第1章 年〜年

パルコ:池袋ステーションビルの設立と東京丸物の百貨店業開始

1953年〜池袋駅東口ビルの運営会社として発足した池袋ステーションビルと、京都の丸物が持ち込んだ百貨店業

パルコの前身は、1953年2月に東京都豊島区で設立された池袋ステーションビル株式会社である。会社は池袋駅東口のビルを改装し、そのビルを運営することを目的に掲げた。有価証券報告書の沿革も、会社の起点を同じ1953年2月の南池袋での設立に置いた。創業時の事業は駅ビルの運営であり、自ら商品を仕入れて売場に並べる百貨店業はまだ目的に入っていなかった。16年後の1969年、会社は小売業を離れ、専門店を集めたファッションビルの開発と運営へ業態を移した。建物を運営するという創業時の目的は、業態転換の際に会社が立ち返る出発点になったと思われる。

  • 証券 1987年
    • [1]1953年2月、池袋駅東口ビルの改装・運営を目的に池袋ステーションビル株式会社を東京都豊島区で設立
    • [2]1953年2月、池袋駅東口ビルの改装・運営を目的に池袋ステーションビル株式会社を東京都豊島区で設立
    • [4]1953年2月、池袋駅東口ビルの改装・運営を目的に池袋ステーションビル株式会社を東京都豊島区で設立
  • パルコ 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1953年2月、東京都豊島区南池袋に池袋ステーションビル株式会社を設立
  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
    • [5]1969年(昭和44年)、小売業から専門店を集めたファッションビルの開発・運営業者へ転換

1954年10月、池袋ステーションビルは株式会社丸物の資本参加を受け、事業目的を駅ビルの運営から百貨店業に改めた。丸物は京都の百貨店であり、提携は設立の翌年にあたる。丸物は資本参加を通じて、会社の経営にも加わった。設立から1年8カ月で、会社は建物の運営者から自前の売場を持つ小売業者へ立場を変えた。ただし、百貨店として開業するまでには、そこからさらに3年余りを要した。京都の百貨店である丸物にとって、池袋の駅ビルは東京に売場を得る足掛かりだったと推察される。

  • パルコ 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1954年10月、丸物の資本参加を得て事業目的をステーションビル運営から百貨店業に変更
    • [9]1954年10月、丸物の資本参加を得て事業目的をステーションビル運営から百貨店業に変更
    • [10]1957年12月、店名「東京丸物」で百貨店業を開始
  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
    • [7]設立翌年に丸物(京都の百貨店)と提携
  • 証券 1987年
    • [8]1954年10月、丸物の経営参加を得て事業目的を百貨店業に変更
参考文献[1]-[10]
  • 証券 1987年
    • [1]1953年2月、池袋駅東口ビルの改装・運営を目的に池袋ステーションビル株式会社を東京都豊島区で設立
    • [2]1953年2月、池袋駅東口ビルの改装・運営を目的に池袋ステーションビル株式会社を東京都豊島区で設立
    • [4]1953年2月、池袋駅東口ビルの改装・運営を目的に池袋ステーションビル株式会社を東京都豊島区で設立
    • [8]1954年10月、丸物の経営参加を得て事業目的を百貨店業に変更
  • パルコ 有価証券報告書【沿革】
    • [3]1953年2月、東京都豊島区南池袋に池袋ステーションビル株式会社を設立
    • [6]1954年10月、丸物の資本参加を得て事業目的をステーションビル運営から百貨店業に変更
    • [9]1954年10月、丸物の資本参加を得て事業目的をステーションビル運営から百貨店業に変更
    • [10]1957年12月、店名「東京丸物」で百貨店業を開始
  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
    • [5]1969年(昭和44年)、小売業から専門店を集めたファッションビルの開発・運営業者へ転換
    • [7]設立翌年に丸物(京都の百貨店)と提携

1957年〜池袋駅東口に開いた東京丸物と、客をつかめなかった系列の売場

1957年5月、池袋ステーションビルは商号を株式会社東京丸物に改めた。同年12月、会社は池袋で「東京丸物」の店名を掲げ、百貨店の営業を始めた。有価証券報告書の沿革も、商号の変更と百貨店業の開始を同じ1957年の5月と12月に記した。事業目的を百貨店業に改めてから開業までの期間は、3年2カ月。百貨店としての出発は、この1957年に置かれる。社名と店名の双方に京都の丸物の名を冠したのは、系列の百貨店であることを池袋の客に示す狙いだった可能性がある。

  • 証券 1987年
    • [11]1957年5月に商号を東京丸物に変更し、同年12月から池袋で店名「東京丸物」の百貨店業を開始
    • [12]1957年5月に商号を東京丸物に変更し、同年12月から池袋で店名「東京丸物」の百貨店業を開始
  • パルコ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1954年10月に百貨店業へ目的変更、1957年5月に商号変更、同年12月に百貨店業開始
    • [14]1954年10月に百貨店業へ目的変更、1957年5月に商号変更、同年12月に百貨店業開始
  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
    • [15]昭和32年(1957年)から百貨店として出発

1957年12月に開業した東京丸物は、その後も営業不振から抜け出せなかった。店は池袋駅東口の駅ビルに置かれ、京都の丸物の系列の百貨店として営業した。東京丸物は不振を続けた末に、西武百貨店の傘下に入ることになる。後に再建を担った西武百貨店の増田通二氏は、小売業では商品・サービス・建物を改めても、客が店に悪い印象を持てば効果が出ないと指摘した。池袋で後から開業した系列店は、客に選ばれる理由を示せないまま、店の印象を損なっていったのだろう。

  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
    • [16]東京丸物は営業不振を続け西武百貨店に買収された。増田氏は小売業は商品・サービス・建物に分散し、改善しても客が店に悪いイメージを持てば立て直せないと述べた
    • [18]東京丸物は営業不振を続け西武百貨店に買収された。増田氏は小売業は商品・サービス・建物に分散し、改善しても客が店に悪いイメージを持てば立て直せないと述べた
    • [19]東京丸物は営業不振を続け西武百貨店に買収された。増田氏は小売業は商品・サービス・建物に分散し、改善しても客が店に悪いイメージを持てば立て直せないと述べた
  • 証券 1987年
    • [17]池袋駅東口ビルを母体に、丸物の経営参加を得て池袋で百貨店「東京丸物」を営業

1963年7月25日、東京丸物の株式は日本証券業協会大阪地区協会の店頭銘柄に登録された。有価証券報告書の沿革は、同じ出来事を同協会の「登録銘柄」への登録として記した。登録の場は東京ではなく、大阪の協会。1987年に上場を申請した時点でも、パルコの株式は取引所に上場しておらず、公開の場は大阪の店頭登録だけであった。東京証券取引所の市場第二部への上場は、店頭登録から23年半後の1987年1月にあたる。京都の丸物の系列にあったことが、関西の協会での登録に結び付いたと考えられる。

  • 証券 1987年
    • [20]1963年7月25日、日本証券業協会大阪地区協会で店頭登録。1987年の上場申請時点で既上場取引所なし
    • [22]1963年7月25日、日本証券業協会大阪地区協会で店頭登録。1987年の上場申請時点で既上場取引所なし
    • [23]1963年7月25日、日本証券業協会大阪地区協会で店頭登録。1987年の上場申請時点で既上場取引所なし
  • パルコ 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1963年7月、同協会大阪地区協会の「登録銘柄」に登録。1987年1月、東証市場第二部に上場
    • [24]1963年7月、同協会大阪地区協会の「登録銘柄」に登録。1987年1月、東証市場第二部に上場
参考文献[11]-[24]
  • 証券 1987年
    • [11]1957年5月に商号を東京丸物に変更し、同年12月から池袋で店名「東京丸物」の百貨店業を開始
    • [12]1957年5月に商号を東京丸物に変更し、同年12月から池袋で店名「東京丸物」の百貨店業を開始
    • [17]池袋駅東口ビルを母体に、丸物の経営参加を得て池袋で百貨店「東京丸物」を営業
    • [20]1963年7月25日、日本証券業協会大阪地区協会で店頭登録。1987年の上場申請時点で既上場取引所なし
    • [22]1963年7月25日、日本証券業協会大阪地区協会で店頭登録。1987年の上場申請時点で既上場取引所なし
    • [23]1963年7月25日、日本証券業協会大阪地区協会で店頭登録。1987年の上場申請時点で既上場取引所なし
  • パルコ 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1954年10月に百貨店業へ目的変更、1957年5月に商号変更、同年12月に百貨店業開始
    • [14]1954年10月に百貨店業へ目的変更、1957年5月に商号変更、同年12月に百貨店業開始
    • [21]1963年7月、同協会大阪地区協会の「登録銘柄」に登録。1987年1月、東証市場第二部に上場
    • [24]1963年7月、同協会大阪地区協会の「登録銘柄」に登録。1987年1月、東証市場第二部に上場
  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
    • [15]昭和32年(1957年)から百貨店として出発
    • [16]東京丸物は営業不振を続け西武百貨店に買収された。増田氏は小売業は商品・サービス・建物に分散し、改善しても客が店に悪いイメージを持てば立て直せないと述べた
    • [18]東京丸物は営業不振を続け西武百貨店に買収された。増田氏は小売業は商品・サービス・建物に分散し、改善しても客が店に悪いイメージを持てば立て直せないと述べた
    • [19]東京丸物は営業不振を続け西武百貨店に買収された。増田氏は小売業は商品・サービス・建物に分散し、改善しても客が店に悪いイメージを持てば立て直せないと述べた

1964年〜売場の拡張競争に後れ月々2億円の赤字を出した東京丸物と、西武グループの経営参加

東京丸物の経営は、昭和40年代に入った1960年代後半に悪化した。各百貨店が売場の面積を広げて競うなかで、東京丸物は規模で対抗する手を持たなかった。経営悪化の主な原因は、この拡張競争への対抗策を欠いた点にあった。後に再建を担った増田通二氏は、当時を『月々2億円の赤字を出してたこともあって、その時はもうダメかと思ったな』と振り返った。西武グループに入る前の東京丸物は、存続も危ぶまれる状態にあった。売場を広げる投資の余力を欠いたまま赤字が続き、拡張競争から一段と後れる循環に入ったとみられる。

  • 証券 1987年
    • [25]昭和40年代に入り、百貨店業界の売場面積拡張競争に効果的な対抗手段を取れず経営状態が悪化
    • [26]昭和40年代に入り、百貨店業界の売場面積拡張競争に効果的な対抗手段を取れず経営状態が悪化
    • [27]昭和40年代に入り、百貨店業界の売場面積拡張競争に効果的な対抗手段を取れず経営状態が悪化
  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
    • [28]増田氏は月々2億円の赤字を出していた時期があったと回想。同誌は当時の東京丸物を「死に体」と表現
    • [29]増田氏は月々2億円の赤字を出していた時期があったと回想。同誌は当時の東京丸物を「死に体」と表現

1968年2月、西武グループが東京丸物の経営に参加した。営業不振の続いた東京丸物は、西武百貨店に買収されて傘下に入った。京都の丸物を親会社として出発した池袋の百貨店は、こうして西武グループの一員になった。パルコは、西武セゾングループを率いた堤清二氏が手がけた再建の事例として、西武クレジット・吉野家と並べて挙げられる。不振に陥った企業を立て直して自らのグループに組み入れる点は、堤清二氏の経営の特徴とされた。東京丸物の再建は、堤清二氏の下で進んだ再建の1件に数えられた。

  • 証券 1987年
    • [30]1968年2月、西武グループが東京丸物の経営に参加
    • [32]1968年2月、西武グループが東京丸物の経営に参加
  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
    • [31]営業不振の東京丸物は西武百貨店に買収された
  • Decide 1987年 5(2)(40)
    • [33]堤清二が手がけた再建の事例としてパルコ・西武クレジット・吉野家を取り上げ、倒産企業も立て直して組織に組み入れる点を特徴とした
    • [34]堤清二が手がけた再建の事例としてパルコ・西武クレジット・吉野家を取り上げ、倒産企業も立て直して組織に組み入れる点を特徴とした
    • [35]堤清二が手がけた再建の事例としてパルコ・西武クレジット・吉野家を取り上げ、倒産企業も立て直して組織に組み入れる点を特徴とした

1968年3月、西武百貨店の増田通二氏が東京丸物へ出向した。増田通二氏は1952年3月に東京大学文学部を卒業し、1961年2月に西武百貨店へ入社。増田通二氏は、堤清二氏と中学時代からの親友であった。増田通二氏は、東京丸物の立て直しを任されて送り込まれた。増田通二氏は、メーカーなら設備、商社なら資金力が再建の決め手になる一方、小売業には同じ決め手が無いと指摘した。百貨店のままでの再建に限界を見たこの認識が、1969年に専門店を集めたビルの運営へ転じる判断の素地になったと推測できる。

  • 証券 1987年
    • [36]増田通二は1952年3月東大文学部卒、1961年2月西武百貨店入社、1968年3月東京丸物に出向
    • [37]増田通二は1952年3月東大文学部卒、1961年2月西武百貨店入社、1968年3月東京丸物に出向
  • Decide 1987年 5(2)(40)
    • [38]増田通二は堤清二の中学以来の親友
  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
    • [39]増田氏は東京丸物時代に再建を託されて送り込まれた。小売業の立て直しは、メーカーの設備・商社の資金力のような決め手が無く難しいと述べた
    • [40]増田氏は東京丸物時代に再建を託されて送り込まれた。小売業の立て直しは、メーカーの設備・商社の資金力のような決め手が無く難しいと述べた
参考文献[25]-[40]
  • 証券 1987年
    • [25]昭和40年代に入り、百貨店業界の売場面積拡張競争に効果的な対抗手段を取れず経営状態が悪化
    • [26]昭和40年代に入り、百貨店業界の売場面積拡張競争に効果的な対抗手段を取れず経営状態が悪化
    • [27]昭和40年代に入り、百貨店業界の売場面積拡張競争に効果的な対抗手段を取れず経営状態が悪化
    • [30]1968年2月、西武グループが東京丸物の経営に参加
    • [32]1968年2月、西武グループが東京丸物の経営に参加
    • [36]増田通二は1952年3月東大文学部卒、1961年2月西武百貨店入社、1968年3月東京丸物に出向
    • [37]増田通二は1952年3月東大文学部卒、1961年2月西武百貨店入社、1968年3月東京丸物に出向
  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
    • [28]増田氏は月々2億円の赤字を出していた時期があったと回想。同誌は当時の東京丸物を「死に体」と表現
    • [29]増田氏は月々2億円の赤字を出していた時期があったと回想。同誌は当時の東京丸物を「死に体」と表現
    • [31]営業不振の東京丸物は西武百貨店に買収された
    • [39]増田氏は東京丸物時代に再建を託されて送り込まれた。小売業の立て直しは、メーカーの設備・商社の資金力のような決め手が無く難しいと述べた
    • [40]増田氏は東京丸物時代に再建を託されて送り込まれた。小売業の立て直しは、メーカーの設備・商社の資金力のような決め手が無く難しいと述べた
  • Decide 1987年 5(2)(40)
    • [33]堤清二が手がけた再建の事例としてパルコ・西武クレジット・吉野家を取り上げ、倒産企業も立て直して組織に組み入れる点を特徴とした
    • [34]堤清二が手がけた再建の事例としてパルコ・西武クレジット・吉野家を取り上げ、倒産企業も立て直して組織に組み入れる点を特徴とした
    • [35]堤清二が手がけた再建の事例としてパルコ・西武クレジット・吉野家を取り上げ、倒産企業も立て直して組織に組み入れる点を特徴とした
    • [38]増田通二は堤清二の中学以来の親友

出典・参考

4件
出典・参考
  • パルコ 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 1977年2月14日号
  • 証券 1987年
  • Decide 1987年 5(2)(40)

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