第3章 年〜年

佐世保重工業:坪内寿夫の社長就任と7100人から3000人への人員削減

1978年〜更生法によらない再建と坪内寿夫氏の招請

1978年1月、佐世保重工業は労使協議会で人員削減を提案し、3月には希望退職者850人の募集に踏み切った。ところが、応募した1,681名へ支払う退職金83億円を用意できなかった。会社更生法を使わずに、造船大手八社に入る規模の企業を再建しようという救済の動きだった。第一勧銀は融資の条件として大株主による債務保証を求めたが、日本鋼管など、来島どっくも含めた大株主はいずれも拒否した。4月、辻佐世保市長が政府へ支援を求め、福田首相と福永運輸相が救済問題を協議した。永野日商会頭が来島どっくの坪内寿夫社長と会談したのは5月である。

  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)SSK再建の歩み
    • [1]1978年1月に労使協議会で人員削減を会社側が提案し、3月に希望退職者850人を募集した
    • [5]1978年4月、佐世保市長が政府にSSK支援を要請し、福田首相と福永運輸相がSSK救済問題で協議した
    • [6]1978年5月、永野日商会頭がSSK救済で来島どっくの坪内社長と会談した
  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)
    • [2]対策として募った希望退職者1,681名に退職金83億円を支払えなかったことが救済劇の発端だった
    • [3]佐世保重工再建は、造船大手八社の一つに数えられる規模の会社を更生法によらないで再建する点で普通の会社再建と性格を異にした
    • [4]退職金の融資に際して銀行団は大株主の債務保証を強硬に求めたが、日本鋼管など他の大株主(来島どっくを含む)は応じなかった

坪内氏が佐世保重工業の大株主となったのは、大洋漁業の中部謙吉前社長からの依頼による。中部氏は来島どっくに船を注文して船価が佐世保より2割安かったことから、白洲次郎氏を介して株式の引き受けと経営指導を坪内氏に求め、1976年5月の役員会で会長就任を諮った。その1カ月後、新日鉄の田坂輝敬副社長が坪内氏を訪ね、日本鋼管の槇田久生社長に頼まれた使者として会長就任の辞退を求めた。坪内氏は同郷の田坂氏の求めを受け入れ、大株主のまま経営から離れた。債務保証の要請が突如持ち込まれたのは、その2年後である。

  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
    • [7]坪内寿夫氏は大洋漁業の中部謙吉前社長に頼まれて佐世保重工業に資本参加した
    • [8]中部氏は来島どっくの船価が佐世保より2割安かったことから白洲次郎氏を介して株式引き受けと経営指導を依頼し、1976年5月の役員会で坪内氏の会長就任を諮った
    • [9]その1カ月後、新日鉄の田坂輝敬副社長が、日本鋼管の槇田久生社長に頼まれた使者として坪内氏に会長就任の辞退を求めた
    • [10]坪内氏は田坂氏と同郷であることから話は違うと思いながらも耐え、会長就任を見送った
    • [11]1978年になって突如、大株主が保証しないとつぶれるという話になった

坪内氏は1953年に来島船渠の再建を引き受けて以来、宇和島造船所、大王製紙、伊予鉄道、東邦相互銀行などの再建を重ね、来島グループは約100社・従業員1万人に達していた。6月末、坪内氏は佐世保重工業の社長就任を受諾した。4月初めに村田社長・久保長崎県知事・辻佐世保市長が政府へ救済を要請してから受諾までの期間を、マスコミは80日間の漂流と呼んだ。就任後にまず着手したのは退職金の工面であり、83億円のうち3分の1を坪内氏が個人で債務保証した。銀行はこの保証がなければ資金を出さなかった。10月、佐世保重工業は日本鋼管との業務提携を解消し、7,800万株強の第三者割当増資を実施した。

  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
    • [12]坪内寿夫氏は1953年に来島船渠の再建に成功したのをきっかけに宇和島造船所・大王製紙・伊予鉄道などの再建を引き受け、グループの企業数は約100社、従業員総数は1万人に及んだ
  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)
    • [13]1978年6月末に坪内寿夫氏が佐世保重工業の社長就任を受諾した
    • [14]村田社長・久保長崎県知事・辻佐世保市長が政府に救済を要請した1978年4月初めから坪内氏が受諾する6月末までを、マスコミ等は「八十日間の漂流」と呼んだ
    • [15]坪内社長がまずやらなければならなかったのは退職金の工面で、83億円のうち3分の1を坪内氏個人が債務保証した
    • [16]銀行は坪内氏の保証がなければ資金を出さなかった
  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)SSK再建の歩み
    • [17]1978年10月に日本鋼管との業務提携を解消し、7,800万株強の第三者割当増資を行った
参考文献[1]-[17]
  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)SSK再建の歩み
    • [1]1978年1月に労使協議会で人員削減を会社側が提案し、3月に希望退職者850人を募集した
    • [5]1978年4月、佐世保市長が政府にSSK支援を要請し、福田首相と福永運輸相がSSK救済問題で協議した
    • [6]1978年5月、永野日商会頭がSSK救済で来島どっくの坪内社長と会談した
    • [17]1978年10月に日本鋼管との業務提携を解消し、7,800万株強の第三者割当増資を行った
  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)
    • [2]対策として募った希望退職者1,681名に退職金83億円を支払えなかったことが救済劇の発端だった
    • [3]佐世保重工再建は、造船大手八社の一つに数えられる規模の会社を更生法によらないで再建する点で普通の会社再建と性格を異にした
    • [4]退職金の融資に際して銀行団は大株主の債務保証を強硬に求めたが、日本鋼管など他の大株主(来島どっくを含む)は応じなかった
    • [13]1978年6月末に坪内寿夫氏が佐世保重工業の社長就任を受諾した
    • [14]村田社長・久保長崎県知事・辻佐世保市長が政府に救済を要請した1978年4月初めから坪内氏が受諾する6月末までを、マスコミ等は「八十日間の漂流」と呼んだ
    • [15]坪内社長がまずやらなければならなかったのは退職金の工面で、83億円のうち3分の1を坪内氏個人が債務保証した
    • [16]銀行は坪内氏の保証がなければ資金を出さなかった
  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
    • [7]坪内寿夫氏は大洋漁業の中部謙吉前社長に頼まれて佐世保重工業に資本参加した
    • [8]中部氏は来島どっくの船価が佐世保より2割安かったことから白洲次郎氏を介して株式引き受けと経営指導を依頼し、1976年5月の役員会で坪内氏の会長就任を諮った
    • [9]その1カ月後、新日鉄の田坂輝敬副社長が、日本鋼管の槇田久生社長に頼まれた使者として坪内氏に会長就任の辞退を求めた
    • [10]坪内氏は田坂氏と同郷であることから話は違うと思いながらも耐え、会長就任を見送った
    • [11]1978年になって突如、大株主が保証しないとつぶれるという話になった
    • [12]坪内寿夫氏は1953年に来島船渠の再建に成功したのをきっかけに宇和島造船所・大王製紙・伊予鉄道などの再建を引き受け、グループの企業数は約100社、従業員総数は1万人に及んだ

出典・参考

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出典・参考
  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)SSK再建の歩み
  • 日経ビジネス 1978年5月22日号
  • 佐世保重工業に"再建の鬼"が来た! : 坪内流経営の秘密(1981年)

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