藤崎章

住友金属鉱山・元代表取締役社長

Fujisaki Akira(敬称略)

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社長就任 1972年
生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1917年に鹿児島で生まれ、1941年12月に東京帝国大学法学部を卒業し、翌1942年1月に住友鉱業へ入社した。1964年6月に管理部長、1967年5月に取締役、1970年2月に常務取締役へ進んでいる。鉱山や製錬の現場ではなく管理畑を歩いた経歴で、同時期の役員には冶金・鉱山を修めた技術者が並ぶ。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1973年5月、河上健次郎氏の取締役会長就任を受けて社長に就任した。同じ1967年5月に取締役となった河合義夫氏と村山彬氏が常務取締役へ上がったのは1971年10月で、藤崎氏の常務就任はそれより1年8か月早い1970年2月だった。交代の年の3月には祖業の別子鉱山が操業を終えており、鉱山を失った後の事業をどう組み替えるかが引き継ぎの中身になった。

在任中の主な施策
施策

別子を失った後の主力を、海外の材料事業と国内の金鉱脈に置いた。1977年1月にSumitomo Metal Mining Singaporeを設立してリードフレームの生産を開始し、エレクトロニクス材料の製造で初めて海外へ出ている。同年2月には新居浜研究所を新設した。1981年8月には金属鉱業事業団の広域調査で鹿児島県の菱刈鉱区に高品位の金鉱脈が見つかり、後年の菱刈鉱山につながる。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1972〜1982年
在任中の業績
就任前(FY71)1,020億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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