第2章 年〜年

INAX:タイル業界首位と樹脂浴槽「ポリバス」の開発

1947年〜衛生陶器の製造開始と、輸出7割から内需への転回

伊奈製陶は戦時中に全工場を軍用の耐酸炻器の生産へ振り向け、1942年にはタイルの製造も止めた。それでも工場は空襲による被災を免れ、生産設備を保ったまま終戦を迎えたため、耐酸炻器の生産を順次縮小して廃止しながら、1945年10月にはタイルの製造へ戻った。同年11月には地下送電線の保護管路である陶製電纜管の製造をやめ、代わりに衛生陶器の製造を開始して、当初は進駐軍の住宅設営用をおもな出荷先とした。1946年には進駐軍の宿舎兵舎の設営資材の調達要求が特需となり、伊奈製陶はその受注に努力を傾けて大量の受注に成功し、戦後の生産復興の口火を切った。戦後は耐酸炻器の需要が減退したまま回復せず、伊奈製陶はタイルと衛生陶器の2品目を主力事業に据えた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
    • [1]戦時中は全工場をあげて軍用の耐酸炻器を生産し、1942年にタイルの製造も中止した
    • [3]戦後は耐酸炻器の生産を順次縮小・廃止し、1945年10月からタイルの製造を開始した
    • [5]1945年11月から新たに衛生陶器の製造を開始した
    • [6]衛生陶器は最初、進駐軍の住宅設営用が主だった
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 28_陶磁器「伊奈製陶」
    • [2]戦時中に戦災を受けずに終戦を迎えた
    • [4]終戦後、電纜管(地下送電線保護管路である陶製電纜管)の製造を廃止した
  • 伊奈製陶株式会社30年史(伊奈製陶、1956年)第5篇 販売 第1章 販売の沿革
    • [7]昭和21年、進駐軍の宿舎兵舎設営資材の調達要求によるいわゆる特需が起り、これが受註に努力を傾注して当社は継続して大量の受註に成功、戦後の生産復興の口火を切った
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [8]戦後に耐酸炻器の需要が減退したため製造をやめ、衛生陶器を加えてタイルとともに二つを事業の柱とした

1946年2月1日、伊奈製陶は前年末に整理した従業員のうち再就職を希望した職員105名と工員454名の計559名を再採用して事業を再開した。1947年8月の貿易再開に際し、伊奈製陶はシンガポールへ初めてタイルを輸出した。タイルと衛生陶器は進駐軍向けとして、また貿易再開後は輸出向けとして繁忙をきわめ、輸出が総生産高の70%を占めた。その後は住宅とビル建築の復活により生産量の大部分が内需へ向かい、予想を超えて進んだ国内復興工事の資材としても需要が伸び、伊奈製陶は戦後の混乱期を通じて生産を絶やさなかった。国内向けの販売は各地の卸売り特約店を通じ、輸出は北米、中南米、東南アジアをおもな仕向け地とし、国内の貿易商社と外国商社との直接取引によった。

  • 伊奈製陶株式会社30年史(伊奈製陶、1956年)第6篇 労務・厚生 第1章 労務状況
    • [9]昭和21年2月1日附を以て整理員中から再就職希望者、職員105名、工員454名計559名を再採用して事業を再開した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
    • [10]1947年8月の貿易再開に当たり、シンガポールへ初めてタイルを輸出した
    • [13]予想外に促進された国内復興工事用の資材として需要が増加し、戦後の混乱期にもかかわらず経営の基礎を固めた
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 28_陶磁器「伊奈製陶」
    • [11]タイル・衛生陶器は進駐軍用として、また1947年の貿易再開後は輸出用として繁忙をきわめ、輸出は総生産高の70%を占めた
    • [12]その後、住宅・ビル建築の復活により生産量の大部分が内需に向けられた
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [14]おもな仕向け地は北米、中南米、東南アジア等
    • [15]国内向けは各地の卸売り特約店を通じ、輸出は国内貿易商社と外国商社との直接取引による

1949年の為替レートの改正によって、伊奈製陶の輸出は急速に減った。総生産高の70%を占めていた輸出は改訂後に漸減を続け、1954年には総販売高の約1割を占めるにすぎなくなった。輸出の不振は国内にも及んで内需が減少傾向へ転じ、組便器などの在庫が増えた。伊奈製陶は国内へ向き直り、新しい市場に対する積極的な調査活動と、官庁工事や一般の大建築工事に自社製品を採用させる指定運動に力を注いだ。物品税も軽くなり、奢侈品として当初30%を課されていたタイルの物品税は1951年1月に10%、1953年6月に5%まで下がり、衛生陶器の物品税は1948年7月の30%を経て1950年1月に全廃された。負担が軽くなった分は価格の引き下げに回り、タイルと衛生陶器の普及を押した。

  • 伊奈製陶株式会社30年史(伊奈製陶、1956年)第5篇 販売 第1章 販売の沿革
    • [16]昭和24年為替レートの改正により急速に輸出は減少した
    • [17]昭和24年の為替レート改訂後は漸減し、現在は総販売高の約1割を占めるに過ぎない
    • [18]一般的な輸出不振が国内にも影響して内需は減少傾向を現わしはじめ、組便器等の在庫が増加した
    • [19]新しいマーケットに対する積極的な調査活動や、官庁工事や一般大建築工事に当社品を採用願う為の指定運動等に努力を傾注してきた
    • [20]タイルの物品税は当初30%を課されたが昭和26年1月に10%、昭和28年6月に5%となり、衛生陶器も昭和23年7月には30%、昭和25年1月には全部廃止された
    • [21]物品税の改正により会社の負担も軽減され、価格の引下げとなって、その普及に一層の効果を齎すこととなった
参考文献[1]-[21]
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
    • [1]戦時中は全工場をあげて軍用の耐酸炻器を生産し、1942年にタイルの製造も中止した
    • [3]戦後は耐酸炻器の生産を順次縮小・廃止し、1945年10月からタイルの製造を開始した
    • [5]1945年11月から新たに衛生陶器の製造を開始した
    • [6]衛生陶器は最初、進駐軍の住宅設営用が主だった
    • [10]1947年8月の貿易再開に当たり、シンガポールへ初めてタイルを輸出した
    • [13]予想外に促進された国内復興工事用の資材として需要が増加し、戦後の混乱期にもかかわらず経営の基礎を固めた
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 28_陶磁器「伊奈製陶」
    • [2]戦時中に戦災を受けずに終戦を迎えた
    • [4]終戦後、電纜管(地下送電線保護管路である陶製電纜管)の製造を廃止した
    • [11]タイル・衛生陶器は進駐軍用として、また1947年の貿易再開後は輸出用として繁忙をきわめ、輸出は総生産高の70%を占めた
    • [12]その後、住宅・ビル建築の復活により生産量の大部分が内需に向けられた
  • 伊奈製陶株式会社30年史(伊奈製陶、1956年)第5篇 販売 第1章 販売の沿革
    • [7]昭和21年、進駐軍の宿舎兵舎設営資材の調達要求によるいわゆる特需が起り、これが受註に努力を傾注して当社は継続して大量の受註に成功、戦後の生産復興の口火を切った
    • [16]昭和24年為替レートの改正により急速に輸出は減少した
    • [17]昭和24年の為替レート改訂後は漸減し、現在は総販売高の約1割を占めるに過ぎない
    • [18]一般的な輸出不振が国内にも影響して内需は減少傾向を現わしはじめ、組便器等の在庫が増加した
    • [19]新しいマーケットに対する積極的な調査活動や、官庁工事や一般大建築工事に当社品を採用願う為の指定運動等に努力を傾注してきた
    • [20]タイルの物品税は当初30%を課されたが昭和26年1月に10%、昭和28年6月に5%となり、衛生陶器も昭和23年7月には30%、昭和25年1月には全部廃止された
    • [21]物品税の改正により会社の負担も軽減され、価格の引下げとなって、その普及に一層の効果を齎すこととなった
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [8]戦後に耐酸炻器の需要が減退したため製造をやめ、衛生陶器を加えてタイルとともに二つを事業の柱とした
    • [14]おもな仕向け地は北米、中南米、東南アジア等
    • [15]国内向けは各地の卸売り特約店を通じ、輸出は国内貿易商社と外国商社との直接取引による
  • 伊奈製陶株式会社30年史(伊奈製陶、1956年)第6篇 労務・厚生 第1章 労務状況
    • [9]昭和21年2月1日附を以て整理員中から再就職希望者、職員105名、工員454名計559名を再採用して事業を再開した

1948年〜資本金1億円への増資と朝鮮動乱後の設備刷新

伊奈製陶は1946年8月に特別経理会社の指定を受け、1948年9月30日には解除の条件となっていた増資を完了して、終戦時に135万円だった資本金を1,000万円へ引き上げた。増資はその後も続き、1949年1月31日の縁故公募で2,500万円、1950年1月26日の払い込みで5,000万円へ資本金が増えた。株式の公開は1948年12月24日の臨時株主総会が決め、増資30万株のうち5万株を公募へ回すと、山一証券が一手に引き受けた募集は1949年1月の売出日に即日満株となった。この間の1949年5月16日には、伊奈製陶の株式が名古屋証券取引所に上場した。1951年8月8日には全国の取引所に上場する銘柄のトップを切って1対1の無償増資を実施して資本金1億円とし、1956年8月にも1対1の有償増資で2億円へ倍増させた。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 28_陶磁器「伊奈製陶」
    • [22]1946年8月に特別経理会社に指定された
    • [23]1948年9月に指定の解除条件となっていた増資を完了し、資本金1,000万円となった(終戦時の資本金は135万円)
    • [28]1951年8月8日、全国取引所上場銘柄のトップを切って1対1の無償増資を行い資本金1億円となった
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [24]1949年1月31日に2,500万円(1対1縁故公募)、1950年1月26日に5,000万円(1対1)へ増資した
    • [27]1949年5月16日に名古屋の取引所へ上場した
    • [29]1956年8月21日に1対1の増資を行い資本金2億円となった
  • 伊奈製陶株式会社30年史(伊奈製陶、1956年)第5篇 販売 第1章 販売の沿革
    • [25]昭和23年12月24日の臨時株主総会で資本金1,500万円、30万株を増し、内20万株を旧株主、5万株を得意先及び仕入先に割当て、5万株を公募することを決議した
    • [26]この公募は山一証券株式会社の一手引受けによって募集され、昭和24年1月、売出日即日満株となった

1950年4月の建築制限令の撤廃に朝鮮動乱のブームが重なり、建築業界は一段と好況に転じて、伊奈製陶のタイルと衛生陶器にも一般需要の増加が及んだ。伊奈製陶は生産設備の刷新に着手し、単独窯の重油焼成を採用し、高能率のトンネル窯へ切り替え、自動成形機を導入した。タイルと衛生陶器は愛知県産と岐阜県産の粘土、石川産の陶石、岡山産と兵庫産の蝋石、福島地方と新潟地方の長石と珪石を原料とし、成型・素焼・施釉・本焼の工程を経て作られる。この工程に各種の自動機械やコンベアーを採り入れて高能率の大量生産へ移し、1958年12月には衛生陶器工場が日本工業規格表示許可工場となった。

  • 伊奈製陶株式会社30年史(伊奈製陶、1956年)第5篇 販売 第1章 販売の沿革
    • [30]昭和25年4月、建築制限令の撤廃に引続き朝鮮動乱ブームの現出によって再び内需は活況を取戻した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
    • [31]1950年の朝鮮事変とともに建築業界も一段と好況となり、その後一般需要が増加した
    • [32]生産設備の刷新と生産の合理化を行い、単独窯の重油焼成の採用、高能率トンネル窯への切り替え、自動成形機の採り入れを進めた
    • [35]1958年12月に衛生陶器工場が日本工業規格表示許可工場となった
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [33]タイル・衛生陶器は愛知・岐阜県産粘土、石川産の陶石、岡山・兵庫産蝋石、福島・新潟地方の長石・珪石を原料とし、成型・素焼・施釉・本焼の工程を経て製造される
    • [34]製造方法に各種自動機械やコンベアーが採用され、高能率に大量生産が行われている

決算は4月期と10月期の半期制で、1955年10月期には売上高5億2,149万円、税込利益5,308万円を計上し、売上利益率は10.6%に達した。1955年の時点でタイルは全生産高の75%を占めて対全国比25%で業界第1位、衛生陶器は全生産高の25%を占めて対全国比15%で第2位につけた。1962年10月期には売上高19億8,025万円、税込利益2億3,259万円、税引後の差引純益1億4,550万円まで伸び、7年で売上高は3.8倍になった。同じ期の販売実績はタイルが13億9,146万円、衛生陶器が5億8,879万円で、タイルが売上高のおよそ7割を占めた。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [36]決算期は4月・10月。1955年10月期の売上高521,498千円、税込利益53,086千円、利益率10.6%
    • [38]1962年10月期(78期)の売上高1,980,255千円、税込利益232,597千円、差引純益145,500千円
    • [39]1962年10月期の販売実績はタイル1,391,460千円、衛生陶器588,795千円、合計1,980,255千円
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 28_陶磁器「伊奈製陶」
    • [37]タイルは全生産高の75%・対全国比25%で業界第1位、衛生陶器は25%・対全国比15%で第2位
参考文献[22]-[39]
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 28_陶磁器「伊奈製陶」
    • [22]1946年8月に特別経理会社に指定された
    • [23]1948年9月に指定の解除条件となっていた増資を完了し、資本金1,000万円となった(終戦時の資本金は135万円)
    • [28]1951年8月8日、全国取引所上場銘柄のトップを切って1対1の無償増資を行い資本金1億円となった
    • [37]タイルは全生産高の75%・対全国比25%で業界第1位、衛生陶器は25%・対全国比15%で第2位
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [24]1949年1月31日に2,500万円(1対1縁故公募)、1950年1月26日に5,000万円(1対1)へ増資した
    • [27]1949年5月16日に名古屋の取引所へ上場した
    • [29]1956年8月21日に1対1の増資を行い資本金2億円となった
    • [33]タイル・衛生陶器は愛知・岐阜県産粘土、石川産の陶石、岡山・兵庫産蝋石、福島・新潟地方の長石・珪石を原料とし、成型・素焼・施釉・本焼の工程を経て製造される
    • [34]製造方法に各種自動機械やコンベアーが採用され、高能率に大量生産が行われている
    • [36]決算期は4月・10月。1955年10月期の売上高521,498千円、税込利益53,086千円、利益率10.6%
    • [38]1962年10月期(78期)の売上高1,980,255千円、税込利益232,597千円、差引純益145,500千円
    • [39]1962年10月期の販売実績はタイル1,391,460千円、衛生陶器588,795千円、合計1,980,255千円
  • 伊奈製陶株式会社30年史(伊奈製陶、1956年)第5篇 販売 第1章 販売の沿革
    • [25]昭和23年12月24日の臨時株主総会で資本金1,500万円、30万株を増し、内20万株を旧株主、5万株を得意先及び仕入先に割当て、5万株を公募することを決議した
    • [26]この公募は山一証券株式会社の一手引受けによって募集され、昭和24年1月、売出日即日満株となった
    • [30]昭和25年4月、建築制限令の撤廃に引続き朝鮮動乱ブームの現出によって再び内需は活況を取戻した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
    • [31]1950年の朝鮮事変とともに建築業界も一段と好況となり、その後一般需要が増加した
    • [32]生産設備の刷新と生産の合理化を行い、単独窯の重油焼成の採用、高能率トンネル窯への切り替え、自動成形機の採り入れを進めた
    • [35]1958年12月に衛生陶器工場が日本工業規格表示許可工場となった

1959年〜樹脂浴槽ポリバスの開発と上野・半田両工場の新設

伊奈製陶は1959年7月に樹脂浴槽"ポリバス"の研究開発に成功し、続いて塩化ビニール樹脂床タイル、いわゆるFFタイルの分野へ進出した。1960年5月には米国のグレーディング・マクビーン社とタイルの製造販売に関する長期協定を締結し、両社が製造技術や経営諸問題についての知識と経験を交換して長期にわたり提携すると定めた。伊奈製陶はマクビーン社のマークを付けてタイルを製造し、マクビーン社がこれを米国市場で売り出す。1962年10月期の輸出金額は2億7,781万円、総売上に対する比率は14.0%にのぼった。協定の相手のマクビーン社はのちにインターペース社と名を改め、1963年の時点でも伊奈製陶はタイルの製造に関する技術援助と販売の長期契約をこの会社と結んでいた。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [40]1959年7月に樹脂浴槽(ポリバス)の研究開発に成功した
    • [41]続いて塩化ビニール樹脂床タイル(FFタイル)の新分野に進出した
    • [42]1960年5月に米国グレーディング・マクビーン社とタイルの製造販売に関する長期協定を締結した
    • [43]協定は両社がタイルの製造技術や経営諸問題の知識・経験を交換し、長期にわたって提携する内容
    • [44]伊奈製陶がマクビーン社のマークを付けてタイルを製造し、同社が米国市場で売り出す
    • [45]1962年10月期の輸出金額277,817千円、対売上比率14.0%
  • 株式会社年鑑 1964年版「伊奈製陶」
    • [46]技術提携は昭和35年5月、米国インターペース社(旧名マックビーン社)とタイルの製造に関し技術援助、販売契約を長期締結

1959年9月、伊奈製陶はタイル工場と衛生陶器工場について、それぞれ新工場の建設に着手した。増設工事はタイル工場が1961年1月、衛生陶器工場が同年11月に完成し、資本金も1960年7月21日の1対1の増資で4億円、1961年の公募増資で6億4,000万円へ増えた。1961年8月には三重県上野市で上野工場の建設に入り、1963年6月から生産を開始した。1964年9月には上野市緑ケ丘のポリバス工場が操業を開始し、タイル工場、外装タイル工場、ポリバス工場からなる上野事業所が加わった。1963年の伊奈製陶は常滑東工場と三重県上野市の上野工場から品物を出し、東京と大阪に事務所、福岡と札幌に駐在所を置いた。原料の土は石川県の服部鉱業と瀬戸の勝野商店から仕入れた。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
    • [47]1959年9月にタイル工場と衛生陶器工場の新工場建設に着手し、増産態勢を整えた
    • [50]1961年8月に三重県上野市で上野工場の建設工事を始め、1963年6月から生産を開始した
    • [51]1964年9月に上野市緑ケ丘のポリバス工場が操業を開始し、タイル工場・外装タイル工場・ポリバス工場からなる上野事業所を新設した
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [48]1961年1月にタイル工場、同年11月に衛生陶器工場の増設工事が完成した
    • [49]1960年7月21日払込で資本金400,000千円(1対1)、1961年に公募増資で640,000千円
  • 株式会社年鑑 1964年版「伊奈製陶」
    • [52]事業所は本社・工場(常滑東工場)、上野工場(三重県上野市三田1030・タイル)、東京事務所、大阪事務所、九州駐在所(福岡市)、札幌駐在所(札幌市)
    • [53]主なる取引先は仕入が服部鉱業(石川県)、勝野商店(瀬戸)

1963年の伊奈製陶は、タイルで業界第1位、衛生陶器で第2位の座にあった。両者の生産は金額で7対3の割合で、常滑と上野の工場を合わせた能力は月間4億円余りに上った。同じ1963年の6月、愛知県半田市で半田工場の建設が始まり、1964年1月から、以前は外から買っていた水栓金具を自社で造るようになった。従業員数は1962年10月末で2,236名、そのうち1,839名が工員だった。平均年齢は25.9歳、平均勤続年数は8.1年。大株主の上位には伊奈長三郎社長が668,000株で5.2%、伊奈輝三氏が336,000株で2.6%、伊奈安一氏が303,000株で2.4%と、伊奈家の3氏が並んだ。これに三菱銀行の2.3%、東海銀行の2.0%、常滑市の1.6%が続いた。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [54]タイルは業界第1位、衛生陶器は第2位。生産割合は金額で7対3、工場は常滑と上野で生産能力は月間4億円余
    • [56]1962年10月末の従業員2,236名(工員1,839名)、平均年齢25.9歳、平均勤続8.1年
    • [57]1962年10月末の大株主は伊奈長三郎668,000株5.2%、伊奈輝三336,000株2.6%、伊奈安一303,000株2.4%
    • [58]1962年10月末の大株主に三菱銀行2.3%、東海銀行2.0%、常滑市1.6%が並ぶ
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
    • [55]1963年6月に愛知県半田市で半田工場の建設を始め、1964年1月からそれまで仕入れに頼っていた水栓金具の製造を開始した
参考文献[40]-[58]
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」
    • [40]1959年7月に樹脂浴槽(ポリバス)の研究開発に成功した
    • [41]続いて塩化ビニール樹脂床タイル(FFタイル)の新分野に進出した
    • [42]1960年5月に米国グレーディング・マクビーン社とタイルの製造販売に関する長期協定を締結した
    • [43]協定は両社がタイルの製造技術や経営諸問題の知識・経験を交換し、長期にわたって提携する内容
    • [44]伊奈製陶がマクビーン社のマークを付けてタイルを製造し、同社が米国市場で売り出す
    • [45]1962年10月期の輸出金額277,817千円、対売上比率14.0%
    • [48]1961年1月にタイル工場、同年11月に衛生陶器工場の増設工事が完成した
    • [49]1960年7月21日払込で資本金400,000千円(1対1)、1961年に公募増資で640,000千円
    • [54]タイルは業界第1位、衛生陶器は第2位。生産割合は金額で7対3、工場は常滑と上野で生産能力は月間4億円余
    • [56]1962年10月末の従業員2,236名(工員1,839名)、平均年齢25.9歳、平均勤続8.1年
    • [57]1962年10月末の大株主は伊奈長三郎668,000株5.2%、伊奈輝三336,000株2.6%、伊奈安一303,000株2.4%
    • [58]1962年10月末の大株主に三菱銀行2.3%、東海銀行2.0%、常滑市1.6%が並ぶ
  • 株式会社年鑑 1964年版「伊奈製陶」
    • [46]技術提携は昭和35年5月、米国インターペース社(旧名マックビーン社)とタイルの製造に関し技術援助、販売契約を長期締結
    • [52]事業所は本社・工場(常滑東工場)、上野工場(三重県上野市三田1030・タイル)、東京事務所、大阪事務所、九州駐在所(福岡市)、札幌駐在所(札幌市)
    • [53]主なる取引先は仕入が服部鉱業(石川県)、勝野商店(瀬戸)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
    • [47]1959年9月にタイル工場と衛生陶器工場の新工場建設に着手し、増産態勢を整えた
    • [50]1961年8月に三重県上野市で上野工場の建設工事を始め、1963年6月から生産を開始した
    • [51]1964年9月に上野市緑ケ丘のポリバス工場が操業を開始し、タイル工場・外装タイル工場・ポリバス工場からなる上野事業所を新設した
    • [55]1963年6月に愛知県半田市で半田工場の建設を始め、1964年1月からそれまで仕入れに頼っていた水栓金具の製造を開始した

筆者考察

戦後の伊奈製陶を作り替えたのは、買い手が3度替わったことである。1945年10月にタイルの製造へ戻り、11月に衛生陶器を始めたときの出荷先は進駐軍だった。1947年8月の貿易再開でシンガポールへ初荷を送ると、輸出は総生産高の70%を占めるまでになり、仕向け地は北米と中南米、東南アジアへ広がった。それが1949年の為替レートの改正で崩れ、1954年には総販売高の約1割まで落ちた。官需から外需へ、外需から内需へ。同じタイルと衛生陶器を、伊奈製陶は3度売り先を替えて売り続けた。内需へ戻る足場になったのは、1950年4月の建築制限令の撤廃と朝鮮動乱、そして1950年1月に全廃された衛生陶器の物品税である。

売り先を替えられたのは、資本の側を先に替えていたからである。創立以来の株主は伊奈家と大倉家を中心とした18名で、株式の譲渡には会社の承諾が要った。1948年12月の臨時株主総会が30万株の増資と5万株の公募を決め、山一証券の引き受けで1949年1月に即日満株となる。1949年5月の名古屋証券取引所への上場、1951年8月の全国の上場会社に先駆けた無償増資での資本金1億円を経て、1961年には6億4,000万円まで、13年で資本金は64倍になった。厚くした資本はトンネル窯と自動成形機、三重県の上野工場へ向けられ、1955年にタイルで全国比25%の首位、衛生陶器で15%の第2位という位置を支えた。

伊奈製陶の売上高 4月期と10月期の半期決算(単体)(億円)

5.2 55年10月期 11 60年4月期 19.8 62年10月期

1946年〜1966年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 億円 利益率
1949年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1950年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1951年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1952年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1953年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1954年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1955年04月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1956年04月期 単体 11 n/a n/a 1 n/a n/a n/a
1957年04月期 単体 14 +31.0% n/a 2 n/a n/a n/a
1958年04月期 単体 14 0.0% n/a 1 n/a n/a n/a
1959年04月期 単体 18 +25.0% n/a 2 n/a n/a n/a
1960年04月期 単体 20 +13.0% n/a 2 n/a n/a n/a
1961年04月期 単体 27 +32.5% n/a 4 n/a n/a n/a
1962年04月期 単体 33 +20.9% 4 4 2 8.1% n/a
1963年04月期 単体 40 +21.5% n/a n/a 3 7.4% n/a
1964年04月期 単体 51 +26.0% n/a n/a 3 7.6% n/a
1965年04月期 単体 66 +29.4% n/a n/a 4 6.0% n/a
1966年04月期 単体 70 +6.2% n/a n/a 3 5.4% n/a

出所:ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版 半期合算、会社年鑑 1967年版 半期合算

出典・参考

6件
出典・参考
  • 伊奈製陶株式会社30年史(伊奈製陶、1956年)第5篇 販売 第1章 販売の沿革
  • 伊奈製陶株式会社30年史(伊奈製陶、1956年)第6篇 労務・厚生 第1章 労務状況
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 28_陶磁器「伊奈製陶」
  • 株式会社年鑑 1964年版「伊奈製陶」
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「伊奈製陶」

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