第2章 年〜年

佐世保重工業:世界最大のタンカー日章丸と第4ドックの拡張

1962年〜国から借りた施設の払下げと日章丸の竣工

佐世保重工業が使う造船所は、長く国の持ち物だった。旧佐世保海軍工廠の造船造機部門の施設を国から借り受けたまま、船舶の修理や艦艇の解体、電源開発関係その他の一般鉄構造物や一般産業機械の造修に当たってきた。1962年5月、国有財産の払下げによって、それまで借りていた施設は社有財産に変わった。新造船に参入した後も国の名義のままだった設備を自社のものにする作業は二度に分けて進み、1961年10月に佐世保造船所施設の第一次払下げがあり、第二次の払下げが1962年に続いた。そもそも新造船が造れなかったのは建造自体が禁止されていたからで、この縛りがなくなったのは1952年4月の講和条約発効によってである。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編 企業の歴史「佐世保重工業」
    • [1]旧佐世保海軍工廠の造船造機部門の施設を国より借用し、船舶の修理や艦艇の解体をはじめ、電源開発関係その他一般鉄構造物ならびに一般産業機械の造修に当たった
    • [3]昭和36年10月、借用中の佐世保造船所施設の第一次払下げを受け、37年にはさらに第二次払下げを受けたので、これにより全施設が社有財産となる
    • [4]昭和27年4月、講和条約発効により新造船建造禁止などの諸制約が解除され、新造船の建造を開始した
  • 佐世保重工業株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1962年5月、国有財産の払下げを受け、借用中の施設は社有財産となる

払下げが済むと、佐世保重工業は主力を巨大タンカーへ移した。1962年10月に竣工した日章丸は132,334重量トンと当時世界最大のタンカーで、この一隻で同社は巨船建造のトップメーカーとなった。工廠の借り物の設備で艦艇をばらしてきた造船所が、自社の資産となった船台から世界最大の商船を出す立場に変わったのである。1968年の時点では17万5000重量トンタンカーを続けて建造しており、船がさらに大きくなる先行きを見込んで、建造用の第4ドックと修繕用の第3ドックをいずれも30万重量トンドックに広げる方針を固めた。このうち修繕用の第3ドックは、同じ1968年の2月に国から買い受けたものである。

  • 佐世保重工業株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [5]1962年10月、当時世界最大のタンカー「日章丸」(132,334DWT)を竣工
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編 企業の歴史「佐世保重工業」
    • [6]昭和37年には当時世界最大のタンカー「日章丸」を建造し巨船のトップメーカーとしての地位を確立
    • [7]造船部門では17万5000重量トンタンカーの連続建造に取り組んでいる(1968年時点)
    • [8]さらに大型化する将来に備え、建造用第四ドックと修繕用第三ドックをそれぞれ30万重量トンドックに拡張する方針を決定し、拡張工事を続行中
    • [9]修繕用第三ドックは昭和43年2月に国より買い受けた
参考文献[1]-[9]
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編 企業の歴史「佐世保重工業」
    • [1]旧佐世保海軍工廠の造船造機部門の施設を国より借用し、船舶の修理や艦艇の解体をはじめ、電源開発関係その他一般鉄構造物ならびに一般産業機械の造修に当たった
    • [3]昭和36年10月、借用中の佐世保造船所施設の第一次払下げを受け、37年にはさらに第二次払下げを受けたので、これにより全施設が社有財産となる
    • [4]昭和27年4月、講和条約発効により新造船建造禁止などの諸制約が解除され、新造船の建造を開始した
    • [6]昭和37年には当時世界最大のタンカー「日章丸」を建造し巨船のトップメーカーとしての地位を確立
    • [7]造船部門では17万5000重量トンタンカーの連続建造に取り組んでいる(1968年時点)
    • [8]さらに大型化する将来に備え、建造用第四ドックと修繕用第三ドックをそれぞれ30万重量トンドックに拡張する方針を決定し、拡張工事を続行中
    • [9]修繕用第三ドックは昭和43年2月に国より買い受けた
  • 佐世保重工業株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [2]1962年5月、国有財産の払下げを受け、借用中の施設は社有財産となる
    • [5]1962年10月、当時世界最大のタンカー「日章丸」(132,334DWT)を竣工

1966年〜日本鋼管との業務提携と二度のドック拡張

設備を自社のものにした佐世保重工業は、船以外の収益源も立てにかかった。1966年に日本鋼管と受注・生産・資材などの業務提携を締結し、同じ年には生産部門として鉄構部を新設した。同年12月には資本金を20億円へ増やしている。鉄構部門では高速道路鋼桁、一般橋梁、水門扉、水圧鉄管を手掛け、大陸棚資源開発の関連設備である海洋構造物や特殊作業船の分野にも入った。機械部門でも原動機、一般重機械、化学工業・製鉄・運搬の諸機械、鋳鍛造品を、素材から組立まで一貫して作っている。1968年時点の事業は船舶艦艇、陸舶用機関、製鉄機械、プレス、ダイカストマシン、化工機、鉄構造物、運搬機械、鋳鍛造物、土木建築機械に及び、従業員は5,366名を数えた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編 企業の歴史「佐世保重工業」
    • [10]昭和41年、日本鋼管と生産、技術、資材などの業務提携を締結
    • [12]昭和41年12月、資本金を20億円に増加
    • [13]鉄構部門では高速道路鋼桁、一般橋梁、水門扉、水圧鉄管などを手掛け、大陸棚資源開発の関連設備(海洋構造物や特殊作業船など)の分野に進出
    • [14]機械部門では素材より組立までの一貫メーカーとして、原動機、一般重機械、化学工業、製鉄、運搬諸機械や鋳鍛造品などを手掛けている
    • [15]事業は船舶艦艇、陸舶用機関、製鉄機械、プレス、ダイカストマシン、化工機、鉄構造物、運搬機械、鋳鍛造物、土木建築機械。従業員5366名(1968年時点)
  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
    • [11]昭和41年、生産部門として鉄構部を新設。多角化へのスタートを切る

提携から3年後、大型船を受け入れる設備が広がった。1969年9月、修理用の第3ドックの拡張工事が完成し、180,000総トンまで扱えるようになった。1973年9月には建造用の第4ドックの拡張工事が完成し、225,000総トンへ広がった。修理と建造の双方で大型船を受けられる構えができたことになる。ドックを二度広げた判断は、タンカーの大型化がこのまま続くという前提の上に立っていた。手掛ける船種も同じ時期に増え、1972年にはブリヂストン液化ガスと低温液化ガス運搬船の製造販売に関する契約を締結している。

  • 佐世保重工業株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1969年9月、第3ドック(修理用)拡張工事完成(180,000GT)
    • [17]1973年9月、第4ドック(建造用)拡張工事完成(225,000GT)
  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
    • [18]昭和47年、ブリヂストン液化ガスと低温液化ガス運搬船の製造販売に関する契約を締結
参考文献[10]-[18]
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編 企業の歴史「佐世保重工業」
    • [10]昭和41年、日本鋼管と生産、技術、資材などの業務提携を締結
    • [12]昭和41年12月、資本金を20億円に増加
    • [13]鉄構部門では高速道路鋼桁、一般橋梁、水門扉、水圧鉄管などを手掛け、大陸棚資源開発の関連設備(海洋構造物や特殊作業船など)の分野に進出
    • [14]機械部門では素材より組立までの一貫メーカーとして、原動機、一般重機械、化学工業、製鉄、運搬諸機械や鋳鍛造品などを手掛けている
    • [15]事業は船舶艦艇、陸舶用機関、製鉄機械、プレス、ダイカストマシン、化工機、鉄構造物、運搬機械、鋳鍛造物、土木建築機械。従業員5366名(1968年時点)
  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
    • [11]昭和41年、生産部門として鉄構部を新設。多角化へのスタートを切る
    • [18]昭和47年、ブリヂストン液化ガスと低温液化ガス運搬船の製造販売に関する契約を締結
  • 佐世保重工業株式会社 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1969年9月、第3ドック(修理用)拡張工事完成(180,000GT)
    • [17]1973年9月、第4ドック(建造用)拡張工事完成(225,000GT)

1976年〜造船不況下の創立30周年と来島どっくへの株式移動

1976年10月、佐世保重工業は創立30周年を迎えた。記念の挨拶に立った村田章社長は、1949年、1950年、1954年、1955年と造船界の不景気のたびに全員でこらえて切り抜けてきた30年を振り返り、いま造船界がぶつかっているのは前例のない不況と呼ぶべき局面で、世間でいわれている以上に深刻だと述べた。さらに、世界が節約へ向かって物資の流れが落ち込んだままであり、荷動きが回復しても造船業に仕事が回ってくるまでには二年ほどかかるとの見通しも示した。大型化をにらんで広げた設備は、オイルショック後に荷動きが滞ったことで使い道を失っていた。30周年の祝いは、景気の回復まで先送りされた。

  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)
    • [19]SSKは昭和51年10月、創立30周年を迎えた
    • [20]村田章社長は同挨拶で、昭和24年、25年、29年、30年と造船界不景気の時代には大変な困難に遭遇したが全員でふんばり見事克服してきたと述べた
    • [21]村田章社長は創立30周年の社長挨拶で「現在、造船界は未曽有の不況ともいうべき時期に直面しております。これは口でいわれているよりもっと深刻です」と述べた
    • [22]村田章社長は同挨拶で、世界中が節約ムードに入り物資の流通が後退したままで、荷動きが出てから造船業に出番が回るまで二年ぐらいかかりそうだと述べた
    • [23]村田章社長は同挨拶で、三十周年という記念すべき年に会社は苦しい立場にあって何も祝いができず、これは先へ伸ばし景気回復次第できるだけの祝いをしたいと述べた

造船の受注が細るなかで、株主の顔ぶれも入れ替わった。1975年、来島どっくが大洋漁業から佐世保重工業の株式を取得し、1977年には大洋漁業が持ち株をすべて来島どっくへ売却して株主から外れた。二年のあいだに、資本の側は水産会社から造船会社へ移った。同年9月期末の持株比率は、来島どっくが25%、日本鋼管が24%、新日本製鉄が14%、日商岩井が10%だった。上位4社で持株の73%を占めている。1966年に受注・生産・資材の業務提携を締結した日本鋼管は、この時点で24%を握る第二位の株主でもあった。

  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
    • [24]昭和50年、来島どっくが大洋漁業から同社株を取得
    • [25]昭和52年、大洋漁業が持ち株をすべて来島どっくに売却
    • [26]昭和52年9月期末の持株比率は来島どっく25%、日本鋼管24%、新日本製鉄14%、日商岩井10%
    • [27]昭和52年9月期末の持株比率は来島どっく25%、日本鋼管24%、新日本製鉄14%、日商岩井10%で、合計73%
    • [28]昭和41年に日本鋼管と受注、生産、資材などの業務提携を結び、昭和52年9月期末の日本鋼管の持株比率は24%

受注の減少は、造船所の外へそのまま伝わった。佐世保重工業の関連下請け企業96社の1977年の売上高合計は1974年と比べて約4割減り、従業員数は6割減っている。佐世保重工業の企業グループが佐世保市に占める比重は、工業製品出荷額でも雇用でも法人市民税でも、トヨタ自動車工業の豊田市や旭化成工業の延岡市と大差がない。それでいて売上高に占める造船の比率は高いままで、陸上部門の強化と合理化は三菱重工業長崎に数歩の遅れを取った。1957年に構内下請けとして創立した三和工業は、八幡製鉄所や旭硝子九州工場へ仕事先を広げ、鉄構技術を生かして総合建設業に進み、1970年には海外の森林資源開発にも乗り出している。

  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
    • [29]佐世保市のまとめた「佐世保市造船関連企業の現況」によれば、佐世保重工業の関連下請け企業96社合計の昭和52年の売り上げは49年と比較すると約4割減、従業員数は6割減った
    • [30]佐世保重工業の佐世保市に占めるウエートは工業製品出荷額、雇用、法人市民税でみて豊田市(トヨタ自動車工業)、延岡市(旭化成工業)と比べてそれほど大差はない
    • [31]同社の経営行き詰まりは陸上部門強化と合理化の遅れといわれ、三菱重工業長崎と比較すると佐世保重工業の合理化、陸上部門強化は数歩遅れている。売り上げに占める造船のウエートはなお高い
    • [32]三和工業は昭和32年に佐世保重工業の構内下請け企業として創立。八幡製鉄所(現新日本製鉄)、旭硝子九州工場に入り込み、鉄構技術を生かして総合建設業に打って出て、45年には海外事業として森林資源の開発に乗りだした
参考文献[19]-[32]
  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)
    • [19]SSKは昭和51年10月、創立30周年を迎えた
    • [20]村田章社長は同挨拶で、昭和24年、25年、29年、30年と造船界不景気の時代には大変な困難に遭遇したが全員でふんばり見事克服してきたと述べた
    • [21]村田章社長は創立30周年の社長挨拶で「現在、造船界は未曽有の不況ともいうべき時期に直面しております。これは口でいわれているよりもっと深刻です」と述べた
    • [22]村田章社長は同挨拶で、世界中が節約ムードに入り物資の流通が後退したままで、荷動きが出てから造船業に出番が回るまで二年ぐらいかかりそうだと述べた
    • [23]村田章社長は同挨拶で、三十周年という記念すべき年に会社は苦しい立場にあって何も祝いができず、これは先へ伸ばし景気回復次第できるだけの祝いをしたいと述べた
  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
    • [24]昭和50年、来島どっくが大洋漁業から同社株を取得
    • [25]昭和52年、大洋漁業が持ち株をすべて来島どっくに売却
    • [26]昭和52年9月期末の持株比率は来島どっく25%、日本鋼管24%、新日本製鉄14%、日商岩井10%
    • [27]昭和52年9月期末の持株比率は来島どっく25%、日本鋼管24%、新日本製鉄14%、日商岩井10%で、合計73%
    • [28]昭和41年に日本鋼管と受注、生産、資材などの業務提携を結び、昭和52年9月期末の日本鋼管の持株比率は24%
    • [29]佐世保市のまとめた「佐世保市造船関連企業の現況」によれば、佐世保重工業の関連下請け企業96社合計の昭和52年の売り上げは49年と比較すると約4割減、従業員数は6割減った
    • [30]佐世保重工業の佐世保市に占めるウエートは工業製品出荷額、雇用、法人市民税でみて豊田市(トヨタ自動車工業)、延岡市(旭化成工業)と比べてそれほど大差はない
    • [31]同社の経営行き詰まりは陸上部門強化と合理化の遅れといわれ、三菱重工業長崎と比較すると佐世保重工業の合理化、陸上部門強化は数歩遅れている。売り上げに占める造船のウエートはなお高い
    • [32]三和工業は昭和32年に佐世保重工業の構内下請け企業として創立。八幡製鉄所(現新日本製鉄)、旭硝子九州工場に入り込み、鉄構技術を生かして総合建設業に打って出て、45年には海外事業として森林資源の開発に乗りだした

出典・参考

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出典・参考
  • 佐世保重工業株式会社 有価証券報告書【沿革】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編、1968年)3編 企業の歴史「佐世保重工業」
  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)

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