UACJ:住友伸銅場のアルミニウム圧延と古河電気工業のジュラルミン研究
1897年〜別子の銅を板や線にした安治川の住友伸銅場と、民間の工場で初めて製造したアルミ板
1897年4月、住友家は大阪市安治川上通に住友伸銅場を開設し、銅と真鍮の板・棒・線を製造する伸銅事業に着手。住友家は1691年から別子銅山を経営し、明治以降は採鉱と精錬に関連する事業へ範囲を広げた。それまで住友家は、別子銅山で精錬した銅を型銅の形のまま販売していた。伸銅場の母体は1895年設立の日本製銅で、住友家は1897年3月にその工場設備を一括して引き継ぎ、個人事業として4月1日に操業を始めた。日清戦争の前後には、銅業界全体で地金の精錬と輸出だけの業態から圧延加工へ移る動きが広がった。自山の銅を加工品に仕上げれば、地金相場だけに左右されない販路を持てると住友家は判断したのだろう。
- 証券 15(2) 1963
- [1]旧住友軽金属工業の沿革:1897年4月 大阪市安治川上通に住友伸銅場を開設し伸銅事業を開始
- 会社銀行八十年史 1955「住友金属工業」(前身の住友伸銅所を共有)
- [2]住友家は1691年(元禄4年)以来別子銅山を経営し、明治以降は採鉱精錬に関連する諸事業へ展開
- 企業の歴史(明治百年)1968「住友軽金属工業」
- [3]1897年まで住友家は別子銅山の精銅を型銅として販売。伸銅場で銅・真鍮の板・棒・線を製造
- 企業の現代史16 1962「躍進する鉄鋼メーカー 住友金属工業」(前身の住友伸銅場を共有)
- [4]1895年設立の日本製銅の工場設備を1897年3月に住友家が引き継ぎ住友伸銅場と改称、4月1日操業。日清戦争前後に銅業界が地金輸出から圧延加工へ移行
- [5]1895年設立の日本製銅の工場設備を1897年3月に住友家が引き継ぎ住友伸銅場と改称、4月1日操業。日清戦争前後に銅業界が地金輸出から圧延加工へ移行
住友伸銅場は開設の翌年にあたる1898年、アルミニウム板の製造を始めた。国内の民間工場による軽金属の加工はこれが最初であり、住友伸銅場は民間初の担い手にあたる。伸銅場は開設時から、銅と真鍮を板・棒・線に仕上げる加工を手がけた。アルミ板は、この銅合金の加工ラインと同じ伸銅場の構内で製造された。1959年に住友金属工業から分離した旧住友軽金属工業は、1897年の伸銅場開設を自社の沿革の起点に置いた。銅を延ばす圧延機と職工の技能をアルミにも振り向けられたことが、開設から1年での製造開始を支えたとみられる。
- 企業の歴史(明治百年)1968「住友軽金属工業」
- [6]1898年、住友伸銅場で民間工場として最初のアルミ板製造を開始
- [9]1898年、住友伸銅場で民間工場として最初のアルミ板製造を開始
- 会社銀行八十年史 1955「住友金属工業」(前身の住友伸銅所を共有)
- [7]住友伸銅場は銅・真鍮の板・棒・線の製造から始め、1898年からアルミニウム板を製作、国内民間最初の軽金属加工
- [8]住友伸銅場は銅・真鍮の板・棒・線の製造から始め、1898年からアルミニウム板を製作、国内民間最初の軽金属加工
- 証券 15(2) 1963
- [10]旧住友軽金属工業(1959年8月に住友金属工業の伸銅・アルミ圧延部門を分離して設立)の沿革は1897年4月の住友伸銅場開設から始まる
参考文献[1]-[10]
- 証券 15(2) 1963
- [1]旧住友軽金属工業の沿革:1897年4月 大阪市安治川上通に住友伸銅場を開設し伸銅事業を開始
- [10]旧住友軽金属工業(1959年8月に住友金属工業の伸銅・アルミ圧延部門を分離して設立)の沿革は1897年4月の住友伸銅場開設から始まる
- 会社銀行八十年史 1955「住友金属工業」(前身の住友伸銅所を共有)
- [2]住友家は1691年(元禄4年)以来別子銅山を経営し、明治以降は採鉱精錬に関連する諸事業へ展開
- [7]住友伸銅場は銅・真鍮の板・棒・線の製造から始め、1898年からアルミニウム板を製作、国内民間最初の軽金属加工
- [8]住友伸銅場は銅・真鍮の板・棒・線の製造から始め、1898年からアルミニウム板を製作、国内民間最初の軽金属加工
- 企業の歴史(明治百年)1968「住友軽金属工業」
- [3]1897年まで住友家は別子銅山の精銅を型銅として販売。伸銅場で銅・真鍮の板・棒・線を製造
- [6]1898年、住友伸銅場で民間工場として最初のアルミ板製造を開始
- [9]1898年、住友伸銅場で民間工場として最初のアルミ板製造を開始
- 企業の現代史16 1962「躍進する鉄鋼メーカー 住友金属工業」(前身の住友伸銅場を共有)
- [4]1895年設立の日本製銅の工場設備を1897年3月に住友家が引き継ぎ住友伸銅場と改称、4月1日操業。日清戦争前後に銅業界が地金輸出から圧延加工へ移行
- [5]1895年設立の日本製銅の工場設備を1897年3月に住友家が引き継ぎ住友伸銅場と改称、4月1日操業。日清戦争前後に銅業界が地金輸出から圧延加工へ移行
1911年〜海軍の復水器管を国産化した住友伸銅場と、ツェッペリン飛行船の研究から生まれた住友軽銀
海軍は1911年、八八艦隊計画に備えて艦船用復水器管の国産化を企図し、その製造を住友に依頼した。総理事の鈴木馬左也氏はこの依頼を受諾し、巨額の費用と人材を製造に投じた。鈴木馬左也氏は1904年7月に総理事へ就任し、以後約20年にわたり住友の事業を統轄した人物である。伸銅場はそれ以前に、日露戦争後の建艦材料の自給要請に応え、1909年に国内初の銅・真鍮の引抜管を製造した。引抜管の技術を土台に、伸銅場は輸入品に劣らない復水器管を製造し、1913年6月に住友伸銅所へ改称。1932年には銅・亜鉛・アルミニウムの合金アルブラックが特許登録され、海軍はこの合金の復水器管を全面採用した。
- 企業の歴史(明治百年)1968「住友軽金属工業」
- [11]1911年、海軍が八八艦隊計画のため艦船用復水器管の国産化を企図し住友に製造を依頼。総理事鈴木馬左也が受諾し、輸入品に劣らない復水器管の製造に成功
- [12]1911年、海軍が八八艦隊計画のため艦船用復水器管の国産化を企図し住友に製造を依頼。総理事鈴木馬左也が受諾し、輸入品に劣らない復水器管の製造に成功
- [15]1911年、海軍が八八艦隊計画のため艦船用復水器管の国産化を企図し住友に製造を依頼。総理事鈴木馬左也が受諾し、輸入品に劣らない復水器管の製造に成功
- 企業の現代史16 1962「躍進する鉄鋼メーカー 住友金属工業」(前身の住友伸銅場を共有)
- [13]鈴木馬左也は1904年7月に総理事就任、約20年間住友を統轄。住友伸銅場は1913年6月に住友伸銅所と改称
- [16]鈴木馬左也は1904年7月に総理事就任、約20年間住友を統轄。住友伸銅場は1913年6月に住友伸銅所と改称
- 会社銀行八十年史 1955「住友金属工業」(前身の住友伸銅所を共有)
- [14]日露戦争後の建艦材料自給の要請に応え、1909年に国内初の銅・真鍮引抜管、1912年に冷間引抜鋼管の製造を開始
- 私の住友昭和史 1988「住友金属工業の誕生」
- [17]1932年、銅・亜鉛・アルミニウム合金アルブラックが特許登録され、海軍がアルブラック製復水器管を全面採用
住友伸銅所は1922年、ジュラルミンの試作に成功し、住友軽銀の名で発表した。研究の材料は、第一次世界大戦中にロンドン郊外で墜落したドイツのツェッペリン飛行船だった。海軍が飛行船の金属製骨格の破片を伸銅所に交付し、伸銅所はその分析からジュラルミンの試作へ進んだ。ジュラルミンの製造開始を1920年とする記録もあり、1922年の試作成功とは年に2年のずれがある。伸銅所は1926年7月に株式会社の住友伸銅鋼管となり、1928年に安治川工場を大阪・桜島の新工場へ移した。復水器管で海軍と築いた取引の関係が、飛行船の破片という希少な研究材料を得る道筋になったと思われる。
- 企業の歴史(明治百年)1968「住友軽金属工業」
- [18]第一次世界大戦中の航空機の進歩に応じ軽合金研究を進め、ロンドン郊外で墜落したツェッペリン飛行船の材料研究から1922年にジュラルミン試作に成功、「住友軽銀」として発表
- [19]第一次世界大戦中の航空機の進歩に応じ軽合金研究を進め、ロンドン郊外で墜落したツェッペリン飛行船の材料研究から1922年にジュラルミン試作に成功、「住友軽銀」として発表
- 会社銀行八十年史 1955「住友金属工業」(前身の住友伸銅所を共有)
- [20]海軍から交付されたツェッペリン飛行船の骨格破片を研究しジュラルミン試作に成功、1920年に製造開始。1926年7月住友伸銅鋼管(株式組織)、1928年安治川工場を桜島へ移転
- [21]海軍から交付されたツェッペリン飛行船の骨格破片を研究しジュラルミン試作に成功、1920年に製造開始。1926年7月住友伸銅鋼管(株式組織)、1928年安治川工場を桜島へ移転
- [22]海軍から交付されたツェッペリン飛行船の骨格破片を研究しジュラルミン試作に成功、1920年に製造開始。1926年7月住友伸銅鋼管(株式組織)、1928年安治川工場を桜島へ移転
参考文献[11]-[22]
- 企業の歴史(明治百年)1968「住友軽金属工業」
- [11]1911年、海軍が八八艦隊計画のため艦船用復水器管の国産化を企図し住友に製造を依頼。総理事鈴木馬左也が受諾し、輸入品に劣らない復水器管の製造に成功
- [12]1911年、海軍が八八艦隊計画のため艦船用復水器管の国産化を企図し住友に製造を依頼。総理事鈴木馬左也が受諾し、輸入品に劣らない復水器管の製造に成功
- [15]1911年、海軍が八八艦隊計画のため艦船用復水器管の国産化を企図し住友に製造を依頼。総理事鈴木馬左也が受諾し、輸入品に劣らない復水器管の製造に成功
- [18]第一次世界大戦中の航空機の進歩に応じ軽合金研究を進め、ロンドン郊外で墜落したツェッペリン飛行船の材料研究から1922年にジュラルミン試作に成功、「住友軽銀」として発表
- [19]第一次世界大戦中の航空機の進歩に応じ軽合金研究を進め、ロンドン郊外で墜落したツェッペリン飛行船の材料研究から1922年にジュラルミン試作に成功、「住友軽銀」として発表
- 企業の現代史16 1962「躍進する鉄鋼メーカー 住友金属工業」(前身の住友伸銅場を共有)
- [13]鈴木馬左也は1904年7月に総理事就任、約20年間住友を統轄。住友伸銅場は1913年6月に住友伸銅所と改称
- [16]鈴木馬左也は1904年7月に総理事就任、約20年間住友を統轄。住友伸銅場は1913年6月に住友伸銅所と改称
- 会社銀行八十年史 1955「住友金属工業」(前身の住友伸銅所を共有)
- [14]日露戦争後の建艦材料自給の要請に応え、1909年に国内初の銅・真鍮引抜管、1912年に冷間引抜鋼管の製造を開始
- [20]海軍から交付されたツェッペリン飛行船の骨格破片を研究しジュラルミン試作に成功、1920年に製造開始。1926年7月住友伸銅鋼管(株式組織)、1928年安治川工場を桜島へ移転
- [21]海軍から交付されたツェッペリン飛行船の骨格破片を研究しジュラルミン試作に成功、1920年に製造開始。1926年7月住友伸銅鋼管(株式組織)、1928年安治川工場を桜島へ移転
- [22]海軍から交付されたツェッペリン飛行船の骨格破片を研究しジュラルミン試作に成功、1920年に製造開始。1926年7月住友伸銅鋼管(株式組織)、1928年安治川工場を桜島へ移転
- 私の住友昭和史 1988「住友金属工業の誕生」
- [17]1932年、銅・亜鉛・アルミニウム合金アルブラックが特許登録され、海軍がアルブラック製復水器管を全面採用
出典・参考
5件
- 会社銀行八十年史 1955「住友金属工業」(前身の住友伸銅所を共有)
- 企業の現代史16 1962「躍進する鉄鋼メーカー 住友金属工業」(前身の住友伸銅場を共有)
- 企業の歴史(明治百年)1968「住友軽金属工業」
- 証券 15(2) 1963
- 私の住友昭和史 1988「住友金属工業の誕生」