ホシデン:古橋製作所の創業と星電器製造への改組
1947年〜古橋了氏が東成で始めた古橋製作所と、米軍向け通信機部品で立てた資本金20万円の星電器製造
古橋了氏は1947年4月、大阪市東成区で古橋製作所を創業した。古橋了氏は、1993年の東証上場の時点では前社長にあたる。古橋製作所は、1950年まで個人の事業として営まれた。創業した時期は、占領下で連合国軍総司令部(GHQ)が通信政策を進め、ラジオ受信機の生産が増えていた時期にあたる。受信機の生産が増えれば、組み立てに使う部品の注文も増える状況にあった。古橋了氏は、受信機メーカーの増産に伴う部品の需要を見込んで、部品の工場を起こしたとみられる。
- 有価証券報告書(2026年6月24日提出)【沿革】
- [1]1947年4月 大阪市東成区に前身の古橋製作所を創業
- 証券 45(2)(527) 1993年
- [2]1947年4月に前社長古橋了氏が大阪で古橋製作所を創業。占領下のGHQ通信政策でラジオ受信機の生産が増大した時期
- [4]1947年4月に前社長古橋了氏が大阪で古橋製作所を創業。占領下のGHQ通信政策でラジオ受信機の生産が増大した時期
- [5]1947年4月に前社長古橋了氏が大阪で古橋製作所を創業。占領下のGHQ通信政策でラジオ受信機の生産が増大した時期
- 週刊日本経済 16(34)(614) 1963年8月22日
- [3]1947年4月創業、1950年まで個人事業として営み同年に法人化
古橋製作所の創業当初の製品は、電気部品と自動車部品。主な納入先は大阪に本拠を置くラジオメーカーで、受信機に組み込む部品を供給した。1950年の法人化の時点では、スイッチやソケットなどの機構部品を扱っていた。1992年の会社紹介は、法人化の後の主業を一貫して電子部品の製造販売と説明している。一方で自動車部品は、1963年の株式公開の時点でも電子機器部品と並ぶ事業として残っていた。創業期の古橋製作所は、在阪のラジオメーカーの増産を足場にしつつ、自動車部品で受注の幅を持たせていたと思われる。
- 証券アナリストジャーナル 31(1) 1993年1月 別冊付録 ホシデン(古橋健士)
- [6]創業当初は電気部品と自動車部品を生産。法人化後は一貫して電子部品の製造販売が主業
- [9]創業当初は電気部品と自動車部品を生産。法人化後は一貫して電子部品の製造販売が主業
- 証券 45(2)(527) 1993年
- [7]古橋製作所は主に在阪メーカーへラジオ受信機の部品を供給。設立当初からスイッチ・ソケット等の機構部品を扱う
- [8]古橋製作所は主に在阪メーカーへラジオ受信機の部品を供給。設立当初からスイッチ・ソケット等の機構部品を扱う
- 週刊日本経済 16(34)(614) 1963年8月22日
- [10]1963年の公開時の事業は電子機器部品および自動車部品
古橋了氏は1950年9月14日、古橋製作所を改組して星電器製造株式会社を設立した。設立時の資本金は20万円。改組のきっかけは、同じ1950年に米軍向けの通信機用部品を大量に受注したことにある。朝鮮動乱で無線通信機が軍事物資として求められ、その部品の需要も高まった。改組の目的は、その後の事業拡大に備えることにあった。この大量受注は、会社にとって最初の節目となった。受注の規模が膨らみ、個人の事業のままでは取引先との契約や資金の手当てに限界があると判断したのだろう。
- 週刊日本経済 16(34)(614) 1963年8月22日
- [11]1950年に米軍向け通信機用部品を大量受注し、個人事業を法人組織にする決意を固めた(第一の発展期)。設立は1950年9月14日
- [13]1950年に米軍向け通信機用部品を大量受注し、個人事業を法人組織にする決意を固めた(第一の発展期)。設立は1950年9月14日
- [16]1950年に米軍向け通信機用部品を大量受注し、個人事業を法人組織にする決意を固めた(第一の発展期)。設立は1950年9月14日
- 有価証券報告書(2026年6月24日提出)【沿革】
- [12]1950年9月 資本金20万円で星電器製造株式会社に改組
- 証券 45(2)(527) 1993年
- [14]朝鮮動乱で無線通信機の需要が旺盛となり、事業拡大を図るため1950年9月に星電器製造として改組
- [15]朝鮮動乱で無線通信機の需要が旺盛となり、事業拡大を図るため1950年9月に星電器製造として改組
参考文献[1]-[16]
- 有価証券報告書(2026年6月24日提出)【沿革】
- [1]1947年4月 大阪市東成区に前身の古橋製作所を創業
- [12]1950年9月 資本金20万円で星電器製造株式会社に改組
- 証券 45(2)(527) 1993年
- [2]1947年4月に前社長古橋了氏が大阪で古橋製作所を創業。占領下のGHQ通信政策でラジオ受信機の生産が増大した時期
- [4]1947年4月に前社長古橋了氏が大阪で古橋製作所を創業。占領下のGHQ通信政策でラジオ受信機の生産が増大した時期
- [5]1947年4月に前社長古橋了氏が大阪で古橋製作所を創業。占領下のGHQ通信政策でラジオ受信機の生産が増大した時期
- [7]古橋製作所は主に在阪メーカーへラジオ受信機の部品を供給。設立当初からスイッチ・ソケット等の機構部品を扱う
- [8]古橋製作所は主に在阪メーカーへラジオ受信機の部品を供給。設立当初からスイッチ・ソケット等の機構部品を扱う
- [14]朝鮮動乱で無線通信機の需要が旺盛となり、事業拡大を図るため1950年9月に星電器製造として改組
- [15]朝鮮動乱で無線通信機の需要が旺盛となり、事業拡大を図るため1950年9月に星電器製造として改組
- 週刊日本経済 16(34)(614) 1963年8月22日
- [3]1947年4月創業、1950年まで個人事業として営み同年に法人化
- [10]1963年の公開時の事業は電子機器部品および自動車部品
- [11]1950年に米軍向け通信機用部品を大量受注し、個人事業を法人組織にする決意を固めた(第一の発展期)。設立は1950年9月14日
- [13]1950年に米軍向け通信機用部品を大量受注し、個人事業を法人組織にする決意を固めた(第一の発展期)。設立は1950年9月14日
- [16]1950年に米軍向け通信機用部品を大量受注し、個人事業を法人組織にする決意を固めた(第一の発展期)。設立は1950年9月14日
- 証券アナリストジャーナル 31(1) 1993年1月 別冊付録 ホシデン(古橋健士)
- [6]創業当初は電気部品と自動車部品を生産。法人化後は一貫して電子部品の製造販売が主業
- [9]創業当初は電気部品と自動車部品を生産。法人化後は一貫して電子部品の製造販売が主業
1951年〜テレビ受像機向けの受注増と、伊勢崎に立てた東京星電
星電器製造の受注は、1955年にテレビ受像機の普及とともに各社から増えた。民放ラジオとテレビの放送開始を受けて、ラジオやテレビなどの家電製品が家庭に広がった。製品の小型化と高性能化も、星電器製造が扱う部品の需要を押し上げた。星電器製造は取引先の拡大に力を入れ、取引先から生産を求められた部品を品目に加えた。1955年を境に、事業の基盤は米軍特需という不安定な受注から、家電各社への安定した納入へ移った。1963年時点では、松下電器・三洋電機・早川電機・三菱電機の4社に売上高の8割を納めていた。特需の受注は戦況に左右されるため、家電向けの民需へ移ったことで受注の見通しが立てやすくなったと推察される。
- 週刊日本経済 16(34)(614) 1963年8月22日
- [17]1955年にテレビ受像機の普及に伴い各社からの受注が増大。米軍特需から安定した地盤へ移った時期。1963年時点で松下電器・三洋電機・早川電機・三菱電機の4社に全売上高の8割を納入
- [21]1955年にテレビ受像機の普及に伴い各社からの受注が増大。米軍特需から安定した地盤へ移った時期。1963年時点で松下電器・三洋電機・早川電機・三菱電機の4社に全売上高の8割を納入
- [22]1955年にテレビ受像機の普及に伴い各社からの受注が増大。米軍特需から安定した地盤へ移った時期。1963年時点で松下電器・三洋電機・早川電機・三菱電機の4社に全売上高の8割を納入
- 証券 45(2)(527) 1993年
- [18]民放ラジオ・テレビ放送の開始で家電製品が普及し、小型化・高性能化とともに部品需要が拡大。取引先の拡大とユーザーの生産要請による取扱製品の拡大に努めた
- [19]民放ラジオ・テレビ放送の開始で家電製品が普及し、小型化・高性能化とともに部品需要が拡大。取引先の拡大とユーザーの生産要請による取扱製品の拡大に努めた
- [20]民放ラジオ・テレビ放送の開始で家電製品が普及し、小型化・高性能化とともに部品需要が拡大。取引先の拡大とユーザーの生産要請による取扱製品の拡大に努めた
星電器製造は1959年11月、群馬県伊勢崎市に子会社の東京星電株式会社を設立した。東京星電は、現在の東京事業所の前身。東京星電は東京星電器とも表記され、1963年6月に設立された東海星電器とともに、次の発展に向けた布石となった。テレビやラジオ向けの家電部品は、1963年時点で伸び率の落ち着いた段階に入っていた。翌年から始まる音響部品の生産を前に、関東の取引先にも近い生産拠点を確保しておく狙いがあったと考えられる。
- 有価証券報告書(2026年6月24日提出)【沿革】
- [23]1959年11月 群馬県伊勢崎市に現東京事業所の前身、東京星電株式会社を設立
- [24]1959年11月 群馬県伊勢崎市に現東京事業所の前身、東京星電株式会社を設立
- 週刊日本経済 16(34)(614) 1963年8月22日
- [25]1959年11月に子会社東京星電器を設立、1963年6月の東海星電器設立とともに次の発展時代への布石とされた。家電部品は安定成長期に入ったとの見方
- [26]1959年11月に子会社東京星電器を設立、1963年6月の東海星電器設立とともに次の発展時代への布石とされた。家電部品は安定成長期に入ったとの見方
参考文献[17]-[26]
- 週刊日本経済 16(34)(614) 1963年8月22日
- [17]1955年にテレビ受像機の普及に伴い各社からの受注が増大。米軍特需から安定した地盤へ移った時期。1963年時点で松下電器・三洋電機・早川電機・三菱電機の4社に全売上高の8割を納入
- [21]1955年にテレビ受像機の普及に伴い各社からの受注が増大。米軍特需から安定した地盤へ移った時期。1963年時点で松下電器・三洋電機・早川電機・三菱電機の4社に全売上高の8割を納入
- [22]1955年にテレビ受像機の普及に伴い各社からの受注が増大。米軍特需から安定した地盤へ移った時期。1963年時点で松下電器・三洋電機・早川電機・三菱電機の4社に全売上高の8割を納入
- [25]1959年11月に子会社東京星電器を設立、1963年6月の東海星電器設立とともに次の発展時代への布石とされた。家電部品は安定成長期に入ったとの見方
- [26]1959年11月に子会社東京星電器を設立、1963年6月の東海星電器設立とともに次の発展時代への布石とされた。家電部品は安定成長期に入ったとの見方
- 証券 45(2)(527) 1993年
- [18]民放ラジオ・テレビ放送の開始で家電製品が普及し、小型化・高性能化とともに部品需要が拡大。取引先の拡大とユーザーの生産要請による取扱製品の拡大に努めた
- [19]民放ラジオ・テレビ放送の開始で家電製品が普及し、小型化・高性能化とともに部品需要が拡大。取引先の拡大とユーザーの生産要請による取扱製品の拡大に努めた
- [20]民放ラジオ・テレビ放送の開始で家電製品が普及し、小型化・高性能化とともに部品需要が拡大。取引先の拡大とユーザーの生産要請による取扱製品の拡大に努めた
- 有価証券報告書(2026年6月24日提出)【沿革】
- [23]1959年11月 群馬県伊勢崎市に現東京事業所の前身、東京星電株式会社を設立
- [24]1959年11月 群馬県伊勢崎市に現東京事業所の前身、東京星電株式会社を設立
出典・参考
4件
- 有価証券報告書(2026年6月24日提出)【沿革】
- 週刊日本経済 16(34)(614) 1963年8月22日
- 証券アナリストジャーナル 31(1) 1993年1月 別冊付録 ホシデン(古橋健士)
- 証券 45(2)(527) 1993年