工し[15]、本店を移転した。創業期に小さく始まった事業基盤は、設立から15年で大阪・東京・北米・アジアにまたがる多国籍の開発・販売体制へ拡張した。1997年4月には脚本・シナリオ制作の専門子会社[16]として株式会社フラグシップを設立し、ゲーム開発の上流工程を分業する体制を整えた。1990年代前半のカプコンは、アーケードから家庭用ソフトへの軸足移動と海外販売網の構築を並行して進め、国内中心のアーケード事業者から世界市場向けに家庭用ソフトを供給するパブリッシャーへと事業の主力を移した時期にあたる。
創業者の辻本憲三氏は大阪を拠点に綿菓子製造機の移動販売や食品卸を手がけた起業家で、1979年のIRM設立以前から大阪商人の商習慣の中で事業を起こしてきた経歴を持つ。家庭用ゲーム機への対応や海外拠点設置など多額の投資を伴う意思決定でも、自己資金と銀行借入の範囲を超えた拡大を避け、開発投資・設備投資のすべてを自前のキャッシュフローで賄う姿勢を一貫して保った。1990年代に海外スタジオを設立した際にも、買収[17]ではなく現地法人として一から立ち上げる選択を取り、現地パートナーへの過度な依存と買収プレミアム支払いを回避した。創業者の辻本憲三氏は後年のインタビューでこの姿勢を{q1}と語っている。
借入や買収に依存しないこの経営姿勢のもとで、同社は家庭用ソフト事業の急拡大局面でも、海外拠点の運転資金を本社のキャッシュフローで賄う運営を志向した。アーケード筐体の販売と家庭用ソフトの開発・販売を並行して進めた1980年代後半は、両事業の収益サイクルの長短が異なるため在庫と運転資金の管理が経営上の課題となったが、自社開発の家庭用ソフトに収益の重心が移った1990年代以降は、開発費を発売前に売上で回収する従来のパッケージビジネスから、長期にわたる継続販売で回収する構造への移行が始まった。1991年の『ストリートファイターII』、1993年の『ブレスオブファイア』、1996年の『バイオハザード』と続くシリーズタイトルの確立は、この時期に蓄積された開発体制と販売チャネルの上に成立した。
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|---|---|---|---|---|
| 1979〜1993年電子応用ゲーム機器の販社から家庭用ソフトメーカーへの転身 | アイ・アール・エムを設立 | ★★ | ||
| 日本カプセルコンピュータを設立 | ★ | |||
| サンビに商号を変更し本社を移転 | ★ | |||
| 辻本憲三 | 業務用テレビゲームの開発・販売を開始 | ★★ | ||
| 辻本憲三 | 家庭用ゲームソフトの開発・販売を開始 | ★★ | ||
| 辻本憲三 | カプコンに商号変更 | ★ | ||
| 辻本憲三 | 株式を社団法人日本証券業協会へ店頭銘柄として登録 | ★ | ||
| 辻本憲三 | CAPCOM ASIA CO.,LTD.を設立 | ★ | ||
| 1994〜2014年上場後の躍進と二度の構造改革を経て収益基盤を再構築 | 辻本憲三 | CAPCOM ENTERTAINMENT,INC.を設立 | ★ | |
| 辻本憲三 | フラグシップを設立 | ★ | ||
| 辻本憲三 | メキシコ子会社の清算と米国持株会社株式の評価減による最終赤字 メキシコの販売子会社カプコンメキシコの清算と、米国事業を統括する持株会社カプコンU.S.A.の株式評価減で223億円の特別損失を計上したカプコンが、1998年3月期決算で上場後初の最終赤字を自ら受け入れた財務再建の決断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 辻本憲三 | 株式を東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 辻本憲三 | CE EUROPE LTD.を設立 | ★ | ||
| 辻本憲三 | ダレットを設立 | ★ | ||
| 辻本春弘 | ケーツーを子会社化 | ★ | ||
| 辻本春弘 | エンターライズを子会社化 | ★ | ||
| 辻本春弘 | ビーライン・インタラクティブ・ジャパンを設立 | ★ | ||
| 辻本春弘 | 第二次構造改革——モバイル過大投資の反動とアミューズメント機器事業の見直し モバイル・ソーシャルゲームへの先行投資が裏目に出て純利益が前期比約55%減となったカプコンが、2012年3月期決算で『第二次構造改革』を表明し、アミューズメント機器事業の縮小とモバイル事業の選択と集中を進めた経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 辻本春弘 | CAPCOM TAIWAN CO.,LTD.を設立 | ★ | ||
| 2015〜2025年RE ENGINEとデジタル化が支えた12期連続営業増益 | 辻本春弘 | 内製エンジンRE ENGINEとデジタル・DLC販売への構造転換 第二次構造改革を経たカプコンが、2014年から自社開発エンジンRE ENGINEの開発に着手し、2017年の『バイオハザード7』、2018年の『モンスターハンター:ワールド』でパッケージ売り切りからデジタル・DLC中心の継続販売モデルへ収益構造を転換した経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | |
| 辻本春弘 | CAPCOM MEDIA VENTURES,INC.を設立 | ★ | ||
| 辻本春弘 | CAPCOM SINGAPORE PTE.LTD.を設立 | ★ | ||
| 辻本春弘 | CAPCOM PICTURES,INC.を設立 | ★ | ||
| 辻本春弘 | ソードケインズスタジオを子会社化 | ★ | ||
| 辻本春弘 | Minimum Studios Co., Ltd.の株式の66.7%を取得し子会社化 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(カプコン)