タカタ:織物業としての創業と高田工場の設立
1933年〜彦根で織機を据えた高田武三氏と、落下傘の紐に転じた細幅織物
1984年刊の記念誌で、タカタは前年の1983年に創立50周年を迎えたと記しており、起点は1933年にさかのぼる。同じ記念誌は、主要工場が琵琶湖畔にあると記した。1956年11月に株式会社高田工場を設立した際も、本店は滋賀県彦根市。創業者の高田武三氏について、東レで東京産業資材課長を務めた花房義明氏は、たたき上げで直感と洞察力に優れた人物だったと回想した。花房義明氏によれば、高田武三氏の発想は数字の裏づけを欠き、無茶と思えるものも含んでいた。琵琶湖東岸の彦根で織物業を起こした背景には、原糸と織り手を身近で得られる地の利があったとみられる。
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)「発刊にあたって」
- [1]1983年に創立50周年を迎えた(起点は1933年)。主要工場は琵琶湖畔にある
- [2]1983年に創立50周年を迎えた(起点は1933年)。主要工場は琵琶湖畔にある
- タカタ株式会社 有価証券報告書 第4期(2007年3月期)「沿革」
- [3]1956年11月 株式会社高田工場を設立(資本金1千万円、本店 滋賀県彦根市)
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(花房義明「先代社長にみるタカタ精神」)
- [4]花房義明(東レ 東京産業資材課長)が先代社長 高田武三を、直感と洞察力に優れたたたき上げで、発想は数字を伴わず時に無茶だったと回想
- [5]花房義明(東レ 東京産業資材課長)が先代社長 高田武三を、直感と洞察力に優れたたたき上げで、発想は数字を伴わず時に無茶だったと回想
1961年時点の高田工場の製品は、洋服裏地などの衣服用織物と、ベルト・テープ・吊索からなる落下傘用資材の2系統。落下傘用資材で培った技術は、のちに重量物用のクレーンベルトや自動車の牽引ロープの試作に転用された。高田武三氏は、繊維で事業を続けるなら『繊維でやってこ思うたら、細うて長い物でないとあかん。』と花房義明氏に説いた。原糸をキロで仕入れて製品をメートルで売る点に、利幅の源泉があるという考えだった。1959年当時も、高田工場はパラシュート用原糸の取引を通じて東レの産業資材課に出入りしていた。落下傘用資材の技術は、戦時の軍需に応じた時期に身につけたものと推察される。
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(正田満「サニーホースの歩みを追って」)
- [6]1961年当時の主力は洋服裏地・レインコート地の衣服関係織物と、ベルト・テープ・吊索等の落下傘用資材。クレーンベルト・牽引ロープ等の試作品は落下傘用資材の技術を利用
- [7]1961年当時の主力は洋服裏地・レインコート地の衣服関係織物と、ベルト・テープ・吊索等の落下傘用資材。クレーンベルト・牽引ロープ等の試作品は落下傘用資材の技術を利用
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(花房義明「先代社長にみるタカタ精神」)
- [8]高田武三は繊維なら細くて長い物をやるべきで、キロで買ってメートルで売るから意味があると花房義明に語った
- [9]高田武三は繊維なら細くて長い物をやるべきで、キロで買ってメートルで売るから意味があると花房義明に語った
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(寺村亨「サニーホース開発の頃」)
- [10]1959年9月頃、高田工場はパラシュート用原糸の関係で東レ産業資材課に出入りしていた
参考文献[1]-[10]
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)「発刊にあたって」
- [1]1983年に創立50周年を迎えた(起点は1933年)。主要工場は琵琶湖畔にある
- [2]1983年に創立50周年を迎えた(起点は1933年)。主要工場は琵琶湖畔にある
- タカタ株式会社 有価証券報告書 第4期(2007年3月期)「沿革」
- [3]1956年11月 株式会社高田工場を設立(資本金1千万円、本店 滋賀県彦根市)
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(花房義明「先代社長にみるタカタ精神」)
- [4]花房義明(東レ 東京産業資材課長)が先代社長 高田武三を、直感と洞察力に優れたたたき上げで、発想は数字を伴わず時に無茶だったと回想
- [5]花房義明(東レ 東京産業資材課長)が先代社長 高田武三を、直感と洞察力に優れたたたき上げで、発想は数字を伴わず時に無茶だったと回想
- [8]高田武三は繊維なら細くて長い物をやるべきで、キロで買ってメートルで売るから意味があると花房義明に語った
- [9]高田武三は繊維なら細くて長い物をやるべきで、キロで買ってメートルで売るから意味があると花房義明に語った
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(正田満「サニーホースの歩みを追って」)
- [6]1961年当時の主力は洋服裏地・レインコート地の衣服関係織物と、ベルト・テープ・吊索等の落下傘用資材。クレーンベルト・牽引ロープ等の試作品は落下傘用資材の技術を利用
- [7]1961年当時の主力は洋服裏地・レインコート地の衣服関係織物と、ベルト・テープ・吊索等の落下傘用資材。クレーンベルト・牽引ロープ等の試作品は落下傘用資材の技術を利用
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(寺村亨「サニーホース開発の頃」)
- [10]1959年9月頃、高田工場はパラシュート用原糸の関係で東レ産業資材課に出入りしていた
1946年〜洋服裏地と自衛隊の落下傘資材で立てた株式会社高田工場と、東レと組んだホースの試作
1961年6月に彦根工場へ着任した正田満氏によれば、当時の主力は紳士婦人の洋服裏地と婦人レインコート地だった。これらの織物は繊維専門商社や原糸メーカーの指定商品となり、百貨店や有力販売店を通じて全国で売られた。衣服関係の生産量は、年間を通じて比較的安定していた。原糸の調達先の東レに対し、高田武三氏は太い糸や伸びる糸、伸びない糸の開発を求めた。一方で正田満氏は、発売から長い年月を経た裏地を成熟商品とみて、大きな伸びは見込めないと判断した。原糸メーカーの指定品になることで糸の調達と全国の販路を一度に確保できた点が、裏地を主力に据えた理由と考えられる。
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(正田満「サニーホースの歩みを追って」)
- [11]1961年当時の主力は紳士婦人洋服裏地・婦人レインコート地。繊維専門商社・原糸メーカーの指定商品として百貨店・有力販売店経由で全国販売、生産は一応安定、ただし成熟商品で伸びる余地は少ない
- [12]1961年当時の主力は紳士婦人洋服裏地・婦人レインコート地。繊維専門商社・原糸メーカーの指定商品として百貨店・有力販売店経由で全国販売、生産は一応安定、ただし成熟商品で伸びる余地は少ない
- [13]1961年当時の主力は紳士婦人洋服裏地・婦人レインコート地。繊維専門商社・原糸メーカーの指定商品として百貨店・有力販売店経由で全国販売、生産は一応安定、ただし成熟商品で伸びる余地は少ない
- [15]1961年当時の主力は紳士婦人洋服裏地・婦人レインコート地。繊維専門商社・原糸メーカーの指定商品として百貨店・有力販売店経由で全国販売、生産は一応安定、ただし成熟商品で伸びる余地は少ない
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(花房義明「先代社長にみるタカタ精神」)
- [14]高田武三が東レの花房義明に、骨材となる太い糸、よく伸びる糸、全く伸びない糸を求めた
高田工場は1956年11月、資本金1千万円の株式会社として設立され、本店を滋賀県彦根市に置いた。落下傘用資材には一部に輸出向けの受注もあったものの、主力は自衛隊向けの製品だった。自衛隊向けの発注量は、防衛庁の予算次第である。正田満氏が彦根に着任した1961年には、自衛隊の落下傘装備がほぼ完了していた。受注は年間で平準化せず、極端な繁忙期と完全な手空きの時期が交互に訪れた。株式会社の設立には、防衛庁の調達に応じる取引先として信用を整える狙いがあったのだろう。
- タカタ株式会社 有価証券報告書 第4期(2007年3月期)「沿革」
- [16]1956年11月 株式会社高田工場を設立(資本金1千万円、本店 滋賀県彦根市)
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(正田満「サニーホースの歩みを追って」)
- [17]落下傘用資材は一部輸出もあるが主力は防衛庁予算に左右される自衛隊向け。1961年当時は落下傘装備がほぼ完了し、繁忙期と手空き期の差が極端
- [18]落下傘用資材は一部輸出もあるが主力は防衛庁予算に左右される自衛隊向け。1961年当時は落下傘装備がほぼ完了し、繁忙期と手空き期の差が極端
- [19]落下傘用資材は一部輸出もあるが主力は防衛庁予算に左右される自衛隊向け。1961年当時は落下傘装備がほぼ完了し、繁忙期と手空き期の差が極端
- [20]落下傘用資材は一部輸出もあるが主力は防衛庁予算に左右される自衛隊向け。1961年当時は落下傘装備がほぼ完了し、繁忙期と手空き期の差が極端
主力の裏地は成熟し、落下傘用資材も受注の波が大きかったため、高田工場には新製品の開発が求められた。1959年9月に営業担当として東京へ転勤した寺村亨氏に、東レの産業資材課がかんがい用ホースの試作を持ちかけた。東レが別のメーカーに作らせたターポリンの溶着品は耐圧が足りず、長尺にもできなかった。高田工場は袋織の基布を引き受けて約200メートルを納め、加工先が見つからないと知った高田武三氏は自社での加工を指示した。同じ時期にシートベルトの開発も進め、1960年12月に製造・販売を開始。ホースは加工設備の建設と原材料の研究を経て、1962年に「東レ・サニーホース」の名で製品化された。
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(正田満「サニーホースの歩みを追って」)
- [21]主力製品の状況から新製品開発が特に要求される時期で、東京駐在の終わり頃からシートベルトの研究開発が進み1961年2月16日に発表会で公開
- [25]主力製品の状況から新製品開発が特に要求される時期で、東京駐在の終わり頃からシートベルトの研究開発が進み1961年2月16日に発表会で公開
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(寺村亨「サニーホース開発の頃」)
- [22]1959年9月 寺村亨が東京へ転勤、東レ産業資材課から東大教授発案のかんがい用ホース試作の話。ターポリン溶着品は耐圧不足・長尺不可。高田が袋織約200mを納入、加工先がなく先代社長が自社加工を指示。1962年に「東レ・サニーホース」として完成
- [23]1959年9月 寺村亨が東京へ転勤、東レ産業資材課から東大教授発案のかんがい用ホース試作の話。ターポリン溶着品は耐圧不足・長尺不可。高田が袋織約200mを納入、加工先がなく先代社長が自社加工を指示。1962年に「東レ・サニーホース」として完成
- [24]1959年9月 寺村亨が東京へ転勤、東レ産業資材課から東大教授発案のかんがい用ホース試作の話。ターポリン溶着品は耐圧不足・長尺不可。高田が袋織約200mを納入、加工先がなく先代社長が自社加工を指示。1962年に「東レ・サニーホース」として完成
- [27]1959年9月 寺村亨が東京へ転勤、東レ産業資材課から東大教授発案のかんがい用ホース試作の話。ターポリン溶着品は耐圧不足・長尺不可。高田が袋織約200mを納入、加工先がなく先代社長が自社加工を指示。1962年に「東レ・サニーホース」として完成
- タカタ株式会社 有価証券報告書 第4期(2007年3月期)「沿革」
- [26]1960年12月 シートベルトの製造・販売を開始
参考文献[11]-[27]
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(正田満「サニーホースの歩みを追って」)
- [11]1961年当時の主力は紳士婦人洋服裏地・婦人レインコート地。繊維専門商社・原糸メーカーの指定商品として百貨店・有力販売店経由で全国販売、生産は一応安定、ただし成熟商品で伸びる余地は少ない
- [12]1961年当時の主力は紳士婦人洋服裏地・婦人レインコート地。繊維専門商社・原糸メーカーの指定商品として百貨店・有力販売店経由で全国販売、生産は一応安定、ただし成熟商品で伸びる余地は少ない
- [13]1961年当時の主力は紳士婦人洋服裏地・婦人レインコート地。繊維専門商社・原糸メーカーの指定商品として百貨店・有力販売店経由で全国販売、生産は一応安定、ただし成熟商品で伸びる余地は少ない
- [15]1961年当時の主力は紳士婦人洋服裏地・婦人レインコート地。繊維専門商社・原糸メーカーの指定商品として百貨店・有力販売店経由で全国販売、生産は一応安定、ただし成熟商品で伸びる余地は少ない
- [17]落下傘用資材は一部輸出もあるが主力は防衛庁予算に左右される自衛隊向け。1961年当時は落下傘装備がほぼ完了し、繁忙期と手空き期の差が極端
- [18]落下傘用資材は一部輸出もあるが主力は防衛庁予算に左右される自衛隊向け。1961年当時は落下傘装備がほぼ完了し、繁忙期と手空き期の差が極端
- [19]落下傘用資材は一部輸出もあるが主力は防衛庁予算に左右される自衛隊向け。1961年当時は落下傘装備がほぼ完了し、繁忙期と手空き期の差が極端
- [20]落下傘用資材は一部輸出もあるが主力は防衛庁予算に左右される自衛隊向け。1961年当時は落下傘装備がほぼ完了し、繁忙期と手空き期の差が極端
- [21]主力製品の状況から新製品開発が特に要求される時期で、東京駐在の終わり頃からシートベルトの研究開発が進み1961年2月16日に発表会で公開
- [25]主力製品の状況から新製品開発が特に要求される時期で、東京駐在の終わり頃からシートベルトの研究開発が進み1961年2月16日に発表会で公開
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(花房義明「先代社長にみるタカタ精神」)
- [14]高田武三が東レの花房義明に、骨材となる太い糸、よく伸びる糸、全く伸びない糸を求めた
- タカタ株式会社 有価証券報告書 第4期(2007年3月期)「沿革」
- [16]1956年11月 株式会社高田工場を設立(資本金1千万円、本店 滋賀県彦根市)
- [26]1960年12月 シートベルトの製造・販売を開始
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(寺村亨「サニーホース開発の頃」)
- [22]1959年9月 寺村亨が東京へ転勤、東レ産業資材課から東大教授発案のかんがい用ホース試作の話。ターポリン溶着品は耐圧不足・長尺不可。高田が袋織約200mを納入、加工先がなく先代社長が自社加工を指示。1962年に「東レ・サニーホース」として完成
- [23]1959年9月 寺村亨が東京へ転勤、東レ産業資材課から東大教授発案のかんがい用ホース試作の話。ターポリン溶着品は耐圧不足・長尺不可。高田が袋織約200mを納入、加工先がなく先代社長が自社加工を指示。1962年に「東レ・サニーホース」として完成
- [24]1959年9月 寺村亨が東京へ転勤、東レ産業資材課から東大教授発案のかんがい用ホース試作の話。ターポリン溶着品は耐圧不足・長尺不可。高田が袋織約200mを納入、加工先がなく先代社長が自社加工を指示。1962年に「東レ・サニーホース」として完成
- [27]1959年9月 寺村亨が東京へ転勤、東レ産業資材課から東大教授発案のかんがい用ホース試作の話。ターポリン溶着品は耐圧不足・長尺不可。高田が袋織約200mを納入、加工先がなく先代社長が自社加工を指示。1962年に「東レ・サニーホース」として完成
出典・参考
5件
- タカタ株式会社 有価証券報告書 第4期(2007年3月期)「沿革」
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)「発刊にあたって」
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(花房義明「先代社長にみるタカタ精神」)
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(正田満「サニーホースの歩みを追って」)
- タカタ『サニーホース二十五年の歩み』(1984)所収の回想(寺村亨「サニーホース開発の頃」)