マクセル:日東電気工業からの分離独立と九州日立マクセル
1960年〜日東電気工業から分かれたマクセル電気工業と、日立製作所の資本参加による系列入り
日立マクセルの前身は、1960年9月に大阪府茨木市で設立されたマクセル電気工業である。分離元の日東電気工業は、電気絶縁材料の部門と、乾電池・磁気テープの部門の2つを持っていた。乾電池は終戦後に進駐軍の要請を受けてラジオ用に開発し、磁気テープも進駐軍が持ち込んだ録音機向けに研究を始めた製品だった。新製品は絶縁材料とは売り先の経路が異なったため、日東電気工業は全額出資で新会社を立て、乾電池・磁気テープ・録音機の部門を譲渡した。この部門が分離独立して事業を始めたのは1961年2月である。販路の異なる製品を1社に抱え続けるより、会社を分けて売り先ごとに経営を組み立てるほうが得策と判断したのだろう。
- 証券 29(12) 1977年
- [1]1960年9月、電気絶縁材料部門と乾電池・磁気テープ部門を持つ日東電気工業から後者の分離を受け、マクセル電気工業を大阪府茨木市に設立
- [2]1960年9月、電気絶縁材料部門と乾電池・磁気テープ部門を持つ日東電気工業から後者の分離を受け、マクセル電気工業を大阪府茨木市に設立
- 証券アナリストジャーナル 16(2) 1978年(有信春二)
- [3]終戦後に進駐軍の要請で乾電池を開発、進駐軍が持ち込んだテープレコーダー用磁気テープを研究。従来品と販売ルートが違うため分離し、日東電気の全額出資で新会社を設立して乾電池・磁気テープ・録音機の部門を譲受
- [4]終戦後に進駐軍の要請で乾電池を開発、進駐軍が持ち込んだテープレコーダー用磁気テープを研究。従来品と販売ルートが違うため分離し、日東電気の全額出資で新会社を設立して乾電池・磁気テープ・録音機の部門を譲受
- 有価証券報告書【沿革】
- [5]1961年2月、日東電気工業から乾電池・磁気テープ部門が分離独立し創業
マクセル電気工業は1961年2月に事業を本格的に始め、同時に日立製作所の資本参加を受けて系列に入った。分離元の日東電気工業は販売の主力を輸出に置いており、国内では大手家電メーカーの系列ルートが販路の大半を占めていた。自前の国内販路を持たない新会社が単独で売上を拡大する余地は乏しかった。社名のマクセルは「Maximum Capacity Dry Cell」に由来し、独立会社として出発する際にブランド名を社名に採用した。株式上場を控えた1977年時点の大株主は、日立製作所が93.3%、日東電気工業が6.7%である。製品の名を社名に掲げる一方で、国内の売り先は日立製作所の系列網に依存する組み立てを選んだと推察される。
- 証券 29(12) 1977年
- [6]1961年2月に事業を本格開始すると同時に日立製作所の資本参加を受け系列入り。日東電気工業の販売は輸出が主で、国内は大手家電メーカー系列の販売ルートが大勢。1977年時点の大株主は日立製作所93.3%・日東電気工業6.7%
- [7]1961年2月に事業を本格開始すると同時に日立製作所の資本参加を受け系列入り。日東電気工業の販売は輸出が主で、国内は大手家電メーカー系列の販売ルートが大勢。1977年時点の大株主は日立製作所93.3%・日東電気工業6.7%
- [8]1961年2月に事業を本格開始すると同時に日立製作所の資本参加を受け系列入り。日東電気工業の販売は輸出が主で、国内は大手家電メーカー系列の販売ルートが大勢。1977年時点の大株主は日立製作所93.3%・日東電気工業6.7%
- [10]1961年2月に事業を本格開始すると同時に日立製作所の資本参加を受け系列入り。日東電気工業の販売は輸出が主で、国内は大手家電メーカー系列の販売ルートが大勢。1977年時点の大株主は日立製作所93.3%・日東電気工業6.7%
- Swing journal 46(1) 1992年「マクセル、時代を切り拓いた25年と今後の展開」
- [9]マクセルの名はMaximum Capacity Dry Cellに由来し、1961年に独立会社として出発する際にブランド名を社名に採用
1960年9月に設立したマクセル電気工業は、1964年1月に商号を日立マクセルに改めた。改称の目的は、販売に占める日立ブランドの比重が高まったことを受け、そのブランドをさらに強めることである。前年の1963年には電気カミソリの製造を始め、乾電池と磁気テープに続く3つ目の部門として電器を加えた。磁気テープ・乾電池・電気器具の3部門とも、自社ブランドと日立ブランドの2本立てで販売し、1977年時点でも併用を続けた。日立ブランドの製品は、日立家電販売を通じて国内と海外に販売した。1970年4月に額面変更のため形式上の存続会社の日立マクセルと合併した際も、この商号を引き継いだ。系列の販売網で商品を流す以上、社名もその販売網で通りやすい名に合わせることが売上の拡大に有利と判断したと考えられる。
- 有価証券報告書【沿革】
- [11]1960年9月にマクセル電気工業として設立し、1964年1月に日立マクセルへ商号変更
- 証券 29(12) 1977年
- [12]1964年1月、日立ブランド比重の増加と強化のため商号を日立マクセルに変更。磁気テープ・乾電池・電気器具とも自社ブランドと日立ブランドを併用し、日立ブランドは日立家電販売を通じて国内外に販売(1977年時点)。1970年4月、額面変更を目的に形式上の存続会社「日立マクセル」に吸収合併
- [14]1964年1月、日立ブランド比重の増加と強化のため商号を日立マクセルに変更。磁気テープ・乾電池・電気器具とも自社ブランドと日立ブランドを併用し、日立ブランドは日立家電販売を通じて国内外に販売(1977年時点)。1970年4月、額面変更を目的に形式上の存続会社「日立マクセル」に吸収合併
- [15]1964年1月、日立ブランド比重の増加と強化のため商号を日立マクセルに変更。磁気テープ・乾電池・電気器具とも自社ブランドと日立ブランドを併用し、日立ブランドは日立家電販売を通じて国内外に販売(1977年時点)。1970年4月、額面変更を目的に形式上の存続会社「日立マクセル」に吸収合併
- [16]1964年1月、日立ブランド比重の増加と強化のため商号を日立マクセルに変更。磁気テープ・乾電池・電気器具とも自社ブランドと日立ブランドを併用し、日立ブランドは日立家電販売を通じて国内外に販売(1977年時点)。1970年4月、額面変更を目的に形式上の存続会社「日立マクセル」に吸収合併
- 経済知識 304 1978年
- [13]1963年に電気カミソリ、1966年にカセットテープ・フラッシュライトの製造を開始し、乾電池・磁気テープ・電器の3部門で事業を拡大
参考文献[1]-[16]
- 証券 29(12) 1977年
- [1]1960年9月、電気絶縁材料部門と乾電池・磁気テープ部門を持つ日東電気工業から後者の分離を受け、マクセル電気工業を大阪府茨木市に設立
- [2]1960年9月、電気絶縁材料部門と乾電池・磁気テープ部門を持つ日東電気工業から後者の分離を受け、マクセル電気工業を大阪府茨木市に設立
- [6]1961年2月に事業を本格開始すると同時に日立製作所の資本参加を受け系列入り。日東電気工業の販売は輸出が主で、国内は大手家電メーカー系列の販売ルートが大勢。1977年時点の大株主は日立製作所93.3%・日東電気工業6.7%
- [7]1961年2月に事業を本格開始すると同時に日立製作所の資本参加を受け系列入り。日東電気工業の販売は輸出が主で、国内は大手家電メーカー系列の販売ルートが大勢。1977年時点の大株主は日立製作所93.3%・日東電気工業6.7%
- [8]1961年2月に事業を本格開始すると同時に日立製作所の資本参加を受け系列入り。日東電気工業の販売は輸出が主で、国内は大手家電メーカー系列の販売ルートが大勢。1977年時点の大株主は日立製作所93.3%・日東電気工業6.7%
- [10]1961年2月に事業を本格開始すると同時に日立製作所の資本参加を受け系列入り。日東電気工業の販売は輸出が主で、国内は大手家電メーカー系列の販売ルートが大勢。1977年時点の大株主は日立製作所93.3%・日東電気工業6.7%
- [12]1964年1月、日立ブランド比重の増加と強化のため商号を日立マクセルに変更。磁気テープ・乾電池・電気器具とも自社ブランドと日立ブランドを併用し、日立ブランドは日立家電販売を通じて国内外に販売(1977年時点)。1970年4月、額面変更を目的に形式上の存続会社「日立マクセル」に吸収合併
- [14]1964年1月、日立ブランド比重の増加と強化のため商号を日立マクセルに変更。磁気テープ・乾電池・電気器具とも自社ブランドと日立ブランドを併用し、日立ブランドは日立家電販売を通じて国内外に販売(1977年時点)。1970年4月、額面変更を目的に形式上の存続会社「日立マクセル」に吸収合併
- [15]1964年1月、日立ブランド比重の増加と強化のため商号を日立マクセルに変更。磁気テープ・乾電池・電気器具とも自社ブランドと日立ブランドを併用し、日立ブランドは日立家電販売を通じて国内外に販売(1977年時点)。1970年4月、額面変更を目的に形式上の存続会社「日立マクセル」に吸収合併
- [16]1964年1月、日立ブランド比重の増加と強化のため商号を日立マクセルに変更。磁気テープ・乾電池・電気器具とも自社ブランドと日立ブランドを併用し、日立ブランドは日立家電販売を通じて国内外に販売(1977年時点)。1970年4月、額面変更を目的に形式上の存続会社「日立マクセル」に吸収合併
- 証券アナリストジャーナル 16(2) 1978年(有信春二)
- [3]終戦後に進駐軍の要請で乾電池を開発、進駐軍が持ち込んだテープレコーダー用磁気テープを研究。従来品と販売ルートが違うため分離し、日東電気の全額出資で新会社を設立して乾電池・磁気テープ・録音機の部門を譲受
- [4]終戦後に進駐軍の要請で乾電池を開発、進駐軍が持ち込んだテープレコーダー用磁気テープを研究。従来品と販売ルートが違うため分離し、日東電気の全額出資で新会社を設立して乾電池・磁気テープ・録音機の部門を譲受
- 有価証券報告書【沿革】
- [5]1961年2月、日東電気工業から乾電池・磁気テープ部門が分離独立し創業
- [11]1960年9月にマクセル電気工業として設立し、1964年1月に日立マクセルへ商号変更
- Swing journal 46(1) 1992年「マクセル、時代を切り拓いた25年と今後の展開」
- [9]マクセルの名はMaximum Capacity Dry Cellに由来し、1961年に独立会社として出発する際にブランド名を社名に採用
- 経済知識 304 1978年
- [13]1963年に電気カミソリ、1966年にカセットテープ・フラッシュライトの製造を開始し、乾電池・磁気テープ・電器の3部門で事業を拡大
1966年〜国産初のコンパクト・カセットと、大山崎のテープ工場・米国の販売子会社
日立マクセルは1966年7月にカセットテープの製造を始めた。フィリップスが開発したコンパクト・カセットを国内で初めて生産したもので、テープに加えハーフとケースも国産である。磁気テープは分離前からの事業で、1960年7月には塗布型の第1号オープンリールテープを発売。オープンリールの時代から薄手のテープを得意とし、厚さ20ミクロンの製品を作り続けた技術の蓄積が、カセットへの移行を容易にした。設立当初は乾電池が主力だったものの、1969年には売上高でテープが電池を上回った。既存のテープ技術をそのまま転用できる新規格が現れたことで、乾電池の会社がテープへ経営資源を移す判断に踏み切れたとみられる。
- 証券 29(12) 1977年
- [17]設立当初は乾電池の製造販売が中心。1966年7月にカセットテープの製造を開始
- Swing journal 46(1) 1992年「マクセル、時代を切り拓いた25年と今後の展開」
- [18]1960年7月に塗布タイプの第1号オープンテープを発売。1966年にフィリップス開発のコンパクト・カセットを日本で初めて生産し、テープ・ハーフ・ケースとも国産初
- [19]1960年7月に塗布タイプの第1号オープンテープを発売。1966年にフィリップス開発のコンパクト・カセットを日本で初めて生産し、テープ・ハーフ・ケースとも国産初
- 実業往来 301 1977年
- [20]オープンテープの時代から薄物を得意とし20ミクロンのテープを作り続けた蓄積で、カセットにも技術的に移行できた(会社側の談)
- 証券アナリストジャーナル 16(2) 1978年(有信春二)
- [21]当初は電池が主体だったが、1969年に売上高でテープが電池を上回った
1967年8月、日立マクセルは京都府大山崎に磁気テープの専門工場を建設。茨木の工場にあった磁気テープ部門をこの京都工場へ移し、テープの量産をここに集約した。テープの生産が京都へ移った後も、茨木の大阪工場は日東電気工業から分離独立した創業の地として本社機構を置いた。京都工場は淀川沿いの約2万坪の敷地に建ち、1978年時点で研究要員を含む工場人員は530名である。磁気テープはちりや埃を嫌うため、工場の床は清潔な板敷きとし、複雑な工程を機械で自動処理した。売上高は1968年からの10年間で10倍に増えた。製品ごとに工場を分けたことが、異物を嫌うテープの量産で品質を揃える前提になったと推測される。
- 証券 29(12) 1977年
- [22]1967年8月、京都府大山崎に磁気テープ専門工場を建設し量産体制を整備
- 経済知識 304 1978年
- [23]1967年に京都工場を建設して磁気テープ部門を移転し量産体制を確立。1968年から10年間で売上は10倍
- [27]1967年に京都工場を建設して磁気テープ部門を移転し量産体制を確立。1968年から10年間で売上は10倍
- 野田経済 1294 1978年
- [24]京都工場は淀川べり2万坪の敷地、工場人員530名(研究人員含む、1978年時点)。床は板敷きで清潔に保ち、複雑な工程を機械で処理。大阪工場(茨木)は日東電気工業から分離独立した誕生の地で本社機構を置く
- [25]京都工場は淀川べり2万坪の敷地、工場人員530名(研究人員含む、1978年時点)。床は板敷きで清潔に保ち、複雑な工程を機械で処理。大阪工場(茨木)は日東電気工業から分離独立した誕生の地で本社機構を置く
- [26]京都工場は淀川べり2万坪の敷地、工場人員530名(研究人員含む、1978年時点)。床は板敷きで清潔に保ち、複雑な工程を機械で処理。大阪工場(茨木)は日東電気工業から分離独立した誕生の地で本社機構を置く
日立マクセルは1969年8月、米国に子会社のMaxell Corporation of Americaを設立した。拠点はニューヨーク。この年には売上高でテープが電池を上回っており、カセットの品質が海外でも評価されて輸出が好調だった。輸出先は米国が最も多く、欧州・中近東・東南アジアが続いた。米国のハイファイ専門誌の調査では、1975年時点のカセットテープのシェアで日立マクセルが19.1%を占めて首位だった。1976年4月には欧州にもMaxell Europe GmbHを設立した。最大の輸出先に自前の販売子会社を置くことで、品質の評判を現地での販売拡大に直結させようとしたとみられる。
- 有価証券報告書【沿革】
- [28]1969年8月にMaxell Corporation of America、1976年4月にMaxell Europe GmbHを子会社として設立
- [33]1969年8月にMaxell Corporation of America、1976年4月にMaxell Europe GmbHを子会社として設立
- 証券 29(12) 1977年
- [29]1969年ニューヨークにMAXELL CORPORATION OF AMERICAを設立。カセットは品質の優秀性を認められ輸出が好調
- [30]1969年ニューヨークにMAXELL CORPORATION OF AMERICAを設立。カセットは品質の優秀性を認められ輸出が好調
- 実業往来 301 1977年
- [31]輸出は米国が最多で欧州・中近東・東南アジアが続く。米国ハイファイ誌の調査で1975年時点のカセットテープシェア19.1%で首位
- [32]輸出は米国が最多で欧州・中近東・東南アジアが続く。米国ハイファイ誌の調査で1975年時点のカセットテープシェア19.1%で首位
参考文献[17]-[33]
- 証券 29(12) 1977年
- [17]設立当初は乾電池の製造販売が中心。1966年7月にカセットテープの製造を開始
- [22]1967年8月、京都府大山崎に磁気テープ専門工場を建設し量産体制を整備
- [29]1969年ニューヨークにMAXELL CORPORATION OF AMERICAを設立。カセットは品質の優秀性を認められ輸出が好調
- [30]1969年ニューヨークにMAXELL CORPORATION OF AMERICAを設立。カセットは品質の優秀性を認められ輸出が好調
- Swing journal 46(1) 1992年「マクセル、時代を切り拓いた25年と今後の展開」
- [18]1960年7月に塗布タイプの第1号オープンテープを発売。1966年にフィリップス開発のコンパクト・カセットを日本で初めて生産し、テープ・ハーフ・ケースとも国産初
- [19]1960年7月に塗布タイプの第1号オープンテープを発売。1966年にフィリップス開発のコンパクト・カセットを日本で初めて生産し、テープ・ハーフ・ケースとも国産初
- 実業往来 301 1977年
- [20]オープンテープの時代から薄物を得意とし20ミクロンのテープを作り続けた蓄積で、カセットにも技術的に移行できた(会社側の談)
- [31]輸出は米国が最多で欧州・中近東・東南アジアが続く。米国ハイファイ誌の調査で1975年時点のカセットテープシェア19.1%で首位
- [32]輸出は米国が最多で欧州・中近東・東南アジアが続く。米国ハイファイ誌の調査で1975年時点のカセットテープシェア19.1%で首位
- 証券アナリストジャーナル 16(2) 1978年(有信春二)
- [21]当初は電池が主体だったが、1969年に売上高でテープが電池を上回った
- 経済知識 304 1978年
- [23]1967年に京都工場を建設して磁気テープ部門を移転し量産体制を確立。1968年から10年間で売上は10倍
- [27]1967年に京都工場を建設して磁気テープ部門を移転し量産体制を確立。1968年から10年間で売上は10倍
- 野田経済 1294 1978年
- [24]京都工場は淀川べり2万坪の敷地、工場人員530名(研究人員含む、1978年時点)。床は板敷きで清潔に保ち、複雑な工程を機械で処理。大阪工場(茨木)は日東電気工業から分離独立した誕生の地で本社機構を置く
- [25]京都工場は淀川べり2万坪の敷地、工場人員530名(研究人員含む、1978年時点)。床は板敷きで清潔に保ち、複雑な工程を機械で処理。大阪工場(茨木)は日東電気工業から分離独立した誕生の地で本社機構を置く
- [26]京都工場は淀川べり2万坪の敷地、工場人員530名(研究人員含む、1978年時点)。床は板敷きで清潔に保ち、複雑な工程を機械で処理。大阪工場(茨木)は日東電気工業から分離独立した誕生の地で本社機構を置く
- 有価証券報告書【沿革】
- [28]1969年8月にMaxell Corporation of America、1976年4月にMaxell Europe GmbHを子会社として設立
- [33]1969年8月にMaxell Corporation of America、1976年4月にMaxell Europe GmbHを子会社として設立
1970年〜音楽録音用のUDシリーズと、九州日立マクセル・時計に採られた酸化銀電池
日立マクセルは1970年、音楽録音向けの高級カセット「UD」シリーズを発売した。それまでのカセットの主な用途は会話の録音だった。音楽を録るには高い周波数まで記録できるよう特性を改善する必要があった。そこでテープ表面を平滑にし、磁性粉を多く詰めて出力を高める開発を進めた。続いて1974年にUD-XL、1976年にUD-XLⅠを出し、高級品の品揃えを広げた。社長の有信春二氏は1978年の取材で『これらを発売するたびに利益幅が広がってきた』と振り返った。国内でも販売の半数超をUD系の高級品が占め、1976年のシェアは20.5%で業界3位である。UD系の高級品は海外でも品質の評価を得て、1977年時点で磁気テープの55%を輸出に充てた。
- 経済知識 304 1978年
- [34]1970年にUDシリーズ、1974年にUD-XL、1976年にUD-XLIなど高級品を開発。有信春二社長は発売のたびに利益幅が広がったと述べた
- [38]1970年にUDシリーズ、1974年にUD-XL、1976年にUD-XLIなど高級品を開発。有信春二社長は発売のたびに利益幅が広がったと述べた
- [39]1970年にUDシリーズ、1974年にUD-XL、1976年にUD-XLIなど高級品を開発。有信春二社長は発売のたびに利益幅が広がったと述べた
- Swing journal 46(1) 1992年「マクセル、時代を切り拓いた25年と今後の展開」
- [35]会話録音用だったカセットを1970年から音楽録音に使うため、テープ表面の平滑化と磁性粉の高充填で周波数特性を改善する開発を進めUDが生まれた
- [36]会話録音用だったカセットを1970年から音楽録音に使うため、テープ表面の平滑化と磁性粉の高充填で周波数特性を改善する開発を進めUDが生まれた
- [37]会話録音用だったカセットを1970年から音楽録音に使うため、テープ表面の平滑化と磁性粉の高充填で周波数特性を改善する開発を進めUDが生まれた
- 証券 29(12) 1977年
- [40]国内でもUD・UDXLが販売の半数超。1976年の国内シェア20.5%で業界第3位。磁気テープの55%は輸出、UD等の高級品が世界的に高品質と評価
- [41]国内でもUD・UDXLが販売の半数超。1976年の国内シェア20.5%で業界第3位。磁気テープの55%は輸出、UD等の高級品が世界的に高品質と評価
日立マクセルは1970年3月、全額出資の子会社として九州日立マクセルを設立した。電器部門の主力は電気カミソリとフラッシュライトで、その製造を新会社へ移し、本体は製品を仕入れて販売する役割に変えた。電気カミソリは1963年、フラッシュライトは1966年に製造を始めた製品である。テープは京都工場、電器は九州日立マクセルへ移り、茨木の大阪工場は乾電池だけを生産する工場になった。1977年3月期の売上構成比は磁気テープ62.6%、乾電池22.5%、電気器具11.7%だった。製造の移管には、本体の工場と技術者をテープと電池に絞り込む意図があったと読み取れる。
- 有価証券報告書【沿革】
- [42]1970年3月、九州日立マクセルを子会社として設立
- 証券 29(12) 1977年
- [43]電気器具の主力は電気カミソリ・フラッシュライト。1970年3月に全額出資で九州日立マクセルを設立し製造を移管、当社は仕入販売。直近期の売上構成比は磁気テープ62.6%・乾電池22.5%・電気器具11.7%
- [46]電気器具の主力は電気カミソリ・フラッシュライト。1970年3月に全額出資で九州日立マクセルを設立し製造を移管、当社は仕入販売。直近期の売上構成比は磁気テープ62.6%・乾電池22.5%・電気器具11.7%
- 経済知識 304 1978年
- [44]1963年に電気カミソリ、1966年にフラッシュライトの製造を開始。電器部門は1970年3月に九州日立マクセルへ製造移管
- 野田経済 1294 1978年
- [45]磁気テープは京都工場へ、電気器具は九州日立マクセルへ移り、大阪工場(茨木)は乾電池のみを生産(1978年時点)
日立マクセルは1973年に超高性能の乾電池「スーパーゴールド」の製造を始めた。電卓やラジオカセットなど携帯機器の普及が重なり、乾電池の売上はそれまでの低迷から増加に転じた。並行して、腕時計の主流が近く水晶式へ移ると見込んで酸化銀電池の開発を進め、1975年には開発を終えていた。時計やカメラの各社による実用化試験を経て、1977年時点で業界10数社の製品に採用された。それまで国内市場は米国製品が100%を占めていた。日立マクセルは2年ほどで国内生産の約50%のシェアを得た。茨木の大阪工場でも、乾電池のなかで酸化銀電池の伸びが際立った。テープと電池の双方で需要の先を押さえたことが、1977年の東証二部上場を支える業績の土台になったと思われる。
- 証券 29(12) 1977年
- [47]1973年に超高性能品スーパーゴールドの製造を開始、電卓・ラジカセ等の普及で乾電池は低迷を脱し増加。ここ1、2年は酸化銀電池に注力し、時計・カメラ各社の実用化試験を経て業界10数社に採用(1977年時点)
- [48]1973年に超高性能品スーパーゴールドの製造を開始、電卓・ラジカセ等の普及で乾電池は低迷を脱し増加。ここ1、2年は酸化銀電池に注力し、時計・カメラ各社の実用化試験を経て業界10数社に採用(1977年時点)
- [50]1973年に超高性能品スーパーゴールドの製造を開始、電卓・ラジカセ等の普及で乾電池は低迷を脱し増加。ここ1、2年は酸化銀電池に注力し、時計・カメラ各社の実用化試験を経て業界10数社に採用(1977年時点)
- 証券アナリストジャーナル 16(2) 1978年(有信春二)
- [49]時計は遠からず水晶時計が中心になると予測して開発を進め1975年に製品開発を終了。米国製が国内市場を100%押さえていたが、約2年で国内生産シェア約50%
- [51]時計は遠からず水晶時計が中心になると予測して開発を進め1975年に製品開発を終了。米国製が国内市場を100%押さえていたが、約2年で国内生産シェア約50%
- [52]時計は遠からず水晶時計が中心になると予測して開発を進め1975年に製品開発を終了。米国製が国内市場を100%押さえていたが、約2年で国内生産シェア約50%
- 野田経済 1294 1978年
- [53]大阪工場(茨木)は乾電池を生産し、とくに酸化銀電池の伸びが目立つ(1978年時点)
参考文献[34]-[53]
- 経済知識 304 1978年
- [34]1970年にUDシリーズ、1974年にUD-XL、1976年にUD-XLIなど高級品を開発。有信春二社長は発売のたびに利益幅が広がったと述べた
- [38]1970年にUDシリーズ、1974年にUD-XL、1976年にUD-XLIなど高級品を開発。有信春二社長は発売のたびに利益幅が広がったと述べた
- [39]1970年にUDシリーズ、1974年にUD-XL、1976年にUD-XLIなど高級品を開発。有信春二社長は発売のたびに利益幅が広がったと述べた
- [44]1963年に電気カミソリ、1966年にフラッシュライトの製造を開始。電器部門は1970年3月に九州日立マクセルへ製造移管
- Swing journal 46(1) 1992年「マクセル、時代を切り拓いた25年と今後の展開」
- [35]会話録音用だったカセットを1970年から音楽録音に使うため、テープ表面の平滑化と磁性粉の高充填で周波数特性を改善する開発を進めUDが生まれた
- [36]会話録音用だったカセットを1970年から音楽録音に使うため、テープ表面の平滑化と磁性粉の高充填で周波数特性を改善する開発を進めUDが生まれた
- [37]会話録音用だったカセットを1970年から音楽録音に使うため、テープ表面の平滑化と磁性粉の高充填で周波数特性を改善する開発を進めUDが生まれた
- 証券 29(12) 1977年
- [40]国内でもUD・UDXLが販売の半数超。1976年の国内シェア20.5%で業界第3位。磁気テープの55%は輸出、UD等の高級品が世界的に高品質と評価
- [41]国内でもUD・UDXLが販売の半数超。1976年の国内シェア20.5%で業界第3位。磁気テープの55%は輸出、UD等の高級品が世界的に高品質と評価
- [43]電気器具の主力は電気カミソリ・フラッシュライト。1970年3月に全額出資で九州日立マクセルを設立し製造を移管、当社は仕入販売。直近期の売上構成比は磁気テープ62.6%・乾電池22.5%・電気器具11.7%
- [46]電気器具の主力は電気カミソリ・フラッシュライト。1970年3月に全額出資で九州日立マクセルを設立し製造を移管、当社は仕入販売。直近期の売上構成比は磁気テープ62.6%・乾電池22.5%・電気器具11.7%
- [47]1973年に超高性能品スーパーゴールドの製造を開始、電卓・ラジカセ等の普及で乾電池は低迷を脱し増加。ここ1、2年は酸化銀電池に注力し、時計・カメラ各社の実用化試験を経て業界10数社に採用(1977年時点)
- [48]1973年に超高性能品スーパーゴールドの製造を開始、電卓・ラジカセ等の普及で乾電池は低迷を脱し増加。ここ1、2年は酸化銀電池に注力し、時計・カメラ各社の実用化試験を経て業界10数社に採用(1977年時点)
- [50]1973年に超高性能品スーパーゴールドの製造を開始、電卓・ラジカセ等の普及で乾電池は低迷を脱し増加。ここ1、2年は酸化銀電池に注力し、時計・カメラ各社の実用化試験を経て業界10数社に採用(1977年時点)
- 有価証券報告書【沿革】
- [42]1970年3月、九州日立マクセルを子会社として設立
- 野田経済 1294 1978年
- [45]磁気テープは京都工場へ、電気器具は九州日立マクセルへ移り、大阪工場(茨木)は乾電池のみを生産(1978年時点)
- [53]大阪工場(茨木)は乾電池を生産し、とくに酸化銀電池の伸びが目立つ(1978年時点)
- 証券アナリストジャーナル 16(2) 1978年(有信春二)
- [49]時計は遠からず水晶時計が中心になると予測して開発を進め1975年に製品開発を終了。米国製が国内市場を100%押さえていたが、約2年で国内生産シェア約50%
- [51]時計は遠からず水晶時計が中心になると予測して開発を進め1975年に製品開発を終了。米国製が国内市場を100%押さえていたが、約2年で国内生産シェア約50%
- [52]時計は遠からず水晶時計が中心になると予測して開発を進め1975年に製品開発を終了。米国製が国内市場を100%押さえていたが、約2年で国内生産シェア約50%
出典・参考
7件
- 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 16(2) 1978年(有信春二)
- 証券 29(12) 1977年
- 実業往来 301 1977年
- 経済知識 304 1978年
- 野田経済 1294 1978年
- Swing journal 46(1) 1992年「マクセル、時代を切り拓いた25年と今後の展開」