青山商事:大証上場と全国400店への多店舗化
1987年〜大阪証券取引所第二部への上場と、400店体制へ向けた出店
青山商事は1987年11月、大阪証券取引所の市場第二部と広島証券取引所に株式を上場した。上場の時点で店舗数は118店を数え、出店先の中心は近畿以西にあった。紳士服の同業が郊外へ出始めたのは1983年頃で、それまで郊外型の紳士服店は青山商事1社に限られた。その後の参入で全国の紳士服郊外店は900店近くまで増え、1店が狙う商圏は人口50万人から20万人程度へ縮小。1987年度の新設は29店に上り、1988年3月期末の店舗数は127店となった。九州の店は1987年7月末の15店から1988年3月末の31店へ倍増した。上場に際しては社内機構を整え、1店当たりの人員を絞る少数精鋭の運営に改めた。競合が商圏を埋める前に店網を押さえる資金と信用を、上場で得たとみられる。
- 青山商事 有価証券報告書【沿革】
- [1]1987年11月 大阪証券取引所市場第二部・広島証券取引所に株式上場
- 証券アナリストジャーナル 25(12) 1987年 青山五郎
- [2]1987年11月30日講演時点で118店、1988年3月期売上高見込み340億円、関西以西が売上の約67%。紳士服業界の郊外進出は1983年頃から、それまでは青山商事のみ。上場に際し社内機構整備・1店当たり人員を減らす少数精鋭
- [3]1987年11月30日講演時点で118店、1988年3月期売上高見込み340億円、関西以西が売上の約67%。紳士服業界の郊外進出は1983年頃から、それまでは青山商事のみ。上場に際し社内機構整備・1店当たり人員を減らす少数精鋭
- [7]1987年11月30日講演時点で118店、1988年3月期売上高見込み340億円、関西以西が売上の約67%。紳士服業界の郊外進出は1983年頃から、それまでは青山商事のみ。上場に際し社内機構整備・1店当たり人員を減らす少数精鋭
- 日経ビジネス 1988年5月23日号
- [4]郊外の紳士服店は全国900店近く、商圏を人口50万人から車15分・20万人へ縮小。1987年度29店開店で1988年3月期末127店、九州は1987年7月末15店→1988年3月末31店
- [5]郊外の紳士服店は全国900店近く、商圏を人口50万人から車15分・20万人へ縮小。1987年度29店開店で1988年3月期末127店、九州は1987年7月末15店→1988年3月末31店
- [6]郊外の紳士服店は全国900店近く、商圏を人口50万人から車15分・20万人へ縮小。1987年度29店開店で1988年3月期末127店、九州は1987年7月末15店→1988年3月末31店
青山商事の安さを支えたのは、メーカーへ返品しない全量買取の仕入れだった。グンゼ産業をはじめ国内の約100社に直接発注してオリジナルブランドを大量に作らせ、仕上がった製品はすべて引き取った。メーカーは返品に伴う金利の負担を免れて卸値を下げ、青山商事の粗利益率は業界平均の36%に対して50%前後を保った。新店は車で15分・人口20万人の商圏に合わせて100坪前後へ縮めた。広告費は売上高の20%から12%へ下がり、パートタイマーは30名弱から319名へ増員された。1987年度は売上高が274億円から365億円(推定)へ、経常利益が16億円から46億円へ増えた。4万円台の品の売上比率が10%から30%に上がっても、社長の青山五郎氏は高級品へ移らず労働着としての背広を続ける方針を示した。
- 証券アナリストジャーナル 25(12) 1987年 青山五郎
- [8]業界初の完全買取り仕入。返品金利が不要な分メーカーは安く納入。粗利益率は業界平均36%に対し約50%。粗利を宣伝費に充て、売上増でロットがまとまり仕入れが安くなる循環
- [10]業界初の完全買取り仕入。返品金利が不要な分メーカーは安く納入。粗利益率は業界平均36%に対し約50%。粗利を宣伝費に充て、売上増でロットがまとまり仕入れが安くなる循環
- 日経ビジネス 1988年5月23日号
- [9]グンゼ産業など国内約100社に直接委託しオリジナルブランドを全量買い取り。100坪前後・20万人商圏の店へ。広告費率20%→12%、パート30名弱→319名。売上高274億円→365億円(推定)、経常利益16億円→46億円。4万円台の比率10%→30%でも高級品シフトはしない方針
- [11]グンゼ産業など国内約100社に直接委託しオリジナルブランドを全量買い取り。100坪前後・20万人商圏の店へ。広告費率20%→12%、パート30名弱→319名。売上高274億円→365億円(推定)、経常利益16億円→46億円。4万円台の比率10%→30%でも高級品シフトはしない方針
- [12]グンゼ産業など国内約100社に直接委託しオリジナルブランドを全量買い取り。100坪前後・20万人商圏の店へ。広告費率20%→12%、パート30名弱→319名。売上高274億円→365億円(推定)、経常利益16億円→46億円。4万円台の比率10%→30%でも高級品シフトはしない方針
- [13]グンゼ産業など国内約100社に直接委託しオリジナルブランドを全量買い取り。100坪前後・20万人商圏の店へ。広告費率20%→12%、パート30名弱→319名。売上高274億円→365億円(推定)、経常利益16億円→46億円。4万円台の比率10%→30%でも高級品シフトはしない方針
- [14]グンゼ産業など国内約100社に直接委託しオリジナルブランドを全量買い取り。100坪前後・20万人商圏の店へ。広告費率20%→12%、パート30名弱→319名。売上高274億円→365億円(推定)、経常利益16億円→46億円。4万円台の比率10%→30%でも高級品シフトはしない方針
青山商事は1989年10月に東京事務所を開設し、1990年8月には本社機構を広島県府中市から福山市の新社屋へ移した。同じ1990年の12月に東京証券取引所の市場第二部へ上場し、1992年9月には東京と大阪の両取引所で市場第一部の銘柄に指定された。この間に店舗網は業界で唯一全都道府県へ広がり、1992年12月末には全店直営で417店に達する見通しとなった。1992年3月期の売上高は1167億3400万円で、5年間の年平均増加率は33.6%だった。売上高営業利益率は14.6%から18.8%へ上昇した。広島の地方企業が首都圏で用地と人材を確保するには、東京市場への上場で得る知名度が要ったと推察される。
- 青山商事 有価証券報告書【沿革】
- [15]1989年10月東京事務所開設、1990年8月本社機構を府中市から福山市へ移転、1990年12月東証二部上場、1992年9月東証・大証一部指定
- [16]1989年10月東京事務所開設、1990年8月本社機構を府中市から福山市へ移転、1990年12月東証二部上場、1992年9月東証・大証一部指定
- 日経ビジネス 1992年12月14日号
- [17]店舗は業界で唯一全都道府県に展開、1992年12月末に全店直営417店。過去5年の売上高年平均33.6%増、1992年3月期1167億3400万円。営業利益率14.6%→18.8%。1991年度キャッシュフロー151億9900万円、現預金1114億円
- [18]店舗は業界で唯一全都道府県に展開、1992年12月末に全店直営417店。過去5年の売上高年平均33.6%増、1992年3月期1167億3400万円。営業利益率14.6%→18.8%。1991年度キャッシュフロー151億9900万円、現預金1114億円
- [19]店舗は業界で唯一全都道府県に展開、1992年12月末に全店直営417店。過去5年の売上高年平均33.6%増、1992年3月期1167億3400万円。営業利益率14.6%→18.8%。1991年度キャッシュフロー151億9900万円、現預金1114億円
参考文献[1]-[19]
- 青山商事 有価証券報告書【沿革】
- [1]1987年11月 大阪証券取引所市場第二部・広島証券取引所に株式上場
- [15]1989年10月東京事務所開設、1990年8月本社機構を府中市から福山市へ移転、1990年12月東証二部上場、1992年9月東証・大証一部指定
- [16]1989年10月東京事務所開設、1990年8月本社機構を府中市から福山市へ移転、1990年12月東証二部上場、1992年9月東証・大証一部指定
- 証券アナリストジャーナル 25(12) 1987年 青山五郎
- [2]1987年11月30日講演時点で118店、1988年3月期売上高見込み340億円、関西以西が売上の約67%。紳士服業界の郊外進出は1983年頃から、それまでは青山商事のみ。上場に際し社内機構整備・1店当たり人員を減らす少数精鋭
- [3]1987年11月30日講演時点で118店、1988年3月期売上高見込み340億円、関西以西が売上の約67%。紳士服業界の郊外進出は1983年頃から、それまでは青山商事のみ。上場に際し社内機構整備・1店当たり人員を減らす少数精鋭
- [7]1987年11月30日講演時点で118店、1988年3月期売上高見込み340億円、関西以西が売上の約67%。紳士服業界の郊外進出は1983年頃から、それまでは青山商事のみ。上場に際し社内機構整備・1店当たり人員を減らす少数精鋭
- [8]業界初の完全買取り仕入。返品金利が不要な分メーカーは安く納入。粗利益率は業界平均36%に対し約50%。粗利を宣伝費に充て、売上増でロットがまとまり仕入れが安くなる循環
- [10]業界初の完全買取り仕入。返品金利が不要な分メーカーは安く納入。粗利益率は業界平均36%に対し約50%。粗利を宣伝費に充て、売上増でロットがまとまり仕入れが安くなる循環
- 日経ビジネス 1988年5月23日号
- [4]郊外の紳士服店は全国900店近く、商圏を人口50万人から車15分・20万人へ縮小。1987年度29店開店で1988年3月期末127店、九州は1987年7月末15店→1988年3月末31店
- [5]郊外の紳士服店は全国900店近く、商圏を人口50万人から車15分・20万人へ縮小。1987年度29店開店で1988年3月期末127店、九州は1987年7月末15店→1988年3月末31店
- [6]郊外の紳士服店は全国900店近く、商圏を人口50万人から車15分・20万人へ縮小。1987年度29店開店で1988年3月期末127店、九州は1987年7月末15店→1988年3月末31店
- [9]グンゼ産業など国内約100社に直接委託しオリジナルブランドを全量買い取り。100坪前後・20万人商圏の店へ。広告費率20%→12%、パート30名弱→319名。売上高274億円→365億円(推定)、経常利益16億円→46億円。4万円台の比率10%→30%でも高級品シフトはしない方針
- [11]グンゼ産業など国内約100社に直接委託しオリジナルブランドを全量買い取り。100坪前後・20万人商圏の店へ。広告費率20%→12%、パート30名弱→319名。売上高274億円→365億円(推定)、経常利益16億円→46億円。4万円台の比率10%→30%でも高級品シフトはしない方針
- [12]グンゼ産業など国内約100社に直接委託しオリジナルブランドを全量買い取り。100坪前後・20万人商圏の店へ。広告費率20%→12%、パート30名弱→319名。売上高274億円→365億円(推定)、経常利益16億円→46億円。4万円台の比率10%→30%でも高級品シフトはしない方針
- [13]グンゼ産業など国内約100社に直接委託しオリジナルブランドを全量買い取り。100坪前後・20万人商圏の店へ。広告費率20%→12%、パート30名弱→319名。売上高274億円→365億円(推定)、経常利益16億円→46億円。4万円台の比率10%→30%でも高級品シフトはしない方針
- [14]グンゼ産業など国内約100社に直接委託しオリジナルブランドを全量買い取り。100坪前後・20万人商圏の店へ。広告費率20%→12%、パート30名弱→319名。売上高274億円→365億円(推定)、経常利益16億円→46億円。4万円台の比率10%→30%でも高級品シフトはしない方針
- 日経ビジネス 1992年12月14日号
- [17]店舗は業界で唯一全都道府県に展開、1992年12月末に全店直営417店。過去5年の売上高年平均33.6%増、1992年3月期1167億3400万円。営業利益率14.6%→18.8%。1991年度キャッシュフロー151億9900万円、現預金1114億円
- [18]店舗は業界で唯一全都道府県に展開、1992年12月末に全店直営417店。過去5年の売上高年平均33.6%増、1992年3月期1167億3400万円。営業利益率14.6%→18.8%。1991年度キャッシュフロー151億9900万円、現預金1114億円
- [19]店舗は業界で唯一全都道府県に展開、1992年12月末に全店直営417店。過去5年の売上高年平均33.6%増、1992年3月期1167億3400万円。営業利益率14.6%→18.8%。1991年度キャッシュフロー151億9900万円、現預金1114億円
1991年〜郊外の飽和と銀座の都心店、オンワード樫山の取引中止
郊外の出店余地が尽きかけると、青山商事は1992年10月8日、都心の1号店として東京・銀座2丁目に「洋服の青山」銀座店を開店した。郊外型の紳士服店は全国で2000店に達し、1店の商圏は1980年代初めの人口50万人から15万人まで狭まった。銀座店は開店1カ月で3億円の売上高を計上し、平均的な郊外店の年商の85%に相当した。バブル崩壊後の賃料下落で保証金は約3億円、賃料は坪6万円にとどまった。店の位置は表通りから1本入った馬券売り場の近くとし、気取らずに入れる立地を選択。1993年秋の新店の65%を東京に充て、東京の店の平均年商は10億円と全店平均4億2000万円の2.5倍に達した。都心でも郊外と同じ価格と品揃えで通用すると確かめたことが、出店先の転換を決めたと考えられる。
- 日経ビジネス 1992年12月14日号
- [20]1992年10月8日銀座2丁目に都心初の銀座店。郊外型紳士服店は全国2000店で飽和に近い、商圏は80年代初め50万人→15万人。開店1カ月で3億円(郊外店年商の85%)。保証金約3億円・坪6万円、内装5000万円
- [21]1992年10月8日銀座2丁目に都心初の銀座店。郊外型紳士服店は全国2000店で飽和に近い、商圏は80年代初め50万人→15万人。開店1カ月で3億円(郊外店年商の85%)。保証金約3億円・坪6万円、内装5000万円
- [22]1992年10月8日銀座2丁目に都心初の銀座店。郊外型紳士服店は全国2000店で飽和に近い、商圏は80年代初め50万人→15万人。開店1カ月で3億円(郊外店年商の85%)。保証金約3億円・坪6万円、内装5000万円
- [23]1992年10月8日銀座2丁目に都心初の銀座店。郊外型紳士服店は全国2000店で飽和に近い、商圏は80年代初め50万人→15万人。開店1カ月で3億円(郊外店年商の85%)。保証金約3億円・坪6万円、内装5000万円
- 日経ビジネス 1993年6月28日号 編集長インタビュー 青山五郎氏
- [24]銀座店は表通りから1本入った馬券売り場のそば。1993年秋の新店の65%、来春80%が東京。東京の店の平均年商10億円、全店平均4億2000万円
- [25]銀座店は表通りから1本入った馬券売り場のそば。1993年秋の新店の65%、来春80%が東京。東京の店の平均年商10億円、全店平均4億2000万円
アパレル大手のオンワード樫山は1992年11月、青山商事との取引をやめると申し出た。対象は1989年から製造を請け負ったプライベートブランド「カプリチオ」で、取引量は推定で年間約10億円に上った。オンワード樫山は1991年末から他の紳士服量販チェーンとも取引の休止を進め、売上高の7割を占める百貨店向けへ販路を絞った。最後とされた1993年春夏物の2万着は、3回の交渉を経て青山商事が引き受けた。そのうえで1993年3月13日、オンワード樫山の紳士服を半額以下とうたうチラシを全国で配布。警告書を受けても、青山商事は一方的な取引停止は不当との立場を崩さなかった。調達では1992年時点で一部の取引先に中国での現地生産を促し、中国製スーツが全体の10%を占めた。
- 日経ビジネス 1993年4月19日号
- [26]1992年11月オンワード樫山が青山商事のPB「カプリチオ」(1989年から製造、推定年約10億円)の取引中止を申し出、93年春夏物2万着で終了。3回の交渉で青山が2万着を買い入れ。樫山は91年末から量販チェーンと休止交渉、百貨店が売上の7割
- [27]1992年11月オンワード樫山が青山商事のPB「カプリチオ」(1989年から製造、推定年約10億円)の取引中止を申し出、93年春夏物2万着で終了。3回の交渉で青山が2万着を買い入れ。樫山は91年末から量販チェーンと休止交渉、百貨店が売上の7割
- [28]1992年11月オンワード樫山が青山商事のPB「カプリチオ」(1989年から製造、推定年約10億円)の取引中止を申し出、93年春夏物2万着で終了。3回の交渉で青山が2万着を買い入れ。樫山は91年末から量販チェーンと休止交渉、百貨店が売上の7割
- [29]1992年11月オンワード樫山が青山商事のPB「カプリチオ」(1989年から製造、推定年約10億円)の取引中止を申し出、93年春夏物2万着で終了。3回の交渉で青山が2万着を買い入れ。樫山は91年末から量販チェーンと休止交渉、百貨店が売上の7割
- [30]1992年11月オンワード樫山が青山商事のPB「カプリチオ」(1989年から製造、推定年約10億円)の取引中止を申し出、93年春夏物2万着で終了。3回の交渉で青山が2万着を買い入れ。樫山は91年末から量販チェーンと休止交渉、百貨店が売上の7割
- 日経ビジネス 1994年1月31日号〈挑む〉青山五郎氏
- [31]1993年春、樫山製スーツを百貨店価格の半額と銘打って販売、樫山から警告書。青山は一方的な取引停止は不当として押し通した
- 日経ビジネス 1992年12月14日号
- [32]一部の取引先アパレルを促して中国など人件費の安い国で現地生産、中国製スーツは全体の10%
社長の青山五郎氏は1993年6月、2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で売上高1兆円とする構想を掲げた。1993年3月末に441店を数えた既存業態は上限を750店とし、3年で到達させたうえで新店の大半を東京と関東に置く計画だった。カジュアルでは米国の流通業との販売提携で1994年春から出店し、最終的に1000店・2800億円を見込んだ。提携相手は米JCペニー社で、中国への進出と並ぶ新業態として打ち出された。海外では1993年から台湾に2店を出店し、香港と上海には会社を設立済みだった。紳士服市場でのシェアも1995年に25%とした計画を前倒しで達成する見通しを示した。規模の拡大で仕入れ値を下げる循環を、スーツの外と国外へ広げようとしたのだろう。
- 日経ビジネス 1993年6月28日号 編集長インタビュー 青山五郎氏
- [33]2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で1兆円構想。1993年3月末441店、既存タイプ上限750店を3年で、東京・関東中心。米国流通業と販売提携で来春からカジュアル店、1000店・2800億円。台湾に2店、香港・上海に会社設立済み。シェア25%計画は来年早々に達成見込み
- [34]2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で1兆円構想。1993年3月末441店、既存タイプ上限750店を3年で、東京・関東中心。米国流通業と販売提携で来春からカジュアル店、1000店・2800億円。台湾に2店、香港・上海に会社設立済み。シェア25%計画は来年早々に達成見込み
- [35]2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で1兆円構想。1993年3月末441店、既存タイプ上限750店を3年で、東京・関東中心。米国流通業と販売提携で来春からカジュアル店、1000店・2800億円。台湾に2店、香港・上海に会社設立済み。シェア25%計画は来年早々に達成見込み
- [37]2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で1兆円構想。1993年3月末441店、既存タイプ上限750店を3年で、東京・関東中心。米国流通業と販売提携で来春からカジュアル店、1000店・2800億円。台湾に2店、香港・上海に会社設立済み。シェア25%計画は来年早々に達成見込み
- [38]2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で1兆円構想。1993年3月末441店、既存タイプ上限750店を3年で、東京・関東中心。米国流通業と販売提携で来春からカジュアル店、1000店・2800億円。台湾に2店、香港・上海に会社設立済み。シェア25%計画は来年早々に達成見込み
- 日経ビジネス 1994年1月31日号〈挑む〉青山五郎氏
- [36]米JCペニー社との提携によるカジュアル店の展開と中国への進出を打ち出し、10年後に売上高1兆円の目標
参考文献[20]-[38]
- 日経ビジネス 1992年12月14日号
- [20]1992年10月8日銀座2丁目に都心初の銀座店。郊外型紳士服店は全国2000店で飽和に近い、商圏は80年代初め50万人→15万人。開店1カ月で3億円(郊外店年商の85%)。保証金約3億円・坪6万円、内装5000万円
- [21]1992年10月8日銀座2丁目に都心初の銀座店。郊外型紳士服店は全国2000店で飽和に近い、商圏は80年代初め50万人→15万人。開店1カ月で3億円(郊外店年商の85%)。保証金約3億円・坪6万円、内装5000万円
- [22]1992年10月8日銀座2丁目に都心初の銀座店。郊外型紳士服店は全国2000店で飽和に近い、商圏は80年代初め50万人→15万人。開店1カ月で3億円(郊外店年商の85%)。保証金約3億円・坪6万円、内装5000万円
- [23]1992年10月8日銀座2丁目に都心初の銀座店。郊外型紳士服店は全国2000店で飽和に近い、商圏は80年代初め50万人→15万人。開店1カ月で3億円(郊外店年商の85%)。保証金約3億円・坪6万円、内装5000万円
- [32]一部の取引先アパレルを促して中国など人件費の安い国で現地生産、中国製スーツは全体の10%
- 日経ビジネス 1993年6月28日号 編集長インタビュー 青山五郎氏
- [24]銀座店は表通りから1本入った馬券売り場のそば。1993年秋の新店の65%、来春80%が東京。東京の店の平均年商10億円、全店平均4億2000万円
- [25]銀座店は表通りから1本入った馬券売り場のそば。1993年秋の新店の65%、来春80%が東京。東京の店の平均年商10億円、全店平均4億2000万円
- [33]2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で1兆円構想。1993年3月末441店、既存タイプ上限750店を3年で、東京・関東中心。米国流通業と販売提携で来春からカジュアル店、1000店・2800億円。台湾に2店、香港・上海に会社設立済み。シェア25%計画は来年早々に達成見込み
- [34]2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で1兆円構想。1993年3月末441店、既存タイプ上限750店を3年で、東京・関東中心。米国流通業と販売提携で来春からカジュアル店、1000店・2800億円。台湾に2店、香港・上海に会社設立済み。シェア25%計画は来年早々に達成見込み
- [35]2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で1兆円構想。1993年3月末441店、既存タイプ上限750店を3年で、東京・関東中心。米国流通業と販売提携で来春からカジュアル店、1000店・2800億円。台湾に2店、香港・上海に会社設立済み。シェア25%計画は来年早々に達成見込み
- [37]2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で1兆円構想。1993年3月末441店、既存タイプ上限750店を3年で、東京・関東中心。米国流通業と販売提携で来春からカジュアル店、1000店・2800億円。台湾に2店、香港・上海に会社設立済み。シェア25%計画は来年早々に達成見込み
- [38]2003年に紳士服・カジュアル・海外の3部門で1兆円構想。1993年3月末441店、既存タイプ上限750店を3年で、東京・関東中心。米国流通業と販売提携で来春からカジュアル店、1000店・2800億円。台湾に2店、香港・上海に会社設立済み。シェア25%計画は来年早々に達成見込み
- 日経ビジネス 1993年4月19日号
- [26]1992年11月オンワード樫山が青山商事のPB「カプリチオ」(1989年から製造、推定年約10億円)の取引中止を申し出、93年春夏物2万着で終了。3回の交渉で青山が2万着を買い入れ。樫山は91年末から量販チェーンと休止交渉、百貨店が売上の7割
- [27]1992年11月オンワード樫山が青山商事のPB「カプリチオ」(1989年から製造、推定年約10億円)の取引中止を申し出、93年春夏物2万着で終了。3回の交渉で青山が2万着を買い入れ。樫山は91年末から量販チェーンと休止交渉、百貨店が売上の7割
- [28]1992年11月オンワード樫山が青山商事のPB「カプリチオ」(1989年から製造、推定年約10億円)の取引中止を申し出、93年春夏物2万着で終了。3回の交渉で青山が2万着を買い入れ。樫山は91年末から量販チェーンと休止交渉、百貨店が売上の7割
- [29]1992年11月オンワード樫山が青山商事のPB「カプリチオ」(1989年から製造、推定年約10億円)の取引中止を申し出、93年春夏物2万着で終了。3回の交渉で青山が2万着を買い入れ。樫山は91年末から量販チェーンと休止交渉、百貨店が売上の7割
- [30]1992年11月オンワード樫山が青山商事のPB「カプリチオ」(1989年から製造、推定年約10億円)の取引中止を申し出、93年春夏物2万着で終了。3回の交渉で青山が2万着を買い入れ。樫山は91年末から量販チェーンと休止交渉、百貨店が売上の7割
- 日経ビジネス 1994年1月31日号〈挑む〉青山五郎氏
- [31]1993年春、樫山製スーツを百貨店価格の半額と銘打って販売、樫山から警告書。青山は一方的な取引停止は不当として押し通した
- [36]米JCペニー社との提携によるカジュアル店の展開と中国への進出を打ち出し、10年後に売上高1兆円の目標
1994年〜公正取引委員会の二重価格の排除命令と、既存店14%減の失速
公正取引委員会は1993年11月、紳士服チェーン大手4社に不当な二重価格表示で排除命令を出した。対象は青山商事・アオキインターナショナル・コナカ・大三紳士服の4社だった。各社はチラシで一部の品に「9割引き」「8割引き」とうたいながら、その通常価格で販売した実績を持たなかった。青山商事以外の3社は命令を受け入れ、青山商事だけが不服を申し立てた。通常価格の定義が不明確で、同業120社も同じ表示をしているとの主張だった。審判で全面的に争った末、命令から4カ月後の1994年3月に受諾へ転じた。争った期間の長さは企業イメージを損ない、都心店の売上減少を招いた。安売りの是非ではなく表示の根拠が問われた以上、争うほど消費者には品質への疑いとして映ったと思われる。
- 日経ビジネス 1994年1月31日号〈挑む〉青山五郎氏
- [39]1993年11月公取委が青山・アオキ・コナカ・大三紳士服の4社に不当二重価格表示で排除命令。「9割引き」「8割引き」とうたうが通常価格で販売していない。基準は一定価格で1カ月。3社は受け入れ、青山だけ不服申立。通常価格が不明確、同業120社も同じと反論
- [40]1993年11月公取委が青山・アオキ・コナカ・大三紳士服の4社に不当二重価格表示で排除命令。「9割引き」「8割引き」とうたうが通常価格で販売していない。基準は一定価格で1カ月。3社は受け入れ、青山だけ不服申立。通常価格が不明確、同業120社も同じと反論
- [41]1993年11月公取委が青山・アオキ・コナカ・大三紳士服の4社に不当二重価格表示で排除命令。「9割引き」「8割引き」とうたうが通常価格で販売していない。基準は一定価格で1カ月。3社は受け入れ、青山だけ不服申立。通常価格が不明確、同業120社も同じと反論
- [42]1993年11月公取委が青山・アオキ・コナカ・大三紳士服の4社に不当二重価格表示で排除命令。「9割引き」「8割引き」とうたうが通常価格で販売していない。基準は一定価格で1カ月。3社は受け入れ、青山だけ不服申立。通常価格が不明確、同業120社も同じと反論
- [43]1993年11月公取委が青山・アオキ・コナカ・大三紳士服の4社に不当二重価格表示で排除命令。「9割引き」「8割引き」とうたうが通常価格で販売していない。基準は一定価格で1カ月。3社は受け入れ、青山だけ不服申立。通常価格が不明確、同業120社も同じと反論
- 日経ビジネス 1995年6月12日号
- [44]青山だけが拒否し4カ月後に受諾するまで審判で全面的に争った(1994年3月受諾)。企業イメージを下げ都心店の売上減を招いた
- [45]青山だけが拒否し4カ月後に受諾するまで審判で全面的に争った(1994年3月受諾)。企業イメージを下げ都心店の売上減を招いた
青山商事は1994年2月、衣料品の製造と販売を担う合弁会社として上海青山服装有限公司を設立した。同年10月にはカジュアル専門店「キャラジャ」の1号店となる姫路太子店が開店を迎えた。背景には、全国に残る紳士服の出店余地が200ほどまで減った事情があった。既存店売上高の伸びも1993年9月中間期に4%となり、前年同期から2.3ポイント鈍った。キャラジャは出店開始から半年の売上高が20億円弱で目標の約6割にとどまった。1995年春に13店を開店したところで出店を凍結し、年間100店の出店計画を白紙に戻した。品揃えを見直した1995年4〜5月には、年間70億円の計画を上回るペースに戻った。粗利益率が低く売れ残りの危険も大きいカジュアルには、スーツの手法をそのまま移せなかったようだ。
- 青山商事 有価証券報告書【沿革】
- [46]1994年2月合弁会社 上海青山服装有限公司を設立、1994年10月カジュアル専門店「キャラジャ」1号店(姫路太子店)開店
- [47]1994年2月合弁会社 上海青山服装有限公司を設立、1994年10月カジュアル専門店「キャラジャ」1号店(姫路太子店)開店
- 日経ビジネス 1994年1月31日号〈挑む〉青山五郎氏
- [48]全国に残る出店余地は200ほど。既存店売上高伸び率は93年9月中間期に4%増で前年中間期より2.3ポイント低下
- [49]全国に残る出店余地は200ほど。既存店売上高伸び率は93年9月中間期に4%増で前年中間期より2.3ポイント低下
- 日経ビジネス 1995年6月12日号
- [50]キャラジャは半年の売上高20億円弱で目標の約6割。今春13店開店で出店凍結、年間100店計画を白紙。4、5月は年間70億円計画を上回るペース。カジュアルは粗利益率が低く売れ残りの危険
- [51]キャラジャは半年の売上高20億円弱で目標の約6割。今春13店開店で出店凍結、年間100店計画を白紙。4、5月は年間70億円計画を上回るペース。カジュアルは粗利益率が低く売れ残りの危険
- [52]キャラジャは半年の売上高20億円弱で目標の約6割。今春13店開店で出店凍結、年間100店計画を白紙。4、5月は年間70億円計画を上回るペース。カジュアルは粗利益率が低く売れ残りの危険
青山商事は1995年3月期に上場以来初の減収減益を計上し、既存店売上高は前期比14%減となった。東京の店の平均年商は、1993年6月時点で10億円とされた。23区内の都心店の1店当たり売上高は1995年3月期に3億8200万円となり、前期の6億8600万円から44%の減少。出店が多すぎて調達が追いつかず、品質の劣る商品が型崩れの苦情を呼んだ。1994年春の新入社員1200人の採用も重なり、売上高営業利益率は14.7%から9.9%へ低下した。打開策は、1995年3月に東京・八重洲で開業した高級志向の実験店だった。1995年3月30日の記者会見では、中南米債への投資を巡るデリバティブ損失の噂に質問が集中した。急ぎすぎた出店の負荷は、資金運用の管理にも及んでいたと読める。
- 日経ビジネス 1995年6月12日号
- [53]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- [55]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- [56]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- [57]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- [58]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- [59]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- 日経ビジネス 1993年6月28日号 編集長インタビュー 青山五郎氏
- [54]1993年6月時点で東京の店の平均年商10億円
参考文献[39]-[59]
- 日経ビジネス 1994年1月31日号〈挑む〉青山五郎氏
- [39]1993年11月公取委が青山・アオキ・コナカ・大三紳士服の4社に不当二重価格表示で排除命令。「9割引き」「8割引き」とうたうが通常価格で販売していない。基準は一定価格で1カ月。3社は受け入れ、青山だけ不服申立。通常価格が不明確、同業120社も同じと反論
- [40]1993年11月公取委が青山・アオキ・コナカ・大三紳士服の4社に不当二重価格表示で排除命令。「9割引き」「8割引き」とうたうが通常価格で販売していない。基準は一定価格で1カ月。3社は受け入れ、青山だけ不服申立。通常価格が不明確、同業120社も同じと反論
- [41]1993年11月公取委が青山・アオキ・コナカ・大三紳士服の4社に不当二重価格表示で排除命令。「9割引き」「8割引き」とうたうが通常価格で販売していない。基準は一定価格で1カ月。3社は受け入れ、青山だけ不服申立。通常価格が不明確、同業120社も同じと反論
- [42]1993年11月公取委が青山・アオキ・コナカ・大三紳士服の4社に不当二重価格表示で排除命令。「9割引き」「8割引き」とうたうが通常価格で販売していない。基準は一定価格で1カ月。3社は受け入れ、青山だけ不服申立。通常価格が不明確、同業120社も同じと反論
- [43]1993年11月公取委が青山・アオキ・コナカ・大三紳士服の4社に不当二重価格表示で排除命令。「9割引き」「8割引き」とうたうが通常価格で販売していない。基準は一定価格で1カ月。3社は受け入れ、青山だけ不服申立。通常価格が不明確、同業120社も同じと反論
- [48]全国に残る出店余地は200ほど。既存店売上高伸び率は93年9月中間期に4%増で前年中間期より2.3ポイント低下
- [49]全国に残る出店余地は200ほど。既存店売上高伸び率は93年9月中間期に4%増で前年中間期より2.3ポイント低下
- 日経ビジネス 1995年6月12日号
- [44]青山だけが拒否し4カ月後に受諾するまで審判で全面的に争った(1994年3月受諾)。企業イメージを下げ都心店の売上減を招いた
- [45]青山だけが拒否し4カ月後に受諾するまで審判で全面的に争った(1994年3月受諾)。企業イメージを下げ都心店の売上減を招いた
- [50]キャラジャは半年の売上高20億円弱で目標の約6割。今春13店開店で出店凍結、年間100店計画を白紙。4、5月は年間70億円計画を上回るペース。カジュアルは粗利益率が低く売れ残りの危険
- [51]キャラジャは半年の売上高20億円弱で目標の約6割。今春13店開店で出店凍結、年間100店計画を白紙。4、5月は年間70億円計画を上回るペース。カジュアルは粗利益率が低く売れ残りの危険
- [52]キャラジャは半年の売上高20億円弱で目標の約6割。今春13店開店で出店凍結、年間100店計画を白紙。4、5月は年間70億円計画を上回るペース。カジュアルは粗利益率が低く売れ残りの危険
- [53]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- [55]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- [56]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- [57]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- [58]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- [59]1995年3月期上場以来初の減収減益、既存店14%減(1994年3月期は2%減)。都心店1店売上6億8600万円→3億8200万円(44%減)。調達が間に合わず品質の悪い商品で苦情。94年春新入社員1200人、人件費率11.04%→12.64%、営業利益率14.7%→9.9%。1995年3月八重洲に高級志向実験店、秋冬から豪州牧場と提携した羊毛のスーツ5万9000円。3月30日会見で中南米債の通貨スワップ・デリバティブの噂に質問集中
- 青山商事 有価証券報告書【沿革】
- [46]1994年2月合弁会社 上海青山服装有限公司を設立、1994年10月カジュアル専門店「キャラジャ」1号店(姫路太子店)開店
- [47]1994年2月合弁会社 上海青山服装有限公司を設立、1994年10月カジュアル専門店「キャラジャ」1号店(姫路太子店)開店
- 日経ビジネス 1993年6月28日号 編集長インタビュー 青山五郎氏
- [54]1993年6月時点で東京の店の平均年商10億円
出典・参考
8件
- 青山商事 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 25(12) 1987年 青山五郎
- 日経ビジネス 1988年5月23日号
- 日経ビジネス 1992年12月14日号
- 日経ビジネス 1993年6月28日号 編集長インタビュー 青山五郎氏
- 日経ビジネス 1993年4月19日号
- 日経ビジネス 1994年1月31日号〈挑む〉青山五郎氏
- 日経ビジネス 1995年6月12日号