デンヨー:日本電気熔接機材の設立と東京中野工場の新設
1948年〜中野で久保山洩左氏が始めた溶接機の修理販売と、自前で開いた東京中野工場
久保山洩左氏は1947年11月、東京都中野区上高田で電気溶接機の修理と販売を個人経営で始めた。1974年の電機業界誌の訪問記も、中野区上高田の現本社の地で昭和22年に修理販売を始めたことを社史の起点に置いた。創業当初の事業は、中古の溶接機を直す仕事と溶接用の機材を販売する仕事が中心だった。久保山洩左氏は1948年7月に日本電気熔接機材株式会社を設立し、個人の事業を法人に移した。1983年の上場時の紹介記事は設立時の所在地を東京都中央区(会社の沿革では入船町、現在の新富町)と記し、中野での個人創業とは場所を分けて書いた。1971年の訪問記は、創業者の労苦とともに需要を先読みした判断を発展の推進力に挙げた。個人で始めて8か月で会社にしたのは、修理の注文を通じて復興期の需要の厚みを確かめたからとみられる。
- 東商 (289) 1971年「<優良工場訪問>販売網拡充で成長したデンヨー株式会社を訪ねて」増井貞彦
- [1]1947年11月に現社長が本社所在地(中野区上高田)で電気熔接機の販売修理を個人経営で創設、1948年7月に日本電気熔接機材を設立。発展の推進力に需要を見越した決断を挙げる
- [4]1947年11月に現社長が本社所在地(中野区上高田)で電気熔接機の販売修理を個人経営で創設、1948年7月に日本電気熔接機材を設立。発展の推進力に需要を見越した決断を挙げる
- [7]1947年11月に現社長が本社所在地(中野区上高田)で電気熔接機の販売修理を個人経営で創設、1948年7月に日本電気熔接機材を設立。発展の推進力に需要を見越した決断を挙げる
- 電機 (312) 1974年「会員会社を訪ねて--〈デンヨー・キムラ電機〉(18)」
- [2]本社の地(中野区上高田)で昭和22年に久保山氏が電気溶接機の修理販売を始めたのが社史の始まり
- 証券 35(3)(408) 1983年
- [3]1948年7月に東京都中央区で設立。創業当初は中古溶接機の修理と溶接機材の販売が主体
- [6]1948年7月に東京都中央区で設立。創業当初は中古溶接機の修理と溶接機材の販売が主体
- デンヨー 有価証券報告書【沿革】
- [5]1948年7月、日本電気熔接機材株式会社を東京入船町(現 新富町)に設立
日本電気熔接機材は1949年9月、現在の本社所在地に工場を開設し、溶接機メーカーとして歩み始めた。1971年の訪問記も、設立の翌年に東京中野工場を開設してアーク溶接機の生産に入ったと記した。工場を置いた中野の地は、久保山洩左氏が2年前に個人で修理販売を始めた場所と同じだった。一方で1974年の電機業界誌は、抵抗溶接機とアーク溶接機の生産開始を設立と同じ昭和23年に置き、工場開設の年と1年ずれる。工場の開設を1949年とする点では、1971年の訪問記と1983年の上場時の紹介記事が一致する。修理を重ねて溶接機の構造と使われ方を知ったことが、機材の販売から自社製造へ踏み出す下地になったと推察される。
- 証券 35(3)(408) 1983年
- [8]1949年9月に現本社所在地に工場を開設し、溶接機メーカーとしてスタート
- [12]1949年9月に現本社所在地に工場を開設し、溶接機メーカーとしてスタート
- 東商 (289) 1971年「<優良工場訪問>販売網拡充で成長したデンヨー株式会社を訪ねて」増井貞彦
- [9]設立翌年に東京中野工場を開設しアーク熔接機の生産を開始。個人創業の地は本社所在地(中野区上高田)
- [10]設立翌年に東京中野工場を開設しアーク熔接機の生産を開始。個人創業の地は本社所在地(中野区上高田)
- 電機 (312) 1974年「会員会社を訪ねて--〈デンヨー・キムラ電機〉(18)」
- [11]1948年(昭和23年)に日本電気溶接機材として抵抗およびアーク溶接機の生産を開始
参考文献[1]-[12]
- 東商 (289) 1971年「<優良工場訪問>販売網拡充で成長したデンヨー株式会社を訪ねて」増井貞彦
- [1]1947年11月に現社長が本社所在地(中野区上高田)で電気熔接機の販売修理を個人経営で創設、1948年7月に日本電気熔接機材を設立。発展の推進力に需要を見越した決断を挙げる
- [4]1947年11月に現社長が本社所在地(中野区上高田)で電気熔接機の販売修理を個人経営で創設、1948年7月に日本電気熔接機材を設立。発展の推進力に需要を見越した決断を挙げる
- [7]1947年11月に現社長が本社所在地(中野区上高田)で電気熔接機の販売修理を個人経営で創設、1948年7月に日本電気熔接機材を設立。発展の推進力に需要を見越した決断を挙げる
- [9]設立翌年に東京中野工場を開設しアーク熔接機の生産を開始。個人創業の地は本社所在地(中野区上高田)
- [10]設立翌年に東京中野工場を開設しアーク熔接機の生産を開始。個人創業の地は本社所在地(中野区上高田)
- 電機 (312) 1974年「会員会社を訪ねて--〈デンヨー・キムラ電機〉(18)」
- [2]本社の地(中野区上高田)で昭和22年に久保山氏が電気溶接機の修理販売を始めたのが社史の始まり
- [11]1948年(昭和23年)に日本電気溶接機材として抵抗およびアーク溶接機の生産を開始
- 証券 35(3)(408) 1983年
- [3]1948年7月に東京都中央区で設立。創業当初は中古溶接機の修理と溶接機材の販売が主体
- [6]1948年7月に東京都中央区で設立。創業当初は中古溶接機の修理と溶接機材の販売が主体
- [8]1949年9月に現本社所在地に工場を開設し、溶接機メーカーとしてスタート
- [12]1949年9月に現本社所在地に工場を開設し、溶接機メーカーとしてスタート
- デンヨー 有価証券報告書【沿革】
- [5]1948年7月、日本電気熔接機材株式会社を東京入船町(現 新富町)に設立
1950年〜鉄鋼ブームで伸びた静置型溶接機と、高速回転式直流アーク溶接機への専念
中野工場の開設後、日本電気熔接機材は工場の製造工程など屋内の作業で使う静置型の交流アーク溶接機と抵抗溶接機を作った。1974年の電機業界誌も、創業期の製品を抵抗溶接機とアーク溶接機の2系統と記した。戦後の経済の復興に伴って鉄鋼の需要が膨らみ、金属を加工する現場で溶接の用途が広がった。日本電気熔接機材の業績も、この加工分野の需要を受けて順調に拡大。日本電気熔接機材は1961年12月に埼玉工場を完成させるまでに、各地へ営業所と出張所を開設した。屋内向けの溶接機は工場の新設や増設に連動して売れる製品で、復興期の設備投資の波に乗った事業だったと思われる。
- 証券 35(3)(408) 1983年
- [13]中野工場以後の製品は静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機(屋内用)。復興に伴う鉄鋼ブームで加工分野の溶接が拡大し、業績を順調に伸ばした
- [15]中野工場以後の製品は静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機(屋内用)。復興に伴う鉄鋼ブームで加工分野の溶接が拡大し、業績を順調に伸ばした
- [16]中野工場以後の製品は静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機(屋内用)。復興に伴う鉄鋼ブームで加工分野の溶接が拡大し、業績を順調に伸ばした
- 電機 (312) 1974年「会員会社を訪ねて--〈デンヨー・キムラ電機〉(18)」
- [14]創業期の生産品は抵抗およびアーク溶接機
- 東商 (289) 1971年「<優良工場訪問>販売網拡充で成長したデンヨー株式会社を訪ねて」増井貞彦
- [17]各地に営業所・出張所を開設して販路を拡張し、1961年12月に埼玉県川越市に埼玉工場を完成
1955年には、エンジンで駆動する可搬式の直流アーク溶接機の開発に成功。1974年の電機業界誌はこの製品を高速回転式直流アーク溶接機と呼び、同年から主製品に据えたと記した。同じころ、電気溶接機は国内企業を育てる目的で機械工業の振興を図る臨時措置法の対象となり、メーカーごとに生産品目が調整された。日本電気熔接機材はこの2つの事情を受け、静置型の交流アーク溶接機と抵抗溶接機の生産を中止した。以後の経営資源の集中先は、エンジン溶接機の生産である。屋内向けの機種から撤退し、電源の無い野外で使える機種に絞ったことが、次の高速エンジン溶接機の開発につながったのだろう。
- 証券 35(3)(408) 1983年
- [18]1955年にエンジン駆動の可搬式直流アーク溶接機を開発。電気溶接機が機械工業臨時措置法の対象となりメーカー別に生産品目を調整。静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機の生産を中止し、エンジン溶接機に専念
- [20]1955年にエンジン駆動の可搬式直流アーク溶接機を開発。電気溶接機が機械工業臨時措置法の対象となりメーカー別に生産品目を調整。静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機の生産を中止し、エンジン溶接機に専念
- [21]1955年にエンジン駆動の可搬式直流アーク溶接機を開発。電気溶接機が機械工業臨時措置法の対象となりメーカー別に生産品目を調整。静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機の生産を中止し、エンジン溶接機に専念
- [22]1955年にエンジン駆動の可搬式直流アーク溶接機を開発。電気溶接機が機械工業臨時措置法の対象となりメーカー別に生産品目を調整。静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機の生産を中止し、エンジン溶接機に専念
- 電機 (312) 1974年「会員会社を訪ねて--〈デンヨー・キムラ電機〉(18)」
- [19]1955年(昭和30年)に高速回転式直流アーク溶接機を開発して主製品とした。製品は野外作業のパワーソース
参考文献[13]-[22]
- 証券 35(3)(408) 1983年
- [13]中野工場以後の製品は静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機(屋内用)。復興に伴う鉄鋼ブームで加工分野の溶接が拡大し、業績を順調に伸ばした
- [15]中野工場以後の製品は静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機(屋内用)。復興に伴う鉄鋼ブームで加工分野の溶接が拡大し、業績を順調に伸ばした
- [16]中野工場以後の製品は静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機(屋内用)。復興に伴う鉄鋼ブームで加工分野の溶接が拡大し、業績を順調に伸ばした
- [18]1955年にエンジン駆動の可搬式直流アーク溶接機を開発。電気溶接機が機械工業臨時措置法の対象となりメーカー別に生産品目を調整。静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機の生産を中止し、エンジン溶接機に専念
- [20]1955年にエンジン駆動の可搬式直流アーク溶接機を開発。電気溶接機が機械工業臨時措置法の対象となりメーカー別に生産品目を調整。静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機の生産を中止し、エンジン溶接機に専念
- [21]1955年にエンジン駆動の可搬式直流アーク溶接機を開発。電気溶接機が機械工業臨時措置法の対象となりメーカー別に生産品目を調整。静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機の生産を中止し、エンジン溶接機に専念
- [22]1955年にエンジン駆動の可搬式直流アーク溶接機を開発。電気溶接機が機械工業臨時措置法の対象となりメーカー別に生産品目を調整。静置型交流アーク溶接機・抵抗溶接機の生産を中止し、エンジン溶接機に専念
- 電機 (312) 1974年「会員会社を訪ねて--〈デンヨー・キムラ電機〉(18)」
- [14]創業期の生産品は抵抗およびアーク溶接機
- [19]1955年(昭和30年)に高速回転式直流アーク溶接機を開発して主製品とした。製品は野外作業のパワーソース
- 東商 (289) 1971年「<優良工場訪問>販売網拡充で成長したデンヨー株式会社を訪ねて」増井貞彦
- [17]各地に営業所・出張所を開設して販路を拡張し、1961年12月に埼玉県川越市に埼玉工場を完成
出典・参考
4件
- デンヨー 有価証券報告書【沿革】
- 東商 (289) 1971年「<優良工場訪問>販売網拡充で成長したデンヨー株式会社を訪ねて」増井貞彦
- 電機 (312) 1974年「会員会社を訪ねて--〈デンヨー・キムラ電機〉(18)」
- 証券 35(3)(408) 1983年