この件で日立造船が選んだのは、談合の認定そのものを受け入れないことであった。1999年の勧告不応諾から数えれば14年、排除措置審決にも課徴金納付命令にも審判と訴訟を重ね、高裁・最高裁のすべての段階を使っている。行政処分を争うのは企業の権利であり、命令の失効によって納付を先送りできた期間も長い。ただ、その時間の長さは、いつ確定するか分からない負担を毎期の決算で負い続けることと引き換えであったと推察される。訴訟損失引当金繰入額が3期続けて数十億円規模で積まれたのは、争いが終わらなかったためである。
もっとも、争いの終わり方は静かであった。課徴金は審決の翌々月に納付され、2013年10月の上告棄却の時点で財政状態・経営成績・キャッシュ・フローへの影響は残っていない。争点は優劣ではなく、いつ費用として認めるかにあったともいえる。同じ時期に鋼橋上部工事とし尿処理施設建設工事でも刑事告発を受け、営業停止処分まで受けた事実を並べれば、この14年は一件の係争ではなく、官公需に依存した受注構造そのものの後始末だったのだろう。