ニフコ:日英物産と米ITWの合弁による日本工業ファスナーの設立
1967年〜日英物産60%・ITW40%で興した日本工業ファスナーと、相模原へ移転した工場
日本工業ファスナーは1967年2月13日、日英物産と米イリノイ・ツール・ワークス(ITW)の合弁会社として設立された。設立と同時にITWと技術援助契約を結び、工業用プラスチックファスナーの技術と実施権の導入を始めた。日英物産は小笠原敏晶氏がロンドン大学を出て1953年5月に22歳で創立した商社で、葉たばこの輸入などを営んだ。小笠原敏晶氏は1960年に日本ベルクロを設立し、1964年には米ハートウェル社との技術提携で樹脂製の留め具「ナイラッチ」を売り出した。その後に留学したプリンストン大学の大学院で、同大学の理事長だったITWの経営者と知り合った。この経営者から『工業用ファスナーを本格的にやらないか』と誘われたことが合弁の起点となった。留め具の販売で得た顧客の手応えが、製造へ進む判断を後押ししたとみられる。
- 証券 31(7)(364) 1979年7月
- [1]1967年2月、日英物産と米ITWの合弁で日本工業ファスナーを設立し、設立と同時にITWと技術援助契約を締結した
- [2]1967年2月、日英物産と米ITWの合弁で日本工業ファスナーを設立し、設立と同時にITWと技術援助契約を締結した
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [3]小笠原敏晶氏はロンドン大学卒業後1953年5月に日英物産を創立。1960年日本ベルクロ設立、1964年ハートウェル社と技術提携しナイラッチを販売。プリンストン大学院留学中に同大理事長のITW経営者の知遇を得て1967年の合弁に至る
- [4]小笠原敏晶氏はロンドン大学卒業後1953年5月に日英物産を創立。1960年日本ベルクロ設立、1964年ハートウェル社と技術提携しナイラッチを販売。プリンストン大学院留学中に同大理事長のITW経営者の知遇を得て1967年の合弁に至る
- [5]小笠原敏晶氏はロンドン大学卒業後1953年5月に日英物産を創立。1960年日本ベルクロ設立、1964年ハートウェル社と技術提携しナイラッチを販売。プリンストン大学院留学中に同大理事長のITW経営者の知遇を得て1967年の合弁に至る
- [6]小笠原敏晶氏はロンドン大学卒業後1953年5月に日英物産を創立。1960年日本ベルクロ設立、1964年ハートウェル社と技術提携しナイラッチを販売。プリンストン大学院留学中に同大理事長のITW経営者の知遇を得て1967年の合弁に至る
日本工業ファスナーは設立当初、横浜市港北区樽町の横浜工場を生産拠点とした。1969年には本格的な量産に入るため、生産拠点の相模原市の相模原工場への移転と、大阪と名古屋の営業所の開設。社長の小笠原敏晶氏は1979年の講演で、導入時の工業用プラスチックファスナーは日本に市場がなく、自社で需要を掘り起こしたと説明した。開発から成形までの工程は、着想・設計・試作・金型製作・成形を社内でつなぐ一貫体制で組んだ。1969年の売上高は2億4000万円に達し、設立3年目で事業の採算が見通せる規模となった。顧客の組立ラインに合わせて試作金型を作り直す開発には、成形を自社で抱える工場が欠かせなかったと推察される。
- 証券 31(7)(364) 1979年7月
- [7]設立当初の生産拠点は横浜工場(港北区樽町)。1969年に本格生産着手のため相模原工場へ移転。1969年に大阪・名古屋に営業所を設置
- [8]設立当初の生産拠点は横浜工場(港北区樽町)。1969年に本格生産着手のため相模原工場へ移転。1969年に大阪・名古屋に営業所を設置
- 証券アナリストジャーナル 17(8) 1979年8月(小笠原敏晶 講演)
- [9]1967年にITWから当時日本で未開拓の工業用プラスチックファスナーの技術を導入し、自力で市場を開拓。アイデアから成形までの一貫生産システムをもつ
- [10]1967年にITWから当時日本で未開拓の工業用プラスチックファスナーの技術を導入し、自力で市場を開拓。アイデアから成形までの一貫生産システムをもつ
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [11]1969年(昭和44年)の売上高は2億4000万円
参考文献[1]-[11]
- 証券 31(7)(364) 1979年7月
- [1]1967年2月、日英物産と米ITWの合弁で日本工業ファスナーを設立し、設立と同時にITWと技術援助契約を締結した
- [2]1967年2月、日英物産と米ITWの合弁で日本工業ファスナーを設立し、設立と同時にITWと技術援助契約を締結した
- [7]設立当初の生産拠点は横浜工場(港北区樽町)。1969年に本格生産着手のため相模原工場へ移転。1969年に大阪・名古屋に営業所を設置
- [8]設立当初の生産拠点は横浜工場(港北区樽町)。1969年に本格生産着手のため相模原工場へ移転。1969年に大阪・名古屋に営業所を設置
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [3]小笠原敏晶氏はロンドン大学卒業後1953年5月に日英物産を創立。1960年日本ベルクロ設立、1964年ハートウェル社と技術提携しナイラッチを販売。プリンストン大学院留学中に同大理事長のITW経営者の知遇を得て1967年の合弁に至る
- [4]小笠原敏晶氏はロンドン大学卒業後1953年5月に日英物産を創立。1960年日本ベルクロ設立、1964年ハートウェル社と技術提携しナイラッチを販売。プリンストン大学院留学中に同大理事長のITW経営者の知遇を得て1967年の合弁に至る
- [5]小笠原敏晶氏はロンドン大学卒業後1953年5月に日英物産を創立。1960年日本ベルクロ設立、1964年ハートウェル社と技術提携しナイラッチを販売。プリンストン大学院留学中に同大理事長のITW経営者の知遇を得て1967年の合弁に至る
- [6]小笠原敏晶氏はロンドン大学卒業後1953年5月に日英物産を創立。1960年日本ベルクロ設立、1964年ハートウェル社と技術提携しナイラッチを販売。プリンストン大学院留学中に同大理事長のITW経営者の知遇を得て1967年の合弁に至る
- [11]1969年(昭和44年)の売上高は2億4000万円
- 証券アナリストジャーナル 17(8) 1979年8月(小笠原敏晶 講演)
- [9]1967年にITWから当時日本で未開拓の工業用プラスチックファスナーの技術を導入し、自力で市場を開拓。アイデアから成形までの一貫生産システムをもつ
- [10]1967年にITWから当時日本で未開拓の工業用プラスチックファスナーの技術を導入し、自力で市場を開拓。アイデアから成形までの一貫生産システムをもつ
1970年〜自動車メーカー向けで軌道に乗ったニフコと、戸塚・豊田の2工場
1970年ごろから自動車メーカー向けの販売がとりわけ伸び、事業の採算を確保した。同年12月には商号を日本工業ファスナーから株式会社ニフコへ改めた。自動車・家電のメーカーが得意先になったのは、留め具が組立の作業方法を簡略にし、組立部品のコストを下げたためである。社長の小笠原敏晶氏も、組立工程の合理化と省力化に役立つ樹脂の留め具を求める業界は多いと語った。1978年時点の需要先は自動車が60%、家電が35%で、日産セドリック1台に276個、トヨタカローラ1台に140個のニフコ製品が使われている。金属のビスやナットを樹脂に置き換える用途で、自動車が最大の需要先となったのだろう。
- 証券 31(7)(364) 1979年7月
- [12]1970年ごろより自動車メーカー向け販売が軌道に乗る。1970年12月に日本工業ファスナーから株式会社ニフコへ商号変更。組立工程の簡略化・部品のコストダウンへの貢献で自動車・家電が得意先
- [13]1970年ごろより自動車メーカー向け販売が軌道に乗る。1970年12月に日本工業ファスナーから株式会社ニフコへ商号変更。組立工程の簡略化・部品のコストダウンへの貢献で自動車・家電が得意先
- [14]1970年ごろより自動車メーカー向け販売が軌道に乗る。1970年12月に日本工業ファスナーから株式会社ニフコへ商号変更。組立工程の簡略化・部品のコストダウンへの貢献で自動車・家電が得意先
- 証券アナリストジャーナル 17(8) 1979年8月(小笠原敏晶 講演)
- [15]組立工程の合理化・省力化に優れた工業用プラスチックファスナーを求める業界は多いと小笠原社長が説明
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [16]1978年の需要先は自動車60%・家電35%。1台あたりの使用数は日産セドリック276個、トヨタカローラ140個
ニフコは自動車メーカー向けの需要増大に対応するため、1973年5月に横浜市戸塚区へ戸塚工場を新設し、同年に広島にも営業所を置いた。1973年の売上高は27億9300万円で、1969年の2億4000万円から大きく増えた。1974年と1975年は石油危機で需要業界が不振となり、売上高の伸びが止まった。税引後利益は売上高のほぼ10%前後を保ち、1973〜1976年に2工場を建てたうえで1977年秋に無借金経営へ移った。1978年9月期には戸塚・相模原・名古屋の自社3工場と約40社の外注工場で生産し、戸塚工場は名古屋工場とともに金型製造を受け持った。高い利益率が、借入に依存しない設備投資を可能にしたと思われる。
- 証券 31(7)(364) 1979年7月
- [17]順調な需要増大に対処するため1973年5月に戸塚工場(横浜市戸塚区)を新設。1973年に広島に営業所。金型製造部門は戸塚・名古屋両工場。1978年9月期は自社3工場(戸塚・相模原・名古屋)と約40社の外注工場で生産
- [21]順調な需要増大に対処するため1973年5月に戸塚工場(横浜市戸塚区)を新設。1973年に広島に営業所。金型製造部門は戸塚・名古屋両工場。1978年9月期は自社3工場(戸塚・相模原・名古屋)と約40社の外注工場で生産
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [18]売上高は1969年2億4000万円、1973年27億9300万円。1974・75年は石油ショックで伸び悩み。税引後利益は売上高の10%前後、1973〜76年に戸塚・名古屋工場を建設し1977年秋から無借金経営
- [19]売上高は1969年2億4000万円、1973年27億9300万円。1974・75年は石油ショックで伸び悩み。税引後利益は売上高の10%前後、1973〜76年に戸塚・名古屋工場を建設し1977年秋から無借金経営
- [20]売上高は1969年2億4000万円、1973年27億9300万円。1974・75年は石油ショックで伸び悩み。税引後利益は売上高の10%前後、1973〜76年に戸塚・名古屋工場を建設し1977年秋から無借金経営
ニフコは1976年12月、約580百万円の設備投資で愛知県豊田市に名古屋工場を新設した。営業所も1971年の宇都宮、1973年の広島と、主なユーザーの工場の近くに置き、販売の強化と納期の管理にあたった。製品は受注生産、ユーザーの求めに応じて月800〜1,000種の作り分け。小笠原敏晶社長の説明では、既製品では顧客の課題を解けない製品が大半で、ユーザーの設計者と試作の段階から協力する必要がある。1976年の売上高は前年に比べて4割強増え、石油危機後の停滞から持ち直した。客の設計者と頻繁に打ち合わせる開発の進め方が、工場と営業所を客の近くに置く判断につながったとみてよい。
- 証券 31(7)(364) 1979年7月
- [22]1976年12月に名古屋工場(豊田市)を新設、設備投資約580百万円。1971年宇都宮・1973年広島など主なユーザーの工場付近に営業所を設置し販売強化と納期管理。受注生産で月800〜1,000種を生産
- [23]1976年12月に名古屋工場(豊田市)を新設、設備投資約580百万円。1971年宇都宮・1973年広島など主なユーザーの工場付近に営業所を設置し販売強化と納期管理。受注生産で月800〜1,000種を生産
- [24]1976年12月に名古屋工場(豊田市)を新設、設備投資約580百万円。1971年宇都宮・1973年広島など主なユーザーの工場付近に営業所を設置し販売強化と納期管理。受注生産で月800〜1,000種を生産
- 証券アナリストジャーナル 17(8) 1979年8月(小笠原敏晶 講演)
- [25]既存製品の提供だけではユーザーの問題を解決できず、設計段階から試作・製品化までユーザー側設計者との緊密な協力が要ると小笠原社長が説明
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [26]1976年(昭和51年)は前年比4割強の増収
参考文献[12]-[26]
- 証券 31(7)(364) 1979年7月
- [12]1970年ごろより自動車メーカー向け販売が軌道に乗る。1970年12月に日本工業ファスナーから株式会社ニフコへ商号変更。組立工程の簡略化・部品のコストダウンへの貢献で自動車・家電が得意先
- [13]1970年ごろより自動車メーカー向け販売が軌道に乗る。1970年12月に日本工業ファスナーから株式会社ニフコへ商号変更。組立工程の簡略化・部品のコストダウンへの貢献で自動車・家電が得意先
- [14]1970年ごろより自動車メーカー向け販売が軌道に乗る。1970年12月に日本工業ファスナーから株式会社ニフコへ商号変更。組立工程の簡略化・部品のコストダウンへの貢献で自動車・家電が得意先
- [17]順調な需要増大に対処するため1973年5月に戸塚工場(横浜市戸塚区)を新設。1973年に広島に営業所。金型製造部門は戸塚・名古屋両工場。1978年9月期は自社3工場(戸塚・相模原・名古屋)と約40社の外注工場で生産
- [21]順調な需要増大に対処するため1973年5月に戸塚工場(横浜市戸塚区)を新設。1973年に広島に営業所。金型製造部門は戸塚・名古屋両工場。1978年9月期は自社3工場(戸塚・相模原・名古屋)と約40社の外注工場で生産
- [22]1976年12月に名古屋工場(豊田市)を新設、設備投資約580百万円。1971年宇都宮・1973年広島など主なユーザーの工場付近に営業所を設置し販売強化と納期管理。受注生産で月800〜1,000種を生産
- [23]1976年12月に名古屋工場(豊田市)を新設、設備投資約580百万円。1971年宇都宮・1973年広島など主なユーザーの工場付近に営業所を設置し販売強化と納期管理。受注生産で月800〜1,000種を生産
- [24]1976年12月に名古屋工場(豊田市)を新設、設備投資約580百万円。1971年宇都宮・1973年広島など主なユーザーの工場付近に営業所を設置し販売強化と納期管理。受注生産で月800〜1,000種を生産
- 証券アナリストジャーナル 17(8) 1979年8月(小笠原敏晶 講演)
- [15]組立工程の合理化・省力化に優れた工業用プラスチックファスナーを求める業界は多いと小笠原社長が説明
- [25]既存製品の提供だけではユーザーの問題を解決できず、設計段階から試作・製品化までユーザー側設計者との緊密な協力が要ると小笠原社長が説明
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [16]1978年の需要先は自動車60%・家電35%。1台あたりの使用数は日産セドリック276個、トヨタカローラ140個
- [18]売上高は1969年2億4000万円、1973年27億9300万円。1974・75年は石油ショックで伸び悩み。税引後利益は売上高の10%前後、1973〜76年に戸塚・名古屋工場を建設し1977年秋から無借金経営
- [19]売上高は1969年2億4000万円、1973年27億9300万円。1974・75年は石油ショックで伸び悩み。税引後利益は売上高の10%前後、1973〜76年に戸塚・名古屋工場を建設し1977年秋から無借金経営
- [20]売上高は1969年2億4000万円、1973年27億9300万円。1974・75年は石油ショックで伸び悩み。税引後利益は売上高の10%前後、1973〜76年に戸塚・名古屋工場を建設し1977年秋から無借金経営
- [26]1976年(昭和51年)は前年比4割強の増収
1977年〜日英物産の合併で資本金10億円となったニフコと、東証2部への上場
1977年10月1日、ニフコと親会社の日英物産の合併。合併の主な目的は管理面の合理化で、同時に株式の額面を500円から50円に改めるため、額面50円の会社を形式上の存続会社とした。日英物産は商社としてニフコが使う合成樹脂の原材料を調えており、合併でギリシャ葉たばこの輸入業務もニフコに移った。合併後、日英物産のマージンと賃借料の支払いが消え、売上総利益率は前年同期間の45.2%から1978年9月期に48.9%へ上がった。合併前の資本金はニフコが6億円、日英物産が4億円で、1977年12月に資本金を10億円とした。原材料の仕入れを親会社に任せておく理由は、ニフコが自力で利益を上げる段階で薄れたと読める。
- 証券 31(7)(364) 1979年7月
- [27]1977年10月1日に日英物産と合併。主として管理面の合理化が目的で、額面500円→50円変更のため形式上の存続会社を用いた。日英物産は原材料(合成樹脂)を調整、ギリシャ葉たばこ輸入業務を承継。売上総利益率45.2%→48.9%(1978年9月期)。1977年12月17日資本金1,000,000千円。営業利益率16.9%(1977年9月期)→26.2%(1978年9月期、葉たばこ除く)
- [28]1977年10月1日に日英物産と合併。主として管理面の合理化が目的で、額面500円→50円変更のため形式上の存続会社を用いた。日英物産は原材料(合成樹脂)を調整、ギリシャ葉たばこ輸入業務を承継。売上総利益率45.2%→48.9%(1978年9月期)。1977年12月17日資本金1,000,000千円。営業利益率16.9%(1977年9月期)→26.2%(1978年9月期、葉たばこ除く)
- [29]1977年10月1日に日英物産と合併。主として管理面の合理化が目的で、額面500円→50円変更のため形式上の存続会社を用いた。日英物産は原材料(合成樹脂)を調整、ギリシャ葉たばこ輸入業務を承継。売上総利益率45.2%→48.9%(1978年9月期)。1977年12月17日資本金1,000,000千円。営業利益率16.9%(1977年9月期)→26.2%(1978年9月期、葉たばこ除く)
- [30]1977年10月1日に日英物産と合併。主として管理面の合理化が目的で、額面500円→50円変更のため形式上の存続会社を用いた。日英物産は原材料(合成樹脂)を調整、ギリシャ葉たばこ輸入業務を承継。売上総利益率45.2%→48.9%(1978年9月期)。1977年12月17日資本金1,000,000千円。営業利益率16.9%(1977年9月期)→26.2%(1978年9月期、葉たばこ除く)
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [31]1977年10月にニフコ(資本金6億円)と日英物産(同4億円)が合併。資本金10億円(外資35%)
ニフコは1979年7月2日、東京証券取引所の市場第2部に上場した。公募3,600,000株と売出し2,980,000株を合わせて放出し、上場時の資本金は1,180,000千円である。上場前の大株主は小笠原敏晶氏が65.60%、ITWが31.50%を持ち、株式は2者にほぼ集中した。工業用プラスチックファスナーの専業メーカーはニフコだけで、シェアは70%弱と推計された。社長の小笠原敏晶氏は上場直後の講演で、売上高を年率15%前後で伸ばし、ITWの半分ほどの規模に達するとの見方を示した。株主の広がりを欠いた資本構成を改め、成長を支える資金の調達先を市場に求めたと考えられる。
- 証券 31(7)(364) 1979年7月
- [32]上場年月日1979年7月2日、市場第2部。公募3,600,000株・売出し2,980,000株。資本金1,180,000千円。大株主は小笠原敏晶65.60%、ITW31.50%。専業メーカーは同社のみでシェア70%弱
- [33]上場年月日1979年7月2日、市場第2部。公募3,600,000株・売出し2,980,000株。資本金1,180,000千円。大株主は小笠原敏晶65.60%、ITW31.50%。専業メーカーは同社のみでシェア70%弱
- [34]上場年月日1979年7月2日、市場第2部。公募3,600,000株・売出し2,980,000株。資本金1,180,000千円。大株主は小笠原敏晶65.60%、ITW31.50%。専業メーカーは同社のみでシェア70%弱
- [35]上場年月日1979年7月2日、市場第2部。公募3,600,000株・売出し2,980,000株。資本金1,180,000千円。大株主は小笠原敏晶65.60%、ITW31.50%。専業メーカーは同社のみでシェア70%弱
- 証券アナリストジャーナル 17(8) 1979年8月(小笠原敏晶 講演)
- [36]今後3〜5年の売上高成長率を年率15%程度と見込み、ITW(売上高約345百万ドル)の半分程度に達しうる潜在成長力があるとの見方
上場後のニフコは、自動車・家電に加えて家庭器具・電子機器・住宅機器・建設の各業界へも留め具を売り込む方針を掲げた。1979年5月下旬にVHS用のVTRリールを売り出し、コンピュータ周辺機器のキーボードと缶飲料用の包装資材ハイコーンにも参入した。1978年に立てた目標は新分野だけで5年後に年商80億円で、台湾への海外工場の建設と北九州への事業所の開設も計画に含まれる。ITWとの契約で定めたニフコの販売地域は、日本・台湾・香港・韓国であった。単体の売上高は1980年9月期に112億円、1982年9月期に171億円となり、上場時に見込んだ年率15%前後を上回った。契約上の販売地域が、次の海外展開の行き先をあらかじめ決めていたといえる。
- 証券アナリストジャーナル 17(8) 1979年8月(小笠原敏晶 講演)
- [37]主力の自動車・家電に加え家庭器具・電子機器・住宅機器・建設業などへ販路を拡大する方針。1979年5月下旬からVHS用VTRリール発売、キーボード発売、ハイコーン・マルチパック。ITWとの契約上のテリトリーは日本・台湾・香港・韓国
- [38]主力の自動車・家電に加え家庭器具・電子機器・住宅機器・建設業などへ販路を拡大する方針。1979年5月下旬からVHS用VTRリール発売、キーボード発売、ハイコーン・マルチパック。ITWとの契約上のテリトリーは日本・台湾・香港・韓国
- [40]主力の自動車・家電に加え家庭器具・電子機器・住宅機器・建設業などへ販路を拡大する方針。1979年5月下旬からVHS用VTRリール発売、キーボード発売、ハイコーン・マルチパック。ITWとの契約上のテリトリーは日本・台湾・香港・韓国
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [39]新分野で5年後に年商80億円の目標。年内にも台湾に海外工場を建設する計画(1978年5月時点)。北九州に事業所を設ける計画
- 会社年鑑 1986年版(ニフコ 1980年9月期〜1982年9月期の単体業績)
- [41]単体売上高 1980年9月期112億円、1981年9月期143億円、1982年9月期171億円
参考文献[27]-[41]
- 証券 31(7)(364) 1979年7月
- [27]1977年10月1日に日英物産と合併。主として管理面の合理化が目的で、額面500円→50円変更のため形式上の存続会社を用いた。日英物産は原材料(合成樹脂)を調整、ギリシャ葉たばこ輸入業務を承継。売上総利益率45.2%→48.9%(1978年9月期)。1977年12月17日資本金1,000,000千円。営業利益率16.9%(1977年9月期)→26.2%(1978年9月期、葉たばこ除く)
- [28]1977年10月1日に日英物産と合併。主として管理面の合理化が目的で、額面500円→50円変更のため形式上の存続会社を用いた。日英物産は原材料(合成樹脂)を調整、ギリシャ葉たばこ輸入業務を承継。売上総利益率45.2%→48.9%(1978年9月期)。1977年12月17日資本金1,000,000千円。営業利益率16.9%(1977年9月期)→26.2%(1978年9月期、葉たばこ除く)
- [29]1977年10月1日に日英物産と合併。主として管理面の合理化が目的で、額面500円→50円変更のため形式上の存続会社を用いた。日英物産は原材料(合成樹脂)を調整、ギリシャ葉たばこ輸入業務を承継。売上総利益率45.2%→48.9%(1978年9月期)。1977年12月17日資本金1,000,000千円。営業利益率16.9%(1977年9月期)→26.2%(1978年9月期、葉たばこ除く)
- [30]1977年10月1日に日英物産と合併。主として管理面の合理化が目的で、額面500円→50円変更のため形式上の存続会社を用いた。日英物産は原材料(合成樹脂)を調整、ギリシャ葉たばこ輸入業務を承継。売上総利益率45.2%→48.9%(1978年9月期)。1977年12月17日資本金1,000,000千円。営業利益率16.9%(1977年9月期)→26.2%(1978年9月期、葉たばこ除く)
- [32]上場年月日1979年7月2日、市場第2部。公募3,600,000株・売出し2,980,000株。資本金1,180,000千円。大株主は小笠原敏晶65.60%、ITW31.50%。専業メーカーは同社のみでシェア70%弱
- [33]上場年月日1979年7月2日、市場第2部。公募3,600,000株・売出し2,980,000株。資本金1,180,000千円。大株主は小笠原敏晶65.60%、ITW31.50%。専業メーカーは同社のみでシェア70%弱
- [34]上場年月日1979年7月2日、市場第2部。公募3,600,000株・売出し2,980,000株。資本金1,180,000千円。大株主は小笠原敏晶65.60%、ITW31.50%。専業メーカーは同社のみでシェア70%弱
- [35]上場年月日1979年7月2日、市場第2部。公募3,600,000株・売出し2,980,000株。資本金1,180,000千円。大株主は小笠原敏晶65.60%、ITW31.50%。専業メーカーは同社のみでシェア70%弱
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [31]1977年10月にニフコ(資本金6億円)と日英物産(同4億円)が合併。資本金10億円(外資35%)
- [39]新分野で5年後に年商80億円の目標。年内にも台湾に海外工場を建設する計画(1978年5月時点)。北九州に事業所を設ける計画
- 証券アナリストジャーナル 17(8) 1979年8月(小笠原敏晶 講演)
- [36]今後3〜5年の売上高成長率を年率15%程度と見込み、ITW(売上高約345百万ドル)の半分程度に達しうる潜在成長力があるとの見方
- [37]主力の自動車・家電に加え家庭器具・電子機器・住宅機器・建設業などへ販路を拡大する方針。1979年5月下旬からVHS用VTRリール発売、キーボード発売、ハイコーン・マルチパック。ITWとの契約上のテリトリーは日本・台湾・香港・韓国
- [38]主力の自動車・家電に加え家庭器具・電子機器・住宅機器・建設業などへ販路を拡大する方針。1979年5月下旬からVHS用VTRリール発売、キーボード発売、ハイコーン・マルチパック。ITWとの契約上のテリトリーは日本・台湾・香港・韓国
- [40]主力の自動車・家電に加え家庭器具・電子機器・住宅機器・建設業などへ販路を拡大する方針。1979年5月下旬からVHS用VTRリール発売、キーボード発売、ハイコーン・マルチパック。ITWとの契約上のテリトリーは日本・台湾・香港・韓国
- 会社年鑑 1986年版(ニフコ 1980年9月期〜1982年9月期の単体業績)
- [41]単体売上高 1980年9月期112億円、1981年9月期143億円、1982年9月期171億円
1967年〜1982年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1967年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | 横浜市戸塚区に戸塚工場を新設(1973/05) |
| 1975年12月期 | 単体 | 34 | n/a | 6 | 3 | 8.8% | n/a |
| 1976年12月期 | 単体 | 48 | +41.2% | 9 | 5 | 10.4% | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1978年09月期 | 単体 | 70 | n/a | 18 | 9 | 12.9% | n/a |
| 1979年09月期 | 単体 | 81 | +15.7% | 19 | 10 | 12.3% | n/a |
| 1980年09月期 | 単体 | 112 | +38.3% | 28 | 14 | 12.5% | n/a |
| 1981年09月期 | 単体 | 143 | +27.7% | 31 | 16 | 11.2% | n/a |
| 1982年09月期 | 単体 | 171 | +19.6% | 33 | 16 | 9.4% | 栃木県河内郡に宇都宮事業所を新設竣工(1982/04) |
出所:会社年鑑
出典・参考
4件
- 会社年鑑 1986年版(ニフコ 1980年9月期〜1982年9月期の単体業績)
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- 証券アナリストジャーナル 17(8) 1979年8月(小笠原敏晶 講演)
- 証券 31(7)(364) 1979年7月