第1章 年〜年

日本証券金融:東株代行の設立と証券金融業務の開始

1927年〜沼間敏朗氏の下で資本金1千万円で立った東株代行と、短期取引の繰延料で伸びた業績

東株代行は1927年7月8日の創立総会を経て、公称資本金1千万円・払込資本金250万円で発足した。東京株式取引所の短期取引は1924年6月に始まった売買仕法で、約定日から1カ月まで決済を繰り延べられた。そのため日々の受渡株数に過不足が出て、過剰株の代金の立替えと不足株の品貸しを担う代行機関が要った。その役目を担った中央証券は、1927年3月に資産内容の悪化で業務の継続が難しくなった。短期取引員組合委員長の沼間敏朗氏と小布施新三郎氏ら取引員が発起人となり、社長には沼間敏朗氏が就任。総株数20万株のうち取引所が4万株、短期取引員組合が2万株を引き受けた。東株代行は短期清算取引の受渡調節を本業として営業を始めた。

  • 日本証券金融株式会社10年史(1962)
    • [1]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [2]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [3]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [4]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [5]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [7]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
  • 会社銀行八十年史(1955)「日本証券金融」
    • [6]1927年7月東株代行(社長沼間敏朗、資本金1千万円)として設立、短期清算取引の代引・代渡が目的
  • 日本証券金融 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1927年7月東株代行株式会社として設立、東京株式取引所の短期清算取引の受渡調節業務を開始

東株代行の収入は、受渡しの繰延べに伴う繰延料と、取引所から受ける代行料と、名義書換の代行手数料である。繰延料は毎日の前場大引け値段をもとに、コール・レートと受渡過不足株数を考慮した料率を基準に入札で決まった。短期取引の対象は当初2銘柄にとどまったものの、1939年5月には28銘柄に増えた。低い証拠金率も加わって投機に使いやすい仕法となり、短期取引は取引所取引の中心に育った。短期上場銘柄の増加とともに、東株代行の業容も拡大した。配当率は1928年下期から1931年下期まで10%、1932年下期から1938年上期まで12%を続けた。市場金利に連動する繰延料という収益の仕組みは、後年の証券金融の原型になったとみられる。

  • 日本証券金融株式会社10年史(1962)
    • [9]収入は繰延料・代行料(受渡調節料)・名義書換代行手数料。繰延料はコール・レート等を考慮した料率を基準に入札で決定。対象銘柄は当初2、1939年5月最高28。配当率は1928下〜1931下10%、1932下〜1938上12%
    • [10]収入は繰延料・代行料(受渡調節料)・名義書換代行手数料。繰延料はコール・レート等を考慮した料率を基準に入札で決定。対象銘柄は当初2、1939年5月最高28。配当率は1928下〜1931下10%、1932下〜1938上12%
    • [11]収入は繰延料・代行料(受渡調節料)・名義書換代行手数料。繰延料はコール・レート等を考慮した料率を基準に入札で決定。対象銘柄は当初2、1939年5月最高28。配当率は1928下〜1931下10%、1932下〜1938上12%
    • [12]収入は繰延料・代行料(受渡調節料)・名義書換代行手数料。繰延料はコール・レート等を考慮した料率を基準に入札で決定。対象銘柄は当初2、1939年5月最高28。配当率は1928下〜1931下10%、1932下〜1938上12%
    • [14]収入は繰延料・代行料(受渡調節料)・名義書換代行手数料。繰延料はコール・レート等を考慮した料率を基準に入札で決定。対象銘柄は当初2、1939年5月最高28。配当率は1928下〜1931下10%、1932下〜1938上12%
  • 会社銀行八十年史(1955)「日本証券金融」
    • [13]短期上場銘柄の増加と相まって順調に発展

取引員が出資した東株代行は、取引員の負担する代行料を段階的に下げ、1938年8月に全廃した。代行料は営業経費を取引員が共同で負担する趣旨の料金で、1株あたり4厘を売買双方から受けていた。料率は業績の伸びに合わせて、1934年5月に3厘、1937年4月に2厘。繰延料の料率には銀行4行からの借入利息と借株料が織り込まれ、経費は繰延料の収入で賄えた。東株代行は短期取引員組合の規約に基づき、組合委員会の決議で特定取引員とされた会社である。社長は沼間敏朗氏の後、遠山元一氏、山中清兵衛氏が継いだ。取引員の共同機関として、増えた利益を代行料の引下げで取引員へ還元したと推察される。

  • 日本証券金融株式会社10年史(1962)
    • [15]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
    • [16]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
    • [17]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
    • [18]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
    • [19]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
    • [21]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
  • 会社銀行八十年史(1955)「日本証券金融」
    • [20]短期取引員組合から特定取引員に選定されて業務を開始
参考文献[1]-[21]
  • 日本証券金融株式会社10年史(1962)
    • [1]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [2]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [3]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [4]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [5]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [7]1927年3月中央証券が資産悪化で代行業務継続不能、沼間敏朗短期取引員組合委員長ら7名が発起、7月8日創立総会・公称1千万円払込250万円、社長沼間敏朗、20万株中取引所4万株・組合2万株
    • [9]収入は繰延料・代行料(受渡調節料)・名義書換代行手数料。繰延料はコール・レート等を考慮した料率を基準に入札で決定。対象銘柄は当初2、1939年5月最高28。配当率は1928下〜1931下10%、1932下〜1938上12%
    • [10]収入は繰延料・代行料(受渡調節料)・名義書換代行手数料。繰延料はコール・レート等を考慮した料率を基準に入札で決定。対象銘柄は当初2、1939年5月最高28。配当率は1928下〜1931下10%、1932下〜1938上12%
    • [11]収入は繰延料・代行料(受渡調節料)・名義書換代行手数料。繰延料はコール・レート等を考慮した料率を基準に入札で決定。対象銘柄は当初2、1939年5月最高28。配当率は1928下〜1931下10%、1932下〜1938上12%
    • [12]収入は繰延料・代行料(受渡調節料)・名義書換代行手数料。繰延料はコール・レート等を考慮した料率を基準に入札で決定。対象銘柄は当初2、1939年5月最高28。配当率は1928下〜1931下10%、1932下〜1938上12%
    • [14]収入は繰延料・代行料(受渡調節料)・名義書換代行手数料。繰延料はコール・レート等を考慮した料率を基準に入札で決定。対象銘柄は当初2、1939年5月最高28。配当率は1928下〜1931下10%、1932下〜1938上12%
    • [15]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
    • [16]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
    • [17]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
    • [18]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
    • [19]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
    • [21]代行料は取引員共同負担の趣旨で1株4厘、1934年5月3厘、1937年4月2厘、1938年8月全廃。資金は住友・第三・野村・七十七の4行から借入、利息・借株料は繰延料に織り込み。組合委員会決議で特定取引員。代表者の変遷表:沼間敏朗の後に遠山元一、山中清兵衛が取締役社長
  • 会社銀行八十年史(1955)「日本証券金融」
    • [6]1927年7月東株代行(社長沼間敏朗、資本金1千万円)として設立、短期清算取引の代引・代渡が目的
    • [13]短期上場銘柄の増加と相まって順調に発展
    • [20]短期取引員組合から特定取引員に選定されて業務を開始
  • 日本証券金融 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1927年7月東株代行株式会社として設立、東京株式取引所の短期清算取引の受渡調節業務を開始

1943年〜短期取引の廃止で東京証券へ改めた代行会社と、取引所再開に備えた証券担保金融への転換

1943年3月に日本証券取引所法が成立し、各地の取引所は6月30日設立の日本証券取引所に統合された。戦時の市場改革の一環で、短期取引は1943年8月31日限りで全市場で廃止となった。東株代行は8月25日の臨時株主総会で商号を東京証券株式会社に改め、代行業務を廃止した。新たな営業目的は、上場株式の名義書換の代行と、代行中の株式を担保とする金融と、地方取引員の長期取引の受託と、端株売買である。東京証券は9月1日に大蔵大臣から東京市場の第1種取引員の免許を受け、同日に営業を始めた。受渡調節の場を失った後も、名義書換と株式担保金融で取引員との取引を保ったと思われる。

  • 日本証券金融株式会社10年史(1962)
    • [22]1943年3月日証法成立、6月30日日本証券取引所設立。短期取引は8月31日限り全市場で廃止。8月25日臨時株主総会で東京証券に商号変更・代行業務廃止、名義書換代行・担保金融・長期取引受託・端株売買へ。9月1日第1種取引員免許、同日業務開始
    • [23]1943年3月日証法成立、6月30日日本証券取引所設立。短期取引は8月31日限り全市場で廃止。8月25日臨時株主総会で東京証券に商号変更・代行業務廃止、名義書換代行・担保金融・長期取引受託・端株売買へ。9月1日第1種取引員免許、同日業務開始
    • [24]1943年3月日証法成立、6月30日日本証券取引所設立。短期取引は8月31日限り全市場で廃止。8月25日臨時株主総会で東京証券に商号変更・代行業務廃止、名義書換代行・担保金融・長期取引受託・端株売買へ。9月1日第1種取引員免許、同日業務開始
    • [26]1943年3月日証法成立、6月30日日本証券取引所設立。短期取引は8月31日限り全市場で廃止。8月25日臨時株主総会で東京証券に商号変更・代行業務廃止、名義書換代行・担保金融・長期取引受託・端株売買へ。9月1日第1種取引員免許、同日業務開始
    • [27]1943年3月日証法成立、6月30日日本証券取引所設立。短期取引は8月31日限り全市場で廃止。8月25日臨時株主総会で東京証券に商号変更・代行業務廃止、名義書換代行・担保金融・長期取引受託・端株売買へ。9月1日第1種取引員免許、同日業務開始
  • 日本証券金融株式会社30年史(1980)
    • [25]1943年8月短期清算取引廃止に伴い東京証券株式会社に改称、日本証券取引所の第一種取引員に
  • 日本証券金融 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1943年9月商号を東京証券株式会社と改め日本証券取引所の第一種取引員となる

1945年8月10日に日本証券取引所の立会いが閉鎖されると、東京証券の業務も大半が止まった。1946年5月13日からは店頭で生まれた集団取引の受渡事務を担い、取引所の再開まで約3年間その中心にあった。取引所の再開に備え、1949年2月24日の臨時株主総会は「資金の貸借とその媒介」を主たる業務とすると決めた。東京証券は5月14日限りで証券業を廃止し、東証会員を対象とする証券担保金融を始めた。貸付は主に受渡資金で、多くは7〜14日で回収され、4月から11月までの新規貸付高は868,146千円であった。当時の社長は1948年1月に就任した木下茂氏。戦前に繰延べで信用を供与した経験が、取引所の再開後に証券金融を選ぶ下地になったのだろう。

  • 日本証券金融株式会社30年史(1980)
    • [29]1945年8月10日立会い閉鎖で業務の大半休止。1949年2月24日「資金の貸借とその媒介」を主要業務とし受渡資金の信用供与機関として再発足を決定
    • [32]1945年8月10日立会い閉鎖で業務の大半休止。1949年2月24日「資金の貸借とその媒介」を主要業務とし受渡資金の信用供与機関として再発足を決定
  • 日本証券金融株式会社10年史(1962)
    • [30]1946年5月13日から集団売買の受渡事務を担当(1949年5月まで3年間)。1949年2月24日臨時株主総会で「資金の貸借とその媒介」を主業務に決定、5月14日限り証券業廃止、東証会員向け証券担保金融。貸付期間通常7〜14日、4〜11月新規貸付高868,146千円
    • [31]1946年5月13日から集団売買の受渡事務を担当(1949年5月まで3年間)。1949年2月24日臨時株主総会で「資金の貸借とその媒介」を主業務に決定、5月14日限り証券業廃止、東証会員向け証券担保金融。貸付期間通常7〜14日、4〜11月新規貸付高868,146千円
    • [33]1946年5月13日から集団売買の受渡事務を担当(1949年5月まで3年間)。1949年2月24日臨時株主総会で「資金の貸借とその媒介」を主業務に決定、5月14日限り証券業廃止、東証会員向け証券担保金融。貸付期間通常7〜14日、4〜11月新規貸付高868,146千円
    • [35]1946年5月13日から集団売買の受渡事務を担当(1949年5月まで3年間)。1949年2月24日臨時株主総会で「資金の貸借とその媒介」を主業務に決定、5月14日限り証券業廃止、東証会員向け証券担保金融。貸付期間通常7〜14日、4〜11月新規貸付高868,146千円
  • 日本証券金融 有価証券報告書【沿革】
    • [34]1949年5月取引所売買の再開に伴い証券金融業務を開始
  • 会社銀行八十年史(1955)「日本証券金融」
    • [36]社長木下茂(1948年1月就任)

東京証券の証券金融は東証会員向けの短期の受渡資金貸付に限られ、貸付先も資金の使途も狭かった。取引所の再開後、株価は1949年9月1日の176.89を高値に崩れ、12月14日には98.50まで下げた。ドッジ・ラインで証券業界の資金繰りは悪化し、信用取引の開始に備える金融機関の拡充も求められた。12月5日の取締役会は、資本金を2億円に増やし、商号を日本証券金融株式会社に改める方針を決めた。12月20日の臨時株主総会で商号の変更が承認された。1950年2月8日に資本金は2億5,000万円となり、木下茂氏が会長、日本銀行理事出身の白根清香氏が社長に就任した。受渡資金の貸付だけでは崩落する市場を支えきれず、専門機関への改組が避けられなかったと考えられる。

  • 日本証券金融株式会社10年史(1962)
    • [37]東京証券の証券金融は会員向け受渡資金の短期貸付で対象・使途とも限定。1949年12月5日取締役会で資本金2億円への増資と日本証券金融への改称方針、12月20日臨時株主総会で承認
    • [40]東京証券の証券金融は会員向け受渡資金の短期貸付で対象・使途とも限定。1949年12月5日取締役会で資本金2億円への増資と日本証券金融への改称方針、12月20日臨時株主総会で承認
    • [41]東京証券の証券金融は会員向け受渡資金の短期貸付で対象・使途とも限定。1949年12月5日取締役会で資本金2億円への増資と日本証券金融への改称方針、12月20日臨時株主総会で承認
  • 日本証券金融株式会社30年史(1980)
    • [38]旧東証株価平均は1949年9月1日176.89、12月14日98.50。12月20日臨時株主総会で日本証券金融に改称、1950年2月8日資本金2億5,000万円、会長木下茂・社長白根清香(前日本銀行理事)
    • [42]旧東証株価平均は1949年9月1日176.89、12月14日98.50。12月20日臨時株主総会で日本証券金融に改称、1950年2月8日資本金2億5,000万円、会長木下茂・社長白根清香(前日本銀行理事)
    • [43]旧東証株価平均は1949年9月1日176.89、12月14日98.50。12月20日臨時株主総会で日本証券金融に改称、1950年2月8日資本金2億5,000万円、会長木下茂・社長白根清香(前日本銀行理事)
  • 会社銀行八十年史(1955)「日本証券金融」
    • [39]ドッジ・ラインで株価低落・証券界の金融逼迫、信用取引開始に備え金融助成機関として業務拡大が要望され改称
  • 日本証券金融 有価証券報告書【沿革】
    • [44]1950年2月経営陣を一新し株式担保金融を主要業務として開始
参考文献[22]-[44]
  • 日本証券金融株式会社10年史(1962)
    • [22]1943年3月日証法成立、6月30日日本証券取引所設立。短期取引は8月31日限り全市場で廃止。8月25日臨時株主総会で東京証券に商号変更・代行業務廃止、名義書換代行・担保金融・長期取引受託・端株売買へ。9月1日第1種取引員免許、同日業務開始
    • [23]1943年3月日証法成立、6月30日日本証券取引所設立。短期取引は8月31日限り全市場で廃止。8月25日臨時株主総会で東京証券に商号変更・代行業務廃止、名義書換代行・担保金融・長期取引受託・端株売買へ。9月1日第1種取引員免許、同日業務開始
    • [24]1943年3月日証法成立、6月30日日本証券取引所設立。短期取引は8月31日限り全市場で廃止。8月25日臨時株主総会で東京証券に商号変更・代行業務廃止、名義書換代行・担保金融・長期取引受託・端株売買へ。9月1日第1種取引員免許、同日業務開始
    • [26]1943年3月日証法成立、6月30日日本証券取引所設立。短期取引は8月31日限り全市場で廃止。8月25日臨時株主総会で東京証券に商号変更・代行業務廃止、名義書換代行・担保金融・長期取引受託・端株売買へ。9月1日第1種取引員免許、同日業務開始
    • [27]1943年3月日証法成立、6月30日日本証券取引所設立。短期取引は8月31日限り全市場で廃止。8月25日臨時株主総会で東京証券に商号変更・代行業務廃止、名義書換代行・担保金融・長期取引受託・端株売買へ。9月1日第1種取引員免許、同日業務開始
    • [30]1946年5月13日から集団売買の受渡事務を担当(1949年5月まで3年間)。1949年2月24日臨時株主総会で「資金の貸借とその媒介」を主業務に決定、5月14日限り証券業廃止、東証会員向け証券担保金融。貸付期間通常7〜14日、4〜11月新規貸付高868,146千円
    • [31]1946年5月13日から集団売買の受渡事務を担当(1949年5月まで3年間)。1949年2月24日臨時株主総会で「資金の貸借とその媒介」を主業務に決定、5月14日限り証券業廃止、東証会員向け証券担保金融。貸付期間通常7〜14日、4〜11月新規貸付高868,146千円
    • [33]1946年5月13日から集団売買の受渡事務を担当(1949年5月まで3年間)。1949年2月24日臨時株主総会で「資金の貸借とその媒介」を主業務に決定、5月14日限り証券業廃止、東証会員向け証券担保金融。貸付期間通常7〜14日、4〜11月新規貸付高868,146千円
    • [35]1946年5月13日から集団売買の受渡事務を担当(1949年5月まで3年間)。1949年2月24日臨時株主総会で「資金の貸借とその媒介」を主業務に決定、5月14日限り証券業廃止、東証会員向け証券担保金融。貸付期間通常7〜14日、4〜11月新規貸付高868,146千円
    • [37]東京証券の証券金融は会員向け受渡資金の短期貸付で対象・使途とも限定。1949年12月5日取締役会で資本金2億円への増資と日本証券金融への改称方針、12月20日臨時株主総会で承認
    • [40]東京証券の証券金融は会員向け受渡資金の短期貸付で対象・使途とも限定。1949年12月5日取締役会で資本金2億円への増資と日本証券金融への改称方針、12月20日臨時株主総会で承認
    • [41]東京証券の証券金融は会員向け受渡資金の短期貸付で対象・使途とも限定。1949年12月5日取締役会で資本金2億円への増資と日本証券金融への改称方針、12月20日臨時株主総会で承認
  • 日本証券金融株式会社30年史(1980)
    • [25]1943年8月短期清算取引廃止に伴い東京証券株式会社に改称、日本証券取引所の第一種取引員に
    • [29]1945年8月10日立会い閉鎖で業務の大半休止。1949年2月24日「資金の貸借とその媒介」を主要業務とし受渡資金の信用供与機関として再発足を決定
    • [32]1945年8月10日立会い閉鎖で業務の大半休止。1949年2月24日「資金の貸借とその媒介」を主要業務とし受渡資金の信用供与機関として再発足を決定
    • [38]旧東証株価平均は1949年9月1日176.89、12月14日98.50。12月20日臨時株主総会で日本証券金融に改称、1950年2月8日資本金2億5,000万円、会長木下茂・社長白根清香(前日本銀行理事)
    • [42]旧東証株価平均は1949年9月1日176.89、12月14日98.50。12月20日臨時株主総会で日本証券金融に改称、1950年2月8日資本金2億5,000万円、会長木下茂・社長白根清香(前日本銀行理事)
    • [43]旧東証株価平均は1949年9月1日176.89、12月14日98.50。12月20日臨時株主総会で日本証券金融に改称、1950年2月8日資本金2億5,000万円、会長木下茂・社長白根清香(前日本銀行理事)
  • 日本証券金融 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1943年9月商号を東京証券株式会社と改め日本証券取引所の第一種取引員となる
    • [34]1949年5月取引所売買の再開に伴い証券金融業務を開始
    • [44]1950年2月経営陣を一新し株式担保金融を主要業務として開始
  • 会社銀行八十年史(1955)「日本証券金融」
    • [36]社長木下茂(1948年1月就任)
    • [39]ドッジ・ラインで株価低落・証券界の金融逼迫、信用取引開始に備え金融助成機関として業務拡大が要望され改称

出典・参考

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出典・参考
  • 日本証券金融 有価証券報告書【沿革】
  • 日本証券金融株式会社10年史(1962)
  • 日本証券金融株式会社30年史(1980)
  • 会社銀行八十年史(1955)「日本証券金融」

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