タチエス:立川スプリングの設立と精密スプリング部門の分離
1954年〜斉藤信義氏が立川市で興したスプリング製作所と、昭島へ移した本社工場
1954年4月、立川スプリングが東京都立川市に株式会社として発足した。前身は斉藤信義氏が1949年4月に同市で興した個人経営の立川スプリング製作所で、精密スプリングと自動車用座席部品を製造販売していた。設立は事業の拡張に対処して経営基盤を強めるための組織変更で、初代社長には斉藤信義氏が就任。専務取締役の清水猛氏は1987年の講演で、スプリングより付加価値の高い製品を求めて自動車用座席の分野へ参入したと説明した。株式会社となった立川スプリングは、2つの事業のうち自動車用座席部門に力を注いだ。単品の部品から、鋼材・布地・ウレタンを組み合わせる完成品の座席へ移ることで、1台あたりの受注額を大きくする狙いがあったとみられる。
- タチエス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1954年4月、立川スプリング製作所の事業拡張に対処し経営基盤強化のため組織変更し、東京都立川市に立川スプリング㈱を設立
- [3]1954年4月、立川スプリング製作所の事業拡張に対処し経営基盤強化のため組織変更し、東京都立川市に立川スプリング㈱を設立
- 証券 39(2) 1987年
- [2]前身は故斉藤信義が1949年4月に立川市で創業した立川スプリング製作所(精密スプリング・自動車用座席部品の製造販売)。1954年4月に改組設立後、自動車用座席部門に注力
- [6]前身は故斉藤信義が1949年4月に立川市で創業した立川スプリング製作所(精密スプリング・自動車用座席部品の製造販売)。1954年4月に改組設立後、自動車用座席部門に注力
- 証券アナリストジャーナル 25(4) 1987年(清水猛)
- [4]創業者は初代社長の斉藤信義。当初スプリングを製造し、約30年前に付加価値の高いものを求めて自動車用シート業界へ参入(1987年3月の清水猛専務の講演)
- [5]創業者は初代社長の斉藤信義。当初スプリングを製造し、約30年前に付加価値の高いものを求めて自動車用シート業界へ参入(1987年3月の清水猛専務の講演)
自動車用座席に力を注いだ立川スプリングは、旧プリンス自動車と池田物産を得意先に得て、関東自動車にも販売先を広げた。池田物産は日産系の座席会社で、1987年時点の国内シェアは業界第2位であった。販売先が3社に増えた後の1959年9月、立川スプリングは本社と工場を東京都昭島市へ移転した。1986年3月時点でも、本社と本社工場の所在地は昭島のままである。同じ時点で本社工場のほかに青梅・安城・入間・平塚・栃木・鈴鹿の6工場を構え、昭島はその全国の工場網を統括する拠点。移転の理由を記した資料は手元に無く、立川の工場では販売先の拡大に生産能力が追いつかなかったと思われる。
- 証券 39(2) 1987年
- [7]1954年改組後、旧プリンス自動車・池田物産・関東自動車などへ販売先を拡大。1959年9月に本社・本社工場を昭島市の現在地へ移転。1986年3月末時点で本社(昭島)、本社工場ほか6工場(青梅・安城・入間・平塚・栃木・鈴鹿)
- [10]1954年改組後、旧プリンス自動車・池田物産・関東自動車などへ販売先を拡大。1959年9月に本社・本社工場を昭島市の現在地へ移転。1986年3月末時点で本社(昭島)、本社工場ほか6工場(青梅・安城・入間・平塚・栃木・鈴鹿)
- [11]1954年改組後、旧プリンス自動車・池田物産・関東自動車などへ販売先を拡大。1959年9月に本社・本社工場を昭島市の現在地へ移転。1986年3月末時点で本社(昭島)、本社工場ほか6工場(青梅・安城・入間・平塚・栃木・鈴鹿)
- 証券アナリストジャーナル 25(4) 1987年(清水猛)
- [8]日産のシート会社は池田物産。1987年時点の国内自動車用シート生産シェアで池田物産(日産系)は第2位
- タチエス 有価証券報告書【沿革】
- [9]1959年9月、本社及び工場を東京都昭島市に移転
参考文献[1]-[11]
- タチエス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1954年4月、立川スプリング製作所の事業拡張に対処し経営基盤強化のため組織変更し、東京都立川市に立川スプリング㈱を設立
- [3]1954年4月、立川スプリング製作所の事業拡張に対処し経営基盤強化のため組織変更し、東京都立川市に立川スプリング㈱を設立
- [9]1959年9月、本社及び工場を東京都昭島市に移転
- 証券 39(2) 1987年
- [2]前身は故斉藤信義が1949年4月に立川市で創業した立川スプリング製作所(精密スプリング・自動車用座席部品の製造販売)。1954年4月に改組設立後、自動車用座席部門に注力
- [6]前身は故斉藤信義が1949年4月に立川市で創業した立川スプリング製作所(精密スプリング・自動車用座席部品の製造販売)。1954年4月に改組設立後、自動車用座席部門に注力
- [7]1954年改組後、旧プリンス自動車・池田物産・関東自動車などへ販売先を拡大。1959年9月に本社・本社工場を昭島市の現在地へ移転。1986年3月末時点で本社(昭島)、本社工場ほか6工場(青梅・安城・入間・平塚・栃木・鈴鹿)
- [10]1954年改組後、旧プリンス自動車・池田物産・関東自動車などへ販売先を拡大。1959年9月に本社・本社工場を昭島市の現在地へ移転。1986年3月末時点で本社(昭島)、本社工場ほか6工場(青梅・安城・入間・平塚・栃木・鈴鹿)
- [11]1954年改組後、旧プリンス自動車・池田物産・関東自動車などへ販売先を拡大。1959年9月に本社・本社工場を昭島市の現在地へ移転。1986年3月末時点で本社(昭島)、本社工場ほか6工場(青梅・安城・入間・平塚・栃木・鈴鹿)
- 証券アナリストジャーナル 25(4) 1987年(清水猛)
- [4]創業者は初代社長の斉藤信義。当初スプリングを製造し、約30年前に付加価値の高いものを求めて自動車用シート業界へ参入(1987年3月の清水猛専務の講演)
- [5]創業者は初代社長の斉藤信義。当初スプリングを製造し、約30年前に付加価値の高いものを求めて自動車用シート業界へ参入(1987年3月の清水猛専務の講演)
- [8]日産のシート会社は池田物産。1987年時点の国内自動車用シート生産シェアで池田物産(日産系)は第2位
1961年〜精密スプリング部門を切り離した座席専業と、日野・日産・三菱重工へ広げた販路
1961年4月、立川スプリングは精密スプリングの事業を切り出して立川発条を設立し、自らは座席だけを手がける専業会社となった。立川発条は現在のタチエスH&Pで、タチエスの連結子会社である。1986年8月時点でも立川発条はタチエス株式497,600株を保有する大株主であった。清水猛氏は1987年、自動車が人を乗せる限り座席は必要で、長く需要が続く製品だとの見方を示した。新車の開発は発表の36か月ほど前に始まり、座席の開発も同時に動き出すため、座席会社は完成車メーカーと一体で製品を作る。完成車の開発日程に合わせて動く座席と、汎用部品のスプリングとでは事業の進め方が異なり、分離はその違いを組織に映したものと推察される。
- 証券 39(2) 1987年
- [12]1961年4月に精密スプリング部門を分離し、自動車用座席の専業メーカーとなる。1986年8月1日現在の大株主に立川発条㈱(497,600株)
- [15]1961年4月に精密スプリング部門を分離し、自動車用座席の専業メーカーとなる。1986年8月1日現在の大株主に立川発条㈱(497,600株)
- タチエス 有価証券報告書【沿革】
- [13]1961年4月、精密スプリング部門を分離し立川発条㈱(現 ㈱タチエスH&P)として独立(現 連結子会社)
- [14]1961年4月、精密スプリング部門を分離し立川発条㈱(現 ㈱タチエスH&P)として独立(現 連結子会社)
- 証券アナリストジャーナル 25(4) 1987年(清水猛)
- [16]シートは自動車が人を乗せる限り必要な息の長い製品。新車開発は発表の約36カ月前に始まり、シート開発も同時にスタートし、カー・メーカーと一体で開発するのが普通(1987年の清水猛専務の講演)
- [17]シートは自動車が人を乗せる限り必要な息の長い製品。新車開発は発表の約36カ月前に始まり、シート開発も同時にスタートし、カー・メーカーと一体で開発するのが普通(1987年の清水猛専務の講演)
座席専業となった立川スプリングは、1960年前後から1965年ごろまでに日野自動車工業、旧日産自動車、三菱重工業と取引を始めた。旧日産自動車は1966年8月にプリンス自動車と合併し、三菱重工業の自動車部門は現在の三菱自動車工業である。座席会社は完成車メーカーと開発を共にするため、特定の1社と系列関係を結ぶのが通例であった。1987年時点の国内の座席会社16社のうち、タチエスを除く15社は特定の完成車メーカーの専属に近かった。創業者の斉藤信義氏は『独立専業のシート・メーカーが認められる時が将来必ずくる』との信念から、独立専業を経営方針の根幹に置いた。得意先を1社に絞らない方針が、後に複数の完成車メーカーから同時に資本を受け入れる素地になったのだろう。
- 証券 39(2) 1987年
- [18]昭和30年代中ごろから40年ごろにかけて日野自動車工業、旧日産自動車(1966年8月プリンス自動車と合併)、三菱重工業(現三菱自動車工業)などと取引を開始
- [19]昭和30年代中ごろから40年ごろにかけて日野自動車工業、旧日産自動車(1966年8月プリンス自動車と合併)、三菱重工業(現三菱自動車工業)などと取引を開始
- 証券アナリストジャーナル 25(4) 1987年(清水猛)
- [20]カー・メーカーとシート・メーカーは系列的関係が通常で、国内シート・メーカー16社のうち当社を除く15社は特定カー・メーカーの専属的性格が強い。当社は独立専業を経営の基本とし、創業者の信念による(1987年の清水猛専務の講演)
- [21]カー・メーカーとシート・メーカーは系列的関係が通常で、国内シート・メーカー16社のうち当社を除く15社は特定カー・メーカーの専属的性格が強い。当社は独立専業を経営の基本とし、創業者の信念による(1987年の清水猛専務の講演)
- [22]カー・メーカーとシート・メーカーは系列的関係が通常で、国内シート・メーカー16社のうち当社を除く15社は特定カー・メーカーの専属的性格が強い。当社は独立専業を経営の基本とし、創業者の信念による(1987年の清水猛専務の講演)
自動車の大衆化と販売先の拡大に合わせて、立川スプリングは生産拠点を増やした。座席の完成品は得意先の組立ラインに直結して納めるため、最終組立の拠点は得意先の工場の近くに置く必要があった。1969年4月には青梅工場(東京都青梅市)を開設した。1971年10月、のちのタチエスパーツとなる日本プルマフレックスを同じ青梅に設立。1973年3月、日産自動車を引受先とする第三者割当増資で、立川スプリングは完成車メーカーから初めて出資を受けた。同じ時期に日野自動車工業と三菱自動車工業も株式を取得し、3社が大株主に並んだ。系列に属さず複数の完成車メーカーと取引してきた座席会社に得意先の3社がそろって出資したことで、資本の面でも特定の1社に偏らない形が保たれたとみられる。
- 証券 39(2) 1987年
- [23]モータリゼーションの普及と販売先の拡大に伴い規模を拡大し、1969年に青梅に工場を設置。1973年3月に日産自動車へ第三者割当増資を実施し初めて自動車メーカーの資本参加を受け、同時に日野自動車工業・三菱自動車工業も株式を取得し大株主となる。完成品の納品は販売先の組立ラインと直結し、最終組立の生産拠点は販売先の組立工場の近隣に設置(1986年時点)
- [24]モータリゼーションの普及と販売先の拡大に伴い規模を拡大し、1969年に青梅に工場を設置。1973年3月に日産自動車へ第三者割当増資を実施し初めて自動車メーカーの資本参加を受け、同時に日野自動車工業・三菱自動車工業も株式を取得し大株主となる。完成品の納品は販売先の組立ラインと直結し、最終組立の生産拠点は販売先の組立工場の近隣に設置(1986年時点)
- [27]モータリゼーションの普及と販売先の拡大に伴い規模を拡大し、1969年に青梅に工場を設置。1973年3月に日産自動車へ第三者割当増資を実施し初めて自動車メーカーの資本参加を受け、同時に日野自動車工業・三菱自動車工業も株式を取得し大株主となる。完成品の納品は販売先の組立ラインと直結し、最終組立の生産拠点は販売先の組立工場の近隣に設置(1986年時点)
- [28]モータリゼーションの普及と販売先の拡大に伴い規模を拡大し、1969年に青梅に工場を設置。1973年3月に日産自動車へ第三者割当増資を実施し初めて自動車メーカーの資本参加を受け、同時に日野自動車工業・三菱自動車工業も株式を取得し大株主となる。完成品の納品は販売先の組立ラインと直結し、最終組立の生産拠点は販売先の組立工場の近隣に設置(1986年時点)
- タチエス 有価証券報告書【沿革】
- [25]1969年4月青梅工場開設。1971年10月青梅市に日本プルマフレックス㈱(後の㈱タチエスパーツ)を設立。1973年3月日産自動車・日野自動車工業・三菱自動車工業より資本参加
- [26]1969年4月青梅工場開設。1971年10月青梅市に日本プルマフレックス㈱(後の㈱タチエスパーツ)を設立。1973年3月日産自動車・日野自動車工業・三菱自動車工業より資本参加
- [29]1969年4月青梅工場開設。1971年10月青梅市に日本プルマフレックス㈱(後の㈱タチエスパーツ)を設立。1973年3月日産自動車・日野自動車工業・三菱自動車工業より資本参加
参考文献[12]-[29]
- 証券 39(2) 1987年
- [12]1961年4月に精密スプリング部門を分離し、自動車用座席の専業メーカーとなる。1986年8月1日現在の大株主に立川発条㈱(497,600株)
- [15]1961年4月に精密スプリング部門を分離し、自動車用座席の専業メーカーとなる。1986年8月1日現在の大株主に立川発条㈱(497,600株)
- [18]昭和30年代中ごろから40年ごろにかけて日野自動車工業、旧日産自動車(1966年8月プリンス自動車と合併)、三菱重工業(現三菱自動車工業)などと取引を開始
- [19]昭和30年代中ごろから40年ごろにかけて日野自動車工業、旧日産自動車(1966年8月プリンス自動車と合併)、三菱重工業(現三菱自動車工業)などと取引を開始
- [23]モータリゼーションの普及と販売先の拡大に伴い規模を拡大し、1969年に青梅に工場を設置。1973年3月に日産自動車へ第三者割当増資を実施し初めて自動車メーカーの資本参加を受け、同時に日野自動車工業・三菱自動車工業も株式を取得し大株主となる。完成品の納品は販売先の組立ラインと直結し、最終組立の生産拠点は販売先の組立工場の近隣に設置(1986年時点)
- [24]モータリゼーションの普及と販売先の拡大に伴い規模を拡大し、1969年に青梅に工場を設置。1973年3月に日産自動車へ第三者割当増資を実施し初めて自動車メーカーの資本参加を受け、同時に日野自動車工業・三菱自動車工業も株式を取得し大株主となる。完成品の納品は販売先の組立ラインと直結し、最終組立の生産拠点は販売先の組立工場の近隣に設置(1986年時点)
- [27]モータリゼーションの普及と販売先の拡大に伴い規模を拡大し、1969年に青梅に工場を設置。1973年3月に日産自動車へ第三者割当増資を実施し初めて自動車メーカーの資本参加を受け、同時に日野自動車工業・三菱自動車工業も株式を取得し大株主となる。完成品の納品は販売先の組立ラインと直結し、最終組立の生産拠点は販売先の組立工場の近隣に設置(1986年時点)
- [28]モータリゼーションの普及と販売先の拡大に伴い規模を拡大し、1969年に青梅に工場を設置。1973年3月に日産自動車へ第三者割当増資を実施し初めて自動車メーカーの資本参加を受け、同時に日野自動車工業・三菱自動車工業も株式を取得し大株主となる。完成品の納品は販売先の組立ラインと直結し、最終組立の生産拠点は販売先の組立工場の近隣に設置(1986年時点)
- タチエス 有価証券報告書【沿革】
- [13]1961年4月、精密スプリング部門を分離し立川発条㈱(現 ㈱タチエスH&P)として独立(現 連結子会社)
- [14]1961年4月、精密スプリング部門を分離し立川発条㈱(現 ㈱タチエスH&P)として独立(現 連結子会社)
- [25]1969年4月青梅工場開設。1971年10月青梅市に日本プルマフレックス㈱(後の㈱タチエスパーツ)を設立。1973年3月日産自動車・日野自動車工業・三菱自動車工業より資本参加
- [26]1969年4月青梅工場開設。1971年10月青梅市に日本プルマフレックス㈱(後の㈱タチエスパーツ)を設立。1973年3月日産自動車・日野自動車工業・三菱自動車工業より資本参加
- [29]1969年4月青梅工場開設。1971年10月青梅市に日本プルマフレックス㈱(後の㈱タチエスパーツ)を設立。1973年3月日産自動車・日野自動車工業・三菱自動車工業より資本参加
- 証券アナリストジャーナル 25(4) 1987年(清水猛)
- [16]シートは自動車が人を乗せる限り必要な息の長い製品。新車開発は発表の約36カ月前に始まり、シート開発も同時にスタートし、カー・メーカーと一体で開発するのが普通(1987年の清水猛専務の講演)
- [17]シートは自動車が人を乗せる限り必要な息の長い製品。新車開発は発表の約36カ月前に始まり、シート開発も同時にスタートし、カー・メーカーと一体で開発するのが普通(1987年の清水猛専務の講演)
- [20]カー・メーカーとシート・メーカーは系列的関係が通常で、国内シート・メーカー16社のうち当社を除く15社は特定カー・メーカーの専属的性格が強い。当社は独立専業を経営の基本とし、創業者の信念による(1987年の清水猛専務の講演)
- [21]カー・メーカーとシート・メーカーは系列的関係が通常で、国内シート・メーカー16社のうち当社を除く15社は特定カー・メーカーの専属的性格が強い。当社は独立専業を経営の基本とし、創業者の信念による(1987年の清水猛専務の講演)
- [22]カー・メーカーとシート・メーカーは系列的関係が通常で、国内シート・メーカー16社のうち当社を除く15社は特定カー・メーカーの専属的性格が強い。当社は独立専業を経営の基本とし、創業者の信念による(1987年の清水猛専務の講演)
出典・参考
3件
- タチエス 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 25(4) 1987年(清水猛)
- 証券 39(2) 1987年