ペンタックス:掛眼鏡のレンズ研磨から国産初の一眼レフ「アサヒフレックス」まで
1919年〜軍の管理工場となった旭光学合資の研磨工場と、民需を受け継ぐ旭光学工業の設立
旭光学工業株式会社は1938年12月17日、梶原熊雄氏を社長として設立された。母体は1919年11月に東京都豊島区西巣鴨で創立された旭光学工業合資会社で、掛眼鏡と映画用の映写レンズを製造していた。この合資会社が軍の管理工場の指定を受け、レンズ研磨を中心とする民需品の製造と販売を続けにくくなった。新会社は、合資会社が手がけてきた民需の仕事を引き継ぐ目的で設けられた。設立と同時に、旭光学工業はレンズ設計と写真機用レンズ・双眼鏡の製造を始めた。軍需に組み込まれる工場と民需を担う会社を法人で分け、大正期から続く研磨の仕事を残そうとしたとみられる。
- 証券 23(1)(262) 1971年1月号(新規上場会社紹介)
- [1]旭光学合資会社(大正8年設立)が軍の管理工場に指定されたため、レンズ研磨主体の民需品の製造販売を継続する目的で1938年12月17日に旭光学工業(社長 梶原熊雄)を設立
- [3]旭光学合資会社(大正8年設立)が軍の管理工場に指定されたため、レンズ研磨主体の民需品の製造販売を継続する目的で1938年12月17日に旭光学工業(社長 梶原熊雄)を設立
- [4]旭光学合資会社(大正8年設立)が軍の管理工場に指定されたため、レンズ研磨主体の民需品の製造販売を継続する目的で1938年12月17日に旭光学工業(社長 梶原熊雄)を設立
- ペンタックス株式会社 有価証券報告書 第77期(2007年3月期)【沿革】
- [2]1919年11月 東京都豊島区西巣鴨に前身の旭光学工業合資会社を創立し掛眼鏡・映画用映写レンズの製造を開始/1938年12月 旭光学工業株式会社を設立しレンズ設計・写真機レンズ・双眼鏡の製造を開始
- [5]1919年11月 東京都豊島区西巣鴨に前身の旭光学工業合資会社を創立し掛眼鏡・映画用映写レンズの製造を開始/1938年12月 旭光学工業株式会社を設立しレンズ設計・写真機レンズ・双眼鏡の製造を開始
旭光学工業もその後、軍から管理工場の指定を受け、合資会社と2社で並んで操業した。終戦の時点で、両社の工場はともに戦災で全焼。2社はそれぞれ再建に取り組み、合資会社は立て直せないまま1948年2月に解散した。1919年に西巣鴨で掛眼鏡のレンズを磨き始めた系譜は、株式会社1社に一本化された。1919年から続くレンズ研磨の技術を受け継いだのは、旭光学工業だけである。敗戦で設備と軍需の取引を失った会社に残った資産は、研磨の技術とそれを担う人だったと思われる。
- 証券 23(1)(262) 1971年1月号(新規上場会社紹介)
- [6]旭光学工業も軍の管理工場に指定され合資会社と併存/終戦時に両社とも戦災で全焼/両社とも再建を図ったが1948年2月に旭光学合資会社は解散し、旭光学工業のみが大正8年以来のレンズ研磨技術を継承
- [7]旭光学工業も軍の管理工場に指定され合資会社と併存/終戦時に両社とも戦災で全焼/両社とも再建を図ったが1948年2月に旭光学合資会社は解散し、旭光学工業のみが大正8年以来のレンズ研磨技術を継承
- [8]旭光学工業も軍の管理工場に指定され合資会社と併存/終戦時に両社とも戦災で全焼/両社とも再建を図ったが1948年2月に旭光学合資会社は解散し、旭光学工業のみが大正8年以来のレンズ研磨技術を継承
- [10]旭光学工業も軍の管理工場に指定され合資会社と併存/終戦時に両社とも戦災で全焼/両社とも再建を図ったが1948年2月に旭光学合資会社は解散し、旭光学工業のみが大正8年以来のレンズ研磨技術を継承
- ペンタックス株式会社 有価証券報告書 第77期(2007年3月期)【沿革】
- [9]1919年11月 東京都豊島区西巣鴨に前身の旭光学工業合資会社を創立し掛眼鏡・映画用映写レンズの製造を開始
参考文献[1]-[10]
- 証券 23(1)(262) 1971年1月号(新規上場会社紹介)
- [1]旭光学合資会社(大正8年設立)が軍の管理工場に指定されたため、レンズ研磨主体の民需品の製造販売を継続する目的で1938年12月17日に旭光学工業(社長 梶原熊雄)を設立
- [3]旭光学合資会社(大正8年設立)が軍の管理工場に指定されたため、レンズ研磨主体の民需品の製造販売を継続する目的で1938年12月17日に旭光学工業(社長 梶原熊雄)を設立
- [4]旭光学合資会社(大正8年設立)が軍の管理工場に指定されたため、レンズ研磨主体の民需品の製造販売を継続する目的で1938年12月17日に旭光学工業(社長 梶原熊雄)を設立
- [6]旭光学工業も軍の管理工場に指定され合資会社と併存/終戦時に両社とも戦災で全焼/両社とも再建を図ったが1948年2月に旭光学合資会社は解散し、旭光学工業のみが大正8年以来のレンズ研磨技術を継承
- [7]旭光学工業も軍の管理工場に指定され合資会社と併存/終戦時に両社とも戦災で全焼/両社とも再建を図ったが1948年2月に旭光学合資会社は解散し、旭光学工業のみが大正8年以来のレンズ研磨技術を継承
- [8]旭光学工業も軍の管理工場に指定され合資会社と併存/終戦時に両社とも戦災で全焼/両社とも再建を図ったが1948年2月に旭光学合資会社は解散し、旭光学工業のみが大正8年以来のレンズ研磨技術を継承
- [10]旭光学工業も軍の管理工場に指定され合資会社と併存/終戦時に両社とも戦災で全焼/両社とも再建を図ったが1948年2月に旭光学合資会社は解散し、旭光学工業のみが大正8年以来のレンズ研磨技術を継承
- ペンタックス株式会社 有価証券報告書 第77期(2007年3月期)【沿革】
- [2]1919年11月 東京都豊島区西巣鴨に前身の旭光学工業合資会社を創立し掛眼鏡・映画用映写レンズの製造を開始/1938年12月 旭光学工業株式会社を設立しレンズ設計・写真機レンズ・双眼鏡の製造を開始
- [5]1919年11月 東京都豊島区西巣鴨に前身の旭光学工業合資会社を創立し掛眼鏡・映画用映写レンズの製造を開始/1938年12月 旭光学工業株式会社を設立しレンズ設計・写真機レンズ・双眼鏡の製造を開始
- [9]1919年11月 東京都豊島区西巣鴨に前身の旭光学工業合資会社を創立し掛眼鏡・映画用映写レンズの製造を開始
1948年〜輸出向け双眼鏡で立て直した研磨工場と、服部時計店が販売したアサヒフレックスⅠ型
旭光学工業は1948年9月、輸出向けの双眼鏡と望遠鏡の生産を始めた。設備を焼失した会社が拠り所にしたのは、大正8年から積み重ねたレンズ研磨の技術である。その技術の起点は、1919年の創業時に手がけた掛眼鏡と映写レンズの製造にあった。双眼鏡は、1938年に株式会社を設立した時点から製造品目に入っていた。双眼鏡と望遠鏡の生産開始と同じ時期に、旭光学工業はカメラの試作にも着手した。輸出向けの光学品で外貨と売上を確保しながら、自社の完成品となるカメラを育てる二本立ての再建だったと推察される。
- 証券 23(1)(262) 1971年1月号(新規上場会社紹介)
- [11]1948年9月、大正8年以来のレンズ研磨技術を基礎に輸出向け双眼鏡・望遠鏡の生産を開始し、同時にカメラの試作に着手
- [12]1948年9月、大正8年以来のレンズ研磨技術を基礎に輸出向け双眼鏡・望遠鏡の生産を開始し、同時にカメラの試作に着手
- [15]1948年9月、大正8年以来のレンズ研磨技術を基礎に輸出向け双眼鏡・望遠鏡の生産を開始し、同時にカメラの試作に着手
- ペンタックス株式会社 有価証券報告書 第77期(2007年3月期)【沿革】
- [13]1919年11月 掛眼鏡・映画用映写レンズの製造を開始/1938年12月 株式会社設立と同時に写真機レンズ・双眼鏡の製造を開始
- [14]1919年11月 掛眼鏡・映画用映写レンズの製造を開始/1938年12月 株式会社設立と同時に写真機レンズ・双眼鏡の製造を開始
旭光学工業は1951年5月、国産で初めての一眼レフカメラの試作に成功した。翌1952年、アサヒフレックスⅠ型として試作機の製造を開始。同じ1952年の4月には、本社と工場を東京都板橋区前野町へ移した。販売については株式会社服部時計店と特約店契約を結び、発売にこぎつけた。旭光学工業による自前の販売会社、旭光学商事株式会社の設立は3年後の1955年3月。売り場を持たない製造会社として、時計の全国販売網に流通を託したのだろう。
- 証券 23(1)(262) 1971年1月号(新規上場会社紹介)
- [16]1951年5月にわが国初の一眼レフカメラの試作に成功し、1952年にアサヒフレックス1型として製造、同時に服部時計店と特約店契約を結び販売を開始
- [17]1951年5月にわが国初の一眼レフカメラの試作に成功し、1952年にアサヒフレックス1型として製造、同時に服部時計店と特約店契約を結び販売を開始
- [19]1951年5月にわが国初の一眼レフカメラの試作に成功し、1952年にアサヒフレックス1型として製造、同時に服部時計店と特約店契約を結び販売を開始
- ペンタックス株式会社 有価証券報告書 第77期(2007年3月期)【沿革】
- [18]1952年4月 東京都板橋区前野町に本社及び工場を移転
- [20]1955年3月 旭光学商事株式会社(のちペンタックス販売株式会社)を設立
旭光学工業は1954年、ミラーのクイックリターン装置を世界で最初に開発した。ミラーの戻りは、当時の一眼レフカメラにとって普及を妨げる難題とされていた。翌1955年3月には営業部門を分離して旭光学商事株式会社を設立した。旭光学商事には製品の販売をすべて任せ、旭光学工業は自社の製品を一眼レフカメラに絞り込んだ。1957年には、ペンタプリズム式の一眼レフ「アサヒペンタックス」を開発した。クイックリターン装置は、このペンタプリズム式とあわせて一眼レフ専業へ進む技術の土台になったと考えられる。
- 証券 23(1)(262) 1971年1月号(新規上場会社紹介)
- [21]1954年に一眼レフの難問だったミラーのクイックリターン装置を世界に先がけて開発/1955年に営業部門を分離した旭光学商事へ販売を一括委託し、以後一眼レフの製造に専念/1957年にペンタプリズム式「アサヒペンタックス」を開発
- [22]1954年に一眼レフの難問だったミラーのクイックリターン装置を世界に先がけて開発/1955年に営業部門を分離した旭光学商事へ販売を一括委託し、以後一眼レフの製造に専念/1957年にペンタプリズム式「アサヒペンタックス」を開発
- [24]1954年に一眼レフの難問だったミラーのクイックリターン装置を世界に先がけて開発/1955年に営業部門を分離した旭光学商事へ販売を一括委託し、以後一眼レフの製造に専念/1957年にペンタプリズム式「アサヒペンタックス」を開発
- [25]1954年に一眼レフの難問だったミラーのクイックリターン装置を世界に先がけて開発/1955年に営業部門を分離した旭光学商事へ販売を一括委託し、以後一眼レフの製造に専念/1957年にペンタプリズム式「アサヒペンタックス」を開発
- ペンタックス株式会社 有価証券報告書 第77期(2007年3月期)【沿革】
- [23]1955年3月 旭光学商事株式会社(のちペンタックス販売株式会社)を設立
参考文献[11]-[25]
- 証券 23(1)(262) 1971年1月号(新規上場会社紹介)
- [11]1948年9月、大正8年以来のレンズ研磨技術を基礎に輸出向け双眼鏡・望遠鏡の生産を開始し、同時にカメラの試作に着手
- [12]1948年9月、大正8年以来のレンズ研磨技術を基礎に輸出向け双眼鏡・望遠鏡の生産を開始し、同時にカメラの試作に着手
- [15]1948年9月、大正8年以来のレンズ研磨技術を基礎に輸出向け双眼鏡・望遠鏡の生産を開始し、同時にカメラの試作に着手
- [16]1951年5月にわが国初の一眼レフカメラの試作に成功し、1952年にアサヒフレックス1型として製造、同時に服部時計店と特約店契約を結び販売を開始
- [17]1951年5月にわが国初の一眼レフカメラの試作に成功し、1952年にアサヒフレックス1型として製造、同時に服部時計店と特約店契約を結び販売を開始
- [19]1951年5月にわが国初の一眼レフカメラの試作に成功し、1952年にアサヒフレックス1型として製造、同時に服部時計店と特約店契約を結び販売を開始
- [21]1954年に一眼レフの難問だったミラーのクイックリターン装置を世界に先がけて開発/1955年に営業部門を分離した旭光学商事へ販売を一括委託し、以後一眼レフの製造に専念/1957年にペンタプリズム式「アサヒペンタックス」を開発
- [22]1954年に一眼レフの難問だったミラーのクイックリターン装置を世界に先がけて開発/1955年に営業部門を分離した旭光学商事へ販売を一括委託し、以後一眼レフの製造に専念/1957年にペンタプリズム式「アサヒペンタックス」を開発
- [24]1954年に一眼レフの難問だったミラーのクイックリターン装置を世界に先がけて開発/1955年に営業部門を分離した旭光学商事へ販売を一括委託し、以後一眼レフの製造に専念/1957年にペンタプリズム式「アサヒペンタックス」を開発
- [25]1954年に一眼レフの難問だったミラーのクイックリターン装置を世界に先がけて開発/1955年に営業部門を分離した旭光学商事へ販売を一括委託し、以後一眼レフの製造に専念/1957年にペンタプリズム式「アサヒペンタックス」を開発
- ペンタックス株式会社 有価証券報告書 第77期(2007年3月期)【沿革】
- [13]1919年11月 掛眼鏡・映画用映写レンズの製造を開始/1938年12月 株式会社設立と同時に写真機レンズ・双眼鏡の製造を開始
- [14]1919年11月 掛眼鏡・映画用映写レンズの製造を開始/1938年12月 株式会社設立と同時に写真機レンズ・双眼鏡の製造を開始
- [18]1952年4月 東京都板橋区前野町に本社及び工場を移転
- [20]1955年3月 旭光学商事株式会社(のちペンタックス販売株式会社)を設立
- [23]1955年3月 旭光学商事株式会社(のちペンタックス販売株式会社)を設立
出典・参考
2件
- ペンタックス株式会社 有価証券報告書 第77期(2007年3月期)【沿革】
- 証券 23(1)(262) 1971年1月号(新規上場会社紹介)