黒岩恒雄

ニッコンホールディングス・元創業・代表取締役社長

Kuroiwa Tsuneo(敬称略)

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社長就任 1953年8月
生年月日 —
学歴 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1922年12月に茨城県猿島郡新郷村で生まれ、1940年3月に学校を出たあと満州の国際運輸へ入社した。1943年12月に現役兵として現地の関東軍に入隊し、中国戦線を転戦して1946年4月に復員した。1948年7月、東京都港区新橋に本社のあった日本運搬社の築地荷扱所へ入り、飛び込みで開拓した取引先の一つが1950年3月開設の本田技研工業東京営業所だった。1トン近い金庫の移設を請け負って信用を得たのち、ホンダ東京工場で生産される二輪車の梱包と駅出し作業の現場指揮を任された。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1953年6月、自分の力とやり方で運送業をやるとして日本運搬社を離れる決意をした。退職の噂が社内に広がると、黒岩氏を中心とした団結で能力以上の作業量を消化してきた従業員が動揺し、日本運搬社はホンダの梱包・駅出し業務を従来どおりの方法で維持することが難しくなった。そこで同社はホンダ関連の業務部門と従業員をそのまま引き継いではどうかと持ちかけ、ホンダの了承も得たうえで新会社の設立が決まった。1953年8月27日、中央区築地の自宅で設立総会を開き、資本金100万円・従業員48名の代表取締役となった。

在任中の主な施策
施策

1956年に二段積載車両を開発し、木材価格の高騰していた梱包輸送から裸輸送へ切り替えた。1957年には日野のバス用シャーシーを改造した全長9.6メートルの二段車を仕立て、二輪車28台を積んで貨車便から長距離トラック輸送へ業務を移した。地方では事業免許が下りなかったため、1959年に名古屋の熱田急配と四日市の豊田貨物自動車運送を買収して中京圏に入った。1961年に株式を東京店頭へ登録して公開し、1964年には倉庫営業の許可を受けた。1982年に三段積載フルトレーラーを開発した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1953〜1989年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件

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