第1章 年〜年

人・夢・技術グループ:長大橋設計センタの設立と本州四国連絡橋公団からの第1号受注

1968年〜東京大学の吊橋研究グループから生まれた長大橋設計センターと、本州四国連絡橋公団からの第1号受注

1962年、本州四国連絡橋を想定した長大吊橋の研究を担う出向グループが、東京大学土木工学科の教授のもとに組まれた。造船会社や橋梁メーカーから派遣された約30名の若手技術者が、約6年にわたって耐震・耐風の対策や橋上の列車運行の課題を研究した。1967年に土木学会が本州と四国の連絡橋を技術的に可能とする報告を出し、グループは解散へ向かった。建設コンサルタントには人的・資本的な中立性が求められるため、中核の13人は全員が出身会社を退職。退職金から400万円を資本金に充て、1968年2月に橋梁設計を目的とする有限会社長大橋設計センタを東京都に設立した。研究の成果を実際の橋に生かすには、メーカーの社員ではなく中立の設計者として発注者に向き合う必要があったとみられる。

  • 証券 48(8)(569) 1996年 新規上場会社紹介
    • [1]1962年に東京大学土木工学科の教授の働きかけで橋梁・造船メーカーの若手技術者による出向グループが結成され、中核の有志が退職して1968年2月に有限会社長大橋設計センターを東京都に設立
    • [5]1962年に東京大学土木工学科の教授の働きかけで橋梁・造船メーカーの若手技術者による出向グループが結成され、中核の有志が退職して1968年2月に有限会社長大橋設計センターを東京都に設立
  • 証券アナリストジャーナル 32(6) 1994年5月
    • [2]約30名の派遣技術者が約6年間長大吊橋を研究し、1967年の土木学会報告を機に解散。中立性の要請から13人が全員退職し退職金のうち400万円を資本金とした
    • [3]約30名の派遣技術者が約6年間長大吊橋を研究し、1967年の土木学会報告を機に解散。中立性の要請から13人が全員退職し退職金のうち400万円を資本金とした
    • [4]約30名の派遣技術者が約6年間長大吊橋を研究し、1967年の土木学会報告を機に解散。中立性の要請から13人が全員退職し退職金のうち400万円を資本金とした

1968年11月、長大橋設計センターは有限会社から株式会社へ組織を改めた。営業活動と人材確保を強め、事業を一段と広げることが組織変更の目的である。発足当初の13人は技術者ばかりで事業の経験を持たず、苦しい時期を過ごした。官公庁から受注するには2年間の実績が要件であり、その実績の積み上げが当面の課題となった。有限会社のままでは、公団や官庁の資格審査に向けて営業と採用の人手を増やしにくかったと推察される。

  • 証券アナリストジャーナル 34(7) 1996年6月
    • [6]1968年2月に(有)長大橋設計センタとして設立、同年11月に(株)長大橋設計センターとなった
  • 証券 48(8)(569) 1996年 新規上場会社紹介
    • [7]1968年11月、営業活動・人材確保などの強化と事業展開を図るため株式会社へ組織変更
  • 証券アナリストジャーナル 32(6) 1994年5月
    • [8]13人は事業に不慣れで発足時は苦しく、役所からの受注要件となる2年間の実績を積み重ねた
    • [9]13人は事業に不慣れで発足時は苦しく、役所からの受注要件となる2年間の実績を積み重ねた

2年間の実績を積んだ会社は、1970年に発足した本州四国連絡橋公団の資格審査を通過した。同年10月に公団から受けた本四架橋の設計業務が、官公庁からの最初の受注である。最初の業務として、瀬戸大橋のルートと形式、景観との調和を含む全体計画をまとめた。以後、設立以来の吊橋の技術を基に、国内の主な吊橋の多くで設計業務を担った。連絡橋の誘致合戦と列島改造論を追い風に、売上は年率40%の伸びを続けた。公団からの最初の受注が、その後の長大吊橋の設計実績を積み上げる起点になったと考えられる。

  • 証券アナリストジャーナル 32(6) 1994年5月
    • [10]1970年発足の本州四国連絡橋公団の資格審査に合格し、最初の仕事は瀬戸大橋のルート・形式・景観の全体計画。以後年率40%の伸び
    • [12]1970年発足の本州四国連絡橋公団の資格審査に合格し、最初の仕事は瀬戸大橋のルート・形式・景観の全体計画。以後年率40%の伸び
    • [14]1970年発足の本州四国連絡橋公団の資格審査に合格し、最初の仕事は瀬戸大橋のルート・形式・景観の全体計画。以後年率40%の伸び
  • 証券 48(8)(569) 1996年 新規上場会社紹介
    • [11]1970年10月の本州四国連絡橋公団からの本四架橋の設計業務を皮切りに、国内の主要な吊橋の多くの設計業務を担当
    • [13]1970年10月の本州四国連絡橋公団からの本四架橋の設計業務を皮切りに、国内の主要な吊橋の多くの設計業務を担当
参考文献[1]-[14]
  • 証券 48(8)(569) 1996年 新規上場会社紹介
    • [1]1962年に東京大学土木工学科の教授の働きかけで橋梁・造船メーカーの若手技術者による出向グループが結成され、中核の有志が退職して1968年2月に有限会社長大橋設計センターを東京都に設立
    • [5]1962年に東京大学土木工学科の教授の働きかけで橋梁・造船メーカーの若手技術者による出向グループが結成され、中核の有志が退職して1968年2月に有限会社長大橋設計センターを東京都に設立
    • [7]1968年11月、営業活動・人材確保などの強化と事業展開を図るため株式会社へ組織変更
    • [11]1970年10月の本州四国連絡橋公団からの本四架橋の設計業務を皮切りに、国内の主要な吊橋の多くの設計業務を担当
    • [13]1970年10月の本州四国連絡橋公団からの本四架橋の設計業務を皮切りに、国内の主要な吊橋の多くの設計業務を担当
  • 証券アナリストジャーナル 32(6) 1994年5月
    • [2]約30名の派遣技術者が約6年間長大吊橋を研究し、1967年の土木学会報告を機に解散。中立性の要請から13人が全員退職し退職金のうち400万円を資本金とした
    • [3]約30名の派遣技術者が約6年間長大吊橋を研究し、1967年の土木学会報告を機に解散。中立性の要請から13人が全員退職し退職金のうち400万円を資本金とした
    • [4]約30名の派遣技術者が約6年間長大吊橋を研究し、1967年の土木学会報告を機に解散。中立性の要請から13人が全員退職し退職金のうち400万円を資本金とした
    • [8]13人は事業に不慣れで発足時は苦しく、役所からの受注要件となる2年間の実績を積み重ねた
    • [9]13人は事業に不慣れで発足時は苦しく、役所からの受注要件となる2年間の実績を積み重ねた
    • [10]1970年発足の本州四国連絡橋公団の資格審査に合格し、最初の仕事は瀬戸大橋のルート・形式・景観の全体計画。以後年率40%の伸び
    • [12]1970年発足の本州四国連絡橋公団の資格審査に合格し、最初の仕事は瀬戸大橋のルート・形式・景観の全体計画。以後年率40%の伸び
    • [14]1970年発足の本州四国連絡橋公団の資格審査に合格し、最初の仕事は瀬戸大橋のルート・形式・景観の全体計画。以後年率40%の伸び
  • 証券アナリストジャーナル 34(7) 1996年6月
    • [6]1968年2月に(有)長大橋設計センタとして設立、同年11月に(株)長大橋設計センターとなった

1971年〜松戸地区騒音調査で入った環境分野と、ハイウエイラジオ実験へ広げた道路の仕事

1971年10月、長大橋設計センターは建設省から「松戸地区騒音調査業務」を受注し、道路関連の環境調査に参入した。昭和40年代は、高度成長の陰で騒音と大気汚染の公害が顕在化した時期にあたる。1996年6月の事業説明でも、自然環境や生活環境にかかわる環境質の調査・予測・評価は道路分野の業務に置かれた。公害が社会問題となるなかで建設省が道路の環境影響を測る外部の担い手を求め、橋以外の受注を探す会社と需要がかみ合ったのだろう。

  • 証券 48(8)(569) 1996年 新規上場会社紹介
    • [15]昭和40年代に公害問題が顕在化するなか、1971年10月に建設省から「松戸地区騒音調査業務」を受注し道路関連の環境調査分野へ進出
    • [16]昭和40年代に公害問題が顕在化するなか、1971年10月に建設省から「松戸地区騒音調査業務」を受注し道路関連の環境調査分野へ進出
  • 証券アナリストジャーナル 34(7) 1996年6月
    • [17]1996年時点で環境質の調査・予測・評価は建設コンサルタント事業の道路分野に含まれる

1973年10月、会社は建設省から「交通量解析業務」を受注し、交通計画の分野に参入した。同じ年に石油ショックが起こり、総需要抑制策によって大型の事業が凍結された。約80名の全社員が4泊5日の合宿を千葉県小湊で開き、「四つの創造」と名づけた基本戦略をまとめた。技術創造は吊橋以外への研究開発の拡大、市場創造は瀬戸内に偏った顧客層の全国・海外への拡大を目標とした。抑制策の解除も重なって事業は回復し、橋中心の会社は道路・交通や環境、都市計画、河川、下水、情報、海外へと業域を広げた。海外と情報への進出は、受注が大型橋梁に偏る危うさを経験した会社が市場と技術の幅を広げた結果と思われる。

  • 証券 48(8)(569) 1996年 新規上場会社紹介
    • [18]1973年10月に建設省から「交通量解析業務」を受注
  • 証券アナリストジャーナル 32(6) 1994年5月
    • [19]石油ショックで大型プロジェクトが凍結され、約80名が小湊で4泊5日の合宿を行い「四つの創造」(技術・市場・利益・人間)を策定。抑制策解除で事業は回復し道路・交通、環境、都市計画、下水、河川、情報、海外へ総合化
    • [20]石油ショックで大型プロジェクトが凍結され、約80名が小湊で4泊5日の合宿を行い「四つの創造」(技術・市場・利益・人間)を策定。抑制策解除で事業は回復し道路・交通、環境、都市計画、下水、河川、情報、海外へ総合化
    • [21]石油ショックで大型プロジェクトが凍結され、約80名が小湊で4泊5日の合宿を行い「四つの創造」(技術・市場・利益・人間)を策定。抑制策解除で事業は回復し道路・交通、環境、都市計画、下水、河川、情報、海外へ総合化
    • [22]石油ショックで大型プロジェクトが凍結され、約80名が小湊で4泊5日の合宿を行い「四つの創造」(技術・市場・利益・人間)を策定。抑制策解除で事業は回復し道路・交通、環境、都市計画、下水、河川、情報、海外へ総合化

1982年2月、会社は日本道路公団から「ハイウエイラジオ放送システム(HAIR)」の実用化実験を受注した。首都高速の電光掲示板や周波数1620キロヘルツの道路情報放送を含む道路情報システムで、会社は早い時期から実績を積んだ。昭和50年代以降は河川や下水道、都市計画へも進出し、総合建設コンサルタントとして事業を確立。情報サービスの分野も広げ、建設系に特化した事業構成を組み上げた。1996年6月の時点で、事業は建設コンサルタントと情報サービスの2本を収益源とし、構造分野では業界首位を占めた。橋の設計から道路情報と情報処理へ重ねた業域の広がりが、橋の名を外した商号への変更の背景になったと推測される。

  • 証券 48(8)(569) 1996年 新規上場会社紹介
    • [23]1982年2月に日本道路公団から「ハイウエイラジオ放送システム(HAIR)」の実用化実験を受注。昭和50年代以降、都市計画・河川・下水道へ進出し総合建設コンサルタントとして事業を確立、情報サービス分野へも展開
    • [25]1982年2月に日本道路公団から「ハイウエイラジオ放送システム(HAIR)」の実用化実験を受注。昭和50年代以降、都市計画・河川・下水道へ進出し総合建設コンサルタントとして事業を確立、情報サービス分野へも展開
    • [26]1982年2月に日本道路公団から「ハイウエイラジオ放送システム(HAIR)」の実用化実験を受注。昭和50年代以降、都市計画・河川・下水道へ進出し総合建設コンサルタントとして事業を確立、情報サービス分野へも展開
  • 証券アナリストジャーナル 32(6) 1994年5月
    • [24]首都高速の電光掲示板や1620kHzのハイウエイ情報などの道路情報システムで早くから実績
  • 証券アナリストジャーナル 34(7) 1996年6月
    • [27]1996年時点の事業の柱は建設コンサルタントと情報サービスで、構造分野は業界トップ
参考文献[15]-[27]
  • 証券 48(8)(569) 1996年 新規上場会社紹介
    • [15]昭和40年代に公害問題が顕在化するなか、1971年10月に建設省から「松戸地区騒音調査業務」を受注し道路関連の環境調査分野へ進出
    • [16]昭和40年代に公害問題が顕在化するなか、1971年10月に建設省から「松戸地区騒音調査業務」を受注し道路関連の環境調査分野へ進出
    • [18]1973年10月に建設省から「交通量解析業務」を受注
    • [23]1982年2月に日本道路公団から「ハイウエイラジオ放送システム(HAIR)」の実用化実験を受注。昭和50年代以降、都市計画・河川・下水道へ進出し総合建設コンサルタントとして事業を確立、情報サービス分野へも展開
    • [25]1982年2月に日本道路公団から「ハイウエイラジオ放送システム(HAIR)」の実用化実験を受注。昭和50年代以降、都市計画・河川・下水道へ進出し総合建設コンサルタントとして事業を確立、情報サービス分野へも展開
    • [26]1982年2月に日本道路公団から「ハイウエイラジオ放送システム(HAIR)」の実用化実験を受注。昭和50年代以降、都市計画・河川・下水道へ進出し総合建設コンサルタントとして事業を確立、情報サービス分野へも展開
  • 証券アナリストジャーナル 34(7) 1996年6月
    • [17]1996年時点で環境質の調査・予測・評価は建設コンサルタント事業の道路分野に含まれる
    • [27]1996年時点の事業の柱は建設コンサルタントと情報サービスで、構造分野は業界トップ
  • 証券アナリストジャーナル 32(6) 1994年5月
    • [19]石油ショックで大型プロジェクトが凍結され、約80名が小湊で4泊5日の合宿を行い「四つの創造」(技術・市場・利益・人間)を策定。抑制策解除で事業は回復し道路・交通、環境、都市計画、下水、河川、情報、海外へ総合化
    • [20]石油ショックで大型プロジェクトが凍結され、約80名が小湊で4泊5日の合宿を行い「四つの創造」(技術・市場・利益・人間)を策定。抑制策解除で事業は回復し道路・交通、環境、都市計画、下水、河川、情報、海外へ総合化
    • [21]石油ショックで大型プロジェクトが凍結され、約80名が小湊で4泊5日の合宿を行い「四つの創造」(技術・市場・利益・人間)を策定。抑制策解除で事業は回復し道路・交通、環境、都市計画、下水、河川、情報、海外へ総合化
    • [22]石油ショックで大型プロジェクトが凍結され、約80名が小湊で4泊5日の合宿を行い「四つの創造」(技術・市場・利益・人間)を策定。抑制策解除で事業は回復し道路・交通、環境、都市計画、下水、河川、情報、海外へ総合化
    • [24]首都高速の電光掲示板や1620kHzのハイウエイ情報などの道路情報システムで早くから実績

出典・参考

3件
出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 32(6) 1994年5月
  • 証券アナリストジャーナル 34(7) 1996年6月
  • 証券 48(8)(569) 1996年 新規上場会社紹介

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