INAX:「サニタリーナ61」発売と住宅設備の総合メーカーへ
1967年〜年商100億円突破と国産初の温水洗浄機能付便器
1966年から1967年にかけて、伊奈製陶はホウロウ浴槽の需要増に応えて常滑市大谷に生産一貫工場を建設し、関東の拠点としては茨城県新治郡千代田村に壁タイルとユニットバスルームの工場を工費4億円で建て始めた。1967年3月には全額出資で資本金5000万円の九州伊奈製陶を設立し、佐賀県鹿島市で工場建設に入った。労働力の確保と原料産地への近さが狙いで、当面の主力製品は外装用タイルに置いた。こうした増設と並行して、建築陶器の総合メーカーを掲げる伊奈製陶の年間売上高は、この時期に100億円を超えた。1968年時点の社長は田辺三郎氏、従業員は3754名、資本金は16億円であった。
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
- [1]ほうろう浴槽の需要増大に応え、常滑市大谷に大谷工場(ホウロウバスの生産一貫工場)を建設中
- [2]関東地方での拠点として茨城県新治郡千代田村に壁タイルとユニットバスルームの工場建設を開始、工費4億円
- [3]1967年3月、全額出資により九州伊奈製陶(資本金5000万円)を設立し、佐賀県鹿島市で工場建設工事を開始
- [4]九州伊奈製陶の狙いは労働力の確保と原料産地に近いことで、当面は外装用タイルが主体
- [5]建築陶器の総合メーカーを目指し、年間売り上げ100億円を突破
- [6]1968年時点の社長は田辺三郎、従業員3754名、資本金16億円
紙を使わない便器を国産化する構想には、清潔好きの日本人が温水と温風だけで満足するかという疑問がつきまとい、社内には反対するスタッフもいた。開発陣が輸入品を調べ直すと、医療用の製品は日本人の体格に対して大きすぎ、温水や温風の当たる位置も違っていて参考にならなかった。日本人の肛門の位置を示すデータは国内のどこにも無く、開発陣は社員の尻型を粘土に押して採る方法をとり、男子社員は下半身裸で、女子社員は水着より薄い布をまとった姿で型取りに応じた。湯の温度も、故障による火傷を万が一にも起こさないよう二重三重の対策を凝らした。試作を数え切れないほど重ねて初出荷にこぎつけたときには、開発着手から2年が経っていた。
- LIXIL「ものづくりの歴史 シャワートイレの誕生」
- [7]紙を使わない夢のトイレの国産化に対し、清潔好きの日本人が満足するか、売れるのかという疑問があり、あからさまに反対するスタッフもいた
- [8]輸入品は日本人の体格には不釣合いに大きく、温水や温風の当たる位置もまったく違い、ほとんど参考にならなかった
- [9]日本人の肛門の位置を示すデータが無く、開発スタッフは社員の「尻型」を粘土に押して取る方法をとった
- [10]男子社員は下半身裸で、女子社員は水着より薄い布をまとった姿で粘土に尻の型を押した
- [11]湯の温度も、故障してやけどを負わせることが万が一にも無いよう二重、三重の対策を凝らした
- [12]数え切れないほどの試作を重ねて初出荷にこぎつけた時は、開発着手から2年もの月日が経とうとしていた
1967年10月、伊奈製陶は国産初の温水洗浄機能付便器"サニタリイナ61"を発売した。上下水道の整備がようやく進み始め、東京オリンピックの選手宿舎に洋式便器が置かれたのを皮切りに便器の洋風化も始まっていた。それまで国内で手に入るシャワートイレは海外で医療機器として使われた輸入品に限られ、新車が1台買えるほど高価だった。1976年には普及モデルとして便座タイプの"サニタリーナF1"を発売した。それでも普及率が50%を超えるのは2000年代に入ってからで、一般世帯の普及率が約8割に届いたのは2017年である。
- LIXIL ニュースリリース 2017年1月25日「おかげさまで、2017年 LIXILは、主要な事業展開の起点となった1967年から50年目の節目を迎えます」
- [13]1967年10月、国産初のシャワートイレ付き便器「サニタリイナ61」を発売開始。当時は伊奈製陶(後のINAX)
- [16]1976年、普及モデルとして便座タイプのシャワートイレ「サニタリーナF1」を発売
- LIXIL「ものづくりの歴史 シャワートイレの誕生」
- [14]上下水道の整備は進み、東京オリンピックの選手宿舎に洋式便器が設置されたのを皮切りに便器の洋風化も始まっていた
- [15]当時は医療用の輸入品があったくらいで、新車が一台買えるほど高価だった
- [17]シャワートイレの普及率が50%を超えるのは2000年代に入ってから
参考文献[1]-[17]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
- [1]ほうろう浴槽の需要増大に応え、常滑市大谷に大谷工場(ホウロウバスの生産一貫工場)を建設中
- [2]関東地方での拠点として茨城県新治郡千代田村に壁タイルとユニットバスルームの工場建設を開始、工費4億円
- [3]1967年3月、全額出資により九州伊奈製陶(資本金5000万円)を設立し、佐賀県鹿島市で工場建設工事を開始
- [4]九州伊奈製陶の狙いは労働力の確保と原料産地に近いことで、当面は外装用タイルが主体
- [5]建築陶器の総合メーカーを目指し、年間売り上げ100億円を突破
- [6]1968年時点の社長は田辺三郎、従業員3754名、資本金16億円
- [7]紙を使わない夢のトイレの国産化に対し、清潔好きの日本人が満足するか、売れるのかという疑問があり、あからさまに反対するスタッフもいた
- [8]輸入品は日本人の体格には不釣合いに大きく、温水や温風の当たる位置もまったく違い、ほとんど参考にならなかった
- [9]日本人の肛門の位置を示すデータが無く、開発スタッフは社員の「尻型」を粘土に押して取る方法をとった
- [10]男子社員は下半身裸で、女子社員は水着より薄い布をまとった姿で粘土に尻の型を押した
- [11]湯の温度も、故障してやけどを負わせることが万が一にも無いよう二重、三重の対策を凝らした
- [12]数え切れないほどの試作を重ねて初出荷にこぎつけた時は、開発着手から2年もの月日が経とうとしていた
- [14]上下水道の整備は進み、東京オリンピックの選手宿舎に洋式便器が設置されたのを皮切りに便器の洋風化も始まっていた
- [15]当時は医療用の輸入品があったくらいで、新車が一台買えるほど高価だった
- [17]シャワートイレの普及率が50%を超えるのは2000年代に入ってから
- [13]1967年10月、国産初のシャワートイレ付き便器「サニタリイナ61」を発売開始。当時は伊奈製陶(後のINAX)
- [16]1976年、普及モデルとして便座タイプのシャワートイレ「サニタリーナF1」を発売
1970年〜FRP浴槽の用途拡大と伊奈輝三氏の社長就任
戦後の伊奈製陶は衛生陶器など水まわり製品へ品目を拡大し、新素材として注目されていたFRPに着目して浴槽のポリバスを開発し、1970年代には軽さと施工のしやすさを住宅向けに生かしたFRP製の浴槽ポリセットを世に出した。黒川紀章氏が設計し1972年に東京・銀座で竣工した中銀カプセルタワービルでは、140基の着脱可能なカプセルユニットに納めるユニットバスの開発を伊奈製陶が手がけた。FRPの軽くて錆びない特性と浴槽づくりで培った技術は、パラボラアンテナの開発にも向けられ、国内外の注目を集めた。ただし、この事業が続くことはなかった。
- LIXIL ニュースリリース 2024年3月7日「INAXライブミュージアム企画展 なんとかせにゃあクロニクル ―伊奈製陶100年の挑戦―」
- [18]戦後は衛生陶器など水まわり製品の開発製造へ拡大し、新素材として注目されていたFRPに着目、試行錯誤の末にポリバス(FRP浴槽)を開発
- [20]黒川紀章設計により1972年に東京・銀座に竣工した中銀カプセルタワービルの140基のカプセルユニットのユニットバスを伊奈製陶が手がけた
- [21]FRPの軽くて錆びない特性と浴槽づくりで培った技術と経験をもとにパラボラアンテナを開発し、国内だけでなく国際的にも注目を集めた
- [22]パラボラアンテナの事業は継続しなかった
- INAXライブミュージアム 企画展「なんとかせにゃあクロニクル ―伊奈製陶100年の挑戦―」
- [19]1970年代、当時新素材だったFRP製の浴槽「ポリセット」
1980年1月、伊奈輝三氏が大岩和雄前社長から社長職を引き継いだ。就任までの20年で、伊奈輝三氏は生産技術の習得と販売部門の指揮を交互に経験した。伊奈輝三氏は1937年10月15日に愛知県で生まれ、1960年3月に東京工業大学を卒業すると同時に伊奈製陶へ入社し、統制部に配属された。1961年秋から1962年秋にかけては米国のタイルメーカーであるインターペース社へ派遣され、主に生産面の技術を学んでいる。帰国後は1963年12月に取締役企画室長、1967年に常務、1971年に専務販売企画部長兼名古屋支店長へと昇進を重ね、1973年12月からは営業本部長、1978年1月からは副社長の任にあった。創業者・伊奈長三郎氏の三男にあたる直系が社長の座に就いたことから、周囲には経営権が伊奈家の手へ戻ったとみる向きが多かった。
- 日経ビジネス 1980年3月10日号
- [23]1980年1月、伊奈輝三氏が大岩和雄前社長(現会長)から社長職を引き継いだ
- [24]伊奈輝三氏は1937年10月15日愛知県生まれ。1960年3月、東京工業大学卒業と同時に伊奈製陶に入社、統制部に配属
- [25]1961年秋から1962年秋まで米国のタイルメーカー、インターペース社に派遣され、主として生産面の勉強をする
- [26]1963年12月に取締役企画室長に就任、1967年常務、1971年専務販売企画部長兼名古屋支店長
- [27]1973年12月営業本部長に就任、1978年1月から副社長を務めた
- [28]創業者伊奈長三郎氏直系(三男)の社長就任だけに、周囲では「伊奈家への“大政奉還”」という見方が強い
参考文献[18]-[28]
- [18]戦後は衛生陶器など水まわり製品の開発製造へ拡大し、新素材として注目されていたFRPに着目、試行錯誤の末にポリバス(FRP浴槽)を開発
- [20]黒川紀章設計により1972年に東京・銀座に竣工した中銀カプセルタワービルの140基のカプセルユニットのユニットバスを伊奈製陶が手がけた
- [21]FRPの軽くて錆びない特性と浴槽づくりで培った技術と経験をもとにパラボラアンテナを開発し、国内だけでなく国際的にも注目を集めた
- [22]パラボラアンテナの事業は継続しなかった
- [19]1970年代、当時新素材だったFRP製の浴槽「ポリセット」
- 日経ビジネス 1980年3月10日号
- [23]1980年1月、伊奈輝三氏が大岩和雄前社長(現会長)から社長職を引き継いだ
- [24]伊奈輝三氏は1937年10月15日愛知県生まれ。1960年3月、東京工業大学卒業と同時に伊奈製陶に入社、統制部に配属
- [25]1961年秋から1962年秋まで米国のタイルメーカー、インターペース社に派遣され、主として生産面の勉強をする
- [26]1963年12月に取締役企画室長に就任、1967年常務、1971年専務販売企画部長兼名古屋支店長
- [27]1973年12月営業本部長に就任、1978年1月から副社長を務めた
- [28]創業者伊奈長三郎氏直系(三男)の社長就任だけに、周囲では「伊奈家への“大政奉還”」という見方が強い
1967年〜1988年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1967年04月期 | 単体 | 82 | n/a | n/a | 4 | 5.0% | n/a |
| 1968年04月期 | 単体 | 100 | +21.7% | n/a | 5 | 5.3% | n/a |
| 1969年04月期 | 単体 | 125 | +24.6% | n/a | 8 | 6.5% | n/a |
| 1970年04月期 | 単体 | 157 | +25.9% | n/a | 11 | 7.1% | n/a |
| 1971年04月期 | 単体 | 193 | +23.2% | 20 | 12 | 6.5% | n/a |
| 1972年04月期 | 単体 | 219 | +13.4% | 14 | 9 | 4.2% | n/a |
| 1973年04月期 | 単体 | 276 | +25.8% | 17 | 11 | 4.0% | n/a |
| 1974年04月期 | 単体 | 433 | +56.9% | 42 | 20 | 4.6% | n/a |
| 1975年10月期 | 単体 | 407 | ▲6.1% | 8 | 6 | 1.6% | n/a |
| 1976年10月期 | 単体 | 473 | +16.2% | 18 | 8 | 1.8% | n/a |
| 1977年10月期 | 単体 | 546 | +15.4% | 35 | 16 | 2.9% | n/a |
| 1978年10月期 | 単体 | 615 | +12.5% | 53 | 24 | 4.0% | n/a |
| 1979年10月期 | 単体 | 729 | +18.6% | 67 | 34 | 4.7% | n/a |
| 1980年10月期 | 単体 | 857 | +17.6% | 83 | 38 | 4.5% | n/a |
| 1981年10月期 | 単体 | 888 | +3.6% | 70 | 35 | 4.0% | n/a |
| 1982年10月期 | 単体 | 988 | +11.3% | 71 | 37 | 3.7% | n/a |
| 1983年10月期 | 単体 | 1,121 | +13.5% | 82 | 39 | 3.5% | n/a |
| 1984年10月期 | 単体 | 1,241 | +10.6% | 87 | 48 | 3.9% | n/a |
| 1985年04月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1986年04月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年04月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年04月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑 1971年版 半期合算、会社年鑑 1976年版 半期合算、会社年鑑 1986年版 昭50年10月期、会社年鑑 1986年版 昭51年10月期、会社年鑑 1986年版 昭52年10月期、会社年鑑 1986年版 昭53年10月期、会社年鑑 1986年版 昭54年10月期、会社年鑑 1986年版 昭55年10月期、会社年鑑 1986年版 昭56年10月期、会社年鑑 1986年版 昭57年10月期、会社年鑑 1986年版 昭58年10月期、会社年鑑 1986年版 昭59年10月期
出典・参考
6件
- LIXIL ニュースリリース 2017年1月25日「おかげさまで、2017年 LIXILは、主要な事業展開の起点となった1967年から50年目の節目を迎えます」
- LIXIL ニュースリリース 2024年3月7日「INAXライブミュージアム企画展 なんとかせにゃあクロニクル ―伊奈製陶100年の挑戦―」
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「伊奈製陶」
- 日経ビジネス 1980年3月10日号
- LIXIL「ものづくりの歴史 シャワートイレの誕生」
- INAXライブミュージアム 企画展「なんとかせにゃあクロニクル ―伊奈製陶100年の挑戦―」